算数「かけ算の順序」を中心に数学教育を考える

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<<   作成日時 : 2011/09/23 01:10   >>

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が書き込めないので、2代目を作りました。

いっぱいで書き込めません。コメント欄3代目にどうぞ
http://suugaku.at.webry.info/201112/article_1.html

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>「ここでいう加法性とは測度論のなかの術語であり、二つの集合の合併が加法を意味するということである。つまり共通部分を持たない2つの集合A,Bにそれぞれ量f(A),f(B)が付随するとき、f(A∪B)=f(A)+f(B)が成立することである。

前にも書いたけど、粘土で球を作る。半径5pの球と半径3pの球を合体させてあらたに球を作った場合、半径8pにはならない。球の半径は内包量?

>zororiさん
>そもそも、濃度の問題は足し算だけで解ける問題ではなくて、割り算も必要ですね。不思議と思う子供は、問題文の形式から、足し算の問題と勘違いしているだけでしょう。勘違いの根本は濃度の意味を分かっていないことですから、それを教えるのが本筋です。「内包量だから足し算できない」と言うのでは、何も教えたことになりません。

同感です。「内包量だから」と教えて、児童が「なるほど、内包量だからか」と納得するのだろうか?「内包量」という言葉を使わなくても、同じ事。

3時間で180q進んだ。1時間ではどれだけ進む?
1時間で進んだ距離の3倍が180qだから・・・

「1時間ではどれだけ進む?」が「時速は?」となると、内包量とか言う難しい奴で特別な求め方が必要らしい。

 と児童が思ったら算数・数学指導という点では失敗だと思う。

積分定数
2011/09/23 01:33
>遠山によれば、量のなかには加法性の明らかでな
>いものもあって、区別はつねに明確にできるとは
>限らない。また銀林によれば、角度は外延量と内
>包量の境にある量である。
 ↑↑↑
こんなんじゃ足りない。

「電圧・電流・抵抗・電力、みな外延量であり、
 内包量でもある。」
これぐらい言わないと。
ゴルゴ・サーディーン
2011/09/23 02:17
文科省は、「内包量」という言葉は使ってないですよね?
そうすると、数教協と文科省の主張は違うということになりますね。
文科省の指導要領解説では交換法則を認めています。
教科書会社が出している教師用指導書でも交換法則を認めていながら、計算と「式の意味」は別という立場なので、数教協の主張とは違います。
内包量と外延量は交換できない・・・というような主張ではないわけですから。
おおくぼ
2011/09/23 04:55
>前にも書いたけど、粘土で球を作る。半径5pの球と半径3pの球を合体させてあらたに球を作った場合、半径8pにはならない。

これも、物質を合体させることが加法を意味しない
例だと思います。

内包量(といわれているもの)でも、系の扱い方を正しく考えれば、加法は成立すると考えるべき。

M
2011/09/23 08:36
余談ですが、1%食塩水と2%食塩水を混ぜたら、3%になると考えるのは子供だけではありません。
大人の国土交通省もやっちゃってます。
http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha02/13/131220/131220_1.pdf

単純な足し算ではありませんが、1%食塩水100g と2%食塩水100g を足す計算で、(1+2)÷(100)と計算しているような例です。分母が足りません。

もう一つは、厚生労働省研究班の例で、同じく分母が足りません。
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20080117

kikulogでも議論が有りました。こちらについては、これでいいのだという意見も多いですが。
zorori
2011/09/23 08:57
公的機関の数字で未だに納得できないのは、気象庁の予測がどれだけ当たったか、というやつ。

降水確率90%と出した場合、全部雨が降った状況よりも、10回のうち1回は雨が降らなかったというほうが、「予測が当たった」という評価だというのだが、どうも腑に落ちない。

 年間の平均降水確率はそれほど変動しないだろうから、常にその平均降水確率を言っていれば、「高い精度で予測が当たった」となってしまうように思うのだが。
積分定数
2011/09/23 09:39
「6個のミカンを3人で分けると何個になるかという問題と、3個ずつだと何人に分けられるかという問題は、現実の意味は全く違い、入れ替え可能ではない。従って、これを等分除と包含除と名付ける。この違いを理解することが、6÷3=2 という計算では重要だ。」

「東京から大阪まで、国道1号線を移動することと、大阪から東京まで移動することは、現実の生活では、全く違うことで、入れ替え可能ではない。従って、東京から大阪までの移動時間を求めることと、大阪から東京までの移動時間を求める計算も区別して、「下り時間算出」、「上り時間算出」と名付ける。この違いを理解することが、移動時間計算では重要だ。」

なんてことはなくて、対応する現実は違っていても、抽象的な計算の本質は全く同じと理解することが重要だと私は思います。確かに、「上り時間算出」と「下り時間算出」の共通性や、本質的に同じことが理解できない人の為には、それぞれの場合の計算方法を指示するマニュアルがとりあえずは役にたつのかもしれません。でも、本来は、一つの考え方で済むことなのに、マニュアルの煩雑な場合分けを覚えなければならないし、理解させるという教育の本分を忘れていると思います。
zorori
2011/09/23 10:51
鶴亀算というのは数教協から見てどうなんだろう?
鶴の足と亀の足は足せるのか?
リンゴ1個+リンゴ1個でも、完璧に同じリンゴは二つとないし。
おおくぼ
2011/09/23 11:20
積分定数さん、

>常にその平均降水確率を言っていれば、「高い精度で予測が当たった」となってしまうように思うのだが。

評価の仕方が正確には分からないのですが、降水確率p%と予報した場合の結果を多数調べて、その降水比率がp%に近いほど、高評価にするのは、妥当ではないでしょうか。単純化すると、以下のようになると思います。

・平均降水確率を50%とします。
・前日の気圧配置等の予測情報はa,b,cの3パターンしかないとします。
・予報1では、翌日の降水確率を、パターンaなら90%、bなら50%、cなら10%と予報します。
・予報2では、前日のパターンに関わらず、50%と予報します。
・予報3では、aなら10%、bなら50%、cなら90%と予報します。
・各パターンごとに100日の雨の降った結果は、a:90日、b:50日、c:10日でした。

このような場合の評価は、予報1では、3パターンとも予報確率と結果の降水割合が一致し、高評価が3になります。予報2では2パターンで低評価、1パターンで高評価となり、予報3は、3パターンとも低評価です。
従って、総合的に予報1が高評価、予報3が最低、予報2はその中間なので、予報2が高い精度とはならないのでは?
zorori
2011/09/23 22:21
 話を思いっきり単純化してみて、コインを投げて表が出るか裏が出るかの予想、というのを考えてみます。

 平均的には裏表の確率は50%だけど、気温だとか湿度だとか、色んな要因が出方に影響を与えていて、それらを分析して予測する人が複数いて、どの程度的中するかを競っているとします。

 試行回数を100万回とします。

Aは毎回、「表が出る確率は50%、裏が出る確率は50%」と予測したとします。

Bは、毎回、「表が90%、裏が10%」(これを予想甲とする)と予想するか、「表が10%、裏が90%」(これを予想乙とする)と予想するかのどちらかだったとします。

結果は、Bが甲を予想した場合は全て表、乙と予想した場合は全て裏になったとします。大数の原理に従って、表と裏の回数の比は1:1に限りなく近くなるでしょう。

そうすると、

Aが「表が出る確率は50%、裏が出る確率は50%」と予想した場合(全てだけど)に関して、結果はまさにその通りになっています。

一方、Bに関しては、「表が90%、裏が10%」とした場合には、結果は表100%、裏が0%で、10%ずれている。「表が10%、裏が90%」に関しても同様で実際と10%ずれている。

 そうすると、「Aの方がより正確に予想した」ということになるのだろうか?

という疑問です。
積分定数
2011/09/24 01:07
 あるいは、10日間の予報に関して、その日毎に「雨が降る確率」をいうのを発表して、9日目まですべて「90%」と予想して、実際9日間とも雨だったとします。10日目も「90%」と予想したとします。

 10日目は晴れだった。

 予想はぴったり当たったことになります。なぜなら、「90%」と予想した10日間のうち、雨の日は9日、晴れに日は1日で、まさしく雨の日は90%です。

 でも、10日目に関して、「降水確率90%」と予測して、晴れたら予測があたった、雨が降ったら予測がはずれた、って変だと思うのです。

 予測の精度と事後的にどう定量的に評価すればいいのか、以前考えたことがあったのですが、うまくいきませんでした。
積分定数
2011/09/24 01:24
 話の流れと関連づけると、速さとか食塩水のしょっぱさとかは、それを表す指標が無くても、「あっちよりこっちが速い」というような比較が可能であって、そのような順序を維持するように、それに数値を与えるというのが遠山啓の言う「内包量」だと思うのです。足し算がどうのというのは、2次的なことだと思います。

 数学らしい言葉で言えば、全順序集合が与えらたときに、その集合から実数の集合Rへの同型写像をあたえる。

 長さなどは、「こっちよりこっちが長い」というのがわかるが、同型写像としては基準となる長さのものがいくつ分あるかということで、数直線に落としこめる。

 速さに関しては、単位時間あたりの移動距離を指標にする。徒歩と新幹線では、新幹線の方が速いというのは速さの定義を習わなくても知っているが、実際に数値を比較すると、徒歩の数値<新幹線の数値、となる同型写像である。

同型写像が「基準単位の何倍なのか?」という極めてシンプルなものが外延量

同型写像がややこしいのが内包量
積分定数
2011/09/24 01:44
と思ったが、面積を1×1の正方形が何個分か、というのはシンプルだろうか?平面ならまだしも、曲面となると長さの場合のアナロジーとしてすんなり受け入れられるだろうか?

速さに関して、単位時間に単位距離動く速さを基準量として、それぞれの速さを、「その基準量の何倍か」と捉えたら、長さの場合と同様ではないのか?

ということで、全順序集合を数直線に落とし込む同型写像が自明なものか作為的なもかを外延量・内包量の判断基準とするというのもうまくいかない。

 そもそも私は、「外延量・内包量」という概念は虚構だと思っているので、私が、「外延量・内包量」のうまい定義を考える義理はないのだが。

 天気予報に関しては、数値化以前の全順序すら、それ以前に半順序ですらあやしい、という状況。
積分定数
2011/09/24 01:44
「内包量・外延量」ですが
勝手に自分で定義して勝手に理解しています。

「3種類の異なる量A,B,Cがある。
ΔA/ΔB=C
という関係が成り立つ場合、AとBは外延量で、Cを内包量と呼ぶ。(Bは土台量と呼ぶ)」

ところが、これでは、関係式がうまく定義出来ればどんな量でも内包量とも外延量とも呼べることになりますが、世の中では内包量、外延量を量に固有の性質として呼んでいる場合があるように見えます。

そこでもう一つ法則を追加:
「上の関係式が非常に良く知られている場合は内包量、外延量が量固有の性質という勘違いを与える」

合ってるのかどうか知りません。
M
2011/09/24 07:56
「光より速い素粒子発見か?」のニュース(私はガセだと思うが)で、昔やった相対論を思い出してwikiを見たら、以下のような記述があった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E6%AE%8A%E7%9B%B8%E5%AF%BE%E6%80%A7%E7%90%86%E8%AB%96
相対論的質量特殊相対性理論を解釈する上で、相対論的質量というものを導入する場合がある。質量 m の物体が、速度 v で運動している場合、
mr =m/√(1-(v/c)^2)
で表される相対論的質量 mr を持つというものである。
たしかに、相対論的速度域での物体の運動は、質量が増大したかの様になるが、単純に質量 mr の物体である様に扱えるわけではない。
相対論的質量は誤解をまねきやすい概念なので使わない方が望ましく、(一般相対性理論も含めて)相対論では、物体の質量は座標系によらない不変量と考えればよい。
積分定数
2011/09/24 09:09
積分定数さんの疑問が少し分かってきたような気がします。
コインAとBの評価法は、公平ではありませんね。
100万回の全体平均の予測なら、Bもピッタリ50%になっており、Aと互角です。
二つに分けた区分甲の比較では、Aは50%のズレ、Bは10%のズレです。区分乙も同じです。

Aについては、前者で評価し、Bについては後者で評価するのは、違うルールで評価しているので不公平です。全体で評価するか、甲乙区分で評価するか、条件をそろえればよいと私は考えていましたが、よく考えたら、現実の気象予測では、事前(前日の状況)での区分は予報士によって違い、そろえることが出来ませんでした。そのため、一つの区分で50%としか予報しない各気象予報士については一つの区分で評価し、きめ細やかに10%刻みで評価する予報士については、11区分で評価するのでは、不公平になり、現実の評価がそうなっているというのなら、確かに腑に落ちません。

一つの解決策は、実際の降水確率は10%刻みの11区分ですので、50%としか予測しない予報士も11区分で評価するというのはどうでしょうか。つまり、予測していない区分の評価は最低評価とするのです。1区分評価しかしない場合は、それ以外10区分での評価は総て最低評価にするわけです。思いつきなので、不備が有るかもしれませんが。
zorori
2011/09/24 09:20
>でも、10日目に関して、「降水確率90%」と予測して、晴れたら予測があたった、雨が降ったら予測がはずれた、って変だと思うのです。

そもそも確率予報では、1回だけの予報の評価は信頼性が殆どないのではないでしょうか。90%という予測の評価は、多数の予測を行い、そのうち雨が降った割合が予測確率とどれだけ近いかというものですから。この場合も10日目が「晴れたら予測があたった、雨が降ったら予測がはずれた」と言っているのは、10日目だけの評価ではなく、10回全体の評価をしているのですから、おかしくは無いと思います。

10日目だけ1回の評価なら、晴れたとしたら結果は0%で予測とのズレは90%、雨なら100%でズレは10%なので、それほど変ではありませんが、1回だけでは信頼性がないことは前述のとおりです。
zorori
2011/09/24 09:21
 「質量」の定義をどうするかという話だと思う。「どう定義したら便利か」という人間の都合の話であって、自然法則そのものとは関係ない。

 で、どうも、「速くなるほど質量が増す」とするよりも、「質量そのものは物体に固有な値で、速くなるほど、力の増加に対して加速度の増加は鈍くなる」とした方が色々都合がいいらしい。

 「質量」という基本的な量も、「基本単位を何にするか」以外に、その量の定義そのものが人間が都合良く設定する必要がある、ということになる。

 少し前に書いた曲面の表面積に関しても、高木貞治の「解析概論」で以下のようなことを知って、驚いた。

 「曲線の長さ」を、曲線を折れ線として近似して各部分の長さの和を求めて、折れ線をどんどん細かくしたときの極限として定義する

 これを空間上の曲面の面積に応用して、曲面上に多数の点を置いて、点を結んで多面体として近似させて各面の面積の合計を出して、点の数をどんどん増やして極限を求める。

 これで曲面積は定義できると思いきや、この定義では、点の置き方次第で、円柱の表面積を無限大にすることもできる。

 結局、各面でその面付近を接点とする接平面を考えて、小さな面を接平面に投射してその面積の和を取る、とすることで、我々が直感的常識的に妥当だと思う「表面積」が得られる。

 直感的に獲得している概念を、きちんと定義することが難しい場合がある。

 「内包量の難しさ」というのも、そういうことではないかと思う。

 そうなると、結局「定義が難しい量を内包量とする」ってことになってしまうのかな?
積分定数
2011/09/24 09:33
>zororiさん

 天気予報で「降水確率」が導入されたのがいつ頃だったのか覚えていないのですが、それからしばらくたったころ「30%と予報した場合に、実際にそれに近い割合で雨が降った。なかなかの成績だ。」というような新聞記事を読んで以来、ずっと疑問に思っていました。

 気象庁に電話して質問もしたのですが、「降水確率90%と予報して、その全ての場合で雨が降った場合は、それは『はずれた』となる。90%と予報した回数が20回なら、2回雨が降らない状態が、『当たった』ということ」と言われました。

 色々考えたのですが、結局、予報自体が確率で出すので、それが当たったとかはずれたとかの定量的評価が難しくなっちゃうんですよね。

100%か0%しか出さなくて、その通りになったら最高の予報士

100%か0%しか出さなくて、全てその逆になったら最低の予報士 (二者択一で常にはずれる予報、というのはそれはそれで重宝するが)

これが両極端にあることは分かるのだが・・・
積分定数
2011/09/24 10:04
 予報が確率でなくて、1か0かであっても評価は難しい。例えば、滅多にない大地震の予測というものを考えてみる。

ある人は、1万日間で20日間を「大地震が来る」と予測して、実際にそのうち1回が滅多にない大地震だったとする。
同じ1万日間で別の人は、「すべて大地震は来ない」と保養した。

前者は19日間で予測をはずした。後者ははずしたのは1日だけである。だから後者の方が優れている

とはならないだろう。滅多にないが、被害が甚大であることを考えれば、多少の空振りは帳消しだろう。

 かといって、

空振りはしても構わない、「地震がない」と予報した日に地震があることは絶対に避ける

ということで、毎日、「地震がある」と言うのも、評価は低いだろう。

 そのあたりの感覚をうまく反映させる定量的評価はあるのだろうか?
積分定数
2011/09/24 10:04
 野球の個人成績にしても、打率や本塁打数が多いが一方的な試合の時にしか打たないよりも、数字としては低い成績でも重要なときには必ず打つという方が勝利に貢献していると言える。記録に残るよりも記憶に残る方がどうの、というのはそう言うことをいっているのだと思う。

 対象が複雑になれば、感覚を裏切らないように全順序を入れることやその同型写像を定義するのは容易でないのかも知れない。
積分定数
2011/09/24 12:46
mixiの方を見たら、勘違いしている人がまた登場していて、管理人は大変だなと思いました。

bricoleurさんも指摘しているように、自然数のかけ算は群にはなりません。単位元付き半群です。このレベルで数学用語を正確に使えない人は抽象代数の訓練が足りていません。抽象代数の半可通が抽象代数を武器に議論を仕掛けてきたという困った状況なわけです。出直してもらった方が良いと思いますが、冷た過ぎる扱いもかわいそうな気もするので、やはり管理人は大変だなと思うわけです。

ところで、非可換な演算の身近な例はたくさんありますよね。

「パンツをはいてからズボンをはくのと、ズボンをはいてからパンツをはくのでは大違い」というお笑いネタがよく使われていることを、皆さんもよく御存じなはず。

積み木を積む順番も順序を逆にすると大変なことになります。

数学的に面白いものでは様々なパズルがあります。

たとえば1から15までの数が書かれたタイルを4×4の枠に入れてスライドさせて楽しむ15パズルとか。15パズルで可能なパターンは置換の偶奇と空きマスの偶奇(縦横の座標の和の偶奇)が等しいかどうかで判定できます。この話は毎年大学新入生に説明したいと思っていてノートも用意してあるのですが、授業時間が足りなくてできないのだ。

あとルービックキューブの類!

これらは非可換群の典型的な応用例になっています。
くろきげん
2011/09/24 13:58
ぼくが学生に対して「“一般論の高みから特殊な場合に降りてくる”というような思考法ばかりしているとダメになってしまうぞ!特殊な場合を詳しく調べて一般的な場合も“同様である”(もしくは一般的な場合は“同様ではない”)というような理解の仕方も練習しておいた方が良い!そもそも特殊な場合の特別な結果が数学的に重要であることはとても多い」というようなことをよく言っています。

たとえば「可換群は非可換群の特別な場合である」というような考え方だけをずっとしているとダメになってしまいます。

くろきげん
2011/09/24 14:21
 算数のかけ算の順序で、行列やらの非可換の積の話や、公理主義がどうたらとか、「自明ではない」だとかの話を持ち出してきたときに、建設的な話になった試しはないですね。

 まああの程度は大したことないのですが某氏の参加を望んでいるようで、どうしたものか・・・・
積分定数
2011/09/24 22:37
 大学時代の講義で教官が、「数学の面白さは具象と抽象の中間あたりに潜んでいる」と言っていて「なるほど」と思いました。

 あまりに具体的すぎると、その場だけの話になる。抽象化に比例して応用範囲は広がるが、一般的すぎて当たり前のことしか成り立たない。

 ある程度抽象化したところで、面白いことが起きる。

 一旦抽象化したら、様々な具象に適用できるが、だからといって「最初から抽象化する方が経済的」とは言えない。具象の中であれこれやるから抽象が見えてくる。

 15分で30q進む。時速は?

高校生あたりでも戸惑う場合が少なくない。出来る子でも、15分を15/60時間として30÷15/60と計算する。

 小学生で速さの計算とか知らない状態だと、「1時間でどれだけ進む?」と言い換えることで、15分の4倍が1時間だから30×4と出来る。

 30÷15/60  30×4

どちらが優れているか? 私は後者の方が好きだが、後者は「15分の4倍が1時間」というあるいみ15分という特殊性に依存している。

 前者は何分の場合でも応用できる。そういう意味では一般性がある方法といえる。

 結局、特殊と一般、具象と抽象を自由自在に言ったり来たりが出来るのが望ましいと思う。

 抽象論一般論を論じながら、すぐに具体適例に置き換えることが出来る状態であれば、地に足がついていると言える。
積分定数
2011/09/24 22:50
 それで「水道方式」に関して勘違いしていたことがある。

 遠山啓の本を読むと、「抽象から具象」を「水源地から蛇口」に例えて「水道方式」と名付けたが、それが遠山啓らの数学指導の手法の名前となっていったが、「常に、抽象から具象、が指導法として優れている」と主張しているわけではないらしい。三角形や四角形の性質をやるまえに一般の多角形の性質を学ぶということは普通はしないわけで、「具象→抽象」、「抽象→具象」のどちらが良いのかは、それこと個別に検討すべきということらしい。

 また、「特殊・一般」という言葉が、数学業界で一般的に使う「特殊・一般」とは必ずしも同じではなくて、世間一般で言うところの「特殊・一般」という用語に近い面がある。

 書いていてややこしいのだが、「特殊」というのが、「具体事例」ということではなくて、「他と異なる。特別な」という意味の場合がある。

2/3×4/7 というのは一般的で、
2/3×4 というのが特殊

というようなこと。本来なら整数倍の方が分かりやすいはずだが、後者の「特殊な問題」の方が正答率が低いと言うことがあり、そこで研究が進められたらしい。
積分定数
2011/09/24 23:05
横道ですが、天気予報の評価には情報量を入れたらいいんじゃないでしょうか。
TN
2011/09/24 23:18
>「自明ではない」だとかの話を持ち出してきたと
>きに、建設的な話になった試しはないですね。

 「自明」ってのは感じ方の問題なので、相手が
「俺はそう感じない」と言った時点で終了です。

 恐ろしいことに、彼らは「順序主義の方が分か
り易い」と思っているフシがあるんですよね。
皆さん、当然一度は目にした事がありますよね?
ゴルゴ・サーディーン
2011/09/24 23:40
>天気予報の評価には情報量を入れたらいいんじゃないでしょうか。

具体的には?

順序派、あるいは中立派を称して「順序指導もあり得る」とする準順序派は

あるときは、「子供は抽象的思考が苦手だから」と順序を強要することを正当化し

あるときは、「積が可換であるのは特殊な状況。一般的には成り立たないのだから、可換を自明のものとするべきではない」と言って、と順序を強要することを正当化する。

 結論は同じなのに理由が正反対、というのが笑える。
積分定数
2011/09/25 01:30
積分定数さん 2011/09/24 01:24

次の話と同じような気がするのですが。
-----------------------------------------
サイコロを6回振る場合の予想で、「1以外が出る確率」を5回目まですべて「6分の5」と予想し、実際5回目まで1以外が出ていたとします。6回目も「6分の5」と予想したとします。
6回目には1が出た。
予想はびったり当たったことになります。なぜなら、「6分の5」と予想した6回のうち、1以外が出たのが5回、1が出たのは1回で、まさしく1以外が出たのは6分の5です。
でも、6回目に関して、「1以外が出る確率6分の5」と予想して、1が出たら予想が当たった、1以外が出たら予想が外れたって変だと思うのです。
RTC
2011/09/25 03:58
積分定数さん 2011/09/24 01:24

「雨が降る確率90%」を「雨が降らない確率10%」と言い換えた場合はどうでしょう。
RTC
2011/09/25 04:20
アイデアは現実の天気の情報量と予報はずれの情報量を比べるのがいいんじゃねかと思ったんだけど、具体的には、、、ちと追いつかん。。。

もちっと簡単には、予想残差平方和の最小化でもいいんじゃないでしょうか?

地震のほうは、先に、地震がないのにあるとしたときと、あるのにないとしたときの損失の割合を決めておかないといけないと思います。

TN
2011/09/25 09:37
SF作家・山本弘さんの相対性理論についての説明を読んで、なるほどと思いました。

http://hirorin.otaden.jp/e212113.html

タキオンは物質ではないので、宇宙戦艦ヤマトみたいなことは有り得ないわけですね。
ところでタキオンは内包量として扱うべきなのだろうか?
おおくぼ
2011/09/25 10:23
天気予報の降水確率を1点で考えるとわかりにくくなります。考え方自体はkikulogでmasudakoさんの紹介されていたhttp://www.gfd-dennou.org/library/kakusan/にあるPDFを見ていただければいいかと思いますが(といってもかなり長いです)、ある時間空間範囲の中で降水が観測される部分がどれくらいの割合になるかという見方に近いと思います。さいころで言うと何個かを一斉に投げてどんだけ当たるかみたいなことです。

この辺は、ホメオパシの「3た」理論にも通じるところがある感覚なのかもしれません。たとえ予報エリアの1%の部分であってもそこにいて降られた人にとっては100%なわけで。
げお
2011/09/25 15:32
内包量、外延量については、そもそも相対的だし文脈にかなり依存する便宜的なものだと思います。

濃度と速度は内包量(とされる量)の典型ですが、「1%の食塩水と3%の食塩水を合わせたら何%になりますか」という問題はスッと入っても、「50km/hで走ってから100km/hで走りました。合わせて何km/hで走ったことになりますか」という問題がでたら「何それ?」ってなるでしょう。このように同じ内包量でも直感的に加法性があると誤解しやすいものとそうでないものがあるわけで、それはとりも直さず内包量という言葉が便宜的であるということの傍証になると思います。
げお
2011/09/25 15:51
誰もつっこまないけど「可換群が非可換群の特別な場合」って変な言い方でしたね。「可換群が可換とは限らない一般の群の特別な場合」と言いたかったのだ。まあ言わなくてもわかると思いますが。

さて、大学新入生向けに行列について教えるときには数の積の可換性は最初から成立していると仮定して話を進めることになります。たとえば、行列A、Bに対して基本的な公式「ABの転置」=「(Bの転置)(Aの転置)」や「trace(AB)=trace(BA)」を証明するときに行列の成分の積の可換性がないと困ることになります。行列式の話をするときも困る。非可換な世界での行列式の話はそう簡単ではありません。

数の積の可換性を当然の前提とみなして話を進めることを止めた方が良いなどという人が行列の話を十分に理解していないのはほぼ確実です。可換性があると応用上重要な定理を容易に示せるようになります。非可換な場合には可換の場合には自明なほど簡単なことがおそろしく非自明になる。
くろきげん
2011/09/25 17:45
mixiの方覗いてみましたが、ひどいことになってますね。S氏だけではなくL氏も隔離した方が良いと思いました。
くろきげん
2011/09/25 18:02
天気予報に関して、以下のようなモデルも考えました。

以下の11種類のコインがある。
0%コイン、10%コイン、20%コイン、・・・・、100%コイン。

□%コインを投げたときに表が出る確率は□%。

11種類のコインのどれを投げるかは、気温や湿度なの要因によって決定されているようである。

予報士は、どのコインが投げられるのかを当てようと努力する。

予報士が「90%コインが投げられる」と予想した事例(大数の法則が適応できる程度に十分な数があるとする)を調べると、全てにおいて表が出ている。そうすると全部が90%コインであると考えるのは不合理。つまり「予想は外れた」

 しかし、「90%コインが投げられる」と予想した事例で9割が表、1割が裏だったとしても、9割は100%コイン、1割は0%コインであれば、「どのコインが投げられるのか」と予想すると言うことであれば、全部はずれたことになる。しかし「全てが90%コイン」なのか、「9割が100%コイン、1割が0%コイン」なのか、あるいは他の組み合わせなのかを知る術はない。

 また例えば11種類のコインは十分長い間には均等に投げられるということであれば、常に「50%」と言い続けた場合に、実際に表が出るのは5割だから「表が出る割合を予想する」という点では当たったことになってしまうのは以前と同じ。

 「30%コインが投げられる」と予想した場合に、投げられたコインと同じコインを、何度も何度も投げることが出来れば、それが30%コインであるかどうかが検証でき、予想が当たったかどうかを調べることが出来る。

 それが出来ないから、「30%コイン」と予想した事例を多数集めて検証する、というのは何か違う気がする。
積分定数
2011/09/26 07:41
>まあ言わなくてもわかると思いますが。

自分で言うときはなるべく「一般には可換とは限らない」「かならずしも可換ではない」などといいますが、聞くときは「この人はこういう意味で使っているのだな」と文脈で解釈しますね。「体」の場合、「可換」が付かなくても「可換体」の意味だったり、そうじゃなかったりしてややこしい。

 そういえば、成分が可換とは限らない体、だったか、係数が可換とは限らない体である連立方程式の解の存在だったか一意性だったかを扱うのをやった記憶がある。

 行列式も迂闊に定義できないし、次元などの線型代数での基本的概念もややこしいことになっているような記憶がある。可換のありがたさが身に染みました。

 可換体を成分とするベクトル空間や行列は、3次元空間のアナロジーでイメージできるが、非可換体となってくると、イメージが出来なくて文字の操作のみでやりくりすることになり難しい。

積分定数
2011/09/26 07:57
 昨日9月26日の朝日新聞朝刊書評欄で再び「かけ算には順序があるのか」が取り上げられました。具象から抽象への飛翔の助走路がないと指摘していて、私(我々)の言いたいことを代弁してくれています。
積分定数
2011/09/26 08:06
>おおくぼさん

 サイトの紹介有り難うございます。私も後で恥をかかないように、パラダイムチェンジだのなんだの騒がないようにしておきます。
積分定数
2011/09/26 08:13
 mixiのあるコミュ(「かけ算」コミュではない)で、子供が速さや割合を比例で解くのだが、教師が公式を使うように指導して、テストでも全員に「くもわ」「みはじ」を必ず書くように指導している、という事例が報告されている。

 長方形の面積を横×縦で誤答にする教師がいるぐらいだから驚かないが、悲しくなる。

 
積分定数
2011/09/26 08:20
山本弘さんの記事は相対性理論をわかりやすく説明している同時に、これは「算数の問題」だということを教えてくれています。

>報道されているように、もしニュートリノが光より0・0025%も速いと、小柴昌俊教授のノーベル賞受賞のきっかけになった超新星1987Aの観測と矛盾してしまうのだ。
>超新星1987Aは大マゼラン星雲の中にあり、地球からの距離は推定16万光年。爆発の光が地球に届くのに16万年かかる。ニュートリノが光より0・0025%速いと、それより4年早く地球に届く。つまりニュートリノは1983年に地球に届いていることになり、1987年に観測できるわけがない。
おおくぼ
2011/09/26 10:43
>アインシュタインの理論では、光速を超える物体は「負の質量」を持つことになり、

と朝日新聞にあったので「虚数の質量」の間違いではないかと、朝日新聞に問い合わせた。今日の朝日3面に訂正記事が出ていた。

▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽
24日付「超光速?本当か」の記事で、光速を超える物体が「『負の質量』をもつ」とあるのは、「『虚数の質量』を持つ」の誤りでした。訂正します。本来想定されていないものですが、「光速超え」が起きると、計算上こうなると考えられています。
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△

しかし、訂正を求めておいて言うのも何だが、ありえないことを前提にするばあい、論理学上はどんな結論も真だよな。

「1+1=5 ならば 4は奇数」は、正しい命題。

 また光速より小さい速さの物体は性の質量を持っているが、超光速だと計算上虚数質量になる、ということであって、最初から超光速のものについては必ずしもそうは言えない。計算上は超光速と光速より小さい速さで、質量に挙数倍の違いが出ると言うことである。

http://hirorin.otaden.jp/e212113.html
によると、超光速の存在は必ずしも相対論の否定にはならないらしい。

 余り「相対論が根底から覆る」だの何だの大げさにいって後で恥をかかないようにしよう。
積分定数
2011/09/26 12:09
ニュートリノは質量があるので、その時点でタキオンでないのは明らかだと思います。
ところでニュートリノ研究の多田将という人の『すごい実験』を買ったのですが、これはわかりやすくて、面白い本です。
なんと専門家が高校生のための特別授業をして、その内容を元に本にしたそうです。
イラスト、写真多し。
おおくぼ
2011/09/27 22:54
『降水確率50%は五分五分か (DOJIN選書 8) 』村山貢司:著という本がありますね。
これを読むと、簡単な確率論みたいです。
任意の場所に1ミリ以上の雨が降った経験で算出しているみたいです。
天気予報がどのくらいの確率で当たるかは知らないのですが、1ミリ以上の雨だそうです。
雨が降っても、1ミリ未満なら予報と関係ありません。
また50%なら2回に1回降れば、当たったことになるみたいです。
おおくぼ
2011/09/28 08:04
素朴な疑問。
もし過去に遡ることのできる粒子が存在したとして、どうやってその粒子の速さを計測できるのだろうか?
おおくぼ
2011/09/28 14:48
2代目が出来ていたのを今日まで知らなかった…(苦笑)

1代目の「釈迦に説法」さん@9/22 の発言から
>新しい順序派が現れました。
https://sites.google.com/site/orderofproduct/
かけ算の順序の意味論<

 宮下英明さんの信奉者のようですね.
 宮下さんにしろ,この人にしろ,他の方があまり取り上げないのは,からみづらいんでしょうね.bricoleurさんは,かつて御自身のブログで,宮下英明さんの議論は検討する価値もないと書いていましたが.

 コミュニケーションが難しい人には「支離滅裂型」と「自己完結型」がいるようですね.
 自己完結型は,適当な定義と公理から正しい推論で自分の世界を構築してしまい(数学という学問ではそういうことも可能なのでしょうか),その世界を砦として他者を批判する.採用した定義が矛盾していたり,途中の推論が間違っていれば,その自己完結世界を批判することもやさしいが,そうでないと難しく,自己完結世界自体は成立するのでしょう.
しかし,その人にとっては意味と価値のある世界でも,社会にとって価値があるかどうかはまったく別問題で,mixiで見る「自己完結世界」のほとんどは社会的価値がない(ということが本人には分からない).自然科学系なら「ト説」ということは,実験や観察の結果と対照させることが可能だろうが,数学のト説となると,どうなんでしょう.スルーが賢明なのでしょうが.
メタメタ
2011/09/29 01:06
予測の評価は、正解にいかに近いかで評価しなければなりませんが、正解は分かりませんので、コインを投げた結果から正解を推測しています。それから分かるのは、平均値だけで、50%のコインだけだったのか、0%と100%の2枚だったのか、0%から100%までの11枚のコインだったのかは分かりません。確かに、コインが何種類あるかは、コイン投げの結果から統計的には判別出来ないということなりますね。

ただし、コイン投げの結果ではなくて、コインの形などから、コインを数種類に分類することは可能です。そして、その分類ごとに、表が出る確率を予測することが、コイン予報士に要求されていることなのです。もし、外観から1種類しかないと判断し、その表の出る確率が50%と予測したのなら、これも一つの予報です。しかし、コインが何種類有るか分からないけど、それらを平均すれば50%の確率になると言う意味なら、分かっている平均確率を言っているだけで、正確だけど、予報とは言えない代物ですね。コインの種類の判断も予報に含まれるというか、どちらかというと、その方が大事です。

zorori
2011/09/29 06:16
(続き)「常に50%と言い続ける」予報が、後者の意味なら、評価に値しません。前者なら評価に値しますが、その場合、50%以外のコインは投げられないと判断したわけですから、そのことも評価しなければならないと思います。投げられたと予測した50%の場合の評価は、50%予測の場合、つまりすべての場合の表の出た割合を正解と見なして、予測の50%とのズレを評価とすることが出来ます。問題は、投げられていないと予測した50%以外については、正解と見なす値が計算出来ないことです。そのような計算に使える情報が何もない場合は確率は平均確率50%と見なすというのが、以前に示した案です。

この方法では、50%だけと予測した場合は、見なし正解とのズレは、50%、40%、30%、20%、10%、ほぼ0%、10%、20%、30%、40%、50%となります。単純平均すると50%のズレとなります。50%コイン以外も投げられたと判断し、その予測が妥当なものであった場合、50%以下のズレの評価になります。

評価に値しない、単に平均確率を予測した場合は、見なし正解とのズレはほぼ0%で高精度の予測ということになりますが、既に分かっていることを予測しただけですから、高精度なのは当たり前ですね。


zorori
2011/09/29 06:17
>また例えば11種類のコインは十分長い間には均等に投げられるということであれば、

この条件をはずすとどうなるだろうか?「十分長い間には、平均的に表は50%になる」ということは分かっているが、それが0%コインと100%コインが半々なのか、全部が50%コインなのか分からない。

それぞれの投げられる頻度は十分長い間では一定
上げられる頻度を、全体を1とした相対値で表すとする。0%コインの出現頻度がp(0),10%コインがp(10),・・・という具合。

p(0)・0+p(10)・10+p(20)・20+・・・+p(100)・100

の値は分かっている。例えば50%とか。しかし、pの内訳は分からない。
積分定数
2011/09/29 07:45
>メタメタさん
>2代目が出来ていたのを今日まで知らなかった…(苦笑)

だから、「管理人と副管理人がバラバラ」とか言われちゃうんですよ(w

>宮下さんにしろ,この人にしろ,他の方があまり取り上げないのは,からみづらいんでしょうね.

