算数「かけ算の順序」を中心に数学教育を考える

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<<   作成日時 : 2011/07/30 11:03   >>

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私は 1,2,3,・・・・ ではなくて、 0,1,2,3・・・  が合理的だと考えているので 初代は1代目でなくて、0代目としました。

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feiさん、

>掛け算の概念を習得していない子供に、掛け算の概念が理解できて始めて使える抽象概念を使わせることはできません。

掛け算の概念を理解出来ているかどうかを確かめるテスト問題とその解答の書き方の話であって、初めて掛け算を教える時の話ではありませんよ。混乱されています。
zorori
2011/07/31 08:45
>掛け算の概念を習得していない子供に、掛け算の概念が理解できて始めて使える抽象概念を使わせることはできません。

もし、この理屈から、「かけ算の順序を固定すべき」という主張が出てくるなら、変だと思う。
もし交換法則を概念として意識して使えない段階だからと言って「かけ算の順序を固定すれば」、後に混乱する生徒が出てくる種をまくことになるのでは?
交換法則は段々と意識して使えるようになればいい法則であって、最初から交換法則を意識する必要はない。
逆に「かけ算の順序を固定して」教えると、生徒が自然に交換法則に気づくことを邪魔することになると思う。
おおくぼ
2011/07/31 10:23
現実に、小学校5年生で「逆順でバツ」という例があるわけで、それと、最初の教え始めの段階は、分けて考えないとね。
積分定数
2011/07/31 13:12
銀林浩さんの『数の科学』の話をさせて欲しいのですが・・・。
銀林さんは、掛け算を3つのパターン分けています。
1 (1あたりの量)×(土台量)
2  直積型
3  倍(倍写像型)
そして交換法則については、2番目のみ認めています(103頁)。

また1番目は交換法則を認めていませんが、乗数先書と被乗数先書と分けています。
だから(1あたりの量)×(土台量)と、(土台量)×(1あたりの量)の二つのパターンを利害得失によって、使い分けることを提唱しているのです。
おおくぼ
2011/07/31 14:40
> 小学校5年生で「逆順でバツ」

『高校生理科でペケつけてます』なんて先生が登場です。
http://www.tweetdeck.com/twitter/peaonmob/~HM16b
http://www.tweetdeck.com/twitter/peaonmob/~qujE6
kurita
2011/07/31 15:01
>そして交換法則については、2番目のみ認めています(103頁)。

つまり、3の5倍 と 5の3倍 は違う、前後が非対称である、とかそういうことなのかな?

なぜそんなややこしいことをしないとならないのか?
3倍の5倍も、5倍の3倍も 同じ15倍

3mの5倍は メートル原器の長さ(最近は何かの波長で定義するらしいが、それはおいておく)の3倍の5倍
5mの3倍も同様でいずれにしても15倍

行列だって、
30
03



50
05

は可換である。

>『高校生理科でペケつけてます』

めまいがしてきました。

PV=RTn nは物質量だから「いくつ分」に相当すると思って後ろに書きました。小学校でそう叩き込まれたので。今度は前ですか?

とかならないのだろうか?

運動エネルギー=1/2・v^2・m ってなんか違和感があるけど別に構わないと思う。かけ算の順序派は、単位質量あたりの運動エネルギーがv^2とでもして、こうかいて、高校理科順序派と衝突するのかな?



積分定数
2011/07/31 19:36
高校理科におけるかけ算の順序に関する会話をツイッターの検索機能で話の流れを見れるようにしてみました。
http://bit.ly/op1NVC

おおくぼさん、銀林浩さんの『数の科学』の紹介を楽しみにしています。

「自明な理由で異なる意味を持つ数値を混同してはいけないということ」を「交換法則が成立しない」と言うのは誤解を招く言い方でよろしくないですよね。

簡単で単純なことを難しそうに語る奴は昔から駄目な奴だと決まっているものです。
くろきげん
2011/07/31 20:28
「成立しない」ではなく、「自明ではない」

順序派って、バカだよな〜
バカ
2011/07/31 20:59
「掛け算」と「(1あたり)、(いくつ分)とその(総量)」は別物

もちろん、非常に関連が深いものではあるが…
バカ
2011/07/31 21:03
バカな順序派も、バカな否定派も、
この2者を同一視して、バカ主張を
展開するとこが、その特徴なんだが
バカ
2011/07/31 21:06
バカさんは今後書き込まないで下さい。
積分定数
2011/07/31 21:43
くろきげんさんへ

kikulogでは失礼な発言をして大変申し訳ありませんでした。
くろきげんさんのツイートは毎日拝読していて、くろきげんさんの経済学的な主張には大賛成です。
クルーグマンの『良い経済学 悪い経済学』の解説をしている伊藤元重さんなどの東大経済学部教授陣の最近の発言が、あまりに酷いので絶望的な気持ちです。



銀林浩さん本に関しては、メタメタさんの本に触発されて調べてみました。
メタメタさんの仕事を補完できればと思っています。
おおくぼ
2011/07/31 22:24
おおくぼさん、お互い細かいことは気にしないってことで行きましょう。
銀林さんの本はもしかしてわざわざ古本で購入したんですか?

ええと、ツイッター方面部隊のくろきです。

ツイッターの検索(ツイッターは検索が超重要)で『かけ算には順序があるのか』の感想を新たに見付けたのでURLを紹介します。
http://book.akahoshitakuya.com/b/4000295802

http://bit.ly/op1NVC はツイッターにおける「高校理科におけるかけ算の順序」の話題を紹介するつもりのURLでしたが、すでに違う話題で埋め尽くされています。高校理科話についてはずっと下の方を見て下さい。
くろきげん
2011/07/31 23:31
出遅れてしまいましたが、この件についてです。
   ↓   ↓   ↓
>「かけ算の順序を固定すれば」、後に混乱する
>生徒が出てくる種をまくことになるのでは?

生徒どころか、教員が混乱しています。

順序派の中に、
「m種類の品物が1個ずつ入れ物にはいったセ
 ットがnセットあるとき、品物の数は?」
という問題で、n×mでも良いとする人と、
n×mはバツにしてよい、という人がいます。

●「n×mでも良い」という例
 http://www.pref.okayama.jp/uploaded/attachment/286.pdf
 >はこが4はこあります。
 >どのはこにも,ちがうしゅるいの
 >おかしが5こずつ入っています。
 >おかしはぜんぶでなんこありますか。
 >A さんは「4×5=20 20こ」
 >と,考えました。
 >A さんの考えをせつ明しましょう。

●「n×mはバツにしてよい・バツにされる可能性がある」
 という例
 http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20110210/1297279739#c
 >それで,【問題1】をかけ算の式にするとき,
 >「1つ分の大きさ」は「1人につき14本」,
 >【問題2】における「1つ分の大きさ」は
 >「1人につき100本」とするのが素直な考え方
 >であり,それぞれを「ゴルフクラブの1つの種
 >類につき(全ゴルファーが差し出す)100本」
 >「ゴルフセット1セット分にあたる14本」とし
 >て,単位抜きの式を書くのでは,“って書い
 >ただけでは分からない”んじゃないかなあと
 >思います.
ゴルゴ・サーディーン
2011/07/31 23:53
くろきげんさんへ

はい、そうです。
ネットでも買えますが、神田神保町の明倫館という理科系の古書を専門に扱っている店で銀林浩さんの本を何冊か購入しました。
おおくぼ
2011/08/01 00:00
連投しないよう心掛けているのですが、もしかすると誤解されているかもと思ったので書いときます。

私が「かけ算の順序論争」を知ったのは去年頃です。
だから、この論争が何十年も続いているとはまったく知りませんでした。
遠山啓さんや森毅さんの本は前から読んでましたが、この論争と関係あるとは思いもしなかったので、驚いています。
おおくぼ
2011/08/01 00:15
>くろきげんさん
情報有り難うございます。

>どのはこにも,ちがうしゅるいの

種類が同じか違うかに本質的な違いがないことに子供が気づいたらどうするのか?

中学のときに大人から、「コインを2枚なげて、1枚が表で1枚が裏になる確率は、同じ種類のコインなら1/3 違う種類のコインなら1/2」と説明されて納得いかなかった。「両方1/2のはずだ。両方とも10円玉なら1/3?。よく見たら製造年月日が違った。そうすると1/4?。製造年月日も同じなら1/3?。でもよく見たら傷の具合などで識別可能でした。そうなると1/2?。人間が2枚を識別できるかどうかで確率が変わっちゃうの?」と反論したら「屁理屈言うな」と言われた。

同じ種類のビスケットでも、便宜的に番号を振れば、「違う種類」になる。

こんなの見つけました。
http://homepage3.nifty.com/kkam12/kakezan.pdf#search='
どういう人が作ったのか不明です。
積分定数
2011/08/01 00:22
【黒木周り】って、いろいろと推測するのはいいんだが、その推測に多くの賛同があると、
いつの間にか、決定事項みたいになっていくんだよな…。「真理のポピュリズム」だよね。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-d8d9.html
羞知
2011/08/01 01:03
>羞知さん

具体的な事例を挙げてもらえもらいたいのですが。
積分定数
2011/08/01 01:16
http://homepage3.nifty.com/kkam12/kakezan.pdf
って、どっかで読んだ文章だと思ったら、以前検索かけた時に引っかかってたやつでした。親頁は
http://homepage3.nifty.com/kkam12/sub3.html
で、もと高校の校長をされてた方のようです。

同じ現場といっても小学校と高校じゃかなり違うのでしょうが、そこを差し引いても結構興味深いことが書いてあります。
げお
2011/08/01 02:36
>げおさん

情報有り難うございます。
積分定数
2011/08/01 03:15
銀林浩さんの『数の科学』を読んでいると、瀬山士郎さんの主張と似ている気がしてきました。
瀬山士郎さんは「多次元の行列」で交換法則の一般性を否定してしますが、銀林浩さんは集合論で交換法則が成り立たない場合があるということで、交換法則の一般性を否定している気がします。
ハッキリ書いている箇所が見つからないので推測ですが、直積型の掛け算が、「(1あたりの量)×(土台量)」の特殊例だとは書いてあります。
おおくぼ
2011/08/01 05:37
くろきさん。私が以前に指摘した「ふまが気持ち悪い」ってことは

ご納得は頂けましたでしょうか?
はげさま
2011/08/01 11:15
ネットリフレ=ナンセンス!
http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20110728/p1
りふれの神様
2011/08/01 11:20
集合論で交換法則が成り立たないということは、濃度ではなく、順序数の方ですね。その場合、和の交換も一般には成り立たない。そもそも水道方式は、数え主義を批判して、「4」というのを、「3の次の来る4番目の数」としてではなくて、「4つのもの」として捉える教え方を提唱していた気がする。順序数と言うよりも濃度的である。

 まあいいけど、「〜では〜が成り立たない」というなら、

 外積のように結合法則が成り立たない例もあるから、3つ以上の数の積の括弧を省略してはいけない

ということになりそう。

 行列のことを言い出したら、

AB^(-1)とB^(-1)Aで一般には異なるから、A÷Bとか、A/Bなどとはかけない。だから、3÷5 や 3/5 と書いてはならない。

とかならないのだろうか?「積は一般には可換でない」などといって、かけ算の順序を正当化する順序派は、行列や集合論の話を都合良く我田引水的につまみ食いしているように思える。
積分定数
2011/08/01 11:56
結合法則が一般には成り立たないのに、なぜ3つ以上のかけ算で括弧を省略するのか?行列には右除算と左除算があるが、なぜ算数では区別しないのか?

■いちいち括弧を付けるのが煩わしい。括弧をどのように付けようとも、計算結果は同じだから付ける必要はない。
■1行1列の数列は右除算も左除算も値が同じになるから、a÷b という同じ表記で問題ない。

ということだろう。当たり前の話である。

ではなぜかけ算の順序の場合は、「一般には交換法則名が理たたないから」などとなるのか?

括弧の場合は、わざわざ付けるのは面倒だが、かけ算の順序はどちらかを書かざるを得ないので、2×3 と 3×2 どちらかを書かなくてはならない。異なる表記が可能だから、異なる意味を当てはめれば情報量が増えて都合がいい。

程度のことでしかないように思える。

1あたり と いくつ分 の区別が本当にそれほど重要であるなら、割り算でも等分除と包含除で異なる記号を使うべきである。割り算を計算するときの九九も、1あたりを求める等分除として20÷5を計算する場合は、「にごじゅう、さんごじゅうご、しごにじゅう」という具合に求めるべきである。

積分定数
2011/08/01 12:09
数教協というか水道方式というか遠山啓・銀林浩というか、その界隈にいる人は「かけ算は累加ではない」と強調する。「累加だと0や分数のかけ算で躓くから」だという。

「かけ算は足し算の繰り返しだ」と正しく認識している子に「そうではない」などといって混乱しないのだろうか?

累加そのままに0や分数に拡張は出来ないが、そこで色々工夫するのが面白いのだと思う。躓きの石を最初から取り除くことが良いことなのか?

「〜と定義するとあとで躓くから」ということであれば、累乗も分数乗や負数乗で躓かないように、2^3は、2を3回かけるということではなく、「単位時間で質量が2倍に増える細菌は3時間で何倍になるか」というように導入することになるのではないか?

水道方式では数を順序数的なものではなく、濃度的なものとして導入する。しかし、座標や負の数、数列などは順序数的なものとして捉えた方が捉えやすい。数直線上の「3」は、0〜3までの閉区間ではなく、3という座標上の点である。

「累加で導入すると分数で躓く」という論理を敷衍したら、「数を濃度で導入すると、負の数や座標で躓く。だから、順序数として導入すべき。10−7は、10個から7個取り去った残り、ではなく、7からあといくつ数えたら10になるか、と捉えるべき」とならないのだろうか?
積分定数
2011/08/01 12:46
集合論を持ち出してかけ算の順序を正当化するのであれば、集合論では和や積は定義できてもその逆演算は定義できない。a+x=b と満たすxが一意的に定まらないからである。

だから、小学校算数でも引き算・割り算を教えるのはやめましょう

とならないのだろうか?そうなったら小学生は大喜びだろう。計算ばかりやらされて算数がつまらなかった積分定数が小学生のときにそうしてくれれば、大喜びだっただろう。積分定数が「自分は数学が得意で好きなんだ」と自覚したのは高校になってから。
積分定数
2011/08/01 12:52
集合論云々は、順序派が直接そういったのは聞いたことはないが、行列の話はたまに出る。それを敷衍したらとうぜん集合論で順序を正当化するという話にもなりうる。

しかし、「かけ算の順序はどうでもいいと教わったので線形代数が理解できません」という人がいるのだろうか?甚だ疑問である。
積分定数
2011/08/01 12:57
銀林浩さんは、積だけでなく和の交換法則も一般性を認めていません。
遠山啓さんは、順序数ではなく基数を使ったタイルで学ぶ方法です。
遠山啓さんと銀林浩さんは、二人で水道方式の本を書いていますが、いろんなところで違う気がします。

『数の科学』の第1章「数の生い立ち」に銀林浩さんの基数と序数の関係が書いてあります。

>以上をまとめると、
>(1) 基数は整列される。その際、基数nは第n番目に並ぶ。
>(2)序数は切片によって集合を生み出す。その際、n-切片の基数はnである。
>これが互いに逆の過程であることは、1、2、3、・・・と並んだタイルを、小さい方を上、大きい方を下に重ね、上から見ることによってわかる。
(28頁)
おおくぼ
2011/08/01 13:22
>遠山啓さんと銀林浩さんは、二人で水道方式の本を書いていますが、いろんなところで違う気がします。

なるほど、何から何まで同じ考えなら気持ち悪いわけで、当然とも言えるけど、遠山啓や銀林浩の考え方はそれはそれとして、数教協内で、「俺はこの考えには納得できない」とか、「俺はこう考える」とかの議論はあるのだろうか?

 「かけ算は累加ではありません。累加として導入すると〜で躓く」って、本当に個々人の実践の中から出てきた言葉だろうか?「私は累加でやりましたが、分数で躓く子はいませんでした」とか、そういう人は皆無なのだろうか?

http://ts.way-nifty.com/makura/2009/07/post-4df6.html
>(この箇所だけでは、アメリカのかけ算の考え方は分からないのですが、あたかも、かけ算をたし算の延長のように教えているとしたら、それは問題では、、、と思いました。この教え方だと4×1、4×0、また分数や小数で子どもたちは戸惑ってしまいます)
>面積の公式は「縦×横」、と教えますが、これは板書で書くとき縦の線を先に書くことが多いので、まず縦、次に横の線を書くので「×横」としますが、
横の線から先に書けば横×縦でも交換は可能です。
ただ、この順番にも拘る教師がいるとしたら、
その教師は子どもに「立体の名称」を定着させるために、拘っているのかもしれません。

かけ算を累加で導入することへの疑問を書きながら、長方形を横×縦とするとバツにする授業に理解を示す。

実に不可解である。



積分定数
2011/08/01 14:45
> 速さ・時間・距離に関しても、時間を「1あたり」、速さを「いくつ分」とする解釈があり得る

「1あたり」の「1」の設定を適当に取ればね。しかし、そのような取り方は通常は不自然である

「1」の取り方を全体に取ることで、「いくつ分」を常に1にすることができる、というのと同じような話にしか過ぎない
くく
2011/08/01 16:06
「1」の取り方を全体に取ることで、「いくつ分」を常に1にすることができる。したがって、速さ・時間・距離に関しても、「1あたり」を(全体の距離)、「いくつ分」を1とする解釈があり得る

問題は〈自然な解釈〉か、どうか?、ということなんだけどね
くく
2011/08/01 16:11
遠山啓さんと銀林浩さんは、似て非なることがわかりました。
岩波新書から出ている遠山啓さんの本を調べてみました。

『数学の学び方・教え方』120頁
>ところで、A∩Bは数のかけ算に似ています。
A∩B=B∩Aは、かけ残のa×b=b×a、順序をかえてもいいというのと、よく似ています。
>これをやはり交換法則といいます。

同じ内容が『現代数学対話』の113頁に見つかりました。
また『数学入門(上)』の第四章「代数ーずるい算数」に交換法則についての説明が見つかりました。

>・・・という二つの操作は順序を入れかえても結果は変わらないという意味になる。
>それが交換法則の意味である。
>しかし二つの操作は順序を入れかえはできるとは限らない。
>たとえば金庫のカギをあけるとき、「左へ25まわす」という操作のつぎに「右へ63まわす」という操作をおこなうことになっているのに、まちがえて・・・・
     略
>つまりこの二つの操作は交換可能ではないのである。
     略
>一般的には操作というものは交換できないのに、たし算とかけ算はとくに交換可能であるというのが、a+b=
b+a、ab=baの意味である。
おおくぼ
2011/08/01 19:55
>おおくぼさん
1959年『数学入門』では,遠山は「操作」をかなり重視していたのですね。
ところが,1972年に,朝日新聞での順序論争を知って以降,かけ算の導入について,それまでの,被乗数×乗数を批判する1つの論点は,乗数が操作の回数であり,かけ算の導入としては,子どもにわかりにくい,として,「1あたり量」×「いくら分の量」と,どちらも「物の量」として導入することを提案したということだと思います。
「操作」という「事」は,「量の体系」からは抜け落ちているように思います。どこかに残っているでしょうか。
メタメタ
2011/08/01 20:29
メタメタさんへ

遠山さんの考えは『数学入門』以後に変わってしまったんですね。調べてみます。
ただ教育方法を変えても、数学自体が変わるわけではないと思います。
私には遠山啓さんの「量の体系」がよくわかりませんし、銀林浩さんになると輪をかけてわかりません。
「黒表紙教科書」が、「量」を放逐したということが書いてありますが、物理学を軽視した算数教育だったのでしょうか?
現代数学が自然科学に貢献した成果を、「水道方式」は算数教育に盛り込もうとしたとは思うのです。
だからと言って交換法則が否定される訳ではありません。
おおくぼ
2011/08/01 21:21
問題:1時間あたり3kmの速さで、2時間歩きました。歩いた距離は、何kmか?

答A:(1あたり)3、(いくつ分)2、(式)2×3=6、(答)6km
答B:(1あたり)2、(いくつ分)3、(式)2×3=6、(答)6km
答C:(1あたり)6、(いくつ分)1、(式)6×1=6、(答)6km

答Bが正解なら、答Cも正解だな〜。
クロッキーG
2011/08/01 21:32
(1あたり)の「1」を「2/3時間」の設定にすれば、
(1あたりの距離)は2kmで、(いくつ分)が3になる

どんだけ不自然な設定なんだよ。さすがクロッキー周辺は違いますね
さすがだな〜〜〜
2011/08/01 21:39
クロッキー周辺は、本当に
とんでもなくデタラメです
から〜。
まあ
2011/08/01 21:42
銀林浩さんの『数の科学』に戻ります。
銀林さんは、たし算を合併型と添加型(増加型)に分けています。
そして添加型を「基数の増加」と「序数の加法」とに分けて、どちらも(厳密には)交換法則が成り立たないとしています。
62頁〜64頁
おおくぼ
2011/08/01 22:57
積分定数さん 2011/08/01 12:46

>
累乗も分数乗や負数乗で躓かないように、2^3は、2を3回かけるということではなく、「単位時間で質量が2倍に増える細菌は3時間で何倍になるか」というように導入することになる
<

昔(高校1年)を思い出しました。

高校の数Iでマイナス乗や分数乗が出てきて意味が分かりませんでした。一番苦労したのが a^0 = 1 です。結局「負乗は分数」という「ルール(=理解してない)」と累乗の計算法則(a^x*a^y = a^{x+y})で納得しましたが。(理解していないことを基礎として次の事を理解しようとしていた。いやまさに今まで。)

なお、分数乗は {a^{1/x}}^x = a で「x乗根」と理解していました。

なるほど、ご提示の様に考えれば、「では0時間後は?」で明かですね。他も一緒。
Toshi2100
2011/08/01 23:05
私の場合、負数乗とか分数乗の意味は、自分で気づきました。

高校生に教えていて、指数法則を確認した後、その段階では自然数乗しか定義されていないのですが、
100^(1/2)はどうなると思う?と問いかけると、結構正解を出す子がいます。そのあと、平方数についていくつか1/2乗をやると、1/2乗がルートだと自然に気づきます。そのあと8^(1/3)などもやると、ほぼ説明なしで理解してくれます。

0乗や負数乗は、2^3 2^2 2^1 と右に一歩いくと半分になっていることに気づいてもらいます。

対数の定義だけ説明して、対数法則を教えなくても、
log48などの値を正しく出す生徒は多いです。

問題だけ出して、こちらが余り説明しなくても、新しい定理や公式を生徒が見つけられるようにするにはどうすればいいか模索しています。

 そういう方向を目指しているので、水道方式は「ちょっとちがうな」と感じます。

 数学って、それ自体がシンプルで美しく面白いのに、あれこれ手を加えすぎてしまっているように見えます。

 塩焼きで大根下ろしをたっぷりかけて、腹わたごと食べる目黒の秋刀魚がが美味しいと思うのです。
積分定数
2011/08/02 00:35
nCr=nCn-r これなんかは、「100C98を求めて」という具合にして気づいてもらいます。めんどくさがり屋は如何に計算をサボるかを考えるから、100C2と同じになることをめざとく見つける。

 だから私が小学校算数でかけ算を教える場合、まずは累加で導入した後、あるいは、かけ算を導入しないで、

2を8個足したらいくつか?

という問題を出すと思う。横着者は、まともに計算するのを回避しようとして交換法則に気づくかも知れない。

aをb個たす bをa個たす これが常に同じ値になる。

このことに自分で子は感動するだろう。「なぜだろう?」と不思議に思うだろう。そんな子に、順序やら1あたりといくつ分の区別を強要するなど、有害無益。
積分定数
2011/08/02 00:47
ちなみに私が思い描く「数学が出来る生徒」像は、授業をよく聞き、教わったことをしっかり覚えるような生徒ではない。

84+57 

筆算の仕方を知らない、分からないという状況で、「足すのだから、○を84個と57個書いて数え上げよう。」というしぶとさを持ちつつ、途中でめんどくさくなって、
「10の塊が8個 と 4  10の塊が5個と7、ということは10の塊が13個あって、それと11ある。だから、・・・」と工夫し、結局実質的に筆算のやり方を見つけてしまう。

そういう生徒である。
積分定数
2011/08/02 00:55
立場の違いが分かってないな。

成績を付けることを要求される(正規の?)学校は塾とは違うんだよ。学校では、採点はそれなりに重大な業務なんだな。この状況ではどのような採点基準が適切か、なんて大して考えないで、批判だけしてますよ、って感じだね。
はははは
2011/08/02 01:01
問題:1時間あたり3kmの速さで、2時間歩きました。歩いた距離は、何kmか?

答A:(1あたり)3、(いくつ分)2、(式)2×3=6、(答)6km
答B:(1あたり)2、(いくつ分)3、(式)2×3=6、(答)6km
答C:(1あたり)6、(いくつ分)1、(式)6×1=6、(答)6km

答Aは(通常は)正解にすべきである、ってのは適切な考えだが、答Bは正解にすべきなのかな?で、答Cは?
hahahaha
2011/08/02 01:05
「(1あたり)、(いくつ分)とその(総量)」について教えることを批判したいのならば、

とりあえず、「検定教科書」の執筆者、出版社あたりから批判なさったら、よろしいのでは

ないでしょうかね。はははははは♪
笑い
2011/08/02 01:34
相変わらず、【クロッキー周り】はさすがだね。本当に♪
ばぶ
2011/08/02 01:37
これからはちゃんと注意するんだよ
天才
2011/08/02 04:11
銀林浩さんが「倍数のかけ算」で交換法則が成立しないと考える根拠は、倍数が関数だからだと推測されます。

>したがって、よく使われる「倍」というのは、実は関数のことなのである。
『数の科学』(104頁)



森毅さんの『現代数学と数学教育 (基礎数学選書)』(裳華房:1975年)が去年復刊されています。
最近、購入して読んだのですが、銀林浩さんの『数の科学』を丁寧に説明した内容になっています。

>     略
>という形で、たとえば、時刻zにおける平面上の点の座標というようなときに、つねにやっていたことがある。
>これは、当然に乗法にかかわりがあって
> #(X)×#(Y)=#(X×Y)
>として、基数の乗法が定義できる。
>象徴的に書くなら下図のような関係になる。
>それで、たとえば「乗法の導入」を積集合で行なおうという流儀もある。
>たしかに、乗法は加法と違って交換法則が成立しにくいのだが、この場合にだけは、対称
> (x,y)→(y,x)
>によって、X×YとY×Xが同型になって、交換法則が自明になる利点がある。
>もっとも、乗法が加法と違って交換法則が成立しにくいというのは、和集合ではXとYとが同じ集合X+Yに埋めこまれるという<等質性>が前提になっているのにたいし、積集合ではXとYの<異質性>が維持されていることによる。
>この点では、交換法則がそれほど自明にならない方がよいともいえる。
>それでも、乗法について考えるとき、積集合という考え方が分析の視点のひとつにはなる。

35頁
おおくぼ
2011/08/02 21:38
つまり、A∪B=B∪A だけど A×B と B×A は異なるということですね。Aの元が1のみ Bの元が2のみなら、A×Bの元は(1,2) B×Aの元は(2,1)で異なる。

森毅は積の可換性がそれほど自明ではない傍証として、ペアノの公理から帰納法で交換法則を証明する場合、積の方が手間がかかるというようなことも言っていました。

いずれにしても算数のかけ算とは無縁なはなし。

集合論といえば、カントールだが彼の言葉も覚えておこう。

数学の本質はその自由性にある
積分定数
2011/08/02 23:49
>和集合ではXとYとが同じ集合X+Yに埋めこまれるという<等質性>が前提になっているのにたいし、積集合ではXとYの<異質性>が維持されていることによる。

ここは、(1,2)と(2,1)の話じゃなくて、XとYが全く異質の集合でも構わないが、和集合だと同じ種類の集合が前提になる、という話かな。

純集合論的には、異質とか同じ種類とかなんて関係ないけどね。集合論では、集合の元は全て集合。自然数も有理数も関数も全て集合。
積分定数
2011/08/02 23:53
集合論の専門家の方でも話題みたいです。

http://d.hatena.ne.jp/kururu_goedel/?of=5
おおくぼ
2011/08/03 00:13
数式の左側の単位と答えの単位が同じになるという説明は、(一つあたり量)×(いくつ分)=(全体の量)と順序を固定し、かつ(いくつ分)が単位のない「個数」に限定しなければなりませんから、非常に不自由になりますね。

例えば、3メートル×5メートル=15平方メートルは間違いで、1列あたり3平方メートル×5列分が正解とか。
この程度ならまだしも、円の面積、球の体積、表面積などになるとどうするんでしょ。

zorori
2011/08/03 22:02
遠山啓&長妻克亘:編『応用問題に強くなる量の指導入門(上巻)』(国土社:1963年発行)という本を見付けました。
佐藤文男という人が書いている第七章「量によるかけ算わり算」に、タコ足のかけ算がありました。
またそれとは別に第七章に、こんな記述がありました。

>まず、交換法則ですが、九九の場合に、<a×b=b×a>という交換法則が成立することを指導しておくことが、筆算指導の場合やわり算の指導の場合の前提になります。
>   略
>また、このことから、計算と量×量の関係式とを切りはなしてしまう効果もあります。
>計算は計算、式は式と割り切って使っていくことができます。
>   略
> C「九九でも同じものがたくさんあるよ。」
> C「6×2=12は2×6=12と同じだ。」
> T「それでは、他にどれとどれが同じか九九でさがしてみよう。」というと、どんどんみつけます。そして必ずどの九九にも同じものがあることをみつけます。
> T「でも、計算の時は同じだけど、式で同じにしてはいけないね。」
> C「うさぎ6ぴき分の耳の数が、2×6でしょう。6×2だったら、かぶと虫2ひき分の足の数だもの。」

161頁〜162頁
おおくぼ
2011/08/03 23:05
サンドイッチの起源は、珠算に名数×無名数というのがあってそれが流用された、という説と、
「順序を正しく書かせるため」に考案されたのが、ルールになったという説があって、多分この両方だと思うのですが、いずれにしてもろくでもないですね。

 普通に考えたら、そんな「ルール」は虚構だとすぐ気づくし、小学校でも面積で破綻する訳だけど、「逆順は駄目」の根拠として、順序派教師の根強い人気があります。

 数学教育の専門家あたりだと、さすがにそういうことは言いませんが、現場ではそういうことになっているということが見えていないか、見ない振りをしているようです。

 現場の教師は、「そう教えることになっている。」と言う。指導的立場の人は、「かけ算の意味を理解していれば順序に拘ることはない。順序に拘っているのではなく考え方を重視しているのだ。現場の先生方もそのあたりで工夫して指導しているはず」と言う。責任の所在が曖昧。

 かけ算の順序を追求していると、社会の縮図を見る思いです。
積分定数
2011/08/04 02:10
> T「でも、計算の時は同じだけど、式で同じにしてはいけないね。」
> C「うさぎ6ぴき分の耳の数が、2×6でしょう。6×2だったら、かぶと虫2ひき分の足の数だもの。」

順序強要の蔓延について、数教協はこれを批判していないという意味で、不作為の責任があると思っていましたが、これはもう、積極的加担の責任がありそうですね。

http://9114.teacup.com/seisann/bbs
ここに質問を書いたが、頓珍漢な回答しか得られていない。なんだかな〜
積分定数
2011/08/04 02:16
「3×2も2×3も同じになる」「えっ、他もそうかな」「なりそうだ。どうしてだろう。」「こうやって縦横に並べたら、3が4つ 4が3つ どっちとも言えるね」「そうか、3が4つ 4が3つ って、違うように見えるけど同じ事を言っているんだね。大発見だ。算数は面白いね」
教師「すごいことを発見したね。最初は違って見えたものが実は同じだっていのは、面白いね。だから、うさぎ6ぴき分の耳の数は2×6でも、6×2でもどっちでもいいんだよ。これから算数を勉強して、中学以上だと数学となるけど、こういう面白いことがどんどん出てくるよ。」「へぇ〜、こういうことがいっぱいあるんだ!楽しみだな。自分で見つけてみたいな。」

という具合にならないのでしょうか?
積分定数
2011/08/04 02:25
(いくつ分)には単位はない。
そんなことも分かりませんか。
2011/08/04 02:30
「掛け算」と「(1あたり)(いくつ分)(総量)」は、別物
そんなことも分かりませんか。
2011/08/04 02:34
『応用問題に強くなる 量の指導入門』を書いている一人である長妻克亘さんは、1967年に亡くなっています。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/ozawami/qa/hajimeni.htm

調べてみると長妻克亘さんの水道方式関係の著書(共著を含む)はかなりあります。
『応用問題に強くなる 量の指導入門(上巻)』でも第一章、二章を担当していて、かけ算についても、いろいろ言及しています。
上巻の記述を一部引用します。

>乗法群には、次の3つがある。
>(1)Aα・・・右からオペレートする。ベクトルでいえば、スカラー乗法
>(2)αA・・・左からオペレートする。ベクトルでいえば、スカラー乗積(内積)
>(3)AB・・・環の乗法、両方からかけられる。ベクトルでいえば、ベクトル乗積(外積)
>量の立場で乗法を考えるとき、この3つの本質的なちがいをあたまに入れておく必要がある。
>  略
>従来は(1)の立場でしか考えていなかった。
>しかし、実在の中には、(2)(3)の方がはるかに多い。
> <量×量>の立場は、(2)をはじめにやり、ついで(3)を、そして最後に(1)にいこうということである。
>これらの詳細については、下巻を参照していただきたい。

34頁〜35頁 
おおくぼ
2011/08/04 09:53
「本質的なちがい」ですか・・・

私は、素朴なかけ算から色んなかけ算に発展した、と捉えているのだけど。
積分定数
2011/08/04 12:30
>私は、素朴なかけ算から色んなかけ算に発展した、と捉えているのだけど。

私もそう思います。
水道方式の方々はパターン分けが好きみたいですね。
しかも、その「パターン分け」の根拠を高度な数学に求めているのですが、それが本当に正しいのかどうか?瀬山士郎さんを含め、専門家の方々に判定してもらいたいです。
おおくぼ
2011/08/04 15:12
追記

銀林浩&森毅説だと、中学の足し算・掛け算も交換法則を限定して使わないとイケナイということになると思う。
銀林浩&森毅ファンの人に感想を聞きたいです。
おおくぼ
2011/08/04 21:18
>コインを2枚なげて、1枚が表で1枚が裏になる確率は、同じ種類のコインなら1/3 違う種類のコインなら1/2

コレ(↑)納得できません。どちらも1/2になると思うのですが・・・本筋ではないところのツッコミで済みませんが、できれば解説をお願いします。
テツロー
2011/08/04 21:52
テツローさん


同じ種類のコインっていうことじゃなくて、原理的に区別がつかないコインならば、ということでしょう。

鰹節猫吉
2011/08/04 22:42
>テツローさん
>コレ(↑)納得できません。

 中学生のときに大人からそう説明されて、納得いかなかった、という話なんですが・・・

>鰹節猫吉さん

区別できるかどうかで確率が変わるのは不合理、という話です。
積分定数
2011/08/05 06:20
1/3っていうのは、事後確率の話じゃないですかね。
2枚の同じコインを投げて、1枚は表が出ました。もう1枚が裏である確率はいくつでしょうか、みたいな。
なめこ
2011/08/05 08:16
◆2枚のコイン問題で、中学生の積分定数さん
に教えた大人の考え:
(もちろん間違った考え)
 「コインの出方は 表表 表裏 裏表 裏裏 の
  4通りだが、表裏 と 裏表 は区別できない。
  よって事象は3通り。
  この3通りが均等に起こるので、表裏 に
  なる確率は 1/3。」


◆区別できるかどうかで確率が変わるのは不合
 理かという点:
 コインやサイコロならば、見分け方を知って
いる人と知らない人が観察して試行結果が違う
はずが無い、と言い切れます。
 しかし、原子や素粒子の世界でもそうなのか、
私には自信がありません。
 (“原理的に区別がつかない”とは、そうい
  う事を指しているのだと理解しています。
  その意味では
   「原理的に区別がつかないコイン」とい
  うのは語義矛盾ですが。)
ゴルゴ・サーディーン
2011/08/05 09:42
ゴルゴ・サーディーンさんのコメントの通りです。
ゴルゴ・サーディーンさんが出した、

「お菓子、5個入りの箱が4つあるときのお菓子の個数」が、「それぞれに異なるお菓子が入っているときには、菓子Aはそれぞれの箱に1個ずつだから4個、などとすれば4×5も正当化される」

という事例を踏まえての物です。この事例自体は、サンドイッチルール違反が正答になりうる論拠になるのですが、

種類が違うかどうか、人間が識別できるかどうか、は本質的でないということで確率の話を出しました。

kikulogでも、蛸の脚は専門的にはそれぞれ名前が付いているから、蛸2匹の足の数は、専門家なら2×8でもいいのか、という話が出ていました。

 ヒトデはどうか?

