算数「かけ算の順序」を中心に数学教育を考える

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zoom RSS (1あたり)と(いくつ分)は、常に逆転できるのか?(9)

<<   作成日時 : 2011/03/07 09:08   >>

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連続量の等分除・包含除の転換をもう少しシンプルに。


【連続量の等分除】 20Lの水を3人で分ける     1人あたり6.66・・・L

3人の持っている容器に、同時に同じ量ずつ水を注ぐ。各容器が1L増えるごとに、元の水は3L減る。

各容器に注がれている水がaL
元の水の量は、(20−3a)L

aを求めることは、20の中に3がいくつあるのかを求めることになる。




【連続量の包含除】 20Lのペンキがあって壁を塗る。1平方メートルあたり3L使う。
塗れる面積は6.66・・・平方メートル

3つ容器を用意してペンキを同時に同じ量ずつ注ぐ。各容器の1Lが1平方メートルに対応する。
結局、各容器のペンキの量をL単位で表した数値が、塗れる面積を平方メートルで表した数値になる。



「等分除・包含除の区別は、分離量には存在しないが、連続量には存在する」という立場から予想される反論は、おそらく次の2点である。


■体積と、塗れる面積という全く別の物を対応させるのはおかしい。■


【積分定数の反論】

 1Lと1平方メートルの対応には必然性がない。1Lと1平方メートルが対応するようにしたということである。

 しかし分離量での等分除・包含除転換においても、蜜柑1個と人1人という必然性のない対応をさせている。分離量の場合、1単位が必然的に決まるので、「単位の変更」がなされないから、このことが見えない。また、遠山啓流に単位(助数詞)を付けなければ、「蜜柑1個と人1人」の対応が、「1と1」の対応となり、必然性がないことが隠されるだけである。

 必然性があろうがなかろうが、求める数値と同じ数値になる物を見つけて、後者の数値を求めて答えを求めることは、数学ではよくありがち。




■20Lの水を3Lずつ配る。何人に配れるか?という問題の場合、6人で2Lあまる。等分除であればあまりは生じない。答えそのものが違うのだから、これは包含除と等分除が本質的に違うことを意味する■

1人と1Lという具合に、分離量である人数と、連続量である体積を対応させているので、こういういわれると困ってしまう。

等分除とみなしたときに、体積を分離量と捉えて1L単位でしか分配できないとか、人数を連続量とみなして、「6.66・・・人に配ることが出来る」と一旦した上で、「人数は整数値しかとれないので、6人」とでもするか・・・

【積分定数の反論 1】 「20(L)÷3(L/人) は等分除とも解釈できる」ということであって、「20(L)÷3(L/人) は、20(L)÷3(人)と同じ」ということではない。


【積分定数の反論 2】 「連続量の等分除・包含除はあまりの扱いで区別できる。あまりがでる割り算になるのは包含除のみ」ということで、「これが等分除・包含除を区別する根拠である」とするなら、「あまりがでる割り算にならないのは等分除」としなくてはならない。そうすると、「体積=質量÷密度」、「距離=時間÷速さ」などは「等分除であって包含除ではない」となるが、これは不合理


しかし、「等分除と考える方がごく自然な連続量の割り算の問題であまりが出る」という事例を出さないと、だめだろうか?

【22gの紐を4等分して、その1本の質量をgであらわせ。ただし、小数点以下は切り捨てる】

だめ?


【22gの紐を4等分して、そのうち1本を天秤ばかりの左の皿に載せる。右の皿に1gの分銅を載せる。天秤が右側に片寄らない状態で、最大何個の分銅を載せることができるか?】

22÷4=5・・・2  答え5個

一見良さそうにも思えるが、ごまかしがある。これは

22÷4=5.5   5.5÷1=5・・・0.5   という2つの割り算から構成されている。後者は典型的な「包含除と解釈するのが自然な割り算」である。

分銅1個の質量を2gにしてみるとよくわかる。

22÷4=5.5   5.5÷2=2・・・0.5  答え2個



【2つの振り子がある。振り子Aの3周期は、振り子Bの14.7周期に対応する。振り子Bを右に振れた状態で手で持って固定する。手を離してから、振り子Aの1周期の時間が経過するまでに、何回、元の位置に戻ってくるか】

14.7÷3=4 あまり2.7    答え 4回

周期というのは時間の単位とも言える連続量である。問題文でも、14.7周期となっているように立派な連続量である。

しかしこれも、「さっきの問題と同様だ」と批判されるかも知れない。
14.7÷3=4.9 で3.9周期   
1周期にたいして1回だから、3.9÷1=3 あまり0.9 
やはり2つ目の割り算が包含除的ではある。

また、「‘等’分除になっていない」、という批判もあり得るな。振り子Aの1周期の間に、元に戻ってくる回数が常に4回ということではない。当然、5回の場合もある。そうしないと、振り子Aの3周期が、振り子Bの14.7周期にならない。



だから、

■連続量の割り算で、あまりが出るのは、包含除的解釈が自然な問題だけである■

を完全に否定するまでには至っていない。

しかし、このことで、「分離量であれ、連続量であれ、等分除・包含除の区別はない」ということが否定されるわけではないと考える。




■分離量であれ、連続量であれ、等分除・包含除の区別はない■
■掛け算において、(1あたり)と(いくつ分)は区別できない■

これが私の一貫した立場である。

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■分離量であれ、連続量であれ、等分除・包含除の区別をしてもよい(区別しておこる問題は何もない)■

■掛け算において、(1あたり)と(いくつ分)は区別したほうがよい(区別しないほうが不自然)■


わたしの立場
2014/06/25 09:47

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