そうですね。

現実に長方形を横×縦にするとバツなどという事例まである。そういう現実の中から、「こんなのおかしいじゃないのか?」と議論になっているわけで、「順序論争」全体を「いところから見下ろすようにして、「くだらない」とか言われても、現実にある酷い授業はなくならない。

数教協(の一部?)もそうですね。
http://9114.teacup.com/seisann/bbs
積分定数
2011/09/29 08:02
過去の測定値に基づいて日に対して降水確率を与える関数f(day,pastenv)と実際に降ったかの実測を現すr(day)(降った:1,降らなかった:0)に対して
Σ(r(day)-f(day))^2
を最小化することを目指してみよう。

fのカテゴリーごとにrの平均がfに一致しているなら、
f=0.5の定数より上記のfitはよくなっているはずです。
TN
2011/09/29 08:24
よく考えて見たら、存在しないコインの表が出る確率を50%と見なす、という評価案はなんだか意味が分かりませんし、評価結果が逆の不公平になる場合もあります。50%コインしか存在しないという予測が当たっていた場合でも、ズレが50%という評価になってしまい、厳しすぎます。

評価がややこしいのは、コインが何種類あるかという予測と、そのコインの表が出る確率が何%かという二段階の予測になっているところではないかと。第1段階の予測で1種類にすれば、そのあとの確率予測は簡単に「正確」な予測が出来ます。これでは、公平な評価が出来ないのでと、コインの種類を11種類と決めてしまうと、本当にコインが1種類しかなかった場合に逆の不公平が生じます。

このような評価では、第一段階と第二段階の評価をそれぞれ行い総合化する必要が有るのかも。ところが、コインの裏表の結果から評価できるのは、第二段階だけです。第一段階の評価は、コインの外観、ゆがみなどの観察技術の評価という全く別のものになるのではないでしょうか。そして、全く性質の異なる(独立した)評価を総合化して順序付けることは本来出来ません。

ただ、実際上はコインが1種類しかない場合は考慮する必要はないと思います。なぜなら、この場合は表が出る確率は半分であるという以上の予測が出来ないから。1種類しかコインがないと正しく予測しただけであって、コインの裏表の予測にはまるで役に立たないのですから、評価することもないように思います。また、天気の場合ではコインが1種類ということは、ほぼあり得ないでしょうから。
zorori
2011/09/29 21:00
前に紹介した『数学の世界―それは現代人に何を意味するか』 (中公新書:1973年)森毅&竹内啓:著から引用します。

以下引用

竹内 昔は非常に繰り返し算主義が多かったですね。たとえば一人が二つずつお菓子を持っていて五人おります、何個あるでしょうというのは、必ず2×5と書きなさいとか、そういうがよくありましたね。ぼくは、それにあまりこだわりすぎるのはまずいと思うんですね。

森 掛け算というのは、本来的にはその構造自身のなかに積集合の構造がはいっているわけですよね。だから交換可能なわけです。しかし、だいたい数学でも交換法則にこだわるのは掛け算でしょう。2×5と書くか5×2と書くかという問題は、ある程度習慣に規制されるんですが・・・。

竹内 英語で、ツー・タイムス・ファイブとか言うときには、五の二倍という意味で、日本人なら5×2と書くところですね。ところが、5×2を英語で読めばファイブ・タイムス・ツー・・・。ちょうど反対になる。

森 左側通行と右側通行のちがいみたいなもので・・・。しかし、法則性をはっきりさせるという意味では、交換法則をむやみに乱用しないほうがいいと思う。

73頁
おおくぼ
2011/09/29 23:15
>TNさん
>fのカテゴリーごとにrの平均がfに一致しているなら

カテゴリーで分割されていることが前提であれば、事情はそう複雑ではないのです。

天気を予想する対象の日の前日までの状況で天気を予想するとします。

気圧だとか風向とか、色んな状況を加味して、100種類のパターンに分類できるとする。

あるパターンAの場合、過去のデータから降水確率30%
パターンBの場合は20%

とかいうことであれば、「パターンAに当てはまるから30%」と予想したが「パターンAとされた場合の実際の降水頻度は10%」となれば、確率的揺らぎ以外の要因として「パターンAに当てはまる」という判断があやまっていたとか、「パターンAなら30%」ということが誤りで「パターンAなら10%」と修正すべき、とかになるかと思います。

 コインで言えば、100個のコインがあってそれぞれのコインは識別できる。「コインAは過去のデータから表が出る確率は30%のようだ。」

という具合。
積分定数
2011/09/30 10:43
TNさんの言っていることを自分なりに理解したけど、以下のようなことかな?これなら評価方法として妥当かも知れない。

aは、0か1の値を取るということが分かっている。
(a−b)^2の値をなるべく小さくするようなbを求めたいが、aが0か1かは不明である。

この場合、bとして0や1をとることで、ぴったり正解となる可能性もあるものの、値を大きくしてしまうリスクも大きい。

様々なことを勘案して、aは確率pで1,確率qで0となることが分かったとする。もちろんp+qは1である。

(a−b)^2の値の期待値は、

p(1−b)^2+q(0−b)^2=(b−p)^2+pq

だから、多数行うならbを、0や1ではなく、pとするのが最も合理的。

もう少し一般的に、aはある実数値をとるが、どの値を取るかは確率的にしか分からないとする。

この場合、(a−b)^2の値の期待値を最少にするには、bとして、aの期待値をとればいい。aのとりうる実数値が離散的であっても、連続的であり過規律分布の関数が与えられている場合でも同様。

 証明はすぐできるので端折る。
積分定数
2011/09/30 13:30
aの値を雨が降ったら1,降らなかったら0と定める。

例えば、bとして0.9とした場合、a=1のときが最小値となる。

この評価だと、90%というか50%より大きい予報に関しては雨が降った方が値が小さくなる。50%よりも小さい値に関しては降らない方が値が小さい。

「降水確率90%と予報して、その全ての場合で雨が降った場合は、それは『はずれた』となる。90%と予報した回数が20回なら、2回雨が降らない状態が、『当たった』ということ」という気象庁の電話窓口の説明はやはり違うと思う。

90%と予報した場合、雨は「あたり」で晴れは「はずれ」だろう。20回に関して「100%」と予報していれば「より高い精度」ということになるだろう。

 コインの例で例えればこういうことになる。0%コインから100%コインまで11種類のコインがある。

 どれを投げるかは分からなくて、どれも均等な確率で投げられる。その場合、表が出る確率は50%

 この段階では50%と予報するのが妥当。

 ここで投げる場面を双眼鏡で見ると、どうも30%コインか40%コインのようである。どちらの可能性も半々である。

 となると、35%と予報するのが妥当。

 もっと詳しく調べると、どうも30%コインである確率は8割、20%コインである確率は2割となった。

 そうすると32%と予報するのが妥当。

 この様により詳しく調べて、そこから推測させる確率を予報確率として出すことが、実際の天気とのズレの2乗の期待値を最少にすることになる。

 だから、私が昔新聞で見た、「30%と予報した場合の実際の降水頻度は3割前後だからほぼ正確」という表現も、やはり疑問である。

 





積分定数
2011/09/30 14:08
「どうして天気予報の降水確率は、私達の感性とずれるのか?」・・・という考察もあると面白いのでは?
おおくぼ
2011/09/30 17:22
追記

天気予報の的中率。

http://www.data.jma.go.jp/fcd/yoho/kensho/yohohyoka_top.html
おおくぼ
2011/09/30 17:37
>カテゴリーで分割されていることが前提であれば、事情はそう複雑ではないのです。

いや、TNさんの提案は、カテゴリー前提ではなく、1日ごとに、予報士の予報した降水確率と実際の天気(雨1か非雨0)を比較するだけですね。こんなシンプルな方法があるとは盲点でした。

10日間で、雨が5日降った場合、
10日間とも50%の予報の評価 2.5
90%と予報して全部雨、10%と予報して全部晴れの評価 0.1
90%と予報して4日雨、10%と予報して、4日晴れの評価 1.7
zorori
2011/09/30 22:11
天気予報の確率は、素朴な気がするのですが・・・。
昔は天気図をパターン分けして、同じパターンの天気図ではどのくらい雨が降るかを数えていたみたいです。
だから、例えばパターンAと思える天気図が100あるとして、その内、雨が降ったのは50回だとします。
確率は50%です。
現在は、コンピュータのシミュレーションが発達したのですが、基本的な方法は天気図と同じではないでしょうか?

>確率的揺らぎ以外の要因として「パターンAに当てはまる」という判断があやまっていたとか、「パターンAなら30%」ということが誤りで「パターンAなら10%」と修正すべき、とかになるかと思います。

こういうメタ確率論的な修正は、「予報官の直感」で修正しているのでは?
おおくぼ
2011/10/01 11:36
凄いニュースを発見。
9月19日だから1週間半前のニュースです。

http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/it/2828876/7797437

「ゲーム愛好者らが酵素の構造を解析、米研究」
おおくぼ
2011/10/01 22:52
ベッネッセの宣伝に、こんなのがあります。
「マンガでわかる!覚え方・教え方」

http://www.benesse.co.jp/s/99_l/howto/

朝日新聞の花まる先生ぐらいの衝撃を感じました。
おおくぼ
2011/10/02 11:47
追記

ベッネッセで質問に答えている杉山吉茂さんは有名な教育学者です。

http://benesse.jp/blog/20110914/p1.html

前に紹介した和田義信さんの弟子に当たるみたいです。

http://www.nit.or.jp/kantougen/kantougen60.html
おおくぼ
2011/10/02 11:57
>zororiさん
>こんなシンプルな方法があるとは盲点でした。

そうですね。これがもっとも評価法として適切だと思います。

ある一定期間に関しての予報全体の集合に関して、予報の精度に関して順序を入れると半順序集合になっているが、この評価なら対応する数値で順序が保存されることになります。

おおくぼさん提供のサイトから進むと

http://www.data.jma.go.jp/fcd/yoho/kensho/explanation.html
降水確率予報の精度検証は、「発表した降水確率予報値(10%刻みの階級)」に対して、各観測地点における「実際の降水の出現率(あり:100%、なし:0%)」をある期間で集計し、対象地域で平均しています。最適な降水確率予報だった場合、「発表した降水確率予報値(%)」と「実際に降水が観測された回数の割合(%)」とが等しくなるため、グラフでは傾きが1の直線関係になります。

となっている。適切な評価方法を採用していないのではないだろうか?

 まあ、気象庁の人からしたら、どのような評価法、数式を使えば適切な評価になるのかを研究するよりも、気象について研究する方が大事だろうけどね。
積分定数
2011/10/02 12:25
くろきげんさんのツイッターからの情報

http://chiebukuro.spn.yahoo.co.jp/detail/q1072340540
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1072340540

すごい。そもそも足し算を「増加」だの「添加」だの「合併」だのと区別することが不合理である。
http://suugaku.at.webry.info/201102/article_14.html足し算の「複数の意味」

が、足し算に順序があるという人は「『増加』や『添加』には順序があるが、合併の場合はどちらでもいい」という。

ところがリンク先は「合併の場合は問題文に出てきた順」ということになる。

つまり、足し算の問題は、それが合併か添加・増加かを判断して、合併なら出てきた順、増加なら何に何が加えられたのかを見て順序を決定しなくてはならない。

 何のためにこんなアホなことをするのか???

 で、足し算でこんな具合だからかけ算でも、

「(1つあたり)×(いくつ分)の順序に書かなくてはならない。どちらも、(1つあたり)とも(いくつ分)とも解釈できるような場合は問題文に出てきた順」

などという人もいそうである。

横5p 縦3p の長方形の面積は?

さあ困った。出てきた順か?、面積の公式=縦×横か?

そうすると出題する教師が公式優先の人か、分に出てきた順優先の人かを見極めて・・・・

アホらしい。
積分定数
2011/10/02 12:40
くろきげんさんが有名なtogetterを紹介していたけど、凄いコメントがいろいろありますね。

http://togetter.com/li/68853

特にjustamemoryさんの発言は、軽く読み流すとマトモなことを言っているように思えるのですが、丁寧に読むと凄い発言だらけなので驚きました。
以下引用

例えば1+2や2×1は数字の順番を変えても同じ答えが出ますが、1-2や2÷1の数字の順番を逆にしたら答えが変わってしまいます。ですから、+-×÷を挟む数字には明確に順番による関係が認められるのです。これが数式の文脈です。この文脈を理解できているかが問題なので

bleutruthさんの指摘ですが、難しい問題です。+というのはその式の性質上、同じ単位のものを扱う必要があります。(人)+(人)=(人)ですね。(人)+(林檎)=(犬)のようにはできないのです。ですから、×や÷に比べると、順序付けの強制がゆるくなります。しかし-との関係から、順序がある場合は、順序を考慮すべきです。無い場合は、強制はされません。

りんごが15個ありました。3つのお皿に分けたら、それぞれ何個になるでしょう。15÷3=5です。3÷15=5ではありません。同じように、りんごを主軸に置いた式であれば、(それぞれのりんご)×(皿の数)=(合計のりんごの数)でなければいけないのです。我流の解釈を許していくと、のちのち問題が起きる可能性があるので、厳しく対処する必要があります。
おおくぼ
2011/10/02 19:07
引用の続きです。

高校になってくると、場合分け確率や、順列、数列など、順序というものの重要性が話題になってきます。また、ベクトルの計算や行列でも順序が重要になってきます。のちのち意味を間違えないように、小学校から順序というものを重要視するのは当然ではないでしょうか。

3×5と5×3は答えの数字が同じなだけで、式の意味はまるで異なります。+-×÷という記号が式の順序を重要とするのは、ベクトルや行列の計算をすればわかることです。3×5と5×3は「たまたま」同じ結果になるにすぎません。それをちゃんと叩き込むか、ガキはバカだから九九ができりゃいいやと考えるかの違いですね。

1:英語圏では逆という指摘がありましたが、仮にそうだとしても、その文化圏の文脈を無視した順番で表記したらバツをつけられる可能性があります。 2:数学に国語を持ち込むなと言う方がいますが、例えば「1人3キロ運べます。5キロのものを分担して運ぶには何人必要ですか」という問いには「人間は分数に出来ない」という国語的能力が要求されます。現実として算数には国語的能力が要求されます。

hirooさん 1:スカラーは単位や意味づけを無視して、抽象的な量として考えるので、可換がなりたつだけです。 2:線形代数において記号×は外積を意味するので、順番の入れ替えで答えが変わります。順番が重要なことに変わりはありません。 3:実は・・・が許されるならそれでもいいでしょう。小学校が厳しすぎるということですね。その論点なら同意します。ただ、違いを教えることにもそれなりの意味と意義はあるということです。
おおくぼ
2011/10/02 19:09
前に紹介したSF作家・山本弘さんの相対性理論に説明の記事に、コメントが山本弘さんのも含め60近くついています。
そして山本弘さんが新たに「光より速いニュートリノ」をめぐる誤解・2」と「3」をアップしています。
「光より速いニュートリノ」をめぐる誤解・2」では・・・

>よくある誤解1
>「タキオンの質量は虚数である」

>よくある誤解2
>「ニュートリノには質量があることが分かっている。超光速粒子には質量はないはずだから、ニュートリノは超光速ではない」

>よくある誤解3
>「速度無限大を超えられるはずがない。無限大より大きいものなどあるはずがないからだ」

私も誤解してました。山本弘さんの説明を読んで「へえ〜」という気持ちです。
おおくぼ
2011/10/02 23:03
文科省のサイトを見ていたら、こんなことが書いてありました(3 まとめ)。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/tosho/004/gijiroku/08100711/004.htm

>なお、直接、教科書に関わることではないが、教科書の解説書(教師用指導書)を各教師が手元において置けるようにすることが大切である。
>教科書を使いこなすためには教師用指導書を適時参照しながら、教科書の意図や教科書の行間を考えることが求められている。すべての教師が担当の教科の解説書を持てるようにすることが必要であろう。
おおくぼ
2011/10/03 21:08
すでにご存知の人もいるかも知れませんが、
おかしいのは算数だけではないようです。

「姪のテストを見て驚愕。これで100点を逃し
 たようです。」
http://jin115.com/archives/51762293.html
ゴルゴ・サーディーン
2011/10/05 23:30
おかしい人はどこにもいます。
ただ、かけ算の教え方がおかしいと言っているのは、教科書の指導書に書いてあることがおかしい(それに輪をかけておかしな先生もいますが)と言っているわけですが、この漢字の場合は、ある特定の教師がおかしいのではないでしょうか。

子ども時代、教師に良い印象を持たなかった人が、トラウマからか、少数のおかしな例から、教師一般がおかしい、という議論に持っていくのはおかしいと思っています。
メタメタ
2011/10/05 23:58
>この漢字の場合は、ある特定の教師がおかしい
>のではないでしょうか。

あくまで想像ですが、
 「掛け算の記号“×”にも書き順が決まって
  いる。
  『どちらでも良い』と言うと、子どもたち
  が戸惑う。」
という話の真相が、そこにあるのではないと思
うのです。
 つまり
 × 「子どもたちが戸惑う」
 ○ 「細かい部分でマルとバツが分かれるの
   なら厳密な基準を決めてくれ、という声
   が児童・保護者から出る。それが算数の
   記号にも波及して来る。」
という事ではないか、と思うのです。

 また、巨大掲示板などで
 「自分も低学年のときは、これぐらい五月蠅
  く指導された」
という声や、この採点を支持する書き込みが多
々あるのを見ると、決して極一部の問題ではな
いと思えて来ます。

 ただ一点、仰る通り、掛け算の順序は指導書
に堂々と載っており、他方、漢字の字体につい
ては文科省から
 「あまり細かくやり過ぎないように」
という文書が出ている(twitpicの反応の中で
挙げられている)というのは、確かに異なって
いますが。
ゴルゴ・サーディーン
2011/10/06 00:24
文化庁の常用漢字の改正

http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/soukai/pdf/kaitei_kanji_toushin.pdf

明朝体と手書き楷書は別の字体です。
明朝体はデザイン重視の字体です。
明朝体が清王朝時代の康煕字典で採用されたことによって、日本でも活字では明朝体が採用されました。
でも手書き楷書と明朝体は別の字体であることは、歴史的な事実です。
「明朝体」を「正しい手書き楷書」だと誤解している学校の先生がいるのは悲しいことだと思います。

手書き漢字については以下の本が便利です。
『手書きのための漢字字典 第二版』(明治書院)
財前謙:編著
おおくぼ
2011/10/06 01:19
「掛け算の順序」論争で誤解されるのが、順序否定の理由です。
1 「数学は自由だから」、順序固定に反対する。
でも、この理屈だと試験なんか成り立ちません。

2 まだ小学生なのだから、規則通り厳しく言う段階ではない。
この理屈だと、中学校では「順序固定がない理由」が説明できません。

掛け算や足し算の順序固定を否定する理由は、「数学の規則」を遵守するからです。
「順序の固定はしてはいけない規則」だからです。
中学校では守っているから、小学校でも守るべきだと思うのです。
おおくぼ
2011/10/06 02:05
おおくぼ さん、

>「順序の固定はしてはいけない規則」だからです。

そんな規則はないのでは?
どちらでもよいということは、個人的に片方の表記しか採用しないという選択もあり得ます。面倒くさいとか、不便とかあるでしょうが、別に悪いことはないと思います。
会社で使う見積書はあくまでローカルルールとして書式を統一するのは普通ですし。

悪いのは、固定しなければならないと他人に教えることだと思います。特に教師が。
zorori
2011/10/06 06:39
zororiさんへ

>そんな規則はないのでは?

足し算と掛け算では交換法則が成立します。
順序を変えてもいいということは、順序を固定してはいけないということです。
なぜなら順序を固定すると、順序を変えることができないからです。

おおくぼ
2011/10/06 08:35
 おかしな教え方をする教師というのはいるのですが、問題は、それを是正する仕組みがないことだと思います。

七生養護学校事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E7%94%9F%E9%A4%8A%E8%AD%B7%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 このような事例と、「長方形の面積を横×縦でバツにする教師」に抗議し是正を求めるというのを、

 同列に、「教育への外部からの不当な介入」とひとくくりにすべきではないと思うのですが、実際にはどうかわからないが、「各々の教師の考えがあってのことだから」ということで、文科省あたりも個別の具体的授業については論評を避けているようです。

 文科省教育政策研によると、「正方形は長方形ではない」という指導も「ありえる」とのこと。

 教育現場をめぐる左右の対立のとばっちりで、本来是正されるべきおかしな教え方に対して、外部から意見を言う回路が閉ざされてしまっているように思えます。
積分定数
2011/10/06 09:14
http://www.jtu-k.com/study/img/070328Taro10-03kyoukenisihara.pdf#search='外延量的内包量'

外延量的内包量・・・、「豪華粗品」みたいなもの?

これ読むと、「正答率が上がったから素晴らしい」というように見えてしまう。だとしたら、100マスやTOSSのサンドイッチやサクランボと基本となる考えは同じではないのだろうか?あくまで戦術が違うだけ、という気もする。

 私自身は小学生低学年を教える機会はないのでえらそうなことを言う立場ではないのだが、

 本来、算数・数学は教わったから出来る・教わらないから出来ないというものではなく、試行錯誤するうちに正しい答えに行き着ける性質のものだと思う。

 もちろん、行き着けない子にはそれなりの指導が必要だが、迷いながらでもとにかく目的地に自分で行き着くことが大切だと思う。

 2x+3=4x−17

例えば、これを解く場合に、とにかく片っ端から数字を入れて当てはまる数を探す、

という経験を経ることで、「方程式とは何を求める問題なのか」が分かり、法則性を掴み、「もっと効率よくやるにはどうすればいいのか」を考える動機になると思う。

 以前紹介したように、「分数が絡んだ方程式は分母の最小公倍数を掛けて分数を消してから解く」という優等生的やり方で解く子が、ax+b=cを前にして、「a,b,cが分数なのか整数なのか、分数だとしても分母の最小公倍数が何なのか分からない。だからどうして良いのか分からない」という例がある。

 「このやり方をマスターすれば簡単に答が出るよ」といってやり方を教えることで、理解していなくても本当に出来てしまうので、それが後に禍根を残すことになることに多くの教師は気づいていないように思える。
積分定数
2011/10/06 15:40
おおくぼさん、

>なぜなら順序を固定すると、順序を変えることができないからです。

「順序を固定する」というのは一つの状態であって、「順序は固定しなければならない」という規則ではないということです。「筆記具は鉛筆又はシャープペンシルのどちらを使ってもよい。」という規則の時に、鉛筆だけを使っている状態は規則違反ではありません。多分、おおくぼさんは、「「鉛筆しか使ってはいけない」という規則は作ってはいけない」というメタ規則をおっしゃっていると思いますが、規則とメタ規則、それに規則を適用する状態は明確に違います。

つまらないことに拘っているようですが、順序派の主張はまさに、このような混同から生まれているような気がします。掛け算の導入時には、順序つけて教えることは問題有りません。この順序付けは、一つの教育のやり方(状態)であって、規則を教えているのではありません。しかし、順序派はいつの間にか、これを混同して、規則だと勘違いしてしまったような気がします。野球の練習で、子供の故障を防ぐためにカーブを投げさせないという教育方法は有りうると思います。しかし、試合でもカーブを投げたらボークとしてしまっているような感じです。
zorori
2011/10/06 22:50
>外延量的内包量・・・「豪華粗品」みたいなもの?

そんなのもあるのですね。
二次内包量 と 誘導外延量 は知っていましたが。
ゴルゴ・サーディーン
2011/10/07 00:00
zororiさんへ

zororiさんの主張にはだいたいは賛成なのですが、言葉の使い方で賛成できない部分があります。
「規則」という言葉の使い方が私とzororiさんで違うみたいです。

>という規則の時に、鉛筆だけを使っている状態は規則違反ではありません。

その通りです。

>多分、おおくぼさんは、「「鉛筆しか使ってはいけない」という規則は作ってはいけない」というメタ規則をおっしゃっていると思いますが、

これはメタ規則ではなく、規則です。
規則自体がメタ・レベルに立って高みから指示していると考えることもできますが・・・。
でも規則があって、その上の上位レベルからの命令ではありません。

>野球の練習で、子供の故障を防ぐためにカーブを投げさせないという教育方法は有りうると思います。しかし、試合でもカーブを投げたらボークとしてしまっているような感じです。

この理由で、交換法則を禁止していいのでしょうか?
おおくぼ
2011/10/07 00:53
追記

野球の喩え話なのですが・・・なぜ最初に先生がカーブを禁止して、ある段階に来るとカーブが許可されたのかについて、生徒が納得できればいいと思います。
でも、もし私が生徒だとすると、今の掛け算の順序教育には納得できません。
おおくぼ
2011/10/07 01:05
追記 2

zororiさんは、「花まる先生」の例をどう考えますか?

http://www.asahi.com/edu/student/teacher/TKY201101160133.html

> ウサギを3羽貼った先生が問いかけた。「ウサギが3羽います。ウサギの耳は二つずつあります。耳は全部でいくつでしょう。式はどうなりますか?」
>解答用紙に真剣に向かうみんなの間を回り、「3×2」と書いた子どもたちを見つけた。教壇に戻った先生は「3×2にすると、いったいどうなるでしょう」。最初のウサギ3羽をはがし、別のウサギ2羽を貼った。
>新しいウサギにみんなはびっくり。頭から耳が3本生えている。しかも、しかめっつら。「ありえない」「こわいよー」。悲鳴で教室は大騒ぎになった。
>「3×2だと、耳が3本生えたウサギが2羽、ということになるよ」と先生。
おおくぼ
2011/10/07 03:39
>二次内包量 と 誘導外延量 は知っていましたが。

今初めて知りました。検索してみました。加速度が「二次内包量」なんですね。じゃあ、加速度を時間で微分したら、「三次内包量」とかになるんでしょうかね。一般に「n次内包量を微分したら、n+1次内包量」と帰納的に定義できるんでしょうね。そうすると外延量を積分したものは「二次外延量」でしょうか?
 内包量を積分したら外延量、だから外延量は「0次内包量」?残念なことに「n次外延量=−n次内包量」とはならないですね。

 ビルの3階から1つずつ下がっていくと、2階、1階、地下1階、地下2階、・・ 0階がない!地下n階=−n階としても、「n階からm階さがると、n−m階」がn≦mの場合には、成り立たない。

 という事情に似ていますね。どうでもいいけど。

 「内包量や外延量という概念が確かにある」としてしまうと、どちらとも言えない事例とかが出てきても、「そういう概念があるんだ」と言わざるを得ないので、その都度、場当たり的に言葉を作っている、

 というようにも見えてしまうのですが・・・
積分定数
2011/10/07 04:21
おおくぼさんとzororiさんは、単に言葉の使い方が違うだけで主張それ自体はさほど違わないように思うのですが・・・
積分定数
2011/10/07 04:22
「コメント欄 2代目」について
http://d.hatena.ne.jp/takehikom/touch/20110927/1317067046
>「かけ算ではかける順序はどちらでもいい」は,「マイナスイオンは健康にいい」に対応します.

どちらかというと、学校で「かけ算には順序があります」とえることは、「綺麗な言葉で綺麗な水の結晶が出来ます」と教えることに対応していると思うのだが・・・
積分定数
2011/10/07 05:27
>おおくぼさんとzororiさんは、単に言葉の使い方が違うだけで主張それ自体はさほど違わないように思うのですが・・・

確かに、それだけのことですが、順序派の先生と話が通じないのも、そういう面があるような気がします。だから、それだけといってしまうのもどうかなと。

練習法や教育法にはいろいろ流儀が有っても構わないけど、それを「規則」と言ってしまい、それに従わないと試験で×にしたり、公式試合でルール違反とするのは拙い、とそういう問題ではないかと。
zorori
2011/10/07 06:33
花まる先生の・・・

>「2×8でも8×2でも答えは同じ。でも、意味は全然違うよ。文章をよく読んで考えてとくことが大切だね」と先生は話した。

あるいは・・・

> 「かけ算の意味って、すごく大切。数字の順番でなく、何のいくつ分か考えてとくのを忘れないでね」。

ベネッセの「マンガでわかる!覚え方・教え方」もそうですし。

http://www.benesse.co.jp/s/99_l/howto/

あと教師用指導書の考え方も同じですし・・・。
この教え方で教わった生徒は、大人になってもそのままになるのではないでしょうか?

おおくぼ
2011/10/07 12:10
順序派にはいろいろありますが・・・。

1 銀林浩さん流の「量の掛け算」では交換法則が成立しない。
2 教師用指導書流の計算の答えは同じでも式の意味は違う。

2番目は計算上は交換法則を認めているけど、文章題からの立式では交換法則を禁止しています。
1番目は2番目よりもややこしいのですが、こちらも計算上では交換法則を認めています。
また銀林浩さんの場合は交換法則が成立しないとしながらも、順序は固定ではなく使い勝手がいい順序を臨機応変に紹介しています。
だから数教協は銀林浩さんの悪影響が強いのですが、銀林浩さんの主張とは厳密には違うということになります。
おおくぼ
2011/10/07 23:39
追記

>「2×8でも8×2でも答えは同じ。でも、意味は全然違うよ。文章をよく読んで考えてとくことが大切だね」と先生は話した。

これは「数学の規則」ではありません。
メタ規則でもありません。
おおくぼ
2011/10/10 08:50
交換法則の証明は、小学校や中学校の義務教育では教えません。
中学校のように自明の法則として教えれば簡単なのですが、小学校の段階で(教師が)交換法則についてマジメに考えると困難な状況に直面する場合があります。
おおくぼ
2011/10/10 17:13
>「10円玉を、縦4個、横8個の長方形の形になるように並べました。10円玉は全部で何円ですか。」という問題の場合、「縦に数えると40円、横に数えると80円。
>だから、40と80をかけて、答えは3200円。」という考え方は正しいでしょうか。
>私は、間違えていると思います。しかし、どこを間違えているのかを説明できません。間違えているならば、どこを間違えているのか、説明してください。

http://qanda.rakuten.ne.jp/qa532175.html


単位を揃えることと面積にこだわって間違う例。
おおくぼ
2011/10/15 23:29
 単位に拘ることの弊害ですね。

1時間で4q進む。3時間では?

単純に4が3つ分で12qという理解で問題ないのに、単位に拘ると、4q×3時間=12q時間、となりかねない。4q/時とするか、3時間は1時間の3倍として、3の意味を3時間ではなく3時間/1時間で無次元とでもすることで解消されるが、このことで理解が促されるとも思えないし、「q時間」としないための後付の方便にも思えてしまう。

 私自身、単位について明確に意識したのは高校の物理を勉強してからである。そこで初めて、「1本30円の鉛筆、5本の代金は?で答えは150円本にならないのは何故だろう?」と疑問に思い、1本30円ということは、30円/本だと言うことに気づいた。

 こんなこと、小学生が考える必要はないし、教える必要もないだろう。混乱しかねない。

「320円」と正しい答えを出している子に、敢えて「縦に数えると40円、横に数えると80円。だから、40と80をかけて、答えは3200円。じゃないの?」などと疑問を投げかけるようなことは、子供を混乱させることになるから止めた方が良い。
積分定数
2011/10/17 09:16
花まる先生の授業もそうですが、子供を混乱させることをいろいろしている気がします。
そういう意味では、「百ます計算」は混乱を極力避けている授業方法ですね。
小学校の算数は専門的に考えると、大人でも悩む疑問がたくさん隠れているので、短い時間に多くの生徒を教えなければいけない小学校の先生にとって、混乱のもとになる教育方法は少ない方がいいですね。
銀林浩さんの教育方法は、いたずらに複雑なことを詰め込みすぎなダメな教育方法だと思うのです。
そこが遠山啓さんと銀林浩さんの違いだと思うのです。
おおくぼ
2011/10/17 19:51
>だから、40と80をかけて、答えは3200円。」という考え方は正しいでしょうか。

この質問は2003年で、いろんな回答が寄せられていますが、自分なりの答えをブログに書いてみました。

http://blogs.dion.ne.jp/tacthit/archives/10428280.html
おおくぼ
2011/10/18 13:52
 私が教える立場だとして、生徒からこういう疑問が出たら、10円玉1つを置いて、「その論理だとこれは100円になるけど、いいのかな?」とでもいうかな。

 格子状に並べて縦の個数を横の個数を掛ければ全体の個数になるということを、そういうルールとして覚えるのではなく、自分自身の経験として「当たり前のこと」と認識するなら、質問者のような疑問は持たないだろうし、持っても自分で誤りに気づくように思う。

 納得しながら理解していくという過程が欠如して、さまざまな「解法」や「ルール」が砂上の楼閣として頼りなく頭の中に立っている状態だと、こういうことになりがち。

 初速度0で加速度aで運動する物体が時間tで移動する距離は?

v=at 距離=vt だから 距離=at^2

 などというのもその類。
積分定数
2011/10/19 08:22
小学校ではなく、大学の話なのですが・・・。

「授業はabcから…週刊誌に“バカ田大学”と書かれた学長を直撃!」
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20111014/dms1110141126007-n1.htm

私は大学の教員ではないのですが、大学生と毎週会っているので、これは「なるほど!」と実感します。
おおくぼ
2011/10/19 11:41
銀林浩さんの影響は「掛け算の順序」については小さいと思うのですが、数学教育に悪影響を与えていると思うのです。
「数の世界」に対して「現実の世界」があると考えるのは珍しくありません。
でも銀林浩さんの「量の世界」は私には理解できません。
数教協は、「量の世界」について検証すべきだと思うんですが・・・。
おおくぼ
2011/10/20 12:18
2ちゃんの「痛いニュース」から。

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1671573.html

「6+5×3=33」と答える就活生続出 学力低下ひどく、採用担当者不安
おおくぼ
2011/10/22 03:54
森毅さんの『現代数学と数学教育 (基礎数学選書)』や銀林浩さんの『数の科学―水道方式の基礎』に「掛け算の交換法則」についていろいろ書いてあるのですが、よくわかりません。
「関数における合成写像」では「交換法則が成立しない」ということを言っている気がするのですが・・・。
「高校の数学」と「義務教育の数学」を区別していない本という気もします。
おおくぼ
2011/10/23 07:08
こういう物を見つけました。
http://jdream2.jst.go.jp/jdream/action/JD71001Disp?APP=jdream&action=reflink&origin=JGLOBAL&versiono=1.0&lang-japanese&db=JSTPlus&doc=02A0311398&fulllink=no&md5=f39235e5da48a7da00944a1850a25ba5
>内包量に関する学習者の誤概念

>これまで「速さ」「物質の密度」「人口密度」
>といった内包量を取り上げて,小学生の誤りを
>指摘し,その種の誤りが生じないようにするに
>は,どのような教え方が必要となるかを研究し
>てきた。本稿では,まだ取り上げていない内包
>量(「塗ったペンキの濃さ」「自動車の燃費」
>など)についても同様の誤りが生ずるか否かを,
>被験者の対象を大学生にも拡大し,小学生と大
>学生の理解の実態を調査した。


>被験者の対象を大学生にも拡大し
>被験者の対象を大学生にも拡大し
>被験者の対象を大学生にも拡大し

 大学生の学習する題材にも「内包量」という言
葉が通用するという誤概念も、なんとかして欲し
いものです。
ゴルゴ・サーディーン
2011/10/26 22:46
 論文そのものを見ないと何とも言えないけど、面倒くさそうだね。
積分定数
2011/10/27 08:11
ちょっと検索してみたら、2ちゃんねるがヒットした。
http://mimizun.com/log/2ch/baby/1122856497/
184あたりから、「内包量」とか出てくる。

>内包量とされる速度について旅人算や流水算では加法性が成り立ってい
るではないかという疑問ですね。以前、数教協の掲示板に同様の疑問が投
げかけられていましたが、そこでは回答がありませんでした。
 ただ、「速度の相対的な和を求めることは出来ますが、合併的な加法性
は持っていません。」という説明を見つけました。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/rainbow-room/quantity.htm
http://www.geocities.jp/ta_sekiguti/14.htm
積分定数
2011/10/27 08:52
http://www.geocities.jp/ta_sekiguti/14.htm
2 速度の非加法性について 日立一高 根本 和昭 tel 0294-22-6488
    一般に,速度を用いた計算に加法(減法)を適応させることがありますが,速度は密度や温度
   のように加法性を持たない内包量に分類される量なので,原則的には加法が成立しないはずです。
   時速60km/hの車と40km/hの車を連結した様子を考えてみて下さい。そこで,速度(=変位/
   時間)に加法が成り立つ条件を考察したところ,2つの速度の合併において分母要素にあたる時
   間どうしが重なって不完全な合併が生じていることが分かりました。(時間には,原則的に加法
   が成立するのですが…。)相対速度の問題等において,実際に加法が成立しているのは変位なの
   ですが,通常はこれを加法が成立しなくなった時間で割った結果として速度の加法と見なしてい
   るのです。内包量の典型である密度(=質量/体積)の合併の場合と比較してみて下さい。


なんだかよく分からない・・・。
前にも同様のことを書いたが、粘土で出来た2つの球のそれぞれの半径が2と3だったとする。この2つを併せて改めて球を作った場合、半径は5にならない。

「併せる」が加法に対応しない例などいくらでもあるし、そんなあたりまえのことを説明するのになんで、内包量だの外延量だのという新しい概念を導入する必要があるのだろうか?
積分定数
2011/10/27 09:01
http://mimizun.com/log/2ch/baby/1122856497/

204 :名無しの心子知らず:2005/08/08(月) 23:22:23 ID:7jPfEbTl
 速度は「距離÷時間」で求められる量です。そこでよく「時速というの
は、1時間に進む距離だ」という教え方がされます。しかし、この教え方
だと「時速」イコール「距離」と誤解されかねません。「内包量を『単位
量あたりの大きさ』…として説明したのでは、内包量の本質的な性質が、
子どもたちにはなかなか理解されない」(麻柄啓一『子どものつまずきと
授業づくり』岩波書店203頁)のです。「距離」は「速度」を表す手段で
あって、「距離」と「速度」は違う量です。距離とは独立に速度という量
があって、「もしその速度で進み続けたら1時間にどのぐらいの距離にな
る」という表し方をしているにすぎません。
 内包量指導に関するこの指摘からヒントを得て、速度の非加法性につい
て、私は次のように理解して一応腑に落ちました。旅人算や流水算で、速
度に加法性が成立しているようにみえますが、これは「速度」それ自体に
ついて成立しているのではなく、「距離」について成立しているにすぎな
いのではないか。
 たとえば、「静水時の速度が時速10kmの船が、時速5kmの速度で流れ
ている川を下ります。この川を船が60km下るのに、何時間かかりますか」
という流水算の問題で考えます。船が1時間に進む距離について
10km+5km=15kmと加法性が成立します。船の実際の速度が時速15km
と求められるのは、その反射的効果(=反映)にすぎません。
 >>192の2つ目のリンク先の言葉はわかりにくいですが、おそらく同趣
旨ではないかと思います。

積分定数
2011/10/27 09:02
しかしそれを言い出したら、長さに関しても、「5mと5mの長さの紐は違う」とかって話になるのではないだろうか?

紐Aと紐Bは、同じ長さ、だとか、Aの方がBよりも長いという具合に、長さをメートルなどで表記しなくても比較できる。つまり、数値で表現するまえから、「長さ」という概念は存在している。

ここで長さを数値化する方法として、「基準の長さ」の棒を持ってきて、その棒いくつ分に相当するかを調べる。その、いくつ分の“2乗”を長さを表す数値とする。「同じ長さ」「AよりBの方が長い」などというのと、数値の大小は対応するから、これを長さの定義としても構わないはず。

この場合、長さ4と長さ9を併せたら長さ25であるから、加法性は成り立たない。

だから、長さは内包量です。


アホらしい・・・
積分定数
2011/10/27 09:11
いや、長さ(外延量ということでしょうが)に関しては、差を等値できることを要請しているのです。
長さ2,3,4,5で、
3と2の差は、5と4の差に等しい。というか、そのように数値化する。

銀林浩『量の世界』27頁で教えられたことですが。

メタメタ
2011/10/27 11:57
なるほど、差をとるというのは、長い方の紐から短い方の紐の長さ分を切り取るという作業で得られるから、数値を介在しなくても差をとることは出来るし、それが数値の引き算と対応させるためには、基準量何個分かを測定してその2乗としたらまずいということは理解しました。

 速さには足し算が適用できないから内包量

というのは相変わらず意味不明です。

単位時間あたりの距離だとわかりにくいが、2つの川AとBが合流して大きな川Cになっている場合、1秒あたりに流れる水の体積を流量と表現したとすると、
川Cの流量=川Aの流量+川Bの流量

「内包量の非加法性」とは一体何を意味するのか?