 多分、同等だから、ヒトデ2匹の腕の数は2×5としてはならない。将来研究が進んで、ヒトデの腕は識別可能だとなったら2×5も正しくなる

 などという話はアホらしいわけです。
積分定数
2011/08/05 12:53
>なめこさん
>2枚の同じコインを投げて、1枚は表が出ました。もう1枚が裏である確率はいくつでしょうか、みたいな。

「少なくとも1枚は表だった」という意味ですよね?それなら1/3

2枚が識別可能で、1つの特定のコインに着目したら表だった、というなら、もう一方が裏の確率は1/2
積分定数
2011/08/05 12:56
正方行列の固有値は、基底の変換を行っても変わらない。したがって、正方行列Aの固有値を求める問題で、正方行列BがAを変換したものであるとき、答案でAをBに変えても、その答案の正解、不正解に変更は発生しない。

------

問題:2次正方行列A=(0, +1; -1, 0)の固有値を求めよ。

答案A: |(x, 0; 0, x)-(0, +1; -1, 0)|=x^2+1=(x+i)(x-i), (答)x=-i,+i
答案B: |(x, 0; 0, x)-(-i, 0; 0, +i)|=x^2+1=(x+i)(x-i), (答)x=-i,+i

答案Bは、正解か?

------

行列B=(-i, 0; 0, +i)は、Aを変換したものである。Aの固有値を求めることが題意だから、答案Aが正解なので、答案Bも正解である。
ハタナカ
2011/08/05 13:55
積分定数さん、ゴルゴ・サーディーンさん、ありがとうございました。要は、積分定数さんが中学生のときに説明した大人の意見が正しいかったのか、間違っていたのか知りたかったのです。ちなみに高橋誠先生の本「かけ算には順序があるのか」を読んでこのサイトに来ました。
テツロー
2011/08/05 16:05
>テツローさん

 了解しました。当然、その大人の人は間違っていたわけですが、そのことを分かってもらえませんでした。

 かけ算の順序でも、「順序なんか関係ない」と思っても教師に説明できなくて悔しい思いをする子がいるのではないかと思っています。
積分定数
2011/08/05 22:23
「(普通の)掛け算」と「単位付き掛け算」は
別物である。

「(1あたり)、(いくつ分)、(総量)」は「単位付き掛け算」の特別な場合、
つまり「単位が片方だけに付いている」場合とほぼ同じ。
ちゃんと認識してよね
2011/08/05 23:41
メタメタさんの『かけ算に順序があるのか』を読んでいて、興味深かったの箇所があるのですが・・・。
それは20頁〜23頁の「以前の文部省は、はっきり言っていた」です。

>このように、昭和20年代、30年代には、文部省は、かけ算は「何のいくつ分」を求める計算であり、「何」と「いくつ分」を逆にすることは、(少なくとも)導入期には間違いだと明言していました。

「かけ算の順序」教育については、水道方式は、水道方式以前の文部省の考えに共鳴して、継承したと言えるのではないでしょうか?

また文部省のかけ算の順序についての考えは、第二次大戦後に大きく変わったのでしょうか?
例えば、アメリカ政府の指導があったとか?

おおくぼ
2011/08/06 00:00
掛け算でも、そもそも「(1あたり)、(いくつ分)」で考えるのは、不自然な状況は当然ある。

「(1あたり)、(いくつ分)」で考えるのが自然な状況で、(1あたり)の「1」の自然な取り方が複数ある場合は当然ある。

だからと言って、自然と不自然の違いが、雲散霧消する訳ではないな〜。
ほんとにバカだな
2011/08/06 16:03
*********
*********
*********
*********

の個数。この場合

(1あたり)を

「【1行】あたりの個数」(=9個)も
「【1列】あたりの個数」(=4個)も

自然だが、(1あたり)を

「【4行】あたりの個数」(=36個)やら
「【9列】あたりの個数」(=36個)やら

は不自然。

------

問題:1時間あたり3kmの速さで、2時間歩きました。歩いた距離は、何kmか?

(1あたり)を「【2/3時間】あたりの距離」(=2km)とするのは、不自然。

------

問題:2時間あたり4kmの速さで、4時間歩きました。歩いた距離は、何kmか?

(1あたり)を「【2時間】あたりの距離」(=4km)、
または「【1時間】あたりの距離」(=2km)と取るのが
自然。
あほ
2011/08/06 16:26
問題:縦2cm、横3cmの長方形の面積は、何cm^2か?

掛け算で考えるのは自然だが、(1あたり)、(いくつ分)で考えるのは不自然
あほまん
2011/08/06 23:28
(いくつ分)には、単位はない。

「(1あたり)、(いくつ分)、(総量)」は、

「片方だけ」に単位が付いている単位付き掛け算

にほぼ同じ。
あほまん
2011/08/06 23:33
遠山啓さんの『数学の学び方・教え方』(岩波新書)に「生活単元学習についての記述があるのですが・・・

>戦後の生活単元学習は、アメリカ占領軍によって強制されたものでした。
>   略
>この方式を全面的に打ち出したのは1951年の学習指導要領でした。
>この指導要領はそのころアメリカで出版された算数の指導書にもとづいてつくられたといわれています。
>この方式に対しては日本の教師たちから、反対の声があがり、数年後には事実上葬られてしまったのです。
6頁〜7頁

あと数教協ができたのも1951年ですね。

数教協と対立していた(?)塩野直道さんが戦後に活動を再開するのは、1950年ぐらいからですね。

参考

『伝説の算数教科書<緑表紙>塩野直道の考えたこと』松宮哲夫:著(岩波科学ライブラリー メタメタさんの本と同じシリーズです。)

>昭和25年(1950年)夏、塩野直道は啓林館から算数教科書の編集を依嘱された。
>同年十月中間報告された学習指導要領を緑表紙の眼でみて、その低劣さに腹が立ち、その水準を越えた教科書を作り、翌26年に出版した(27年度用)。
100頁
おおくぼ
2011/08/06 23:50
コメントの内容が違うので、コメントを二つに分けました。

積分定数さんの「08/02 23:49」のコメント・・・

>森毅は積の可換性がそれほど自明ではない傍証として、ペアノの公理から帰納法で交換法則を証明する場合、積の方が手間がかかるというようなことも言っていました。

が気になったので調べました。
これは『数の現象学』にありますね。
『数の現象学』を読んでみて、銀林浩さんの『数の科学』と同じ主張をたくさん書いているのが発見できました。
森毅さんの四則演算の考えは、基本的に銀林浩さんの路線ということが確認できました。
おおくぼ
2011/08/07 00:11
 私は「数の現象学」は多分読んでいないので、他の何かで読んだのかも知れません。生活単元ってのは、よく言えば性格体験とリンクさせて、ってことだろうけど、体系的に算数を獲得するという風にはなっていなかったようです。それに対して批判の声が挙がったのは当然と思うのですが、今の数教協が現在の算数教育のあり方について、どう考えているのか気になるところです。
積分定数
2011/08/07 07:57

日記にも書いたけど、こちらにもかきます。今の教科書の作りにも疑問な点があります。


私が見たこところ、割合が最初に登場するのが5年の下です。以下、学校図書から

割合とグラフ 
バスケットボールをしました。
下の表は、かず子さんの、試合でのシュートの記録です。
2月10日 ○×○×○○○○
2月13日 ○○××○×○○×○
2月15日 ×○○○××○○○○
○は入った。×は入らなかった。

何日が、一番成績がよかったと言えるでしょうか。
色んなくらべ方を考えて、話し合ってみましょう。

以下、吹きだし 
「入った数でくらべると・・。」 
「シュートした数がちがうのにいいのかな。」

シュートの成績や飛行機の込み具合などのくらべ方を考えよう。
積分定数
2011/08/07 08:12



次のページでは早々と、シュートの成績=入った数÷シュートした数 というのが登場します。


 割合の最初の例がこれというのは、疑問を感じます。成績というのが、何を意味するのか不明確。シュートの回数が多いと言うこと自体が、ボールをとったのだから成績がいいとも言える。最初の1回でシュートが入った後、一切ボールに触ることがなかったら、シュート成功率1.00で最高の成績になってしまう。シュートが入るかどうかは、色んな要因があるだろうから、均等にならして成功率を計算する必然性が見えない。ある日と別の日シュート成功率が等しかった場合、それは何が等しいことを意味するのか?入った回数÷シュートした回数の値が等しい、という同義反復でしかないように思う。

 大人の目から見たら、1回シュートすると何回はいるか、を計算させたいのだな、ということは分かっても、児童はどう考えるのだろうか?

 むしろ食塩水とか、遠山啓が本の中で書いている、米と小豆の例の方が良いように思う。食塩は解けて見えなくなるのが難点。その点、米と小豆はいいのだが、ある程度の粒の大きさがあるので、均等に混ぜるとかが微妙ではあるが。

 割合を習う前から、「半分」という概念は獲得しているわけだから、米100gと小豆100gをよく混ぜて、あらためてここから100g取り出した。米と小豆はこの中に何gずつ入っているか?

 というような問題からやった方が良いに思う。
積分定数
2011/08/07 08:13
メタメタさんの本が『週刊新潮』で紹介されたみたいです。

http://twitter.com/#!/oribejun/status/99111165216567297



>私は「数の現象学」は多分読んでいないので、他の何かで読んだのかも知れません。

森毅さんの本は多いですし、同じようなことが書いてある場合が多いですね。



よたよたあひるさんとメタメタさんが指摘していますが、「小学校学習指導要領 算数科編(試案) 昭和26年(1951)改訂版」にかけ算の順序教育が出てきます。

http://d.hatena.ne.jp/yotayotaahiru/20101219/1292788315

これがアメリカの影響なら、アメリカには「かけ算の順序」論争はあるのか気になります。

積分定数さんもコメントされているブログ「東海林さだおがいいなぁ」を読むと、アメリカにもかけ算の順序教育があることがわかりました。

http://chochonmage.blog21.fc2.com/blog-entry-55.html
おおくぼ
2011/08/07 08:54
>おおくぼさん

週刊新潮の紹介,ありがとうございます。
信濃毎日で書評してくれた渡邊十絲子さんが,また取り上げてくれたのですね。

また,中国の角度についてのブログへのコメントもありがとうございます。同文をmixiの「かけ算の順序コミュ」でも書いているので,そちらでレスしたいと思うのですが,おおくぼさんは,mixiには入っていないのでしょうか。

また,生活単元学習に対する塩野直道氏の反論は,『かけ算には順序があるのか』でも触れたのですが,1刷では再確認する暇がなかった参考文献を2刷では載せました。
中村正弘,寺田幹治『数学教育史』槙書店,1972年
です。
『伝説の算数教科書<緑表紙>塩野直道の考えたこと』に載っていないことも載っています。
メタメタ
2011/08/07 20:18
メタメタさんへ

mixiに入ったことはありませんので、残念ながら見ることはできません。
私は非公開の議論は苦手なので、メールなどでは議論をしません。
公開で返事をいただければ嬉しいですが、返事がなくてもかまいません。

中村正弘,寺田幹治『数学教育史』槙書店,1972年は図書館で探してみます。

「小学校学習指導要領 算数科編(試案) 昭和26年(1951)改訂版」の「かけ算」の記述について、アメリカの影響がどのようにあったのか知りたいのですが・・・。
ネット検索で知らべてみましたが、見つかりませんでした。
もしご存知でしたら教えて下さい。
おおくぼ
2011/08/07 22:31
新情報。コンビニにすごい本が置いてあるようです。「この本によると掛け算の順序が変わると意味合いが全く変わるらしい。へー」で「テンソルが登場してるけどその説明がない。誰向けだ」なのだそうです。見かけた人はいますか?

http://twitter.com/#!/sashimi_rawfish/status/100514042996731904
http://twitter.com/#!/sashimi_rawfish/status/100514623165440000
http://twitter.com/#!/sashimi_rawfish/status/100515466761609217
http://twitter.com/#!/sashimi_rawfish/status/100516146423414784

こういう情報を見付けるにはツイッターに登録して検索結果を検索メモに登録しておいて定期的にチェックすると便利です。ぼくは「(かけ算 OR 掛け算) 順序 -RT」を検索メモに登録してあります。
くろきげん
2011/08/08 22:12
そのコンビニに置いてあった本は、くろきげんさんが既に批判したことのある『感動する!数学 』(PHP文庫) 桜井進:著 ではないでしょうか?

桜井進さんは、和算の本では『塵劫記』には「九九は半分だけ覚えればいい」と書いてあると紹介していて、合理的な判断として評価している人なのに・・・。
そんな人が交換法則を理解していなかったとは信じられないというかショックだ。
おおくぼ
2011/08/08 23:09
おお、おおくぼさん、ありがとう。ツイッターでも親切な方に教えて頂きました。

アマゾンで立ち読みできます。
http://www.amazon.co.jp/dp/4569250238
「この本の中身を閲覧する」をクリックして「順序 行列」を検索すれば当該頁を閲覧できます。

最も面白い部分を以下に引用しておきます。

桜井進監修『身近で役立つ数学力』p.18より
「……。足し算で考えても、塩2gと砂糖5g(2+5)が逆になる(5+2)と出来上がる料理は不味くなってしまう。数式は、世の中の事象を把握するために情報を記号化したもの。いわば、言語の一種である。単語を安易に入れ換えたら情報を正しく伝えられないわけだ。」

やはり「簡潔で短い表現」と「操作の容易さ」という利点を持つ数式の適用が不適切な「具体的な状況を表現」に数式を用いるとするという不合理な考え方に問題があると思いました。
くろきげん
2011/08/08 23:48
連投申し訳ない。

桜井さんは別の本でも「かけ算の順序」についてまったく同様におかしなことを書いています。
http://www.amazon.co.jp/dp/4569673414
>内容紹介
>「数学」といったら公式や記号だらけで味も素っ気もないものだと思っていませんか?
>実は、数学と私たちの生活は意外なところで繋がっています。
>例えば「5×2」と「2×5」の違い。映画館にペアシートが5つだと5組のカップルが座れます。
>5人がけの座席が2つだと、1組のカップルは離れ離れに。
>つまり、かけ算は順番が大切なのです。他にも身近な事例が満載。
>あなたもきっと数学が好きになる!

これを信じて数学を好きになってもらっても困るような気がします。
くろきげん
2011/08/08 23:51
少し、誤解していました。今回のは桜井さん編集の別の本です。初音クミが大きく取り上げられており、そのことでも話題になっています。
くろきげん
2011/08/08 23:53
初音クミじゃなくて初音ミクでした。書き間違えました。

http://www.amazon.co.jp/dp/4569250238
の18頁にはペアシートの話のほかに、行列の積が非可換であるという話も書いてあって、さらに誤解させそうな編集になっています。

最近「数学ブーム」だそうなのでコンビニなどで見付けて買ってしまって誤解する人が増えると嫌だなあ。
くろきげん
2011/08/08 23:58
そうですか、桜井進さんの別の本でしたか。
「フューチャーサイエンスシリーズ」って、なんなんだ?

どうして桜井さんほどの人が、数学の法則や証明というのを理解していないのか不思議です。
数式をどう解釈しようと桜井さんの勝手ですけど、証明を無視して、法則を否定したら、それはもう別物だということに気づかないのだろうか?
おおくぼ
2011/08/09 00:37
くろきげんさんのツイート関連の話をさせてもらうと、メタメタさんの本を紹介してある『週刊新潮』の同じ号に養老孟司さんと中川恵一さんの対談が掲載されていて、放射線リスクの話をしています。
放射線リスクだけに注目して絶対視して怖がる風潮に、二人でイチャモンつけています。
養老孟司さんは個人的には信頼してないし眉唾な人だと思うけど、「左脳と右脳の文明論」の箇所を無視すれば同意できる内容だったりします。
中川恵一さんの『放射線のひみつ』(朝日出版社)は、「科学にとって統計とは何だろう?」ということを素人にも教えてくれる好著だと思います。

あと「円高騒動」でも「日本人の自殺増加の理由」でも、「統計の見方」に問題がある場合が多いと思うのです。
そんな高度な数学の話ではないのにと・・思うんですが。
円高騒動に関しては、岩田規久男さんの『デフレと超円高』 (講談社現代新書)。
日本人の自殺については同じ著者の『経済学的思考のすすめ:筑摩選書』(217頁〜225頁)と橘玲さんの『大震災の後で人生について語るということ』(講談社)28頁〜34頁を読めば、明快に説明しているんですけど。
特にマスコミ関係者で未読の方には読んで欲しいです。
算数の計算力と論理的思考が弱い人は、統計の理解にも支障が出てくる気がします。
おおくぼ
2011/08/09 01:19
これから、どんどん発言して、
ご自分のバカさをアピールして
下さいね
よかった
2011/08/09 13:00
もちろん
クロッキーG
2011/08/09 13:00
日本経済とともに復活だあ〜www
のことだよ♪
2011/08/09 13:01
『感動する!数学 』だったかは、以前、本屋でぱらぱら見ました。かけ算の話の所で、トランクスをはいてからズボンをはくのが普通で、逆にしたらどうこうとか書いてありました。

「操作一般において、逆にしたら違う結果になる場合がある」というはなしと、「ある特定の操作に関して逆にしても構わない」というのは矛盾しないと思うが。

 ちなみに、私は納豆にご飯を入れるよりも、ご飯に納豆を掛けた方が美味しいと思う。この場合、掛ける順序は大切。

週刊新潮の対談、私も読んでなるほどと思いました。
積分定数
2011/08/10 08:47
それぞれの数式にそれぞれの意味があるということを言い出して、別々のルールを適用していたら、大変なことになると思う。

「1+1だって、2になるとは限らない!」とかなると思う。
これは10進法と2進法では「答え」が違うというようなことを言いたいのではなく、「二人で力を合わせば、二人以上の力が発揮できる」とか、「二人は一心同体」みたいな意味合いで、スポーツなんかではよく使われると思う。
あと一人一人は別人格なんだから、足すとか引くなんかはできない・・・などなど。
また、その理屈だと小学校の算数だけでなく、中学の数学や高校受験や大学受験の数学だって、数式にそれぞれ意味があるんだということが言えてしまう。
無理が通れば道理が引っ込む。
おおくぼ
2011/08/10 13:34
>トランクスをはいてからズボンをはくのが普通
>で、逆にしたらどうこうとか

そういう人って、パンツとシャツを身につける
順番とか、左右どちらの靴を先に履くか、とか
も決まっていて逆は不可なんでしょうね。
ゴルゴ・サーディーン
2011/08/10 23:57
 数学や算数の俎上に載せた段階で、ある程度の抽象化はしているわけで、恣意的に気まぐれに具象に戻って、「だからこうとは言えない」とか言われてね。

 似非背理法、という言葉を思いついた。

 原発の賛成派・反対派、双方でもそうだし、色んな議論でそうなんだけど、ある主張を極端に敷衍して、「ほら、こんなに不合理なことになるではないか」というのは、結構ありがち。

 足し算の順序を気にしない人が、ズボンをはいてからトランクスをはく、なんて事はないわけで。
積分定数
2011/08/11 07:36
化学の反応式は順序が決まってたりします。
でもプラスという記号を使うけど、数式ではないしなあ〜。
おおくぼ
2011/08/11 07:57
 検索していたら、このような物を見つけました。
(もちろん、順序主義の破綻を示す事例を探して
 いたのです。)
 算数の専門家でも、マトモな人がいるという事
です。
http://www.edu-ctr.pref.okayama.jp/chousa/study/kiyoPDF06/kusu.pdf

 6ページに、正しい式の順序は日本のローカル
ルールに過ぎないということが書かれています。
 >大切なことは、「3×5」と「5×3」のい
 >ずれが正しいということではなく、「3の5
 >つ分」ということが理解できているかどうか
 >を教師が子どもに確認することだ。

 ローカルルールに過ぎない事が判っているなら
 「そんなのやめちまえ」という所まで行って欲
しいものですが。

 この記事の優れたところは、本当に「視野が広い」
というところにあると思います。
 順序派や「中間派」の想像力は、小学校の塀の
内側にとどまっています。
 しかしこの記事は、算数的には疑問のある
「センチメートル平方」などという言葉に子ども
が接することがあったらどうするか、とか、校舎
よりも大きくて子どもがイメージし易い物として
ウルトラマンを挙げるとか、とにかく子どもが学
校の枠・算数の時間という枠を越えて算数を使う
ことを想定して書かれているのが素晴らしいです。
ゴルゴ・サーディーン
2011/08/12 22:26
「かけ算の順序」教育が、1951年の文部省の「小学校学習指導要領 算数科編(試案)から始まっていると仮定して・・・

http://d.hatena.ne.jp/yotayotaahiru/20101219/1292788315

当時、文部省に多くの数学教育関係者が反発したにもかかわらず、「かけ算の順序」教育が導入されたのは不思議です。

「かけ算の順序」教育が、素晴らしい教育方法だと絶賛されたわけでもなさそうだし、当時の数学関係者はみんな無批判に受け入れたのでしょうか?
おおくぼ
2011/08/12 23:38
問題:1時間あたり2kmの速さで3時間、歩きました。歩いた距離は何kmであるか

答案A:(2km)×3=6km
答案B:3×(2km)=6km

答案C:2×(3km)=6km
答案D:(3km)×2=6km

AとBは正解、CとDは不正解、ってだけのことでしょ
まあ、普通は
2011/08/13 00:52
積分定数さん達は既知だと思うのですが、こんなのもありますね。
リンク先のコメント欄を参考(注:2006年の記事です)

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2006/07/post_fca6.html#comments

熱の計算は厄介なのですが、水道方式を連想しました。
たしか遠山啓さんの本にも出てきたと思う。
おおくぼ
2011/08/13 01:32
これは以前見つけてミクシィの日記に書いたことがあります。

37℃+37℃は74℃ですよね。それ以外にどんな答えがあるというのだろうか?

37℃の水と37℃の水を合わせた場合の温度は、37℃+37℃という式では求められない。

37℃+37℃に「37℃の水と37℃の水を合わせた場合の温度」という意味を持たせて、「だから74℃ではない」などというのは屁理屈。

3℃×2℃=6℃^2 もいえる。この式に意味があるとは思えないが、3℃×2℃を計算したらこうなる。

コメントの中に同種の物しか加減できないというのもあるが、「蜜柑が7個ある。4人に1個ずつ配ると何個余る?」の場合は?7(個)−1(個/人)×4(人)とわざわざするのだろうか?足し算や引き算の意味を理解して、文章題を正しく理解すれば自ずと正しい式は出てくるのであって、「同種の物しか足せない」などという「確認方法」(物理などでは単位の検証はよくやるが)は児童を小手先のテクニックに走らせる結果になりかねない。サンドイッチと同様で、「これとこれが同じ種類だから足し算か引き算が可能だ」とやりかねない。
 サンドイッチは、かけ算の順序というくだらないことをくだらない方法で解かせる物だが、
 「同種の物の加減」は、サンドイッチよりは遙かにましではあるが、児童がこれに飛びつくと、問題文を素直に理解するという大事なことがおろそかになりかねない。
積分定数
2011/08/13 02:05
「温度は足し算できるか?」
これは、まったく“慣れ”の問題ですよね。

あくまで私の感覚の話ですが、リンク先の文章
にある「37℃よりも37℃高い温度」というのは、
いちいち説明をつけてもらわないと判らないで
すが、「2倍の温度、3倍の温度という物はある」
というのは“絶対温度では”という但し書きが
無くても了解可能です。

 順序派で、少し非順序派に揉まれた人は
 「単純に合体させた時に足し算になる量と、
  特別な状況でだけ足し算できる量」
などと言ったりします。
そういうのを見ると、
 「電力は、エネルギー/時間 だから内包量
  ですか? でも電力が足し算できない物な
  ら関東全域の供給予定とか計算できません
  よね?」
 「速度は足し算できないんでしたよね?
  ドップラー効果の式は“特別な状況”なん
  ですね。
  じゃあ、キルヒホッフの法則で電流の足し
  算をするのも“特別な状況”ですか?」
などとと言ってあげたくなります。
ゴルゴ・サーディーン
2011/08/13 02:21
極東ブログにコメントした人の記事なんですが・・・

http://okrchicagob.blog4.fc2.com/blog-entry-35.html

あとヤフーの知恵袋から

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1011290605

上のリンク先の文章は水道方式の弊害かな?と思うんですが・・・。
「おしい!」というか考えすぎて、銀林浩さんみたいに変な方向に行ってしまったのかな?
知恵袋の方は真面目に答えているのかな?と疑いたくなります。
おおくぼ
2011/08/13 10:15
遠山啓さんの本を読んでいたら、1951年の文部省「小学校学習指導要領 算数科編(試案)」に影響を与えた本の名前が書いてありました。

『 How to make arithmetic meaningful  』

by Leo J. Brueckner and Foster E. Grossnickle
おおくぼ
2011/08/13 20:28
例えば 縦3横5の長方形 と 縦3横4の長方形

これが水平線上においてある。この2つを並べてくっつけると、縦3横9の長方形が出来る。

2つを合わせても縦は3

だから、長方形の縦の長さは包含量です。
積分定数
2011/08/13 23:07
水道方式は失敗だったのかな〜。

タイルを使った一対一対応は、いいと思うんだけど。
おおくぼ
2011/08/14 00:30
 例えば、格子状に○を並べてかけ算を理解したら、1あたりといくつ分の区別などなくなるけど、分数へつなげるためにタイルを使うらしい。しかし、○は子供が自分で書けるが、タイルは道具立てが必要。

 シェーマ(教具)の重要性を強調するが、教師が一生懸命に教具を作り、教え方を工夫すればするほど、子供には手の届かない物になってしまっていないだろうか?

 算数・数学の面白さは自分で発見できるという点、複雑なものが視点を変えると簡潔で美しいという点だと、私は思うが、水道方式はどうもそういうのとは違うように思えます。
積分定数
2011/08/14 08:55
理科の実験の基礎編みたいな感じなのかも。

例えば、これは中学の授業ですが・・・。

「 実験11 2つの水を混ぜる
─ カロリーという熱量を計算する ─ 」

http://www.ons.ne.jp/~taka1997/education/2008/3-grade/physics/17/index.html
おおくぼ
2011/08/14 10:10
> かけ算を理解したら、1あたりといくつ分の区別などなくなる

はっ?「掛け算」と「1あたりといくつ分」は別物
また馬鹿主張か…
2011/08/14 11:19
銀林浩さんの『文化としての算数・数学教育』(明治図書:1988年)を入手しました。
比較言語的な視点から日本の掛け算の順序を正当化しています。
たぶん、そういう順序派は銀林浩さんを除いて皆無ではないでしょうか?
おおくぼ
2011/08/14 21:31
はじめまして中立素人です。
菊池先生のところでこちらを知りました。順序の拘りは数学的には無意味であるというスタンスです。私も学校の宿題を子供に教えたところ先生から×をもらった一人です。そのような経験がありつつも、以下のような現状から順序派の主張を受忍しています。

公立小学校は多数の生徒に最低限の知識を与えるのを目標とする。
小学校の先生一人が教える科目は多く数学に明るい人が少ない。
進捗目標を達成するため、数学に明るい先生のやり方をやむなく踏襲している(背景は理解できなく実践するのみ)。
複数のやり方を混乱なく生徒に教えるよりは、とりあえずひとつだけを繰り返し教えるほうが効率的だと考える。
新しい方法はよほどの効果が判明しない限り導入できない。かつ、その手法が安定的に提供されない限り実施できない。
授業や試験では先生が決めたルールを守るよう指導している。
文科省の通達は組織上、遵守する必要がある。
試験で×になるような可能性があることは積極的に指導できない。

社会や教育の仕組みを変えないと解決しそうもない気がします。既出のことばかりですが今回だけですのでご容赦ください。
中立素人
2011/08/15 19:15
技術開発者の回し者だね
君は
2011/08/15 20:23
>文科省の通達は組織上、遵守する必要がある。

文科省はかけ算の順序に関して、特に何も言っていなくて放任です。他の面に関しては、まあそういう面もあるかな、とは思います。


>技術開発者の回し者だね

中立素人さんは論拠を示して自身の見解を明らかにしています。本題と無関係な知識をひけらかし、支離滅裂な「論理」やレトリックで人を非難し、質問にまともに答えない薄汚い人間とは全く違います。
積分定数
2011/08/15 23:35
> 社会や教育の仕組みを変えないと解決しそうもない
同類じゃね?
2011/08/15 23:58
解決って、何を?>技術開発者の回し者
順序派だぜ!
2011/08/15 23:59
>他の面に関しては、まあそういう面もあるか
>な、とは思います。

これは意外な発言ですね。
私は、順序主義が、
「多数の生徒に最低限の知識を与える」
という点で役立っているとは思えないのです。
てっきり積分定数さんもそういう意見だと思っ
ておりました。

ただ
>社会や教育の仕組みを変えないと
というくだりだけは、半分だけ頷けます。
私達のフラストレーションの根源は、教育の内
容やクオリティに国民・住民が関与する仕組み
が無いという点にあるのですから。
ゴルゴ・サーディーン
2011/08/16 00:00
また銀林浩さんの本から引用をしたいと思います。

『文化としての算数・数学教育』(明治図書:1988年)から

>同じことは、数の間の掛け算についてもいえる。
>たとえば、
>  2×3
> を日本語では、
> 「2に3を掛けると6になる」
> 「2掛ける3は6」
> 「2の3倍は6」
>などと呼ぶ。
>いずれの場合も、2が被乗数で、3がそれに働きかける乗数である。
>だから日本語では、作用するものがあとにくる  
>   作用遅出し(operator-after)
>であるといえる。
>これがヨーロッパの言語だでは多くの場合逆になる。
>すなわち、
>  E : Two times of three are six.
> /  Two threes are six.
>  略
>いずれにしても、ヨーロッパの場合
> 作用早出し
>の傾向が強いことは確かである。
おおくぼ
2011/08/16 02:36
上のコメント(引用)の続きです。

>   略
> 「 ポーランド記法と逆ポーランド記法 」
>言語構造の基本的違いとは、動詞(V)とその目的語(O)
との語順の違いである。
>日本語では、
>   「2に3を掛ける」
>というように、目的語「2に3を」のあとに動作・作用を表わす動詞「掛ける」がくるが、これを英語に直すと、
>  multiply three to two
>となり、動詞は目的語や補語の前に置かれる。
>だからこれを数式にすれば、日本のは、
>   2×3
>で2が被乗数、3が乗数で「2の3倍」となるが、ヨーロッパのは、
>  3×2
>で乗数3は被乗数2の前に置かれて、three times of 2または three twos となるわけである。
>日本語のように、作用が目的語のあとにくるのが「作用遅出し」で、インド・ヨーロッパ語や中国語のようにその逆になるのが「作用早出し」である。
>数学記号について、この後者の「作用早出し」について系統的に考察したのが、ポーランドのウカセヴィツであったので、ポーランド記法(Polish notation)と呼び、日本語のような「作用遅出し」を、逆ポーランド記法(Inverse Polish notation)と呼んでいる。
> 略
>逆ポーランド記法の具合のよいところは、作用の結合が、左横書きの原則に合致していることである。
>  略
>こうしたことから、関数記号でも、作用早出しのポーランド記法を嫌って、わざわざ逆ポーランド記法を愛用する数学者もいる。
>だから、日本語式の倍の書き方も悪くない。
>いやかえって合理的であるともいえる。
49頁〜52頁
おおくぼ
2011/08/16 02:47
少人数教育にしない、と解決しませんね。
バカ開発
2011/08/16 08:08
技術開発者の回し者は、出てけ!!!
回し者お断り
2011/08/16 08:10
>ゴルゴ・サーディーン
>これは意外な発言ですね。

時間がなかったので、簡単にコメントしましたが、「公立小学校は多数の生徒に最低限の知識を与えるのを目標とする。」という部分に関して、これ自体は明確にそれを否定する根拠もないと考えて、上記のようなコメントになりました。

 ただこれが、ストレートに順序を正当化することまでは、意味しないつもりでした。

 もしそう受け取ったとしたら私の書き方が悪かったかも知れませんが、そういうつもりではなく、単に「そういう面もあるかな、あるかも知れないしないかもしれない」というだけのことです。
積分定数
2011/08/17 08:21
銀林浩さんの引用を続けたいと思います。

『文化としての算数・数学教育』(明治図書:1988年)から

> 「 正比例の式 」
>  略
>日本の場合、比例定数aは量的には内包量であるから、正比例関数の式は当然、
>   f(x)=a × x
> は
>  a ×(x × k)=(a × x)× k
>と乗法の結合法則の形となって極めて自然である。
>つまり、xとyといった外延量変数に対して、倍は右から作用するが、比例定数つまり内包量の方は左から作用している。
>数学的にいうと、x,yの属する外延量空間は、右から実数(倍)が、左から内包量が働く、
>   両側加群(two-sided module)
>であるということになる。
>これに対して、ヨーロッパ式記法では、倍も内包量も左から働く左二重加群である。
>正比例関数の定義である倍との交換可能性は、
>   a ×(k × x)=k ×(a × x)
>の形で、まさに左二重加群の定義と同じものとなる。
>ヨーロッパで、ソーヤのようなすぐれた数学教育理論家でも、量の意味、とくに内包量の意味に鈍感にならざるえないのは、あるいは、単位をつけて書き順を固定するとこうした矛盾を惹き起こすからではないか。
>算数教科書で乗法の交換法則を早く教えるのもそのせいかも知れない。
>日本の場合、幸いなことに、量の意味に固執しても首尾一貫できて具合がよい。

54頁〜56頁
おおくぼ
2011/08/17 13:07
積分定数さん:

「公立小学校は多数の生徒に最低限の知識を
 与えるのを目標とする」
というセンテンスだけを取り出せば文句を付
ける余地はありません。
ですが、中立素人さんの書き込みでは、それ
を理由に順序派の主張を受忍するとしていま
す。
ゴルゴ・サーディーン
2011/08/18 01:12
>ゴルゴ・サーディーンさん

 列挙した個々の理由に関しては、「そういう面もあるかな」という程度の意味です。「かな」というのは、「そういう面が皆無であることを論拠を示して否定するまでには至らない」程度の意味です。時間もなかったので、全面的に反論することはしませんでした。

 「意見は承りました」程度の発言にそれほどつっかかるなら、ゴルゴ・サーディーンさんご自身が反論したらどうでしょうか?

 
積分定数
2011/08/18 07:26
戦前の掛け算教育

http://homepage3.nifty.com/ooiooi/rekisikakezan.htm

戦後の遠山啓さんの教育についての説明も入っています。
おおくぼ
2011/08/18 09:47
積分定数さん:
 >「意見は承りました」程度の発言

 これは失礼しました。その程度の発言だった
ということなら、これ以上申し上げることはあ
りません。

 >ゴルゴ・サーディーンさんご自身が反論したら

 いえ。「反論すべき」とまで言うつもりはあ
りません。
中立素人さんは「自分は受忍する」と言っただ
けで、「皆が受忍すべきだ」とは言っていませ
ん。
ゴルゴ・サーディーン
2011/08/18 10:41
>ヨーロッパで、ソーヤのようなすぐれた数学教育理論家でも、量の意味、とくに内包量の意味に鈍感にならざるえないのは、

銀林浩は、内包量という概念が虚構だと考えなかったのだろうか?なんだか、ヨーロッパ人が日本に来て、日本語の名詞には単数・複数の区別がないと知って驚き、「日本人には数の概念がないのだろう」と考えたという話を思い出した。
積分定数
2011/08/18 19:34
遠山啓さんと銀林浩さん達は、物理学の基礎として数学があると思っているのではないでしょうか?

遠山啓さん自身の本はそれほど酷くないのですが、銀林浩さんの本は、ムリヤリ数学を物理学に近づけようとして迷宮入りしているんだと思います。

彼等は、会計や経済などの分野で数学が使えるということの意味を理解してなかったんだと思います。
今のドルや円やユーロや各国の国債に物理的な基礎はないし、金融工学も物理的な基礎はありません。
おおくぼ
2011/08/18 23:03
 素朴な疑問なんですが、遠山啓や銀林浩は、実際に児童に算数を教える中で理論を構築したのでしょうか?遠山啓の文章を読むと、教える中で悩んだり格闘したりというのが余り感じられなくて、唐突に理論が展開されるような感じがするのですが。
積分定数
2011/08/19 01:13
銀林浩さんについては知らないのですが、遠山啓さんは戦後数年ぐらい後に、自分の娘の学校の算数の成績が悪いのに驚いて、理由を独自に調べたそうです。
授業を参観して、あまりに酷い現状に驚いて、授業を改革するためにPTAの役員になったり、学校の教室を借りて、児童相手ではなく父母相手に「算数講座」を講義したそうです。
おおくぼ
2011/08/19 10:58
 なるほど、そうすると「かけ算の順序が逆」という理由で子供がバツになって、何だそりゃ?と驚き憤るのと似ていますね。

 「そんな教え方おかしいじゃないか!」と声を上げる人の方が遠山啓の精神を引き継いでいるとも言えますね。

積分定数
2011/08/19 12:08
そうですね。
また遠山啓さんは当時、東京工業大学の数学の研究者だったので、数学の専門家でもあります。

遠山啓さんの経歴
太郎次郎社のサイトから引用
http://www.tarojiro.co.jp/cgi-bin/SearchMain.cgi?operation=3&ISBN=4-8118-0050-8

1909年、熊本県に生まれる。
1938年〜1943年、海軍霞ヶ浦航空隊の海軍教授。
1944年〜1969年、東京工業大学で数学を教える。
1949年、「代数関数の非アーベル的理論」で理学博士。
1951年、数学教育協議会を結成し、数学教育の改革運動をおこす。
“量の体系”“水道方式”など画期的な理論を生みだす。
その理論と実践は数学教育の分野を超えてはかりしれない影響をあたえた
1959年、『数学入門』(岩波新書)で毎日出版文化賞を受ける。
1962年、『数学セミナー』(日本評論社)を創刊する。
1968年ごろから障害児教育の研究に取り組み、“原教科”構想を打ちだし、障害児に教科教育の道を拓く。
1970年、東京工業大学 定年退職。同大名誉教授となる。
1973年、教育の全般的な改革をめざして月刊誌『ひと』(太郎次郎社)を創刊し、その編集代表となり、教育市民運動の中心となる。
1978年、明星学園理事。1979年9月11日、没。
おおくぼ
2011/08/19 16:28
追記

遠山啓さんの場合は、小学校に親が乗り出してきたという形なんです。
しかも親が数学の専門家なので、現場の教師では太刀打ちできなかったと思うのです。
おおくぼ
2011/08/19 17:01
小学校で「かけ算の順序」を習った生徒は、中学になって交換法則を素直に受け入れているのだろうか?