私は内包量だの外延量だのという概念は虚構だと思います。
積分定数
2011/10/27 14:01
>大学生の学習する題材にも「内包量」という言
>葉が通用するという誤概念も、なんとかして欲し
>いものです。

学習者が大学生でも、題材が
 「塗ったペンキの濃さ」
 「自動車の燃費」
という物に限定されていれば、「内包量」のボロ
は出てないとも言えますが。
ゴルゴ・サーディーン
2011/10/27 21:48
瀬山士郎さんの『数学と算数の遠近法―方眼紙を見れば線形代数がわかる』 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ) には内包量という言葉が何度も出てきます。
瀬山士郎さんは、「内包量」を重要な概念と考えているみたいです。
おおくぼ
2011/10/28 12:44
田中博史さんの『筑波大学附属小学校田中先生の 算数 絵解き文章題 (有名小学校メソッド)』(学研:発行 2010年)は、「かけ算順序派」の方法が明確に出ている本です。
田中博史さんは優秀で人気のある先生です。
今月「花まる先生」にも取り上げられました。

http://www.asahi.com/edu/student/teacher/TKY201110170355.html
おおくぼ
2011/10/28 12:51
http://tsukuba-sansubu.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-303a.html

この方ですね。包含除と等分除、そもそも区別できないのだが・・・
積分定数
2011/10/28 18:52
そうです。田中さんはブログもしているそうです。

http://tanahiro-hirosen-p.blog.so-net.ne.jp/
おおくぼ
2011/10/28 23:12
>私は内包量だの外延量だのという概念は虚構だと思います。

時速80kmで走る電車の中で進行方向に時速20kmで走れば,時速100kmになりこの状況は足し算で表されますが,時速80kmの電車を2台連結しても,時速80kmで変わりません。当り前のことですが、足し算で表しうるか否かは、「数」が表している二つの対象に行う操作次第なのであって、「数」そのものの性質に有るのではありません。単位が同じであれば、「数」自体は足し算出来ます。1%と2%食塩水を「混ぜても」2%にならないのは、濃度が「足す」ことが出来ない為ではなく、「混ぜる」という操作が「足し算」という計算に対応していないだけのことですね。「混ぜる」という操作は「足す」と表現することもあるため、言葉使いが混乱しているだけだと思います。

算数教育でも、重要なことは,問題文に書かれている操作がどのような演算で表されるかを考えることですが,内包量や外延量という概念は,操作とは無関係に数の性質で加法性が決まるというような誤解を与えていますね。
zorori
2011/10/29 08:49
>包含除と等分除、そもそも区別できないのだが・・・

等分除と包含除も、トランプ配り等の考え方で一つ当たり量はどちらと考えても良いことの裏返しで、入れ替え可能ですね。割り算の導入時点の、分かりやすい説明として2種類あるというだけで、本質的な違いがあるかのように教えこむのは問題ですね。いずれ、そういう区別は便宜的なもので、本質的には同じことであると理解しなければならないはずです。算数や数学では、別のことだと思っていたことが、実は同じことを別の見方をしていただけだと気付くところが面白いのですけどね。
zorori
2011/10/29 09:06
引き算では、「求差と求残と求補を区別するように」という話は余り聞かない。「8人いる。あと何人来たら10人?」「10人にて8人帰った。今何人」「男の子が8人、女の子が10人いる。どちらが何人多い?」これらは「異なる問題」であるが、ずべて10−8という同じ構造に帰着できることが比較的明らか。

 割り算の等分除・包含除に関しては、同じとみなすには一工夫必要。

 それだけの違いにしか思えない。
積分定数
2011/10/29 18:00
「高校物理に順序主義を持ち込んだら、
 PV=RTn などいう式を書くのだろうか?」
と私たちは思うわけですが、こういうサイトを
見つけました。

 http://www005.upp.so-net.ne.jp/rainbow-room/physicsE2.htm
 「内包量×外延量」と書かねばならないので、
運動量の式を p=vm とするのだそうです。

 「初学者には速度よりも運動量の方が理解さ
  れ易い」
というのも味わい深いです。
 彼等の世界では、
 「小学生は、密度や濃度などが全体の大きさ
  には無関係な『局所の性質』である事を理
  解できない場合がある。
  また大学生でも、馴染みの無い新しい概念
  を教えられた時それが『局所の性質』であ
  る事が理解できない場合がある。
  内包量は、それぐらい難しい。」
というロジックがあり、そこから
 「内包量より外延量が簡単だ」
が導かれるようです。
 そこまではまあ判るのですが、
 「速度よりも運動量の方が理解され易い」
となると、別世界の話のように思えます。
ゴルゴ・サーディーン
2011/11/01 23:09
つまり、「複数の物体が運動していた場合、全体の運動量は個々の運動量の和になる」、だから、速度と違って加法的である。だから理解しやすい。

ってことかな?

で、そもそも運動量はどう定義するのだろうか?
積分定数
2011/11/02 10:52
 教えることを生業にしていると、いろんなケースに遭遇するわけで、生徒が理解できないと言う要因も様々で、一概には言えない。

 私は、「自分自身で試行錯誤して獲得しないで最初から公式や解法を与えられることで理解が出来なくなる」と考えているが、それが全てだとは思わない。

 「局所の性質である内包量は難しい」というのも、そういう面があることは否定しないが、それだけを敷延していっていいのだろうか?

 このブログ主は、その教え方でうまくいったのだろうか?
積分定数
2011/11/02 12:18
1あたり×いくつ分、という順序だ、だから、質量=密度×体積、距離=速さ×時間、

という話で、1あたり量は加法性が成り立たない内包量だ、

ということになって、

内包量×外延量

という事だったと思うが、だからp=vmって、1あたり×いくつ分とどうつながるのだろうか?

なんだかなし崩し的にルールが出来ちゃうようだ。

それとも、速度は単位質量あたりの運動量、ということだろうか?
積分定数
2011/11/05 19:35
> なし崩し的にルールができちゃう


パラノイア?

鰹節猫吉
2011/11/05 20:12
都心の大型書店の教育コーナーで、算数教育の本を立ち読みすると、「かけ算は順序を変えても答えは同じだけど、意味は違う」と書いてある本が何冊か見つかりました。
しかも著者の肩書きや履歴が立派だったりするので驚きます。
おおくぼ
2011/11/06 06:21
>という話で、1あたり量は加法性が成り立たない内包量だ、

これが、順序派の「掛け算を累加で説明するのはダメだ」と繋がっているわけですね。
内包量「速さ」に関する計算、速さ×時間 では、「1時間当たりに進む距離」を「時間」個だけ「累加」したと足し算で考えるのは間違いであって、あくまで「1時間当たりに進む距離」が「時間」個分だけあるという掛け算でしか考えてはいけないと。
しかし、「感覚」では違いが分かるような気になっている内包量と外延量も、こうして、言葉で丁寧に説明すればするほど、何が違うのかますます分からなくなります。
累加が出来るのは「1時間当たりに進む距離」が一定だからであり、掛け算が出来るのも「1時間当たりに進む距離」が一定ということで同じであるし。

内包量、外延量の違いというのは、思いこみの「感覚」の問題に過ぎませんが、子供は思いこみの「感覚」を持っているので、教育の導入部では、それを利用することは、分かりやすさという面で有る程度必要なのだろうとは思います。しかし、そこで留まらずに、子供の思い込みの「感覚」を、より一般化して、大人の「感覚」にグレードアップしていかなければなりませんが、逆に、大人の教育者が子供の感覚のままになってしまっているような。
zorori
2011/11/06 09:48
「温度の計算」に、足し算だけでは正しい答えが出ないから、内包量という言葉で誤魔化す方法は教育上理解できます。
次に「倍の計算」を累加で表現できても、違うアイデアだと解釈するのも理解できます。
でも距離=速度×時間という「比例」を内包量と外延量で理解するのは無理があると思います。
そのように理解するのは個人の自由ですが、小学校の教育に持ち込めば、「内包量と外延量はどう違うの?」という疑問が生じて、いたずらに混乱の種を植えることになると思います。
おおくぼ
2011/11/06 11:50
 内包量・外延量だの等分除・包分除だのという概念が不要な状態、区別が出来ない状態の方が算数・数学を深く理解できていると思うのですが、

 「区別が出来ると思っている・区別が出来る方が深く理解している」と勘違いしている人が多いように思う。

 運動量は、普通に考えたら質量が一定で速度が変化するというのが自然で、彼らの論理からしたら「mvこそが正しい」となりそうだけどね。
積分定数
2011/11/06 22:30
http://ts.way-nifty.com/makura/2009/07/post-4df6.html
▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽
「私は、1つ当たりと、いくつ分を峻別することは原理的に出来ないと確信しました。」と、積分定数さんは言われます。
が、
私はマッタク違う「もの」だと思っています。
つまり内包量と外延量ということでです。
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△
積分定数
2011/11/06 22:39
http://ts.way-nifty.com/makura/2009/07/post-4df6.html
▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽
等分除と包含除は明らかに違います。
それは何回も書いているように、かけ算の意味とリンクしているからです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
等分除は「みかんが12個あります。4人に同じ数ずつわけると、1人分は何個になるでしょう」というもので、かけ算でいうならば「1あたりの数を求めるものです」
包含除は「みかんが12個あります。1人に4個ずつ配ると、何人に分けられるか」というもので、かけ算のいくつ分を求める演算です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
積分定数
2011/11/06 22:40

ただ、割り算は等分除と包含除だけでないことは、
エントリーにも書いています。
つまり「倍」を求める場合や、かけ算の逆の演算で有る場合などです。
「20は5の何倍か」と言う問題では等分除も包含除も無関係です。
「面積20、縦5なら横は(単位省く)」の問題も同様です。
等分除と包含除とは、
かけ算の「1つあたり」×「いくつ分」=全体のかずという公式が成り立つ問題で、「1つあたり」を求めるのか「いくつ分」を求めるのか、
と言うときの方法を言うものであって、割り算がみんな「等分除、包含除」と言うことではありません。
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△
積分定数
2011/11/06 22:41
↑算数・数学を理解していない人の典型例。水道方式やら何やらを勉強する前に、まず算数・数学をきちんと理解すべきだと思う。
 この手の人は、「子供へのまなざし」だの何だのを強調して、論点がどんどんずれてしまう傾向がある。あげくは、「順序はどうでもいいというのは出来ない子を切り捨てる論理」などと言い出す人もいる。
積分定数
2011/11/06 22:46
「等分除 包含除」でググってみました。

http://www.shinko-keirin.co.jp/sansu/WebHelp/html/page/31/31_04.htm

http://www6.plala.or.jp/maeda-masahide/3warizan.html

図で解りやすく説明していますが・・・。
私が理解できたのは、かけ算の順序にこだわる人の理由です。
今まで「等分除」と「包含除」を誤解してました。
ジブリ・アニメ『おもひでぽろぽろ』に出てきたような分数同士のかけ算を理解する方法かと早とちりしてました。
掛けて1になる逆数の話だと思っていました。
違うんですね。
おおくぼ
2011/11/07 09:02
訂正

分数同士のかけ算 → 分数同士の割り算

追記

等分除と包含除の違いは、「分数同士の割り算の場合、どうして分母と分子をひっくり返すのか?」という説明になると思います。
おおくぼ
2011/11/07 10:30
http://www6.plala.or.jp/maeda-masahide/3warizan.html
>何倍かを求めるわり算も、包含除の一部なのである。

http://ts.way-nifty.com/makura/2009/07/post-4df6.html
>ただ、割り算は等分除と包含除だけでないことは、
エントリーにも書いています。
つまり「倍」を求める場合や、かけ算の逆の演算で有る場合などです。
「20は5の何倍か」と言う問題では等分除も包含除も無関係です。


両者が論争するとどうなるのだろうか?

算数・数学は、正しいか間違っているのかは比較的明瞭である。ゲーテルがどうのとかいう話は置いておく。個々で問題にするのは、せいぜい高校数学までの話。

 割り算の分類が人によって違うということは、分類それ自体がいい加減であやしいことを示している。



積分定数
2011/11/07 14:28
>算数・数学は、正しいか間違っているのかは比較的明瞭である。

掛け算の順序を変えると式の意味が変わると主張する人達は、どうして自分達の間違いに気づかないのだろう?
おおくぼ
2011/11/07 22:13
都心の大型本屋で立ち読みで発見した順序派の本(他にもあります)。

『小学校算数『数学的な考え方』をどう育てるか 』(教育出版:発行)
吉川成夫&小島宏:編集

『入門算数学』(日本評論社:発行)
黒木哲徳:著
おおくぼ
2011/11/10 15:49
世界に拡がる順序派の本
Leslie P. , Pearla Nesher, 1996, Theories of mathematical learning

p228
Multiply a by n times as the iteration n times of a, whereas there is no meaning in iterating n, a times. Take the example of a=3 dollars and n=4 toy cars. The price of 4 cars is the price of one car, plus the price of one car, plus the price of one car, plus the price of one car, but will never be 4 cars, plus 4 cars, plus 4cars.
釈迦に説法
2011/11/12 13:41
>「釈迦に説法」さん

資料提供ありがとうございます。

この説明の前後に、式が書いてあるのですか。

つまり、 a×n の式の説明なのですか。
それとも n×a の式の説明なのですか。
メタメタ
2011/11/12 16:01
googleで、引用文の直前の文を見ました。

Multiply a by n と multiply n by a は、conceputally eqivalent ではない、と言っているわけですね。

Multiply a by n は an という式表現を、multiply n by a は na という式表現を指しているのでしょうか。
メタメタ
2011/11/12 18:56
古本屋で遠山啓氏の教師のための数学入門を立ち読みしました。


量の体系は試案で、実際にうまくいくか分からない。量の体系など必要性がなく有害無益だと批判されたことがある。


などと書いてます。

そういうのは入門書に書いちゃイカンと思うんですが…

結局購入しませんでした。


入門書は絶対の自信作か定説の解説にしてもらいたいです。

鰹節猫吉
2011/11/12 21:26
「量の体系」は、「理科入門」でもあったと思います。
特に物理学です。
実際に水道方式に影響を受けた物理学者は、かなりいたと思います。
良かったか悪かったかは別として・・・。
おおくぼ
2011/11/12 21:43
>古本屋で遠山啓氏の教師のための数学入門を
>立ち読みしました。
>量の体系は試案で、実際にうまくいくか分か
>らない。量の体系など必要性がなく有害無益
>だと批判されたことがある。

その本の一部は、ネット上で読めます。

http://books.google.co.jp/books?id=ZaiaqoOG4x0C&pg=PA156&lpg=PA156&dq=%22%E5%86%85%E5%8C%85%E9%87%8F%22+%22%E5%BA%A6%22+%22%E7%8E%87%22&source=bl&ots=b9ik7BwuVe&sig=F1f4U6EvofwbMNruNfviosQyL3I&hl=ja&ei=3D5_TsrRKarNmAWApMGjBQ&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=5&ved=0CDEQ6AEwBDgK#v=onepage&q=%22%E5%86%85%E5%8C%85%E9%87%8F%22%20%22%E5%BA%A6%22%20%22%E7%8E%87%22&f=false

有害無益であるとの批判に答えを書いていま
すが、答えになっているのか分かりません。
もっともそれ以前に、
 「有害無益だ」
とする発言の内容が、いま私(たち)が思って
いるような物であるのかどうか、そこから分
からないのですけれど。
ゴルゴ・サーディーン
2011/11/12 22:53
岩波現代文庫の小平邦彦さんの本を読むと、水道方式批判があったりします。
おおくぼ
2011/11/13 00:30
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1314247878

tukiyomi_mikotoさん の回答

掛け算の順序を逆にした答えは同じではない。
数理的には「掛け算の順序を逆にしても同じ答えとなる」ためには「乗法の交換法則が成り立つ」ことを証明しなければならない。
たとえば、2×3=6と3×2=6の前者の6と後者の6は同じとは限らないのである。
同じものというためには、その掛け算に「乗法の交換法則が成立している」ことを証明する必要があります。
だから、今の小学校でも「掛け算の順序を逆にして計算することは間違いである」と教えているはずですよ。

たとえば、2×3というのは、2つの組み合わせの同じもの(砂糖1個と塩1個)が3つあるということである。
3×2というのは、3つの組み合わせの同じものが2つあるということである。
前者の6は(砂糖3個と塩3個)であるが、
後者の6は(砂糖2個と塩4個)か(砂糖4個と塩2個)か、いずれにせよ(砂糖偶数個と塩偶数個)であり
前者の6のように(砂糖奇数個と塩奇数個)となることはない。
したがって、前者の6と後者の6は異質なものであり、同じものとはならない。

無意味な抽象的数字として考えすぎると高学年になってから高等数学の意味を理解するのに苦労しますよ。
M
2011/11/13 13:31
2×3と3×2が異なるというのみならず、
結果の6も同じではないと言っています。
M
2011/11/13 19:48
「tukiyomi_mikotoさん の回答」は、1+1=2という意味もわかっていないのでしょう。
砂糖1個+塩1個と考えるのではなく、砂糖も塩も同じグループと捉えることによって(例えば同じ調味料)、1+1=2となるわけです。

>だから、今の小学校でも「掛け算の順序を逆にして計算することは間違いである」と教えているはずですよ。

そんな小学校は存在しないでしょう。
おおくぼ
2011/11/13 21:31
 順序派にも色々いるようですが、算数・数学をろくに理解していなくて、「2×3と3×2は意味が違う。俺はきちんと理解している。同じだという輩がいて困ったもんだ」と主張する困った人たちというのは、1つのパターンですね。
積分定数
2011/11/13 22:58
 遠山啓や水道方式の困った面は、競争への批判といった算数・数学を超えた部分に関しての主張が、多くの人を魅了してしまうことだと思う。

 その結果、算数・数学の理解が乏しいまま、「こういう素晴らしい考えをしている遠山啓のことだから、きっと算数・数学教育への見識も素晴らしいのだろう」となってしまい、批判的に検証するなどと言うことがなくなってしまう。

 内包量がどうの外延量がどうたら、といったお粗末な文章をネットで見ると、そんな気がしてくる。
積分定数
2011/11/14 10:27
 私は、チョムスキーが米国の軍事行動を批判することについて評価する。
 しかし、言語学については不勉強だから、生成文法がどうのとか言える立場ではない。言語学に関してチョムスキーの主張が正しいのかそうではないのかは分からない。
 当たり前の話である。
積分定数
2011/11/14 10:35
順序派は、「数学のルールと違う独自のルール」を重視しています。
それは日本的な習慣を重視する道徳と言っていいのかもしれません。
ちなみに国語のルールは、暗黙の道徳だったりします。
暗黙の道徳を知らないと、試験では正解率が低くなります。
参考
『受験国語が君を救う!』 (14歳の世渡り術)』(河出書房新社)石原千秋:著
おおくぼ
2011/11/14 14:25
Mさんの紹介したヤフーの知恵袋の解答には、他にもツッコミを入れたい解答がありますね。
alpha_masamiさんの解答です。
ペアノの公理とユークリッドを勘違いしているし、スカラーもわかっていないのでしょう(私もわかっていないけど)。

以下引用

そういうように決めたからです。
決めたのはユークリッドという人で、5つのルールと5つの仮定が元になっています。
3x2=2x3はそのうち4つの公理で示されます。
乗法の交換法則なんて言われたりします。
しかし成り立つのはスカラーの場合ですね。
行列の場合a*bとb*aはイコールは成り立たない場合があります。
ユークリッド幾何学に意味をつける(例えば、「3人グループが5つ」というのと、「5人グループが3つ」)ことはできますがそれによって公理系が変わる事はないです
つまりもともとは意味が無いってことです
※marble_sagaさん、
公理自体Euclidが決めたものなんですよ!紀元前3c前後の『原論』での発表です。
おおくぼ
2011/11/14 22:30
>2×3と3×2が異なるというのみならず、
>結果の6も同じではないと言っています。

順序派の主張の一つに、結果が同じでも、途中経過が違うものは区別しないといけないというのが有ります。
その主張によると、
2×3≠3×2
であるし、
1+3≠2+2
 となります。
更に、
2×3≠6
となるはずで、正しい式は
6=6
のようなものしかあり得ないことになります。

さすがに、順序派といえどもそこまでは言いません。
そこで、苦肉の策として、「6」にもいろんな場合があるとすれば、
2×3=6
と出来る?
zorori
2011/11/15 06:28
遠山啓さんの本を読んで違和感を感じるのは、「量」という概念です。
足立恒雄さんの『数とは何か そしてまた何であったか 』(共立出版:2011年)を読めば、現代数学は「量」の呪縛から逃れることで、進化したことが説明してあります。
おおくぼ
2011/11/15 13:55
 遠山啓は現実の世界と算数・数学の架け橋として量という概念に拘ったんだと思うし、それはそれとして傾聴に値すると思います。

 例えば、複雑な式の処理を勉強することになると、それが一人歩きして、3+5/{(6−4)^3+8}を計算させたりするが、この式にいかなる意味があるのか?と疑問を呈しています。

 微分に関しても、本来は物体の運動だとかを解析するために発達したのに、y=x^xの微分はどうするのか?という方向に行ってしまうことを批判しています。

 そういう批判はそれとして理解できるのですが、「あんまりそういう方向にばかり突っ走るのはまずいよね」という程度の話が、一部の「信者」によって、教条的になってしまうような気がします。

 y=x^xの微分をどうすればいいのか?を考えるのは、それはそれで楽しいし、両辺をlogで括る、という方法以外でも求められることに最近気づいたときは少し嬉しかったです。

 遠山啓が鶴亀算を批判していたというような話もどこかで聞いた記憶があります。受験テクニックとしてやり方を覚えて解答するのはくだらないと思うけど、自分で試行錯誤して色々考えるには面白い題材だと思います。
積分定数
2011/11/15 15:53
>遠山啓は現実の世界と算数・数学の架け橋として量という概念に拘ったんだと思うし、それはそれとして傾聴に値すると思います。

戦後すぐの時は、アメリカに強制された、「現実を通して数学を理解する教育」が実施されました。
これは幼稚園のお遊戯の延長みたいなもので、学力は大幅に低下しました。
当時の遠山啓さんの文部省教育批判は、アメリカ占領政策批判でもあったわけです。
おおくぼ
2011/11/17 11:13
「もう学校では学べない教科書」(白泉社)によると、1952年の啓林館「算数6年上」の内容は、

1.学級児童会 美化部の仕事 給食部の仕事 こども銀行
2.社会をたずねて 鉄工場 大工仕事 停留場
・・・

という具合で、確かに算数・数学を体系的に学ぶには疑問がある。

>「生活単元」と呼ばれたもので、学問の体系に沿って学んでいくものではないため、子供にとっては、必ずしも算数がよくわかり、学力が付くというものではなかった。遠山啓氏らの数学者から批判され、60年代には一掃され、教科書も様変わりすることになった。

とあります。
積分定数
2011/11/17 11:47
当時の「生活単元」が批判され改善されたように、「かけ算の順序」が批判され改善されるということがあっても良いと思うのだが、改革を成し遂げた人たちが守旧派になる、というのは世の常なのか・・・
積分定数
2011/11/17 11:50
 遠山啓は、自分の本の読者を買いかぶっている面があるように思う。読者は自分の文章を批判的に検証することを前提にしている。だから、未完成な考えも載せて、その妥当性を問うような事もしているのではないだろうか。

 しかし、読む側は、「かけ算は累加ではない」、「量には内包量と外延量がある」と頭に叩き込むことが遠山啓思想を身につけることだと思っていたりして・・・
積分定数
2011/11/17 12:32
http://ts.way-nifty.com/makura/2009/07/post-4df6.html
このやりとりでいらついたのは、

算数・数学それ自体の議論
教え方の方法としての議論
子供への愛情云々の話

がごちゃまぜになってしまうことであるが、他のサイトなどを見ての何となくの印象だが、どうも水道方式に共鳴する人(の一部)に、某宗教団体の信者と似たものを感じる。

 「善意あふれるいい人」が多い。

 某宗教団体の信者は、熱心にある政党への投票を呼びかける。その政党はアフガン戦争やイラク戦争を積極的に支持した。「善意溢れる行為」がかならずしも、望ましい行為になるとは限らない。

 「かけ算の順序」や「内包量・外延量」が、「子供への愛情」やらなにやらが動機だとしても、それとは別に、妥当なものかどうかは検証されなくてはならないはずである。
積分定数
2011/11/17 12:55
遠山啓さんや、森毅さんや、銀林浩さんに共通するのは・・・
1 西洋数学史に詳しい。
2 現代数学に詳しい。



「外延量」を「数学化された部分」と考え、「内包量」を「数学化されてない部分」と考えれば、数学の歴史とは「内包量」を「外延量」に変えてきた歴史だと言える。
けれど小学生がそんなことを理解するのは無理だと思う。
おおくぼ
2011/11/17 15:58
森毅は文章が面白くて、「なるほど」と思うことが多い。

2/5+3/7=5/12
こういう分母同士・分子同士を足してしまう子がいるが、一概に間違いとは言えない。ある家族では5人のうち子供が2人、別の家族では7人のうち子供が3人。両方併せると、12人のうち5人が子供、と考えれば、・・・

こういうのを、「なるほどな、面白いな」と思えるためには、分数の計算を理解しておくことが必要である。もし、分数の計算が曖昧な子にこんな事をいったら混乱するだろう。分数の足し算を分母同士・分子同士足す子に対しては、2/5mと3/7mの紐を繋ぐと長さがどうなるか?と足し算の意味に立ち返り教える必要がある。

 遠山啓、森毅、銀林浩が危ういと思うのは、算数・数学を十分理解していない人がとんでも無い誤解をしかねないことである。

 前に話に出ていた、足し算の可換性が、合併なら自明だが増加だとそうとも言えない、とかいう森毅の言葉も、イメージや雰囲気、何となくの感覚という程度の話で、その程度の話としては、「なるほどな」とは思うが、文章題を合併と増加に分類して、「増加だから、逆順には出来ない」などとなると、到底同意できなくなる。

 算数・数学の単純で簡潔明快で美しい部分を、あれやこれやこね回して見通しを悪くしてしまっているように思える部分がある。
積分定数
2011/11/17 23:00
>ある家族では5人のうち子供が2人、別の家族では7人のうち子供が3人。両方併せると、12人のうち5人が子供、と考えれば、・・・

これは『元気が出る教育の話―学校・世の中・自分』 (中公新書 )に出てきますね。



森毅批判にはこんなのがあります。
「森毅」でググると上位に出てきます。

http://masuda.livedoor.biz/archives/51400620.html
おおくぼ
2011/11/17 23:52
 自業自得だとは思うが、1つの批判のありかたとしては理解できますね。

 さっきの分数の足し算の例で言えば、分母同士、分子同士足しちゃう子には、「それでは駄目だ」と教えないとならないわけで、「ほぉ、それは面白い。なるほど、こう解釈すればそれも正しいとも言えるね」などと言ってはならない。
積分定数
2011/11/18 09:31
ところが、藤沢利喜太郎の『数学教授法講義筆記』(明治32年)の第9回講義の204頁を見ると、分子の和を分子、分母の和を分母とすることを「分数を掛ける」と言っても、ロジックとしては善い、と言っているのです。
http://kindai.ndl.go.jp/BIDtlSearch.php
 藤沢の「数え主義」では、分数の四則も「合理的に」教えられないということが、「量の理論」の提起の理由の一つにはなっています。
メタメタ
2011/11/18 11:03
遠山啓さんの黒表紙教科書批判はいいと思うし、同じような批判を和田義信さんもしています。
「量」を集合論における「基数と序数の違い」と考えるならわかりやすいのですが、「量」を物理学一般まで拡張されている気がします。
小島寛之さんの『無限を読みとく数学入門 』(角川ソフィア文庫)では、遠山啓さんと藤沢利喜太郎との対立を、カントールとクロネッカーの対立と重ねて説明しているのは慧眼だとは思います。
小平邦彦さんの『怠け数学者の記』 (岩波現代文庫) は集合論を使った現代数学教育批判の文章が収録してあって、小島寛之さんの遠山啓評価と真逆なのが興味ふかいです。



小沢健一さんの『関数をイチから理解する』(ベレ出版)は、関数と順序の話があって、なるほどと思いました。
小沢健一さんは『遠山啓エッセンス』の編集の一人ですが、銀林浩さんとかなり違いがある気がします。
おおくぼ
2011/11/18 11:40
追記

1950年代の遠山啓さんの文部省批判はアメリカ占領政策批判と考えれば、状況的にわかりやすいのですが、水道方式ができた後の1960年代以後の文部省との対立はわかりづらいです。
体制派と反体制派の対立で、中身は文部省と変わらなかった気もします。
おおくぼ
2011/11/18 11:49
 自然数の範囲では基数と序数は結局同じというか、順序と演算を保存した全単射が存在するわけで、ようするに敢えて区別する必要はない。

 で、基数としての捉え方の方が理解しやすい、というのはそれはそうだと思うが、教条主義者はこれを「自然数は基数であって序数ではない」としてしまいかねない。そこがうんざりするところなんですよね。

 負の数を考えるときは序数的捉え方の方が理解しやすいと思う。数直線上の座標というのは序数的捉え方である。

 有理数から実数を作る方法にしても、デデキント切断による方法は負の数のかけ算の部分で技巧的・作為的な印象を受ける。カントール流の方が演算の導入は自然である。前者は基数的、後者は序数的捉え方である。

 でも結局、同じ構造になるのでどっちでもいい。

 算数初等段階では、3というのもののイメージとして、「いくつか並んだもののうち、左から3番目」よりは、「3つの物」の方が捉えやすく、四則演算についても理解しやすい、

というだけのこと。

分数に関しても、量分数で教える方が、割合分数よりも望ましいと思うが、両者を「全く異なる分数」と勘違いする人がいそうで不安である。

クラス全体の2/3 というのは クラス全体を基準量にしている。
2/3mというのは、1mを基準にしている。

あるクラスでは2/3が電車通学。隣のクラスでは1/3が電車通学。この2クラスの電車クラスの割合は、2/3+1/3=1で、100% とならないのは、基準量が異なるから。

所謂、量分数では基準量は変わらない。
2/3m+1/3m=1m
1mを基準に、2/3の長さの紐と1/3の長さの紐を繋いだら1の長さになる。

 基準量が固定されている量分数の方が教えやすいだろう。
積分定数
2011/11/18 15:09
http://plaza.rakuten.co.jp/nakamoto1236/diary/200509080000/
↑わかりやすいかな?

兎3羽の耳の数は、2個が3つだから、2+2+2、で何が悪いのだろうか?

時速60qで3時間はしる。1時間で60qだから、その3つ分。60q+60q+60qで何の問題もない。1時間あたり60qで3時間分というのと同じ事だと思うが。

 2時間半だと、累加をそのまま使うことは出来ないが、概念を拡張して発展させるなんて、数学ではしょっちゅうやっている。

 累加だと小数倍や分数倍に対応できないということなら、べき乗もかけ算の繰り返しだと分数乗や負数乗に対応できないから、3^2は3×3のことではないと教えなくてはならない。

1当たり量のいくつ分から全体量をもとめることがかけ算という立場からは、運動エネルギー=mv^2/2をどう解釈するのだろうか?

 自然数のかけ算であれば累加で何の問題もない。分数や小数になれば、少し発展させればいいだけのことである。
 
 そこで躓かないようにというだけのことで、かけ算は累加ではないとか、1あたり量だのなんだのと大げさな概念を導入する必要があるのだろうか? 
積分定数
2011/11/18 17:01
■かけ算を使うべき場面に置いて、かけ算の式を立てられる。
■かけ算の計算ができる。

これで十分なわけで、これが出来ていれば、かけ算を累加で捉えようと、1あたりがどうたらで捉えようとどうでもいい。

 TOSSの場合、あまりに方法がアホらしいのだが、水道方式の場合、深い理論があるように思えてしまうのが怖いところである。

 大化改新の年号を覚えるのに、「蒸し殺し」が正しくて「無事故」が間違い、などということはない。645年と覚えれば何でもいい。
積分定数
2011/11/18 17:35
 教え方として、累加として教えるよりも、1あたり量のいくつ分とした方が子供の理解度が高い、

というようなことであれば、それはそれとして理解できる。「蒸し殺し」の方が「無事故」より覚えやすいというようなのと同様なことである。

 かけ算の本質は、(累加ではなくて)1あたり×いくつ分、

などと言い出すとあやしくなってしまう。

 水道方式信奉者は教え方と本質を混同している人が多いように見える。
積分定数
2011/11/18 18:01
私には理解できないのが、どうして(1つ当たり)×(幾つ分)という考えが教科書に採用されると、順序が固定されるかです。
(幾つ分)×(1つ当たり)に変えても同じなわけですから。

(基準量)×(倍) 日本式
(倍)×(基準量) アメリカ式
・・・というのは前から言われているけど、「順序を変えると、式の意味が変わる」という解釈はしなかったと思う。
地域ごとの習慣を重視するということと、、「順序を変えると、式の意味が変わる」という独自ルールが合体したのは不思議です。
おおくぼ
2011/11/18 22:16
追記

「掛け算の順序を変えると、式の意味が変わる」というコンセプトは1951年の文部省から始まるとします。
でも1980年代の教科書に(1つ当たり)×(幾つ分)という表記の採用すると、どうして順序固定になってしまったか?です。
教師の側は「掛け算の順序を変えても、式の意味は変わらない」ということを知っていたはずです。
おおくぼ
2011/11/18 22:32
 速さの問題、「みはじ」の天道虫を書くことを奨励する教師がいるときいたことがあります。似たような物かな?1あたり、と、いくつ分 を徹底的に意識させるために、それをかけ算の左右に対応させる癖を付けさせるとか。で、それがいつの間にか、「正しい順序」を徹底することが目的になってしまう。

「みはじ」について、こんなのがあります。
http://www3.plala.or.jp/DocKKTT/page141.html
「みはじ批判」への批判が、なし崩し的に新自由主義批判になってしまう怪。
積分定数
2011/11/19 08:20
>私の数学・科学は上位5%の者のためにあるのでは無く、忘れられがちな一般生徒90%のためにある。

残りの5%は忘れられたのか?
受験テクニックと言えば、サイコロを振ってマークシートを書くとか、選択問題でわからない時は3番目を選べとか・・・。
文章を理解できなくても文章題を解ける、例えばアラビア数字だけ知っていれば日本語を読めなくても立式できる。
おおくぼ
2011/11/19 10:50
(1つ当たり)×(幾つ分)という考え方を徹底的に意識させるなら、順序は固定させない方がいいと思う。
意識しているかどうかの確認は、文章題を出して、(1つ当たり)×(幾つ分)と(幾つ分)×(1つ当たり)と書いて、カッコウの中に具体的に数字を入れて貰えばいいと思う。
これだと交換法則も同時に習得できる。
例 1皿に林檎が2個乗っています。林檎が同じ数だけ乗っている皿が全部で3枚あります。林檎は全部で何個ですか?
(1つ当たり 2)×(幾つ分 3)=(全体量 6)
(幾つ分 3)×(1つ当たり 2)=(全体量 6)
これなら解答の順番を逆にしてもいいですし。
(幾つ分 3)×(1つ当たり 2)=(全体量 6)
(1つ当たり 2)×(幾つ分 3)=(全体量 6)
おおくぼ
2011/11/19 11:38
似ているものを1まとめにしてやっつけるというのが数学や物理の常套手段なわけです。(特殊な問題を解決するためにそれ専用の手法を開発するとかはあるでしょうけど)

1あたりいくつ分も格子状のおはじきも累加も似たようなものだから、ひとまとめにしてかけ算というのを作った。九九(たし算を繰り返して表にしただけのもの)だけでこれらの問題をまとめて片づけることができる。

ここをおろそかにしてひとつの解釈だけ突出して扱うからおかしくなる。


1あたり量は重要な考え方なので数学者たちは学校の先生に強調して教えたのでしょう。しかし学校の先生は、似たようなものをいっぺんにやっつけるためにかけ算があるという考え方は理解せず、偉い数学者が1あたり量は大事と言っているから1あたり量一辺倒になってしまった…

そういうことでしょうね。

鰹節猫吉
2011/11/19 12:12
最初から、1あたりは? いくつ分は? という設問にすればいいという指摘もありますね。それでもカード式の解釈があるから逆は間違いとは言えないのですが。
積分定数
2011/11/19 12:19
>1あたり量は重要な考え方なので数学者たちは学校の先生に強調して教えたのでしょう。

とはいえ、そういう数学者は極少数でしょうね。「違うように見えるけど実は同じ」というのが数学の面白いところで、一度統合された概念によって極めて見通しが良くなった状態をわざわざ元に戻すなんてことは普通はしないわけで。

 一方、数学教育に積極的に関わる数学者も極少数だと思う。

 数学教育に関わった極少数の数学者が、不幸にも「違うと見える物も実は本質は同じ」よりも、「違うように見えるのは違う。この違いが大切」という視点を重視する数学者の中では極少数派だった。

 数教協とは別に、もちろん今の数学教育の主流派(⊂順序派)とも別に、

 多数派の数学者の視点を取り入れた数学教育の潮流が必要だと思います。
積分定数
2011/11/19 12:29
http://www3.plala.or.jp/DocKKTT/page019.html
こういうのは、90%には理解しやすいのかな?
私がこんな事強要されたら数学が嫌いになりそうだが。
積分定数
2011/11/19 12:59
とはいえ、「5%には不要」と自覚しているだけ、順序派よりはましとも言える。

順序派は、順序を方便としてではなく、本当に信じてしまい、「これを教えないとならな」と使命感まで持っている。

地獄への道は善意で敷き詰められている
積分定数
2011/11/19 13:21
http://www.katochan.jp/_userdata/95-hirei.

 たかが等速運動の時間と距離の関係を理解させるのにこんな大げさなことをする必要があるのだろうか?生徒の「楽しい」「面白い」という反応は、数学それ自体の楽しさや面白さによるのだろうか?

 2本足の蛸もそうだけど、教材の珍しさとかそういう部分の楽しさであるような気もする。

 最初の部分の、移動距離が長方形の面積になるから等速でない場合でも面積が距離に対応するというのも飛躍があるように思う。

「時間とともに速さが変化するときもあるね。」とさらっと言ってしまっているのが、その場合の「速さ」とは何なのか?

 等速運動を前提として、1時間に進距離を速さの指標としたのだから、等速運動ではない場合の速さに関しては、改めて定義しなくてはならないはず。アプリオリにあたえていいのだろうか?
積分定数
2011/11/19 14:17


 私の場合、むしろ逆にy=at^2に従って動く点の有る瞬間における速度はどう定義するか?というように問う。
積分より微分の方が理解しやすいと思うし、等速運動でない場合の速度が定義されていないのだから、その定義を先にすべきだと思うから。

 数列の和も、等差数列の和程度はやるが、余り深入りしないで、Snの式を与えて、そうなる数列anを求めてもらう。総和の求め方は数列ごとに独自な求め方があり技巧を要する。一般的な方法はないし、必ずしも求められるとは限らない。逆に総和を与えた場合はan=Sn−Sn-1という具合に一般的に求められる。

 こうして色んなSnからanを求める中で、Snとanの対応の予想がつき、1^2+2^2+・・・+n^2 が3次式になることの予想がつき、・・・

 という具合にして、Σk^2や等比数列の和も自分で見つけることが出来る生徒がいる。出した結論が正しいかどうかを自分で確認することもできる。

 こういう教え方というか、教えないで教えるようにしているので、教材を準備して念入りに計画を立てるというような授業のあり方に疑問を感じてしまう。

 私自身が怠け者で、そういうのが出来ないと言うのもあるが。
積分定数
2011/11/19 14:17
リンクがうまくいかなかった。↓です。
http://www.katochan.jp/_userdata/95-hirei.pdf#search='http://www.katochan.jp/_userdata/95hirei.'
積分定数
2011/11/19 14:22
http://kyoikuchou.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/index.html
数教協をやめた人のブログ発見

北教組の教育研究集会で、全国教研に数教協会員派遣するための話し合いがあったということ。

 数教協会員であろうがなかろうが、立派な実践報告で有れば全国教研で派遣すればいいだけのこと。

 「我々の協議会から全国大会へ送り込みたい」となってしまうのは、手段であるはずの組織が目的になってしまっているから。

 組織とは一般的にそういう傾向がある。機関誌ができ事務所ができ、専従職員もいて、となると組織の維持・拡大が目的になるのは必然である。

 そう考えると、各自が個人としてブログなどで、「こういう方法で教えたらうまくいった/うまくいかなかった」とかいうことを発信して、各自がそれを参考にする、という形が望ましいのかも知れない。
積分定数
2011/11/19 14:47
>機関誌ができ事務所ができ、専従職員もいて、となると

数教協がそうなっているという意味ではない。一般的な話。
積分定数
2011/11/19 14:48
>数学教育に積極的に関わる数学者も極少数だと思う。

教師用指導書には、関わった数学者の名前が書いてあったりするのですが・・・。
おおくぼ
2011/11/19 18:06
 きちんと関わっているのかな?
積分定数
2011/11/19 20:39
高校の物理の実験でおもりに紙テープ付けて
カーボンで等時間間隔で打点を打って
等加速度運動を測定するのはやりました。

等速運動も…やったっけな?同じ道具建てで
できますね。ただ、速度が変化しないと
データ的につまらないです。
M
2011/11/19 20:44
どうにも理解出来ないのは、「交換法則はなりたたない」
と平気で言うひとです。いろいろな言い訳があるみたいですが
数学者がそう言うのは特に信じられない。自分の学問に対する
信念はないのでしょうか。

交換法則は成り立つと言っている中にも怪しいのが
あって、
3x4=12と4x3=12の答が一致するのが交換法則である、
しかし3x4と4x3を入れ替えるのは禁止、
という主張もあるみたいです。
M
2011/11/19 21:03
>きちんと関わっているのかな?