そして高校に入って、多次元の行列で交換法則が成立しない場合があると知って、不思議に思わないのだろうか?
おおくぼ
2011/08/20 00:32
>小学校で「かけ算の順序」を習った生徒は、
>中学になって交換法則を素直に受け入れてい
>るのだろうか?

 (順序主義の世界でも、交換法則は小学校
  で教えるのでは?
  それはともかく。)

 (a)「かけ算の順序なんて無意味だ」と気付く
   (↑我々が考える“まとも”な生徒の場合)
 (b)「学校の勉強なんて、そんなものさ」と言
   ってかたづける
 (c)「交換法則が成り立つのは計算だけ。立式
   は違う」とする
   (↑順序主義の筋書き)
 (d) ずっと悩む

>多次元の行列で交換法則が成立しない場合が
>あると知って、不思議に思わないのだろうか?

 その心配を我々がする必要があるとは思えま
せん。
 よく訓練された順序主義者なら、
 「これこそ、交換法則が自明でないことの証拠」
と思うのではないでしょうか。
ゴルゴ・サーディーン
2011/08/20 21:45
ゴルゴ・サーディーンさんへ

今の算数教育は、「数学のできる生徒」と「できない生徒」に分ける教育になっていると思うのです。
あるいは「数学を好きになる生徒」と「嫌いになる生徒」とか。

(a)「かけ算の順序なんて無意味だ」と気付く生徒。

(b) 数学とは不条理であると思い込む生徒。

大学受験で、理系でなく文系を選ぶ多くは、(b)なのでは?
おおくぼ
2011/08/20 22:09
少し古い本ですが、紹介したいと思います。
佐伯胖:著『子どもが熱くなるもう一つの教室』(岩波書店:1997年)
<「機械的」に計算する子どもたち>108頁〜119頁

>さて問題は「4×8で計算する問題(お話)をつくってください」と言って答えてもらった作問問題である。

珍回答がたくさん紹介してあるのですが、全部を紹介できませんので抜粋します。

>「ここにあめが4こあります。これをみんなが8こなめたらなんこあまるでしょう。」(四年)

>「1mのテープを4cmずつ8本作りたいと思います。1本何cmでしょう。」(五年)

>「おにいちゃんは、おもちを8こたべてしまい、いもうとは4こたべました。4×8をやったらいくつですか。」(四年)

>「みかんが家に8つありました。となりから8つの4倍もらいました。さていくつですか。」(五年)

>「花子さんはおかし屋でチョコレートを4こかって、あめを8こかいました。代金をもとめましょう。」(五年)

>「4人が8人いました。かけるとなん人になるでしょう。」(三年)

>「人が4人います。人を8つ分けると、何人になるでしょうか。」(四年)

>「りんごが4つあります。バナナがいくつかあります。答えが32だとすると、バナナはいくつでしょう。」(六年)
おおくぼ
2011/08/20 22:41
>「おにいちゃんは、おもちを8こたべてしまい、いもうとは4こたべました。4×8をやったらいくつですか。」(四年)

思わず吹き出しました。子供は教える側の意図通りには動いてくれませんね。
積分定数
2011/08/21 06:44
また銀林浩さんの本から引用します。
「かけ算」のトンデモ理屈は、銀林浩さんが圧倒的に凄いと思います。
誰も敵わない、あとは雑魚ばかり。
順序派の理屈は大きく分けると3つになります。

1 小学校の順序教育は、数学とは関係ない(計算と「立式の意味」は別モノ)。
2 交換法則に反することは認めるけど、教育効果を考えると止む得ない。
3 「多次元の行列」など「交換法則の成立しないかけ算」があるから、「小学校のかけ算」でも、交換法則を自明とした教育はすべきではない。
あと3番の変形として、「交換法則の証明」をしてから教えるべきというのがありますが、そんなこと中学校だってしていません。

銀林浩さんは、どれでもありません。
しかも日本語はかけ算に適している言語であり、水道方式は世界唯一のかけ算に適した方法だそうです。

『文化としての算数・数学教育』(明治図書)

>このように、どこの国をとっても、数の間の演算はあっても、量の間の演算というのは、存在に気がついていないのか、あるいはかたくなに公認を拒否されているかいずれかなのである。
103頁
おおくぼ
2011/08/21 15:57
上の続きです。


>数の世界では、乗法の交換法則が成り立つ。
> 4 × 3 = 3 × 4
>しかし、このような
>  内包量 × 外延量
>型の乗法には明らかに交換法則は成り立たない。
>ここでも、量と数とは違うのである。
>しかがって、乗法の逆演算である除法も左から割るのと右から割るのと2種類生まれてくることになる。
>たとえば、
> 速度v × 時間t =距離s
>を例にとると、まず、距離を時間で割って速度を求める右除法、あるいは第1用法:
> 速度v=距離s/時間t
>と、距離を速度で割って速度を求める左除法、あるいは第3用法:
> 時間t=速度v/距離s
>とである。
>前者は、離散量の場合の等分除の発展であり、後者は包含除の発展である。
100頁
おおくぼ
2011/08/21 15:57
黒木さん経由の情報 

↓p58〜59

http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2009/06/16/1234931_004_1.pdf

(ア)式からそれに対応する具体的な場面を読む。
(イ)式の表す事柄や関係を一般化して読む。
(ウ)式に当てはまる数の範囲を,例えば,整数から小数へと拡張して,発展的に読
む。
(エ)式から問題解決などにおける思考過程を読む。
(オ)数直線などのモデルと対応させて式を読む。
このような式について,第1学年では,加法及び減法が用いられる場面を式に表し
たり式を読み取ったりすることを指導する。例えば,「3人で遊んでいるところに4
人来ました。」という場面を,3+4の式に表すなどの指導をしている。しかし,こうした式は計算をしてすぐに一つの数になってしまうことから,3+4という式が具
体的な事柄を表しているという見方がしにくいことがある。結果を求めることだけに
終わるのではなく,式の表す意味に注目できるような配慮が必要である。
積分定数
2011/08/21 17:26
そうすると、羊羹を4等分した2個分は2/4であって、1/2とするべきではないよね。

分母は羊羹を切り分けた個数
分子はそのうち何個分か

を表現すると決めておけば、多くの情報を詰め込める。約分なんかしたら、情報が欠落して、2等分した1個と、4等分した2個、6等分した3個、が区別できなくなってしまう。

文科省の方針に従って、小学校では約分をやめましょう。
積分定数
2011/08/21 17:47
4+3 これは4に3が加わるという意味だから、6に1が加わるなどと区別するために

4+3のままにしておこう。4+3=4+3

4というのも抽象的で情報が少ない。固有名詞を4つ並べよう。


あほらしい・・・・


抽象化で情報が捨象されるのは当たり前。文科省の役人は数学が分かっていないんじゃないのか?
積分定数
2011/08/21 17:51
>このように、どこの国をとっても、数の間の演算はあっても、量の間の演算というのは、存在に気がついていないのか、あるいはかたくなに公認を拒否されているかいずれかなのである。

虚構だからだよ・・・
存在していないものの存在に気づくのは無理。
公認されてないことで何か問題があるのだろうか?

数教協を「数教教」と揶揄した人がいたが、確かに・・・
積分定数
2011/08/21 17:54
ついさっきまで、文科省および学習指導要領解説は無罪だと思ってましたが、有罪だと意見を変えました。

その理由についてはツイッターもしくはぼくが書いた例の文書の2011年08月21日付けの説明を見て下さい。
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/LaTeX/20101123Kakezan.html#20110821

かけ算の順序にこだわる教え方に関する議論には「かけ算の意味」と「(立)式は誤り」という言い方がよく出て来ます。

かけ算の式には意味があり、順序を変えると意味が変わるので、式が逆順だと誤りになるというような教え方が現実にされてしまっている場合があるわけです。

例のドラゴン氏は「考えに対応した式は1つで、式に表した段階では解説は不要ということです」という迷言を残しています。

ぼくはツイッターの方では「かけ算の順序にこだわる教え方」の裏にはもっと大きな問題すなわち「立式の正しさに異常にこだわる悪しき習慣」があることを強調しています。

かけ算の問題を超えて「立式の正しさに異常にこだわる悪しき習慣」が問題であることを押さえて、学習指導要領解説算数編を読み直してみると、案の定問題のある説明がありました(58-59頁)。

詳しくは上のURLで示された文書を見て下さい。

学習指導要領解説算数編の最後に協力者のリストがあります。協力者たちが「式の働き」や「式の読み方」についてどのような主張をしているかを誰かが精査すると面白いかもしれません。なにせ学習指導要領解説算数編に関わっている人たちなので数教協よりも影響力は強いのではないかと思います。
くろきげん
2011/08/21 19:09
あ、積分定数さんが十分な引用込みですでに詳しく紹介していますね。上のコメントを見ずに自分のコメントを書いてしまいました。個人的には「ついに見付けた!」と思っています。かけ算の話そのものではなく、式の扱い方が話だったのでずっと見逃していました。

>(ア)式からそれに対応する具体的な場面を読む。

というのは現実には無理過ぎ。式からそれに対応する具体的な場面を読みとれるようにするためには、式を使うあらゆる場面で無理をしなければいけなくなります。

「2×8ならタコ2本足」はまさに「式からそれに対応する具体的な場面を読む」行為。学習指導要領解説の通りに教えていると解釈することができます。

「タコ2本足」という教え方について文科省に責任があることは明らかだと思います。

くろきげん
2011/08/21 19:22
>抽象化で情報が捨象されるのは当たり前。文科省の役人は数学が分かっていないんじゃないのか?

ということは、タイルに変換する教育もダメだったはずでは。
集合論の一対一対応は、小学校教育では使用不可能か?
おおくぼ
2011/08/21 21:28
>このように、どこの国をとっても、数の間の演算はあっても、量の間の演算というのは、存在に気がついて

いないのか、あるいはかたくなに公認を拒否されているかいずれかなのである。
103頁

いやー、井の中の蛙もここまでくるとすごいですね。
感心(?)したあまり、書き込んでしまいます。
銀林、世界標準を知らなさすぎです。


はじめまして、mixiで最近ちょっと書いているMといいます。
ひとりでSI(国際単位系)の布教をやっています。
数学教育関連の話題ではほとんど賛同を得ていませんが
日本でもSIの考え方がきっと主流になると信じています。

国際単位系というのはご存知のとおり
単位に関する世界的な推奨です。

原書(英語版)は
"SI brochure -8th Edition-" 
http://www.bipm.org/en/si/si_brochure/general.html

その日本語訳が
http://www.nmij.jp/library/units/si/R8/SI8J.pdf
にあります。

1.1-1.3 (日本語版p13-15)
だけでも読んでみていただきたいと思います。
量と数の関係が定義されています。

「量は数字と単位の積」

がすべてです。
これを導入することで、いままで
数の間の関係法則として書いていたあらゆるものを
量の間の関係法則に置き換えることができます。
M
2011/08/21 21:37
>くろきげんさん

生徒が受けた東大模試の問題、=初項1公比2の数列がある。第n項までで、最高位の数が4の項数をanとする。
lim(n→∞)an/n

という問題に昨日から取り組んでいて、「やっと分かった」という頃に、ツイッターでの黒木さんのコメントを見て、「あ〜、そういうことか!」と数年来の謎が氷解し、

2つの謎が解けたし、生徒も帰ったので、

近くに飲みに行ってきた帰りです。

どうも有り難うございます。

この文言に問題があるなんて、普通は気づかないですよね。

日教組・全教・水道方式などの左派
TOSS
日本数学教育学会 主流派

これら互いに仲が悪く潮流同士が、「かけ算の順序」では同じ事を言っていることが腑に落ちませんでしたが、

 そういうことなら合点がいきます。

私も最初の電話のやりとりから、「文科省はまともだ」と思ってしまったのですが、迂闊でした。
積分定数@C2H5OH
2011/08/21 21:37
続き。

よく議論されている
「(1あたり)、(いくつ分)」
は、(いくつ分)という量の単位をa、(1あたり)という量の単位を b/a
と定義することで、単位まで書き込むと
(1あたり)b/a ×(いくつ分)a = (結果)b
という式になります。
1あたり、という言葉そのものが /aを意味しています。

1あたりやいくつ分を位置で表示する必要がありませんから
交換法則も
(1あたり)b/a ×(いくつ分)a =(いくつ分)a ×(1あたり)b/a
と、数の交換法則を自然に拡張して導入できます。
単位を固定して数だけ交換するのをみかけますが、あほうもはなはだしいです。

ちなみに遠山の内包量は単位がa/bで書ける量、外延量はbで書ける量
のこと、といってしまえばすべて説明できます。
したがって、実は内包量や外延量は量に対する固有の属性ではなく、
内包量と外延量とは、掛け算で関係付けたときにはじめて意味のある
相対的なものなのです。
よくみなさんが悩んでおられる加速度と速度の関係も
b→m/s a→s
と置けばあたりまえに説明できてしまいます。
遠山先生も生きていれば納得したと思うのですが。


なお、厳密には、単位は連続量にだけ適用できるもので、
離散量は無単位としなければいけないのですが、
離散量に対する「名数」は、単位と同じ導入方法で
同じように考えることができるので、名数も単位と同じように、
離散量は数字と名数の積
で導入することができると考えます。ここだけはSIに書いてない私のオリジナルです。
M
2011/08/21 21:39
>Mさん

こちらでは、初めまして。どちらかというと、海を見ても、井戸の方が広いと言っているような・・・

 銀林浩とか遠山啓って、それだけで無条件に尊敬していたけど、何を言っているのかちゃんと検証しないといけないですね。

 しかし、これまで数教協で疑問の声とかはなかったのだろうか?疑問に思う人がいない、疑問に思っても口に出せない、どちらにしても問題だと思うが・・・
積分定数
2011/08/21 21:44
改行規則を理解していなくて汚くなってしまいました。
M
2011/08/21 21:44
しかし、指導要領解説の文言、とんでも無いと思うし、数学の命を抹殺しかねないものではあるが、

 数学をある程度楽しんで学び、なおかつかけ算の順序問題を追求した人
 
 以外の人にこのことを説明するのは難しそう。「日の丸・君が代」より厄介だな。

 文科省に直接言っても、「順序を逆にしたらバツと言っていない」という官僚的返事をするのは目に見えている。
 教科書会社は「文科省の方針に従っている」というのだろうな。

国連 決議1441号 「イラクが大量破壊兵器の査察に応じなければ、深刻な結果を招く」(2002年)

という文言で、「イラクを攻撃を意味するものではない」といって決議案を通し、

 この決議を根拠にイラク攻撃したようなものだね。

 どこをどうつつけばいいのか、なんだか絶望的気分になってきた。
積分定数
2011/08/21 21:58
1年前にミクシィに書いた日記

>今日、買い物の帰り道、路上で玉虫の死骸を見つけた。これまで実物は標本になっているのしか見たことがなかった。生きているのは見たことないし、死骸も今回始めて見た。確かに綺麗。永田町界隈の人も、この玉虫色が大好きらしい。

霞ヶ関界隈・文科省関係者も大好きなようである。
積分定数
2011/08/21 22:11
銀林の3パターンですが、1はもう説明しましたが、

2  直積型
3  倍(倍写像型)

2は A a x B b = C ab
3は A a x B = C a
でしょう。たぶん。
(A B Cは量、a bは単位)

そう、言っておかないといけないのですが、
掛け算に種類があるのではなく、かけあわせる
量(の間の関係)に種類があるのだ、というべきです。
M
2011/08/21 22:16
教科書会社が各自出している教師用の指導書って、1950年代から「かけ算の順序」に関しては、みんな同じ態度というのは不思議です。

http://ameblo.jp/metameta7/entry-10461348378.html

指導書を書くのに特別な資格や検定がいらないなら、主張は会社ごとに変わってもいいと思うし、時代ごとに流行もあると思うのですが、一貫しているのは不思議です。
おおくぼ
2011/08/21 22:28
学習指導要領解説算数編の58-59頁の説明が実際に予想通りの害を与えていることを確認するために「算数 "式の働き"」を検索してみました。

その結果、そのものズバリの文書が見付かりました。
平成17年度の東京都教職員研修センターの報告書です。
http://www.kyoiku-kensyu.metro.tokyo.jp/print/kenkyuhoukokusyo1/pdf/2005/17sho-sa.pdf
の5ページ目を見て下さい。

4匹の金魚が入った水槽に右から3匹の金魚を入れる図と左から3匹の金魚を入れる図が描いてあって、すぐその下に『問題の文章に「3ひき」が先に出てきても、「3+4」にならないこともありますね。』と書いてあります。

さらに「どちらの場面も4匹入っていて、水槽に3匹を加えている意味から「4+3」を確認する。」という説明が付いている。

いやあ、これ、本当にひどいです。

教科書指導書解説算数編の最後のページに協力者と編集者の名前があります。そこに名前が出ている人たちは他の場所で式の役割についてどのようなことを書いているのでしょうかね。
くろきげん
2011/08/21 22:31
例えば桜井進さんの・・・

2×5 五人掛けの椅子が2つ
5×2 二人掛けの椅子が5つ

・・・という解釈は、かけ算を順序を変えれば、具体的な状況も変わるという先入観があると思う。
教師用の「指導書」は、その先入観を植え付けているのでは?
おおくぼ
2011/08/21 23:44
金魚の例は酷いですね。「3+4は、3匹の金魚に視点を置いたものだ」というのは発想しないのかな?

高校数学の順列組み合わせとか、中学理科での天体の動きなどは、この「視点を置いてみる」という発想が重要。

10人が2つの部屋に入る入り方は?どちらに何人入っても構わない。0人の部屋があっても構わない。

全体を俯瞰する視点しか持ち得ないと、
0人と10人 1人と9人 ・・・ と場合分けしてそれぞれ何通りかを求めて足すという面倒な作業をすることになる。

10人の側に視点を置けば、1人目がどちらかの部屋に入り、2人目が・・・ということで2^10 と出来る。

「こうも見えるし、別の視点から見たらこうとも見なせる」というのは、数学では重要なこと。
積分定数
2011/08/22 06:34
 しかし、加法の順序がそれほど流布していないのは、あまりに馬鹿げているのが明白だからだろう。

 以前、強硬な順序派の教師と電話で話をしたが、3×4と4×3は違うと言い張るので、「そうすると割り算の等分除と包含除の区別もしっかり指導するのでしょうか?」と聞いたら、「20個の蜜柑を4人で分けるのも、4個ずつ分けるのも、どちらも20÷4だから、それで問題ないでしょ?」とあっさり言われて拍子抜けした。

つまりその程度のもの。

■3+4 と 4+3 は、表記の違いがあるからそれを利用して、意味の違いを作ることで情報量が増える、
としてみたものの、アホらしいので流布しない。
■順序派の立場からは区別されるはずの包含除と等分除だが、表記は同じなのでまあいいや、とされている。

乗法の場合は、

加法と異なり、1あたりといくつ分の逆転に一工夫必要で、「逆転が自明」とは言い切れない。
3×4と4×3という具合に表記が異なる。

ということで、「かけ算の順序」のみが流布することになる。
積分定数
2011/08/22 06:48
くろきさんが以前話題にしたCちゃんの件

http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/936115.html
>Aちゃんが作った問題、『まさお君の縄跳びは、2m13cmです。秋子さんの縄跳びは、2m34cmです。どちらが何cm長いですか。』を、みんなで解くことになった。
>Bちゃん   2m34cm−2m13cm=21cm
 Cちゃん   34cm−13cm=21cm
Dちゃん   234cm−213cm=21cm
>それにしても、今の日本の教育では、34cm−13cmでは、式としては×なのだろうね。
積分定数
2011/08/22 06:54
「今の日本の教育では、34cm−13cmでは、式としては×なのだろうね。」の正体が分かりましたね。
積分定数
2011/08/22 06:58
高校数学でもある。

10本の内3本が当たりのくじを2人が順番に引く。後から引いた人が当たる確率は?

3/10×2/9+7/10×3/9=3/10
こうしないと駄目だと指導する高校教師がいるらしい。

10本の内どれを引くかの確率は等価だからそれぞれ1/10、そのうちあたりは3本だから

3/10 

といきなり出したら、何番目に引いたのか式から分からない。



しかし、

縄跳びの長さや何番目に引いたかとか、最初に水槽に入っていた金魚が何匹かを

なぜ、式から読みとらないとならないのだ?

それを知りたければ、もとの問題文を読めばすむだろうが!
積分定数
2011/08/22 07:09
なぜ式から読み取るはめになるかというと
指導要領解説からそういう要求が
出ているからで、それにたいして
式の情報量が少なすぎるので、
ないものを読み取るというオカルトな事態が
起こるのでしょう。
M
2011/08/22 07:48
国際単位系流は、最初から
数字と単位の間では交換法則前提なので、
(できなければ単位の部分をまとめられない)
「順序派」にとってはお話にならないようです。

2011/08/21 21:39で書き間違いがありましたが
名数は助数詞の書き間違いでした。
M
2011/08/22 07:56
>■3+4 と 4+3 は、表記の違いがあるからそれを利用して、意味の違いを作ることで情報量が増える、
としてみたものの、アホらしいので流布しない。

掛け算を累加で考えることは、水道方式の重要な論争テーマだったのに・・・。
遠山啓さんは「累加だけで」考えることを批判したのであって、累加を否定していないし、肯定している。
理屈から言って、「掛け算の順序を変えると意味も変わる」と主張する人は、足し算も同じ主張をしないとおかしい。
掛け算だけ順序派なのは、「上の人から言われたから」という役所的な人だと思う。



あと順序派は、「速算」とか「計算力」などの計算方法をどう考えているのだろうか?
「あんなのは邪道で認められない」と言うのだろうか?
おおくぼ
2011/08/22 12:14
文科省の「小学校学習指導要領解説」の第3章「各学年の内容」の「第2学年の内容」は、まともなことが書いてあると思うんだけど。

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syokaisetsu/

交換法則の重要性も明記しているし。
おおくぼ
2011/08/22 13:49
森毅さんの『数の現象学』(朝日選書:1989年)から引用します。

以下全部引用です。

その教科書の加法は、「数え足し」であって、3+2というのは、まず3数え、次に2数えたものを、最初から数えなおすことによって得られる5を「足し算」と呼んでいた。
>  略
この加法は「順序数的加法」とでもいうべきもので、序列化された数系列の上を、まずa進み、それに続いてb進むことによって、a+b進む、いわば行為の<継起>に由来している。
ベクトルの加法は、その種の形態をとるので、「ベクトル型の加法」とでもいえるかもしれない。
これほど洗練されない形で<添加>が加法の原形になることは多い。
しかし、この場合、時間的な継起であって、交換法則の
   a + b =b + a
は、少しも自明ではない。
ペアノの自然数論のように順序数的にやると、その「証明」はそれほどやさしくない。
経験論者は、これは多くの事実から帰納しているのだ、というかもしれない。
しかし、234+323と323+234が同一になるといった種類の経験をいくら積み重ねたところで、それが自明になるわけではない。
それが<自明>なのは、合併型の加法があるからだ。

合併型の加法となれば、たとえばピーナツを右の皿には234個、左の皿には323個入れるとすれば、それを皿ごと入れ替わることは容易である。
つまり、この場合には、それを支える(集合)があって、それが同時に現前し、その交換が可能なのである。
おおくぼ
2011/08/22 17:56
追記

自分で引用して自分でツッコむのは変なのですが、みんなスルーしているので、自分でツッコミを入れます。

小学校の足し算に、「空間的な左右の違い」も、「時間的な前後の違い」もないのです。
変な感じがしますが、数学が現実を正確に写しているわけではないので。
だから数学的に正しくても、現実では違うことがあるのです。
おおくぼ
2011/08/23 01:04
というか、数学でもそんな「違い」はないでしょう。

5+3 を 

5からさらに6,7,8 と数える
5の塊 と 3の塊 をくっつける

イメージが違うことは否定しないけど、要するに8になるから同じ事

というのは小学生の頃には分かっていたし、そこの部分をくどくど言われたらむしろ混乱したかも知れないです。 
積分定数
2011/08/23 06:35
>5からさらに6,7,8 と数える
5の塊 と 3の塊 をくっつける

数学的帰納法は前者なんですが、集合論的に後者にも表現可能なんですね。
たしかに小学生相手にそんなこと言ったら、わけわからなくなると思います。
でも数学=現実という信仰があるのでは?
「5人掛けの椅子が2つ」を、「2×5」でも「5×2」でも表現できてしまいます。
というか、片方に限定できない(区別できない)という不便さがあったりします。

あと森毅さんや銀林浩さんみたいな有名な数学者(教育評論家?)が、屁理屈で交換法則を否定しているのは驚きですが、現場の先生でそんな屁理屈を言う人はいないと思います。
やはり教師用の「指導書」の影響が大きい気がするんですが。
おおくぼ
2011/08/23 12:04
おおくぼさんの資料を読んでいると、なんだか、生きている人間を霊視している自称超能力者が、「これが見えない人はアホである」と言っているような気持ち悪さがありますね。

鰹節猫吉
2011/08/23 15:11
「王様は裸だ!」と大声で言ったら、どうなるんでしょうね?
積分定数
2011/08/23 16:17
問題:1時間あたり2kmの速さで3時間、歩きました。歩いた距離は何kmであるか

答案A:(2km)×3=6km
答案B:3×(2km)=6km

答案C:2×(3km)=6km
答案D:(3km)×2=6km

AとBは正解、CとDは不正解、ってだけのことでしょ

まあ、普通は
2011/08/13 00:52
問題:1時間あたり2kmの速さで...
2011/08/23 18:11
ぼくも現場の先生に直接的影響があるという点で教科書指導書の問題は特に重要だと思っています。だから、教科書指導書にかけ算の順序にこだわる教え方が載ってしまう理由の方も特別な重要さを持っていると思います。

算数の学習指導要領本体とその解説のかけ算に関する部分だけを読む限り、あらゆる教科書指導書に載っているようなかけ算の順序にこだわった教え方が出て来るとはちょっと考えられません。

しかし解説算数編の58-59頁を見ると、たし算について妙な考え方が書いてあります。それをそのまま素直に解釈すると平成17年度の東京都教職員研修センターの報告書 http://bit.ly/r8BWut の5頁目の図の話になってしまう。3匹を4匹に追加する場合には4+3と書かなければいけないという話が書いてある。

積分定数さんがおっしゃる通りで、たし算でのこの区別はあまりにも馬鹿げているので教育現場でも普及していないのでしょう。代わりに普及してしまったのが、かけ算の順序に関する規則です。

かけ算に限らずに、学習指導要領解説算数編の58-59頁にある説明は「式だけから具体的な場面や考え方を読み取ることができるようにしなければいけない」という誤解の原因になっているものと思われます。

「答は合っているが、考え方は誤り」ではなく、「答は合っているが、立式は誤り」となりがちなのも、この誤解が原因になっているように思えます。
くろきげん
2011/08/23 18:34
続き。

kikulogで例のドラゴンさんは
「考えに対応した式は1つで、式に表した段階では解説は不要ということです」
という迷言を残しています。
http://bit.ly/p9V9Tx

これはまさに式だけから具体的な場面や考え方を読みとれるようにするという話です。

そしてそのドラゴンさんは「今回の学習指導要領を作成した協力者に知り合いもい」ると述べています。
http://bit.ly/ncxDya

ドラゴンさんの迷言のような考え方が「今回の学習指導要領を作成した協力者の知り合い」に由来している可能性は高いと思います。

この点についてしっかりした文献調査を行ない、具体的に誰が迷言のような考え方を広めているかを特定することは重要なことかもしれません。

学習指導要領解説算数編の最後にあるリストにある協力者たちの名前を検索にかけてみたのですが、特別に注目するべき情報は得られませんでした。検索の仕方が悪かったのかもしれません。
くろきげん
2011/08/23 18:34
足し算も可換でないと聞いて。

Q1. スペースシャトルの全質量は、どう計算しますか?
A1. 本体 + 外部燃料タンク + 固体ロケット × 2
   ( これについては、一応、異論なし )

Q2. サターンVロケットの全質量は、どう計算しますか?
A2-1. スペースシャトルの場合に倣って考えれば、
   司令船が本体。よって
   司令船 + 月着陸船 + 3段目 + 2段目 + 1段目
A2-2. 「3,2,1」の順に並べるとはひねくれ者だね。
   普通、物事は1からだろう。
   1段目 + 2段目 + 3段目 + 月着陸船 + 司令船
A2-3. ちょっと待った!組み立ててから燃料を入れるの
   だから、その順番にすべきだろ。

Q3. 月面から帰ってきたアポロの着陸船から、飛行士が司令
  船に乗り移って来ました。飛行士の数は何人でしょう?
A3-1. 司令船が本体なのだから、1+2=3
A3-1. 船長のいたグループが本隊で、司令船に残ってい
   たのは別働隊。よって 2+1=3
ゴルゴ・サーディーン
2011/08/23 23:11
学習指導要領解説算数編の式の働きと式の読み方に関するネタをもうひとつ見付けました。

立式の論理と計算の便宜 (3×5≠5×3問題)
http://deztec.jp/design/10/12/20_education.html

見事に「具体的な場面と立式は一対一に対応しており、具体的な場面を立式によって忠実に表現しなければいけない」という悪しき発想(立式の論理)に囚われた内容になっています。まあ学習指導要領解解説算数編の式の働きと式の読み方に関する主張に忠実になれば仕方がないのですが。

補記から引用(>の行)してコメントを付けておきます。

>これは 8+7 と 7+8 だから「どちらでもいい」気がするに過ぎないのであって、

「どちらでもいい」気がしないのは具体的場面と立式を一対一に対応させなければいけないという思い込みがあるから。式は簡潔・明瞭かつ形式的操作の容易さという特長を持っていますが、具体的な場面を表現するには力不足なのです。だから、実際に算数や数学を使う場面では式以外に言葉や図を使った説明を入れるのが普通です。子どもたちには普通の考え方をできるように教えて欲しいものです。
くろきげん
2011/08/23 23:34
上のつづき。

>「計算結果が同じなのだから」という理屈を推し進めれば、

「計算結果が同じだから」という理屈で「どちらでもいい」と主張しているのではない。

>最初から繰り上がりを考慮して 5+3+7 とか 5+(3+7) などと立式することも否定できない。一足飛びに 5+10 と立式するのはありやなしや?

正しい考え方をしている限り、当然ありです。「立式」によって正しい考え方をしているか否かを測るという悪しき習慣にこだわらなければ、正しい答を出すためにどのように式を書いても良いのです。

子どもたちがどのように考え方を知りたければ「具体的場面を忠実に立式でき、実際にそのように立式させる」という間違った発想を捨ててもっと工夫しましょう。考え方と式の扱いは別だと考えるのが普通です。式だけを見てなんでもわかると思うのは多間違い。
くろきげん
2011/08/23 23:36
もはや、かけ算の話じゃなくなってますね。(^_^;)
くろきげん
2011/08/23 23:37
問題:1時間あたり2kmの速さで3時間、歩きました。歩いた距離は何kmであるか

答案A:(2km)×3=6km
答案B:3×(2km)=6km
答案C:2×(3km)=6km
答案D:(3km)×2=6km
  
答案a:(1あたり)2km、(いくつ分)3、(答)6km
答案b:(いくつ分)3、(1あたり)2km、(答)6km
答案c:(いくつ分)2、(1あたり)3km、(答)6km
答案d:(1あたり)3km、(いくつ分)2、(答)6km

aとbは正解、cとdは不正解、ってだけのことでしょ
まあ、普通は
2011/08/24 00:07
順序派批判もいいけど、その前に

「交換法則が成り立つから、変更した答案も正解だ」
あるいは「値が同じだから、変更した答案も正解だ」

みたいな妄言を止めようね♪
クロッキーG
2011/08/24 00:12
学習指導要領解説算数編p58の「式」というのは
(単価)×(個数)=(代金)のような「言葉の式」も
含めるという話だし。3+4の例示は、もとの場面とのつながりを忘れるなといっているだけで、それを足し算の順番の指定と思うほうがどうかしているんじゃないかな。(後から来た人の数)+(元からいた人の数)=(今いる人の数)と計算することを否定する要素があるようには思えないんですが。東京都教職員研修センターの人がおかしいだけじゃないのでしょうか?
TN
2011/08/24 00:25
平成20年公表の指導要領解説が、17年の東京都の研究にどう影響を与えるのでしょうか。

さて数学者で、ちゃんと議論できるという人がいました。

http://takuya-sobukawa.blog.so-net.ne.jp/2011-06-22
>しかし私自身は,かけ算の順序を守るべきだという立場を支持するし,「なぜ守るべきか」についてもきちんと議論出来る。
さてさて
2011/08/24 00:47
>平成20年公表の指導要領解説が、17年の東京都の研究にどう影響を与えるのでしょうか。

平成17年の東京都教職員研修センターの報告書を読んでなさそうですね。w 問題になっているのは平成20年公表の指導要領ではなく、指導要領解説の中で語られて来た式に関する考え方の方です。

平成17年の東京都教職員研修センターの報告書の3頁目には平成11年5月付けの小学校学習指導要領解説算数編の58-59頁から「式で表すことと式をよむこと」に関する説明を引用されています。平成20年版と比較してみて下さい。

http://takuya-sobukawa.blog.so-net.ne.jp/2011-06-22
を覗いてみましたが、今のところ相手にする意欲が湧くような話は書いてありませんでした。残念。

>東京都教職員研修センターの人がおかしいだけじゃないのでしょうか?

事例がひとつだけならそのように楽観するのもありだと思いますが、ドラゴンさんの事例もあるので、そう簡単に楽観できないとぼくは思っています。
くろきげん
2011/08/24 02:26
(akm)×b=(bkm)×a

という交換法則は成立するよね。一方

・問題:1時間あたり2kmの速さで3時間、歩きました。歩いた距離は何kmであるか
○答案:(2km)×3=6km
×答案:(3km)×2=6km
クロッキーG
2011/08/24 03:09
お忙しい中、コメントをありがとうございます。
「それでも順序は違ってる」という積分定数先生に同情を禁じえません。この真意は、順序(派)は(間)違っており、今の算数教育は“行き過ぎ”ということです。

このコメントは、積分定数先生にお伝えするものではありません。

以下は全て個人的な推測と想いです。
・数学に明るい先生はどのような理由であれ順序を強要はしないでしょう。
・大人を含めて明るくない人たちを“理解させる”のではなく“理解した気にさせる”効果しかなさそう(明るい人には無用な長物)。
・単純な四則演算練習をさせた方がまだ“気づかせる”のに役立ちそうですが、言葉遊びをする方が“教えた気になれる”ためウケていそう。
・業界用語の多すぎる文は一般的な理解から乖離します。この弊害は、かけ算レベルの教育で祖父母や親が気軽に参加できなくさせてしまうことです。
・英語に明るくない先生が英語教育を作ったのと似た危惧があります。これらの過程を繰り返すようで気が滅入ります。
・教え方さえよければ“うちの子は理解できる能力がある”という親の幻想が悩める先生を苦しめているかもしれません。

受忍しているのは以下のことが骨格となってます。
・迷えるほうが(先生と子どもたち)数が多そう
・順序派の教え方でも計算結果は同じになりそう
・大半は順序派の教えを忘れそう(最悪中学でリセット)

ただし、積分定数先生がされたような問題提起は継続的に必要と感じています。迷える先生たちは指導書を持つため、子どもたちと違いリセットするのは難しそうだという理由からです。

釈迦に説法なので、二度目は控えるつもりでしたがお許し下さい。この場をお借りしてお礼申し上げます。それでは。
中立素人
2011/08/24 04:05
>まずはこの本を読んでみて,まあなんとつまらない議論をしてるんだろうという感想。
>全然議論になっていないというのが私の言い分。
>しかし私自身は,かけ算の順序を守るべきだという立場を支持するし,「なぜ守るべきか」についてもきちんと議論出来る。
>そもそも「かける」って何ですか。
>3って何ですか。
>それがわからないのにどんな議論も意味がないですよ。

これは、何の根拠も提示してない外野席の野次だと思う。
この人のプロフィールでは、「岡山大学大学院教育学研究科 教授。 兵庫教育大学大学院連合学校教育学研究科を兼務。」と書いてある。
こういうことを書く人は、人間をコンピューターと勘違しているんではないのだろうか?
「かける」や「3」を定義しないと使えないと思っているのでは?
江戸時代の和算家は、そんなことを定義しなくても使えたよ。
中学生ぐらいだったら、ノイマン型集合論を教えてもいいとは思うけど。
おおくぼ
2011/08/24 12:02
かけ算の順序は、式に意味づけを求めるあまり、意味のないところに無理に意味を見出した結果だ、と理解しています。

順序派(だった?)瀬山さんのページ
http://homepage2.nifty.com/seyama/zatu.html

>私の意見は「かけ算には順序がある」である。計算式は状況を表し、その状況が異なれば式が異なる。ただ、著者も言っているように、1あたり量を先に書き、いくつ分をあとから書かなければならない理由はない。どちらがどの量であるかが分かっているなら、6×4でも4×6でも構わない。しかし、解答した子どもがどう考えているのかはきちんと把握しておく必要がある。

を解析すると

・式は状況を表す
・状況が異なれば式が異なる
つまり、状況に即して式が変化しなければならないと言っているのですが、具体的には乗数のうち「1あたり量」がどちらかがわかるように式を表現しなければならないと考えているようです。だから

・逆順でも固定されればよい

ということになる。いずれにしても式の内容について、どちらが1あたり量でどちらがいくつ分と考えているかを把握する必要があると述べています。

6×4とか4×6の数値だけの式にはどちらが1あたり量かという情報は含まれていないと思います。把握するなら別の方法が必要。たとえば「1あたり量はいくつですか?」と聞く。または、単位を式に書き込む。
M
2011/08/24 13:15
>もはや宗教論争だな

オカルトでしょう。
M
2011/08/24 13:17
数式から過剰に意味を読むバカバカしさで連想したのは、人気お笑い芸人のコントです。
小学生の子どもを持つ父親が、宿題を教えるという内容です。

http://v.youku.com/v_show/id_XMjA2MjU4Njcy.html

注:アップされているのは中国のサイトです。
おおくぼ
2011/08/24 16:57
>コント

「いい問題だった」を連呼するオチが…
ちょっとゾッとしましたw
M
2011/08/24 17:55
Mさんへ

瀬山士郎さんの・・・

>追記:その後、Nさんという方から長文のメールをいただき、私の認識が少し間違っていることを指摘された。
>どうも、現場ではいま順序を固定する指導が広まっているらしい。
>かけ算の立式には順序があると思うが、数値の意味さえ理解していれば、1当たり量×いくつ分でも、いくつ分×1当たり量でも構わないと思います。2011/7/22
>追記の追記:6個/人×4人=24個 4個/人×6人=24個 でどちらも同じ個数のミカンになることは大切ですが、これと6×4=4×6とは少しレベルが違うと思います。2011/8/10

???
何を言いたいのか、わかりませn。
おおくぼ
2011/08/24 23:07
追記

瀬山士郎さんの・・・

>かけ算の立式には順序があると思うが、

何を言いたいのか、わからない。

>どちらも同じ個数のミカンになることは大切ですが、これと6×4=4×6とは少しレベルが違うと思います。

立式の意味は、数学のルールに制約されないという立場だろうか?
計算と「意味を問う問題」は、別のルールが働いているという立場なのだろうか?


おおくぼ
2011/08/25 00:22
瀬山士郎さんの悪口みたいなことを書いたけど、瀬山士郎さんは優れた数学啓蒙家なのです。

『数をつくる旅5日間 (アウト・オブ・コース) 』(遊星社:1996年)では、足し算の交換法則の理解しずらさについて丁寧に説明しています。

>しかし、もしあなたが誰かに、「普通の数ってどんな数なんだい?」とか、「たし算はどうしてたす順序を変えてもいいの?」とか聞かれると、いささか答えにつまることもあるのではないだろうか?
>略
>どのような数学的概念でも、それを理解しようとするとき、人は誰でもその概念を自分の経験に照らして解釈しようとする。
>数のたし算が交換法則をみたしているということは、2個のリンゴと3個のリンゴを一緒にすれば5個のリンゴとなるという経験で裏付けられている。
>しかし、これがある意味で現代数学を分かり難くしている大きな要因の一つであると思う。
>というのも大部分の人にとって、数学を解釈しようとするとき、その材料を提供してくれる数学的経験の量は決して多くはないからである。
>  略
>私たちは普段の生活の中では分数のわり算なんか使わないのだ!
>  略
>結局、数学を理解するということは、一生懸命になって自分の数学的経験の量を増やしていくことに他ならない。
>それは日常生活の経験ばかりではない。
>むしろ非日常的な経験、あるいは抽象的な経験こそが数学にとっては重要になる。
7頁〜21頁
おおくぼ
2011/08/25 01:46
・問題:1時間あたり2kmの速さで3時間、歩きました。歩いた距離は何kmであるか
○答案:(2km)×3=6km
×答案:(3km)×2=6km

○答案: 3×(2km)=6km
×答案: 2×(3km)=6km

○答案: 3×2=6  答え6km
○答案: 2×3=6  答え6km
zorori
2011/08/25 06:55
ご指摘の部分はわからないです。
積分定数さんからのメールで
考えが揺れている?のかもしれませんが
どこがどう変化しているのか読み取れない。

「順序がどちらでもよい」と
「交換法則適用可能」とは違うのかも
しれません。(説明できませんが)
>交換法則は意味のある数値に適用することはできない。交換するとすれば、意味まで含めて交換する必要があると思います。

というのを維持しているのかそうでないのか。
M
2011/08/25 08:11
> zorori
> 2011/08/25 06:55

その通りです。交換法則が成り立つから、入れ替えても正解なのではありません。

掛け算には通常、前者は(1あたり)、後者は(いくつ分)というルールはないので、通常は入れ替えても正解なのです。
キクログ
2011/08/25 11:14
http://homepage2.nifty.com/seyama/zatu.html
>追記の追記:6個/人×4人=24個 4個/人×6人=24個 でどちらも同じ個数のミカンになることは大切ですが、これと6×4=4×6とは少しレベルが違うと思います。2011/8/10

以下のメールのやりとりを受けてのものかな?

▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽
> ただ、2個/人×3人分=6個、と3個/人×2人分=6個は違うので
> ここに交換法則を持ち出して2×3=3×2だからどちらでもいい
> ということは間違いだと思います。

このことに異議を唱える反順序派の人は余りいないと思います。「4人に3個ずつ蜜柑を配る」を、「1人あたりの蜜柑の数」×「人数」の順序で書くことが指定されているなら、4×3は間違いでしょう。ただし、「1あたり」×「いくつ分」という順序であるなら、カード配りで4を「1あたり」とすることが可能なので、どちらの順序でも正しくなります。だから結局、順序を指定すること自体が無意味となるわけです。
また、「4人に3個ずつ と 3人に4個ずつ は、状況が違うが蜜柑の数は同じだ」という感覚は必要だと思います。蜜柑の総数にのみ関心がある状況では、「両者は同じ」とみなしても構わないと思います。「同じ」とみなすかどうかは、抽象度の違いです。
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△
積分定数
2011/08/25 12:38

縦8横2の長方形と、縦2横8の長方形だって、「違う」と言える。前者は自信で倒れる危険がある。

「同じ」や「違う」は、そのとき何に着目しているかのよって違う。

また、蜜柑を配る場合、人数を半分にして一人あたりを倍にしても全体の個数は変わらない、程度のことは小学生にも理解できると思う。

 「状況の違い」を強調することに疑問を感じる。
積分定数
2011/08/25 12:39
算数教育の指南書を見ると、引き算であれば求差とか求残とかが書いてあるのだけど、それらは本質的には同じ物であるということには触れていません。著者が「原理的に違うもの」と思っているのかどうかわかりませんが、少なくとも読んだ人が「違うもの」と認識してしまう可能性があります。

7個の蜜柑を4人に1個ずつ配ると何個余る?

7−4 という式に、「蜜柑から人の数を引けるの?」と疑問に思う児童がいることに触れて、教える上で留意しないとならないとあるのですが、逆のことには余り触れられていません。

「7人いて4人帰りました。何人残っているでしょう」という問題と同じ構造だと認識している子に、

「それは残りを求める問題。今回は何個余るかを求める場合。普通は違う種類の物は引き算できないのだけど、こういうのは例外で、引き算が出来る。」

などと余計なことを言って、児童が混乱すると言うことはないのだろうか?
積分定数
2011/08/25 12:56
http://9114.teacup.com/seisann/bbsでは私の質問は蒸しされているし・・・・

数教協、なんだかぱっとしね〜

第二数教協が必要かも。
積分定数
2011/08/25 12:58
>蒸しされているし

無視されているし
積分定数
2011/08/25 12:59
 指導要領解説だけど、それが原因でおかしな教え方が拡がっていると言うよりも、「算数・数学教育業界」におかしな思想があって、それが指導要領解説に反映しているのでしょうね。

 「算数・数学教育業界」、「原子力村」みたく閉鎖的で部外者には分かりづらい世界である。
積分定数
2011/08/25 13:07
問題:1時間あたり2kmの速さで3時間、歩きました。歩いた距離は何kmであるか

○答案a:(1あたり)2km、(いくつ分)3、(答)6km
○答案b:(いくつ分)3、(1あたり)2km、(答)6km
×答案c:(いくつ分)2、(1あたり)3km、(答)6km
×答案d:(1あたり)3km、(いくつ分)2、(答)6km
またバカ主張か…
2011/08/25 13:53
「(1あたり)の1」を「3/2時間」に設定すれば、

(1あたり)3km、(いくつ分)2

になるよ。しかし、そんな不自然な設定は不正解です。
はははは
2011/08/25 13:58
過剰な意味で思い出したのが、どこかのサイトで読んだ「算数上手はお絵かき上手」という言葉。文章題を解くのに絵を描くように指導している人を評価してのもので、「電車の問題ならパンタグラフも描かせる」とか描いてあった。まあ、それで解けるなら別に構わないが、一方で以下のようなのも聞いた。嘘か本当か知らない。

 鉄橋があって電車が通り抜けるというような問題で、鉄橋の長さや電車の速さや長さのうち2つが与えられていて、残りの値を求めるというようなのが中学数学の方程式の定番問題としてある。

 こういうのが解ける生徒が、鉄橋がトンネルに置き換わると解けない場合があるという。トンネルは中が見えないのでどう解いて良いのか分からないという。

 不要な情報を捨てるということも大切である。

金魚が4匹と3匹、同時に水槽に入れたのか、時間差があったのか、最初にいたのが3匹であとから4匹追加したのか、4匹いたところに3匹追加したのか、などは、今現在何匹いるかを求めるには不要な情報である。
積分定数
2011/08/25 18:05
 ちなみに私は、足し算の順序もかけ算の順序もどうでもいいと思っているが、トランクスを履いてからズボンをはくという順序を間違えることはない。

 行列で積の順序で結果が違うというのも理解できた。行列Aをn個足したものは、Anではなく、nAである。かけ算の順序に拘ると行列が分からなくなると思う。

 算数の話に何でトランクスとズボンや、行列や、薬品の調合を持ち出すのかサッパリ理解できない。

 人魚と魚人、権利と利権、クスリとリスク(回文だ!)、文字列の順序をひっくり返すと意味が異なるが、それはそういう約束事だから。足し算やかけ算とは何の関係もない。
積分定数
2011/08/25 18:08
世の中には左右の区別というものがあるのだそう
です。
 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/3129740.html

「演劇の世界には、そういう伝統がある」
「アニメ制作者の中には、それを踏まえている人
 もいる」
というところまでなら「18へぇ」ぐらいに評価
してもいですが
「ゲーム製作者は映像に無知」
とかいうくだりにはムッとします。

そういうのを聞くと
「ほお、それでは陸上競技(100m)で『TVカメラ
 はここに設置してください』と決める大会運営
 側も、映像に無知なんですかね」
「サッカーやバレーボールで、試合時間の半分は
 ずっと違和感を抱きながら観てるんですか?」
などと言いたくなります。
ゴルゴ・サーディーン
2011/08/25 21:44
魚の向きは左向きじゃないと落ち着かないというのはあるが。鰈を除く。

http://www2.odn.ne.jp/kotowaza/sub09-1-2-tyousanbosi-koji.htm
3+4 と 4+3 猿にとっては違うようです
積分定数
2011/08/25 22:14
>「それは残りを求める問題。今回は何個余るかを求める場合。普通は違う種類の物は引き算できないのだけど、こういうのは例外で、引き算が出来る。」

kikulogにも書いたことですが、「森の木の本数を数えるのに、1000本のひもを用意し、すべての木に結びつけ、1000から余ったひもの本数を引いたのが木の本数」という有名な話があります。これに対して「それは、結びつけたひもの
本数であり、今回は木の本数を求める場合」というようなくだらないことですね。

>また、「4人に3個ずつ と 3人に4個ずつ は、状況が違うが蜜柑の数は同じだ」という感覚は必要だと思います。

全く同感というか、非常に重要なことだと思います。
zorori
2011/08/25 22:48
問題:1時間あたり2kmの速さで3時間、歩きました。歩いた距離は何kmであるか

「(1あたり)の1」を「3/2時間」に設定すると、
(1あたり)3km、(いくつ分)2、(答)6km。

「(1あたり)の1」を「3時間」に設定すると、
(1あたり)6km、(いくつ分)1、(答)6km。

答案としては、不正解だね〜。
いい加減にしてね
2011/08/25 23:55
http://homepage2.nifty.com/seyama/zatu.html
>追記の追記:6個/人×4人=24個 4個/人×6人=24個 でどちらも同じ個数のミカンになることは大切ですが、これと6×4=4×6とは少しレベルが違うと思います。2011/8/10

6個/人×4人=24個でも4人×6個/人=24個でもどちらもで良いという話にはどのように反応するのでしょうかね?
くろきげん
2011/08/26 04:35
ぼくが問題だと思っているのは次のような教え方です。

(*) 文章題の中で示された具体的場面を表現する式を立てることを要求する。正解になる式はひとつに限る。もしくは正解になる式は極めて制限されたものに限る。

このような教え方は、かけ算の順序にこだわる教え方に限らず、算数教育および数学教育の中に広く蔓延しているのではないかとぼくは疑っています。

そしてこのような教え方は文章題が解けない子どもを増やすことに貢献していると思う。

くろきげん
2011/08/26 04:44
http://www.excite.co.jp/News/bit/E1221751302538.html?_p=1
http://www.excite.co.jp/News/bit/E1221751302538.html?_p=2
▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽
先日、ネットの掲示板で「小2の算数複雑すぎワロタ」といったスレッドがたち、一部で話題となっていた。

件の問題は、
「くふうしてけいさんしましょう」というもの。
たとえば、以下の「52-8」という問題、「くふうしてけいさん」すると……。

<12から8をひいて4→40と4で44>
<52から2をひいて50→50から6をひいて44>

これ、2年生でも暗算ですぐ計算できてしまうもので、大人ならなおさら瞬時に答えがわかるだけに、「なんでそんなめんどうくさいことを?」と思ってしまう。

ちょうど自分自身も、小2の娘とその友人にこの問題を聞かれたところだったので、ネット上の話題に敏感に反応してしまったのだが、実際、ネット上では「これをくふうというのか」「わかりにくすぎ」などの大人のコメントが多数見られた。

また、子どもたちの解き方を見ていると、普通に計算できるくせに、「くふうして」と言われると、ややこしく考えすぎて、以下のような誤答が見られた。
○「52を40と12に分けて、8を6と2に分けて」と、どういうわけか分けまくってしまう
○「8を6と2に分けて、52から2をひいて、6を足して」となぜか足してしまう
○「52を40と12に分けて、8を引いて、4」などと、最初に分けて、置いておいた数をきれいさっぱり忘れてしまう
積分定数
2011/08/26 07:57


普通に計算するほうが楽なのに、なぜこんなにも複雑な計算をしなければいけないの? 私たちが子どもの頃も、こんな計算の仕方をしてたっけ? 『新しい算数研究』を発行する東洋館出版社・川田さんに聞いた。
「これには、いろいろと理由があります。一つは、現実として繰り下がりのある引き算を間違う子供が多いということです。大人から見れば簡単に思えることでも、算数の苦手な子供にとっては、大きな壁になるところでもあります」

海外でも、おつりを渡すのに足し算で計算することがよくあるそうで、「日本人は、比較的引き算が得意ですが、実は引き算は難しいのです」という。…
苦手な子供をどうするか? と考えると、「ひたすら練習」ではなく、「引き算そのものを理解していくことも大切」ということで……。
「52-8も52-6-2として考えるのか、40+(12-8)と考えるのか。それぞれ『減減法』『減加法』ともいいますが、引いて引いていくのか、引いてから足すのか、必要に応じて、いろいろある方法をうまく選べるようにしたいですね」

さらに、もう一つは、「式の意味の理解」。
「引き算は、計算のためだけでなく、思考の道具、説明の道具としても使われます。文章題などで、複雑に書かれた内容をシンプルに表現するのが式でもあります」
積分定数
2011/08/26 08:00

そして、大人にわかりやすい例として、わり算の意味についてこんな解説をしてくれた。
「10÷2は、どんな意味でしょうか。10を2つに分けることですね。では、10÷0.5はどんな意味でしょうか。10を0.5に分けるというのは、大人でも多くの人がうまく説明できません。これは、式の意味を理解していないからです」
10÷0.5は、「10の中に0.5がいくつあるか」ということで、こう考えると、小数点の位置も間違えにくくなるわけだ。

「同様に、分数のわり算でも、1/2÷1/4も、『半分のピザの中に1/4のピザがいくつあるでしょう』と考えると、答えがすぐにピンとくるでしょう。このように、計算をひたすら練習するだけでなく、式の意味をよく理解することも大事なのです」
複雑すぎる小2の算数、それは大人が見ると「??」だけど、「より深い理解」のために必要なことのようです。
(田幸和歌子)
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△
積分定数
2011/08/26 08:00
 3時間で120qすすむと、6時間では?

 という問題を、時間が2倍だから距離が2倍になるからと、120×2としたらバツになった

 という事例を聞いたことがある。聞いた話なので詳細は不明。距離÷時間で速さを出して、速さ×時間で距離を出す、という手順でなかったかららしい。

 書式に当てはめるような解き方を求められる一方で、「(教えたいがわが望む)工夫」を強要されたんじゃ、算数・数学はつまらないものになりかねないと思う。
積分定数
2011/08/26 08:13
○:120×(6÷3)
○:(120÷3)×6
×:(120×6)÷3
それはあかんな〜
2011/08/26 09:21
「(1あたり)の1」の自然な設定は、
「3時間」または「1時間」。

○:(6個/人)×(4人)=24個
○:(4人)×(6個/人)=24個
×:(4個/人)×(6人)=24個
×:(6人)×(4個/人)=24個

交換法則
(a個/人)×(b人)=(b個/人)×(a人)
は、成立する。
その場合
2011/08/26 09:32
アメリカでもイギリスでも引き算のできない大人がいるのには驚きます。

速算とかインド式とか、いろんな計算方法があるということを教えた方が気持ちは楽になると思う。
これは速算やインド式を教えるべきというのでなく、そういう方法もあるんだよという、存在を知らせておくということです。
一つの方法しかダメという教育は数学では良くないと思う。
私は「数学は自由だ」みたいな言い方には反発を感じるんだけど、それ以上に反発を感じるのは杓子定規な教育。
小学校の先生は一人で全教科を担当するので、マニュアル通りになるのは仕方ない気がするけど、なんとかならんのだろうか?
おおくぼ
2011/08/26 12:54
http://www.pluto.dti.ne.jp/~rudolf/sansu-utsushinasai.html
補助計算「この通りに写しなさい」が苦手な子を救う その1
▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽
〜1年「たしざん(2)」補助計算(竹森正人氏実践の追試)での失敗〜

TOSS加賀/福岡美智雪
「どっちでもいい」曖昧な指示が、苦手な子を混乱させた

一昨年度、私が担任した学級のテスト(表現処理)結果である。 ★「たしざん(2)」(繰り上がりのある足し算)41.13点/50点ー→失敗
  「ひきざん(2)」(繰り下がりのある引き算)49.19点/50点ー→成功
この点数の違いは、「(補助計算を)写しなさい」の指示の違いであった。
「たしざん(2) 「5+6」の補助計算

1.式を書きなさい。
2.6の下にさくらんぼを書きましょう。
3.左のさくらんぼに、5を書きましょう。
4.右のさくらんぼには、残りを書きます。6は5と1。だから、1ですね。
5.5とさくらんぼの5をつないで足します。5+5=10。
6.さくらんぼの5は使ったので消しましょう。
7.10と1とで、11。答えは11ですね。
積分定数
2011/08/26 13:45

 この時、質問があった。「5+6やったら、6の方が大きいから、6に5の4あげてもいい?」

5の下にさくらんぼを書くのですね。いいですよ。

 私は、二通りのやり方を認め、間違えた子やできなかった子に、どっちでもいいから分かりやすい方を写しなさい。 

と指示した。
テストの平均点が悪かった理由
 私は、さくらんぼの書き方を指導したにも関わらず、算数の得意な子の質問を受けて、もう一通りの書き方を認めてしまった。算数が苦手な子にとっては、全く違うさくらんぼ、つまり全く違う勉強が出てき、さぞかし不安であっただろう。どっちが正しいのか、どっちを写していいのか分からなかったに違いない。
 「どっちでもいい」私のこの無責任な言葉で、多くの子に不安と混乱を与え、先述のひどいテスト結果を生んでしまった。
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△
積分定数
2011/08/26 13:45
http://www.pluto.dti.ne.jp/~rudolf/sansu-utsushinasai2.html
補助計算「この通りに写しなさい」が苦手な子を救う その2
▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽
「この通りに写しなさい」明確な指示で、苦手な子もどんどん解いた

一昨年度、私が担任した学級のテスト(表現処理)結果である。  「たしざん(2)」(繰り上がりのある足し算)41.13点/50点ー→失敗
★「ひきざん(2)」(繰り下がりのある引き算)49.19点/50点ー→成功

この点数の違いは、「写しなさい」の指示の違いであった。
「ひきざん(2)」

「12−5」の補助計算
1.式を書きましょう。
2.12の下にさくらんぼを書きましょう。
3.左のさくらんぼに、10を書きましょう。
4.右のさくらんぼには、残りを書きます。12は10と2だから、2ですね。
5.さくらんぼの10から5を引きます。10−5=5。
6.さくらんぼの10は使ったので消しましょう。
7.5と2で、7。答えは7です。
積分定数
2011/08/26 13:49
 足し算同様、この時も質問があった。
「さくらんぼの10ね、右の方が引きやすいし、10と2反対に書いてもいい?」

 いいえ、だめです。今、先生が書いた通りにしなさい。私の指示通りに書けていなかったら、×を付けた。
 答え合わせの時も、間違えた問題は直しなさい。できなかった問題は写しなさい。
 この通りに写しなさい。写すのもお勉強です。 
と指示した。

テストの平均点が良かった理由

 「ひきざん(2)」では、教えた以外の書き方を認めず、「先生が書いた通りに」と限定した。
練習問題でも「この通りに写しなさい。」と言い、 写す対象を明確にした。
 算数が苦手な子も、 明確な対象(同じ書き方)を繰り返し繰り返し写す

ことにより、だんだん繰り下がりの引き算ができるようになった。そして、先程のテスト結果が出た。
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△
積分定数
2011/08/26 13:50
私はこういう研究熱心で真面目で一生懸命な教師に教わらなくてつくづくよかったと思う。
積分定数
2011/08/26 13:51
ソロバンは、練習をたくさんすればするほど正確に早く計算することができます。
算数の計算も同じで、「百ます計算」も同じ理屈だと思います。

逆に理屈重視の授業だとマイケル・サンデル先生の哲学みたいになって、教える側が難しいというということはあると思います。
また理屈重視の授業は、試験の点数アップに結びつきにくいという欠点もあります。
おおくぼ
2011/08/26 18:28
おおくぼさん

なんか違和感があると思ったら見間違いしてたorz

>追記の追記:6個/人×4人=24個 4個/人×6人=24個 でどちらも同じ個数のミカンになることは大切ですが、これと6×4=4×6とは少しレベルが違うと思います。2011/8/10

6個/人×4人=24個 4個/人×6人=24個
の2式は私のポリシーでは
「偶然同じ数字が並んでいる全く関係ない式」
になります。交換法則とも関係ない。
6×4=4×6とは
「少しレベルが違う」んじゃなくて大違いですね。

いやー、
6個/人×4人=24個 vs 4人×6個/人=24個
と書いてあるのと勘違い。
まさかそんなことは書いてないよねと脳内で修正が
掛かってました。ポンコツですね。

>(a個/人)×(b人)=(b個/人)×(a人)
は交換法則とはいえません。

M
2011/08/26 20:27
>さくらんぼ

 /\
○  ○

という二つぶら下がったさくらんぼですよね?
M
2011/08/26 20:30
数学/算数の「どっちでもいい」
は、受け手が勝手に選んでいいという意味では
ないので、「どっちでもいい」ではなく
「両方とも正しい」
というべきではないかと思います。

「どっちでもいい」なんていうから
順序派が
「じゃあ順序があってもいいですよね」
と勘違いする。

「どっちでもいい」は
どちらも正しいことを両方示して
説明しないといけないので、
2倍手間がかかって、
2倍以上思い違いをさせやすい。
「どっちでもいい」と教えることのほうが
決めうちするよりも難易度が高いのは
間違いないと思います。

でも大変だからといって
勝手に選んでしまったら間違いを
教えることになります。
M
2011/08/26 21:15
> >(a個/人)×(b人)=(b個/人)×(a人)
> は交換法則とはいえません

へ〜〜〜。じゃ、言い方を変えましょうか。

2つの数aとbとを入れ替えたときに、取る値が変わらない、という法則。

とんでもないご都合主義だね。>否定派さん

【黒木周り】はやっぱりダメですね〜。
クロッキーG
2011/08/26 21:17
「2つの数aとbとを入れ替えたとき、取る値が変わらない」ような法則のことを交換法則とは呼ばないんですって。

さすが、否定派。さすが、黒木周り。
考えることが違いますね。最高です。

M
2011/08/26 20:27
>(a個/人)×(b人)=(b個/人)×(a人)
>は交換法則とはいえません。
クロッキーG
2011/08/26 21:22
こういうひとが
85万円で1株売るところを
1円で85万株売るミスを犯すんだろうな…
M
2011/08/26 21:26
うさぎの耳が8つとか
たこの足が2つとか
平気でいうのも同じ誤り。
数字だけ入れ替えるのが交換法則
だと思っている。
量と単位(助数詞)に関する
考え方が間違ってます。
M
2011/08/26 21:33
これって【順序派】のバカ主張の真似か、何かですか?

>こういうひとが
>85万円で1株売るところを
>1円で85万株売るミスを犯すんだろうな…

いいね〜
2011/08/26 21:36
(a個/人)×(b人)=(b人)×(a個/人)も、
(a個/人)×(b人)=(b個/人)×(a人)も、
どっちも交換法則ですが…

>数字だけ入れ替えるのが交換法則だと思っている。
>量と単位(助数詞)に関する考え方が間違ってます。

さすが、【黒木周り】ですね。
すっげ〜
2011/08/26 21:40
うすうす感じていたのだが
>(a個/人)×(b人)=(b個/人)×(a人)
が交換法則だと思ってるひとがやっぱりいるんですね。

日本式単位教育の弊害だろうか。
国際方式にはやく変えていかないと
日本人がますます馬鹿になる。
M
2011/08/26 21:40
もちろん

(a個/人)×(b人)=(b人)×(a個/人)も、

(a個/人)×(b人)=(b個/人)×(a人)も、

どちらとも交換法則です。
くろきげん さん、助けにきて〜♪
2011/08/26 22:12
交換法則とは、
a×b=b×a

(a個/人)×(b人)=(a×b)個
(b個/人)×(a人)=(b×a)個
よって、
(a個/人)×(b人)=(b個/人)×(a人)
も成り立ちますから、これも交換法則と言ってよいでしょう。
さもなければ、数助詞の付いた具体的計算
(a個/人)×(b人)=(b人)×(a個/人)
も交換法則とは言えなくなってしまいます。

でも、
(a個/人)×(b人)=(bメートル/秒)×(a秒)
は成り立ちません。
zorori
2011/08/26 22:31
>(a個/人)×(b人)=(bメートル/秒)×(a秒)
>は成り立ちません。
まあ、そうですね。
2011/08/26 22:47
 6を4つ足すのも、4を6個足すのも、24
ってことだから、

(b個/人)×(a人)=(b×a)個
(a個/人)×(b人)=(b人)×(a個/人)

どっちらも交換法則って事で良いのではないでしょうか?

4人に3個ずつ と 3人に4個ずつ では状況が違うというのは反順序派だって承知している。

4人に3個ずつ 蜜柑を配るのか、林檎を配るのか、でも状況は違う。 
積分定数
2011/08/26 22:56
等号が成り立たない例
>(a個/人)×(b人)=(bメートル/秒)×(a秒)

等号が成り立つが,交換法則ではない例
(a個/人)×(b人)=(b個/人)×(a人)

交換法則の例(もちろん等号が成り立つ)
(a個/人)×(b人)=(b人)×(a個/人)

と整理した方が良いのではないかと思っていますが。
メタメタ
2011/08/26 23:01
(a 個/人)×(b 人)=(b 個/人)×(a 人)
(式1)
が交換法則だとすると、
任意のa,bで成り立つ。
a,bは偶数としても特に問題ない。

ここで考えている人々は実は何組かの夫婦で、
各人りんごを持っている
ときにりんごの総数を計算するとする。

夫婦についても交換法則が成り立つなら
(A個/組)×(B組)=(B個/組)×(A組)
(式2)
が任意のA,Bについて成り立つ。
※記号を置き換えただけ

2人=1組
だから
b 人=b/2 組
a 個/人=2a 個/組
と置き換えられる。

式1の左辺
=(a 個/人)×(b 人)
=(2a 個/組)×(b/2 組)
これを式2の左辺と見比べると
A=2a,B=b/2 (式3)


式1の右辺
=(b 個/人)×(a 人)
=(2b 個/組)×(a/2 組)
これを式2の右辺と見比べると
B=2b,A=a/2 (式4)

式3と式4から
2a=a/2
2b=b/2
これは任意のa,bについては成り立たない。
(a=b=0のときだけ)

この矛盾は、式1および式2が任意のa,bについて
成り立つと仮定したからである。
つまり、式1および式2は交換法則ではない。
M
2011/08/26 23:13
遠山啓さんが「一つ当たりの量」が「いくつ分」という考えを採用したのは、分数や少数を教える時に都合がいいからで、交換法則を否定するつもりはなかったと思います。
掛け算を累加で解釈すると、分数や少数が理解が困難になるという理由から、便宜的な解釈を導入したのだと思います。
教えやすい解釈を導入したからと言って、数学の法則が否定されるわけではありません。
おおくぼ
2011/08/26 23:18
ぼくは 2011/08/26 23:01 のメタメタさんの意見には共感できません。

どちらも「交換法則」と呼んでも良いことにするか、どちらについても常に詳しい説明を付けて誤解されないように気を付ける方が良いと思います。

(a個/人)×(b人)=(b個/人)×(a人)
(a個/人)×(b人)=(b人)×(a個/人)
のどちらも(数値レベルでの)交換法則があるからこそこれらの等号を自由に用いても問題が生じないという事情になっています。
くろきげん
2011/08/27 01:45
例えば速度 × 時間 =距離の計算式で、純粋な数式には単位はありません。
時速10kmで10時間走る。走った距離は100キロ。
でも数学的には10 × 10=100で、「時速の10」と「時間の10」を区別できません。
「距離の100」も、10の10倍という意味しかありません。
等加速度運動をすると、そうなるという物理学上の法則があるからと言っても、これは数式の応用なのです。
歴史的には数学と物理学は共存共栄してきましたが、別のルールでできています。
コンピューター・ゲームの世界は数式を使っていますが、物理学的に有り得ないことも表現可能です。
電卓やソロバンは、単位を気にせず計算します。
計算結果が数学的には正しくても、現実には有り得なかったりするのです。
例えば、「猫二匹と犬三匹を掛けたら、何匹になるか?」という問題は、単位は合っていてもナンセンスです。
でも電卓やソロバンで、数字だけ計算することができます。
おおくぼ
2011/08/27 03:21
訂正

「等加速度運動をすると、」
   ↓
「等速で移動すると、」
おおくぼ
2011/08/27 03:24
くろきげん
2011/08/27 01:45
くろきさん、ありがとう♪
2011/08/27 03:34
具体例で示してみます。

上の証明にあげた例に具体的な数字を入れてみます。
「12人のひとがひとりあたり2つりんごを
持っている。りんごは全部でいくつ」

今議論している「交換法則?」は
12個/人×2人=2個/人×12人
(1)

(1)で考えている人たちが実は夫婦だったとすると
・2人=1組
・1組あたりりんごの数は1人あたりのりんごの数の2倍。
そこで、
1式の左辺=12個/人×2人
=24個/組×1組
と書き直せる。組に関する「交換法則?」は
24個/組×1組=1個/組×24組
(2)

ところが、1式の右辺
=2個/人×12人
=4個/組×6組

となり、2式の右辺と数が一致しない。
交換するはずの数字が右辺では変わってしまう。
なぜおかしなことになったかというと、
「交換法則?」1式が常に成り立つと
仮定したから、ということになります。
M
2011/08/27 07:50
24×1=4×6
は、等式としては成り立ちますが、
交換法則とは呼べません。

単位を固定して数値だけいれかえると
いう操作はそういう意味になります。
M
2011/08/27 07:55
単位を変換しても、対象自体は変化していませんから
数式は等価でなければならない。
ある種の基底変換ととらえてもかまいません。
cmで記述してもmで記述しても富士山の
高さはかわらない。
M
2011/08/27 08:06
かけ算は可換だから、

0×0=0×0:式0
1×1=1×1:式1

式0と式1を見比べて

0=1
0=1を証明しました
2011/08/27 08:07
任意の実数Aについて、
A=A:式A

Aは任意なので、A=0として、
0=0:式0

Aは任意なので、A=1として、
1=1:式1

式0と式1を比べて、
0=1

やった!大発見だ〜♪
あほだろ、こいつ
2011/08/27 08:16
はい、バカです。

M
2011/08/26 23:13
バカですね。
2011/08/27 08:17
足し算で考えたら、

A 3+4=4+3=7
B 3匹入っている水槽に4匹追加しても、4匹いるところに3匹追加しても、7匹になる。

AとBは当然関連がある。

交換法則が成り立たない2項演算の場合は以下のようになる。

2^3≠3^2
1時間に2倍に増えるバクテリアは3時間後は8倍
1時間に3倍に増えるバクテリアは2時間後に9倍
積分定数
2011/08/27 08:56
nCm=nCn-m

 10個から7個取り出す方法と、10個から3個取り出す方法は、どちらも120通り

 10個から7個取り出すというのは、「10個から7個選択する」ということで、見方を変えたら「10個から取り出さない3個を選択する」とも言える。

 10個から3個取り出す場合も同様。

 10個から7個を取り出す行為と、3個を取り出す行為はもちろん異なることは承知の上。

10C7=10C3 という式は、

■10個から7個取り出すのは、取り出さない7個を選ぶと言うことでもあるから、10C7でも、10C3でも構わない。

■10個から7個選ぶ方法は120通り
10個から3個選ぶ方法も120通り

この2つのことを意味していると思います。 
積分定数
2011/08/27 09:12
A 3+4=4+3=7
B 3匹入っている水槽に4匹追加しても、4匹いるところに3匹追加しても、7匹になる。

Bのように解釈をすると、足し算に順序が発生しますね。
はい
2011/08/27 09:44
積分定数さん、

>4人に3個ずつ と 3人に4個ずつ では状況が違うというのは反順序派だって承知している。

そもそも、交換法則などとわざわざ名づけるのは、状況が違ったり、異なる経過をたどっても結果は同じになるよ、ということを示すためですよね。そこに意味内容があるわけで。全く状況か、同じ場合しか等号で結べないとしたら、数式は3=3のような内容の無いものだけになってしまい、4×3=12も間違いってことになりそうです。なぜなら、「12」とは一人に12個を表すからとか順序派なら言いだしそうですから。もっとも、順序派なら、等号の左と右では意味が違うとも言そうだけど、それならば、(4個/人)×(3人)=(3個/人)×(4人)も可となります。
zorori
2011/08/27 09:47
「順序有り」の解釈も、「順序無し」の解釈も、両方ともできる、ってのが正解。