算数だけでなく、どの教科でも大学の先生方が協力者として名前が並んでいたりします。
算数の場合は数学科ではなく、教育学の「算数・数学研究」の先生が多いみたいですけど。
おおくぼ
2011/11/20 00:03
 物理の実験はいいのだけど、算数・数学で必要かな?私自身は、紙と鉛筆だけで考えるのが算数・数学だという美学がある。水道方式の教具の強調への違和感もそれが原因かも知れない。

>算数の場合は数学科ではなく、教育学の「算数・数学研究」の先生が多いみたいですけど。

算数・数学“教育”の専門家では当てにならないですね。まあ、「足し算に順序がある」などとアホなこといっている物理学者もいるぐらいだから、一概には言えないかも知れないですが。
http://twin.blog.ocn.ne.jp/physicomath/2011/07/post_0a55.html

積分定数
2011/11/20 00:14
最近、こんな本が出てるのを見つけました。

『数学者の哲学+哲学者の数学―歴史を通じ現代を生きる思索 』(東京図書:発行)
砂田利一&長岡亮介&野家啓一:著

鼎談集です。天気予報についても語っています。
おおくぼ
2011/11/20 01:09
>数学者がそう言うのは特に信じられない。自分の学問に対する信念はないのでしょうか。

数学者が「積の交換法則が成立しない」という時は、多次元の行列とか無限集合とかの非換の数学の話をしているのでしょう。
そんなのは義務教育の数学の範囲ではありません。
でも銀林浩さんの「量の世界」では交換法則が成り立たないという話は理解不能だ。
おおくぼ
2011/11/20 12:19
蒟蒻問答みたいなものかな。

長方形の面積は縦×横であって、横×縦ではない、だとか、指導書通りの答えしか認めないとか、

算数で行われている「かけ算の順序」というのは、そういう非常にレベルの低い話である。

それを、「積は一般には可換ではない」とか、「直交変換に関して面積が不変であることは自明ではない」とか、勝手に「高度なレベル」の話にしてしまい、結果として「かけ算の順序」を擁護してしまう。

 遠山啓が体積の加法性だか外延性だかを説明している文章で、「水1Lとアルコール1Lを併せても2Lにはならない」という類の「反論」を、算数教育をどうするかの議論をぶち壊したいだけの揚げ足取りだというようなことを言っているが、

 非可換群やら行列やらの話を持ち出して「かけ算の順序」を擁護するのは、

算数・数学教育を少しでも良くしたい、教師の想定した解答と寸分違わぬ答案だけを正解にして児童をロボットにするような授業を一掃したい、

という願いをぶち壊すための揚げ足取りでしかない。
積分定数
2011/11/20 19:10
田中博史さんの本を読んでて感じるのは・・・
2×3を「2+2+2」と「3+3」の二通りに解釈できるのを拒否しようとする強い意思です。
そのために掛け算の順序固定という独自ルールを強制するということになると思うのです。
おおくぼ
2011/11/20 21:21
例の足し算には順序があるというアホな意見を「Nakanishi先生はいつも明解ですね。」などと絶賛した物理学者のブログから
http://twin.blog.ocn.ne.jp/physicomath/2009/04/post_51c5.html
>要するにある量が内包量だと思っていたのが、外延量だとも思える場合があるというような指摘である。これだと理論としての足場が揺らいでしまうということになろう。それで遠山さんとか銀林さんはそういうことを知っていながら、小学校や中学校での量に対する見方が揺らぐことを恐れてその点にはあまり触れなかったのであろう。
しかし、H.Y.先生が決然として言われていたように小学校や中学校でのいわゆる「量の体系」の有効性は揺らがない。その点が大切な点であろう。

どこがどう有効なのか?
どう揺らがないのか?

誰か説明して欲しい。
積分定数
2011/11/20 22:43
http://homepage3.nifty.com/ooiooi/rekisikakezan.htm
個人的思い出にも触れて、1960年代末〜70年代初頭において数実研内部で交されていた遠山提案に対する批判のいくつかを紹介しよう。
○ 遠山は被乗数には内包量があてはまり、その内包量は加法性をもたないとした5)。 では、分配法則(a+b)c=ab+acはどのように解釈すればよいのか。
○ 乗数と被乗数とは意味する量が異なるという。では、交換法則ab=baはどう解釈すればよいのか
○ 遠山は乗数を外延量で通すと、乗数が整数の場合も小数、分数の場合も同じ意味で説明でき、乗数が整数から有理数に拡張されても乗法の意味の転換を図らなくともよく、これが子どもの負担を減らすことになる、とした。そして、乗法のシェマ図として面積図を用いた。しかし、一本5cmのひも3本分の長さを求めたり、1本3kgの棒3本分の重さを求める、といった場面にまで面積図を用いるのは自然ではない。
ところで、有理数倍を学ぶのは高学年である。その子ども達は、数の仕組みをもとに論理で有理数倍の計算法を見出す学習を忌避しない。この部分が中学年の子ども達とは異なる。遠山の提案にはこうした子どもの論理力の発達に依拠した指導法を考える、という視点が欠けている。
積分定数
2011/11/20 23:14
○ 一皿にもった煎餅の数とか袋に同じ数ずつ入れた、といった場面は人為的でかけ算の導入時で用いるのは望ましくないとし、ウサギの耳の数や三輪車の輪の数のように、「自然に」、あるいは「必然的に」備わって量を用いて単位あたり量の導入を図るべきであるとした。
これについては四条育男氏、日高秀則氏、中島康雄氏といった八南サークルの面々が次のような観点から批判を繰り返した。
☆ 子どもはウサギを見てもウサギ全体に目を向けるもののウサギを構成する部分としての耳や目といった特定の器官に目が向くことはない。
☆ ウサギの面をいくつか作るのでそのためにいくつ耳を用意すればよいか、という場 面ならウサギの耳についての総数を求める意味はあるが、通常の場面ではウサギの耳 の総数を求めることに意味はない。全数を求める意味を持たない場面で子どもはかけ 算の何がわかるのか

>遠山の提案にはこうした子どもの論理力の発達に依拠した指導法を考える、という視点が欠けている。

 ここは私も同感である。子供が躓かないように念入りに道が整備されている感がある。
 かけ算を累加で導入すれば、0や分数のかけ算で困難に直面する。それをどう突破するか、頭をひねるのが算数・数学の面白さである。

 私自身、べき乗をかけ算の繰り返しと教わったからこそ、負数乗や分数乗の意味に自分で気がつき嬉しかった。

 a^bは、1時間で質量がa倍に増殖するバクテリアはb時間後に何倍になるかということ

 と定義されたら、負数乗や分数乗などすぐに分かってしまい面白くない。

 教える側がわかりやすく説明するというのは、生徒が時分で見つけ出す喜びを奪いかねない。

 内包量・外延量はわかりやすい説明ではないが、そもそも虚構だからこれもまずい。
積分定数
2011/11/20 23:14
>しかし、H.Y.先生が決然として言われていたように小学校や中学校でのいわゆる「量の体系」の有効性は揺らがない。その点が大切な点であろう。

H.Y.先生は「矢野寛」という方みたいですね。

http://twin.blog.ocn.ne.jp/physicomath/2008/05/post_574a.html
おおくぼ
2011/11/20 23:28
気づきませんでした。その前にも関連ブログがあるのですね。
http://twin.blog.ocn.ne.jp/physicomath/2008/05/post_ca76.html

>現代数学の研究者の一部の人はこの量の理論はあまり理解しない(あるいは評価しない)ようです。

「一部」ってどのくらいだろうか?本当に、一部だけだとしたら、私は日本の数学者に失望する。

理解しない・評価しない数学者が多数じゃないのかな?
私も理解しないし評価しない。私は数学者ではないが、今でも趣味で数学をやっているので、アマチュア数学者擬きといえなくもない。

積分定数
2011/11/20 23:47
>○ 一皿にもった煎餅の数とか袋に同じ数ずつ入れた、といった場面は人為的でかけ算の導入時で用いるのは望ましくないとし、ウサギの耳の数や三輪車の輪の数のように、「自然に」、あるいは「必然的に」備わって量を用いて単位あたり量の導入を図るべきであるとした。

これを見て、遠山啓の考えの一端が分かったような気がする。要するに彼は、生活単元を批判したけど、算数のための算数・数学のための数学にも懐疑的で、あくまで外部世界との関連づけを意識したのではないだろうか?

テストの平均点などというのは何なのか?クラス全員の点数を足して人数で割ることで出てくる価に何の意味があるのか?
ということで、水槽を仕切って水面の高さで平均の概念を導入するとか。

 この考えには、私も同意する。

 ところが、やがて算数・数学それ自体が自律的に動きだすと、算数・数学の内部だけで面白さや美しさが見いだせるようになり、私などはそれに魅了されたのだが、

 遠山啓は、算数・数学がそれ自体で自律的になることを良しとしなかったのではないだろうか?そのために、抽象化された数そのものではなく、外部世界との架け橋である量に拘った。

かけ算も 抽象化された意味をそぎ落とした形式的、
N×N→Nという2項演算としてではなく、外部世界での意味づけに拘った。それがやがて、3×4と4×3は意味が違う、というようになってしまったのではないだろうか?

積分定数
2011/11/21 00:08
瀬山士郎さんの履歴をウイキペディアで見ると・・・

1968年3月、東京教育大学理学部数学科卒
1970年3月、東京教育大学大学院理学研究科数学専修修了
1970年4月、群馬大学教育学部講師
1987年4月、群馬大学教育学部助教授
1996年4月、群馬大学教育学部教授
2011年3月、群馬大学を定年退職

『感動する!数学』 (PHP文庫)の著者・桜井進さんの履歴は

東京工業大学理学部数学科卒業。
東京工業大学社会理工学研究科価値システム専攻博士課程中途退学。
湘南工科大学数学講座非常勤講師(2000−2005年)。
おおくぼ
2011/11/21 00:09
追記

理学部数学科を出ていますが、数学科の先生ではありません。
おおくぼ
2011/11/21 00:13
数学教育学会
http://wwwsoc.nii.ac.jp/mes/index.shtml

全国数学教育学会
http://home.hiroshima-u.ac.jp/matedu/jasme/index.html

日本数学教育学会
http://www.sme.or.jp/

これらはそれぞれ別なんですね。どういう経緯があったのやら?どれも順序派なのか?日本数学教育学会が順序派に近いことは確認済み。

日本数学教育史学会
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~eijisato/

というのもある。
積分定数
2011/11/21 09:13
数学教育学会の横地清氏は、数教協の脱退者(62年?)、遠山によれば、「組織の破壊者」です。
メタメタ
2011/11/21 10:51
それは遠山啓の著書か何かに書いてあったのでしょうか?

検索したら
http://www.soc.hit-u.ac.jp/research/archives/doctor/?choice=exam&thesisID=220
>第1節 数教協が内部に抱え込んだ矛盾と横地清退会問題

というのが出てきた。
積分定数
2011/11/21 16:25
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/29309/1/50_P1-55.pdf#search='横地清 数教協'
>1962年に横地清らが数教協を退会した後,このような対応を軸とした関数指導への批判が起
こる。

ブントや革共同の分裂、今なら巨人のお家騒動みたいなもんかな?

しかし、色々難しいことを議論していたようだ。それはそれでいいんだけど、遠山啓信奉者や数教協会員(の一部?)が実際にやっていることは、

「かけ算は累加ではありません」だの、「かけ算の順序は大事です」だの、「速さは内包量なので足し算が出来ません」だのと愚にもつかないどころか、子供を混乱に陥れかねない主張をしている。

 遠山啓の思想は、私には計り知れないぐらい深く立派なモノかも知れない。全然大したことがなくて、張り子の虎かも知れない。私には分からない。

 しかし、遠山啓信奉者や数教協会員(の一部?)の考えが非常に浅はかであることは断言できる。

どうでもいいが、
>f (梓みちょ)=こんにちわあかちゃん
というのがあった。

f(中島みゆき)=世情  かな?
積分定数
2011/11/21 17:14
遠山啓著作集・数学教育論シリーズ13に「組織破壊を企む挑発者」というタイトルの文章が収められています。この文章では「横地清」という実名は出てきませんが、別の文章で実名を挙げているのを読んだ記憶があるのですが、いま、見つけられません。
メタメタ
2011/11/21 17:24
「北数教」という所は、あまり順序主義的で
ないようです。
http://hokkaido-sannsuu.com/s_sidouan.html
「一つ分×いくつ分」という言葉は出てきま
すが、順序を叩き込むことにはあまり力を注
いでいない印象です。
また、掛け算=累加 という見方を否定はし
ていません。

決定的なのは、次の指導案です。
http://hokkaido-sannsuu.com/pdf_sidouan/02/2nenkakezan3.pdf
(1/6ページ)
>式から形式的に交換法則をとらえるのでは
>なく、「前から見ると…」「横から見ると
>…」などと1当たり量を柔軟にとらえる見
>方こそが大切である。

(4/6ページ)
 ジェットコースターに乗った人の数を考え
る図で、車体の枠をまたいで「左の列」「右
の列」をそれぞれ1グループと見なすことも
OKだとしています。

この学校なら、トランプ配りも許されそうで
す。
ゴルゴ・サーディーン
2011/11/21 23:13
>「組織破壊を企む挑発者」

どこぞの左翼党派の機関誌の見出しみたい。何があったのだろうか?機会があれば文章を読んでみたい。

>「北数教」という所は、あまり順序主義的で
ないようです。

リンクを見ると日数教系のようですね。
http://hokkaido-sannsuu.com/s_link.html

しかし、余り順序派ではないどころか、明確に順序否定ですね。

>自分が計算しやすいように1あたり量を任意に決めてかけ算を使う経験の積み重ねが、乗法による処理の有効性に気づかせ、生活に生かそうとする態度を養うことになる。

異議なし!
積分定数
2011/11/22 00:28
>これを見て、遠山啓の考えの一端が分かったような気がする。
の続き。

遠山啓は、数学のための数学を回避したかったのではないだろうか?かけ算を累加として捉えると、算数・数学の中だけで完結してしまう。

3+5+2+8 例えばこういう計算があるが、
3+3+3+3という具合に、足す数がたまたま一致している場合もありうる、こういう場合には3×4と表記しよう

これだと、同じ数を足す必然性がない。たまたま同じ数を足すときにそうしようという約束事でしかなくなる。

 算数・数学の外側の世界にかけ算の構造が沢山あるのだから、それを題材にすることで、単なる累加の略記としてではなく、かけ算というもの自体が意味と必然性を持つものなんだということが理解できる。

 そういう思いがあったのではないだろうか?
積分定数
2011/11/22 01:02
自分自身がかけ算を習い始めの頃の感覚は思い出せないので、高校数学で考えてみる。

1+2+3+4+・・・+n という和に特別な略記はついていない。
1×2×3×・・・×n には、nの階乗=n!という略記号があるのに。

前者は略記がなくとも、n(n+1)/2と出来るから略記の必要がないとも言える。

後者は1×2×3×・・・×nをさらに短い式で表すことは出来ないから略記が必要。

でも、総和Σに対して、総積Πを導入すれば表すことが出来る。また、2×4×6×・・・・×2nというような偶数だけを掛けるというのもきれいな数字の並びになっているが、とくに略記はない。

じゃあ、1×2×3×・・・×nだけ何が特別なのか?

あれ?階乗はn×(n−1)×・・・×3×2×1だったような?かけ算の順序が違う!!

つまりもともとはn種類の文字をならべる並べ方から始まっている。ABCDを並べる場合に、まず4つから1つを選んで置く。次に残りの3つから、・・・で、4×3×2×1となる。この方値の式が頻繁に出てくるので特別に記号を導入しよう。

そうすると、階乗というのが単に1〜nまでを掛けるということではなくて、n種類の物を並べる並べ方という具合に、生き生きとした意味を持ってくる。 
積分定数
2011/11/22 01:17
CやPも同様。恣意的ではなく、順列組み合わせを考える際に必然的に出てくる式に略記を与えた物である。


しかし、「5C2と5C3は計算結果は同じだけど意味は全く違います。前者は5つの中から2つを選ぶ方法。後者は5つの中から3つを選ぶ方法。5種類のクッキーが1枚ずつあって、2つ取るのと3つ取るのでは違うでしょ?後者の方が嬉しいでしょ?ほら、意味が全く違うでしょ」などと力説する高校数学教師がいたとしたら、失笑を買うだろう。

5個から3個取り出すと言うことは、取り出す3個を選ぶとも言えるし、取り出さない2個を選ぶとも言える。

つまり、5個から3個選ぶということと、5個から2個選ぶということは、結局同じ事である。

また、nPmは、mが負の整数にも拡張できる。
7P4=7・6・5・4
7P3=7・6・5
7P2=7・6
7P1=7
この流れを見ると、
7P4÷4=7P3 
7P3÷5=7P2 
7P2÷6=7P1
だから、
7P0=7P1÷7=1
7P-1=7P0÷8=1/8
7P-2=7P1÷9=1/63

こんな具合になる。もはやこの段階ではPに順列の意味はない。単にPが持つべき性質から拡張を行っているだけである。ではこれは意味を持たないのかというとそうではない。

x^7 の1階微分の係数は7 2階微分の係数は7・6 m階微分の係数は7Pm

積分は微分の逆と捉えれば、1回積分することは−1回微分することとなり、m階微分の係数は7Pmというのは、mが負の整数でも成立することになる。

最初の順列から離陸して単なる形式とみなすことで、より広い世界へと拡がる。

かけ算を(1あたり量)×(いくつ分)と“だけ”捉えることは、かけ算の豊かな発展を阻害しかねない。
積分定数
2011/11/22 01:42
>7P-2=7P1÷9=1/63

1/72の間違いです。

>2×4×6×・・・・×2nというような偶数だけを掛けるというのもきれいな数字の並びになっているが、とくに略記はない。

なんかあったような気もする。!!だったかな?いずれにしても余り頻繁に目にする物ではない。



積分定数
2011/11/22 01:59
>7P-2=7P1÷9=1/63

7P-2=7P-1÷9=1/72

他にもいろいろ訂正個所があるが、まあいいや。推敲した分法は私のミクシィの日記にあります。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1797706408&owner_id=6456074



積分定数
2011/11/22 02:14
「組織破壊を企む挑発者」は短い文章ですね。
山本周五郎の小説『樅の木は残った』の解説から始まります。
江戸幕府が伊達藩に内紛を起こさせて取り潰しを企み、伊達藩がその企みにどのように対抗するかということが解説してあります。
次に組織を破壊することを目的で来た挑発者(プロボカテール)の見分け方が解説しています。
終わりのほうの文章を引用すると・・・

しかし、べつにそれを恐れる必要は少しもない。
会員の一人一人が二つの眼をあけていれば、プロボカテールは活動することはできない。
だから、多数の人間が自由に意見をのべられる広場をつくり、公開の討論をする機会をつくっていけば、プロボカテールがかりにはいってきても、何もすることはできない。
おおくぼ
2011/11/22 11:48
遠山啓さんが闘っていたのは検定教科書制度なので、この問題は今でも重要だと思います。
現場の先生が教科書を自由に選べないということです。
アメリカとか、検定教科書のない国もあるし。
アメリカの教育レベルの低さや原理主義的な宗教が強いことは検定教科書制度がないことと関係が深い気もしますけど。
おおくぼ
2011/11/22 13:05
>多数の人間が自由に意見をのべられる広場をつくり、公開の討論をする機会をつくっていけば

数教協はそういう自由に意見を述べられる広場になっているのだろうか?
積分定数
2011/11/22 19:50
数教協の存在理由がわからない。
数学を啓蒙する全国規模の組織の一つにすぎないと思う。
だから現在の数教協を特別視する必要もないと思う。
検定教科書制度を無くして、学校ごとに自由に教科書を選べれば、数教協の存在価値が出てくる気もするけど。
おおくぼ
2011/11/23 23:35
 何らかの目的のために作られた組織があって、その目的が達成された結果、組織の存在意義がなくなり、組織が衰退するのは、目的が達成されたわけであり組織にとっても喜ばしいことであるはず。
 が、現実には、前にも書いたように、目的であるはずの手段が目的となり、組織の維持・拡大が目的となりが値なのが世の常。
 まあそれも致し方ないことであって、私自身、学校での数学教育が良くなって欲しいと願っているが、本当にそうなって塾が不要になると、私の生活の糧がなくなるのでそれは困る。みんなが健康になると医者が困るようなもの。

 で、数教協だが、生活単元への批判とかがあって、一定成果があったということだと思う。教科書にも遠山啓らの考えが反映していると言うし、その結果存在意義がなくなったのなら、喜ばしいことのはず。

 数教協が何人ぐらいいてどの程度活動しているのは知らないし、直接の知り合いもいないので分からない。

 私から見たら数学教育の現状には甚だ疑問な点が多い。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/ozawami/kaisoku/sihyou.htm
数学教育協議会会則
2.目  的 この会は、現場の教育活動を基本とし、理論と実践の両面から正しい数学教育を建設していくことを目的とする。

ということであれば、数教協も数学教育の現状に何らかの提言や行動をしてもよさそうである。

 しかし、これほど議論になった「かけ算の順序」に関しても、組織や会員が何らかの行動を起こしたという話は殆ど聞かない。私が知らないだけかも知れない。
積分定数
2011/11/24 08:56
 そもそも長方形の面積を横×縦でバツにするような授業が行われていることに関心がないようである。
 http://9114.teacup.com/seisann/bbs
「遠山啓、森毅を登場させて揶揄する」という部分には関心があるようだ。

>長方形の面積で横×縦にしてバツになった例などもあり、かけ算の理解とは関係なく、とにかく「正しい順序」なるものを教え込むような授業が行われているようです。これについて、皆さんはどうお考えでしょうか?

に対する回答が

>数式の意味の問題とばつの話の混同がおこなわれているとおもいます。

である。そもそも質問の回答にはなっていない。このような非論理的「回答」をする人が数学を教えていて大丈夫なのだろうか?

 それでも数教協を特別視したくなるのは、過去の歴史と、議論すれば分かり合える」という期待があるからである。TOSSなんか、最初から議論しようなどと言う気が起きない。

 しかしこの期待は、甘いのかな?
積分定数
2011/11/24 08:57
数教協の雑誌に『数学教室』というのがあるけど、文科省の教育方針を変えようという雰囲気はない気がする。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/ozawami/sugakukyositu/suugakukyousitu.htm

本屋に行くと、小学校の教育に関する雑誌が割とあるのに気づきました。
それらの雑誌で「掛け算の順序問題」は、話題になったことはあるのだろうか?
おおくぼ
2011/11/24 12:33
 基本的には会員が実践して、こうしたらうまくいったとか、こうしたらうまくいかなかったとか、ここをこうしたらもっといいのではないか、とかそういうことをしながらよりよい授業を模索していると言うことなんだろうか?

 それはそれでいいのだけれど、数教協の外では、一方で本当にロクでもない授業が行われていたりする。そういうのに対してどう考えているのだろうか?

 他の潮流についてはとやかく言わないで、とにかく自分たちで素晴らしい授業法を確立して結果を出せば、自ずとろくでもない授業は駆逐されるということだろうか?
積分定数
2011/11/24 16:01
 万人にとっての理想の授業法というのはないのではないかと思っている。一方で、万人にとって最悪の授業というのはあり得る。長方形を横×縦だとバツにする授業とか。

 前者を追求する姿勢は大切であるが、後者について沈黙しているとしたら、数学教育を良くしたいという気持ちが本当にあるのか疑問である。

http://9114.teacup.com/seisann/bbs?page=2&
>Twitter などでよく見るのが、
かけ算の順序を逆に書いて×にされたのは不当だ」というはなしで、
かけ算の意味とは別のことになっています。

この間、ネット上でかけ算の順序に関して様々な議論がなされてきた。玉石混淆ではあるが、石ばかりとは思わない。それに対して、この一言だけかよ!?と突っ込みたくなる。

http://www.jtw.zaq.ne.jp/wasukyo/wasukyotushin201106.pdf
これを見ると色々研究しているんだなと思う反面、自分たちの授業をほんの少しでも良くしようと多大な努力をしている間に、本当に禄でもない授業が蔓延しているのだから、それを何とかする方に少しばかり労力を回したらどうだろうかと思ってしまう。

 もしかしたら既にやっているのかも知れないが、余り聞かない。
積分定数
2011/11/24 16:16
> http://www.jtw.zaq.ne.jp/wasukyo/wasukyotushin201106.pdf

の参考文献『入門算数学』(日本評論社:発行)黒木哲徳:著は順序派なんですけど。
おおくぼ
2011/11/24 18:40
> 遠山啓が鶴亀算を批判していたというような話もどこかで聞いた記憶があります。

『数学の学び方・教え方』(岩波新書)179頁〜ですね。
おおくぼ
2011/11/25 14:49
 有り難うございます。今見たら確かにありました。
ステレオタイプの批判だと思いました。私は高校時代に鶴亀算を初めて知りました。化学の授業中に教師が余談で出したのですが、方程式がちらついてしまい、「小学生の方法」が分かりませんでした。

 自分自身が小学生のころは、分かりきった計算問題を延々延々延々やらされた記憶ばかりです。

 あんなくだらない計算問題を沢山やらせるよりも、鶴亀算の問題を出して欲しかった。そしたら夢中でじっくり考えたと思う。
積分定数
2011/11/25 18:22
 優秀な小学生(優等生的という意味ではなくて、自分で試行錯誤して考えるという意味で優秀)に鶴亀算を出したことがある。

 紙に図を描き、法則性を見つけて正しい答えに行き着いた。どんな数にしても答えに行き着く。「鶴と亀が併せてa匹いて、・・・」という具合に文字に変えても解けた。

最終的には、

 蛸と海星(腕が5本として)とか、足がa本とb本の架空の生物2種類でも解けた。

 方程式も解法も教えていない。試行錯誤して答えに行き着いた。

>できる子は型を覚えて、・・・、そういう定石を覚えて解くわけです

と言う指摘は、多くの場合当たっているとしても、そうでない場合もある。

 状況によっては鶴亀算が面白い材料になる場合もある。鶴亀算そのものが良くないのではなくて要は使い方である。

 こういうのも、「乗法は累加ではない」というのと同じで教条的に「鶴亀算は良くない」とかっちりと頭に入れてしまう人がいるんだろうな。

「型を覚えて、・・・、そういう定石を覚えて」、算数・数学を教えてしまうわけです。

積分定数
2011/11/25 18:30
私は受験数学が大嫌いなのですが、その理由は定石を知らないと解けないからです。
「考えさせる授業」が難しいのは、時間内に生徒を正解に誘導しなければいけないからだと思います。
でも正解に誘導する義務が弱ければ、簡単になると思うのです。
目的が正解に辿り着くことではなく、考えることにすればいいのです。

私は算数よりも理科が小学生に必要だと思っています。
理科をするのに数学が必要だということを小学生がわかればいいと思うのです。
理科は数学を知らなくても学ぶことはできますが、数学を知らないと高度な実験ができません。

でも理科とは別に遊戯(ゲーム)を数学として小学生に教えることは推奨されるべきだと思っています。
トランプでも野球でもゲームを楽しみながら、「ゲームを数学として考える」ことがいいと思います。
おおくぼ
2011/11/25 22:36
 どちらも必要だと思いますが、理科の場合扱う対象が複雑なのと誤差があるので、その点では、紙と鉛筆と思考だけで完結する数学は優れていると思います。どちらも必要という前提ので話ですが。

>目的が正解に辿り着くことではなく、考えることにすればいいのです。

それは同感です。あるいは、授業の終わりに、「分数の割り算ってどうすればいいのか、興味のある人は考えて」だけでもいい。

 問題解決型授業の欠点は、できない子にとっては無意味な時間を過ごすことになるだとか、授業時間が足り内だとかが指摘されている。

 授業の終わりに、問題を出すだけ。興味のある子は考えてくる。次の授業で解説する。

 「それだと興味のある子だけが考えるが興味のない子は考えなくなり格差が広がる」

と言うかも知れないが、だからといって、「興味のある子も、興味のないこと同様に、考えさせないようにする」などということが正当化されていいはずがない。

 スポーツや音楽や魚釣り、授業時間以外の時間帯で、興味のあること夢中になることは許容されるのに、数学だけが許されないというのはおかしい。

 公式や解法を覚えて解くというような、優等生的な意味での「出きる子」ではなくて、数学の面白さにのめり込むような本当の意味での「出来る子」にもっと配慮して欲しい。

 そういう子にはあれこれ教え方を工夫する必要はない。というか、教えてはいけない。ほんの少し、考える材料を仄めかすだけでいい。



 
積分定数
2011/11/25 23:02
私は数学が紙と鉛筆と思考だけで完結するとは思わないのですが、想像力は重要だと思います。
SF的思考というのは小学生にも必要だと思っています。
理科も現実を観察したり、実験をするだけではなく、SF的思考を重視する授業が必要だと思います。
例えば相対性理論などは、SF的思考を重視していると思うのです。
SF的思考は想像力+論理的な思考があれば可能です。
私は理科の側から数学に誘導する授業があればいいと思うのです。
初めから完成された数学を与えるのではなく、発見型の授業として理科を通して数学に到る授業が必要だと思っています。



数学の教育方法はいろんな方法を取り入れていいと思うのですが、現在の数学教育は「数学嫌い」を大量生産していると思うのです。
『分数のできない大学生』が以前話題になりましたが、受験が終わると暗記したことの多くは忘れてしまいます。
ロボットのようにパターン化で問題を解く方法は、受験で高得点を取るには即効性がありますが、受験が終われば用済みになってしまいます。



>授業の終わりに、問題を出すだけ。興味のある子は考えてくる。次の授業で解説する。

この方法はいいと思います。
考える時間は長い方がいいのです。
全ての生徒が同じ条件でなくてもいいと思います。
大勢の生徒を同じ条件で教えるのは、教える側の効率重視が理由です。
でも全ての生徒が同じ速度で理解するわけではありません。
小学校では難しいかもしれませんが、私は大学の少人数ゼミのような授業が望ましいと思っています。
生徒の個別の理解の違いを許容でき、なおかつ生徒同士で、刺激しあえる授業だからです。
おおくぼ
2011/11/26 00:46
追記

>理科の場合扱う対象が複雑なのと誤差があるので

もちろん誘導が必要になります。
でも「現実は複雑で誤差があること」を生徒に意識させることも大事だと思います。

また私は既存の教育を否定するのではなく(掛け算の順序教育については止めるべきだとは思っています)、授業の選択肢を増やすことを提案したいのです。
今は少子化なので、少人数教育にはいいタイミングだと思うのです。
おおくぼ
2011/11/26 02:01
板倉聖宣さんが代表をつとめる雑誌『たのしい授業』の今月号に遠山啓さんのことが少し書いてありました。
板倉聖宣さんの『数量的な見方考え方―数学教育を根底から変える視点』にも遠山啓さんへの追悼文が収録されていて、興味ふかい内容です。
理科の視点から遠山啓さんの教育方法を考えるということが重要だと思うのですが・・・。
おおくぼ
2011/11/26 21:37
誤差といえば
http://kodomo.artet.net/?eid=1228772
これが×になるなんて、、
娘さんをほめていいと思います。
TN
2011/11/26 23:02
こっちのほうがすごいと思いますよ。

http://kodomo.artet.net/?eid=1228758

このテープ図とやらを理解するには特殊な能力が必要になりそうです。
鰹節猫吉
2011/11/27 01:27
板倉聖宣って、在野の人かと思っていたら今調べたら、国立教育研究所(現・国立教育政策研究所)を定年退職しているのですね。


これも興味深いですね。
http://kodomo.artet.net/?eid=1125978

教える側は「図を描かせれば理解してくれる」と思うかも知れないが、子供の方はそのようには考えないで、「図を描く」というのも問題の一部と受け取り、「式に合わせた図を描く」ことになる。

http://math.artet.net/?eid=1286382
これを見ると、算数の理解とは別に、タイルの方法を理解するのに一苦労しそう。

 親切なつもりで、「こうしたら理解しやすいよ」という方法が、万人にとっていい方法とは限らない。だから、「こういう方法もあるよ」という助言程度であればいいのだが、教える方が「この方法で理解させなくては」となると本末転倒な結果となりかねない。

 かけ算の順序は、方法・方便を超えて、「本当に正しい順序がある」と思い込んでしまっているので、さらにひどい状況ですが。
積分定数
2011/11/27 10:26
仮説社が発明した教育道具は、生徒に余計な混乱を巻き起こすモノが多いですが、全ての生徒に使うのではなく、一部の生徒向けだと考えればいいと思うのです。
板倉聖宣さんと遠山啓さんは親しかったそうですが、教育に関する考え方の違いがあったと思うのです。

>これが×になるなんて、、
娘さんをほめていいと思います。

何の目的で分度器を使うのかが大事だと思います。
測量では1度の違いが大きい場合もあります。
円周率にしても、3.14では足りない場合もあります。
江戸時代の専門家は円周率をかなりの桁数まで正確に知っていたのですが、普通の人達は3.16と間違って覚えていました。
江戸時代、角度に関しても徳川吉宗の時になって精確な日本地図を作成する必要から意識されました。
おおくぼ
2011/11/27 15:47
> 測量では1度の違いが大きい場合もあります。
それはそうですが、使う道具と図自身の正確さ(線に幅がある)を考えると、0.5度以下に誤差を抑えるのはなかなか難しいと思いますぞ。ついでに、正確な測定が求めている能力なのかというと、そうではなくて、5の倍数で答えることが期待されているらしいので、、、、
TN
2011/11/27 20:54
>そうではなくて、5の倍数で答えることが期待されているらしいので、、、、

これは問題文には書いてないので、空気を読むということになります。
ちなみに受験国語は空気を読む(問題作成者の意図を読む)能力が低いと高得点は無理です。
参考
『受験国語が君を救う! (14歳の世渡り術) 』石原千秋:著

>0.5度以下に誤差を抑えるのはなかなか難しいと思います

解答は「77度」「99度」「221度」になっているので、0.5度以下に抑えようとする意図はないと思うのですが・・・。

↓ 現代の角度測定器。

http://www.nikon.co.jp/profile/technology/life/others/surveying/index.htm

>トータルステーションの精度は高く、距離計測では1キロメートルあたり、2〜3ミリメートルの精度、角度計測においては1秒(1°/3,600°)の精度で計測します。1秒とは100メートル離れたシャープペンシルの芯1本をはさむ程度の角度です。
おおくぼ
2011/11/28 12:44
> 解答は「77度」「99度」「221度」になっているので、0.5度以下に抑えようとする意図はないと思うのですが・・・。

77はともかくとして、99, 221は測定値が最終的に1度違うだけで、そっちに転ばないためには誤差が0.5度以内じゃないと無理なんじゃないかと。空気を読まない限り。
TN
2011/11/28 23:52
2゜ずれるとなると、中心をきちんと合わせていない疑いがあるということでバツにしたのかもしれません。そこまで考えていなくて単に模範解答と違うからバツにしたのかもしれません。

分度器の使い方を習得させるのが目標ですから、それを目指した指導をしたかどうかで良い先生なのか駄目先生なのか判断するところだろうと思います。

鰹節猫吉
2011/11/29 00:46
印刷が悪いと1度以上のズレが起こると思うのです。
計測した時に、77度、99度、221度となった場合、「これは75度、100度、220度がズレたのだと推測すること」が「空気を読むこと」なわけです。
でも、その場合は分度器で精確な計測ができるかどうかのテストでは無くなってしまいます。
精確さを求めることは、綺麗な数値にすることではなく、近似値を求めることです。
おおくぼ
2011/11/29 11:55
追記

思考実験として、自分が問題作成者になったと仮定します。
あなたは「意地が悪い問題作成者=ひねくれ者」だと仮定します。
問題の正解は、「48度(45度プラス3度)」「93度(90度プラス3度)「183度(180度プラス3度)」とします。
印刷上の精度があるので、プラスマイナス1度以内の解答は正解とします。
空気を読むのが得意な生徒達は、どんな解答をするでしょうか?
おおくぼ
2011/11/29 12:36
> 印刷が悪いと1度以上のズレが起こると思うのです。


それは、先生が問題用紙を調べれば先生自身で検証できます。そこまで考えて行動できるかが問題です。

問題用紙を検証して問題がなければ、口頭で作図問題を出して、分度器の扱い方を見ればよいことです。


指導書や業者テストの模範解答に頼りきりになっているのが問題です。

そもそも原理的に真値は求められないということを教師が理解していないようであればなおさら問題です。

鰹節猫吉
2011/11/29 12:41
> 問題の正解は、「48度(45度プラス3度)」「93度(90度プラス3度)「183度(180度プラス3度)」とします。
印刷上の精度があるので、プラスマイナス1度以内の解答は正解とします。



それもよいが、私なら各辺の長さが 2センチ 3センチ 5センチ の三角形を作図させる実験をやるでしょう。

空気を読んでいる者を明確に判定できそうな問題を考えます。

鰹節猫吉
2011/11/29 12:48
印刷の精度の問題もありますが、分度器の大きさもありますね。
伊能忠敬が使った分度器はメチャメチャ大きかったです。

http://www.mizunotec.co.jp/doboku/inou_sokuryou/inou_sokuryou.html

>指導書や業者テストの模範解答に頼りきりになっているのが問題です。
>そもそも原理的に真値は求められないということを教師が理解していないようであればなおさら問題です。

小学校の先生は全教科を担当するので、新人教師は大変だと思うのです。
教師免許を取立ての小学校の先生の平均レベルが、どの程度なのか気になります。
おおくぼ
2011/11/29 13:23
追記

>それもよいが、私なら各辺の長さが 2センチ 3センチ 5センチ の三角形を作図させる実験をやるでしょう。

↓ これと同じですね。

http://okwave.jp/qa/q5273339.html

おおくぼ
2011/11/29 13:38
 先生という権力を持っている人だと、明らかに間違ったことを言ってもまかり通ってしまうというのは怖いことです。おそらく先生が嘘をついていることに気がついているけれども、口に出さないでひそかに教師を馬鹿にするようになる子供もいるんでしょう。

 実際にやるとしたら、2センチ 3センチ 5センチ ではなくてもっと半端な数にすると思います。1桁の数だとすぐに見破られる可能性が高いので。

 小学生が普通に使う分度器は半径5センチ程度のものが多いと思われます。すると1目盛 0.087mm ですから、2°ずれるというと約 1.8 mm です。1.8mmというと相当のものです。よほどの理由がないとこうはなりません。印刷がよほど悪いか、測定者が測定器の使い方を理解していないか、他の子と違う分度器を使っていないか… 印刷が悪くなければ、中心を合わせて測定していないか、分度器が小さくて目盛がみずらいか、逆に大きい分度器を使っていて線を延長しないと測定できない場合にはまっすぐ線を延長できているか確認しないといけませんね。
鰹節猫吉
2011/11/30 01:17
訂正です。

1目盛 0.087mm → 0.087 cm
かつおぶしねこきち
2011/11/30 01:19
100円ショップで売っている分度器には、目盛りがいい加減なのがあるみたいです。

江戸時代の分度器は高価だったので、使っている人は少なかったです。
手作りでしかも目盛りを刻むには三角関数が必要なので貴重でした。

参考
『江戸の天文学者 星空を翔ける  幕府天文方、渋川春海から伊能忠敬まで (知りたい!サイエンス) 』
中村士:著
おおくぼ
2011/11/30 02:21
私が角度の話で連想するのは冲方丁さんの人気小説『天地明察』(2012年秋映画上映予定)です。
これは和算小説でもあります。
アマゾンの感想でも指摘されていますが、理科系レベルの間違いが多い小説でもあります。
主人公の渋川春海は、日本人で最初に緯度を計測した人だそうです。
緯度を計測するには、北極星と自分がいる場所との角度を計測する必要があります。
北極星は天気のいい夜なら毎日みることができます。
『天地明察』の作者は、そのことを知らなかったみたいなのです。

おおくぼ
2011/11/30 02:46
すみません、私、分度器持っていないのですが、
http://kodomo.artet.net/?eid=1228772
は、大体何度ぐらいなんでしょうか?
積分定数
2011/11/30 08:15
画面に分度器をあてがってみると、だいたい 75, 100, 220 度です。

しかしながら、分度器に比べて図が小さいため、外周の目盛のある部分まで線が届きませんので、正確な測定はできませんでした。

実物はどの程度の大きさの図が描いてあるのか知りたいところです。
鰹節猫吉
2011/12/01 01:40
ダメな分度器の見分け方。

http://printsfile.com/kaku.php
おおくぼ
2011/12/01 01:53
追記

ヤフーの知恵袋で、こんな相談がありました。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1115638876
おおくぼ
2011/12/01 02:02
>画面に分度器をあてがってみると、だいたい 75, 100, 220 度です。

 答案が、77,99,221 だから正解でいいと思うけど、駄目なのかな?分度器の使い方をマスターしているかどうかと、より正確に計れるかは別だと思うが。「算数」って、数学と違って、このあたりも混ざってしまうけど、図工や技術で角度を測る必要性に迫られたときに、どの程度厳密に測るかは、状況によるわけで、・・・。
 「角度は5の倍数」と認識してしまう方がまずいと思う。
積分定数
2011/12/01 09:32
>「角度は5の倍数」と認識してしまう方がまずいと思う。

文章題を前にして、「これ、何算で解くの?」、高校生だと、順列組み合わせの問題で、「Pで解くの?Cで解くの?」と質問する生徒がいる。

 これらは問題文そのものを見てそれに対する解答を全力で探すのではなく、出題者の意図・教師の意図を探るようになってしまった結果だと思う。

 「大問の中の小問は、前の問題が後の問題のヒントになっている」という類の、そういう「出題者の意図を読みとる」ということから出てくる「定理」

 シンプルははずの算数・数学が、ねじ曲げられかねない。
積分定数
2011/12/01 09:37
> 分度器の使い方をマスターしているかどうかと、より正確に計れるかは別だと思うが。

 分度器で測定できる原理というと大袈裟ですが、ずらす・まわす・裏返すでぴったり重なれば合同である、直線は両側に限りなく続いているものである、それが分かれば良いことだと思うのです。

 そのために、紙上の図形と定規や分度器を重ね合わせてみたり、紙上の線分を延長してみたり、といったことを自分自身の手でやる必要があると思います。

 それができているかどうか確認するための手段が、いま話題になっているようなペーパーテストなのだと思います。

 手段が目的化して、ペーパーテストを無難にこなすための攻略法を開発してしまったりすると非常に問題です。「分度器で測る問題は1の位が0か5になります。」なんてことをいうファイブ&ゼロ先生が出現してしまったりすると、サンドイッチ先生と同じようなことになってしまいます。
鰹節猫吉
2011/12/02 00:21
沖方丁という作家は知りませんでした。

渋川春海という人は碁打ちだったそうですが、初手を天元に打ったりしたそうです。初手天元というのは現代の感覚からするとかなり疑問手のようです。

囲碁というゲームは宇宙に進出して戦争をするという設定ですが、現実がそれに追いついてきたようですね。
鰹節猫吉
2011/12/02 00:49
>「角度は5の倍数」

この手の、経験による帰納的法則として実際あるのが、「角度の度とラジアンの違い」

高校生に質問すると、「πがつくのがラジアン」と平気で答える。

その理屈からしたら、「度は30の倍数、45の倍数、まれに15あたりが出てくるやつ。」となる。

こういう誤解を避けるために、私は「sin1」が大体どのような値になるのか?ということをやらせるようにしている。
積分定数
2011/12/02 08:52
冲方丁さんはSF作家で、特集本が出ています。

>初手天元というのは現代の感覚からするとかなり疑問手のようです。

そうですね。

http://blog.goo.ne.jp/s-takao-san/e/487e3f209a53ae6ef32e880010bc859f

おおくぼ
2011/12/02 12:36
「ラジアンが、どうして必要なのか?」という意識がないと「角度とラジアンの違い」に気づくのは難しい気がします。
三角関数は円と関係が深くて、ラジアンで表現すると便利だということですけど。
実感するには訓練が必要ですね。
おおくぼ
2011/12/02 12:47
 三角関数の微積分でそのありがたみが分かるのですが、sinx°の微分が殆どの生徒ができなくて悲しくなる。「sinxの間違いじゃないのですか?」などと質問してくる。
積分定数
2011/12/02 17:24
電気工学では、三角関数なしでは成り立たないですね。

メタメタさんの本で『和算で数に強くなる!』 (ちくま新書) で角度の話が書いてあるのですが、私には理解しにくいです。
「角速度」の話をしているのだろうと推測したんですけど。
遠山啓さんの『無限と連続』(岩波新書)の65頁〜67頁にも似たような話が書いてあったので、メタメタさんは応用したのかな?と思っているのですが・・。
『和算で数に強くなる!』を読んでいると、遠山啓さんの『無限と連続』を連想せずにいられない箇所がいろいろ出てきます。
おおくぼ
2011/12/02 19:02
>おおくぼさん
 
 数量感覚は、人によって時代によって違うものだということが、江戸時代の和算書などを見ていると感じます。 
 いま、私たちにとってあたりまえになっている「点」とか「ゼロ」とか「角度」というものは、江戸時代の人の感覚では、無かった。
 私たちの数量観で、昔の本を読んではいけないということを学んだのでした。
メタメタ
2011/12/03 11:44
板倉聖宣さんの『数量的な見方考え方―数学教育を根底から変える視点』にも、江戸時代の「角度」と「ゼロ」の話が出てきます。
あと江戸時代の「円周率」が専門家は3.14と知っていたのに、庶民向けの本は3.16になっていたという話が載っていて、面白かったです。

私にとって和算とは謎なんですが、ユークリッド幾何学的な「定義をして推論規則を決めるみたいな方法」を和算家が拒絶したことが不思議です。
理屈よりも「直感と計算」を重視するというのは、現代の数学教育にも共通する気がします。
あと「折り紙の数学」に興味があるのですが、奥が深いと思います。
江戸時代は、ユークリッド幾何学とは違う幾何学の才能が開花した時代だったと思います。
おおくぼ
2011/12/03 16:50
追記

遠山啓さんの『無限と連続』は、現代数学の「点、線、面、空間」についてのわかりやすい解説書だと思うのです。
マルクスの有名な言葉に「人間の解剖は猿の解剖に役立つ」がありますが、現代数学を知ることによって、和算の謎が解明される気がします。
おおくぼ
2011/12/03 17:04
追記 その2

もちろん和算家達には、現代人である遠山啓さんの数量感はありません。
比較することによって違いが見えてくるということです。
和算家はユークリッドよりはずっと後の時代ですが、ユークリッド幾何学の数量感は拒否していましたので、独自の数量感を持っていたんだと思います。
おおくぼ
2011/12/03 17:45
以下、ミクシィでの私の書き込み

 文章題の中の助詞などに注目させて、式を立てさせるというような、くだらない指導があると噂で聞いたことがあるのですが、塾だけでなく学校でもそういう指導をする教師がいるのでしょうか。まあ、長方形の面積を横×縦で求めると、「公式と違うから」とバツにするアホ教師がいるぐらいだから、もう驚かないですが。

 それでふと思ったのは、水道方式や遠山啓を信奉する人がよく言う、「3%食塩水と3%食塩水を合わせても6%食塩水にはなりません。時速50qの自動車を2台ロープでつなげても、時速100qにはならないのと同じ事です。濃度や速さは内包量といって、足し算ができません」というよく分からない説明。
http://homepage3.nifty.com/jikkenn-kyositu/sakusaku/1_3.htm
積分定数
2011/12/05 02:12
 「併せる」「加える」「くっつける」などが、必ずしも足し算に対応しないのは当たり前で、内包量がどうたら言わなくても、濃度や速さの意味そのものを理解していれば、「『併せる』だから足し算」とならないことは分かるはず。濃度や速さが分からない子が多いというのは理解できるし、だからこういうトピが立っているわけだが、「内包量だから足し算は出来ない」と説明することで理解が深まるとも思えない。

 消費税は3%から2%アップして5%になった。時速80qの電車の中で床との相対速度時速4qで進行方向に歩けば、外から見たら時速84q。直径1pの粘土の球を2つ併せて改めて1つの球を作った場合、直径は2pにはならない。

 「足し算できるのが外延量で、足し算できないのが内包量」などと得意になって書いてあるサイトが見受けられるが、余り深く考えていないようである。
そのあたりのことはhttp://suugaku.at.webry.info/201109/article_1.htmlにも書いた。

 文章題に書かれた言葉を頼りに式を立てるという方法を教えられているとしたら、濃度だろうが何だろうが、「併せる」→足し算、としてしまう子が多数いるのも推測できる。

 しかしそれに対して、「併せる」が足し算になる量とならない量の2種類があるので注意しよう、などという指導は有効だろうか?覚えることが増えて混乱する子もいるような気がする。

 言葉を頼りに式を立てるのではなく、文章の内容そのものを理解して、濃度や速さの概念そのものを理解すればいいだけの話である。もちろん、それがそう簡単にうまくはいかないのは承知しているが。
積分定数
2011/12/05 02:13
 とりあえず当面は、言葉を頼りに式を立てさせることで、何とかごまかせる。割合や単位当たり量などが出てきてそうもいかなくなると、内包量だの外延量だのという言葉でごまかす(教える側はごまかしているという自覚はおそらくないのだろうが)。そうやって場当たり的に対応して行くなら、次々と矛盾が出てきて、それを糊塗するために場当たり的に概念をでっち上げるしかなくなる。「外延量的内包量」などという「豪華粗品」並みの言葉まで登場せざるを得ない。

 かくして、内包量、外延量、包含除、等分除、量分数、割合分数、求差、求補、求残、増加、合併、添加、1あたり、いくつ分、倍、掛ける数、掛けられる数、・・・、などという概念が、消え去ることなくいつまでも温存される。

 算数・数学を深く理解したらこれらの概念は消え去り、例えば、等分除と包含除は区別できなくなるのだが、教える側が算数・数学を深く理解していないが故に、「この様な概念を理解できること、包含除と等分除を区別できることが、算数・数学を理解すると言うこと」と勘違いして、これらの概念を一生懸命教えようとする人がいる。
積分定数
2011/12/05 02:14
 混沌の中で試行錯誤しながら模索する中で、あるとき突然視界が開けて、美しく単純な姿を現す、というのが算数・数学の大きな魅力であるのだが、これでは、内包量、外延量、包含除、等分除、量分数、割合分数、求差、求補、求残、増加、合併、添加、1あたり、いくつ分、倍、掛ける数、掛けられる数、・・・、などという概念によって、視界は遮られたままである。

 熱心な教師が算数教育の指南書を一生懸命読んで、こういう概念に縛られている例もあるようだ。指南書を書く算数・数学教育の専門家にも責任がある。内包量、外延量、包含除、等分除、量分数、割合分数、求差、求補、求残、増加、合併、添加、1あたり、いくつ分、倍、掛ける数、掛けられる数、・・・、などという概念は便宜的な一時的な概念であり、何ら本質的なものではないということをちゃんと書くべきだ。
積分定数
2011/12/05 02:15
 で、要するに、内包量とか外延量がどうたらで足し算がどうのこうのというのは、その前に、「併せる」=「加法」というようなことが徹底的に叩き込まれているのが前提になっているのかもしれない、と思ったと言うこと。

 しかしそうだとしたら、そういう文章題の解き方の方を改めるべき。
積分定数
2011/12/05 02:17
http://www.geocities.jp/zyuminundo/nihonokaeru.htm
子どもたちの一人ひとりのちがう個性が生かされ、輝くために !
日本の教育を変える――群れ遊び復活のために
――その戦略はなにか
遠山啓さんの『競争原理を超えて――ひとりひとりを生かす教育』を受け継いで

引用されている遠山啓の文章を含めて、共感する面はある。

 しかし、遠山啓のこういう考えに共感して「信者」となり、内包量やら外延量やらの虚構の概念を絶対視するようになり、「かけ算は累加ではありません」「3×4と4×3は意味が全く違います」とトンデモになってしまう例が少なからずあるようである。そもそも遠山啓は「4人に3個ずつ蜜柑を配るのは、3×4と4×3のどちらでも構わない。カード式で4×3も正当化できる」と言っているのだから、遠山啓を絶賛しながら「4×3はバツ」と言っている人は、「信者」ではないとも言えるが、トンデモとは往々にしてそういうものかも知れない。

 ベトナム戦争に憤りを感じて、反戦運動に身を投じ、セクトに入って、内ゲバで人を殺す

 という例もあるのだから不思議はない。
積分定数
2011/12/05 10:48
思想研究とか哲学の分野は、難解な翻訳輸入用語を有り難がたがる人がいます。
仏教などのお経もそうですが、難解でよくわらないのが素晴らしいというのは倒錯としか思えない。

数学というのは理屈を重んじるはずなのに、「交換法則は成立するけど、順序を変えると式の意味が変わる」とか「掛け算の順序は日本の慣習に従うべき」とかムチャクチャとしか思えない。
無理が通れば道理引っ込む!
おおくぼ
2011/12/05 18:01
大学時代の代数学の講義で、教官の説明がおかしいと思って指摘したけど、「いやそんなことないよ」と否定された。しかし次の講義でその教官は、「先週の件だけど、積分定数君の指摘が正しかったです」と訂正した。数学は素晴らしいと思った。客観的に正しい物は正しい、間違っている物は間違っている。権威も何も関係ない。

 その点からしても、数学教育は数学とは別物だと思う。
積分定数
2011/12/05 21:07
前のコメントで紹介しましたが、板倉聖宣さんの『数量的な見方考え方―数学教育を根底から変える視点』に収録してある江戸時代の円周率が専門家の本では「3.14・・・」となっているのに、庶民向けの本は「3.16・・・」になっていたという話は、現代の数学教育にも通じると思う。

あと和算が明治維新以後に衰退した理由は、明治政府が洋算を公式採用したからですが、ユークリッド幾何学的な思考方法が和算に欠如していたからだと思います。
将棋とか囲碁などゲームをすることは論理的に考える能力を鍛えると思います。
けれども論理的に考える能力を数学に活かすには訓練が必要だと思うのです。
おおくぼ
2011/12/05 22:18
追記

和算家は、ユークリッド幾何学にあるような「角とは何か?」、「点とは何か?」「線とは何か?」という疑問を深く考えませんでした。
数学の公式も難問を解く道具ぐらいにしか思っていませんでした。
「難問を解く喜び」を持っていたことが和算家には共通しています。
現代の受験数学を見ると、和算を連想してしまいます。
おおくぼ
2011/12/05 22:40
無限とは何か?なんてことやっていたら合格できないからね。ただ一方でそういうことを考えている子が受験数学が出来ると言うことも十分あり得る。

 遠山啓の教育論には、あたかも現状の教育の中で評価されない子の方が、評価される子よりも優れているように捉えかねないような物があるように思う。

 前に書いた鶴亀算に関してもそう。本当の意味で数学が出来る子が、歪んだ教育体制の中でも「出来る子」となっている場合も少なからずある。
積分定数
2011/12/06 00:29
映画「思い出ぽろぽろ」を見ていないが、何故分数の割り算は逆にして掛けるのかを疑問に思ってしまう妹に、姉が「そんなの、とにかくそうすればいいんだ」というシーンがあるらしい。

 「とにかくそうすればいい」という子の方が「勉強が出来る」とされてしまい、そういうところに疑問を持つ子が「落ちこぼれ」とされてしまう。それはおかしい。そういうところに疑問を持つ子の方が実は優れているんだ、

 みたいなことを制作者が意図したとしたら、それもまたステレオタイプな見方である。

 疑問に思い自分自身で考えて納得がいき、分数の計算も出来てテストの評価も高い子もいるだろう。
積分定数
2011/12/06 00:36
 高校時代、数学は好きで面白かったが、3年生になって微積分の計算ばかりやらされてつまらなく感じた。受験のため仕方なくやっていた。何を何で微分/積分するのか、という微積分の意味と言うことでは物理の方がずっと面白いと思った。数学の教師も「大学の数学は訳が分からない」という。だから物理科に進学した。

 大学入ってから、紙と鉛筆だけで思考していく数学の方が自分に向いていると分かったが既に遅かった。

 数学科の授業に潜り込んだ。たしか、位相数学の授業だった。具体的数式から離れた抽象的方法にわくわくしたが、教官の話を聞いて悔しくなった。

 「君ら(数学科の学生)は高校のときから、数学が好きで得意で数学科に入ったと思う。しかし、大学の数学が高校時代と全く異なり、驚いたと思う。『あの高校時代の楽しかった微積分の計算はどこに行ってしまったのだろう?』と嘆いていると思うけど、これが大学の数学だから数学科に入った以上は仕方ないのでこういう(抽象的な)数学を勉強して下さい」

「あ〜、こいつら(数学科の学生)は、高校時代のあの部分積分と置換積分を駆使しての面倒な計算が大好きで、数学科に入って、それで抽象数学に困惑しているというのか!?俺はそういうのが嫌いで物理科に入り、抽象数学の面白さにはまったというのに・・・。」と思った。

 結局大学は中退して、公務員や工場の流れ作業などをして10年が経過し、「このままじゃいかん」と思い直し、受験勉強をして数学科に合格した。
積分定数
2011/12/06 00:50
数学が結構大変だった。センター試験の数学はじっくり考えたら時間がなくなる。計算ミスも致命的。学問としての数学とは別に、そういう物として割り切って勉強しないとならない。くだらないとは思ったけどそうしないと合格できない。

 晴れて合格して入学式。大学側の某氏の挨拶がむかついた。

「合格おめでとう。しかし勘違いして欲しくない。君らは学問の能力が優れていたわけではなく、受験テクニック、テストで点数を取る能力に優れていただけである。これからは学問としての勉強を頑張って欲しい」

まず1点、
テストで点を取る能力と学問での能力は別であったとしても矛盾する物ではないわけで、「テストで点を取る能力が優れている」ならば「学問での能力は劣っている」とは言えない。

そしてもう1点
「学問としての勉強の能力ではなく、受験テクニックの能力を試すテスト」を課した側の人間が言うべき事ではない。

「申し訳なかった。諸君の中には本当に学問を究めたくて大学を目指した人もいるだろう。そういう人は、受験テクニックをみがくための勉強などくだらなかったと思う。我々の力不足でそのような受験テクニックを測るようなテストしか作ることが出来ない。貴重な時間を無駄にさせてしまって本当に申し訳ない。」

というのが筋である。

医師国家試験の合否を100m走で判断することにしたとする。医師を目指す人は、それが医師になるためには不要だと分かっているが仕方ないので速く走れるように体を鍛える。晴れて合格したときに、100m走を導入した人が、「諸君は医師としての能力に優れていたのではない。ただ走るのが速かっただけです」と聞かされるような物である。
積分定数
2011/12/06 01:08
>100m走を導入した人が、

100m走を導入した人から
積分定数
2011/12/06 01:12
受験批判・塾批判・教育批判の1つの典型的パターンは、

「物事の本質を見極めようと言う姿勢と、今の教育体制の中で評価されることが必ずしも一致しない」

が、

「物事の本質を見極めようと言う姿勢と、今の教育体制の中で評価されることは、必ず一致しない」

となり、

「物事の本質を見極めようと言う姿勢ならば、今の教育体制の中で評価されない」

となり

「今の教育体制の中で評価されない子は、物事の本質を見極めようと言う姿勢だからである」

となってしまうことである。ちゃんと論理学は勉強した方が良いと思う。

 遠山啓の文章の中にも、そう誤解する人が出て来かねない部分があると思う。
積分定数
2011/12/06 01:23
数学の学力を上げる方法として「百ます計算」は高く評価できると思います。
漢字の書き取りもそうですが、何度も繰り返すことによって身につきます。
解法を何度も繰り返すことによって、条件反射的に解けることは、成績アップにとって繋がります。
でも、それだけだと学問が嫌いになる生徒が出てくると思うのです。
数学の場合は、具体的な状況でどのように使えばいいかを考えさせる教育が増えてもいいと思うのです。
小学生向けの本ではないですが『数に強くなる』 (岩波新書、畑村洋太郎:著)みたいな教育があった方がいいと思うのです。



私は文科省を批判したくないのですが、検定教科書という制度があるので、どうしても文科省批判になってしまいます。
検定教科書制度は止めればいいと思う。
有害図書のように有害教科書を指定するという方向に行けばいいと思う。
もし有害教科書と指定されても、使用を禁止されるのではなく、有害教科書を使うかどうかは、各学校の選択に任せるべきだと思うのです。
おおくぼ
2011/12/06 15:45
追記 

文科省は、教科書を検定するのではなく、教科書の優良を判定する役割をすればいいと思うのです。
「文科省推薦教科書」や「文科省指定有害教科書」みたいに発表すればいいと思います。
そして各学校やPTAは、文科省の判断を参考に教科書を選べばいいと思います。
だから敢えて「文科省指定有害教科書」を選ぶという選択肢もあるわけです。
おおくぼ
2011/12/06 15:51
>「学問としての勉強の能力ではなく、受験テ
>クニックの能力を試すテスト」を課した側の
>人間が言うべき事ではない。

その部分、強く同意します。
入試問題の作成は、
 「こういう問題が出来る学生を採りたい」
 「この大学で学びたいなら、こういう準備
  をして来い」
というメッセージである筈なのに、それを分
かって無いということですね。
ゴルゴ・サーディーン
2011/12/06 22:28
前に話題になった大学の先生のブログを思い出しました。

http://takuya-sobukawa.blog.so-net.ne.jp/2011-08-11

http://takuya-sobukawa.blog.so-net.ne.jp/2011-06-22

なんのための受験だったんだろう?
資金集め?
学費を払っているなら、生徒はお客さんじゃないの?
おおくぼ
2011/12/06 23:45
>・・・となってしまうことである。ちゃんと論理学は勉強した方が良いと思う。

「特殊と一般」は遠山啓さんの口癖だと思いますが、ベン図で書くとわかりやすいです。

「今の教育体制の中で評価されない」生徒にも、いろんなタイプがいるということがわからなくなってしまうのでしょう。
ただ単にヤル気のない生徒も多いし、ヤル気のない生徒にどうやってヤル気を出させるかが重要だったりします。
ちなみに「百ます計算」の成功理由の一つは、ヤル気を出させることにあります。
『百ます計算の真実』 (学研新書) 陰山英男:著



物事の本質を見極めようと言う姿勢を持つ「全ての小学生」が、今の教育体制の中で評価されない」と信じている先生がいるのでしょう。

「必ずしも一致しない」ということの意味は、「大学の評価基準」と「小学校の評価基準」が「共通する部分」もあれば、「違う部分」もあるということなので、当たり前のことだと思います。

例えば、現在の小学校教育は「物事の本質を見極めようと言う姿勢を高く評価しない傾向がある」から、変えて行こう・・・というならわかる気がします。

おおくぼ
2011/12/07 22:12
>入試問題の作成は、
 「こういう問題が出来る学生を採りたい」
 「この大学で学びたいなら、こういう準備
  をして来い」
というメッセージである筈なのに、それを分
かって無いということですね。

理学部数学科と医学部では、要求される数学が違うと思うのです。前者では、積分の方法を考える能力、置換積分とか部分積分を自分で見つけ出す能力が問われ、置換積分や部分積分をミスなく遂行する能力というのは、むしろ後者でこそ要求されると思う。でも、そんなこと考えて問題作っているのだろうか?
積分定数
2011/12/07 22:35
 遠山啓の文章を読むと、子どもはこう教えると躓く、こう教えないと躓かない、というのが書いてあるのですが、実際は色んなケースがあると思うのです。ところが、それを固定的に捉えてしまう人がいて、「かけ算は累加ではない」と教えることが絶対的に素晴らしいと思い込んでしまう。内包量とか外延量とか言う概念がとてつもなく重要だと思ってしまう。「出来ないとされている子が本当は出来て、出来るとされる子が本当は理解していない」と思い込んでしまう人もいるかも知れない。 

 算数・数学それ自体を自分で勉強する、つまり、参考書を見て一生懸命勉強するのではなく、あれこれ試行錯誤して公式や定理を自分で見つけて算数・数学の面白さを経験する、そういう経験がないままにあれやこれやの教え方の指南書を読んでも、結局公式に当てはめるように書いてあることを教条的に実行するだけになってしまうと思う。

 「かけ算は累加ではない」などと力説する人は、その根拠を自分自身の言葉で説明できるのだろうか?仮に遠山啓が「かけ算は累加である」と言っていたとしても、「それは誤りだ。」と反論するだろうか?
積分定数
2011/12/07 23:10
遠山啓さんは「かけ算は累加ではない」とは言ってないと思うんですが・・・。
かけ算を累加だけで考えるには無理があるという主張だと思います。
かけ算を「累加で表現できる」ということと、「累加という概念だけでかけ算を理解できる」ということは違うと思うのです。
かけ算を理解するには、「倍、比例」などの概念が必要だということなんだと思うんですが。
おおくぼ
2011/12/08 12:14
教え方として累加ではなく、1あたりがいくつ分という導入の方が0や分数、小数のかけ算で躓かない、

という話を、信奉者が拡大解釈しちゃうんですよね。

 1あたりがいくつ分で導入しても負数や虚数まで言ったら破綻するわけだから、それほど万能でもないんだけどね。

 累加なら単なるアルゴリズムを示しているだけとも言える。だから、3×4から12が出せるアルゴリズムならなんでもいい、ということで、3を4つ足す、でも、4を3つ足す、でも構わない。1あたりがいくつ分だと、意味解釈が出てきてしまった融通が利かなくなる、

というデメリットもある。双方、長所・短所があって検証した上で、どちらかを選択するという話なら、それはそれで理解できるけど、

「累加ではない」はまずい。4人に3個ずつ蜜柑を配るのを、3×4としたまではいいが、これを3+3+3+3としては駄目だというならどうすればいいのか?
と混乱する子どもはいないのだろうか?

 「自分はこういう風にしたら理解しやすかった。子どもはこうしたら理解しやすい」というのは憶測であって、実際うまくいくとは限らない。

 算数・数学それ自体は簡単でシンプル、よけいな意味づけや不要な概念を押しつけない方が良い。
積分定数
2011/12/08 14:08
「かけ算は累加だけでは理解できない」
       ↓
「かけ算は累加ではない」・・・にどうして単純化されてしまうのか不思議です。

また「物事の本質を見極めようと言う姿勢と、今の教育体制の中で評価されることが必ずしも一致しない」
       ↓
「物事の本質を見極めようと言う姿勢ならば、今の教育体制の中で評価されない」・・・にどうしてなってしまうのか?
そのような先生がいるとすれば、論理よりも信念を優先しているとしか思えません。



> 累加なら単なるアルゴリズムを示しているだけとも言える。

コンピュータならかけ算は累加で充分かもしれませんが、人間の場合はそうはいなないわけです。

「一つ当たり幾つ分」という概念は、分数を前提としているので、子供には、わかりにくいという気もします。
包含除と等分除は、逆数を前提しているので、同じようにわかりにくいと思います。
例えば十進数を前提にした問題を十進数を知らない子供に出しても理解は困難です。
概念は具体的な状況に則して出さないと理解は難しいと思うのです。
この場合の「具体的な状況」とは、「どうしてその概念を使う必要があるのか?」ということを意識させる状況です。
おおくぼ
2011/12/08 18:17
 今日の朝日新聞に、デジタル教科書についての記事があった。

>日本数学会教育委員長としてリスト作成にかかわった新井紀子・国立情報学研究所教授(49)は「自動採点しやすいドリル形式の教材の導入が進み、証明や式より答えを求める力が優先され、数学力の崩壊につながる」と警鐘を鳴らす。

http://resemom.jp/article/2010/11/02/219.html
事項5:「デジタル教科書」の使用が、穴埋め形式や選択肢形式の問題による演習の比率増大につながらないこと。


でもな〜、色々な事例を見聞きしていると、答えがあっているかどうかだけに焦点を当てる方が良いんじゃないかと思ってしまう。

 「考え方が大切です」とかいいながら、「かけ算の順序」を見てその子が理解しているかどうかを判断する、などというのは、その手法自体が考えることを放棄して公式に当てはめるようなものであるわけで、そんなのよりは答えだけを見る。どうやって求めるかは不問、という方が遙かにましである。
積分定数
2011/12/08 23:00
> 「考え方が大切です」とかいいながら、「かけ算の順序」を見てその子が理解しているかどうかを判断する

先生の頭と同レベルであるか判断できるかもしれません。先生が間違っていることに気づいていながら先生のレベルに合わせて対応する者もいるでしょうが…

こういう先生と同レベルということはとても悲しいことですが…

鰹節猫吉
2011/12/08 23:54
>でもな〜、色々な事例を見聞きしていると、答えがあっているかどうかだけに焦点を当てる方が良いんじゃないかと思ってしまう。

「掛け算の順序」問題が発生した原因は、生徒が正解を解答しているのにもかかわらず間違いだと誤解した先生がいたからでは?
「先生の勘違いを指摘する先生」が必要なんですが、勘違いをしているのが「偉い先生達」なんで、どうすればいいのか。
教師用指導書をなんとかしないと。
おおくぼ
2011/12/09 01:15
>「先生の勘違いを指摘する先生」が必要なんですが、

そのあたりは本当に、責任が曖昧というか、なんというか、・・・。

文科省も、教育委員会も、教科書会社も、形式的には、自分の領域の責任は果たしているつもりらしい。

支持するわけではないが、橋下徹がいわんとするところも分かる気がする。問題視する教師や授業が、彼と私では全く違うのだろうが。
積分定数
2011/12/09 07:38
 数学では概念を拡張することがあるが、その際、デジタル的拡張とアナログ的拡張があるように思う。私が勝手に名前を付けただけなのでそこは了解して下さい。

アナログ的は、資格やイメージ、感覚重視
デジタル的は、ロジック・形式重視

 2/3 これを、1を3等分した2個分 と捉えるのがアナログ的で、
3x=2の解、あるいは2÷3の答え、これは整数では扱えないからとにかく、これを2/3と形式的に表記する、というのがデジタル的発想。

√2 もアナログ的捉え方だと、1.4の2乗<2<1.5の2乗だから、その間にあって、・・・という感じで、デジタル的発想だと、「とにかく2乗したら2になるそういう正の数」という捉え方。

 このあたりだとデジタル的発想のありがたみはあまりないように見えるが、虚数の導入に際してはまずはデジタル的発想しかできない。x^2+1=0の解の1つをとにかくiとする。iに要求される性質は、2乗したら−1になるといだけ。あとは普通の数と同じように振る舞う。ガウス平面でアナログ的捉え方も可能になる。

 高校生の頃、2乗したら−1になるものをiとするなら、−iでもいいのでは?と疑問に思ったが、実はその通りで、iと−iをすっかり入れ替えてもあまり不都合はない。

 「体の代数的拡大」はこうやって、解けない方程式の解を新しい元として導入する。
積分定数
2011/12/09 11:31



 指数の拡大では、

a^n・a^m=a^(n+m) (a^n)^m=a^nm これがn,mが自然数の場合に成り立つが、整数や有理数でも成り立つとすれば、・・・、
ということで、0乗や負数乗、分数乗まで拡張するのがデジタル的。

1時間で質量a倍に増殖するバクテリアの1時間前の質量や30分後の質量を考えることで、0乗や負数乗、分数乗に拡張するのがアナログ的


 どちらの発想でも、結果は同じ。どちらが優れているということか言うことではないし、両方理解するのが望ましいし、深く理解したら、「2つの発想」は「同じ事」に融合する。


それで思ったのだが、遠山啓はデジタル的拡張が嫌いなのではないだろうか?

「数学の学び方・教え方」(岩波新書)で分数の割り算について説明してある。

÷2と3/5 帯分数は表記しにくい

これを、底の長さが2と3/5水槽に仕切を入れて云々と説明し、水槽の底1の長さに対応する水の量を求めることで、結果的に×5/13となることを説明している。

でも、÷3/5の場合その説明は子どもに分かるだろうか?
あと、遠山啓は連続量には割り算に包含除と等分除の区別があるといっているhttp://suugaku.at.webry.info/201103/article_4.html
が、そうであれば包含除の方の説明もしないとならないはず。

÷3/5は、水槽の底の長さが3/5として、水を注ぎ高さがどうなるのかを見ることになるのだけど、まあ何とかなるのかな。
積分定数
2011/12/09 11:32



まあそれはいいとして、そのあとに、4/5÷2/3の説明として
(4/5)/(2/3)の分子分母に3を掛け、さらに5を掛けて
(4×3)/(2×5)とすることについて、

「この説明法は形式的でどうも感心できません」と述べています。


ただ、子どもが試行錯誤してこういう方法を思いついたら褒めてあげていいと思うのです。


1/√2の分母の有理化だとか、1/i=−iという変形などは、形式的処理しかやりようがないわけだし。


 イメージや感覚、形式的処理、両方必要だと思う。遠山啓はそういうことを分かった上で、好みや感想として、軽い気持ちで「どうも感心できません」と書いているのかも知れない。

しかし、


遠山啓は数学者である。数学者は往々にして計算間違いをする。よって遠山啓も計算間違いをする。


信奉者が自分の言葉を鵜呑みにして、無批判に受け入れ拡大解釈する

などということは計算外だったのではないだろうか?
積分定数
2011/12/09 11:33
本屋に行ったら遠山啓さんの『代数的構造 』(ちくま学芸文庫) が出ていました。
解説は銀林浩さんです。
解説に、正解をすぐに求めるよりも試行錯誤することが楽しい・・・というようなことが書いてありました。
おおくぼ
2011/12/09 19:24
総論ではまともなことを言っていると思います。

森毅「学校とテスト」(朝日選書)p126
>数学などでよく、リコーな子なら説明してもわかろうが、アホはシャーないから、結果だけ、あるいは公式だけ覚えとけ、などという。この考えの基本的な誤りは、「アホ」にとっては、「わからんでもよいから覚えとく」なんてことはできないことだ。むしろ、そんな器用な真似をするのは、リコーの方である。

とまともなことを言っている。揚げ足取りをさせてもらえば、リコーな奴は公式を暗記しているだけというステレオタイプ的発想があるということ。

多大な努力を要する公式・解法の暗記というアホな方法で、かろうじて「リコー」と評価されている子もいれば、面倒なことはしないで根本から理解しているリコーな子もいる。ちゃんと分かるように教えようとしても当人が公式・解法の暗記に固執して、出来ないままの子もいる。

ようするに色々いる。

>数学教育で「水道方式はだれでもわかる」というのに、アホでもわかるのだから、リコーのためではない、「アホのための水道方式」という中傷があった。

とあるが、内包量やら外延量やら、度的率だか率的度だか、なんだかかんだか、あんなの私は分からない。
積分定数
2011/12/10 15:07
銀林浩さんは水道方式の作成に参加して大いに貢献しているけど、遠山啓さん以上に算数を難解にして、そのことを未だに自画自賛しているのは酷いという気がする。
おおくぼ
2011/12/10 21:35
> 度的率だか率的度だか、なんだかかんだか


順序!

意味軽視?

鰹節猫吉
2011/12/10 21:51
高校数学でヘンだなと思うのが三角関数の合成公式というやつ。

なんで sin にする公式だけなんだろう? cos でもいいと思うのだが?


私の場合は、最初、要するに加法定理を利用して1つにまとめるだけと思った。その後、物理の単振動を知ってからはコレが三角関数1つにまとまるのは当然のことに感じた。


量の体系を徹底させるならば、三角関数の合成公式も単振動から導入するのだろうか?

鰹節猫吉
2011/12/11 00:56
三角関数にも正しい順序を決めないといけないかもしれません。

正弦だから sin を先に書くという流儀と、アルファベット順で cos が先という流儀がある。

どっちでもいいでは若者たちが混乱する。どっちでもいいというのは、できない子を置き去りにする行為だ、まるで小泉純一郎の痛みをともなう対米追従路線である、帝国主義的侵略的である、抑圧と搾取をその内容として云々…

鰹節猫吉
2011/12/11 01:10
「はじき」「みはじ」「くもわ」を批判する行為こそ、小泉路線に与する物ですw
http://www3.plala.or.jp/DocKKTT/page141.html
>私の数学・科学は上位5%の者のためにあるのでは無く、忘れられ
がちな一般生徒90%のためにある。
 覚え易い、使い易い工夫がされているのであって、100点を取るための知識ではない。80点で満足できる階層の生徒のためにある。
 実際は、私の教え子は「数学の反射」だけの知識で今年のセンター入試97点取ってくれたが、要は迷わず効率的な学習を目指しているだけ。
 自分だけが正しいと傲慢になり、困っている人・弱い人を助けられないような狭義の科学者にはなりたくない。
 勝ち組・負け組みなどと騒いで、郵政民営化で浮いた80兆円を、どこかの国にタダでくれてやって、さっさと逃げ出した某総理大臣のようにはなりたくないね。


かけ算の順序を徹底すると言うことにおいては、文科省国立政策研究所も教育委員会も、TOSSも、日教組・全教・数教協も、みな意見が一致しています。

かけ算の順序に右も左も関係ありません!

右も左も関係ないのだから、3×4でも、4×3でもどっちでもいいんです!

あれ?

積分定数
2011/12/11 08:10
>なんで sin にする公式だけなんだろう? cos でもいいと思うのだが?