ただ、解釈が指定されたら、その解釈に従うべきでは…?
結論
2011/08/27 09:47
>(4個/人)×(3人)=(3個/人)×(4人)も可となります。

これは当たり前ですね〜。それがどうかしたのですか…?
え?
2011/08/27 09:50
等式「(4個/人)×(3人)=12個」が成立する。したがって、

答案:(4個/人)×(3人)=12個

が正解であれば

答案:12個=12個

も正解である。

やった!大発見だ〜♪
あほさん
2011/08/27 09:55
順序派の問題は

「順序有りの解釈」だけしか扱わない

ってことです。「順序有りの解釈」がおかしいという訳ではありません。

>ただ、解釈が指定されたら、その解釈に従うべきでは…?
ですから
2011/08/27 10:00
12個/人×2人=2個/人×12人

単位をとっぱらって並べると、
12×2=2×12
という式ですが、単位を変えると
24×1=4×6
となってしまい、もはや交換法則には
見えなくなります。
理由は、もともと交換法則ではなかったからです。
単位まで含めて交換しないと間違いです。
M
2011/08/27 10:29
(100cm)×(2m)=(2m)×(100cm)

「左辺の単位」を「右辺の単位」に合うよう変えると、
(1m)×(200cm)=(2m)×(100cm)
単位をとっぱらって並べると、
1×200=2×100
となってしまい、もはや交換法則には見えなくなります。
理由は、もともと交換法則ではなかったからです。
単位まで含めて【交換する】と間違いです。
すごいです。菊池誠先生みたいです
2011/08/27 14:29
魚拓より
http://megalodon.jp/2011-0826-2344-05/www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1256972977

730. 正信 ― August 26, 2011 @17:41:28
みるとんさん

全く逆です。

放射能汚染を避けるために、原発事故現場には近づかない、などの人為的な努力は可能です。だからと言って、原発事故現場で復旧作業に当たった人の「入国を規制」することは差別に当たります。それは、

放射能汚染は感染症のような伝染性のものではない

からです。関係のないことで扱いを変えることが差別です。

努力で変えることができることでも、関係ないことで扱いを変えれば差別であり、努力で変えられないことでも、それが関係があることなら(例えば血液型は輸血については関係があります。)、差別ではありません。
ついでに、菊池先生の正体をばらしときます...
2011/08/27 14:51
魚拓より
http://megalodon.jp/2011-0826-2344-05/www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1256972977

732. 正信 ― August 26, 2011 @22:25:27
補足します。

男性は痴漢の被害に合う可能性がない訳でもありませんし、女性は痴漢の被害に必ず合う訳でもありません。
しかし、男性に比べ、女性のほうが痴漢に遭遇する可能性が高いということは統計的事実です。
この統計的事実から、女性専用車両があって、男性専用車両がないことは差別に当たりません。
ついでに、菊池先生の正体をばらしときます...
2011/08/27 14:53
交換法則の証明では、「単位」は問題になりません。
「単位」は数式を応用する時に、くっつけているだけです。
数式を「現実」に応用するために、「単位」は重要ですが、それは数学の法則と無関係です。

A + B と B + A は数学的には同じなわけです。

この式に、「時間の前後」や「空間の左右」と意味を見出して、順序をつけるのは構わないけど、そうすると数学とは別モノなってしまいます。

「小学校の算数のルール」と「数学のルール」が違う場合、「どちらの味方をするか?」という論争なわけです。
おおくぼ
2011/08/27 21:11
ま、都合の悪いコメント(を書く奴?)は排除したいってのは当然のことなんですけどね。
菊池誠先生の正体
2011/08/27 22:39
例えば、足し算しか習っていない子が

3を4個足した値=4を3個足した値 3と4だけでなく自然数全部で成り立つことを発見したら

それは実質的に積が可換であることを発見したことになると思います。

このことからも、4人に3個ずつ と 3人に4個ずつが、同じ数になるというのは、交換法則と言うべきだと思います。
積分定数
2011/08/28 06:32
数 a, b と単位 u, v に対する

(1) au×bv = bu×av,
(2) au×bv = bv×au

のどちらもある種の交換法則(可換性)です。

(1)は実質的に数 a, b の積の交換法則で、(2)は量 au, bv の積の交換法則です。

数 a, b の積 ab と単位 u, v の積 uv が定義されているとき、量 au, bv の積は au×bv = (ab)(uv) で定義されます。この定義のもとで(1)は数の積の交換法則と同値であり, (2)は数の積の交換法則と単位の積の交換法則から導かれます。

(1)は量 au, bv の積の交換法則ではないのですが、数 a, b の交換法則と同値なので、(1)は交換法則ではないと言い張るのはおかしいです。

でも、まあ、しかし、以上のようなことを理解していれば、(1),(2)をどのように呼ぶかは単なる呼び方の問題に過ぎず、本質的な問題ではないと思います。
くろきげん
2011/08/28 07:18
「どう呼ぶか」(これを交換法則と呼ぶかどうか)と「どのように考えるか」(これについてどのように考えたか)では圧倒的に後者の方が本質的な問題です。

「立式が正しいか」と「考え方が正しいか」でも後者の方が圧倒的に本質的な問題であり、前者にこだわりすぎるのはまずい。

実際には正しい考え方をしていても立式が教師の意図したものとは違うという理由で誤りに(もしくは否定的なニュアンスで特別扱いに)されてしまう教え方は柔軟な思考を制限してしまうことになり、算数教育では有害であろう、というのがぼくの基本的な問題意識です。

そういう教え方に忠実にしたがった子どもは複雑な文章題や見たことがない問題への対応力が無くなってしまうと思います。

言葉、式、図、グラフ、などなどの使い方を勉強しつつ、それらにしばられることなく自由にかつ柔軟に考えることについては次の本の説明が面白いです。

J. アダマール、『数学における発明の心理』、みすず書房

特に91-96頁で説明されているアダマール自身の思考法と107-108頁で報告されている印璽視覚型思考の違いに注目。アダマールの説明は読むたびにいちいち納得させられることが多いです。
くろきげん
2011/08/28 07:19
訂正:「印璽視覚型」→「印字視覚型」

ツイッターで足し算でも順序が逆だと誤りだと本気で信じている(今は「信じていた」かも)人に出会ってしまいました。しかも複数。

http://bit.ly/p9vNS8
http://bit.ly/pzKBkP
http://bit.ly/rqEGbx
http://bit.ly/oeZyE3

あまりのことで本当にびっくりしてしまいました。
くろきげん
2011/08/28 07:30
>そういう教え方に忠実にしたがった子どもは複雑な文章題や見たことがない問題への対応力が無くなってしまうと思います。

これは中高生に教えていてつくづく感じます。別の所にも書いたけど、分数の足し算は難なく出来る子が、
1/a+1/bを見て手が止まってしまったことがある。「通分は最小公倍数でなくてはならない」というのに縛られてしまっていて、「文字だと最小公倍数が分からないので通分できない」とのこと。

1/2+1/10=5/10+1/10=6/10=3/5

1/2+1/10=10/20+2/20=12/20=3/5

後者に対して「最小公倍数で通分しなさい」と注意する教師がいるかもしれない。

実は後者の方が、「通分なんて、とにかく両方の分母を等しくすればいいんだから何でもいい。」と理解していて「とにかくどんな場合でも両方の分母を掛ければ何とかなる」としているとしたら、「最小公倍数でなくてはならない。そうしないと誤り」と思い込んでいる子よりも正しく理解していると言える。

 「通分は最小公倍数という指導をするな」、ということではない。そのような指導には、その方が計算が楽であるという合理性がある。

 しかし、教師の指導通りの答案を書いて正解しても、それが本当に理解しているかどうかは分からない。

 かけ算の順序に関しては、そもそも合理性がない。
積分定数
2011/08/28 07:43
テストの採点では、(テストの後で考え方を聞いて採点するというのでもない限り)「答案に書かれたことだけ」で判定しなければならい。
だからさ。
2011/08/28 09:32
>くろきげん さん 2011/08/28 07:18

>数 a, b と単位 u, v に対する
(1) au×bv = bu×av,
(2) au×bv = bv×au
のどちらもある種の交換法則(可換性)です。

(1)は実質的に数 a, b の積の交換法則で、(2)は量 au, bv の積の交換法則です。<

 銀林浩さんは,(2)のような書き方があることを認めつつ,(1)では,両辺の式が表す意味が違うから,量のかけ算では交換法則が成り立たない(数のかけ算では交換法則が成り立つ)と主張したわけです。
 それに対して,私を含む多くの人(数教協の幹部にもいるようです)が,(2)が成り立つのだから,量のかけ算についても交換法則が成り立つと主張しているのだと思います。

 (2)だけでなく,(1)も「量のかけ算の交換法則」と呼ぶかは,私も呼び方の問題だと思いますが,両辺の式が表す意味(事態)が違う以上,意味(事態)も考える「量」の立場からは,(1)は「量」のかけ算の交換法則と呼ばない方が良いと,私は思っています。
メタメタ
2011/08/28 11:28
>ツイッターで足し算でも順序が逆だと誤りだと本気で信じている

「自分がそう教わったから」「自分の周りが・・・」というなら、

「俺はかけ算の順序も足し算の順序もとやかく言われたことはない。俺の周りの奴はみんな、順序なんかどうでもいいと言っている」ってのも有りですよね。

「今日は飲み会がある。私を含めて3人が一緒に会場に行くと、既に4人が到着していた。全部で何人でしょうか?」

足し算の順序派にとっては、

全体を俯瞰して、4人いるところに3人加わったから4+3
「私」に視点を置いて、3+4

どっちが正しいのだろうか?
積分定数
2011/08/28 12:53
 銀林浩の「量のかけ算は可換ではない」は意味不明というか、どういう状況なら「可換」と認めるのだろうか?

 例えば、あらゆる正方行列について、AB=BAが成り立つなら可換だけど、実際には2次以上の正方行列では、AB≠BAとなる行列が存在するから可換ではない。

というのは分かる。

量では? 速さ×時間 でも 時間×速さ でも距離が出るし、(m/s)×(s)=(s)×(m/s)=m
である。

可換でない事例を出さずに、「(s)×(m/s)とは書かない」

というなら、それは「成り立たない」という法則の話ではなく、「書かない」という決め事の話である。

 そんな誰が作ったか知らない勝手なルールに拘束される謂われはない。
積分定数
2011/08/28 13:02
(1) au×bv = bu×av,
「a、bについての交換法則」

(2) au×bv = bv×au
「au、bvについての交換法則」

以上
当然
2011/08/28 13:10
呼び方にずれがあったようですので、
くろきげんさんの定義に従って

>(a個/人)×(b人)=(b個/人)×(a人)
は量のかけ算の交換法則とはいえません。

と直しておきましょう。
量について考えている場合には
量のかけ算の交換法則を用いないと
式の意味が維持できなくなります。

量のかけ算の交換法則でない
(1) au×bv = bu×av
の場合に単位を変換すると
おかしくなるのは前に述べたとおりです。
M
2011/08/28 14:17
メタメタさん、

>(2)だけでなく,(1)も「量のかけ算の交換法則」と呼ぶかは,私も呼び方の問題だと思いますが,両辺の式が表す意味(事態)が違う以上,意味(事態)も考える「量」の立場からは,(1)は「量」のかけ算の交換法則と呼ばない方が良いと,私は思っています。

くろきげんさんは、

>(1)は実質的に数 a, b の積の交換法則で、(2)は量 au, bv の積の交換法則です。

と言っています。

ところで、積分定数さんも仰っていますが、4個が3つ分でも3個が4つ分でも同じ12個になるということに気付くことがが積の交換法則の発見であり、それは(1)です。それに対して(2)は式の表記法に過ぎません。

(1)(3個/人)×(4人)=(4個/人)×(3人)
(2)(3個/人)×(4人)=(4人)×(3個/人)

(2)の式の左辺と右辺には状況の違いは有りません。同じ状況のことを二通りに表現できるというだけのことです。そして、順序派は(2)の右辺の表記は認めませんが、交換法則は否定していないわけで、それは(1)です。

つまり、順序派は量の交換法則を認めていないわけですが、量の交換ということは式の上のことだけで、交換すれば結果が異なると主張しているわけではないのですね。それ以前に量を交換するとは式の表現以上のどんな意味があるのかも不明ですね。
zorori
2011/08/28 14:30
くろきげんさんのコメントが難しすぎてわからない。
「量」とか「単位」という用語を使っているけど、どういう意味で使っているのだろうか?

メタメタさんの「数のかけ算」と「量のかけ算」が違うというのは、どこに違いがあるのだろう?

集合論の「基数」と「順序数」の違いだろうか?
それとも「可換」と「非換」の違いだろうか?

遠山啓さんが「量の数学」という場合は、「数え主義ではない数学」のことなのだけど。
例えば、1000+1=1001を計算する時に、数学帰納法のように一つづつ数えるのではなく、「1000」という塊と「1」という塊を足すと考えれば、簡単で早く正確に計算できる(人間の場合は)。

またリンゴ3個+ミカン2個という計算が、3+2という抽象化された塊同士に変換されるので(例えばタイル)、順番を変えて計算しても状況は変化しない。
おおくぼ
2011/08/28 14:57
瀬山氏曰く、
http://homepage2.nifty.com/seyama/zatu.html
>追記の追記:6個/人×4人=24個 4個/人×6人=24個 でどちらも同じ個数のミカンになることは大切ですが、これと6×4=4×6とは少しレベルが違うと思います。2011/8/10

じゃあ、6×4=4×6は、何を意味するの?

6個/人×4人=4人×6個/人 の事?銀林氏の見解と矛盾しないのかな?

あるいは、

6個/人×4人=4個/(個/人)×6個/人

(1人あたり1個)あたり4個 で、一人あたり6個だから・・・

でもそれに対して、瀬山氏は

>本書で著者が目からうろこと言っている(43頁)考え方は、少なくとも教育の現場には馴染まないと思う。これは6×4を正当化するために後からとってつけたものだ。

なんだか自縄自縛に陥っているようにも見えるのですが。
積分定数
2011/08/28 22:38
銀林浩さんの・・・

> 4 × 3 = 3 × 4
>しかし、このような
>  内包量 × 外延量
>型の乗法には明らかに交換法則は成り立たない。
>ここでも、量と数とは違うのである。
『文化としての算数・数学教育』(明治図書)

内包量と外延量という概念を算数に持ち込んだのは遠山啓さんだけど、なんか無茶苦茶としか思えない。
おおくぼ
2011/08/29 02:02
例えば平均は内包量らしいけど、点数そのものは多分外延量だろう。そうすると、「平均点は50点、自分は60点。だから、平均点よりも10点上回る」というのは、

60点(外延量)−50点(内包量)=10点(?量)

ということになるが、外延量と内包量は加減が出来るのだろうか?
積分定数
2011/08/29 07:43
 高さが等しい2つの長方形をくっつけても、高さは変わらないから、高さは内包量、

と冗談を書いたが、線密度と長さと質量の関係は、高さと横の長さと面積の関係に似ているし私自身そう理解していた。

面密度・質量と柱の体積のアナロジーはもっと明確だった。f(x,y)dxdyの面積分は、f(x,y)を高さと捉えて体積を求める・面密度と捉えて質量を求める、の両方のイメージがあった。「両方のイメージ」というのも正確ではなくて、同じ物という認識だった。
積分定数
2011/08/29 08:01
 速さを習っていない段階でも、2時間で30q進む場合、4時間で何q進む?1時間では何q進む?という問題は解くことが可能である。

 1時間の場合だけ、「内包量」として特別扱いする意味があるのだろうか?

 あるいは、「1時間で進む距離」は外延量で、「1時間あたりに進む距離」は内包量なんだろうか?

 内包量や外延量などという概念を導入することで、どのようなメリットがあるのかサッパリ分からない。
積分定数
2011/08/29 08:07
 遠山啓の文章を見ると、彼が言いたいことの核心は、巷間というかネット上で書かれている、内包量は足し算できないとかそういう部分ではないように思う。

 子どもたちは、速さの定義は知らなくても、新幹線は人よりも速いということは知っている。同じ量の塩を鍋一杯とコップ一杯の水に入れた場合、後者の方がしょっぱいことは知っている。割合の定義は知らなくても、「半分」「全部」という概念は知っている。

 そういう感覚を、生かしながら延ばしていき、速度や濃度や割合の概念を獲得させる必要がある

 ということを言いたいのだと私は読みとった。
積分定数
2011/08/29 08:16
 個数という概念はかなり早い段階に獲得できるらしい。どこかの大学の英語の入試問題で、幼児を対象にした実験が紹介されていた。人形が一旦隠れて別の人形が出てきても驚かないが、数が変わると不思議がるという。

 連続量の場合、個数ほど容易ではないだろうが、「あっちよりこっちが長い」という感覚を、「あっちは13p、こっちは20p、だからこっちが7p長い」という具合に数量化するのはまあ何とかなるだろう。
積分定数
2011/08/29 08:23
 個数は自然に獲得するし、連続量も基準となる単位量を設定して、そのいくつ分かということで数量化できるだろう。何を単位量とするかは恣意的・人為的だが、一旦決めてしまえば、それほど理解は困難ではないだろう。

 速さや濃度の数量化は、工夫が必要である。

「A:3時間で15q と B:4時間で16q どちらが速いか?」

速さの定義は知らなくても、大小関係の比較は出来るから、「同じ時間での移動距離を比較する」「同じ距離を移動するのに要する時間で比較する」という具合に比較することになるだろう。

「12時間では、Aは60q  Bは48q だからAが速い」
「120q移動するのに要する時間は Aは24時間 Bは30時間 だからAが速い」

というような具合。色々なものについて比較する場合に逐一距離か時間を同じにして比較するのは大変。最初から単位時間あたりの距離か単位長さあたりの時間を求めておいて比較すればいい。ということで、単位時間あたりの距離を速さの指標として採用する。

 食塩の濃度も同様。といっても、「あっちよりこっちがしょっぱい」という感覚と数値の大小が一致していればいいのだから、

食塩の質量/食塩水の質量、
食塩の質量/水の質量
食塩水の質量/水の質量

(あるいはこれらの逆数、その場合数値が小さいほどしょっぱい。)

などいくつも考えられる。

いずれにしても、
■速さの指標として、距離/時間
■濃度の指標として、(食塩の質量/食塩錐の質量)の百分率表示

などが、最初から必然性を持っているわけではなく、いくつか候補がある中で、これらが選ばれているということ。
積分定数
2011/08/29 08:55
 速さが分からない子は、「与えられて数値を掛けるか割るかして何か出すはずだ」と思って、それが混乱してしまっている場合が多い。解ける子も、理屈抜きで「みはじ」に当てはめている場合がほとんど。

 「速さ」という言葉を使わないで、「みはじなんか忘れて、速さを習う前の状態に戻ったとしてみて」と前置きして、「3時間で18q進む。1時間ではどれだけ進むか?」と質問するとわりとすんなり答えられる場合が多い。

 「速さ」とか「割合」とかになると、なんだか「スイッチ」が入ってしまった、「みはじ」だの「みそじ」だの「はじき」だの、「くもわ」だのが頭を駆けめぐることになる。

「15分で30q進む。時速は?」
を30÷15=2 にしてみたり、出来る子でも15分=15/60時間にして、30÷15/60とする。

「みはじ」も時速も知らない子に、「15分で30q進む。1時間で何q進む?」と問えば、60分だから4倍すればいいと気づく場合が多い。
積分定数
2011/08/29 09:06
 速さとか濃度は、単位量があってその何倍であるかが比較的明瞭である長さなどとは異なるので、

 教える際は、唐突に「速さは距離÷時間です」などと導入しないで、これまでの理解の延長として導入すべき。

 「量には足し算できる量と出来ない量の2種類があるので、そのどちらであるのかに注意しましょう」などと子供に注意させるようなことではなくて、

 教える側が性急に公式を導入しないように注意しよう

ということを遠山啓は言いたかったのではないかと思うのだが、どうなんだろうか?
積分定数
2011/08/29 09:11
 私は内包量・外延量という概念事態が曖昧で余り意味はないと思っているが、敢えて言えば

外延量とは、基準量が設定されていて、その何倍であるかによって数量化が出来るもの。

内包量は、素朴な感覚として持っている大小関係に対応させた指数(累乗の意味の指数ではない)

というように理解している。

水より密度が低い物体は浮いて、密度が高い物体は沈む。このことで、水の密度と物体の密度の大小関係は比較できる。

定量化するには、例えば、1p^3あたりの質量 を採用すればいい。1gあたりの体積でも構わない。この場合、密度が高いと数値が小さくなる。

密度の大小と対応していればいいのだから、
(1p^3あたりの質量)の2乗でももちろん構わない。

いずれにしても、数値化するための定義以前に、密度の大小関係はある。


「足し算できるのが外延量で、出来ないのが内包量」などというのは、余りにも薄っぺらな主張に思える。
積分定数
2011/08/29 09:32
銀林浩:著『量の世界』(むぎ書房:1975年)から引用します。

>このように、2つの外延量の商として数値化(評価)される量を、内包量(intensive quantity)といい、分母にくる外延量xをその基底外延量、略して土台量とよぶ。
>この内包量を構成する2つの外延量の単位同士を割ったものが、その内包量の単位である。
101頁

>外延量は加法性を備えているために、数演算としては加減に結びつくのに対して、内包量は除法によって数値化されるために乗除の方に結びつく。
>すなわち、
>      外延量 加減
>      内包量 乗除
>という対立が形成されることに注意する必要がある。
102頁
おおくぼ
2011/08/29 12:29
う〜ん、単純な話をややこしくしているだけな気がする。

「内包量は足し算できない」っていうのは、こういうことだね。

3%食塩水200gと6%食塩水100gを混ぜると何%か?

最初の3%は基準量が200gで、その3/100ということ。同じ%と表記されていても基準量が違うのでそのままでは足せない。

3mと2尺を足したら何ヤード?

を3+2と単純に足せないようなもの。
積分定数
2011/08/29 12:51
割合は内包量、5割と0.5mでは、5や0.5の意味が根本的に異なる

などという主張も浅はか。

基準量に対して10分のいくつかを示したのが割合。100分のいくつかなら%

これらは基準量がその場その場で設定されている。

0.5mは、mという基準量の5/10ということ。

両者の違いは、基準量がその場その場で設定されているか、慣習や法規で固定されているか、の違いに過ぎない。
積分定数
2011/08/29 12:56
>高さが等しい2つの長方形をくっつけても、高さは変わらないから、高さは内包量、
>と冗談を書いたが、線密度と長さと質量の関係は、高さと横の長さと面積の関係に似ているし私自身そう理解していた。

同じようなことが銀林浩さんの本に書いてあります。
おおくぼ
2011/08/29 20:30
銀林浩さんの本は、類書がないぐらいに飛び抜けている。
森毅さんのトンデモ発言は、全部銀林浩さんの受け売り。
おおくぼ
2011/08/29 21:13
また『量の世界』から引用します。
103頁

内包量 m=y/x において、2つの外延量 x,y が 分離量か連続量かで、4つの組合せが考えられる。

1) x,y: 分離量(例:うさぎ1匹当たり耳2本・・・2本/匹、1家庭当たり子ども2.2人・・・・・2.2人/家族)

2) x:分離量、y:連続量(例、子ども1人当たりの学校の敷地面積・・・2u/人)

3) x:連続量、y:分離量(例:宇宙での水素原子の水素原子の密度・・・2個/cm3)

4)  x,y:連続量  本来の内包量
おおくぼ
2011/08/29 23:29
「内包量と外延量」で、経済学の「名目と実質」という考え方を連想しました。
これは国家レベルの経済を理解するのに必要な考えです。
実質とか名目の計算だから言って、「計算の順序」が固定されるわけではありません(笑)。

http://gendai.ismedia.jp/articles/print/255

http://voiceplus-php.jp/archive/detail.jsp?id=42&nif=false&pageStart=0

経団連の会長が野田新首相(予定)を絶賛するなんて、算数がわかってないとしか思えない。
おおくぼ
2011/08/30 00:23
おおくぼさん曰く 2011/08/28 14:57
>くろきげんさんのコメントが難しすぎてわからない。
>「量」とか「単位」という用語を使っているけど、
>どういう意味で使っているのだろうか?

2011/08/28 07:18 はMさんの 2011/08/21 21:37 のSI単位系の量の定義にしたがって「量=数と単位の積」と定義しています。本当はさらに忠実に「量の値=数字と単位の積」と定義しようかと思ったのですが面倒なので止めました。

2011/08/28 07:18 の立場では

(1) au×bv = bu×av,
(2) au×bv = bv×au

の導出の仕方の違いは単位の積の可換性 uv=vu を使うか否かに過ぎません。単位の積の可換性を前提とすれば (1), (2) と数の積の可換性 ab=ba はすべて同値になります。このように「量=数と単位の積」という立場では数の積の可換性と量の積の可換性を区別することに大して意味はなくなります。

ぼくはこの手のことにこだわっても大してメリットはないと思います。

2011/08/28 07:19 でアダマールの本を紹介しましたが、その本に書いてあることは自分を文系だと分類しがちな人が算数教育について語る場合には必須の知識が書いてあると思います。ときどき「言語無しでの思考は明晰さを欠く云々」のような個人的には反数学的な考え方が紹介されている場合があります。アダマールの本を読めばどうしてそういう考え方が反数学的であるかがわかります。言語的習慣を算数の世界に持ち込むと何が失われるかについて考える上でも有益だと思います。
くろきげん
2011/08/30 01:40
くろきげんさん

>(1) au×bv = bu×av,
>(2) au×bv = bv×au

>の導出の仕方の違いは単位の積の可換性 uv=vu を使うか否かに過ぎません。

了解いたしました。
(1)ですが、単位の積の可換性のほかに数値と単位の可換性 au=ua も前提としているという理解です。

「量=数と単位の積、かつ、量は(したがって単位が)通常の代数演算可能である」という定義はあまり支持されているとはいえませんが、かけ算の議論のような場面で量と単位と数値が混在(混乱)してしまっているときに整理して主張を理解するには有効だと思っています。ただ、理解した内容をそのまま開陳してもまったく通じませんけれども。

量と数を明確に分けることが教育的に好ましいかどうかは議論があると思います。ある段階では数だけで説明するほうがいいのかもしれません。いきなり単位もどきの「1あたり数」を導入するのは難易度が高いと思っています。教えるほうの理解が不十分ではないかということも疑っています。
M
2011/08/30 20:00
おおくぼさん

内包量と外延量については、定義があいまいで、人によって言うことが違っているようです。独自に解釈してみると、内包量はある量に固有の性質ということではなくて「内包量は外延量どうしの関係から相対的に定義される」と理解していたのですが、総元締めの銀林さんが
>このように、2つの外延量の商として数値化(評価)される量を、内包量(intensive quantity)といい、分母にくる外延量xをその基底外延量、略して土台量とよぶ。
と定義していたのはちょっと笑ってしまった。やっぱり相対的な定義になるんですね。
M
2011/08/30 20:11
メタメタさん

銀林さんはかけ算の交換法則が成り立たないと言っている、と聞いてトンデモだと思っていたのですが、
>銀林浩さんは,(2)のような書き方があることを認めつつ,(1)では,両辺の式が表す意味が違うから,量のかけ算では交換法則が成り立たない(数のかけ算では交換法則が成り立つ)と主張したわけです。
を読んで、銀林さんの気持ちはちょっとわかったような気がします。かけ算の式を交換するときに、数だけ動かして単位は固定したままで交換して、これはまずい、と思ったんでしょうね。「単位を固定して数の交換をおこなうと量で考えるときには意味がなくなる」と言えばよかったところを「数は交換するが量では交換しない」と言ってしまったのかな。このへんがかけ算の順序固定の由来なんでしょうか…
M
2011/08/30 20:22
積分定数さん

>外延量とは、基準量が設定されていて、その何倍であるかによって数量化が出来るもの。

これは「量」の定義そのものだと思います。
内包量も含めたすべての量について上の定義になると思います。内包量が足し算できないというのは嘘っぱちです。
M
2011/08/30 20:31
>内包量も含めたすべての量について上の定義になると思います。

敢えて例外を挙げれば、マグニチュードやphだけど、量を対数表示しているわけで、量とは違うようにも思う。
積分定数
2011/08/30 21:08
震度とかモース硬度はさすがに足し算できないですね。
電話番号も。
M
2011/08/30 21:49
 震度,モース硬度については,銀林浩さんが,『量の世界 構造主義的分析』(1975年)26頁で,「加法ができないという意味で非加法的量などとよぶことができよう」と,すでに指摘されています。
 銀林さんを軽く見ることには反対です。
メタメタ
2011/08/30 22:09
>(1)ですが、単位の積の可換性のほかに数値と単位の可換性 au=ua も前提としているという理解です。

数と単位の結合は記号*を使うことにし、a*u という表記しか認めず、可換性は無いとします。
また、単位付き計算は次のようになります。
a*u×b*v=a×b*u*v

以上より、

b*u×a*v=b×a*u*v=a×b*u*v

よって、
a*u×b*v=b*u×a*v

同様に

bv×au=b×a*v*u=a×b*u*v

数値と単位の可換性 au=ua は無くても、(1)も(2)も導けます。
世界中どこでも、au(3個)という表記はあっても、ua(個3)という変な表記ルールは有りません。
有ることにしても数学的には構いませんが。

なお、順序派は、uを一つ分を表す単位、vをいくつ分を表す単位だとすると、数学的には導ける、b*u×a*vという表記は認めないという表記ルールがあると主張しているわけですが、そんな表記ルールもありません。
zorori
2011/08/30 22:11
>銀林さんを軽く見ることには反対です。

私が銀林浩さんの本を引用する理由は、多くの人に銀林浩さんの本を読んでもらいたいからです。
もちろん、銀林浩さんの主張は納得できないことばかりですけど。
おおくぼ
2011/08/30 22:56
私にはゲーデルの不完全定理は、難しすぎて理解できないのですが、今年、『ゲーデルの定理――利用と誤用の不完全ガイド』(みすず書房)という本が訳されました。
ここに出てくる誤用の例が、銀林浩さんの主張を連想してしまうのです。
あと10年前に話題になった『「知」の欺瞞―ポストモダン思想における科学の濫用』(岩波書店)に出てくる現代思想の人達の主張とか・・・。
『知の欺瞞』は、くろきげんさんの掲示板で話題になっていたと記憶しています。
『知の欺瞞』は、未読の方にはオススメです。
おおくぼ
2011/08/31 00:26
すでに指摘されている話ですが。

>(1)ですが、単位の積の可換性のほかに数値と単位の可換性 au=ua も前提としているという理解です。

2011/08/28 07:18 では量 au, bv の積を au×bv = (ab)(uv) で定義しているので、(1) au×bv = bv×au は (ab)(uv)=(ba)(uv) と書き換えられ、(1)は ab=ba だけから出ます。au=ua は必要ないのだ。

もちろん違う流儀を採用して au=ua を使うようにしても構いませんが。

ぼくは銀林さんの本は(特に教師および教師の卵に)読んでもらいたくないと思っています。あれで勉強すると勉強したせいで変な考え方を見に付けてしまいそう。

内包量・外延量についても同様で、その言葉を学ぼうとすると余計なおまけが付いて来てしまうので、かえって有害なような気がします。

しかし、積分定数さんの 2011/08/29 09:32 は納得できるので、その考え方を手あかのついた内包量・外延量という言葉を使わずに直接学んでおくのは良いことだと思いました。
くろきげん
2011/08/31 07:53
銀林浩だけでなく、遠山啓の本も、他の算数教育の指南書も、教師や教師志望の人が読むのはどうかと思う。

そういうのを読む前に、算数・数学そのものを勉強すべ きだと思う。算数・数学は他の科目と異なり、法則や公式を自分自身で発見したり納得できたりするわけで、和や積が可換であることは、誰かえらい人が決めたわけではなく、常にそうなる。

 そうやって、積が可換であることを納得し、20個の蜜柑を4人で分けたら5個ずつ、4個ずつ分けたら5人分、というのも

 前者は、1個ずつ分けたら4個 さらに1個ずつ分けたら8個、と考えたら、20の中に4がいくつあるのか、と捉えることが出来て、後者と同じ構造をしていると分かる。

 こういう具合に、算数・数学それ自体をしっかり理解した上で指南書を読めば、等分除・包含除という言葉が出てきても免疫が出来ていて、「便宜的に分類しているに過ぎなくて本質的には同じ事だ」と分かるのだけれど、免疫がないと「等分除と包含除の異なる意味がある」と思い込んでしまいかねない。

 瀬戸智子さんは、その典型。
http://ts.way-nifty.com/makura/2009/07/post-4df6.html
>たし算の意味は小学校では「合併、添加、増加」の3つです。
>引き算はたし算の逆思考で、合併には求補。添加には求残。増加には求差と対応しますが
>かけ算の意味は3つあります。
>割り算の意味は、「等分除、包含除、倍」の3つでかけ算の逆思考です。

「『それらの分類は教える上での便宜的分類で、本質的にはそのような分類はない』と考えているのか、それとも『本当にそのような分類が本質的にある』と思っているのか?」と何度も質問したのですが、話がかみ合いませんでした。
積分定数
2011/08/31 13:24
 私自身、遠山啓の本を読んで勉強になった部分も多々あります。7人いて4人帰ったら何人残っているのか、と、男子7人、女子4人、どちらが何人多いか?が、児童の目線からは異なる問題だというのは、考えも及びませんでした。ところがこれを、「異なる引き算である」と認識してしまう人がいる。求残・求差、などと名前を付けるから余計にそうなってしまう。

 「クジラ」「イルカ」、と名前を付けることで、2つの分類があるように思えるが、単に小型のクジラ類をイルカといっているだけ。イルカと呼ぶには大きすぎるがクジラと呼ぶには小さすぎる場合に、どちらなのかと悩む必要はない。

 四則演算の「複数の意味」もそうだし、量分数・割合分数などもそうだが、どうも算数教育の指南書は、「分類が便宜的なもので本質的には、抽象化してしまえば、それらの区別はなくなる」というはっきり書いていないのが多くて不安になる。
積分定数
2011/08/31 13:39
 「かけ算は累加ではない」などという主張も、遠山啓や銀林浩の本を教条的に読んでしまった結果だと思う。

 教える際に、累加として導入すべきか、1つあたりがいくつ分という具合にやった方が良いのか、というレベルの話が歪曲されてしまっている。

 遠山啓自身、考えを述べた後に、議論が巻き起こることを期待するというようなことを書いてあったりするわけで、自分自身の意見を教条的に信じ込んで欲しいわけではなく、むしろ議論の俎上に上ることは歓迎しているようにも思えるのだが、

 水道方式の影響を受けたと思われる人の文章を読むと、受け売りをそのまま書いてあるように思えてしまうことが多い。
積分定数
2011/08/31 13:48
 遠山啓を読んで勉強になった面ももちろん多々ある。
私自身が数学を教える上で勉強になったのは、新しい概念を唐突に出すべきでなく、既知の概念の中にその萌芽を見つけるように努力するべきだと言うこと。

 行列も唐突に出すのではなく、比例定数の拡張として導入するようにしているが、比例ほど日常での事例がすくなくて、人為的唐突な導入になってしまっているので改善の余地がある。

 多くの児童が躓く割合も、「半分とか全部、とかをもう少し詳しく言い表したい。半分の半分だとか逐一やるのも大変だから、・・・」という具合に導入すれば、計算そのものの前に、「4割というのは半分より少し少ないぐらい」という感覚が身につくと思う。

 こういうことで言えば、かけ算はむしろ累加で導入した方が、「分からなくなったらなじみ深い足し算に戻ればいい」と児童が安心できるわけで、「これまで習った計算とは全く違うから油断するな」と脅すよりもいいように思う。

 割り算も累減・包含除が先の方がいいように思う。20個の蜜柑を5人で分ける、というのも、全体の20を見渡してそれを5等分しなくては、と考えるのは難しいように思う。累減・包含除の考えがしっかり出来ていれば、カード式と同様で1個ずつ渡し、2個目を渡して、という具合にして累減で求められる。
積分定数
2011/08/31 14:02
私はプログラミングは全くしないのですが、何も知らないコンピューターに、「1+2=3」を教えるのは難しいんだな〜とプログラミングの本を読んで思ったことがあります。
ツェルメロの「自然数の定義」とファン・ノイマンの「自然数の定義」が違っていて、計算結果も変わってしまうというのを知った時は驚きました。

私が遠山啓さんを凄いと思ったのはそんなに昔のことではなく、小島寛之さんの本を読んでからです。

『無限を読み解く数学入門』(角川ソフィア文庫)
188頁〜

『数学でつまずくのはなぜか』(講談社現代新書)
156頁〜

おおくぼ
2011/08/31 17:32
 数と量については、通常、次のように考えます。
 数が数学という一つの世界の概念であるのに対し、量の場合には、それがどこの世界での数の実現であるかという「属性」を持っています。これを物理学では「次元」(dimension)とよびます。
 量には必ず基底量(“0”に対応する量)と単位量(“1”に対応する量)があります。もしその量に「加法性がある」(下記の外延量)ならば、逆にこれらを決めることによって、対応する「数」は当該量と基底状態との差と、単位量との比として一意的に決まります。「位置」「時刻」などがそれに当たります。相対的な関係(差)だけが問題である場合には、前者も不要です。上の例を相対化すれば「長さ」「時間」がこれに当たります。後者および「面積」「体積」「重さ」などは「何もない状態」という(自然な)基底状態があり。こうした加法的な量は「外延量」とよばれているのです。これに対し「濃度」はそのまま加えることができず(10%の食塩水と20%の食塩水とを加えて30%にはならない)、二つの外延量(食塩水で言えば、食塩の質量と溶液の質量)の比として定義されます。このような量を「内包量」という。多くの量は幾つかの基本的な外延量を掛けたり割ったりした形で定義されています。
釈迦に説法
2011/09/03 17:49
 乗法・除法は、代数系としては同じ可換群であっても、量として考えるとき加法と乗法は全く違います。加減法が同じ次元内での演算であるのに対し、乗法・除法は違う次元の量を掛けたり割ったりして、また新たな次元の量を作ります(長さ×長さ=面積、道のり(長さ)÷時間=速度)。つまり乗法や除法はそれを繰り返すことでどんどん新たな世界を創っていくのです。一方、同じ次元の量の比(ratio)をとることで無次元の量(スカラー)が得られ、逆に2 倍、3 倍というように無次元の量をかけて(スカラー倍)同じ次元の量を作ることもできます。
 逆に、「数」は単位量との比を取っているから常に「無次元」であり、したがって掛け算をしても「同じ世界」に止まっています。この区別ができて(デカルトによる)初めて文字式の四則演算が可能になった。
釈迦に説法
2011/09/03 17:50
 数学は数や記号を「言葉」として用い,数式の形で「文」として表現します。また数学的概念を用いて「命題」という通常言語での文を書きます。「証明」はそれらの数学的文が連なった「文章」です。
 数学を学ぶことは,この言語としての数学を身に付けることでもあります。数学的能力の重要な部分はまさに言語的能力そのものです。例えば数学的思考力として抽象化能力と論理的思考力がよく挙げられますが,じつはこれらは本来言語が持っている能力です。
従来の日本の数学教育では,数式が「文」であるという事実をほとんど教えられていません。これは数式が欧米系言語の順序にしたがって書かれているためです。数学リテラシーを高めるためには,もっと数学の言語性を教育の中で強調する必要があります。
 同じことは記述式問題の解答,あるいは計算問題の解答でも言えます。どう考えることで,なぜその答えが導けるのか,を読む者に説明するのが解答です。公式の適用は,その根拠の提示方法の一つに過ぎません。ましてや最後の答えだけ書くのは,理由を言わずに結論を相手に押しつけることと同じです。
釈迦に説法
2011/09/03 17:51
数学は数や記号を「言葉」として用い,数式の形で「文」として表現します。また数学的概念を用いて「命題」という通常言語での文を書きます。

どう考えることで,なぜその答えが導けるのか,を読む者に説明するのが解答です。公式の適用は,その根拠の提示方法の一つに過ぎません。
ば〜か!
2011/09/04 08:21
理論的な話としては、有限集合の範囲では「足し算」と「かけ算」では交換法則が成立するということで、済んでしまうと思う。
交換法則を無視したり、交換法則と違うルールを教えると、「小学校の算数」と「中学校の数学」との整合性が取れないと思う。
「小学校の算数」と「中学校の数学」は別だから、独自ルールでいいというのは、ムチャクチャな理屈だと思う。



理論的な話は出尽くしいるので、大事なのは歴史的な経緯と、教育の現場の現状と、かけ算順序教育でどんな弊害があったかだと思う。

メタメタさんの労作『かけ算には順序があるのか (岩波科学ライブラリー) 』は必読だと思う。
でも、どうして文部省(1951年当時)は、かけ算に順序を持ち込んだのか?

http://d.hatena.ne.jp/yotayotaahiru/20101219/1292788315

どうして「教師用の指導書」は、今だにかけ算の順序に拘るのか? という謎が解明されていない。

http://d.hatena.ne.jp/filinion/20101118/1290094089

http://ameblo.jp/metameta7/entry-10461348378.html
おおくぼ
2011/09/04 13:34
技術開発者は、バカだよ。
かくーん
2011/09/06 01:35
すみません、お書きになられた方を明記しておりませんでした。
釈迦に説法:2011/09/03 17:49
釈迦に説法:2011/09/03 17:50
この2つは、浪川幸彦先生が委員長、森田康夫先生が副委員長で作成された文書の一節です。

釈迦に説法:2011/09/03 17:51
これは、浪川幸彦先生がお書きになられた文書の一節です。

大変失礼しました。
釈迦に説法
2011/09/07 17:58
『かけ算には順序があるのか』についてのご意見です。
「現実の問題と考えるか,数学という抽象化されたものとみなすかの違いではないでしょうか.前者ならば,足し算でも順序があります.「バスに5人乗っていました.そこへ新たに2人乗車してきました.今何人乗っていますか」という問には,5+2=7が正しく,2+5=7は現実として不適当です.というのは,もし2人が降りたのなら,-2+5=3と答えるのは明らかに非現実的だからです.これを正解とされますか.」
中西 襄:プリンストン高等研究所、ブルックヘブン国立研究所研究員を経て、京都大学数理解析研究所教授、現在は京都大学名誉教授。
http://twin.blog.ocn.ne.jp/physicomath/2011/07/post_0a55.html
釈迦に説法
2011/09/07 18:00
左右から5人と2人がそれぞれやってきて中央で集合したらどっちが先であるべきなんだろう。
到着時間が0.1秒差の場合でも先に5人いてあとから2人やってきたんだと順序を守るべきなんだろうか。
5人いるところから2人が退席し、それと同時に入れ替わるように5人増えたら 5+5-2は間違いか。
現実の問題に即すといったって、現実のすべての場合に対応しているわけじゃなく、典型的な例を出しているにすぎないように見えるんですけどねえ<中西さんの記述
葉庸
2011/09/08 12:22
中学校の数学に関しては、こんな馬鹿げた発言をする人がいないのは何故なのだろう?