でもこういうのは、公式として載っていないので、ちゃんと理解しているかどうかを見るために、合成してcosにするという問題を出せるので便利です。

「みはじ」「はじき」への対処は、「15分で3000mだと、時速何q?」

内項の積=外項の積 への対処は、
1:2:3=4:x:y

ちょっとずらした問題をだすことで、単に公式や解法を暗記しているだけか、ちゃんと理解しているのかを判断できる。


>正弦だから sin を先に書くという流儀と、アルファベット順で cos が先という流儀がある。

私の場合、語呂か慣習でサインが先ですね。復素平面を扱うと、実部を表すコサインが先になりますね。

要するに場当たり的。順序なんかどうでもいいから、その場で適当に決められる。

数学が苦手な中学生が文字式を変形していて、途中式で文字よりも定数項が左にある状態になったのだけど、すかさず「文字が先で定数があとだよ」と注意している塾講師がいたという。

 途中式だし、定数項があとなどというのは単なる慣習で、意図的に逆にする場合もある。

 本質的なことと、どうでもいい些末なお約束の区別が付かない人が教える弊害ですね。
積分定数
2011/12/11 08:24
 文字式はアルファベット順だとか、降べきの順だとかいうのは、「同類項を見落とさないため」という意味があるのかも知れない。

 恐ろしいのは、そういう具合にある恣意的などうでもいいルールを合理化するためのほんのちょっとした理由があろう物なら、「だからこのルールを徹底しなくてはならない」と堂々と言い切って無理矢理強要する輩が自信を持ってしまうことだ。
 
 長方形を横×縦でバツにする教師(結構いるようである)の1人は、「子どもがどこを横、どこを縦と見たのかを確認するため」と言っているらしい。なんだか訳の分からない理由だが、ぱっと聞き流すと、「なるほど、ちゃんと理由があるんだ」などと思いかねないから恐ろしい。
積分定数
2011/12/11 08:33
「高校の数学」は義務教育ではないのですが、重要だと思います。
でも「高校の数学」は「小学校の算数」以上に数学嫌いを生み出す土壌になっているのではないでしょうか?
理由として・・・

1 数式を使う具体的な状況がわかりづらい。
2 計算が複雑。
おおくぼ
2011/12/11 12:50
 中学までは数学が出来たのに高校で躓くというパターンの原因の多くは、出題パターンが中学までは限定されているからと言うのがある。単純な難易度の問題ではない。

 中学では、変化の割合を求める問題では、直線か頂点が減点の場合だけだから、ax^2のx=p〜qの変化の割合は、a(p+q)と暗記すれば答えられる。
 概念が分かっていれば、どんな関数でも変化の割合は出せるのだが、そういう問題は出ない。だから暗記でかろうじて何とかなる。

 出題パターンに制約がなくなり、公式・解法の暗記容量が飽和するのが高校数学。

 だから小中のうちから、概念を理解していれば解けるが暗記では解けない問題をやる必要があるのだが、そういうのは何問・奇問か、お受験のための問題とみなされるのか、あまり重視されない。
積分定数
2011/12/11 15:17
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/1210/467390.htm?g=05&r=1
「かけ算の順序」騒動、健在です。
積分定数
2011/12/11 15:25
親達は混乱しているみたいですね。
面積の「縦×横、横×縦はどちらが正解?」を混ぜると、もっと混乱するでしょう。
おおくぼ
2011/12/11 18:07
追記

>何個かと問う問題文だから、個からかけます。
>何枚かと問う問題文であれば、枚からかけます。
>そう教えてあげてください。

遠山啓さんの苦労が全くいかされていない。
これが現状なんですね。
おおくぼ
2011/12/11 18:17
話を整理すると、

1.「かたまりがいくつ」という概念を正しく把握させるために、あるいは、正しく把握しているかどうか判断するために順序に拘るといい。

2.これが、いつの間にか「正しい順序がある」と勘違いする教師が出現する。あるいは銀林浩のように、そう主張する数学者まで出てくる。

3.「正しい順序」にするための方法として、「単位のサンドイッチ」が開発される。この段階で、1の順序導入の目的は無意味となる。

4.単位のサンドイッチというルールがあると勘違いする人が出てくる。
積分定数
2011/12/11 18:44
1.1582年本能寺の変は、「いちごパンツで本能寺」と覚えるといい。だから、明智光秀がいちごパンツで信長を襲っている絵を描かせると効果的

2.そのうち、明智光秀がいちごパンツで謀反を起こしたのが史実だと思い込む教師が出現し、「本能寺の変のときの明智光秀のパンツの柄は何でしょう?」と出題するようになる。

3.明智光秀=いちご、と覚えるために、明智光秀が「いちご白書をもう一度」を熱唱している場面をイメージする。

4.明智光秀が「いちご白書をもう一度」を熱唱したのが史実だと勘違いする人が出てくる。


なお、「シュレディンガーのパンツ」理論により、本能寺の変のときに明智光秀がいちご柄のパンツをはいていた可能性も0ではない。
積分定数
2011/12/11 18:54
「一つ当たり幾つ分」という概念は難しくて、理解できない人をたくさん生んでいると思うのです。
全体量=基準量×倍なら、わかりやすいと思うんですけど。
でもこれだと、距離=速度×時間が理解できません。
速度は1時間当たり何キロという「一つ当たり幾つ分」です。 
あと遠山啓さんは、分数同士の割り算を理解しやすくするために、「一つ当たり幾つ分」という書き方を導入しました。
でも、多くの親は「どうして分数の割り算で分母と分子を逆にする理由」がわかりません。
だから多くの親と生徒にとって、「一つ当たり幾つ分」という概念は訳わかんないという感じになって、別の方式が採用されて、二重の方式が使われているのが現状なんだと思うのです。
おおくぼ
2011/12/11 19:03
>1.1582年本能寺の変は、「いちごパンツで本能寺」と覚えるといい。だから、明智光秀がいちごパンツで信長を襲っている絵を描かせると効果的

ビートたけしさんの本だったと思うのですが、「教科書にビッグバンの説明として、爆発の絵が書いてあるのはおかしい」と指摘がありました。
無から宇宙が誕生したのだから、爆発の絵はおかしいという話だったと思う。
なるほどと思った記憶があります。
おおくぼ
2011/12/11 19:17
>単位のサンドイッチというルールがあると勘違いする人が出てくる。

明智光秀のパンツのように勘違いしている人もいると思いますが、生徒が独自に「単位のサンドイッチ・ルール」を見いだしている場合もあると思う。
正しい順序などないのに、先生が勝手な順序ルールを導入しているから、生徒が別の順序ルールを発見している気もします。
おおくぼ
2011/12/11 19:29
>4.明智光秀が「いちご白書をもう一度」を熱唱したのが史実だと勘違いする人が出てくる。

数学とは関係ないですが、「支那」差別用語説とか「三国人」差別用語説も時間の順序を無視した暴論だと思うのです。
おおくぼ
2011/12/11 19:35
>生徒が別の順序ルールを発見している気もします。

ああ、これは経験主義的にルールを見つけちゃうパターンでよくありますね。

http://homepage1.nifty.com/moritake/sansu/5/taniryo02.htm
>この式を説明していると、こんなつぶやきをした子がいた。
 ・テントウ虫もみはじくんも、上のところには、一番大きな数が入るよ。
 一番大きな数は、上に入る、というきまりを見つけたことで、一層間違えが少なく計算することができた。

おいおい、訂正しないとまずいだろうが・・・と突っ込みたくなる。一番大きな数が入るのは、当面は割り切れる問題視か出さないからであって、教える側はむしろこういう誤解をさせないように教える必要があるのだが・・・
積分定数
2011/12/11 20:11
>これは経験主義的にルールを見つけちゃうパターンでよくありますね。

奇数+奇数=偶数 みたいな正しいルールならいいんだけど、ここでいう「ルール」は「似非ルール」の事。

積分定数
2011/12/11 20:17
>あと遠山啓さんは、分数同士の割り算を理解しやすくするために、「一つ当たり幾つ分」という書き方を導入しました。

あと、かけ算には新しい量を生み出す力があるというような事もありますね。加減だと、そうはいかないというようなことも言っていますね。

しかし、縦3p横4pの長方形の面積を考えた場合、1あたり×いくつ分で3×4を理解しても、
横1pあたりの面積が3p^2だからそれが4つ分で、
つまり、3p^2+3p^2+3p^2+3p^2
あるいは、3p^2/p×4p であって、
p×p=p^2 というのは出てこないと思うのだが・・・

このあたりの単位の処理が明確になったのは私の場合、高校で物理をやったときだけど、それまではそれほど意識しなくても何とかなったわけで、遠山啓の言うことも、「そうなのかな?」と疑問に思える。

積分定数
2011/12/11 22:31

> つまり、3p^2+3p^2+3p^2+3p^2
> あるいは、3p^2/p×4p であって、
> p×p=p^2 というのは出てこないと思うのだが・・・

 あらかじめ結論を知っている大人が言ってることですから…


 単位の処理は数学というより、物理の範囲ですからねぇ…

 極端な話、おはじきを格子状に3×4に並べても、3個×4個=12個^2 なんてやる人はいない。現物を見れば、個^2 はおかしいと分かるわけですから。

 静止している2つの点電荷の間に働く力は、電気量の積に比例し、距離の2乗に反比例する。
→ 「それじゃ、 C = N^(1/2) m だな。

 並行して流れる単位長さあたりの電流にはたらく力は、電流の積に比例し、距離に反比例する。
→ 「それじゃ、 A = N^(1/2) だから、 C = N^(1/2) s だな。」

 こういうのをどう処理するかはもう物理の問題で、実験結果と矛盾しないように決めるしかないわけで、紙と鉛筆で完結するものではない。
鰹節猫吉
2011/12/12 01:06
1個50円の菓子を3個買うと、代金は150円個?と疑問に思い、1個50円は50円/個ということか、自問自答して納得したのは高校時代に物理を勉強したとき。

 生徒にも、単位があっているか確認するように言うが、あくまで確認であって、単位を頼りに式を立てることはしないように言っている。単位だけみたら運動エネルギー=mv^2としかねない。単位が等しくても同じ種類の量とは限らない。力のモーメントはエネルギーと同じだが、エネルギーとは全く違う。

 単位なんてある程度恣意的であって、のべ仕事量の単位は「人」「日」「人日」どれでもいい。

 3人が4日働いた場合、単位が「人」なら、1日あたり3人で4日だから、3人/日×4日 という具合。
積分定数
2011/12/12 08:16
>力のモーメントはエネルギーと同じだが、エネルギーとは全く違う。

力のモーメントの単位はエネルギーと同じだが、力のモーメントとエネルギーとは全く違う。


 かけ算が、累加か「1あたり×いくつ分」かなんて、さほど重要なこととは思えないが、遠山啓が言うとそれっぽく聞こえてしまうのが不思議。
積分定数
2011/12/12 08:20
速さ60q/hで3時間の距離は?

単位がどうこうなんて考える必要もなく、1時間で60qで3時間だからその3倍とすればいいだけ。

単位に拘ると、

60q/h×3時間=180q

あるいは、

1時間で60qの部分で、60q
3倍というのは、3時間/1時間=3 (単位なし)
で、60km×3=180q

「1時間あたり60q」だと、60q/h
「1時間で60q」だと、60q

などと言葉の微妙な違いで判断させようとする教師が出かねない。

速さ1q/hで3時間だと3q、だからその60倍、という考えもあり得る。

基準量×倍がわかりやすいと思う。基準量自体も、単位量×倍である。5mは、mが5個分。
積分定数
2011/12/12 08:30
遠山啓さんの本は読めば理解できるけど、銀林浩さんの本は読んでも理解できない。
読んで理解できないものは、具体的にどこが悪いのか批判できない。
困った。
森毅さんの本も平易な言葉で書かれている部分が多いけど、かなり難解。
おおくぼ
2011/12/12 19:39
遠山啓さんの教育理論は、黒表紙教科書や緑表紙教科書の批判として作られています。
「現在の文科省」の教育理論は戦前と大きく違うので、数教協と共通する部分が多いと思うのです。
「現在の文科省」は数教協の「量の体系」は採用していませんが、遠山啓さんが批判した「数え主義」ではありません。
数教協の「量の体系」は魑魅魍魎な似非物理学であって、百害あって一利なしと思います。
数教協と「現在の文科省」を比較すると、「現在の文科省」の方がましだと思うのです。
権力VS反権力という図式で考えると、数教協に肩入れしたくなりますが・・・。
おおくぼ
2011/12/12 21:23
>長方形を横×縦でバツにする教師(結構いるようである)の1人は、「子どもがどこを横、どこを縦と見たのかを確認するため」と言っているらしい。

子どもが,どれがお茶碗で,どれが箸なのかを覚えているかを確認するため,お茶碗を先に,箸を後に洗う,と子供に家事を教えるみたいな話。

確認したければ,「どれが茶碗?」と尋ねれば済むし、お茶碗と箸を逆に覚えて,洗い方も逆に覚えていれば,確認出来ないし。
zorori
2011/12/12 21:42
> 新人先生なぜ辞める……大半は「精神疾患」

http://benesse.jp/blog/20111212/p2.html
おおくぼ
2011/12/13 08:25
>「新規採用」の先生、実は多くが「講師」

http://benesse.jp/blog/20111017/p1.html
おおくぼ
2011/12/13 08:30
>zororiさん

同感です。しかも長方形なんて、どっちを横でどっちを縦かを意識する必要もないから、「確認」の必要性が更々分からない。

順序派はなんでああやって次から次への訳の分からない理由をだしてくるのか?

順序派は、4人に3個ずつ蜜柑を配る、4を1あたりなどというのは、ひねくれた屁理屈だと言う場合があるが、順序派の方がずっとひねくれた屁理屈をでっち上げている。
積分定数
2011/12/13 11:51
>森毅さんの本も平易な言葉で書かれている部分が多いけど、かなり難解。

遠山啓の文章は格調高い感じがして、それに騙される人も多いと思う。一方、森毅は真面目に論評するのが野暮と思わせるような文章。学園紛争のことの吊し上げで学生が「論理が矛盾している」と追求するのに対して、「論理なんてとりようでどうとでもなる」と平然としていたのは数学科の教官だったという話しも良く出す。こういわれると、「ここでこういっているが、そうするとこっちでこういっているのと整合性がない」などと反論する気が起きない。「おもろいこというおっさんだな」と流すのが無難となってしまう。

 藤原正彦にも感じる。「論理より情緒」ということで、論理的批判がかわせるように思える。当人が意識しているかどうかは分からないが。

 宮崎学もそうだね。「俺は無責任な人間」と宣言することで、「無責任だ」という批判が野暮に見えてしまう。
積分定数
2011/12/13 12:00
藤原正彦さんの『国家の品格』は「ダメな論理」の典型。

http://d.hatena.ne.jp/Yasuyuki-Iida/20070129
おおくぼ
2011/12/13 16:35
遠山啓さんの本を読んでいいと思うのは、基本的な概念をしつこく説明していることです。
「点、線、面」は経験で小学生でもわかりますが、数学的に高度になると、ついていくのが難しくなります。
幾何学にしても「円と三角形の関係」がしっかりわかってないと、高校数学で出てくる三角関数を理解することが困難になります。
瀬山士郎さんや小島寛之さんも遠山啓さんの路線で啓蒙書を書いていますが、難度が高くなりすぎです。
小学校の先生には難しすぎです。
銀林浩さんは論外。
おおくぼ
2011/12/13 23:39
>「ダメな論理」

そもそも「論理」だと思っていなかった。金払うのアホらしいので図書館で借りたが、結構順番待ちだった。あの本自体よりもああいうのが売れる世の中に憂鬱になった。

 で何が書いてあったんだっけかな、あまり覚えてないや。何かいてあるかもよく分からないから、特に批判もしなかった。
積分定数
2011/12/13 23:53
遠山啓「ひとりひとりを生かす教育 競争原理を超えて」(太郎次郎社)を読んでいる。

テストがその子が何を理解して、何を理解していないのかを判断してその後の指導に生かすということではなく、序列化に使われているという事を批判している。

 テストの点数の付け方も恣意的だという話で、「氷が溶けたら何になる?」という問いに「春になる」と答えたという話が出てくる。「水だけが正解とは限らない」ということだと思うが、そうであるなら当然、かけ算の順序が逆だからとバツにするのはおかしいと言うことになるはず。

 遠山啓信奉者の順序派はどう考えるのだろうかと思うのだが、彼らは都合良いところだけをつまみ食いするんだよね。

http://sudahato.jugem.jp/?eid=3
>かけ算は、三者の単位が違う計算
>かけ算は基本的にすべて、新しい単位を作りだす演算です。
>面積の場合は(長さ)×(長さ)=(面積)で、前2者は同じ量に見えますが、縦の長さどうしを掛け算して面積を出すことはできませんから、やはり縦の長さと横の長さという2種の量から別の量をつくりだしています。

知ったかぶりが嘘出鱈目を最もらしく主張するのが「かけ算の順序」論争の特徴。同じ量のかけ算が出来ないなら運動エネルギーの1/2・mv^2のv^2はどう解釈するのか?
「それは、力maを位置xで積分したもので、元の形に戻せば、同じ量のかけ算ではない」とでも言うのかな?
じゃあ、中学数学で出てくるy=x^2はどう解釈する?
積分定数
2011/12/14 01:11
http://sudahato.jugem.jp/?eid=4
拍子抜けした。このかけ算の順序のテストをめぐる問題は、38年前からまるで進展していない。
 この文で遠山先生は「投書をみると、ほとんどがマルをつけるかバツをつけるかについてだけ気をとられて、テストの意味そのものに立ちかえって考えたものはなかった」(量とはなにかT 115ページ)と指摘し、この採点から出発することでどのような考察・授業を産み出せるかについて論じている。

「かけ算の順序」論争の発端は、子どもがバツになって親が驚いて、ということが多いが、「丸かバツか」という部分だけの問題ではない。それを発端部分の○×の話に矮小化して、「些末なことだ」というのも遠山啓信奉者かつ順序派の特徴かもしれない。

http://9114.teacup.com/seisann/bbs?page=2&&TEACUPRBBS=ebf83880f6b40ec63d6466c967a500c7
Re: 「かけ算には順序があるか」書評 投稿者:あ|き|ま|つ 投稿日:2011年 7月13日(水)16時00分2秒 返信・引用
「コメント」をみつけられませんでした。
この本はみていないのですが、Twitter などでよく見るのが、
かけ算の順序を逆に書いて×にされたのは不当だ」というはなしで、
かけ算の意味とは別のことになっています。


いったい、「順序」論争のどこを見ているのやら。「○か×か」という部分しか見ないで、「○×の話ばかり」と言っているとしか思えない。
積分定数
2011/12/14 01:12
「遠山啓」信仰は「数教協」の創始者だからでしょう。
釈迦や孔子やモーゼやキリストやマホメットと同じですね。

訂正
瀬山士郎さんの本は、わかりやすい本もあります。
おおくぼ
2011/12/14 07:05
http://sudahato.jugem.jp/?eid=3

このブログ記事はムチャクチャですね。

>1あたり量がなければ掛け算ができない。

これは「一つ当たりの量が一定でないと困る」という話であって、「一つ当たりの量」がなくても掛け算はできます。
例えば「縦×横」を、「1あたり量×いくつ分」と解釈することもできますけど、普通はそう考えないでしょう。

また「1あたり量×いくつ分=全体量」は、「いくつ分×1あたり量=全体量」でもいいわけですから、順序問題と関係ないし。

> かけ算の可換性という「科学的真理」をふりかざし、学校という組織の理不尽に立ち向かうガリレイのごとき姿。いや、勇ましいようで、かなりの安全地帯ですよね。そこ。

「科学的真理」と「数学的真理」は違うし、「科学的真理」を無視する先生がいたら問題だと思う。
アメリカの進化論否定論者みたいになってしまう。
おおくぼ
2011/12/14 07:38
積分定数さん

>じゃあ、中学数学で出てくるy=x^2はどう解釈する?

以前私が紹介した文章を読んで頂けなかったのでしょうか。
再掲します。
> 乗法・除法 代数系としては同じ可換群であっても、量として考えるとき加法と乗法は全く違う。加減法が同じ次元内での演算であるのに対し、乗法・除法は違う次元の量を掛けたり割ったりして、また新たな次元の量を作る(長さ×長さ=面積、道のり(長さ)÷時間=速度)。つまり乗法や除法はそれを繰り返すことでどんどん新たな世界を創っていくのである18。一方、同じ次元の量の比(ratio)をとることで無次元の量(スカラー)が得られ、逆に2 倍、3 倍というように無次元の量をかけて(スカラー倍)同じ次元の量を作ることもできる。
逆に、「数」は単位量との比を取っているから常に「無次元」であり、したがって掛け算をしても「同じ世界」に止まっている。この区別ができて(デカルトによる)初めて文字式の四則演算が可能になった。
釈迦に説法
2011/12/14 18:17
>つまり乗法や除法はそれを繰り返すことでどんどん新たな世界を創っていくのである18。

そうなんだろうか?
おおくぼ
2011/12/14 22:04
http://sudahato.jugem.jp/?eid=3に対する疑問です。あるいは、釈迦に説法さんは、

>かけ算は、三者の単位が違う計算
>かけ算は基本的にすべて、新しい単位を作りだす演算です。
>面積の場合は(長さ)×(長さ)=(面積)で、前2者は同じ量に見えますが、縦の長さどうしを掛け算して面積を出すことはできませんから、やはり縦の長さと横の長さという2種の量から別の量をつくりだしています。

に同意するのでしょうか?
積分定数
2011/12/14 22:11
>>面積の場合は(長さ)×(長さ)=(面積)で、前2者は同じ量に見えますが、縦の長さどうしを掛け算して面積を出すことはできませんから、やはり縦の長さと横の長さという2種の量から別の量をつくりだしています。

言葉使いの混乱は,間違いが分かりやすいと落語になり,難解だと哲学の問題になります。
この屁理屈の混乱ぶりはほとんど落語ですが,落語がなぜ面白いかという野暮な解説を試みます。

「求めるべき量(長方形の面積)」と「その解法(計算方法)」は1対1に対応していません。解法は複数有るからです。逆に,一つの解法で求められる量が表すモノも必ずしも一つとは限りません。鰹節猫吉さんがコメントされているように,エネルギーと力のモーメントは単位は同じで,「力×距離」という同じ計算式で計算しますが,別のモノです。

このことから考えると,「縦の長さどうしかけ算したモノは何か」という問いかけは,「解法」によって「求めるべき量」の概念を定義しようとしているわけで,根本的に勘違いしています。例えば,「長方形の縦の長さと同じ辺の長さを持つ正方形の面積」と考えることも出来るし,あるいは別の新しい量の概念を作り出しても良いです。いずれにせよ,そのようなことは数式の適用の問題であり,数式の問題では有りませんね。

数式は,様々な異なる対象に共通する抽象的概念を扱っているのであり,だからこそ応用力があるのだと思います。ところが,逆に数式と適用対象を1対1に対応させようとして、非常に不自由なものにしているわけですね。
zorori
2011/12/15 06:19
数学では別に単位を考えなくても良いのです。それでもなり立つ抽象概念を扱っているのです。もちろん単位を扱っても構いませんが、本質的な問題ではありません。

単位量 1m^2がn個のことをnm^2というと取り決めていれば、3m×5m=15m^2、は 3×5=15,1m^2が15個で15m^2 と考えても良く、別に掛け算が新しい世界を作っているわけではない。新しい世界を作っているのは、物理の世界で物理量の意味を考えている段階です。力×距離という単位が新しい物理量を作るのではないことは、前のコメントで述べています。
zorori
2011/12/15 06:33
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/1210/467390.htm?o=0&p=0
▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽
蛇足ですが・・・ ぷー 2011年12月14日 17:57
(中略)
順番を入れ替えても同じだと考えてしまう人は、「算数」の段階
では問題ないのですが、数学になったとたんに行き詰まる可能性が
高く、もちろん物理や化学のセンスは全く無いと断言できます。
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△


ぷっぷっぷーーーーーーー



多数の数学・物理教師・講師、数学者・物理学者はセンスがないようです。
私とか黒木玄さんは、特に駄目駄目だね。

数教協系の数学者・物理学者は大丈夫そうですね。



蛇の絵に足を書き加えるのは間違いだから、この人の本意は逆の意味だろうか?と勘ぐってしまいたくなるほどアホな意見。
積分定数
2011/12/15 08:17
しかし、「かけ算の順序トンデモ言説」の双璧をなす↓にはさすがに及ばない。まだまだ修行が必要ですね。

http://kurilin.moo.jp/diary2006-11-2.html
▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽
掛け算の原則。
それは、「A×B=C」という場合、AとCの単位が一致していること。
この理屈を壊すと、モノの考え方自体が崩壊してしまう。
(その理由説明まではさすがに割愛させてもらうが。)
上記例の場合、求めたいのは色紙の数だから、単位は「枚」。
つまりCの単位は「枚」である。
するってぇと、逆説的に、Aの単位も「枚」でなくてはおかしい。ゆえに「A=5」。
……という検証方法もありますわな。
理数系が壊滅状態だった僕ですら、このくらいは言える。
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△
積分定数
2011/12/15 08:18
http://www.inter-edu.com/forum/read.php?903,1013957,page=5
▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽
小学校の文章問題で扱う「量の世界」では成り立ちません。
「距離=速さ×時間」は正しく,「距離=時間×速さ」は間違いです。
「外延量」=「内包量」×「外延量」であって,「外延量」=「外延量」×「内包量」は間違いなのです。
電力=電圧×電流,なのか?,電力=電流×電圧,なのか?・・・・これは大学で「正しい式とその理由」を学ぶでしょう。
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△


改めて読んでも、あきれかえる。アホな意見が横行する「かけ算の順序」界隈だが、この2つは異彩を放っていて他の追随を許さない。

 これを超えるトンデモ言説は、今後登場するのか?


「かけ算の順序は間違っている」ということで始めた活動だったが、いつの間にか「順序擁護のトンデモ言説」蒐集マニアになってしまったw

手段が目的になってしまうのは、「かけ算の順序」同様。「かけ算の順序」はそもそも「手段」にもなり得ていないのだが。
積分定数
2011/12/15 08:25
>例えば,「長方形の縦の長さと同じ辺の長さを持つ正方形の面積」と考えることも出来るし,あるいは別の新しい量の概念を作り出しても良いです。

三平方の定理の証明で、各辺の2乗を正方形とするのがあるけど、直角部分の頂点から垂線を引いて、3つの相似な三角形を作り、相似比を利用することでも証明できます。

斜辺の2乗などを、「正方形の面積」と意味づけして証明するのは構わないが、「正方形の面積」と意味づけなくてはならない義理もない。

 数学や物理をまともに理解したら、ブログ主のような見解は出てこないと思います。

 しかし、なぜみんな根拠もなく断言しちゃのだろうか?
積分定数
2011/12/15 08:42
「かけ算の順序トンデモ言説」というのは、数学じゃなくて哲学になっているんですね。
しかも支離滅裂な哲学だし。
この場合の「哲学」は、「自分の体験に照らし合わせて独自の意味付けをした」という意味ですけど。



「縦×横」を「掛け算の順序」の例として考えるのは、わかりやすいからだと思うんですが・・・。
何故かとんでもない世界に突入している感じ。
魔空空間に引きずり込まれそうです。
「縦×横」が、どうして「横×縦」じゃダメなのか説明できる人はいるんでしょうか?
「1当たりの量×幾つ分」も「幾つ分×1当たりの量」ではダメなのか説明できるのでしょうか?
「教祖様が決めた」とか、「偉い人がそう言っている」とか、「日本の伝統」みたいな答えしかないと思うのです。
あるいは「理由は説明できない。ゆえに正しい」とか・・・。
おおくぼ
2011/12/15 10:29
>つまり乗法や除法はそれを繰り返すことでどんどん新たな世界を創っていくのである18。

重さ16kgの鏡餅を2つに3回割ると・・・。
16÷2÷2÷2
繰り返すことによって「新たな世界」が創られているのだろうか?

>この区別ができて(デカルトによる)初めて文字式の四則演算が可能になった。

??? 意味がわからない。
おおくぼ
2011/12/15 11:40
>つまり乗法や除法はそれを繰り返すことでどんどん新たな世界を創っていくのである

質量と値段を掛けた「円s」、
長さに電流を掛けて温度で割った「Am/℃」

などどんどん出鱈目な単位を作ることは出来るが、新しい世界を作っているのでしょうか?多世界解釈?
積分定数
2011/12/15 13:36
積分定数さん
私がどのように考えたかは、関係ないと思います。
以前ご紹介したように、この文章は、浪川幸彦先生委員長、森田康夫先生が副委員長、上野健爾先生、新井紀子先生他が委員で作成された文章なので、日本の掛け算の基本的な考え方であると認識しております。少なくとも数学が分かっていない方々ではありません。
まったく、釈迦に説法ですが、このあたりにつては、理解された方がよろしいと思います。

おおくぼさん
>重さ16kgの鏡餅を2つに3回割ると・・・
次元があるのは、 16kgだけで、あとは無次元のスカラーです。従って答えは同じ次元になります。先の文章をご参照ください。

  次元×次元=新しい次元
  次元×無次元(スカラー)=同じ次元
  無次元×無次元=無次元  (数の掛け算)

>??? 意味がわからない。
大変残念ですが、おおくぼさんの理解が足りないからと思います。
まったく釈迦に説法ですが、この程度がわからないとなると、ここでの議論全体が低く見られます。次の4ページあたりをご参照ください。極めて常識的な範囲かと思います。
http://www-cc.gakushuin.ac.jp/~851051/maed/09snakamura.pdf
釈迦に説法
2011/12/15 14:15
釈迦に説法さんへ

残念ですが、私には全く理解できませんでした。
釈迦に説法さんの常識の範囲が、私には常識の範囲ではなかったみたいです。
しかし、ここでの議論のテーマは「小学校の掛け算(二年生向け)」なので、私のレベルでも十二分だと思います。
おおくぼ
2011/12/15 16:52
おおくぼさん

こちらも分かりやすいのでご参考までに。
http://aozoragakuen.sakura.ne.jp/taiwa/taiwaNch01/node38.html

みなさんを非難するつもりはございません。
私がかけ算が新しい量をつくり出すと主張するつもりもございません。以前、シェマの誤りについて指摘したように、ちょっと拝見していると危うい記述があるように思いました。
量のかけ算が新しい量をつくるというのも、数教協だけでなくいろいろな数学者も書かれていますから、そうしたものを読んでいる人たちには、
>知ったかぶりが嘘出鱈目を最もらしく主張するのが
と書かれていると、「どっちがだ」とつい思ってしまうのではないでしょうか。
内包量を虚構というのも、すでに学会でも評価されている数学者の方々がその概念を使っているのですから、「こいつ本当に数学分かっているのか?」と思われてしまうとも思います。
たぶん、みなさんは数学がよく分かっていらっしゃるので、釈迦に説法ですが、ちょっと気になりましたので、指摘させていただきました。
釈迦に説法
2011/12/15 17:53
>内包量を虚構というのも、すでに学会でも評価されている数学者の方々がその概念を使っているのですから、「こいつ本当に数学分かっているのか?」と思われてしまうとも思います。

これは、ヒューリスティックな考え方ですが、学問には向きません。学会で一つの業績で評価されている学者が、別の仕事では間違うのはよくあることです。専門的な事が分からない素人は権威を判断の目安にする必要もあるとは思いますが、その場合でも、学会で評価されている主張を信頼すべきであって、評価されている人がいうからと信頼するのは危ないと思います。

zorori
2011/12/15 21:43
>縦の長さと横の長さという2種の量

どこかで、積分定数さんも書いていたと思いますが、

円の面積,π×(半径)×(半径)では、縦の半径と横の半径という「別の量」になるのだろうか?
zorori
2011/12/15 21:51
>内包量を虚構というのも、すでに学会でも評価さ
>れている数学者の方々がその概念を使っているの
>ですから、「こいつ本当に数学分かっているのか
>?」と思われてしまうとも思います。

なるほど。
では、内包量・外延量を虚構という時には必ず
 「電流が内包量・外延量のどちらであるか、
  決められる人はいない」
と付け加えるようにします。
ゴルゴ・サーディーン
2011/12/15 22:34
>この文章は、浪川幸彦先生委員長、森田康夫先生が副委員長、上野健爾先生、新井紀子先生他が委員で作成された文章なので、日本の掛け算の基本的な考え方であると認識しております。

もしかして遠山啓さんが「釈迦に説法さんが引用したことと同じこと」を主張しているかもしれないと思って、『無限と連続』(岩波新書)の第三章「創られた空間」と第四章「初めに群ありき」を読み直したのですが、該当する箇所は見つかりませんでした。
『無限と連速』には、座標とN次元の関係については詳しく書いてあります。
もしかすると、遠山啓さんの他の著書に書いてあるのかもしれません。
おおくぼ
2011/12/15 23:00
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/1210/467390.htm?o=0&p=0

トピ主です。(続き)小2の母(トピ主) 2011年12月15日 14:42
では絵を描かせた話が追加されていて、実際5+5で考えていたらしいことが推察されますね。
TN
2011/12/15 23:32
>釈迦に説法さん

だからあればあのブログ主に関してのコメントなんだけど・・・

内包量が虚構でないというなら、これまで出てきた疑問について答えていただきたいのですが。また使っている数学者って具体的に誰ですか?
積分定数
2011/12/16 00:25
>この区別ができて(デカルトによる)初めて文字式の四則演算が可能になった。

そんな区別ができなくても、可能だと思うんですが・・・。
おおくぼ
2011/12/16 04:51
「この区別」は、量と数の区別のことで、数について、1乗・2乗・3乗などうしの加減ができるようになったと、数学史にあったはずです。
 
 たぶん、このブログで、釈迦に説法さんの指摘に納得している少数派のメタメタでした。
 
メタメタ
2011/12/16 10:57
釈迦に説法さんの紹介したpdfファイルから引用します。
http://www-cc.gakushuin.ac.jp/~851051/maed/09snakamura.pdf

>そして「連続的な(幾何学的なこと)ものであれ、離散的(代数的なこと)ものであれ、いかなる種類の量に関しても提起されたあらゆる問題が一般的に解ける、まったく新しい学問」の構築を目指すことになる。
10頁から

>そして古代ギリシア数学の制約を大きく超えたのが、単位を導入してすべての量を線分の長さで表すという卓見であった。a2、a3、などの書き方もデカルトが始めた。古代ギリシアではa2 は正方形の面積、a3 は立方体の体積と決まっていて、それら次元の異なるものをまぜこぜにすることなど考えられなかったが、デカルトによって何次の式でも線分で表されることになったのである。
11頁から
おおくぼ
2011/12/16 14:06
追記
同じpdfファイルに日本の関孝和(1640年頃〜1708年)の業績との比較があります。

>なお参考までに、日本の和算の記号について一言述べておきましょう。ニュートン、ライプニッツと同時代の天才関孝和は、傍書法と呼ばれる記法を考案して高次方程式を解きましたが、算木式に数を書いた脇に係数などを書く方法にはやはり限界がありました。次の図は、−c+(ab−c2)x+(a−2b2)x2−x3=0 を表していますが、これでは、工夫を重ねて高次方程式を解くのが精一杯ですね。関孝和に関数概念の萌芽が見られるといっても、これでは関数概念が発達しなかったのも当然だと思えます。
8頁から引用
おおくぼ
2011/12/16 15:14
>量のかけ算が新しい量をつくるというのも、数教協だけでなくいろいろな数学者も書かれていますから

それは私だって否定しない。

>つまり乗法や除法はそれを繰り返すことでどんどん新たな世界を創っていくのである

でも、こんな「どんどん新たな世界を作っていく」というほど仰々しいものなの?

それほど神秘的な何かがあるわけじゃない。

面積にしたって、まず広いとか狭いとかの感覚があって、基準量のいくつ分かで面積を表記しようということ。畳とか坪とかがその基準量だけど、一辺1mの正方形も基準量として使えるな。そうすると、縦3m横4mの長方形だと、一辺1mの正方形12個分だな。そうやって掛けて求まるんだから、単位もm^2とすれば都合いいな。

てなことで、長さと長さを掛けることで、面積という新しい世界が出来る訳じゃないでしょ?

円^mkgA/秒とか、どんどん出来る訳じゃないでしょ。
積分定数
2011/12/16 15:50
>次元×次元=新しい次元
>次元×無次元(スカラー)=同じ次元
>無次元×無次元=無次元  (数の掛け算)

なんでスカラー?
例えば「ベクトル×ベクトル」というのはあるのだろうか?

次元×次元というのは、縦の長さ(1次元)×横の長さ(1次元)=面積(二次元)あるいは、縦の長さ(1次元)×横の長さ(1次元)×高さ(1次元)=体積(三次元)から来ていると思うんだけど・・・。
座標軸が増えるということを掛け算との関係は、そんなに単純なのだろうか?

おおくぼ
2011/12/16 18:34
追記

ベクトルの外積は、「次元×次元=新しい次元」という気もする。
おおくぼ
2011/12/16 19:09
回答あるかな?

http://9114.teacup.com/seisann/bbs

積分定数
2011/12/16 19:52
メタメタさん、

>「この区別」は、量と数の区別のことで、数について、1乗・2乗・3乗などうしの加減ができるようになったと、数学史にあったはずです。

この部分は,単位のある具体的な量から,抽象的な数の概念が生まれて,数学が出来たってことで、ごく普通の見解ではないでしょうか。抽象的な数の概念なしに文字式はあり得ず,いちいち具体的量で表すしか有りませんから。そして,抽象的な数の演算規則はあらゆる現実の具体的な量に適用出来る一般性を持つわけですね。ところが,抽象的な数では成り立つ交換法則は具体的な量には適用出来ないと、言う人のが順序派。

抽象的な数では2乗でもかけ算でも自由に出来るわけです。そう言う意味では計算をどんどん繰り返せる新しい抽象的世界を生み出したと言えます。しかしながら,具体的世界では,勝手に(質量)×(円)という量を作ってもそれが現実の世界に存在するのか,存在したとして何を意味するのか分かりません。一方,面積などは,具体的世界に現実に存在しており,その意味は誰もが理解していて,それに,一般的抽象的数のかけ算は当然適用出来ると言うに過ぎません。抽象的数が現実の世界の面積などの新しい「量」をどんどん作り出しているわけではありません。例えば、エネルギー÷絶対温度 という計算をしたことによって、熱エントロピーという量が生み出された訳ではありません。この新しい世界を理解するには計算とは別の思考が必要です。

>つまり乗法や除法はそれを繰り返すことでどんどん新たな世界を創っていくのである

釈迦に説法さんご紹介の文章のこの部分は筆者の意図は不明ですが、問題ありだと思います。
zorori
2011/12/16 20:48
>「この区別」は、量と数の区別のことで、数について、1乗・2乗・3乗などうしの加減ができるようになったと、数学史にあったはずです。

デカルトは、「違う次元同士を計算してはいけない」という呪縛を解いたのだから、逆だと思うんですけど。

おおくぼ
2011/12/16 20:54
>つまり乗法や除法はそれを繰り返すことでどんどん新たな世界を創っていくのである

世界を表現するのに数式が利用されているのであって、数式が世界を創っている訳じゃないですよね。

順序派から反順序派に考えを改める人はいましたが、反順序派から順序派に改める人はいるのでしょうか。
順序派の説明をいくら見ても算数で逆順を×にしなければならないのか理解不能です。
状況から数式は考えられますが、抽象化された数式から状況は分からなくて当然ですよね。
TaKu
2011/12/16 21:16
>世界を表現するのに数式が利用されているのであって、数式が世界を創っている訳じゃないですよね。

私が言いたかったことはそういうことです。2つの単位の積によって第三の新たな単位が出来て、世界が拡がるとか、そんな大げさな話ではない。大したことじゃないのに、仰々しく言うことでなんかすごいことのように聞こえてしまう。

>順序派から反順序派に考えを改める人はいましたが、反順序派から順序派に改める人はいるのでしょうか。

そういえば、順→反 はいても、逆は聞いたことないですね。

>順序派の説明をいくら見ても算数で逆順を×にしなければならないのか理解不能です。

本当は順序がないことを分かった上で、敢えて順序に拘ることで、拘らない場合と比較してこれこれこういう具合に効果があった

という具体的データが示されて納得できるものであれば、

「それなら順序に拘る教え方も有りですね」と宗旨替えするつもりはあるが、幸か不幸か見たことがない。

むしろ、大人になっても順序があると思い込んでいたり、「単位が左」などという虚構のルールを深甚でいたりする人がいる。

このこと自体が、順序指導の失敗を物語っている。



積分定数
2011/12/16 22:48
私が釈迦に説法さんの書いていることを理解できない理由は、私の教養が足りないこともあるけど、「次元」という言葉の使い方にあると思う。

単位A×単位B=単位Cのように「単位」という意味で「次元」を使っているのか?

相対性理論のような意味で「次元」を使っているのか?

あるいは指数の意味で「次元」を使っているのかわからない。

ところでググってみたら、釈迦に説法さんの主張に似たようなサイトが見つかりました。

http://www.geocities.jp/maeda_hashimoto/tor/tor_ch01pr09p02.htm
おおくぼ
2011/12/16 23:27
釈迦に説法さんの主張を別の説明と比較してみます。

>乗法・除法 代数系としては同じ可換群であっても、量として考えるとき加法と乗法は全く違う。
> 略
>逆に、「数」は単位量との比を取っているから常に「無次元」であり、したがって掛け算をしても「同じ世界」に止まっている。この区別ができて(デカルトによる)初めて文字式の四則演算が可能になった。

比較として下のpdfファイルの4頁から引用します。
http://www-cc.gakushuin.ac.jp/~851051/maed/09snakamura.pdf

>一つは、記号代数学を完成したことです。前世紀末のヴィエトの画期的なアイディアをうけてそれをさらに徹底し、既知の定数を、a,b,c,d,・・・などアルファベットの初めの方で、未知数をx,y,z,・・・などアルファベットの後の方で表すことにしました。これだけではただ使った文字が変わっただけですが、デカルトは古代ギリシア以来の重い伝統だった「次元へのこだわり」を取っ払ってしまったのです。
おおくぼ
2011/12/17 00:37
引用の続き

>これはどういうことかと言うと、長さという量を2つ掛け合わせると面積になり、3つ掛け合わせれば体積になりますが、面積と長さを加えたり、面積と体積を加えたりすることは意味がないものとして、固く禁じられていたのです。この次元合わせのために次元の低い方に定数を掛ける必要がありましたし、長さを4つ以上掛ける意味もなかったのです。デカルトは巻頭で「幾何学のすべての問題は、作図するために必要ないくつかの直線の長さを知りさえすればよいということに容易に還元することが出来る」と宣言した後で、加減乗除および累乗根の作図法を述べています。そして単位(1)を導入して、何次の式でも直線上の長さとして表されるとしたのです。これによって古代ギリシアの束縛から離れることが出来ました。これこそ近世数学の離陸の瞬間といえるでしょう。デカルトによって可能になった表現法を使うと、古代ギリシアでは、x2乗=ax+b2 乗のように次元を揃えなければいけなかったものが、今度は、x3乗+bx=ax2乗+c などと書くことも可能になったのです。
おおくぼ
2011/12/17 00:37
今話題に登っている次元は、推測するに普通の空間の次元などではなく、物理量の次元というやつだと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8F#.E9.87.8F.E3.81.AE.E6.BC.94.E7.AE.97.E3.81.A8.E6.AC.A1.E5.85.83
>[仕事] = [質量][長さ]2[時間]-2
のような書き方です。物理などで計算を進めていくときに、式が間違ってないか検算するのには非常に便利です。
掛け算、割り算は結果の単位が変化したり、次元が変わったりすることが多いですが、「新たな世界を創っていく」と言うのはおささか大げさすぎる表現だと思います。
M
2011/12/17 07:42
>量の次元とは
>一般に同じ種類の量同士の間では和と差の演算が定義でき、結果は同じ種類の量になる。
>異なる種類の量同士の和や差には意味がない。
>同じ種類の量同士でも異なる種類の量同士でも積や商が定義できることがあり、その結果は演算した量のどちらとも異なる種類の量になる。
>例えば長さ同士の積は面積であり、長さの時間による商は速さである。
>このように異なる種類の量同士の間に特定の関係式が成り立つことがあるが、そのような関係式の解析は次元という概念を使うと簡単になることがある。
>量の次元とは、相異なる量の間の関係式から具体的数値を無視して量の種類とそのべき乗だけに着目した概念である。

なるほど。
おおくぼ
2011/12/17 08:25
内包量が虚構でないというなら、明確な定義を教えて欲しいです。「加法性がないのが内包量」などという噴飯ものの定義ではなく。私が唯一理解できた内包量の定義は
量ABCが A/B=Cと書けるとき、Cを内包量と呼ぶ
です。これだとABを適当にとればどんな量でも内包量と呼べることになります。
M
2011/12/17 08:26
「物理量の次元と単位」
http://macroscope.world.coocan.jp/ja/edu/clim_sys/physics/dimension.html

「次元量と無次元化」
http://macroscope.world.coocan.jp/ja/edu/computer/sabun/dimension.html

「単位がわかると物理がわかる」
http://macroscope.world.coocan.jp/ja/reading/tan_i.html

アドレスは全て同じサイトで、頁が違うだけです。サイトの著者はkikulog常連のmasdacoさん(気象学の専門家)です。
勉強になりました。

おおくぼ
2011/12/17 08:39
>この区別ができて(デカルトによる)初めて文字式の四則演算が可能になった。

デカルトは「物理量の次元」という概念を作ったことによって、代数幾何学を作ることができたわけですね。
おおくぼ
2011/12/17 08:47
>「学問としての勉強の能力ではなく、受験テ
積分定数さん:
>内包量が虚構でないというなら、これまで
>出てきた疑問について答えていただきたい
>のですが。
Mさん:
>内包量が虚構でないというなら、明確な定
>義を教えて欲しいです。

 「釈迦に説法」さんは、
 「内包量を虚構だと言うと、他人から“数
  学が判ってないやつ”と見なされるよ」
と言っているだけで、ご自身が外延量・内包
量を本当だと思ってはいない、のかも知れま
せん。

 「消防署のほうから来ました」という言葉
は、
 ・「私は消防署の職員です」
 ・「私の勤め先は、あなたの家から見て
   消防署とほぼ同方向です」
の2通りの意味になるのは、ご存知ですよね?

 「釈迦に説法」さんの話はこういう、論理
のギリギリのラインを突く言説が多々含まれ
ていると思います。
ゴルゴ・サーディーン
2011/12/17 10:39
すみません、上の投稿、よぶんな行が最初に
はいってしまいました。
ゴルゴ・サーディーン
2011/12/17 10:41
「釈迦に説法」さんは、何も主張されていないと仰っています。

>私がどのように考えたかは、関係ないと思います。

>みなさんを非難するつもりはございません。
>私がかけ算が新しい量をつくり出すと主張するつもりもございません。

仄めかしをされているだけで、議論する気はない、言いっぱなしということではないでしょうか。
zorori
2011/12/17 10:56
>数学になったとたんに行き詰まる可能性が高く、もちろん物理や化学のセンスは全く無いと断言できます。
>これは大学で「正しい式とその理由」を学ぶでしょう。
>すでに学会でも評価されている数学者の方々がその概念を使っているのですから、「こいつ本当に数学分かっているのか?」と思われてしまうとも思います。

こういうコメントのしかたは、順序論争では非常に良く見かけますが、反論する価値もないので無視しています。思考停止の一種ではないかと思います。少なくともロジックがそこで切れるのは確かです。
M
2011/12/17 14:13
私は議論に参加いたしません。
算数教育について語る材料がありません。授業の効果や生徒への影響などについても判断する根拠を持っておりません。
関心はありますので、ちょっと思ったところを指摘させて頂きました。
>じゃあ、中学数学で出てくるy=x^2はどう解釈する?
と書かれると、やはり量の次元について理解させていないような印象を持ちます。それで釈迦に説法とは思いつつ指摘させて頂きました。

内包量もあろうがなかろうが、私の生活には何の影響もありませんので、どうでもよいことですが、数学者が書かれた文章にも出てきますし、数学事典や広辞苑にも出ていますので、ちょっと気になりました。特に加法性については、単なる「たし算」として議論している方もいらっしゃいましたので、それにはどうか、と思いました。
傍観者としての単なる感想ですので、無視してください。
釈迦に説法なコメントで失礼しました。

メタメタ様
外国の文献の紹介では、タイポのママで失礼しました。ご指摘のとおりです。
釈迦に説法
2011/12/17 17:15
あっ。
ときどきは、みなさんの意見を聞きたい場合もあります。
新しい順序派の意見が出たりした場合などです。
そうしたときは、よろしくお願いします。
釈迦に説法
2011/12/17 17:44
数学史的に正確なところはわかりませんが、デカルトが次元の軛を逃れて数だけの関係として記号代数を確立することによって、解析幾何学を作り出すことができたということだと思います。なお、代数幾何学というと(言葉的にはこっちを使いたくなるのですが)もっと別のある意味高級な数学の分野になります。

そもそも2乗、3乗をsquare, cubeというとき、どうしても正方形、立方体(ルービックキューブ)が思い浮かぶので正方形と立方体を足すのはもちろん掛けるとはなんぞやという疑問が出てくるのは不自然ではないわけで。

なお、次元が異なる量の加減算は意味がないこと自体は当然いまでも正しいです。次元解析とか無次元化という言葉も現役ですし。

さらにいうと、有理関数などではあまり意識しませんが、指数関数(したがって三角関数も)などでは引数は無次元でなければならない(masudakoさんの記事にもあったかも)というのも意外と盲点かもしれません。

ってこれだけじゃ、順序の話に関係ないですね、それについてはまた後ほど書くつもりです
げお
2011/12/17 18:32
>数量のかけ算・割り算をしていると、 うまいぐあいに単位が消えてしまうことがある。 (単位が1になるということであって、ゼロになるという意味ではない。) 得られた数量は、「単位のない数」、もう少し精密な用語では「無次元量」である。 問題を単位のない数だけを扱う(狭い意味の)数学に持ちこむ際に、 ひとつの方法は、単純に数量を単位で割って数値だけにすることであるが、 実はもうひとつ、数量が無次元量になるように問題を変形する、 という考えかたもよく使われる。

「単位がわかると物理がわかる」
http://macroscope.world.coocan.jp/ja/reading/tan_i.html
から引用しました。

「物理量の次元」というのは、数学的に厳密な話ではなく、「数学を道具として使う」という視点だと思う。
畑村洋太郎さんの『数に強くなる (岩波新書) と同じ発想だと思う。
数教協の「量の体系」は厳密化を志して失敗したように思えるのけど、「物理学の次元」は臨機応変な感じがして、好感が持てる。
おおくぼ
2011/12/17 22:43
釈迦に説法さんの「 17:15分」のコメントが論理的におかしい気がする。

>私は議論に参加いたしません。
>関心はありますので、ちょっと思ったところを指摘させて頂きました。

釈迦に説法さんは、「議論に参加すること」と「指摘すること」は違うということになる。

>内包量もあろうがなかろうが、私の生活には何の影響もありませんので・・・・
>     略
>傍観者としての単なる感想ですので、無視してください。

「無視してください」というのが「お願い」なら、どうして指摘するのだろか?

おおくぼ
2011/12/17 22:59
私が、「内包量・外延量は虚構」とする根拠は、「数学者・物理学者が否定している概念」だからじゃないから、「数学者にも・・・」といわれても、・・・。

 「数学者は誰1人そんな概念を認めていない」という主張に対しては、「そんなことない。お前はろくに事実を知らない」となるのは分かるけど。
積分定数
2011/12/18 06:12
>「無視してください」というのが「お願い」なら、どうして指摘するのだろか?

指摘したいからではないでしょうか。
で、その指摘は自分の主張じゃないということにしているから、責任は持てないし、反論無用。
なにか言いたいけど、自分が批判されるのは嫌という防衛心理ではないかと。
あ、これは「指摘」したかっただけの「感想」ですから無視してください。
zorori
2011/12/18 07:52
>防衛心理ではないかと。

そうだと思いますが、本当に無視されたら困ると思うんだけど。

http://9114.teacup.com/seisann/bbs

積分定数さんの書き込みは無視されっぱなしですね。
おおくぼ
2011/12/18 10:31
要するに「偉い先生がおっしゃっているんだぞ」以外のことは書き込みません、無視してください。


本人がそう言っているんだから無視でいいんじゃないですか。


因みに、本当に内包量とやらが数学辞典に載っているのか?
日本数学会の数学辞典第4版を見たが、そういう項目は見あたりませんでした。

鰹節猫吉
2011/12/18 10:54
>みなさんを非難するつもりはございません。
>略
>たぶん、みなさんは数学がよく分かっていらっしゃるので、釈迦に説法ですが、ちょっと気になりましたので、指摘させていただきました。

釈迦に説法さんは「釈迦に説法」の意味を知っていて、謙遜として使っているとは思う。
だから釈迦に説法さんは、本当は「釈迦に説法」の意味で指摘していない訳です。
でもこれは積分定数さんが評論家の宮崎学さんについての指摘が、釈迦に説法さんにも当てはまると思う。

>宮崎学もそうだね。「俺は無責任な人間」と宣言することで、「無責任だ」という批判が野暮に見えてしまう。
おおくぼ
2011/12/18 11:10
「内包量・外延量は虚構」というのを、私は「自然数は虚構」というのと同じように理解しようと思ったのですが、ちょっと違うんでしょうか。
 自然数(正の整数)も内包量も、世界を認識するツールだが、自然数はできのよいツールだが、内包量はいろいろ欠陥があるツールという理解でしょうか。
 
 銀林さんの理解だと、「量の体系」は、遠山が1968年ごろから障害児教育にのめりこんだため、放棄され未完に終わったということですが(『いま、遠山啓とは』41頁)、私の理解では、量の体系は、現実世界と数の世界の中間にあるもので、それ自身で完成をめざすものではない、ということなのです。
メタメタ
2011/12/18 11:21
「釈迦に説法」に似て非なるものに「『裸の王様』の子供の立場から発言する」があります。
おおくぼ
2011/12/18 11:24
私は内包量と外延量は、質と量の違いと理解しています。
でも遠山啓さんは、温度の足し算で、足し算だけでは正解は得ることができない例で使っています。
例えば1リットル10度の水と1リットル10度の水を足せば2リットルになりますが、温度は20度にはなりません。
このように「足し算だけでは正解を求めることができない量の変化」で使っています。
おおくぼ
2011/12/18 11:30
追記

質と量というのは、水の温度による変化を理解するのに便利だと思います。
氷→水→水蒸気のように温度(量)によって、水の性質が変化します。
おおくぼ
2011/12/18 11:37
追記 2

参考になるのは『 数学の世界―それは現代人に何を意味するか 』(中公新書 1973年発行) 森毅&竹内啓:著です。
アマゾンの中古販売で150円ぐらいで買えます。
「掛け算の順序」論争についても議論しています。
おおくぼ
2011/12/18 11:42
> 自然数(正の整数)も内包量も、世界を認識するツールだが、自然数はできのよいツールだが、内包量はいろいろ欠陥があるツールという理解でしょうか。


欠陥があるというより、有害と表現するのが適切でしょう。

有害であり、精神の退廃であり、社会病理学の研究対象であるといえるでしょう。

鰹節猫吉
2011/12/18 11:42
「内包量・外延量」にたいする私の理解は、
「小学生むけの題材で、掛け算を1回やる
 ときにだけ有効な理論」というものです。

内包量・外延量を信奉する人の中にさえ、
「高校の学習内容には一筋縄では行かない」
と認める人がいるのに、速度・温度・濃度・
密度など限られた題材を手際よく料理するの
を見て数の世界の本質(笑)を知ったつもりに
なって威勢のいい事を言うようになる、それ
を私は「害」と見なしています。

発言小町には、まだ内包量・外延量は出てき
ていませんが、あの順序派の中にも何割か、
内包量・外延量に毒された人がいるのではな
いか、と見ています。
ゴルゴ・サーディーン
2011/12/18 12:13
上野さんも浪川さんも森田さんも個人的な知り合いです。専門の数学について議論したことがあります。

数学者として直接知っている方々が関係した文書が権威的な使われ方をしていることに違和感を覚えました。率直に言ってみっともないので止めてほしい。

以下は「内包量」「外延量」という用語に関する個人的な感想です。

ぼくが同世代以下の同僚の数学者の何人かに「内包量と外延量」という言葉を知っているかと聞いてみたら「知らない。なにそれ?」という反応ばかり。

この用語は数教協の用語なので数教協に共感を持っていた数学者以外はほとんど知らなくて当然かもしれません。

数教協は政治的にはレフトの立場です。全共闘世代であればレフトの立場の数教協に共感する数学者がたくさんいても不思議ではありません。そしてそういう仲間もたくさんいるでしょう。仲間がたくさんいれば「内包量」「外延量」という言葉を「ふつう」だと感じることでしょう。

そしてレフトの立場であれば数教協の用語が権威的に使用されることに嫌悪感を覚えるべきです。そうでなければダブルスタンダードになってしまう。

権威ある人が言っているから云々という議論はすべてなかったことにし、オープンな議論が望ましいと思います。
くろきげん
2011/12/18 12:23
>「内包量・外延量は虚構」というのを、私は「自然数は虚構」というのと同じように理解しようと思ったのですが、ちょっと違うんでしょうか。

内包量は定義が不明確です。ill-definedと言ってもいいのではないでしょうか。理解のできる明確な定義があれば「虚構」という感想は引っ込めてもかまいません。
M
2011/12/18 12:26
教育に限らず、政策に関する議論は「目標」と「方法」を分けて考えることが重要です。(経済における○○目標政策もそういう考え方。)

ぼくは小学校を卒業した時点で「8×2は正しいが、2×8ならタコ2本足になってしまうので誤まり」のように信じたままというのはまずいので、そうならないように教えて欲しいと思います。これは「目標」の話です。

教え方の「方法」に関する細かいことについては専門家にまかせて良いと考えています。

もちろん、教え方の「方法」についても個人的に言いたいことはたくさんあるのですが、それは現場の教師の方々に参考にしてもらえればよいと思っているだけで、教え方の「方法」に関する発言に強制力を持たせたくないと思っています。

しかし、デタラメな考え方を信じさせたままで小学校を卒業させるのはまずいという点については強く主張しておきたいです。

「方法」としてどんなに一理あっても、「目標」が間違っているならすべてがアウトになります。
くろきげん
2011/12/18 12:34
小学生が卒業する前に
「掛け算の正しい順序はウソでした」
というタネ明かしをせよ、というのも一つの
要求ですが、私は、小学校の範囲内でも順序
主義ではうまく行かない問題があるからやめ
るべき、と主張しています。

発言小町で積分定数さんが
 >5人家族がいて、各自が1日に1個の林
 >檎を食べます。3日間でこの家族が食べ
 >た林檎は何個ですか?
と書かれているのが、それです。

私の言う養鶏場問題を取り入れてくださった
のか、独自に思いついたのか、どちらでも良
いですが。
ゴルゴ・サーディーン
2011/12/18 12:49
積分定数さん(2011/12/16 22:48)へ

私見ですが、一時的に逆順を×にし、後に○にした場合でも問題があると思っています。
このような事例があると、学んだ事全てに対して本当に正しいのか疑問に感じる人が出てくるのではないでしょうか。
ひいては教師や教育への不信感に繋がっていくと思われます。
もしメリットが示されたとしても、デメリット(想像になりますが)が大きいと考えています。


皆さんへ
量や次元が話題になっていますが、かけ算の順序にどう結びついているのか理解できません。
一部の順序派が持ち出しているので話題になっているという認識でいいのでしょうか。
TaKu
2011/12/18 17:31
>量や次元が話題になっていますが、かけ算の順序にどう結びついているのか理解できません。

結びついてないと思います。
掛け算の順序とは直接の関係はないと思います。
連想ゲームみたいなもんです。
掛け算の順序がメインの掲示板だと思いますが、数学教育全般が議論の対象になっているんだと思います。



>小学生が卒業する前に「掛け算の正しい順序はウソでした」というタネ明かしをせよ、というのも一つの 要求ですが、

賛成です。
これは生徒よりも先生に絶大な効果があると思います。
掛け算順序教育の議論を見ていて感じたのは、教える側の意識を変えないとダメだということです。
「タネ明かし」で驚くのは先生の方だと思うのです。
おおくぼ
2011/12/18 17:47
遠山啓さんの説を自分なりに解釈すると、内包量はアブノーマルな量で、外延量はノーマルな量なんだと思います。
例えば重さがノーマルで、温度がアブノーマルです。
「例外」と言ってもいいと思います。
でも温度を内包量だと言っても、温度の求め方がわかるわけではありません。
また何をノーマルとして、何をアブノーマルとするのかは任意です。
おおくぼ
2011/12/18 17:56
>TaKuさん
>もしメリットが示されたとしても、デメリット(想像になりますが)が大きいと考えています。

そのデメリットも計算に入れての評価と言うことです。例えば、順序を導入すると、みんな算数が大好きになって得意になって、フィールズ賞受賞者が多数出て、・・・ということなら認めざるをえないかもしれません。

ようするに、順序反対原理主義ではないというだけのことです。政治的主義主張を含めて、本来はもっとこういう立場があってもいいと思います。

>量や次元が話題になっていますが、かけ算の順序にどう結びついているのか理解できません。

雑談なんであまり深く考えないで下さい。
積分定数
2011/12/18 18:25
>教育に限らず、政策に関する議論は「目標」と「方法」を分けて考えることが重要です。

このかけ算の順序に関しては、そこが混乱していて、アホらしいことになっている。

仮に百歩譲って、「かけ算の理解 だとか、理解しているかどうかの判定」という目的のために、順序という手段が妥当としても、

理解しているかどうかにお構いなく順序を強要する。「順序を間違えないように」ということでサンドイッチが登場する。

 教えている側が手段と目的の見分けがついていないことの証拠。挙げ句、手段の手段であるサンドイッチをルールだと思ってしまったり。

 あと、教師は一生懸命やっているというのも良く出る話だが、主観的思いと、それが客観的にどのようなものかの評価は別。

 地獄への道は善意で舗装されている。

 労力と熱意をそそぎ込む対象が、有害無益な順序になってしまっている。
積分定数
2011/12/18 18:47
>教え方の「方法」に関する細かいことについては専門家にまかせて良いと考えています。

私は、数学教育の専門家というのに対して、失望しました。

現場でどう教えられているのかの検証がなされていないようだ。

「こう言うことを狙いにこういう政策を採用しました」と言った場合、その政策が実際に効果があったかどうか検証すべきだと思うが。

 たまたま自分が出会ったのが「かけ算の順序」で、世の中にはこの手の話がいっぱいあるのかも知れない。
積分定数
2011/12/18 18:54
>ゴルゴ・サーディーンさん
>私の言う養鶏場問題を取り入れてくださった
のか、独自に思いついたのか、どちらでも良
いですが。

これは一昨年に教育委員会の指導主事と話し合いしたときに思いついた問題です。

>5人家族がいて、各自が1日に1個の林
 >檎を食べます。3日間でこの家族が食べ
 >た林檎は何個ですか?

当時はまだ状況がよく分かっていなくて、「4人に3個ずつ蜜柑を・・」という問題を、カード式で4×3でもいいではないか?と言ったのですが、

「問題文からはそうは読みとれない。それなら、各自に1個ずつ配り、まだ蜜柑が余っていたのでもう一度配って、という具合に配る具体的状況がわかるような問題文であるべきだ」

とか言われて、何を言っているのかサッパリ分からなかった。

そのうち、「4人に3個ずつ蜜柑を・・」などという問題文は出さないと言い出して・・・

「『3個入りの袋を4人に渡した』、という具合に何が1あたりかが明確な問題を出す」

などと言われて、唖然として・・・。それだって袋に詰めるときに各袋に・・・と考えられる。
積分定数
2011/12/18 19:55
 後から思い返すと、「カード式分配」を私は数え方の方便として言っているつもりだったのだけど、指導主事は、具体的配り方として捉えていたみたくて、だから、3個を同時に各自に渡したら、4×3にならないということだったらしい。

1,2,3,4,5,6の数字を左側から1個ずつ並べた。右端が偶数になる並べ方は?

並べる順序が指定されていても、こういうのは、右端が偶数になるのが2,4,6だから・・・とやるわけで、

「式の形を具体的状況に対応させる」という発想がなかったので分からなかった。

 「自分が文章題つくってテストに出したときに、答案に4×3と3×4が両方沢山あったら、何が1あたりかが不明確だったのではないか、問題が悪かったのではないかと反省する」

と言われたときには、この人たちとは永遠に分かり合えない気がした。

 話が通じないし話が通じない原因も分からなかった。

 林檎の問題は、「1あたりが明確でないそういう問題は出さない」と一蹴されて終わり。

 3×4と4×3で「意味が違う」というなら、
3×(4×5)と(3×4)×5も「意味が違うから」、3×4×5と書くべきじゃないのではないか?と質問したら、「3つの積は最初の段階では扱わないから」と一蹴された。

 よくよく考えたら、「小学校の間は順序を正しくという方針」と言っていたので、「かけ算の習い始め」だけのことじゃないので、つっこめたんだけど、とにかく話が通じないのでそんなこと思いもつかなかった。

 今度話し合えば、もっと矛盾点を追求できると思うけど、徒労感だけが残り思い出すだけでむかつくので、やる気が起きない。
積分定数
2011/12/18 19:56
>量や次元が話題になっていますが、かけ算の順序にどう結びついているのか理解できません。

かけ算の「意味」として、かけ算は違う種類のものを掛け合わせているという主張があって、種類が異なるものを順序に対応づけることがかけ算に順序があるという論拠になっているらしいです。その、違う種類として量に種類があったり次元が違ったりしている、という主張のようです。
M
2011/12/18 20:42
かけ算は違う種類のものを掛け合わせている「場合がある」というところまでは納得ができますが、順序派はすべてのかけ算は違う種類のもの同士の掛け合わせである、という主張に傾きがちで、全く納得ができません。さらにそれを順序に対応付けるという屁理屈は言わずもがなです。
M
2011/12/18 20:47
かけ算の意味を見出そうとするあまり、過剰に意味づけをした結果がかけ算の順序だと思っています。交換法則を無視するのはひどすぎる。順序派のかけ算はもはや実数や自然数ではありません。きちんと理解していれば、交換法則に基づいた意味づけを与えることができるはずですが、手抜き、もしくは数について理解していないのだと思います。
M
2011/12/18 20:55
手段と目的というと、白猫黒猫を連想する。

鼠を捕るなら白でも黒でもいいんだけど、鼠は捕らないし秋刀魚は横取りするなら、飼う意味がない。

猫を飼う目的が、愛玩であれば話は別。

順序派は、そもそも猫を飼わなくてはならないと思っているようだ。



積分定数
2011/12/18 22:14
>でもこれは積分定数さんが評論家の宮崎学さんについての指摘が、釈迦に説法さんにも当てはまると思う。
>>宮崎学もそうだね。「俺は無責任な人間」と宣言することで、「無責任だ」という批判が野暮に見えてしまう。

実は私自身もよく使う。生徒に、「俺も間違いがあるから」と伏線貼っておく。教える側がしばしば間違えることは、教育的にいいことである、というのを昔聞いたが、かけ算の順序は例外だね。

 ちなみに今、飲んでいるのでテキトーな事書くと思うけどそういうものだと思って下さい。

 とまた使ってしまった。

 嘘つきのパラドックスに近いのかな、とテキトーな事を書く。
積分定数
2011/12/18 22:23
天皇制に反対した左翼組織が天皇制みたくなるように、数教協も、権威になってしまったような印象がある。

 数学セミナーの別冊か何かで数学用語を解説したのがあって、森毅が反と逆について解説していた。

 逆数はよくしられているが、反数というのもある、逆は操作的で反は空間的、反の反はいかにも元にもどりそうだが、逆の逆は本当に元に戻るのか心許ない。反体制だと体制と真っ正面からぶつかる感じだが、逆体制だと、・・・。ヘルメットに「逆帝・逆スタ」と書いたらどつかれそうだ。

 てなことだけど、数教協も逆・・・・
積分定数
2011/12/18 22:34
小町に何度投稿しても没になってしまう文章↓
リンクがいけないのかな?掲載基準がよくわからん

こういう教え方もあるようです

北海道算数数学教育会小学校部会
http://hokkaido-sannsuu.com/s_sidouan.html
http://hokkaido-sannsuu.com/pdf_sidouan/02/2nenkakezan3.pdf
>自分が計算しやすいように1あたり量を任意に決めてかけ算を使う経験の積み重ねが、乗法による処理の有効性に気づかせ、生活に生かそうとする態度を養うことになる。
>式から形式的に交換法則をとらえるのではなく、「前から見ると…」「横から見るとと…」などと1当たり量を柔軟にとらえる見方こそが大切である。

「かけ算の順序」が議論になると、「そう教えることになっている」「どっちでもいいなんて言うのは大人の視点だ」「みんなそう教わったはずだ。おかしいと言っているのは、忘れてしまったからだ」などという意見が必ず出てきますが、現実に上記のリンク先のような指導をしている教師もいます。心強いです。
積分定数
2011/12/18 23:13
>因みに、本当に内包量とやらが数学辞典に載っているのか?
日本数学会の数学辞典第4版を見たが、そういう項目は見あたりませんでした

数学小辞典 矢野健太郎編 共立出版 にはありました。どうでもいいけど、共立出版のマークの蟻はいわれがあるのだろうか?
積分定数
2011/12/18 23:20
掛け算の順序教育は、サンドイッチ理論で覚える生徒を大量に生んでいるのではないでしょうか?
なぜなら(一つ当たり)×(幾つ分)=(全体量)という順序は理解しにくいからです。
受験国語の対策本でも、教育者の意図と違う理解にもかかわらず、試験で簡単に正解を導ける理論が流行る。
これは試験の弊害だと思う。
私は「試験制度を止めるべきだ」という主張ではなく、試験の正答率の高さが理解度の高さと一致しない場合があるということがいいたいのです。
とくに掛け算の順序テストは大失敗していると思う。
おおくぼ
2011/12/18 23:24
>掲載基準がよくわからん

私も、「正しい順序が出来ないと割り算でど
う困るのか」という書き込みへのレスで、順
序派の言い分はこういう事らしい、というの
と、昔、他の問題でも中学教師から見てけし
からん教え方をしていたが今ではそれは改め
られている、という話を書いたのですが、ボ
ツになってます。
ゴルゴ・サーディーン
2011/12/18 23:38
掛け算の順序教育がダメなのは、順序教育の正しさを納得できる形で説明できないからです。
国語なら許されるかもしれませんけど、算数は道徳教育ではないのですから。

どうして(一つ当たり)×(幾つ分)という順序なのか?・・・を説明できません。
(幾つ分)×(一つ当たり)では何故ダメなのか?・・・を説明できません。
だからサンドイッチ理論が流行るのです。
式の順序を交換すれば「式の意味」が変わるという説が仮に正しくても、(一つ当たり)×(幾つ分)という順序の根拠になっていません。
おおくぼ
2011/12/18 23:38
 例えば、加法の添加とか合併、減法の求補とか求差という概念は虚構だろうか?

 数学的には虚構だと思う。現に私自身、そんな概念最近まで知らなかったが数学を理解する上で困らなかった。

 教える上で、求差よりも球残の方がわかりやすいというような話なら分かる。ただし、教える側は、抽象化したら同じ事だ問い事を認識しないとまずい。

 瀬戸智子さんはそのあたりをきちんと認識していないと思う。

 内包量・外延量というのはそれですらないようなもっと曖昧な感じがする。

「理数系なら、内包量・外延量は当然理解しているはず」などと聞くと、「なんじゃそりゃ?」と思ってしまう。

数学専攻しながら、「みはじ」や「くもわ」を知らないなんて、・・・
と言われるようなものだが、「みはじ」「くもわ」は単に公式を覚える道具でそんなこと知らなくても構わないと言うことはさすがにみんな分かっていると思う。

そういう意味では、「みはじ」が「いちごパンツで本能寺」なら、内包量・外延量は「義経=ジンギスカン」

歴史を専攻した人が「いちごパンツ」を知らないからと批判する人はいないだろうが、「歴史を専攻しているのに、義経がジンギスカンとなり頼朝に復讐しようとしたことを知らないなんて・・・」という人はいるかも。
積分定数
2011/12/18 23:54
http://www.inter-edu.com/forum/read.php?903,1013957,page=5
-----------------------------
理工系大学生でこれを勉強していないことは本来ならありえません。
示量性変数と示強性変数,外延量と内包量,といった量の概念です。
-----------------------------

歴史学専攻の学生が義経がジンギスカンだったと知らないなんて本来はあり得ません。


まあしかし、小町でもトンデモが横行しているが反順序派も頑張っている。↑でのやりとりよりは幾分かまし。

 この間のネット上でのかけ算議論のなかで少しは進展があったと思う。

 チョムスキーも言っていたが、今の世の中は絶望的に思えるかも知れないが、奴隷制度が当たり前だった時代よりは進歩している。

 掛け算順序を取り巻く状況も多少は進歩していると思いたい。
積分定数
2011/12/19 00:02
遠山流内包量は、ルールというのはどんなものにも妥当するというのではなく、例外があるという話だと思う。

生徒「温度と温度を足せないのは何故?」
先生「それは例外だから。」
おおくぼ
2011/12/19 00:03
>ボツになってます。

没投稿をここに貼り付けて研究しましょうか。しかし、掲載基準がわからん。
積分定数
2011/12/19 00:04
受付停止になっちゃった
積分定数
2011/12/19 00:06
補足

正確には、温度と温度を足せないのではなく、温度と温度を足した時に足し算だけでは「正解の温度」を求めることができないということですけど。
おおくぼ
2011/12/19 00:06
小町のかけ算論争、ご多分に漏れずトンデモ発言満載
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/1210/467390.htm?o=0&p=0

私が選んだトンデモ発言はこれかな。

▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽
教師は正しい。批判は無知。
教師がアホだなんだとのレスが散見しますが、指導要領を確認してください。
当該教師は、そう教える義務がありますから。

定数aに変数xを乗じる場合、解答はaxであり、xaではありません。
xaなんてみたことないでしょ。
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△

順序の是非は考え方だけど、客観的事実関係は立場によって違うことはない。とはいえ、勘違いや推測で、「指導要領に書いてある」と書く人はいる。

しかし、

>指導要領を確認してください。
当該教師は、そう教える義務がありますから。

って、・・・・

「お前こそも確認してみろ」と言いたい。




積分定数
2011/12/19 00:24
 まあしかし、自分がそう習ったとういだけで、自信満々に「順序がある。順序がないなんて言うのは無知だ、あきれかえる」という主張が多いのにはあきれかえる。
積分定数
2011/12/19 00:28
釈迦に説法 氏が提示された資料の原文です ↓

話題になっている部分は 第2章の 2.1.2 〜 3 あたり

http://www.science-for-all.jp/minutes/download/report-suuri.pdf
鰹節猫吉
2011/12/19 00:47
小町のかけ算論争
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/1210/467390.htm?o=0&p=0

おそろしい、狂気の世界が現出しています。

> 知り合いの小学校の先生に聞いてみました。
> 毎年、ここで必ず文句を言ってくる親がいるそうです。ほとんどは、素直に納得してくれるのですが、そうでない親もいます。
> 彼らは、自分の変な教育方針や教育評論家の勝手な理屈を持ち出し、粘ります。
> ですが要は、
> ・自分の子供の間違いを認めたくない
> (我が子の出来の悪さを見たくない)
> ・点数を上げてもらいたい
> だけなのです。
> きちんと理屈を説明しても納得せず、毎日のように連絡帳や電話・メール・ファックス等で学級・学校の業務を妨害します。
> それで先生たちは最後に、国(文部科学省)の方針でこうなっている。そう言って打ち切るそうです。
> もちろん、教育委員会も恒例行事(?)なので、適当にあしらっているそうです。


あなた方が自分の頭の悪さを認めたくないから、子供の成長を妨害しているんでしょう !
鰹節猫吉
2011/12/19 01:11
>あなた方が自分の頭の悪さを認めたくないから

いや、そこは、
 × 自分の頭の悪さを認めたくない
 ○ 「自分が間違ってないだろうか?」と考える習慣が無い
では?
ゴルゴ・サーディーン
2011/12/19 02:02
「二つの異なる量から新しい量を生みす」というのもあれば、「掛け算の左側の単位と答えの単位は同じ」というのもあります。

順序の屁理屈付けとして、後者の主張が最初になされたと思いますが、長方形の面積はどうなんだといわれて、そもそもの主張を忘れて、ひねり出したのが前者のような気がします。

「二つの異なる量から新しい量を生みす」というのは、むしろ順序は関係ないという主張に近いような.
zorori
2011/12/19 06:23
>釈迦に説法 氏が提示された資料の原文です ↓
>話題になっている部分は 第2章の 2.1.2 〜 3 あたり

http://www.science-for-all.jp/minutes/download/report-suuri.pdf

読むと、「次元」という概念について混乱していると思う。

比較 ↓

http://macroscope.world.coocan.jp/ja/edu/clim_sys/physics/dimension.html
おおくぼ
2011/12/19 10:01
> > それで先生たちは最後に、国(文部科学省)の方針でこうなっている。そう言って打ち切るそうです。

公務員体質ですね。
文科省に「現在は、そんな方針はしていない」という公式発表してもらわないとダメなのかな?
おおくぼ
2011/12/19 12:18
>>あなた方が自分の頭の悪さを認めたくないから
>いや、そこは、

当人が、
>> (我が子の出来の悪さを見たくない)
という言葉を使っているからいいと思います。

しかし、こういう「学校・教師を信じなさい」という素朴な人もいるんですね。
積分定数
2011/12/19 13:40
私が内包量・外延量という言葉を知ったのは、3年前のミクシィ数学板でかけ算の順序が話題になったとき。「なにそれ?」と思った。そんなもの知らなくても数学・物理の勉強には一向に差し支えなかった。

-----------------------------
理工系大学生でこれを勉強していないことは本来ならありえません。
示量性変数と示強性変数,外延量と内包量,といった量の概念です。
-----------------------------

を見てあまりに独善的意見に唖然とした。

>かつて言語学者のバーナード・ブロックは、日本語に文法的「数」がないことから、日本人は、思考においても単数複数の区別ができないのではないか、という余計な心配をしてくれたが、日本人だって単数複数の概念は理解している。

 私に対しても、「内包量・外延量の概念を理解しないなら、濃度や割合を理解できないだろう」というのは余計な心配です。

 しかし、教条主義や原理主義者は、「内包量・外延量を知らないで濃度や割合が理解できるわけがない。きっとそれは公式に当てはめるだけの上辺の理解で本当に理解しているわけではない」とか言いだしそう。

 小町での「かけ算の順序を正しく書けないと・・・」というのに似ている。

 「俺は、内包量・外延量/順序で理解できた」という人がいることは否定しない。

「だから、教えるにはこれがいいんだ」には異論がある。

「お前も数学をきちんと理解するにはこれを理解しろ」というのは大きなお世話である。
積分定数
2011/12/19 13:55
>かつて言語学者のバーナード・ブロックは

日本語「らしさ」の言語学 城生佰太郎 松崎寛 講談社

積分定数
2011/12/19 13:58
 安部公房だったか誰だったかが、「おおかみ」をいう言葉を発明して人は安心できたというようなことを言っていた。それまでは、夜家畜を遅う、得体の知れない獣がいて、恐怖を感じていたが、「おおかみ」と名付けることで、「ああそれはおおかみの仕業だ」「なるほど、おおかみのしわざか」となった。そのことで家畜の被害が減ったとも思えないが、不安は軽減されたかもしれない。

 子どもに数学を教えている人であれば誰しも、多くの子どもが割合・比率・単位当たり量のあたりが分かっていないことを知っている。小学校高学年のあのあたりが、躓きやすいところではある。

 そこを「内包量だから」を言われて、「なるほど!内包量だからか」と納得して、教えやすくなるのだろうか?