どうして小学生の算数になると、理性を失う人が続出するのだろう?

おおくぼ
2011/09/08 17:48
足し算に順序はないという当たり前のことを主張したら、論争好きとか言われてしまった。
積分定数
2011/09/08 18:53
「本当に」議論好きな人のための本。

『新版 タイムトラベルの哲学』 (ちくま文庫)
青山拓央:著

『哲学の誤読 ―入試現代文で哲学する!』 (ちくま新書)
入不二基義:著

『クリプキ―ことばは意味をもてるか (シリーズ・哲学のエッセンス)』(NHK出版)
飯田隆:著

『音を視る、時を聴く哲学講義』 (ちくま学芸文庫)
大森荘蔵&坂本龍一:著

『哲学・航海日誌〈1』 (中公文庫)
野矢茂樹:著

ほとんど狂っているとしか思えないレベル。
哲学とは「狂人の思考」の別名なのです。
おおくぼ
2011/09/08 21:16
「足し算の式は現実に起こった出来事の順序に書かなければならないルール」によれば、

a.バスに、2人、5人、2人、2人、5人と乗って来た場合は、
2+3+2+2+3が正解で、2×3+5×2は間違い。

しかし、現実の問題として厳密に考えると、バスの入り口から同時に2人乗ることは出来ないので、
2+3+2+2+3も間違いで、1+1+1+1+1+1+1+1+1+1+1+1が正解なのだろうか?

b.バスに3人と4人の仲良しグループが乗っている。でも乗って来た順序は分からない場合。
3+4は間違いで、数式では表せないとなるのだろうか?

「かけ算式の順序は一つ分、それがいくつの順序で書かなければいけないルール」を適用すれば、

c.一皿あたり3個のリンゴが5皿では、3×5が正解、5×3は間違い。これは明白。
d.リンゴ、ミカン、ナシの3種類の果物が1個ずつ載った皿が5皿も3×5が正解。
e.リンゴ、ミカン、ナシの3種類の果物が1種類あたり5個あれば、5×3が正解、3×5は間違い。
あれ、d.とe.は同じでは?
多分、数式は現実の状態を表すのではなく、問題文で何を一つ当たりと表現したかによるのだろう?となると、例えば絵を示しただけでは数式は書けない?

足し算とかけ算の順序ルールさらに、累加の足し算を掛け算で表すという約束によると、
f.リンゴ、ミカン、ナシを1個ずつ一皿に載せ、それを5皿分繰り返すのは、3+3+3+3+3=3×5が正解。
g.リンゴを1個ずつ5つの皿に載せ、次にミカン、ナシで同じことを3回行うのは、5+5+5=5×3が正解。
しかし、掛け算ルールでは、一つ当たりが明確に述べられていないので3×5や5×3と書くのは間違い。

困ったルールですね。
zorori
2011/09/08 22:06
先に「-2+5」という式を出すと多少違和感があ
ります。しかし…

 「バスが車庫から出たとき乗客は 0 人。
  1番目の駅で 10 人乗った。
  2番目の駅で 1 人降りた。
  3番目の駅で 2 人乗った。
  4番目の駅で 3 人降りた。
  5番目の駅で 4 人乗った。
  6番目の駅で 5 人降りた。」
を式にしたら
 0 +10 -1 +2 -3 +4 -5
これは
 0 +10 +2 +4 -1 -3 -5 とも
 0 -1 -3 -5 +10 +2 +4 とも
書ける。
と考えた後なら、「-2+5」にも違和感は無い
ですね
ゴルゴ・サーディーン
2011/09/08 22:44
いやいや違いますな。

式は現実を表すとすると、最初バスに乗っている運転手の分の1を書いて、最後に乗客ではない人の1をひかないといけません。

しかしながら、運転手以外にガイドや車掌がいるかもしれません。乗務員の人数が分からない以上、立式は不可能です。

したがって、計算不能というのが正解です。

京都大学の偉い先生の理屈を適用すると、そうなりますな。

偉い先生が言っているんだから間違いないでしょう。


「最終的に乗客が何人になるか聞いてるんだ。乗務員は関係ない。」

と反論されるかもしれないが、だったら乗客が乗った順序も関係ないですね。

鰹節猫吉
2011/09/09 03:31
足し算順序ルールとは次のようなことを言っているのではないだろうか?

目の前に何個かリンゴがあり、それを数える場合に、右側から数えても左側から数えても結果は同じだが、現実の行為としては違う。数えるとは右側から数えることを言うのであって、左側から数えるのは非現実的で間違いである。
zorori
2011/09/09 06:30
電車が2両あって、左側から3両やってきて連結した。何両になった。

時間軸重視だと、2+3
空間重視だと、3+2

「足し算の順序は時間軸に従うルールがある。空間云々などと言うルールはない」と言われそうだが、

相対論によれば空間と時間は・・・・
積分定数
2011/09/09 08:18
 http://homepage2.nifty.com/seyama/zatu.html
交換法則は意味のある数値に適用することはできない。>交換するとすれば、意味まで含めて交換する必要があると思います。
>6個/人×4人=24個 4個/人×6人=24個 でどちらも同じ個数のミカンになることは大切ですが、これと6×4=4×6とは少しレベルが違うと思います。

この瀬山氏のコメントもそうだけど、なぜ「数の世界」と「現実の世界」を別のものとしたがるのだろうか?もちろん、抽象化された数の世界は現実と異なる面は多々ある。私は数学好きではあるが、「いつでもお越し下さい」といわれて、深夜2時に伺う勇気はない。

 しかし、かけ算や足し算が可換であることは、現実の世界で考えても容易に分かる。

 3×4 と 4×3 が等しいのは偶然ではなくて、
4人に3個ずつ蜜柑を配る場合に、3が4つとも、4が3つとも捉えられるからである。

 足し算も同様。視点を移せば、3に4が加わるとも4に3が加わるとも言える。

 なぜ不必要なルールを捏造するのか????
積分定数
2011/09/09 08:33
>b.バスに3人と4人の仲良しグループが乗っている。でも乗って来た順序は分からない場合。
3+4は間違いで、数式では表せないとなるのだろうか?

同時にやってきた場合は足し算の順序はどちらでもいいようです。0.0000001秒でも差があると順序が生じるようです。そうなってくると、どの瞬間を「バスに乗った」と定義するのかが問題で、グループの1人目が足をバスの床に着けた瞬間なのか、最後の人が体を完全にバスの内側に入れた瞬間かを決めておく必要があります。

しかし、「不明」だと困りましたね。

「場合分け」はどうでしょうか?

1. 3人が先に来て4人が後に来た場合
3+4=7 答え7人

2. 4人が先に来て3人が後に来た場合
4+3=7 答え7人

3. 同時に来た場合
4+3=3+4=7 答え7人

でも、3人グループが同時に来るとは限らないな。1人が先に来て、2人が後から合流もありうる。4人グループも同様。

 そうすると、場合分けはもっと必要になってきますね。
積分定数
2011/09/09 08:45
中西 襄:プリンストン高等研究所、ブルックヘブン国立研究所研究員を経て、京都大学数理解析研究所教授、現在は京都大学名誉教授。
http://twin.blog.ocn.ne.jp/physicomath/2011/07/post_0a55.html


N. Nakanishi氏=中西襄氏 なんでしょうか?
積分定数
2011/09/09 08:48
最初に3人が乗って、あとから3人乗った場合はどうなるのだろうか?

順序派の立場から見たら、 3+3 は間違いのはずです。

というのは、4人に3個ずつ蜜柑を配った場合、順序派は4×3とすると、カード式や「3が4つだと理解しているがかけ算に順序は関係ないから」という可能性を排除して、「理解していない」と判断します。推定有罪の考え方です。

だから、3+3という式の場合、「左側の3は後から来た3人、右側の3は先に来た3人を表している可能性」がある以上、推定有罪でバツになります。
 
しかしそれだと、正解がなくなってしまう・・・

分かりました。

 「式を見ただけで考え方が分かる」という素晴らしい能力を持っている人であれば、同じように見える「3+3」でも、正答と誤答が区別できるのかも知れません。
積分定数
2011/09/09 10:03
『クリプキ―ことばは意味をもてるか (シリーズ・哲学のエッセンス)』(NHK出版)飯田隆:著から
以下引用

私のこれまでの足し合わせたことのある数は有限個しかない。したがって、そうした数のうちの最大のものがあるはずである。その数を超える数を含む足し算は、私がまだしたことのない足し算である。私のこれまでの足し算に現れた最大の数は56であるとする。
       略
さて、私は、つぎの計算をするよう求められる。
(1) 68+57
私はもちろん、
(2) 125
と答える。
おおくぼ
2011/09/09 10:17
上のコメントの引用の続き

ところが、私に(1)を計算するよう求めた相手は、私の答え(2)がまちがいだと言う。
     略
私: いったい何でそんな途方もないことが言えるんだ。
相手: きみは、自分が従う「+」の意味からは「65+57」の答えは「125」でなければならないということを、前もって自分に言い聞かせたりしたことでもあるのかね。
私: もちろん、そんなことはしたことができない。「+」を使った計算ができるようになるというのは、その計算の規則を覚えることだ。私は、その規則に従って「125」という答えを出したんだ。
相手: その規則とは、ある関数の値を計算する規則のことだということは認められるね。
私: そうだ。私が覚えたのは、「和」とか「プラス」とか呼ばれる関数の値を計算する規則だ。
相手: たしかにきみがこれまで「+」でプラスのことを意味してきたのならば、「68+57」の答えは「125」だ。しかし、「+」できみがこれまで意味してきた関数が、まさしくプラス関数以外の何ものでもないと断言できるかね。
          略
しかし、この相手の言い分が成り立つならば、「68+57」の正しい答えは、125でも5でもなく、他のどんな数であってもいいことになろう。クワス関数のように57より小さい数どうしの場合は両者の和を値として返すけれども、それ以外の場合はあるきまった数を返す関数を考えればよい。そうした関数は、自然数全体と同じだけあるから、「68+57」の答えもそれと同じだけあることになる。

33頁〜36頁
おおくぼ
2011/09/09 10:18
「+」の記号を使って,たし算を式に表すということは,1489年のドイツの算術書から始まった,と片野善一郎『数学用語と記号ものがたり』(裳華房,2003年)にあります.
 記号を使う前は,言葉で表わしていたわけです.
たし算の表現が言葉から記号に変わったときに,数学は抽象の階梯をさらに進み,より精確になったのでしょうが,そのときに捨象したものが当然あります.
「4+3」という記号式の意味は,「4に3をたす」「4を3にたす」「4と3をたす」などの「言葉のたし算」のどれかでなければならない,という話ではないと思うのです.
「言葉のたし算」なら,合併,添加,増加などの区別を表現できるが,「たし算の記号式」では,それらの区別を表現できない.というより,合併,添加,増加などのどれであっても同じ記号式で表現する,ということでしょう.
メタメタ
2011/09/09 11:14
また『クリプキ―ことばは意味をもてるか (シリーズ・哲学のエッセンス)』(NHK出版)から引用します。

< 同じ話を「グルー」について繰り返してみる >

くどいようだが、念のために、いまの話を「グルー」の場合で繰り返しておこう。今度私は1個のエメラルドを見せられて、その色は何かとたずねられる。そのあざやかなグリーンを見て私は、
(4) グリーン
と答える。ところが、私にエメラルドを見せてその色をたずねた相手は、私の答え(4)がまちがいだと言う。正しい答えは、
(5) ブルー
だと言うのである。おどろいたことに、相手は冗談で言っているのではなくて、大真面目である。また、色覚に異常があるわけでもない。

37頁
おおくぼ
2011/09/09 11:35
http://twin.blog.ocn.ne.jp/physicomath/2011/07/post_0a55.html?cid=30788018#comment-30788018
>Nakanishi先生の上げられた後の例の方はどうお考えですか。数学的には減法も加法に入れます。

算数の話をしているときに、なぜ都合良く、「数学」の話を持ってくるのだろうか?

積分定数
2011/09/09 14:37
「現実」って何なんだ?

>Nakanishi先生はいつも明解ですね。そうですね。現実と抽象化された数学とは同じではないのですね。

>Nakanishi先生の言いたかったことは数学的に正しくても現実的に設問がおかしい場合があるという意味だったと思うので、その意味を斟酌してください。

>論争好きならば、込み入った数学的には正しくても現実的におかしい例をつくることができるかもしれませんが、それは単にそういう例がつくれるということですから、あまり生産的ではないように気がします。
おおくぼ
2011/09/09 17:10
数学の証明問題は、白紙回答でなければ部分点が貰えることが多いです。
バツと◯のあるいは、点数の基準はあるわけです。
◯にすべき箇所をバツにすれば採点者のミスになります。
採点者は完璧な人間ではないので、ミスをすることもありますが・・・。

現実が複雑で十人十色で、正解・不正解が決定できない場合があるからと言って、算数のテストの採点が不可能になるわけではありません。
おおくぼ
2011/09/09 20:17
メタメタさんの書かれたような抽象化は実は普通の人はあまりやっていないんじゃないだろうか、という疑問を考えていたところでした。

こんなことを聞いたらどういう答が返ってくるだろう。

『「4+3」を見たときに、あなたの気持ちに一番近いものを選択肢から選んでください』
A.4たす3、4プラス3
B.4と3をたす
C.4に3をたす
D.4を3にたす
E.4を3とたす
F.場合によりA-Eをえらぶ
G.A-Fのどれでもない
M
2011/09/09 20:35
追記

政治や宗教の議論は収拾がつかない場合が多い。
判断基準が曖昧な上に複数あって整合的ではない。
言葉の使い方も人によって微妙に違うから。
推論規則も明快ではなく、人によって違う場合が多い。

でも将棋やチェスや囲碁などのゲームの勝敗は明快に判断できる。
数学の議論は、将棋やチェスや囲碁のゲームに近い。

おおくぼ
2011/09/09 20:37
選択肢Aは除外しておくべきかもしれません
M
2011/09/09 20:37
抽象化というのは数字だけではないと思う。

折り紙は、高度な数学だと思う。
おおくぼ
2011/09/09 20:52
>それは単にそういう例がつくれるということ
>ですから、あまり生産的ではないように気が
>します。

私は他の所で、
 「一点突破主義ではダメだ」
という言葉を見たことがあります。
順序主義者や「中間派」は、一点でも綻びがあ
るならそれは嘘の体系であることがバレている
のだという考えが無いのでしょう。

私(私達、と言ってさしつかえ無いと思います)
の理解するところでは、算数でも数学でも、
例外をかかえたルールではあらかじめその事が
明示されている物のはずです。
たとえば、「 1/x と書いたとき、x=0 は除く」
というように。
ゴルゴ・サーディーン
2011/09/09 22:24
引用

http://twin.blog.ocn.ne.jp/physicomath/2011/07/post_e674.html

>小学校で本当に「ばつにする」のが普通なのかは私は知らないが、もしそうだとするとなかなか算数の教え方が行き届いて来たと「大いに喜ぶべき」なのかもしれない。

>いまの学校で6人*4(個/人)=24個を×としているなら、それはそれで一つの見識というか、小学校の算数で量の理論的な考えがある程度行き渡ったということで、そのことはとやかくは言いたくはありあません。
おおくぼ
2011/09/10 01:56
おおいに悲しむべきですね。

この人、ホントに物理学者ですか、狂っているとしか思えないのだが、しかしこの類いの人は正面から批判を加えるとますます意固地になりますから、戦術的にソフト路線で接したほうがいいのか…

扱いにくい相手であります。

鰹節猫吉
2011/09/10 03:31
あれで物理学者というのだから感心します。いやいや悪い訳ではありません。あれで物理学者が務まったということは、きっとあの書き込みでは表れていない別の面の能力が大変高かったのでしょう。感心します。
積分定数
2011/09/10 06:27
HN「あおやま」という人は矢野という人なのかな?

http://www.phys.cs.is.nagoya-u.ac.jp/~tanimura/math-phys/index.html
おおくぼ
2011/09/10 06:55
http://twin.blog.ocn.ne.jp/about.html
プロフィールとも合致するし、おそらくそうでしょう。
積分定数
2011/09/10 07:44
矢野さんから返信があったみたいですね。
でも政治家の弁解と同じで、何を言いたいのかわからない。

>私は上の件で自分の気持ちを述べただけで人を批判する意味はありまん。そうとられたのはあなたのご自由ですが、それをもとに批判されるのはどうかと思います。
>私が自分のブログで自分の気持ちを述べただけでけしからんといわれてもそういう言い方はよくないですね。

>私が主張しているのは現実の状況では抽象化された数学の数の和に関する交換の法則に合わないことはありうるということを言っているだけです。
>積の順序とか和の順序に関してはできるだけ間違っていなければ、正解として「ばつ」をつけないようにした方がよいとの考えです。
>ただ、皆さんとひょっとしたら意見が違うのは積の順序としては標準的な教え方というのを認めたほうがいいのではないかということだけです。
>しかし、これは標準的というでだけですから、正解とかというときには「ばつ」にはしたくないと考えています。
おおくぼ
2011/09/10 13:13
>交換法則は意味のある数値に適用することはできない。>交換するとすれば、意味まで含めて交換する必要があると思います。

「6×4=4×6」 は、一般的な法則で、「6個/人×4人=4個/人×6人」はその具体的事例ですね。
具体的事例に共通するエッセンスを抜き出したのが一般法則なのに、一般法則である交換法則が意味のある具体例に適用することが出来ないとは訳が分かりませんね。

「6×4=24」は意味のある数値に適用することは出来ない。「6個/人×4人=24個」とすることは出来ないのだろうか。確かに両者は「少しレベル」が違いますが。
zorori
2011/09/10 14:19
これは結局錯覚にすぎないのですけどね。

左にあるものが先というルールはないわけなんです。


ABx って、xっていうベクトルにBっていう行列をひだりからかけて、BxっていうベクトルにAという行列を左からかけてベクトルを作ったということもできるわけで、左が先というルールはないわけなんです。今の場合右側のBが先なわけですから。


量子力学の演算子の合成も同じ理屈です。


これって高校とか学部の1年目か2年目で教えるような内容です。


心理的違和感を感じるかどうかは人によって違いますが、高校生や大学生に教える立場の人であれば理屈としておかしいかどうかはすぐに判断できるはずなのです。


それなのにあおやまさんはわけのわからんことばかり言っている。


しかしこれを言っちゃおしまいで、物理学者を名乗る人にこんなこと言うのはきがひける。

言っちゃっていいのか、わからない…
鰹節猫吉
2011/09/10 16:23
「釈迦に説法」さんのコメントから始まって、検証済ですが、N. Nakanishiさんのコメントは 変なので、もう一度考えてみます。

http://twin.blog.ocn.ne.jp/physicomath/2011/07/post_0a55.html#comment-30814163

>現実の問題と考えるか,数学という抽象化されたものとみなすかの違いではないでしょうか.前者ならば,足し算でも順序があります.
>「バスに5人乗っていました.そこへ新たに2人乗車してきました.今何人乗っていますか」という問には,5+2=7が正しく,2+5=7は現実として不適当です.
>というのは,もし2人が降りたのなら,-2+5=3と答えるのは明らかに非現実的だからです.これを正解とされますか.投稿 N. Nakanishi | 2011-07-13 02:20 午後

どうして足し算の話なのに引き算が出てくるのか?

>2+5=7は現実として不適当です.
>というのは,もし2人が降りたのなら,-2+5=3と答えるのは明らかに非現実的だからです.

現実うんぬんという前に、論理的におかしくないか?
この説明で、5+2=7が正解で、2+5=7が間違いとなるのだろうか?


おおくぼ
2011/09/10 17:32
>左にあるものが先というルールはないわけなんで<

でも,左から読んでいるし,

5=3+2 ではなく, 2+3=5  だし

235は「二百三十五」で,「五百三十二」ではないし,左が先を前提として議論していることは,前提としていいんじゃないですか.
メタメタ
2011/09/10 18:15
左先の前提があるからこそ、交換法則の重要さがあると思います。
でも左先だからと言っても、時間順という意味ではないし、空間の左側からという意味もありません。
数式の順序=現実の順序ではありません。

また左先が前提と言っても、「掛け算と割り算」は、「足し算と引き算」よりも先に計算する。
カッコウの中を最優先に計算する。
数学のルールはしっかりしているけど、左先が絶対というわけではない。
・・・というのは「中学の数学」の常識だと思う。
「中学の数学」の常識を疑うというも有りだけど、それを「小学校の算数教育」に持ち込まないでほしい。
おおくぼ
2011/09/10 20:04
メタメタ さん

 数字を読み上げるときは左側から読み上げるというのは、「読み上げるときのきまり」です。

 「時間順に左から書くというきまり」はないです。

 どうしても時間順に左から書けというのなら、出題するときにそのようなことわり書きが必要です。

 もちろん、見る人が分かりやすいように、多数派と思われる書き方で書こうというのはありですよ。

 でも、時間順に左から書くのが当然だから先生の書き方と違ったら不正解というのはだめです。

 読む人に分かりやすいように書くという指導をするのなら良いが、教師が一方的に自分の気に入らないのを不正解にするのはいけません。

 もし仮に、慣習で「こうせねばならぬ」ということになっている場合は、事前に説明したうえで慣習から逸脱したのを不正解にします。

 例えば、電気磁気の問題で、「座標系を変えれば右ねじの法則が左ねじの法則になるから、今日から俺は左ねじの法則にする。」とか言ってる人間がいたら不正解にすべきでしょう。理屈の上では当然正しいが、それをやってしまったら他人が解読不能になってしまうので、それはやめようと決まっていますし、その点については教師がきちんと説明しているからです。


 小学校の話で、ことさらに右が先の例がたくさんあるとか言うのはどうかと思いますが、時間順に左から書くのが当然の前提とは言えないでしょう。


おおくぼさんとは細部で考え方が違うところがありそうな感じですが、どちらも時間順に左から書くのが当然の前提とは言えないという点で一致してます。
鰹節猫吉
2011/09/10 21:47
左先というのは聞いたことがないです。二項演算のオペランドのどちらから評価するという話だとすると特に疑問。複数の演算の順番の話だとしても、a+b+cで括弧が省略できるのは結合法則からどちらの演算を先に行っても同じになることがわかっているからで、もし演算の順序で結果がかわるなら括弧を明示する必要があることになります。
M
2011/09/10 23:05
-や÷が混在すると左を先に評価する必要がありますね。
M
2011/09/10 23:17
「バスに2人乗ってきた.もともと3人乗っていた.今バスに何人乗っているか」
という問題に,「2+3=5」という式を書くと×にする先生がいるという話から始まっているわけですよね.
 たし算の式は時間の順序通りに書くというルールがあると思っている先生に対し,時間の順は,「2+3」の式の左先ではなく,右先もありうる,という反論を鰹節猫吉さんが出されたのかと思って,右先なら,「5=2+3」と書かねばおかしいのではないかとレスしたのですが,そういう話ではないのですか.

 時間の順序を言う先生に対しては,その順序は,事態が客観的に起きた順序なのか,事態を認識した順序なのかという論点も生じますね.例題の場合なら,先ず2人を認識してから,前から3人乗っていたことを認識(乗ってきた2人を除外して見渡したら3人と認識)しているから,認識の時間順なら,「2+3=5」となる.(別の問題で,Aさんのクラスに男は18人,女は20人,クラス全体で何人か,という問題なら,事態が起きた時間の順序はないから,認識(問題文の記述)の順序で,18+20.だからといって,20+18の式が間違いではない.)
 
 しかし,そもそも,「2+3=5」という記号式が,抽象的な数学の世界の式だとすると,順序は,時間の先後の話ではなく,項が演算記号の左右のどちらにあるかの話ですね.「5−3」と「3−5」の違いは,5と3の時間的先後の話ではない.そもそも数学は時間の無い世界だし(と,確かカントも言っていた).

メタメタ
2011/09/11 01:35
(字数オーバーで続き)
 たし算を「2+3=5」という記号式で書くようになる(1489年のドイツの算術書が最初のようです)前に,人類は,数千年から数万年にわたって,たし算を言葉で表現していた.
「2人増えた.もともといたのは3人」という事態(あるいは認識)から,今の総数を求める計算をするときに,「2を3にたす」というような言い方が正しく,「2に3をたす」あるいは「2と3をたす」というような言い方は間違いとするようなことがあったのか.
そして,「2+3」という記号式の「意味」は,「2に3をたす」だから,「2を3にたす」ときは,「3+2」という式を書かねばならない,というようなことが,1489年に言われていたのか.どちらも,そうとは思えない.
メタメタ
2011/09/11 01:39
片野善一郎『数学用語と記号ものがたり』を読み直したら,「+,−」を計算記号として使った初出は,1514年のオランダの算術書のようです.
メタメタ
2011/09/11 01:52
>そもそも数学は時間の無い世界だし(と,確かカントも言っていた)

『新版 タイムトラベルの哲学』 (ちくま文庫) 青山拓央:著
から 以下引用

会いたい人なら会いにいけ。今なら北極だって近いものだ。そのうち成田から火星にだって飛んで行けるようになるかもしれない。
しかし、われわれの行き先となるのは空間上の場所に限られている。1秒前の過去なんて北極よりずっと近くにあるような気がするのに、どういうわけかそこには行けない。だから、われわれは懐かしい故人にも歴史上の偉人にも会いに行けない。
物理学の数式を眺めていると、この当たり前のことが、どうにも気味悪くなってくる。なぜなら方程式では時間も空間も、tとかxといった座標上の位置で表されるからだ。もし時間が空間と同様、座標上の位置にすぎないのなら、どうしてわれわれは過去に行けないのだろう。
32頁
おおくぼ
2011/09/11 03:26
メタメタ さん

> 右先なら,「5=2+3」と書かねばおかしいのではないかとレスしたのですが,そういう話ではないのですか.


そういう話ではないです。
「時間の順に右から」などと言っていないです。
おっしゃるように、時間の順に右から書くのなら結果を右に書かないといけないが、そういう話をしているのではありません。

ぼくが行列の話をもちだしたのは、順序にこだわる人は都合のいいときだけ上級の学校でやる数学の例を持ち出すけど、それはおかしいだろうということを言おうとしたわけです。

今の場合でも、小学校算数と関係ない -2+5 をもちだしてきてますね。


そもそも、行列の積とはどういうものだったのか思い出してみてください。

AB(AとBの積) という行列を x という列ベクトルに左からかけることを考えてください。

これは、AとBとxから ABx という列ベクトルを作ることだと考えられますね。

そうすると、

> ABx って、xっていうベクトルにBっていう行列をひだりからかけて、BxっていうベクトルにAという行列を左からかけてベクトルを作ったということもできる

そういうふうになるように行列の積の定義がつくられているわけなのです。


だから、上級の学校にいったら必ずしも左が先じゃない。小学校の算数の範囲でも高学年になって四則演算やカッコが混ざっている計算は左から順番にやればいいわけじゃない。

そういうことは無視して、都合のいいときだけ上級の学校の数学を持ち出してくる。

ぼくが言おうとしたのはそこです。
鰹節猫吉
2011/09/11 08:57
メタメタ さん

ここから余計な話になっちゃうかもしれないので、稿をあらためました。


比例というのは1次関数で表わすわけなんですけど、 y=bx と z=ay という2つの1次関数から、 z=abx (∵ z=ay=a(bx)=abx) という1つの1次関数を作れますね。

行列の積と同じ理屈になってますね。

理系の人が「行列も比例の拡張」とか話しているのを聞いたことありませんか?

理系の人たちは、そういう感覚で見てるのです。


それから、行列も転置行列を考えれば交換法則が成り立ってるともいえるとか話してるのを聞いたことないですか?

これも上のほうで書いた行列の積のしくみが分かっていれば自明です。

上で書いたのは列ベクトルと行列から列ベクトルをつくることをしていましたが、転置行列を右からかけることをすれば行ベクトルと行列から行ベクトルをつくることができることになる。

そう考えると、(AB)^t = B^t A^t になるのは自明です。

だから、かけ算の順序を擁護するために行列の積を持ち出すというのは、かなりおかしな話であります。
鰹節猫吉
2011/09/11 09:13
時間というのは「今」しかないのに、数式では過去や未来を含めて「線」で表現できてしまう。
しかも数式では、過去に戻れないという決まりはない。
非現実な感じがするけど、そんなことを気にしていたら、教育なんてできないだろう。
「数学は現実を正しく表現していなければいけない」と思う人がいるのは不思議な気がする。
おおくぼ
2011/09/11 23:00
追記

点・線・面は厚みがなく、二次元の世界であり三次元の世界では厳密には有り得ない。
「アキレスと亀」の話もそういう性質に注目した寓話だ。
でも「点・線・面」という概念は、三次元の世界で役に立つ。
おおくぼ
2011/09/12 08:48
矢野さんから返信があったんですが・・・。

http://twin.blog.ocn.ne.jp/physicomath/2011/07/post_0a55.html#comment-30861663

>現実は複雑なのはおっしゃるとおりだと思います。
> だが、それをある種の単純化したモデルをとって数式化して数学を使って答えを出す。
>その後にそれが現実にあっているかどうかを検討してそれが現実の問題とあっていなければ如何に数学としての答えではあってもそれを正しいとはしないということです。
>これは普通の考えだと思います。

もちろん矢野さんの言うとおり、科学における「普通の考え
」だと思うし、異論はないんですが・・・。
矢野さんの返信は、数学の応用がうまくいかなかったという話にすり替えていると思うんだけど。
質問とズレた答えだと思う。

数学を現実にうまく応用できなかった → 数学のルールを変更しよう・・・ということを問題にしているんだけど。
新しい数学が、現実を模索することから生まれてくる場合もあるけど、今回はそんな高度な話ではないと思う。
おおくぼ
2011/09/12 11:09
私のブログで「たし算の順序」について書いたところ,「わだいのたけひこさん」がご自分のブログでコメントされた.
http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20110912

 しっかし,学習指導要領解説は,「合併・増加・順序数の加法」などの区別をせよ,と言っているのではなく,どの場合であっても,同じ加法の式になることを指導せよ,と言っているのに,逆に読んでいるようだし,コメントされても,私の方からコメントする気になれない.いろいろの資料の紹介はありがたいことはありがたいが.
メタメタ
2011/09/12 11:09
矢野さんが、今回のコメントについてまとめ記事をアップしました。

http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20110912

>算数の掛け算の順序に端を発して私のブログ炎上かと思ったが、収束の気配なのでほっとしている。
>お互いに合理的な思考をしている限りはすべての意見が一致しなくてもどこかで了解ができるものと考えてはいる。
>だが、今回のようなある意味で理屈に則った意見だけではないかもしれない。
>そういう場合には仕方がないから、自分のブログであるからコメントを削除するということもあるかもしれない。
>今回はそういう非常手段を発動するまでもなかったようである。
      以下略

矢野さんの言う「合理的な思考」とは何だろう?
矢野さんのブログなんだから、矢野さんの権利としてコメントを削除したり、書き込み禁止するのはいいと思う。
趣味でブログをしているんだったら、付き合いたくない人とムリヤリ付き合う必要はないのだから。
でも「理屈に則していない」のは、矢野さんの方だと思う。
おおくぼ
2011/09/12 12:54
訂正

上のコメントに書いたアドレスが間違っていました。
正しくは・・・

http://twin.blog.ocn.ne.jp/physicomath/2011/09/post_f952.html
おおくぼ
2011/09/12 12:56
 用事があってしばらくネットを見られませんでした。件の物理学者のブログがどうなっているのか楽しみにしていましたが、私の疑問には何も答えていない。

■ネットは不特定多数に公開されている。
■社会的地位とは無関係に、おかしな事を書けば批判される可能性がある。まともなことを書いても批判される可能性がある。

ということが分かっていないのではないだろうか?

大学の先生の全部ではないけど、一部は「批判される」ということに慣れていないのではないだろうか?
積分定数
2011/09/12 18:13
意味不明の書き込みを連発してのは、結局、最初の自分の書き込みの内容を忘れていたのが原因のようです。


批判されるのがイヤとかいう以前に、よそ者のコメントがつくということ自体想定外だったようです。


想定外の事態で興奮しているように見えます。思わず、自分で書いた内容を確認せずに怒りを爆発させてしまったのでは?


正面から批判すると頭に血がのぼって話ができなくなるかもしれません。


ソフトに接したほうが事態が好転するかもしれません。



瀬山先生のところや数学サークルの場合にも感じたことですが、


そもそも よそ者が来る ということ自体想定しないでやっている


という人が多いのではないですか?


そのため、よそ者が反対意見を書くと強烈に反応するのでしょう。

鰹節猫吉
2011/09/12 20:03
おひさしぶりです。物理学者のあおやまさん(=矢野忠さん)のブログを見ました。

http://bit.ly/pZyIKF

誰にも批判されずにすむつもりでかけ算の順序が逆なときにバツを付ける教え方について

http://bit.ly/phYd9p
>小学校で本当に「ばつにする」のが普通なの
>かは私は知らないが、もしそうだとするとな
>かなか算数の教え方が行き届いて来たと
>「大いに喜ぶべき」なのかもしれない。

と言ってしまっていたのは明らかですね。見苦しいのひとこと。

アマゾンで著書を検索して、著者紹介を見たら、矢野さんは数教協の関係者のようですね。

http://amzn.to/nRWaNb

また数教協かという感じですね。
くろきげん
2011/09/12 20:08
すみません。矢野忠さんのプロフィールについては

http://www.amazon.co.jp/dp/product-description/4337790071

の方を見て下さい。
くろきげん
2011/09/12 20:11
くろきげんさんのコメントを見て失笑してしまいました。

数教協・・・・、

>この本は民間の教育団体である数学教育教育協議会の下部の組織の一つである
愛媛県数学教育教育協議会の機関誌「研究と実践」に約20年にわたって、書いてきたものをまとめた。

と書いてありますね。

http://www.jca.apc.org/beheiren/saikin121AsahiJinmyakuki-Fukutomi.htm

これを読んだ頃には数教協に対して、平和と民主主義のために闘う立派な数学者・数学教育者の集まりだと思って尊敬していたのだが・・・

 http://9114.teacup.com/seisann/bbs でも完全に無視されてしまっている。

積分定数
2011/09/12 20:34
前に少しだけ話題になった岡山大学の先生のブログにアップされた『かけ算には順序があるのか (岩波科学ライブラリー) 』の感想記事。
ブログ主のツイートによると、アクセス数が上がっているそうです。

http://twitter.com/#!/sobukawa/status/113044796465094656

メタメタさん、出版社には全国の読者から感想が来たりするのでしょうか?
興味あります。
おおくぼ
2011/09/12 21:32
追記

でも、この岡山大学の人は教師としてどうなんだろう?
自信たっぷりだけど。

http://takuya-sobukawa.blog.so-net.ne.jp/2011-08-11
おおくぼ
2011/09/12 22:43
追記 2

岡山大学の先生のブログを読んでいたら驚きました。

http://takuya-sobukawa.blog.so-net.ne.jp/2010-01-04-4

>はっきり言う。残念ながら,高等学校までの数学の勉強は,ほとんどすべて無駄であると言えよう。
>高校で数Vを取っていてもそれだけでは役に立たないし,取っていないからダメと言うこともない。
>それは高校まではほとんどの人が計算して答えを出すための数学をやってきたからである.
おおくぼ
2011/09/12 23:03
あおやまさん(矢野先生)は、やはり、よそ者が来て議論になるということ自体想定外のようです。


まともに話をする意思はないので、とりあえずテキトーなことを言って追い返そうとするけど、自分で書いた内容を忘れてしまって支離滅裂になる。

自分たちのほうから負の数をもちだしたのに忘れている。


たぶん、まともに話をするつもりがないから忘れてしまうんでしょう。


らちがあかないのでは?


議論をして効果があるところが見つかればいいのですが…


この類いのところはどこも門前払いされそうです。



話が通じるところに働きかけて味方を増やす戦術でないとダメかもしれません。

しかし、話が通じるところって何処だろう。
鰹節猫吉
2011/09/12 23:07
>でも、この岡山大学の人は教師としてどうなんだろう?

この人も相手にすると徒労に終わりそう・・・

http://takuya-sobukawa.blog.so-net.ne.jp/2011-06-22
100mずつ4人で走るリレーを何というか。
>世界陸上のテレビ放送では,4×100mリレーと言いますね。
あれは小学校の算数では間違いということになります。これだけかけ算の順序についてうるさく言う人たちが,テレビ局に向かって講義をしたというのを聞いたことがありません。もちろんあれは英語の語順で,そのまま直訳ですから。

「4×100mリレー」は「かけ算に順序はない」側が例に出すことがあるけど・・・・

 慣例的に順序があることまで否定している人はいるんですかね。

100が3つで、300 サンビャク 

そういう慣例だものね

慣例があるという話と、(1あたり)×(いくつ分)は慣例なのか、その慣例に従うとしても、4人に3個ずつ蜜柑は、4×3が正当化しうるのでは?という話は別だと思うけど。


積分定数
2011/09/13 07:21
>あおやまさん(矢野先生)は、やはり、よそ者が来て議論になるということ自体想定外のようです。

 あの程度で「炎上」云々言っているぐらいだから、すれていないんでしょうね。かつて2ちゃんねるで実名晒していた私とは感覚がちがうのは分かります。

 しかし、それは置いておくとしても、あきれてしまいます。

 「あなたと私は、考えが違います」という話なら、私も「それはそれで仕方ないですね」となると思います。でも言っていることがあまりに無茶苦茶で、「この人、本当に大丈夫?」と思ってしまいます。

あおやま氏
>もし、加法は交換可能だということをあくまでも主張されるのならば、Nakanishi先生の上げられた後の例の方はどうお考えですか。数学的には減法も加法に入れます。

と言いながら、

「小学校の児童の負数を知らないレベルの話しをしているのではなかったのですか。」

これが、私のコメントではなくて、負の数を持ち出した側のあおやま氏が言うわけだから、どういう思考回路をしているのだろうかと思ってしまいます。

瀬戸智子氏
http://ts.way-nifty.com/makura/2009/07/post-4df6.html
瀬山士郎氏
http://homepage2.nifty.com/seyama/zatu.html

あたりとも共通するのだけど、順序を擁護する発言をしながら、それを批判すると「自分はバツを付けない。」ということで、批判をかわしたつもりでいる。

 ブログ主が無茶苦茶なこというので紛糾していると、常連さんがブログ主を助けるつもりで頓珍漢なコメントをして余計に紛糾する、という流れも瀬戸智子氏のブログと童謡の流れ。
積分定数
2011/09/13 08:12
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1183478389#CID1184025066

nakanishi — July 10, 2007 @08:51:06
現実世界と数学との対応として、4個×3皿と3個×4皿のそれぞれの項の意味が違うのは明らかだし、その結果が同じになるというのも、数学として明らかなのですが、ここでの問題は、その「違い」と「同じ」をどのように強調して、あるいは、どれほど強調しないで教えるかということの問題のように思います。
というわけで、教育法自身は物理学や数学の問題ではないので、物理学者や数学者の意見をどれほど重視すべきか、あるいはそれらがどれほど妥当性があるのかはよくわかりません。
もちろん、私も物理屋なので、いろもの物理学者さんや田崎さんの言っていることは至極もっともなこととは思いますが、現場で算数をどのように教えるべきかは、物理の問題でも数学の問題でもありませんから、、、

--------------------------------------------------------------------------------

くろきげんさんのツイッター経由でたどり着いた。
nakanishi氏って、件のN. Nakanishi氏?
積分定数
2011/09/13 10:04
>くろきげんさんのコメントを見て失笑してしまいました。

これは当然、くろきさんのコメント内容に失笑したのではなく、「数教協」という言葉に失笑したという意味です。

「また数教協かよ・・・」という意味です。

まあ誤解する人はいないと思うけど、念のため。
積分定数
2011/09/13 11:28
「物理のかぎしっぽ」のサイトです。
掲示板で質問ができるようです。


http://hooktail.sub.jp/
釈迦に説法
2011/09/13 18:09
岡山大学の先生に質問してみました。
以下返信。

http://takuya-sobukawa.blog.so-net.ne.jp/2011-06-22

>「本質はこれ,と確定させるために議論がある」という立場にいます。
>それを実現させるためには歴史的経緯などどうでも良いのです。
>善悪の判定をするときに歴史的な経緯を持ち出して根拠とするのは,単に多数派工作に過ぎない。
>遠山啓さんは確かに大きな足跡を残した人ですが,それも1つの意見に過ぎない。
>もちろんそうやって決めても良いですが,納得しない人は納得しないだろうと思います。
>だから最終的に「宗教戦争だ」と言ったわけです。
おおくぼ
2011/09/13 22:36
積分定数さん、こういう事を言って聞き入れても
らえるかどうか分かりませんが、書いてみます:

  相手が支離滅裂な事を言っているときに
  『あなたの言うことは支離滅裂です』
  と言ってしまっては、対話は出来ないでし
  ょう。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 ( 私が、自分の理屈を自分に当てはめれば
  「『あなたの言うことは支離滅裂です』
   という言葉になにがしかの効果があると
   思っている人に、
  「そんな言葉に効果はない」
   と指摘するのは、無意味な行為だという
  事になるかも知れませんが。)
ゴルゴ・サーディーン
2011/09/14 01:36
岡山大学の先生の言う「宗教戦争」という意味が、よくわからない。
この先生の考えでは、「宗教戦争じゃない議論」というのは存在するのだろうか?
この先生の理屈だと、どんな議論も宗教戦争になるのではないだろうか?
全ての議論は宗教戦争である。・・・と定義した方がいい気がする。
「宗教戦争」というと悪いイメージというか、馬鹿にされている気がするし。
おおくぼ
2011/09/14 02:18
http://homepage2.nifty.com/seyama/zatu.html
>どちらがどの量であるかが分かっているなら、6×4でも4×6でも構わない。しかし、解答した子どもがどう考えているのかはきちんと把握しておく必要がある。

「6人に4個ずつミカンを配りました。何人に何個ずつ配りましたか。」という問に4人に6個ずつと答えてしまう子がいるかもしれない、というご意見なんでしょうか。
RTC
2011/09/14 04:15
>相手が支離滅裂な事を言っているときに
  『あなたの言うことは支離滅裂です』
  と言ってしまっては、対話は出来ないでし
  ょう。

一般的にはそうでしょう。そう意味では戦術的にまずい面もあったかも知れませんが、やりとりの渦中にいるとついつい、・・・
一応、どこがどう支離滅裂なのかは説明はしているのですが・・・

積分定数
2011/09/14 06:52
支離滅裂というか、いい加減な回答をする人を叩くよりも、サンプルとして言質を分析した方が、かけ算順序パラノイア症候群の解明に繋がると思います。
個別に叩いても、モグラたたきと同じです。
ただサンプルは詳しい方がいいとは思いますが・・・。
おおくぼ
2011/09/14 09:35
収拾しそうだね。最初から、相手の言うことをきちんと聞いてコメントすれば良かったのにね。
積分定数
2011/09/14 16:46
くろきげんさんのツイート・・・

>続き。この変化がどこでどのように起こったのか?1960年代の文部省にいたはずの「かけ算の順序が逆ならかけ算の意味をわかっていない派」はどこに行ってしまったのか?これも大事な問題だと思いますが、よくわかっていない。正直、ぼくの手には余る問題だと思っています。
9月13日

この謎を解くためのキー・パーソンは、和田義信という人だと思う。
和田義信さんは1953年ぐらいに文部省を退官して、東京教育大学(現・筑波大学)の先生になったけど、長い間文部省に強い影響力があったみたいです。
おおくぼ
2011/09/14 17:09
 和田義信というと,遠山啓が,割合分数を批判していますね.
 遠山啓著作集・数学教育論シリーズ5『量とは何かT』の遠山自身の解説によると,1958年の指導要領で割合分数を採用したが,その事実上の指導者は和田だったが,それはクロネッカー―藤沢利喜太郎の数え主義の復活だった.遠山らは割合分数を批判したのだが,割合分数が採用された.しかし,その結果,分数の学力が落ち,文部省内で責任が追及され,「1968年の改訂指導要領では,割合分数はひっこめられ,ふじゅうぶんながら量の分数に近よる姿勢を見せるにいたった.」(297頁)しかし,10年間算数教育を支配した割合分数のおかげで,「高校生のなかにも分数のできない生徒がかなりいるといわれている」(同頁).
 和田の割合分数を批判したのは,塩野直道も確かそうで,60年代は,戦後の文部省算数科に影響力のあった和田と,戦前の文部省算数科に影響力があり,当時は啓林館に拠っていた塩野,そして,59年の水道方式の一大ブーム以来急速に影響力を拡大していた遠山の,三つ巴というか,三国志的状況で,結果,70年代〜80年代にかけて数教協が制するようになった,ように思っています.
メタメタ
2011/09/14 20:44
和田義信さんは『日本数学教育史―奈良・平安、江戸』という本があるので、メタメタさんと関心が似ている気がしました。

私の仮説は、60年代までは和田義信さんの影響が文部省にあったけど、その後弱くなったです。
でも教科書を出している出版社では、60年代以後も和田義信さんの影響が強かった・・・です。
東京教育大学で和田義信さんに教わった教育関係者は多いはずなので、未だに和田義信さんの影響は強いと思います。
かけ算の順序に関しては、和田義信さんと数教協は共通するので、「教師用の指導書」の記述は、そのあたりに原因がある気がします。
おおくぼ
2011/09/14 22:46
積分定数さん、お聞き入れくださりありがとうご
ざいます。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
RTCさん曰く:
>「6人に4個ずつミカンを配りました。
>何人に何個ずつ配りましたか。」という
>問に4人に6個ずつと答えてしまう子がい
>るかもしれない、というご意見なんでし
>ょうか。

 ここでの「解答した子どもの考えを把握」
というのは、
 「今は掛け算の単元だから、掛け算を書
  けばいいんだろ。
  そして、問題文中に出てくる数字を順
  番に拾って“×”で結べばOK。」
という考え方をしていないかチェックする、
という意味と思われます。

 順序派は、こういう人工無脳式のやりか
たをする子を検出するために順序主義で授
業をするのだ、という主張をする場合があ
ります。
 スラッシュドットに、このような記事が
あります。
http://slashdot.jp/comments.pl?sid=540021&m=1
 (記事中で「天然無能」という言葉が
  使われている箇所です。)
ゴルゴ・サーディーン
2011/09/15 00:06
そういう人工無脳を検出するには、たし算やひき算やかけ算を混ぜて出題すればいいと思いますが、そういうことは認めないのでしょうか?
鰹節猫吉
2011/09/15 00:30
>たし算やひき算やかけ算を混ぜて出題す
>ればいいと思いますが

当然“我々”はそう考えるわけですが、順
序主義者は「 嘘=悪 」という考えが希薄
ですからねえ。
ゴルゴ・サーディーン
2011/09/15 00:53
順序主義でやっても、"天然無脳"は「何個あるかと書かれているから"個"がついているほうの数を左に書けばいいんだろ」と考えるようになるだけではないかと。
RTC
2011/09/15 03:59
「問題文中に出てくる数字を順
  番に拾って“×”で結べばOK。」

これは、問題文を読んで算数の掛け算問題と理解したのなら、国語の読解力もあるし、算数の考え方としても正しい。

「6人に4個ずつミカンを配りました。
何人に何個ずつ配りましたか。」という
問に4人に6個ずつと答えてしまう子

これは、国語の問題で、読解力なしで、NG。
「6×4」と答えても、「4×6」と答えてもダメ。
zorori
2011/09/15 06:29
>ゴルゴ・サーディーンさん
>積分定数さん、お聞き入れくださりありがとうご
ざいます。

聞き入れたと言うことでもないんですが。納得できない対応については、きっちりけりを付けたいという思いがあるので。

 あそこでのやりとりは、積分定数の私闘であって、議論の焦点は順序の是非ではないのだけれど、

>私としてはこのときはバスに乗っている人の視点から考えていましので、論争の余地はないように見えました。

という発言に驚きました。
積分定数
2011/09/15 07:24
>「問題文中に出てくる数字を順
  番に拾って“×”で結べばOK。」

もう少し発展させると、「認識した数の順序に掛ける」となる。

1,2,3,4,5,6,7

ここから3個選んで並べる方法は?
7×6×5  順序派の考えだと5×6×7となりやりにくいが、幸いなことに5×6×7と解く高校生はほとんどいない。

しかし、3個並べた位置関係と、○×△×□を対応させてしまう生徒は多い。左に置く数字の選択肢が7通りだから、○=7、という具合。

A 3個並べる。ただし、左端は偶数である。
B 3個並べる。ただし、右端は偶数である。

Aは難なく、3×6×5 と出来るのに、Bだと、
偶偶偶 偶奇偶 奇偶偶 奇奇偶 の場合分けをしてしまう生徒が、たまにいる。もちろん、間違いではないのだが・・・。

だから、

□□
□□
の□にA,B,C,Dを入れる方法は何通りか?

というような問題を出して、掛ける順序なんか自分の都合で好き勝手に決めればよくて、置いた時系列の順序とか空間的位置関係に拘束される必要がないことを認識してもらう必要がある。
積分定数
2011/09/15 08:02


「バスに5人乗っていたところに2人乗ってきた。乗客は何人?」に対して、「5+2でも、2+5でもどっちでも構わない」と言える子の方がちゃんと理解していると言えるし、伸びる可能性がある。


どっちでもいいと思う子は、2+5とも5+2とも書くだろう。
順序があると思っている子はほとんど、5+2とするだろう。
だから、5+2とした子は、足し算に順序はないということを理解していない可能性がある。そういう子には、「バスに乗客が5人乗りました。5人がバスに乗ったときには既に2人乗客がいました」という問題を出してみるべき。ここで、2+5とするには、「出てきた数字の順」「大きい数+小さい数の方が足し算しやすい場合が多い」「5人の側に視点を置く」などのハードルをクリアして「バスという場所の視点」を優先させた可能性が高いので、加法順序無用を理解していないと思われる。だからこういう子には、5+2=2+5=7 と常に両方の順序を書くことを徹底的に指導すればいい。

もちろん冗談だし、その子が問題文に出てきた順よりも場所の順序の方がわかりやすいなら、そうすればいいだけのこと。

教条的順序派がアホな点は、「こうすると理解しやすい」という話が「こうしなくてはならない」としてしまっていることである。

化学の試験問題で、「水平リーベ・・・」「ふっくら・・・」をちゃんと覚えているかをテストするようなもので、「単位のサンドイッチ」に至っては、「水平リ−ベ・・・」を覚えるための語呂合わせに相当する。

「単位のサンドイッチ」というルールがあるという主張することは、「水平リ−ベ・・・」を覚えるための語呂合わせが、化学の法則だと主張しているようなものである。

アホらしいとしか言いようがない。
積分定数
2011/09/15 08:13
mixiの某コミュ(かけ算コミュではない)でのある方からの情報
▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽
20年以上前のことですが、当時、都立大・理学部数学科の教授だった荻上紘一先生(その後、都立大の総長になっています。)の、数学科教育法の授業の中で、最近(=1980年代の話です。)の小学校では、掛け算の順番が逆だと不正解にするが、それは数学的におかしな話しだ!ということを熱弁していたことが記憶にあります。
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△

ウィキ情報
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%BB%E4%B8%8A%E7%B4%98%E4%B8%80
▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽
荻上紘一出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
荻上 紘一(おぎうえ こういち、1941年 - )は、日本の数学者、独立行政法人大学評価・学位授与機構評価研究部教授。長野県松本市出身。長野県松本深志高等学校卒、東京大学理学部卒。元東京都立大学総長、公立大学協会長。現中央教育審議会委員。趣味はテニス、俳句。「国家の品格」の著者である藤原正彦とは非常に親しい。現在は大学セミナーハウス館長を勤める。

社会的活動 [編集]文部科学省中央教育審議会委員(第4期)
同 国立大学法人評価委員会第1期専門委員(国立大学法人分科会分属)
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△


これらの情報が本当なら、中教審に反順序派がいると言うことになりますね。
積分定数
2011/09/15 08:41
遠山啓さんは和田義信さんを批判しているけど、考え方はよく似ている気がする。
体制派と反体制派だけど、考え方は共通している部分が多いと思う。
和田義信さんの方が、遠山啓さんよりも先行しているので、もしかすると遠山啓さんが和田義信さんの影響を受けたのかもしれない。
おおくぼ
2011/09/15 17:13
白い皿が5枚あり、白い皿 1枚ごとに 黒い皿が3枚ずつのっています。黒い皿は全部で何枚ですか
という問題の場合も、順序派の考えでは、
黒い皿の数は白い皿の数の3倍と考えて5[枚]×3とするのは間違いで、3[枚/枚]×5[枚]としなければいけない、となるのでしょうか。


RTC
2011/09/15 18:00
 遠山の割合分数批判など,和田義信批判を見ると,とても似ているとは思えないのですが.(似ているが故の近親憎悪ということもありうるかもしれませんが.)
 私自身は,和田氏の本は,『日本数学教育史』を拾い読みした程度ですが,下記のテトさんのブログには,和田氏について,より詳しい紹介があります.
http://math.artet.net/?eid=184803
 
 これらを見ると,宮下英明氏は和田氏の弟子として,遠山に批判(論破?)された師の恨みを果たそうとしているのかな,と深層心理読みをしたくなります.
メタメタ
2011/09/15 18:27
順序派といえども、「6人に4個ずつミカンを配りました。何人に何個ずつ配りましたか。」という問に4人に6個ずつと答えてしまう子がいるかもしれない、と心配する現場の先生はさすがにいないと思う。心配しているのは、「かけ算には順序がある」というルールを覚えていない子がいるかもしれない」ことだろう。ただし、順序否定派を批判する人の中には、後付で順序擁護の屁理屈をひねくりだしている内に、非現実な心配を言う人もいる。

このブログの例では、feiさんは、かけ算には順序が無いことも、数式「6×4」は「6人に4個ずつ」とも「4人に6個ずつ」とも解釈出来るということも、分かっていた。ところが、子供がどのように解釈しているか知りたいなら、言葉で説明させるか、式に数助詞を付けさせればよいではないかという意見に、「子供は言語能力が未発達で、言葉で表現出来ないかもしれない」と杞憂していた。つまり、「6人に4個ずつミカンを配りました。何人に何個ずつ配りましたか。」という問題を理解出来ていても、言語表現が上手く出来ずに「6人に4個ずつ」と答えずに、「4人に6個ずつ」と表現するかもしれないと心配していたのかもしれない。

なお、現場の先生の大半は、順序ルールは便法に過ぎないことを分かっていると思う。便法を使う理由はかけ算でつまずくからというようなものだが、順序ルールではつまづきを防ぐことが出来ないばかりか、機械的な"天然無脳"を生み出していることが分かっていないだけだと思う。
zorori
2011/09/15 20:48
和田義信さんの本を読むと、メタメタさんの『かけ算には順序があるのか (岩波科学ライブラリー)』に出てくる「遠山啓」という名前を「和田義信」と変えても違和感を感じないんです。



ところで岡山大学の曽布川さんが新しい記事をアップしました。
http://takuya-sobukawa.blog.so-net.ne.jp/2011-09-15

>先日も,東京都立大学の総長を務められたこともある著名な数学者を,その交友関係などまで推測して名指しで危険人物呼ばわりしているサイトを見た。

誤読だと思う。
ウイキペディアの情報は怪しいから、交友関係は間違っているかもしれないけど。
おおくぼ
2011/09/15 21:37
>順序派の考えでは、黒い皿の数は白い皿
>の数の3倍と考えて5[枚]×3とするのは間
>違いで、3[枚/枚]×5[枚]としなければい
>けない、となるのでしょうか。

 当然そうでしょうね。
 もっとも、順序派の考えはこちらの予想
を越えることがあるので断言はできません。

 ところで「白い皿・黒い皿」というのは
何なのでしょう?
 それの本来の呼び方を言えば、誰もが
「あーっ、ソレの事か!」
と言うような物で、誰もが 5×3 と捉える
物だというオチを期待してしまいます。
ゴルゴ・サーディーン
2011/09/16 00:00
>なお、現場の先生の大半は、順序ルールは便法に過ぎないことを分かっていると思う。

これに関しては、私は悲観的です。ちゃんと調査したわけではないですが、状況証拠から、かなりの教師が「順序がある」と思い込んでいるようです。

http://suugaku.at.webry.info/201102/article_2.html
>4 × 5 には, 4 の五倍という意味があります。 4 人の五倍では答が 20 人になってしまいます。 これでは問題文の内容を理解しているとは言えないのではないでしょうか。 五枚ずつ四人にという文章題に当てはめると、五枚の四倍で答は二十枚、5×4 という式が妥当なわけです。

これを見るとサンドイッチルールは、かなり浸透しているように思えます。

http://q.hatena.ne.jp/1197768804
>【小学校算数】長方形の面積を求める公式について

質問主は小学校教師で、長方形の面積を横×縦で求めても良いのかどうか迷っています。

>「縦4cm横5cmの長方形の面積」
を求めるにあたって、「4×5」が正解で「5×4」は不正解(または減点)、としている先生も多いと思うのですが、

>先輩に聞いてみたのですが、確実なことはわかりませんでした。ただ、先輩は「式は逆にすべきではない」という見解でした。

というのを見ると、極少数がおかしな考え方をしているということではないように思えます。

長方形の面積ですらこんな具合だから、

>「4人が200円ずつ募金したら全部で何円」
といった問題であれば、「200が4つだから200×4」というのはまあわかります。
(4×200だと、「200人が4円ずつ」になる)

と、何の躊躇もなくサンドイッチを信じています。
積分定数
2011/09/16 07:51
 蛸足花まる授業の学校に問い合わせの電話をしたときに、件の教師は不在だったのですが、たまたま電話口に出た教師に聞いてみました。

 4人に3個ずつ蜜柑を配る問題では、4×3は間違いだと断言していました。カード式の説明をしても、「そういう考えは初めて聞いたが、配る回数が4回でそれを3買い繰り返すと言うことで、4×3にするということだと、12回になってしまう」と訳の分からないことを言っていました。

市教委の指導主事とも話をしましたが、全く話が通じませんでした。ようするに算数が分かっていないので、マニュアル通りの指導しかできないような印象です。

算数教育のそれなりの専門家とは、会話は可能ですが、現状に対する危機感は希薄です。

 数教協の人がこの問題に対して余り関心がないように見えるのも、学校では算数指導のリーダー的存在だったりして、「周りには、長方形の面積を横×縦でバツにしたり、順序を逆にしたからといって無条件にバツを付ける教師はいない」となっていて、深刻な事態があることが分かっていないのではないかと思います。
積分定数
2011/09/16 08:10


瀬山氏も同様
http://homepage2.nifty.com/seyama/zatu.html
>ある子どもが「6人に4個ずつミカンを配ると、ミカンは何個必要ですか」という問題に、6×4=24という式を書くと、答えはマルで式はバツにされます。「いま、小学校では」という書き出しなので、日本中の小学校でそう教えているような気持ちになるが、これは事実とは異なるのではないかと思う。少なくとも私の知っている教員で、この式に無条件でバツをつける人はいない。

 さらに、無茶苦茶な教え方がなされていることを知らないので、「順序が逆でバツなんてナンセンスだ」という声に対して、「これこれこういう理由があるのです」と言って教条的順序指導の援護射撃の役割を担ってしまう。
積分定数
2011/09/16 08:12
どうしたらNHKで特集番組を作ってもらえるかな?・・と思っています。
受信料と教育費の有効利用にもなるはずだし。
おおくぼ
2011/09/16 11:30
曽布川のブログ記事に訂正が入りました。
でも何が訂正されたのか、よくわからならい。

以下引用

ちょっと読み間違えていたので訂正を。
○元都立大総長を「危険人物」呼ばわりしていたのではなく,「敵」呼ばわりしていた。
○元都立大総長は都立大学理学部で数学科教育法の講義で述べていたことである。中学校以上の数学と小学校の算数科では基本的に立場が異なる。中学校以上の内容で,実数のかけ算の順序など気にしなくていけない状況はほとんど無い。
by sobu (2011-09-16 11:09)
おおくぼ
2011/09/16 13:54
ブログ読みましたが、文脈が全然分からないです。
積分定数
2011/09/16 14:35
>ブログ読みましたが、文脈が全然分からないです。

これは纏まりのある文章ではなく、ツイッターのつぶやきを機械的に繋げただけなのです。

参考

http://twitter.com/#!/sobukawa
おおくぼ
2011/09/16 14:47
そのとおり、
「倍数」は左側に書くというルールなのだ。
一見、サンドイッチルールに反するように見えるが、3倍というのは、3[黒い皿の枚数/白い皿の枚数]なのだから、よいのだ。

(すみません、想像力が乏しいので、予想を超える順序派の考えを予想出来ませんでした。まともになってしまった)
zorori
2011/09/16 22:01
ありゃりゃ、上のコメント、次の引用部分が抜けてました。

>順序派の考えでは、黒い皿の数は白い皿
>の数の3倍と考えて5[枚]×3とするのは間
>違いで、3[枚/枚]×5[枚]としなければい
>けない、となるのでしょうか。

zorori
2011/09/16 22:03
「息子とのやりとりの一部始終を覚えて
 いない親父の話」
http://kosonews.blog135.fc2.com/blog-entry-1645.html
ゴルゴ・サーディーン
2011/09/16 23:57
東京書籍の教師用指導書は、銀林浩さんや森毅さんの主張と共通する部分があります。
でも「数の掛け算」と「量の掛け算」の2種類に分けて、後者では「交換法則が成り立たない」というようなトンデモ論は、書いていません。
でも「教師用指導書」は、「掛け算の交換法則」の扱いに苦戦している気がします。

http://d.hatena.ne.jp/filinion/20101118/1290094089
おおくぼ
2011/09/17 00:40
追記

計算では交換法則が成立するけど、掛け算の順序を変えると、式が表現している状況というか意味は変わってしまうというのが、東京書籍の教師用指導書の立場ですね。

けれど「量の掛け算派」でも「意味が変わる派」でも、中学の数学を無視するのは変だと思う。
現場の教師の場合は、小学校と中学校で交流が少ないから棲み分けになるのは仕方ないと思いますが、教科書会社の場合は、整合性が求められると思うのです。
おおくぼ
2011/09/17 00:55
ゴルゴ・サーディーンの紹介している「息子とのやりとりの一部始終を覚えていない親父の話」は、誰にでもあることだと思います。
文章という形で記録してあると、記憶が消える(改竄される)ことがあっても、チェックができるのでいいです。
だからツイッターの論争をtogetterにまとめてあると助かります。
フィリップ・K・ディック系のSFが人気がある理由の一つは、自分の記憶が信用できないからでしょう。
おおくぼ
2011/09/17 01:05
訂正

前のコメントでゴルゴ・サーディーンさんの敬称をつけ忘れました。カタカナの名前だと敬称をつけないというクセがあるんので、すいません。
おおくぼ
2011/09/17 01:07
敬称略になってしまった事は気にしませ
ん。
が、リンク先の「親父」のような事が
「軽度なら誰でもありうる」というなら
ともかく、あのレベルで誰にでもあった
ら恐ろしいです。

 それはそうと、積分定数さんが私闘を
しているあそこの人の場合は、積分定数
さんの文章を読み直せば良い事なのに
「一部始終など覚えていない」と言った
のですね。
 自分でタイプした文章を覚えてないと
いうことではないので、リンク先の「親
父」と比べるのは、ちょっと無理があり
ました。
ゴルゴ・サーディーン
2011/09/17 01:53
ゴルゴ・サーディーンさんへ

>が、リンク先の「親父」のような事が「軽度なら誰でもありうる」というならともかく、あのレベルで誰にでもあった
ら恐ろしいです。

togettherでは、もっと酷い例がたくさんあります。
私が最近、一番ショックだったのはジャーナリストの日垣隆さんのツイートです。
私は日垣隆さんの愛読者だったのですが・・・。
ネットでの議論をいろいろ読んでいると、「人間とは何なんだろう?」とよく思うのです。
例えば医療系のニセ科学を主張する人が普通に生活できるというは不思議です。
宇宙人とか超古代文明の妄想を語るなら、普通の生活に大きな支障なく生活できると思うのですが・・・。

おおくぼ
2011/09/17 02:22
「−3+5」は「誰も乗っていないバスから3人降りました。その後5人乗りました」とい非現実敵な意味になるのでおかしい。
この論理は、以下のようなもの。

「足し算には時系列に書くルールがある」という前提をおけば、非現実的な意味になる場合がある。故に、「足し算には時系列に書くルールがある」.

「前提が正しければ、前提は正しい」に過ぎない。

*******
「a:バスに5人乗っていました.そこへ新たに2人乗車してきました.今何人乗っていますか」という日本語は正しいが、「b:バスに2人乗車してきました。そのバスには5人が乗っていました。」は間違い。なぜなら、日本語は時系列に書くルールがあるから。
「c:バスに、二つの停留所でそれぞれ、2人と5人が乗ってきました」も間違い。どちらが先か分からないので、時系列ルールを満足するか分からないから。
********

日本語だって「時系列表記ルール」なんかないのに。
zorori
2011/09/17 12:03
私闘の方は、決裂して終わりました。
積分定数
2011/09/17 15:56
『現代思想』の『臨時増刊 2000年10月号 数学の思考』(11年前)に、小島寛之さんの銀林浩インタビューが掲載されていたので、買って読んでみました。
水道方式に関する理論的な話を詳しく述べています。
かけ算の順序については語っていないのが残念です。
おおくぼ
2011/09/17 20:21
私(ゴルゴ・サーディーン)曰く:
>Q1. スペースシャトルの全質量は、どう計算
>しますか?
>A1. 本体 + 外部燃料タンク + 固体ロケット×2
>  ( これについては、一応、異論なし )

いや、これは甘かったですね。
足し算の順序派なら、断固組み立ての順番に
沿って立式すべき、となるところですね。
http://gigazine.net/news/20070328_space_shuttle/

外部燃料タンク + 固体ロケット×2 + 本体

これのみを正解とするのが「明解」(*)であり、
異論を唱える者は「論争好き」とされ、非生
産的な行為と見なされるわけですね。

( *…「国語辞典かよ!」 )
ゴルゴ・サーディーン
2011/09/17 23:19
>私闘の方は、決裂して終わりました。

「あおやま」さんは、論理的な議論ができない人だと思うのです。
論理的な議論のできない人に論理的な議論を強要すると、決裂するのは当然だと思います。
おおくぼ
2011/09/18 01:48
zororiさん 2011/09/16 22:01
>そのとおり、
「倍数」は左側に書くというルールなのだ。
一見、サンドイッチルールに反するように見えるが、3倍というのは、3[黒い皿の枚数/白い皿の枚数]なのだから、よいのだ。

濃度3%の食塩水5gに含まれる食塩は何gかという問題の場合も、食塩水の濃度は食塩水1gあたりに何gの食塩が含まれているかを表すものだから「1あたり量」であり、順序派の考えでは、
5[g]×0.03とするのは間違いで
0.03[g/g]×5gにしなければならない、となるんでしょうね。

問題を少し変えて、1mlあたり0.03gの食塩を含む食塩水5mlに含まれている食塩は何gかとした場合も同様でしょう。
0.03[g/ml]×5[ml]としないで
5[ml]×0.03とすると単位が違ってしまいますし。
RTC
2011/09/18 04:26
>その強いボクサーはジムのへなへなな持ち主をリングに叩きのめしてしまいました。
>そのとき意気洋々とその強いボクサーは観客と引き上げたのですが、その後どうしたものか、また場末のジムに現れて

これはどの時点のことなんでしょうね。
RTC
2011/09/18 06:01
>私闘の方は、決裂して終わりました。

ある体つきも貧弱な一人の男がある街の場末に「道場破り歓迎(コメント歓迎)」と看板を掲げ、小さいボクシングジムを開いていました。そこへあるときある筋骨隆々のいかにも強そうな(またほんとうに強い)ボクサーが観客を100人ほどつれてやってきました。

そしてボクシングジムの持ち主に練習をしたいから相手になってくれと頼みました。ところが、持ち主は「いやあ、お強そうですね」とかなんとか言って、相手をしようとしません。それでも、道場破りが頼むと「しくこく言われることは好みません」と言いながらも、練習のファイトをいやいやながら始めたら、最初のジャブで、その強いボクサーはジムのへなへなな持ち主をリングに叩きのめしてしまいました。

打ちのめされた持ち主は、相手を称えるかと思いきや、「ルールに対する見解の相違だ」とか「単に相手を打ち負かすボクシングは好みません」など言い出し、むしろ、無礼者扱いし始めました。

「正々堂々と倒したのに、無礼者扱いは酷い」と道場破りは抗議しました。それは痛いところを付いたので、持ち主は技術だけでなく、マナーでも批判されたと感じ、反省するかと思いきや、なぜか「負けた相手の顔を自分の靴で踏みつける」ような奴だと思いました。

道場破りは、「途中でルールを変えるような首尾一貫しないお前がすべて悪いのだと。」とまでいいます。
そうかもしれませんが、もし人のジムに出入りをするのなら、試合に勝っても持ち主の顔を立てて負けたふりをすべきです。それをしないのは非礼です。自分のした非礼をわびることぐらいすべきだと思います。そしてジムの持ち主が和解のために差し出した手さえもふりはらうのです。

zorori
2011/09/18 09:15
「あおやま」さんは経験豊かな物理学者であり、議論のテーマが数学(小学校の算数)です。
「あおやま」さんは、どんなに批判されても自説を曲げようとしません。
しかも「あおやま」さんの議論の仕方は、論理的ではありません(支離滅裂です)。
そして自分が論理的な議論をしていないことを認めません。
勝ち負けや礼儀以前に、物理学者としての議論の方法に問題があると思います。
物理学者でも論理的な議論が苦手な人は、いると思います。
そういう場合は、最初から相手にそのことを伝えるべきでしょう。
おおくぼ
2011/09/18 10:43
>順序派の考えでは、
>5[g]×0.03とするのは間違いで
>0.03[g/g]×5gにしなければならない、とな
>るんでしょうね。

順序派にそのことを問うと

http://www.inter-edu.com/forum/read.php?903,1013957,page=8
そういうのは屁理屈だ、で済まされるよう
です。

また、別の場所で
 「順序主義で訓練された子は
   溶質の質量 = 濃度 × 溶液全体の質量
  の形で式を書くんだねえ。
  普通、
   溶液全体の質量 × 濃度
  じゃないか?」
という趣旨のことを書いたサイトを見たことが
あるのですが、探せませんでした。
ゴルゴ・サーディーン
2011/09/18 11:41
順序派と言っても、いろんなレベルがあると思うのです。

1 教科書に順序を変えていいと「書いてない」から。
2 先生に順序を守るよう習ったから。
3 教師用指導書に順序を守るように書いてあったから。

だから「交換法則があるから、順序はない」と言っても「屁理屈だ!」で終わってしまうのでは?
おおくぼ
2011/09/18 14:12
いまさらですが、

>現実の問題と考えるか,数学という抽象化されたものとみなすかの違いではないでしょうか.前者ならば,足し算でも順序があります.「バスに5人乗っていました.そこへ新たに2人乗車してきました.今何人乗っていますか」という問には,5+2=7が正しく,2+5=7は現実として不適当です.というのは,もし2人が降りたのなら,-2+5=3と答えるのは明らかに非現実的だからです.これを正解とされますか.

>Nakanishi先生はいつも明解ですね。そうですね。現実と抽象化された数学とは同じではないのですね。

現実の問題と数学を混同しているのは、Nakanishi先生と、あおやまさんですね。
「5+2=7」という抽象化された数式は「バスに5人乗っていました.そこへ新たに2人乗車してきました.」という現実をそのまま記述していると考えています。
「2+5=7は現実として不適当です.」に至っては、「2+5=7」を現実だとはっきり書いているし。
数式と現実の問題は1対1に対応すべきと考えていますね。
zorori
2011/09/18 17:30
>論理的な議論のできない人に論理的な議論を強要すると、決裂するのは当然だと思います。

物理学者だから、もう少しまともに議論できると思った私が甘かったです。あそこで十分展開できなかった、Nakanishi氏の考えをきちんと批判しておきます。

ア 仮に、−2+5が不合理であったとしても、2+5が不合理になる理由にはなり得ない。ある範囲で成り立つことが、範囲を拡大したら成り立たないことはありがちだが、そのことで拡大する以前の範囲でも成り立たない、などということはない。√a・√b=√(ab)というのを中学で習うが、a,bが負数になると成り立たない。だからa,bが正の数でも、√a・√b=√(ab)とするべきではない、などと言う人はいない。

イ 時系列に早い順に左から書くというルールがあるわけではないが、仮にあったとしても、「何が早い順」なのかが明示されていなければ、どうとでも言える。全員がバスに乗った後に、「後から乗った人は手を挙げて」→2人が挙手する。「最初から乗った人は手を挙げて」→5人が挙手する。挙手した順だと5+2のみが正しくなる。「乗った順に左から」としないと、5+2のみを正解にすることは出来ない。

ウ −2+5は、いきなり負の数が来て不合理だと言うが、5+(−2)は5に何を足しているのか?負の人数なる概念が抽象的形式的実在性の乏しいものである。それを右側に置くのはいきなり左に出すのはけしからんというのはご都合主義的ダブルスタンダードである。
積分定数
2011/09/18 22:36
>Nakanishi先生はいつも明解ですね。そうですね。現実と抽象化された数学とは同じではないのですね。
>それはそれとして、興味が出たので当該の本を注文して読んでみることにしました。
>私にはちょっと後戻りをこの本が要求しているようにも思えたりしているものですから。

その後「あおやま」さんは、『かけ算には順序があるのか (岩波科学ライブラリー) 』を読んだのだろうか?
おおくぼ
2011/09/18 23:20
では私も。

■都道府県別の米の生産高を合計するときは、
 収穫時期の早いものから順に足さなければ
 ならないのか?
  統計資料などで、北海道にはじまって沖
 縄で終わる、とか、新潟・秋田ではじまっ
 て最後が東京とか、そういう順番で書いて
 あるのをそのまま足し算の式にしたら、バ
 ツなのか?(いや、「絶対バツ」ではなく、
 「通常は考えない」でしたか。)

■商店の1ヶ月の売り上げを集計するとき、
 売り上げの日時順に並べなくてはいけない
 のか?
 顧客ごとにまとめられている資料を、いっ
 たんバラバラにしないといけないのか?
ゴルゴ・サーディーン
2011/09/18 23:29
ウ>それを右側に置くのはいきなり左に出すのはけしからんというのはご都合主義的ダブルスタンダードである。

それを右側に置くのは良いが、左側に置くのはけしからんというのはご都合主義的ダブルスタンダードである。
積分定数
2011/09/19 06:25
http://twin.blog.ocn.ne.jp/physicomath/2011/07/post_0a55.html
>現実と抽象化された数学とは同じではないのですね。
>数学的に正しくても現実的に設問がおかしい場合がある

面倒なので深入りしなかったが、この意味もよく分からなかった。

2mと3mの紐を繋ぐと何m? 
ぴったり2mと3mではないし、結び目の部分もあるから、5mとはならない。

「いつでもお越し下さい。大歓迎です。」というので夜中の2時に行って顰蹙買った。

ふさふさ頭から1本髪の毛を抜いてもふさふさ頭のままである。数学的帰納法で、ふさふさ頭から何本毛を抜いてもふさふさ頭のままである。これは不合理。

物理学者は論理的である。某氏は物理学者である。よって某氏は論理的である。なぜだか知らないが帰結部分が誤り。


こういういことだろうか?
積分定数
2011/09/19 06:38
>数学的に正しくても現実的に設問がおかしい場合がある

無限をどう考えるのだろう?
おおくぼ
2011/09/19 08:41
ブログ休止のようですね。あの程度でという気もしなくもないけど、まあいいや。

 私の言っていたこと=最初の対応がおかしい、というのが最後まで分かっていなかったようですね。
積分定数
2011/09/19 21:55
私もずっと前、職場の上司(当時)から
 「オマエは、自分の考えは絶対正しい、
  と思ってるんだろう。」
と言われたことがあります。
こっちは
 「ジックリ検討しようじゃないか」
と思っているだけなのに。
ゴルゴ・サーディーン
2011/09/19 23:38
積分定数さんの怪しい数学的帰納法の例「髪の毛」で思い出したのが、森毅さんと竹内啓さんの共著『数学の世界』(中公新書 1973年)です。
47頁に髪の毛の話が出ています。
この本は、かけ算の順序問題も話題にしています。
あとNakanishiさんのマイナスとプラスの例も、この本にありました。

>竹内:つまり方向の変化ですね。東へ5キロ行くのが+5なら、西へ3キロ行くのは-3とか。
>森;この場合は足し算になるんで、そのとき問題は、交換法則が自明でないわけです。それだと(+2)+(-3)+(+5)と、順番に足していかんならんわけでしょう。ふつうはそうしないで、プラスはプラスだけで合わせて、マイナスはマイナスだけ合わして引き算するけれど、そうしてよい保証はないわけです。実際は有限個だから順序交換ができるわけですが。これは、マイナスが出てくるとかなり本質的な問題で、大学で無限級数を教えるときに、プラスばかりだったら、寄せ集めるんだから順番はいくら変えてもいいけれども、プラスとマイナスが混ざったら、変えたらいかん、これはふえたり減ったりするんだから、それを無限に繰り返すのに、順序を変えていいかどうかは保証のかぎりでないだろう、こう言うたら、学生はキョトンとしておったですけれどね。
64頁〜65頁
おおくぼ
2011/09/20 02:03
元大学教授の内田樹さんのブログは人気が高いですが、コメント欄がありません。
9月2日にアップされた記事「学ぶ力」を読んで、詭弁としか思えない内容に驚きました。
擬似論理&擬似実証の見本のような文章です。

http://blog.tatsuru.com/2011/09/02_1151.php

でも内田樹さんには発表する権利はあるし、そして私達は内田樹さんの文章を批判する権利があると思うんです。
おおくぼ
2011/09/20 03:07
ゴルゴ・サーディーンさん 2011/09/18 11:41
>順序派にそのことを問うと
>そういうのは屁理屈だ、で済まされるようです。

リンク先を読んでみましたが、RTC 2011/09/18 04:26の下の方の設定やRTC 2011/09/15 18:00の設定の場合にどう考えるのか不明です。
RTC
2011/09/20 04:12
http://twin.blog.ocn.ne.jp/physicomath/2011/07/post_0a55.html#comment-31042450
>もっとお互いに傷つくよりは適当なところでとめた方がお互いのためだと思います。

一方的に叩きのめされ、顔を踏みつけられたようなものという認識だったはずですが、互いに傷つけあっていたという認識に変わったのでしょうか。
RTC
2011/09/20 04:17
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1311344820#CID1316182778
で話題になっていたと初めて知った。

私に言いたいことがあればここに書き込めばいいのに。

他の方も、ここの常連だからといって遠慮しないで、「積分定数の方もこういう点が良くない」とかあれば指摘して下さい。同意するかどうかは分かりませんが、話は承ります。

>もしかしたら、冷静な理系の方に、「積分定数さん、言いすぎですよ」と言ってもらえるかなと期待もありましたが、無理ですね。

むしろ私は、あのブログの常連があおやまさんに注意しないのだろうかと思いました。

ちなみに、「私闘」と表現したのは、足し算の順序の是非そのものの議論ではなく、最初から「論争好き」と決めつけた態度に対して、「それはおかしいだろ!」という話だから。

>>自分の言っていることが支離滅裂であることを自覚して下さい。
>>よくそれで物理学者をやってられましたね。感心します。マジで。
>こういう書き込みを見て、「議論」と言えますか?
傍から見ていても怒りを覚えました。

どこがどういう具合に「支離滅裂」であるかは説明しているし、ある職業に携わる人間がその職業を遂行する上で必要な能力を大きく欠いていると思えた場合に、「よく〜をやってられるね。感心します。」と言うことは、ありがち。

反論するなら、「あおやまさんの言っていることは支離滅裂ではない」とか、「支離滅裂でも物理学者は務まるんだ」とか主張しないと、説得力がない。
積分定数
2011/09/20 06:15
>森毅さんと竹内啓さんの共著『数学の世界』(中公新書 1973年)です。

ここで森毅が言っていることは、以前だったらもっともだと思ったろうけど、今はこういう文章を見ると警戒してしまう。

 表現の違いでニュアンスやイメージが異なるというのはありがち。

 以前、mixiのあるコミュで、

|−3|=□ □に当てはまるのはどれか?
ア.−3  イ.3  ウ.+3  エ.±3

というイのみを正解にした問題は妥当か?という議論がありました。

私は、「3」と「+3」は同じだから問題として不適切。敢えて出題したなら、イとウの両方を正解にすべき、と主張しましたが反論が多いのに驚きました。

 つまり、「+3」という表記は、負の数がある、方向性があるということを含意するというのです。
 
 例えば、ある地点から東向きを正、西向きを負とすると、+3qなら、東に3q。−3qなら西に3q。「基準となる地点からどれだけ離れているか?」は、負の値はあり得ないので、3qと答えるべきで、+3qではない。この問題の場合も、絶対値とは原点からの距離だから正(あるいは0)しか取れないわけだから、問題として妥当で、「+3」を誤答としてよい。

という主張です。

ニュアンスやイメージを正誤判断の基準にしてしまうことが不合理である、ということに気づいていないようでした。
積分定数
2011/09/20 06:40
化学などなら、3と3.0の意味が異なることは承知している。両者で有効数字が違っている。

数学では、3と3.0は全く同じ。3.0人や3.0個という表記は違和感があるが、整数値しか取れないものに3.0と表記するのは絶対間違い、とは言えない。

2+1を計算せよという問題に、3.0と書くと誤答となるのは構わない。「なるべく簡単に表記する」という慣行があるから。

「2+1の値として適当なものを選べ」の選択肢に、3.0や6/2があった場合、これらを誤答とするのは不合理。

ニュアンスや違和感などというのは結構テキトーなもので、微積分をやっていると「εは小さい値」という感覚が身についてしまうが、ε=10000 というようにしてはならない、などという法はない。集合論の順序数だとεは「すごく大きな値」である。
積分定数
2011/09/20 06:53
あおやまさんは、ネットの議論に慣れていなかったんだと思います。
でも政治の話題でタブーな発言をしてしまうと大変なことになると思う。
政治の話題で炎上すると、ネット=怖い世界という認識になってしまうと思う。
「かけ算の順序」は、政治とは違い理性的に議論できるテーマだと思うんですが・・・。
ツイッターでは、かけ算の順序を巡ってもっと過激な論争はたびたびありました。
例えば、去年末の論争。

http://togetter.com/li/68853

「かけ算 順序 togetter」でググると一番最初に出てきます。
おおくぼ
2011/09/20 09:56
>あおやまさんは、ネットの議論に慣れていなかったんだと思います。

そうなんでしょうね。だから批判的コメント=あらし、とでも思ったのかも知れません。あの程度で「炎上」云々言うようでは、不特定多数に開かれたブログはやめた方が良いと思います。

西三数学サークル掲示板
http://9114.teacup.com/seisann/bbs

ここも完全無視を決め込んでるし。数教協って何なんだろう?
積分定数
2011/09/20 13:05
積分定数さん、

> つまり、「+3」という表記は、負の数がある、方向性があるということを含意するというのです。
 
実は、絶対値を初めて習ったときに、似たような疑問を感じたことがあります。
「絶対値とはプラス・マイナスの符号を取ったもの」というような説明だったため、|−3|は、−3とも3とも違う別の概念ではないかと混乱してしまったんです。

私は、なにやら新しい数の概念が有るのではないかと勘違いしたわけですが、この人主張する絶対値の意味は、単にプラス・マイナス符号を使える場合を制限しているだけかと。「現実問題として、プラスもマイナスもあり得る場合のみ、+3と表記し、マイナスがあり得ない場合は、3としか表記してはいけない。絶対値とは後者を指す」と。その当然の帰結として、具体的事例を想定しない、抽象的な数は取り扱えないことになって困ります。符号+の有無に具体事例の情報を詰め込もうとしているわけで、かけ算順序に情報を詰め込む考えに通じるものが有ります。

ところで、この絶対値の定義では、負の値の絶対値は定義に反します。さらに、+3は負の値もあり得る場合ですので、|+3|も駄目です。許されるのは|3|=3 のみ。絶対値記号は何のためにあるのやら?
zorori
2011/09/20 21:44
 実際、混乱するような説明をする人がいるようですね。mixiの議論で不安になりました。

 +や−の符合をとったもの、でも一時的には通用するのですが、高校生に教えると、|−x|=x としてしまう生徒が多いです。

 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=21337939&comm_id=380962

4年前の議論だが、かけ算の順序とよく似た議論が展開されている。ちなみに、当時のHNは「にしひろ」
積分定数
2011/09/20 22:29
>リンク先を読んでみましたが、RTC 2011/
>09/18 04:26の下の方の設定やRTC 2011/0
>9/15 18:00の設定の場合にどう考えるのか
不明です。

(私が“彼ら”の代弁をする義理は全く無
 いのですが)

●白い皿・黒い皿の問題
 “彼ら”なら、容器の優先度は極めて高
 い… はずですが。

●溶液の濃度
 これはまったく分かりません。
 “彼ら”の間で、順序主義の実践には温
 度差があり、あるところでは掛け算の単
 元のときだけうるさく言ってあとはほっ
 たらかし、あるところでは高学年まで徹
 底して順序主義ですから。
ゴルゴ・サーディーン
2011/09/21 00:16
あおやまさんとNakanishiさんの発言を読んで、銀林浩さんの悪影響があるのかなあ〜と思いました。
銀林浩さんは、「数の世界」と「量の世界」を分けて、後者では交換法則が成り立たないという考えです。
「量の世界」を「現実」と言い換えれば、主張は同じです。
おおくぼ
2011/09/21 07:32
 本来は抽象化によって単純にすっきり統一的になるのが数学の魅力。そこに行き着くまでに具象の世界で、試行錯誤して苦労するのはいいことだと思う。苦労する中で抽象化に気づき、一気にもやもやが晴れ渡る。

 そういう意味では、かけ算の初等段階では、前後の数に意味の違いを持たせて定義して、交換法則は伏せて置いた方が良いと思う。そこで、格子状にしたら前後の数は対等であり、交換法則も自明、と子供が気づいたら、それ以降くどくどやる必要はない。

 抽象への飛躍を最終目的とするにしても、いきなり抽象ではなく、具象から教えていく、という話なら分かるが、銀林浩の論理だと、具象が最終目標に見えてしまう。

 このあたりは順序派にも混乱があって、「子供はいきなり抽象的なことは分からない」といいつつ、「分かるはずがない」「抽象的に考えてはいけない」となっていたり、当人がそもそも抽象化できていない場合がある。

 森毅の言う順序数と基数のイメージの違いなども、数学をある程度やっている人間が読めば、「ああ、なるほどそういえばそうだよな」となるが、その根底には「とはいっても、有限の数の場合順序数と基数は同値、同型写像が存在し区別する必要はない」というのがあり、あくまで雰囲気・イメージの話であると了解済みのこととしてである。

 このあたり、しっかり理解していない人が中途半端に読んで、剽窃してしまうと厄介。水道方式信奉者が必ずしも数学を理解していないことは、どろんこ氏の例でもわかる。
積分定数
2011/09/21 12:21
 あとかけ算の順序とは関係ないが、水道方式への疑問として、シェーマ(教具)に凝ったりして、教える側が工夫しすぎに思える。

 教師があれこれ工夫して面白くしようとすればするほど、子どもたちは受け身になってしまわないだろうか?教具が精巧であればあるほど、子供には遠い存在になりかねないと思う。

 あれこれ手を加えなくても、算数・数学はそれ自体で面白い訳で、3が4つと、4が3つ、が同じ数になるなんてすごく面白いと思う。


 四角形の対角線の数は? 5角形や6角形は?

というような、単純な問題、時間があるときにふと問題を思い出して考えられるような、そういう素材に手を加えない出題の方が私好みである。

 秋刀魚は目黒に限る。
積分定数
2011/09/21 12:44
遠山啓さん、銀林浩さん、森毅さんに共通するのは物理学偏重だと思う。
数学を物理学にどのように応用するか?というのは大事なことだけど、小学生には難しすぎると思う。
外延と内包という思考法が、水道方式で必ず出てくるのはマズいと思う。
温度の足し算を内包と考えるは便宜上いいかもしれないけど、それでは問題が解決したことにはならない。
数学と物理学の関係は複雑なので、内包というマジック・ワードを使ったとしても、問題解決にならない。
数学=現実という考えは危険。

神永正博さんの『食える数学』(ディスカヴァー・トゥエンティワン 発行)には、数学を現実に応用して商売にする難しさがいろいろ書いてあって感心しました。


おおくぼ
2011/09/21 13:35
> 教師があれこれ工夫して面白くしようとすればするほど、子どもたちは受け身になってしまわないだろうか?教具が精巧であればあるほど、子供には遠い存在になりかねないと思う。

田中博史という方のカルタが話題みたいです。

http://www.bunkei.co.jp/school/hitoyume/pdf/10_06_3.pdf
おおくぼ
2011/09/21 13:52
>数学を物理学にどのように応用するか?と
>いうのは大事なことだけど、小学生には難
>しすぎると思う。
>外延と内包という思考法が、水道方式で必
>ず出てくるのはマズいと思う。

外延量と内包量は、
 ×難しすぎる
 ○虚構
ですよね?
ゴルゴ・サーディーン
2011/09/21 14:00
積分定数さん
明らかな間違いなので指摘しておきます。
×シェーマ(教具)
シェマ、シェムとも言われますが、心理学用語です。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/3127635.html

ゴルゴ・サーディーンさん
日本数学会の歴代理事長が内包量、外延量の解説を書かれています。
これを虚構とするのは無理でしょう。
釈迦に説法
2011/09/21 16:08
>これを虚構とするのは無理でしょう。

http://tamanosc.cc.it-hiroshima.ac.jp/img/img-keisoku/keisoku_06_3.pdf
http://whs-math.net/report/takeda/takeda20100401.pdf
広島工業大学では「電流は外延量」と教え
ています。
久喜工業高校では「電流は内包量」と教え
ています。
どっちが本当なのでしょうか?
それとも
 「ある量が外延量のように見えたり内包
  量のように見えたりする事がある」
のでしょうか?
ゴルゴ・サーディーン
2011/09/21 16:30
>明らかな間違いなので指摘しておきます。

どうも有り難うございます。シェーマ=教具、ではないのですね。
積分定数
2011/09/21 16:40
ゴルゴ・サーディーンさん
この例で、大御所のお二人の数学者のお考えを否定できるのであれば、何も言いません。
釈迦に説法な発言ですみませんでした。
釈迦に説法
2011/09/21 16:47
積分定数さん
こちらこそ釈迦に説法な指摘で失礼しました。
釈迦に説法
2011/09/21 16:48
http://whs-math.net/report/takeda/takeda20100401.pdf
>液量、長さ、面積、体積と容積、重さ、時間、モーメント(トルク)などの「ものの存在の規模や広がり」を表す量を『外延量』

重さは外延量としているが、力は内包量となっている。
電圧も電力も印が付いていないので外延量なのかな?
電圧は単位電気量あたりの位置エネルギー
電力は単位時間あたりのエネルギーだけど、単位当たり量でも内包量とは限らないのかな?

1.5Vの電池を2個直列に繋いだら3Vだけど、並列に繋いだら1.5Vのまま。

電圧は直列だと外延量で並列だと内包量?

光の明るさとかどうなんだろう?強さや性質のようにも思えるし、量の大きさにも思える。

>高校では、あまり「内包量」という呼ばれ方をしないことが不思議です。

必要ない概念だからだと思う。なぜ不思議に思うのかが不思議。
積分定数
2011/09/21 17:03
http://whs-math.net/report/takeda/takeda20100401.pdf
『内包量』は、2つの外延量の相互関係によって決まり、

長方形の面積は縦横の長さという2つの外延量の積だが、内包量ではないのだろうか?

温度って2つの外延量の相互関係によって決まっているのだろうか?

3つの量の関係式があって、2つが外延量だと、残りの1つが内包量、ということだろうか?
積分定数
2011/09/21 17:22
>この例で、大御所のお二人の数学者のお
>考えを否定できるのであれば、何も言い
>ません。

私は、自分がその「大御所」よりも偉い
などと言うつもりはありません。
ただ、「内包量・外延量」という言葉を
使って中学以降の理科で学ぶ内容を捉え
た話で、信用できる物を見たことがあり
ません。
ゴルゴ・サーディーン
2011/09/21 17:41
「大御所の数学者」の二人(どちらも直接の知り合いです)の権威を自説の根拠に使うのは止めた方が良いと思います。大したものではありません。

「内包量」「外延量」の概念を擁護したいならば、自分でそれらを可能な限り明確に定義して、それらの概念が有用であること(できれば現実の教育現場で有用であったこと)を自分の言葉で説明しなければダメでしょう。

個人的に数学者や物理学者の中で「内包量」「外延量」という言葉を使いたがるのはかなり上の世代の人たちだという印象があります。そういう人たちは数教協の銀林氏らの活躍がどのような弊害を生み出しているかをほとんど何も知らないと思います。

そういう人たちが何か言っていても現実の教育の話に繋げるのは難しいと思います。
くろきげん
2011/09/21 18:00
くろきさん
それこそ釈迦に説法ですみません。
特に擁護したいとは思っておりません。
偉い(と世間に思われている)数学者が言われたことを否定していると、逆に数学がわかっていないと思われるのではないかと思いましたので。
釈迦に説法
2011/09/21 18:15
>電圧も電力も印が付いていないので外延
>量なのかな?

私思うに、その資料の最も味わい深い箇所
は、電力には内包量のマークが付いていな
いのにその隣の「仕事率」にはマークがあ
ることです。
もしかしたら
 「ある量が外延量のように見えたり内包
  量のように見えたりする事がある」
という考えに基づいているのかも知れませ
んが。
ゴルゴ・サーディーン
2011/09/21 18:17
銀林浩さんの使っている内包量の意味は理解できない。
物理学に則して精緻化されているみたいだけど・・・。
遠山啓さんが、温度の足し算を内包量というのはわかりやすいと思う。
1リットル10度の水と1リットル10度の水を足すと、20度にはならない。10度ぐらいだったりする。
(10+10)÷2=10度なわけで、÷2という余計な計算が必要になる。
この÷2の計算の意味を考えるのが面倒だから、内包量に分類しようということだと思う。
これは一旦、内包量に分類して判断停止して、別に考えようという便宜上の方法だと思う。
便宜上の方法を絶対視するのはマズい。
数学上では内包量と外延量の区別は任意なわけで、人それぞれだと思う。
おおくぼ
2011/09/21 19:11
外延量と内包量の違いは、具体的モノや状況の違いであって、数の性質の違いではないと思う。算数にとっては発展性の無いつまらない概念に感じる。
1%食塩水と2%食塩水を加え合わせても3%にはならないことから、濃度などは加算のできない内包量だ。しかし、水100gの濃度を増す操作を考えてみる。1%増すとは、1gの塩を加えることである。では、1%増操作と2%増操作を行えば、何%増になるのか?それは、1%+2%=3%となる。ただ、このことは、濃度の和ではなく、塩を加える操作の和であって、あくまで濃度は内包量であるという反論が考えられる。実は、この反論こそ、外延量と内包量の違いとは、モノの操作や状況の違いであって、1%という数の性質の違いではないことを表している。1%という数は内包量にも外延量にもなる。

例はいくらでも考えられる。1時間当たり10個の生産能力の機械と20個の機械を投入すれば、10個/h+20個/h=30個/h と加算できるが、二つの機械を1時間ずつ、都合2時間稼働させても、30個/hにはならず、15個/hである。

時速100km/hの機関車2台を連結しても、時速200km/hは出せないが、2台を別の軌道上を同時に走らせれば、1時間当たり走行距離は200km/hになる。
zorori
2011/09/21 21:51
濃度の意味(定義)を知ってさえいれば、1%食塩水100gと2%食塩水100gを混ぜた濃度は、
(1g+2g)÷(100g+100g)
と計算できます。別に内包量を知らなくても困りません。
しかし、濃度の意味を知らない子供でも、「内包量は足し算できません。濃度は内包量です。」という知識をあたえれば、
1%+2%=3% 
という間違いはしなくなります。多少の効能は有ります。ただし、正しい濃度の計算の仕方は分かりません。

理解していなくても、有る程度のことが出来る「文字公式」と通じるところがあるような気がします。理解出来ていなくても、有る程度の点数が取れるテクニックを教えることこそ、落ちこぼれを作らないよい教育であるという思想があるような気がします。
zorori
2011/09/21 22:17
>ゴルゴ・サーディーンさん

↓この「毎年ある話ですね」さんに質問したら納得できる解説を聞けそうですね(w

http://www.inter-edu.com/forum/read.php?903,1013957,page=5
>「外延量」=「内包量」×「外延量」であって,「外延量」=「外延量」×「内包量」は間違いなのです。
電力=電圧×電流,なのか?,電力=電流×電圧,なのか?・・・・これは大学で「正しい式とその理由」を学ぶでしょう。
積分定数
2011/09/21 22:18
>多少の効能

内包量・外延量は、とてもwell-definedとは言えないと思うのですが、「指導する上で重宝する」というのもzorori
さんが指摘しているような「効用」でしかないのではなあいかと、私も疑っています。

http://homepage3.nifty.com/jikkenn-kyositu/sakusaku/1_3.htm
>「そうだね。100キロじゃないよね。数字にね、、、」
と私は、子どもたちに内包量、外延量の話、その考え方、答え方を教えます。

 具体的にどう教えるのだろうか?結局、「みはじ」と同様のことになってしまわないだろうか?

 「2つをあわせるから足し算」としてしまうのは、「文章から式を作る場合に、そのようにすれば正解になることが多かったから」という経験則から「あわせる=足し算」ということが染みついているからだと思う。

 「かけ算の順序」をしっかり教えれば、文章題の意味をちゃんと考えて、この様なことが無くなるはずじゃなかったのかな?
積分定数
2011/09/22 07:21
 「内包量・外延量」を素晴らしい概念であるかの如く主張する人が滑稽なのは、そもそも定義が曖昧で効用もあやしいにも関わらず、「なぜこんな素晴らしいものを学校で教えないのだ」などと言い出したり、中には「理工系大学生でこれを勉強していないことは本来ならありえまん。
示量性変数と示強性変数,外延量と内包量,といった量の概念です。」 (前述の「毎年」氏)とまで言ってしまうことである。

 そんな概念を知らなくても濃度や速度の計算を難なくやっている人が多数いることは、どう考えるのだろうか?

 「みはじ」に置き換えてみると相当滑稽。

 「みはじ」で速度の計算が出来るようになって感動して、「みはじ」を教えないで速度を教えるなどけしからん、とまで言い出す。そんなものに頼らないで速度の計算が出来る人に「『みはじ』を知らないの!?」などと驚きあきれる。(※)

 内包量・外延量という概念を知って目から鱗が落ちたのかも知れないが、そういう概念を教えられて目に鱗が貼り付いちゃって余計に混乱する人とかいないのだろうか?

(※)高校生に電磁気を教えていて、力が働く向きを間違って答えたので、何故そうなったのか説明してもらったら、「フレミングの・・・」とか言うことだった。「俺それ知らないんだよね。」と言ったら、「えっ、そんな・・・」とあきれられたことがある。右手だか左手だかわからなくてややこしいし、そんなもの知らなくても力の向きは求められる。「かけ算の順序」もそうだけど、目的(かけ算の理解、電磁気で力の向きを求める、など)が達せられている状態では、手段は無用。ただし、「かけ算の順序」は、そもそも誤りであり、手段としても甚だあやしいという点で、「フレミング」とは異なる。
積分定数
2011/09/22 07:59
> 内包量・外延量という概念を知って目から鱗が落ちたのかも知れないが、そういう概念を教えられて目に鱗が貼り付いちゃって余計に混乱する人とかいないのだろうか?

理科の授業で使わない概念を、数学で使うというのはどうなんだろう?と思います。
外延量=計算方法が簡単なもの
内包量=計算方法が面倒なもの
・・・ぐらいの意味で使えば、教育上は便利とは思います。
でも「内包と外延」に丁寧な定義をして分類し、理科全部を厳密に説明しようとすると、大きな負荷と混乱を先生と生徒に与えると思う。
例えば銀林浩さんの『量の世界』(むぎ書房:発行)にあるような分類方法を生徒に強制すると、ムチャクチャなことになると思う。
おおくぼ
2011/09/22 11:22
ゴルゴ・サーディーンさんのコメント・・
>外延量と内包量は、
> ×難しすぎる
>  ○虚構
> ですよね?

虚構という言い方には違和感を感じてしまう。
例えば、「数学は虚構か?」という問いはどうでしょう。
「数学は現実ではない」であっても、「数学は虚構である」と言えるでしょうか?
外延量と内包量という区別は教育上、便利な概念だとは思うけど、厳密な概念ではないわけです。
厳密な概念ではない=虚構とするなら、内包量は虚構の一種なんですけど。
おおくぼ
2011/09/22 14:06
エネルギーなんかは、外延量となるのでしょうが、計算は簡単ではないですよね。

割合や比率、単位当たりの量が出てくるあたりで算数が分からなくなる児童が増える。それは内包量だからだ。内包量の指導は丁寧にやらなくてはならない。

という話なら、「内包量」を「難しい概念」と置き換えてもよさそう。

 割合や比率、単位当たりの量が出てくるあたりで算数が分からなくなる児童が増える。それはそれらが児童にとって難しいからだ。難しい所の指導は丁寧にやらなくてはならない。

 そりゃそうだ、としか言いようがない。

 私は「虚構」と言ってしまっていいと思います。「大きな数」も曖昧な概念だけど、虚構というのは抵抗がある。

 この違いは何だろうか?

 曖昧であることに加えて、不要である、にも関わらずこれが大切な概念だと思い込んでいる人がいる、という状況では敢えて「虚構」と断言することが必要だとも思うのです。
積分定数
2011/09/22 15:02
話の流れをぶったぎりますが、面白いのがあったのでご紹介。

http://mamesoku.com/archives/3034497.html
葉庸
2011/09/22 18:33
新しい順序派が現れました。
https://sites.google.com/site/orderofproduct/
かけ算の順序の意味論

また、釈迦に説法なコメントですが、外延量の加法性について、
「ここでいう加法性とは測度論のなかの術語であり、二つの集合の合併が加法を意味するということである。つまり共通部分を持たない2つの集合A,Bにそれぞれ量f(A),f(B)が付随するとき、f(A∪B)=f(A)+f(B)が成立することである。例えば内包量である速度にも加法は定義されるが、上記の意味の加法性は成り立たない。つまり外延量とは測度論でいう可算加法的測度であると言える。
遠山によれば、量のなかには加法性の明らかでないものもあって、区別はつねに明確にできるとは限らない。また銀林によれば、角度は外延量と内包量の境にある量である。」
Wikipediaより
釈迦に説法
2011/09/22 18:54
>共通部分を持たない2つの集合A,Bにそれぞれ量f(A),f(B)が付随するとき、
>f(A∪B)=f(A)+f(B)

この式が書かれて、
「濃度はこれが成り立たないので内包量」
ともっともらしく論じているのが多いのですが
納得できない。
A∪Bは、出てくる物質を全部合体させる
という意味じゃないです。

たとえば、体積濃度で考えると、
単位体積のなかに溶質がどれだけ入っているか
という話なので、単位体積のなかに
溶質をAとBのぶんだけいれて最後に溶媒を
(必要なら)入れて体積を保つように
する必要がある。極端な話、溶媒なしでも
ガスをイメージすれば足せます。

重量濃度の場合は、溶質に、単位質量に
なるまで溶媒を足して総質量を一定にする
のが濃度の定義なので、
A∪Bという操作は、
AにBを合わせてそのあと
単位重量になるまで溶媒を取り去らなければ
ならない、と考えるべき。

A∪BがいつでもAとBの全物質をくっつける操作
とするのは間違いだと思うのです。
M
2011/09/22 21:55
3%食塩水と3%食塩水を混ぜても、6%にならず3%のままなのを、不思議に思うのは、濃度の意味を理解していないだけのことですね。「一皿あたり3個のミカン」もミカン密度3個/皿ということで、内包量です。3個/皿が2皿有っても、6個/皿にはならず、3個/皿のままなのは不思議、と思う子供はいるんでしょうかね?事情は食塩水の場合と何ら変わりませんけど。皿と水の見た目の違いという感覚の問題に過ぎないように思います。

そもそも、濃度の問題は足し算だけで解ける問題ではなくて、割り算も必要ですね。不思議と思う子供は、問題文の形式から、足し算の問題と勘違いしているだけでしょう。勘違いの根本は濃度の意味を分かっていないことですから、それを教えるのが本筋です。「内包量だから足し算できない」と言うのでは、何も教えたことになりません。内包量はなぜ足し算出来ないのかという更問いに答える必要があり、それは濃度の意味を教えることに他なりません。

更に言えば、常に足し算出来ないのは、単位が違う量であって、単位が同じなら濃度でも足し算可能な場合もあります。10mmの雨量(これは、10mm3/mm2 という面密度)が同じ場所に2回降れば、20mmになります。違う場所なら、10mmのままです。前者は足し算の問題で、後者は平均の問題というバカみたいな理由によるのであって、内包量だの外延量だのは関係ありません。足し算出来ないように見えるのは、足し算で答えを出せる問題ではないからで、それは、外延量と言われる量でも同じ。1mの厚さの雪の上に1mの雪を加えても、2mにはなりません。雪は重みで圧縮されるからで、単純な足し算では解けない問題というに過ぎませんね。

zorori
2011/09/22 22:20

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