 「これは内包量だから単純に足し算ができません」と説明して、子どもが「なるほどそうか、内包量だからか」と納得して、スムーズに理解するとも思えない。
積分定数
2011/12/19 14:06
瀬戸智子さんってやりとりしているときも全然話がかみ合わなかったけど、あれやこれやの概念を頭に詰め込んでしまって、その枠から抜けきれない人だと思う。
http://homepage3.nifty.com/jikkenn-kyositu/sakusaku/1_3.htm
数字にはね、、、」
と私は、子どもたちに内包量、外延量の話、その考え方、答え方を教えます。

って具体的にどう教えるのだろうか?

速さが内包量だろうがなんだろうが、そんなことに関係なく、3時間で12q進んだら、1時間あたりは4qである。

足し算ができるかどうかが内包量・外延量の区別だというのもよく聞くが意味不明。

電気抵抗は直列に繋ぐときは外延量、並列に繋ぐときは内包量?
電気抵抗の逆数だと反対になる?
積分定数
2011/12/19 14:17
■60℃の水20gと80℃の水30gを混ぜた温度

■20gの物体を数直線上のx=60
30gの物体を数直線上のx=80においたときの重心

■20人のクラスでの平均点が60点
30人のクラスでの平均点が80点
全体の平均は?

■時速60qで20分間走り、時速80qで30分間走る。この時の平均の速さ

これらは全て、60と80の間を3:2に分割した66になる。

「単純に足せない量」にはこの様な統一した性質がある、だから内包量という概念は重要である

などというのは真っ赤な嘘。上のはそうなる量を選んだだけ。

抵抗の合成は、そうはいかない。
pH6とpH4の液体を等量混ぜても、足して2で割ったpH5にはならない。

pHの定義、抵抗の定義、に立ち返ればどうなるかは計算できる。

「あれはこれ、それはあっち」などと分類(しかもかなり曖昧)することになんか意味があるとは思えない。
積分定数
2011/12/19 14:30
>これらは全て、60と80の間を3:2に分割した66になる。

72の間違い。失礼しました。

積分定数
2011/12/19 14:33
数教協系の本には「内包量」についていろいろ書いているけど、「内包量とは何か?」について明快な説明がない。
釈迦に説法さんが紹介してくれた文章の中にも「内包量」の説明がある。
以下引用 「2.1.2 量の性質」から

>数が数学という一つの世界の概念であるのに対し、量の場合には、それがどこの世界での数の実現であるかという「属性」を持っている。これを物理学では「次元(dimension)とよぶ。量には必ず基底量(“0”に対応する量)と単位量(“1”に対応する量)がある。もしその量に「加法性がある」(下記の外延量)ならば、逆にこれらを決めることによって、対応する「数」は当該量と基底状態との差と、単位量との比として一意的に決まる。「位置」「時刻」などがそれに当たる。相対的な関係(差)だけが問題である場合には、前者も不要である。上の例を相対化すれば「長さ」「時間」がこれに当たる。後者および「面積」「体積」「重さ」などは「何もない状態」という(自然な)基底状態がある。こうした加法的な量は「外延量」とよばれている。これに対し「濃度」はそのまま加えることができず(10%の食塩水と20%の食塩水とを加えて30%にはならない)、二つの外延量(食塩水で言えば、食塩の質量と溶液の質量)の比として定義される。このような量を「内包量」という。多くの量は幾つかの基本的な外延量を掛けたり割ったりした形で定義される。
おおくぼ
2011/12/19 19:41
かけ算の導入時に順序が重要なら×(かける)演算子とは違う演算子を創ればいいと思います。
例えば☆演算子を創って
「1つあたり」☆「いくつ分」
と記述しなければならないとします。
次のステップで
「1つあたり」☆「いくつ分」→「1つあたり」×「いくつ分」 = 「いくつ分」×「1つあたり」
と教えれば問題解決です。


戯れ言書いてすみませんでした。
TaKu
2011/12/19 20:24
積分定数さん、

>電気抵抗は直列に繋ぐときは外延量、並列に繋ぐときは内包量?

「量」の性質ではなくて,繋ぎ方の問題というのがよくわかる例ですね。「加える」という操作が足し算で表される場合を加法性があると言っているに過ぎず,足し算は加法性がある,という同義反復のようなもの。全く内容のない概念だと思います。「加える」という言葉から、一つの操作しか思いつかない場合に「量」の性質のような気がするだけ。

外延量と言われる長さ,重さなども,加法性が成り立たない加え方もあるし,内包量と言われる温度,密度も加法性が成り立つ加え方もありますね。
zorori
2011/12/19 20:47
通常,長さは加法性が成り立ち,外延量と言われるが,「直線距離」を次の様に定義すると,加法性は成り立たず,内包量になってしまう。
直線距離:2地点を直線で結んだ長さ

 A-B間の直線距離とB-C間の直線距離を加えても,A-C間の直線距離にはならないので内包量。

しかし,「A-B間の直線距離とB-C間の直線距離を加える。」と言う意味は「A-C間の直線距離」ではなくて,A-B-Cの経路の長さと考える事も出来る。すると,加法性は成り立つが,もはや直線距離ではなくなる。加法は別種の量、新しい世界を生み出す、なんて。
zorori
2011/12/19 20:54
数教協の人達の使う「量」という意味がよくわからない。
「現実」とか「単位つきの数」みたいなもんだと推測しているんですけど。
数教協にとって、「量」と「数」はどう違うのか?
「現実」と「数学」という意味で使っているのか?
おおくぼ
2011/12/19 22:10
>例えば☆演算子を創って「1つあたり」☆「いくつ分」と記述しなければならないとします。 次のステップで「1つあたり」☆「いくつ分」→「1つあたり」×「いくつ分」 = 「いくつ分」×「1つあたり」と教えれば問題解決です。

「タネ明かし」と同じなのだろうか?
掛け算の「順序を固定する命令」と「掛け算の順序は交換可能という判断」は矛盾するのではないだろうか?
それなら最初から「どちらの順序でもいい」という結論になってしまうのでは?
おおくぼ
2011/12/19 22:18
>>>あなた方が自分の頭の悪さを認めたくない
>>からいや、そこは、

>当人が、
>>> (我が子の出来の悪さを見たくない)
>という言葉を使っているからいいと思います。

そこはですね。
 「ハンロンの剃刀」
です。詳しくはWEB で検索!

     ○     ○     ○

>没投稿をここに貼り付けて研究しましょうか。

では、ひとつ。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
RE:横ですがどなたか説明してください

>1当たり量×いくつ分
>の立式ができないと、割り算でどのよう困る
>のでしょうか?

私は非順序主義ですが、順序主義の言い分(と
その実体)を自分なりに解釈したものを答えま
す。

順序主義で教えることの効果は
 「今は掛け算の単元だから、掛け算にすれば
  いいんだろ」
という具合に漫然と考え、そして問題文中に出
てくる数値を順番にひろって掛け算にする、と
いうやり方を禁止することです。
その様にやっていると割り算のときに、単純に
「大きい数値 ÷ 小さい数値」
とやってしまい、答えが 0.5 や 0.25 になる
立式が出来ないという事になります。
 ( なお引き算は、小学校のあいだは A-B か
   B-A かで迷うことは無いですね。 )

そこで、あてずっぽうなやり方をしている児童
をヒッカケるために、漫然と問題文中の順序に
並べていたらそれが露見するように「型」を設
定し、それに従うことを要求する、というわけ
です。
( 続きます )
ゴルゴ・サーディーン
2011/12/19 22:22
掛け算の順序問題は、ローカル・ルールを導入したことによって矛盾が生じていることだと思う。

1 交換法則は必要である。
2 基準量×倍の順序で、記述させたい。

この二つの要求は相容れない。
虻蜂取らず。
おおくぼ
2011/12/19 22:22
( 続き )
もちろん、非順序主義者が反対するのは、その
「型」が嘘だからです。
順序主義者は、嘘の題材で子どもを“しごく”
ことに痛痒を感じない人なのです。
<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<
以上。
ゴルゴ・サーディーン
2011/12/19 22:23
順序論争、小町から飛び火
http://okwave.jp/qa/q7196103.html#answer
積分定数
2011/12/20 08:34
Okwaveはマトモな人が多いようですが、ヘンな先生が孤軍奮闘しているようです。

鰹節猫吉
2011/12/20 12:40
http://9114.teacup.com/seisann/bbs
数教協系のこの団体は、長方形の面積を横×縦はバツという指導を是認しているようです。
積分定数
2011/12/20 14:47
--------------------------------------------------------------------------------
「かけ算には順序があるか」書評 投稿者:ひろ 投稿日:2011年 7月11日(月)20時04分4秒 返信・引用
朝日の7/10(日)の書評欄に福岡伸一の見出しの本の書評が載っている。
遠山啓、森毅を登場させて揶揄する印象を感じたのが率直なところ。
瀬山さんのhpにこの書評への明解なコメントが出ています。
気になる方はご覧下さい。
--------------------------------------------------------------------------------

最初のこれにしても、

「かけ算の順序」指導に対しての問題提起にはまったく触れないで、「身内が揶揄されていてむかつく」というレベルの話でしかないような・・・。

算数教育を良くしていこうというのが目的なら、遠山啓、森毅への揶揄云々という話より、かけ算の順序指導の方に関心を持つと思うが。

 手段である組織が目的になってしまっているのかな?宗教団体と思えばいいのだろうか?

数教教? 
積分定数
2011/12/20 14:57
藤原正彦さんの『国家の品格』などは、「戦前の日本は美しかった」という主観を絶対化した本だったりする。
掛け算は、(基準の数)×(倍)で立式するのが日本の伝統・・・というのも、同じ理屈だと思う。
自分の主観を絶対化して人に押しつけているだけ。
国語教育なら許されるかもしれないけど、算数教育では許されないはず。
おおくぼ
2011/12/20 16:40
>http://9114.teacup.com/seisann/bbs
>長方形の面積を横×縦はバツという指導を是
>認しているようです。

ただ議論したくないだけなんじゃないですか?

>(基準の数)×(倍)で立式するのが日本の伝統

最近見た議論の中で、英語圏の事情を知りな
がらなお、日本は今のままの方式がいいと言
っている書き込みを見ました。
そういうのは、算数をそういう物だと思って
いるという事ですね。
また、非順序派を「英語圏と同じにしろ」と
いう主張と思い込んでいるとも見えました。
ゴルゴ・サーディーン
2011/12/20 19:20
>「タネ明かし」と同じなのだろうか?

「タネ明かし」では「タネを明かす前」に×(かける)の左側が「1つあたり」でないとバツになると教えてしまいます。
ローカル・ルール用の☆記号(演算子という表現はよくなかったです)を用いて、かけ算の前にワンクッションをおけば、×(かける)の左側が「1つあたり」でないとバツになると教えずにすみます。

>掛け算の「順序を固定する命令」と「掛け算の順序は交換可能という判断」は矛盾するのではないだろうか?

☆記号はかけ算ではなく、左側に「1つあたり」、右側に「いくつ分」を記述する特殊記号になります。

>それなら最初から「どちらの順序でもいい」という結論になってしまうのでは?

それを教えたり、正しく理解しているか確認するのが難しいので、かけ算導入時に順序が必要らしいです。(一部の順序派の主張)
順序の考えが有用かは分かりませんが、かけ算に順序がある事と線引きしない混乱は続くと思います。

>掛け算の順序問題は、ローカル・ルールを導入したことによって矛盾が生じていることだと思う。

☆記号でローカル・ルールを明示すれば問題が減ると思った次第です。
TaKu
2011/12/20 19:51
> 「今は掛け算の単元だから、掛け算にすれば
>  いいんだろ」
>という具合に漫然と考え、そして問題文中に出
>てくる数値を順番にひろって掛け算にする、と
>いうやり方を禁止することです。

これって,掛け算と割り算を区別せずに漫然と考えていても間違わないためにと,言っているようなもの。重要なことに漫然としても良いように,どうでも良いことに漫然とするなという倒錯思考。これは危険。

今は歩いているのだから歩道を通ってもいいんだろと漫然と考えていると,将来,車を運転するときに歩道を走ったりします。そうならないために,歩道歩行は禁止,違反者は逮捕(不正解に)します。なんて警察が言い出したら怖い。

重要な事に漫然としていると,足し算も間違えます。次に示すのは,中学生の頃,知った有名なクイズ。「みはじ」みたいな順序マニュアルでは対応出来ません。釣り銭詐欺にも似た手口が有りますね。

------
学生3人が宿に泊まり,宿賃を一人千円ずつ,仲居さんに渡しました。仲居さんが,帳場の女将さんに3千円を渡したところ,学生だから割引してあげようと,500円を返すように言いました。仲居さんは返しに行く途中で考えました。500円は3人では割り切れない。もめるといけないからと,学生には300円を返し,200円は着服しました。さて,学生は,一人あたり1000円支払い,100円戻ってきたので,900円ずつ支払ったことになり,3人で2700円,仲居さんの着服分200円を足しても,2900円にしかならない。最初は3000円有ったのに,100円はどこに消えた?
-----

zorori
2011/12/20 20:27
>例えば☆演算子を創って
>「1つあたり」☆「いくつ分」
>と記述しなければならないとします。

これは,順序ルールはローカルルールに過ぎないことを明確にする点では,良いアイデアですが,どちらを一つあたりと考えるという問題は残りますね。
カード配りのような先生が「非常識」と思うものは駄目で,先生が「常識的」と思う「一つあたり」としなければならないと順序派は主張し、そんな主観的で曖昧な基準にとらわれない「非常識」な生徒は×にされるわけで。
zorori
2011/12/20 20:29
>重要なことに漫然としても良いように,ど
>うでも良いことに漫然とするなという倒錯
>思考。これは危険。

まったくその通りです。
なお、前掲の「順序派の言い分はこういう
事らしい」には元があります。
http://slashdot.jp/comments.pl?sid=540021&cid=1995103

>良いアイデアですが,どちらを一つあたり
>と考えるという問題は残りますね。

これも同意します。
☆という記号を新設しても、異種の菓子詰
め合わせ問題が順序可換で、ウサギの耳の
問題は非可換という事は正当化できません。

異種の菓子:
 http://www.pref.okayama.jp/uploaded/attachment/286.pdf
の、最終ページ。
ゴルゴ・サーディーン
2011/12/20 21:18
>それを教えたり、正しく理解しているか確認するのが難しいので、かけ算導入時に順序が必要らしいです。(一部の順序派の主張)

それなら、以下のような「2種類の質問」をすればいいと思います。

Q1:  1個2円の林檎が3個あります。全部でいくらでしょうか?
(A)×(B)=(C)
Aに「1つ当たりの数」、Bに「幾つ分の数」、Cに「全部の数」を入れなさい。

Q2:  1個3円の林檎が2個あります。全部でいくらでしょうか?
(A)×(B)=(C)
Aに「幾つ分の数」、Bに「1つ当たりの数」、Cに「全部の数」を入れなさい。
おおくぼ
2011/12/20 23:42
補足

Q2の問題文は、Q1と同じ「 1個2円の林檎が3個あります。全部でいくらでしょうか?」でもいいですね。
変える必要ありませんでした。
おおくぼ
2011/12/21 00:08
>ただ議論したくないだけなんじゃないですか?

もちろん彼らとて、横×縦はバツを是認しているとは思っていませんが、私があそこまで挑発的なことを書いても沈黙するならそういわれても仕方ないと思います。

 しかし、数教協の存在意義って何なんだろうか?かけ算の順序が話題になっていることに対して度し難いまでの無関心、どころかむしろ順序批判を冷ややかに見ることで順序派に与している。というか、そもそも順序派とも言える。
積分定数
2011/12/21 06:36
>それなら、以下のような「2種類の質問」をすればいいと思います。

価格でもトランプ配りは不可能じゃないから、(1あたり)×(いくつ分)でも、個数×単価が間違いとは言えないですよね。

だから、(林檎1つあたりの値段)×(林檎の個数)とでもしないと順序の指定は無理だと思います。

ダミーの数字を入れるとか、かけ算の単元なのに足し算の問題とかを入れるのがいいと思います。

 「これ何算でやるの?」と子どもが質問するのは、文章題を解くための道具としての加減乗除ではなく、加減乗除をやらせるための文章題であることを子どもが見透かしているから。

 「かけ算の単元だからかけ算の問題だろう」を子どもが思った段階で、教え方として失敗していると思う。

 等差数列の和の公式をやった直後に、1+2+3を出題された場合、普通に計算するような子が増えて欲しい。

 算数・数学で大切なのは、空気や出題者の意図を推測することではなく、問題そのものに答えること。

 エレガントな方法、手間を掛けない方法が望ましいが、泥臭い方法もあり。

1+2+・・・+10を地道に計算するのもあり。どうしても公式を使わせたいなら、1+2+・・・+10000などとするべき。

また、泥臭い方法で1+2+・・・+10を頭から計算しようとして面倒になって、1と9で10、などとやり始めたらそれはもう公式発見の一歩手前。
積分定数
2011/12/21 07:00
 私は泥臭い方法でも構わない派だが、そういう方法だと減点する人もいるかも知れない。
対数を授業でやって、log102やlog103の近似値を与えて、6^10が何桁かを問う問題を出したら、ひたすら6^10を計算した生徒が複数いたそうで、「今後そういうのは正解と認めない」と教師が言ったという話を聞いた。だったら、6^1000とかにすればいいと思うが。

 だから、泥臭い地道な方法だからと減点するのには賛成しかねるが、エレガントな方法をマスターして欲しいという教師の気持ちも分かる。

 ところが、かけ算の順序から高校数学に至るまで、事態は全く逆に思える。例えエレガントな方法であっても授業で教えてないと駄目ということもあるらしい。
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20080703/1215073074

 定期テストで、「くじ引きで、2人目が当たる確率」は、「1人目の当たり外れで場合分け」を強要するという話も聞いた。

 確率の意味を理解していれば場合分けなど不要と分かるのだが、

場合分けの方法をマスターしているかどうか見るため。
場合分けしないで、10本のうち3本があたりだから、3/10などというのは、テキトーにやった可能性が高い。
場合分けの要・不要が判断できない生徒が多いから、一律に場合分けするように指導した方が生徒のため
教師自身が場合分けが不要であることを理解していない

「かけ算の順序」を追求し続けていると、などという理由がすぐに思いついてしまうのが、悲しい。

一人目がクジを引いて結果を見ないでおく。2人目がクジを引き、結果を公開する。そのあと、1人目が結果を公開する。1人目と2人目、それぞれの当たる確率は?

という問題を「正しく場合分け」して解くにはどうすればいいのだろうか?
積分定数
2011/12/21 07:25
>などという理由がすぐに思いついてしまうのが、悲しい。
積分定数
2011/12/21 07:27
「このような理由がすぐに思いついてしまうのが、悲しい」に訂正
積分定数
2011/12/21 07:40
>ダミーの数字を入れるとか、かけ算の単元なのに足し算の問題とかを入れるのがいいと思います。

大賛成です。
でもこれは生徒よりも先生が混乱してしまうかもしれません。
先生が掛け算と足し算をミックスした場合、「正しい順序は?」と悩むのではないでしょうか?
教える側が「正しい順序で教えなければいけない」病にかかっていると思うのです。
おおくぼ
2011/12/21 07:44
中学校の先生は「「正しい順序で教えなければいけない」病にかからないのに、小学校の先生はかかってしまうのだろうか?
不思議です。
発症率も感染率も小学校の先生の方が高いと推測されます。
おおくぼ
2011/12/21 07:55
足し算やら何やらをやる前

個数を数えられる。与えた数字に対して、対応する個数の丸を書くことができる。

という段階で、加減乗除に対応する簡単な文章題に取り組む。数値は簡単なものにして、指を使ったり○を描いたりして求められるようにする。

6枚のビスケットを2人で同じ数ずつ分けるには1人何枚

というような問題は割り算を習ってなくてもできる。こうやって文章題とは、聞かれていることに答えればいいんだよ、答えの求め方は自分で考えればいいんだよ、

ということを教える。

現状は、問題の問いに答えることに全力をそそぎ込むのではなく、出題者の意図だの授業でやった「型」だの、余計なことが頭をめぐることになってしまっている。

 物理で√6の概数が分からない生徒がいて、とにかく工夫して求めるように指示したら、√2×√3で解いた。「じゃあ、√7の概数は?」と質問したら、散々考えてギブアップ。√7=√(3+4)などと、何とか既知の平方根で表せないかと苦労していたようだ。

 「整数値で挟むといくつといくつの間?」「2と3」「なぜ?」「2^2=4 3^2=9」「だったら、もっと細かく求めることもできるでしょ?」「あっ」

 敢えて問題に出すのだから何かうまい方法があるに違いないと思い込んで迷路にはまってしまっていたようだ。数学好きが教えるときの落とし穴で、「まともにやると面倒だけどこうすればエレガントに解けるよ」という問題を好んで出題するとこういうことにもなりかねない。

最近はむしろ、 x^x=27を解け という問題を好んで出すようにしている。中学生は割とすぐに解けるが、高校生の理系の子は、対数をとったりしてしまう場合がある。
積分定数
2011/12/21 07:56
>発症率も感染率も小学校の先生の方が高いと推測されます。

数学を専門としていないというのと、小学校の中だけで完結してしまうから矛盾が見えないんじゃないかな?知り合いの物理教師が、「あの『みはじ』とかいうやつはやめて欲しい。生徒がみんなあれを使うのだが、全然理解していない」と言っていた。「小学校で教えているんだよ」といったらあきれていた。単純な速さの問題だけなら「みはじ」で解けるから、小学校教師としたら「みんなできるようになったね」で済ませることができる。高校で矛盾が噴出したってもう関係ないもんね。

 かけ算の順序に関しては、新指導要領で、簡単な文字式と場合の数が小学校高学年で導入されるらしいから、そこで矛盾が予想される。

中学1年で、負の数を習ったときに、一時的に正の数も+3などと表記することを強要されるが、ある程度やったら解除宣言がなされる。

かけ算の順序に関しては、解除が宣言されることはないようだが、子どもは混乱しないのだろうか? 
積分定数
2011/12/21 08:05
http://megalodon.jp/2011-1220-1153-45/6609.teacup.com/mitsunagakai/bbs/?page=3&

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もろもろ 投稿者:kk 投稿日:2011年11月22日(火)00時25分29秒
AをB個足す
ことを
A×B
と書くか、逆に書くかは、最初にどちらに定義したかに依ります。だから、地域の差があるのは別におかしくない。
A×Bと書く、と定義したにも関わらず逆に書いているのはよくない、という判断には、相応の妥当性がある。ペアノ公理系においても乗法は
A×1=A
A×(B+1)=A×B+A
と帰納的に定義されている(はず)。可換性は自明ではありません。
ただ、可換であることを既に自明と感じている子どもに、順序を絶対守れとは強制し難い、というのが私の気持ちです。今のところ。
なお、以上の記述から分かってもらえると思いますが、乗法には順序があり、それがどのような順序かは最初の定義による、とおもう。
乗法の順序の指導についての議論は、70年代からあったようです。
入試等の採点については、なす氏のコメントにつけ加えることはありません。
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積分定数
2011/12/21 08:40
こういう半可通は困るね。正三角形の定義が、3辺が等しい か 3つの角が等しい か 3つの角が60度 か 少なくとも2つの角が60度 か 2辺が等しくて挟む角が60度 のどれかなんてどうでもいい。重要なのはこれらが同値ということ。

 「俺は実数をカントール流で定義する」「俺はデデキント派だ」などと意識して実数を考え人がいるだろうか?実数のイメージがあって、あとからそれを定義付けしたのがカントールやデデキント。双方の定義によって作られる集合は、位相構造、順序構造、代数構造を保存する同型写像が存在するから、どちらを実数の定義とすべきかなんてことはどーでもいい話。

 かけ算も最初の定義はどうであれ、交換しても同じだし、(1あたり)と(いくつ分)の区別も便宜的なものでしかないと分かった段階で、最初の定義がどっちだったかなんて、どうでもいいはなし。

 こういうと「それは数学の話で、算数とは別」と順序派は言いそうだな。

 「積は一般に非可換ではない。」などと都合良く数学の話を持ち込むくせに。負の数を持ち出して「足し算には順序がある」と言っていた物理学者もいたな。
積分定数
2011/12/21 08:42
かけ算の順序を調べる中で、数教協に疑問を持つようになった。どうも彼らは順序派に近いようだ。

数教協がレフトなら、4人に1個ずつ配り、2個目を配り、3個目を配ったから、4×3だという社会主義的分配による解答を認めてもよさそうだが、・・・。

 遠山啓の本によれば内包量・外延量という考えに対しては、数教協内部からも批判があったという。「批判は大いに結構」とも言っている。

 現在、数教協内で内包量・外延量の考えに反対の人はいるのだろうか?

 数教協への加盟は自由だというが、遠山啓の考えを真っ向から否定する人が入会するとは思えない。

 当初は色んな考えもあって議論もなされたのだろうが、1つの色で染まってくると、基本的に同じ考えの人か言われたことを素直に信じてしまう付和雷同の人しか入らなくなるのではないだろうか?

 とても数学を理解しているとは思えない、どろんこさんや瀬戸智子さんみたいな人ばかりだったりして。
積分定数
2011/12/21 08:53
自分が数学を教えていて生徒が小テストなどで見るのも嫌になるほど効率の悪い解答を書いてくれたなら、ぼくは「しめた!これは使える!」と思うのですがね。

まず、エレガントな方法がいかにエレガントであるかを納得してもらいやすくなります。

単に教科書にそう書いてあったからその通りにやってみた人より、自分の頭で考えて泥臭く答を出すところまでたどりついた後に、エレガントな方法を教えてもらった方が感動は大きくなり、記憶に残る可能性が高くなると思います。

次に、泥臭い余計な計算をしたおかげで数学的法則を確認できることは少なくないんですね。

単に泥臭い計算をしただけでは経験値は上がらないのですが、汚い計算だと思っていたのに、そこに綺麗な法則が隠れていたと知れば数学的経験値がちょっとアップすると思います。

たとえば「10^{16}を17で割った余りを求めよ」という問題を出したとします。フェルマーの小定理を知っていれば見た瞬間に答は1だとわかるのですが、泥臭く実際に割り算の筆算を実行した人には別の御利益が得られます。計算の途中で出て来る10,100,1000,...を17で割った余りの集合がちょうど{1,2,3,...,16}になること(順序は異なる)を確認できます。これは10が乗法群 (Z/17Z)^× の生成元になっていることを意味しています。この手の計算を大量に実行すれば原理的にはガウスの平方剰余の相互法則に気付くことができる可能性があります。ガウスはたくさんの素数pについて1/pの小数展開の循環節を丸暗記していたらしい。今ならパソコンがあるので比較的簡単に遊べる。
くろきげん
2011/12/21 09:32
> 一人目がクジを引いて結果を見ないでおく。2人目がクジを引き、結果を公開する。そのあと、1人目が結果を公開する。1人目と2人目、それぞれの当たる確率は?
> という問題を「正しく場合分け」して解くにはどうすればいいのだろうか?



あまり確率の勉強が進んでいない状態(!とかPが分かる程度)のとき、その問題に出くわしました。

直感的に 3/10 のような気がするんだけど、よく分かりませんでした。

カードがたくさんあって、そのカードには1から10までの番号つきのマスが印刷してあって、それぞれのマスにアタリとかハズレとか印刷してある、そのカードを1枚ひくというのと同じことだから…

そういう回答をなんとかひねりだしましたが、どうも上手い答じゃない。

場合わけする方法を教えてもらって、結局、2番目の人が先に結果発表するという論法を思いつきましたが、ここまでやるのに相当の時間を費やしました。

鰹節猫吉
2011/12/21 12:36
>A×Bと書く、と定義したにも関わらず逆に書いているのはよくない、という判断には、相応の妥当性がある。ペアノ公理系においても乗法はA×1=A
>A×(B+1)=A×B+Aと帰納的に定義されている(はず)。可換性は自明ではありません。

交換法則を知らない段階でも、掛け算に「正しい順序」はないと思うけど。
可換性は自明ではない → 掛け算に正しい順序がある・・・とはならないと思う。
おおくぼ
2011/12/21 13:02
追記

(2+2+2)と(3+3)は違うという主張と
「掛け算に正しい順序がある」という主張は数学的に関係がないと思う。
おおくぼ
2011/12/21 13:10
>先に結果発表するという論法を思いつきましたが、

順序派なら、「文脈から一人目の人がクジを引いて公開したことが推測されるから駄目」とか言いそうですね。仮にそうだとしても確率は変わらないのだから便宜的に計算しやすい状態に置き換えて良いというのが分かってくれそうにない。

10個のうち3つが赤、7個が青、2つの球を同時に取り出すときに両方とも青の確率

「同時」だから、7C2/10C2という式が正しい。
7P2/10P2だと時間差をおいて2つを取り出すことになるから間違いです

順序派教師ならこう言いだしそう。さすがに高校数学ではあまり聞かないが。
 
 期待値の計算なんか悲惨ですね。「10個のうち3つが赤、7個が青。4つ取り出すときの赤玉の個数の期待値」期待値を理解していれば、球をどろどろにとかして改めて10個の球にすると、1個の球のうち赤成分が3/10、青成分が7/10だから、3/10×4
4つ取り出しても、1つ取り出して戻す操作を4回やっても結果は6/5

 「それは期待値の性質であって定義ではありません。教科書の定義式をちゃんと覚えて下さい。
0×(赤玉1個の確率)+1×(赤玉2個の確率)+・・・
という式が立てられないということは期待値を理解していません。」

定義至上主義の人はこういいそう。
積分定数
2011/12/21 13:48
泥臭い方法(めんどーな方法)とエレガントな方法があった場合は新しい公式が生まれる可能性がある。

ABCDEを環状に並べる並べ方

イ 五角形の頂点におくとすれば5!回転で同じになる重複を考慮して、5!/5=4!

ロ Aの立場に視点を置いてその右、その右、と埋めていくとすれば、4!

どっちでもいいんだけど、イでやった子は、「ABCDEFGHから5個取り出して環状に並べる」もそのやり方でやろうとして苦労する。

Aに視点を置いて7・6・5・4
AがなければBに視点を置いて6・5・4・3
A,BがなければCに視点を置いて、5・4・3・2
A,B,CがなければDに視点を置いて、4・3・2・1

これを全部足す。

私は計算が嫌いで面倒な方法は途中で嫌になって別の方法を模索するので、こんな方法思いつかなかった。生徒がこう解答して驚いた。

イの方法ならすぐにできる。8・7・6・5・4/5

すると、

7・6・5・4+6・5・4・3
+5・4・3・2+4・3・2・1
=8・7・6・5・4/5

が成り立つはず。これをちょっと一般化することで数列の和の公式が出てくる。

一般にΣk^mを導くのは大変だが、
k・(k+1)・(k+2)(k+3)というような形ならすぐに出る。パスカルの三角形とも関係してくる。
積分定数
2011/12/21 14:30
http://okwave.jp/qa/q7196103.html
▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽
数式は説明文です。
例えば、A=BとB=Aは同じように見えますが、
空=青と青=空を比べると後者は何だかもやもやしませんか?5人に1個ずつ配る事を2回繰り返すのは、5×2よりも5+5の方がより正確な式の書き方になりますね。
子供達全員が将来理数系に進むとは思いませんが、小学生のうちからこのような感覚を育むのは重要かと思います。
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△

順序派はなぜこうも次々とくだらない屁理屈を思いつくのだろうか?くだらなさにおいては、「受動態を勉強するときのためにも、かける数とかけられる数をしっかり覚えないとならない」ってのと双璧をなすな。

http://9114.teacup.com/seisann/bbsでは相変わらず無視。このまま回答がなければ、彼らは長方形の面積を横×縦でバツにすることを是認している、ということでいいと思う。そうじゃないなら何らかの回答をすべきだし。

 数教協にとってはかけ算の順序はタブーなのかね?
積分定数
2011/12/21 22:15
「遠山啓エッセンス 量の理論」の銀林浩の解説を読んだが、角度m/mは簡約できるが、勾配m/mは向きが垂直なので簡約すべきじゃないとか、

>加速度(m/s^2)、これは「メートル毎秒毎秒」と読む。英語のように「メートル毎平方秒」と読むのは誤用である。

>普通こうした量の次元の「読み方」まで問題にする人などいなかったのかも知れないが、そうすることによって「それまで見えなかったもの」が見ていることがある。

など、なんだかよく分からない。

目に鱗が貼り付いてしまいそう。

あたらしい慣用句を思いついた。

銀林の付け髭

オッカムの剃刀の逆
積分定数
2011/12/21 22:26
発言小町、もうひとつの掛け算トピです。
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/1215/468414.htm?o=0&p=4
ゴルゴ・サーディーン
2011/12/21 22:27
>これは,順序ルールはローカルルールに過ぎないことを明確にする点では,良いアイデアですが,どちらを一つあたりと考えるという問題は残りますね。

その通りですね。
順序的な考えではこの問題は残るように思えます。
今の私の考えですが、
 かけ算導入時の順序教育を許容するなら、ローカルルールだと明記する☆記号のようなものが必要。
 そうしないと順序派の量産に歯止めがかかりそうにない。
 「1つあたり」が先生の考え以外がバツになるが、順序教育を許容する限り諦めるしかない。
になります。

>おおくぼさん(2011/12/20 23:42)

今迄の書き込みをざっと見直したのですが、かけ算導入時の順序教育も認めないようですね。
確かに内容的にはそれが正しいと思います。
「1つあたり」に関しても、見方によって変わる事まで教えたほうが良いと思っています。
ですが、現実では上手くいかない事もあり、順序派が生まれたのではないでしょうか。
TaKu
2011/12/21 22:40
フェルマーの小定理って昔やったようような気もするが、すっかり忘れているので素で取り組んでみる。予備知識なして試行錯誤するのが楽しい。

色々やってみて、pが素数のときa^p≡a(modp)が成り立ちそうだと分かった。

さて証明は、aの帰納法でいけるかな?

a^p≡a(modp)とする。
(a+1)^pを2項定理で展開したら、最初と最後の項以外はpの倍数になるから
(a+1)^p≡a+1(modp)

aがpの倍数でないなら、a^(p−1)≡1(modp)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%81%AE%E5%B0%8F%E5%AE%9A%E7%90%86
をみたら同じ証明でほっとした。

その先もゆっくり考えてみよう。

高校生に教えていて、宿題が多すぎてゆっくりじっくり考える余裕がないのではないかと思ってしまう。

試行錯誤して考えるという部分をすっ飛ばして、公式や解法をどんどん教え込んで、問題を大量にやって受験に備える、ということのようだが、消化不良に陥ってしまっているように見える。

 私自身は、高校時代よりも大学時代よりも、今の方がずっと数学を楽しめている。宿題もレポートも試験もなく、興味の赴くままにたっぷり時間を掛けて納得するまで取り組むことができるから。
積分定数
2011/12/21 22:50
やはり1960年代に文部省が「掛算の順序を逆に書く子どもは掛算の意味を理解していないかもしれないから注意せよ」というようなことが書かれた出版物を出したことの悪影響は大きいと思います。

たとえ現場の教師が掛算の順序にこだわらなくても困ってなくても、文部省がそれをやっちゃうと、どうしても多くの教師が掛算の順序にこだわり始めてしまうのではないかと思われるし、実際にそうなったのだと思います。

しかも、算数教育の世界では文部省の敵の数教協までも掛算の順序へのこだわりについては文部省と似たようなな路線になってしまいました。これは歴史的な不幸でした。

現在の惨状を見ると、現場の教師が掛算の順序(それは決して掛算の意味とやらではない)を子どもたちに徹底するためにものすごく苦労しているように見えます。

「2×8ならタコ2本足」とか「答と同じ“単位”の数字を掛算では左側に書く」とか、もうわけわからん。

そろそろ「掛算の順序にこだわる教え方にも一定の合理性がある」というような考え方を認めるのは辞めて、リセットしてしまった方が良いと思います。合理性があることに関する科学的証拠の提出抜きにそのような考え方をまじめに相手をする価値はないと思う。
くろきげん
2011/12/22 00:29
TaKuさんへ

>今迄の書き込みをざっと見直したのですが、かけ算導入時の順序教育も認めないようですね。

はい、そうです。
数学的な根拠のないものをムリヤリ導入するからおかしくなっていると思うのです。
例えば、行列の積は順序が違えば答えが違いますので、数学的な根拠があります。
でも行列は義務教育の範囲ではありません。
義務教育の範囲の掛け算には「正しい順序」はありませんし、「正しい順序」を導入することは弊害が大きいのです。
弊害が小さければ目くじらを立てて怒る必要もないと思います。

>ですが、現実では上手くいかない事もあり、順序派が生まれたのではないでしょうか。

そうだと思いますが、その「現実」が何だったのかは私にはわかりません。
わかる人がいれば、具体的に教えて欲しいです。
おおくぼ
2011/12/22 03:08
補足

私の主張は、数学的に根拠のないルールを導入してはイケナイということではありません。
数学的に根拠のないルールを導入した結果、数学的に正しい答えが不正解となる弊害が起こっているから、「掛け算の正しい順序教育」を止めるべきだというのが私の主張です。
おおくぼ
2011/12/22 03:31
コメント欄3代目作りました。

新コメント欄への書き込みはここがいっぱいになってから、お願いします。
積分定数
2011/12/22 07:16
 小松左京が「日本沈没」で高速道路が倒壊する病舎をして、専門家から「ありえない」と批判されたことがあったらしい。不幸にも阪神大震災で専門家が考えが誤りだったことが分かった。小松左京が改めて専門家に話を聞こうとしたら、「地震の規模が想定外だったから責任はない」と言われたというのも聞いた。

 阪神大震災での高速道路倒壊によって、橋脚から工事中に混ぜられたと思われる空き缶などが見つかったというのも聞いた。今回の津波で倒壊した防波堤でも、同様のことがあったと聞いた。

 建築現場ではそういうことが頻繁にあるのか、非常に希なことなのか私には分からない。

 専門家が「倒壊するなんて事はない」と断言した場合、私のような素人は、実際の建築現場の状況を加味した上での発言だと思ってしまう。あとから「設計通りに建築すれば」という前提条件の上での話だと聞かされても納得できない。

 設計図の通りなら大丈夫だとしても実際には施行ミスや手抜き工事の可能性もあるから、そういうことも考慮に入れて安全性を確認して欲しい。

 で、数学教育専門家の話。

「順序を固定することで、文章題の意味を捉えられるようになり・・・」と順序の「効用」を説くのはまあいいとしよう。では、現実の教室で行われているアホらしい授業についてはどう考えるのか?

「長方形の面積まで順序に拘るなんて想定していません」「あくまで理解を促すのが目的で、必要以上に拘る必要はありません」
といったところで、現実にはくだらない指導が蔓延している。

それに対して数学教育の専門家は責任があると思う。我々素人でもちょっと調べればわんさか出てくるアホな指導法を、専門家が把握していないなら、それはそれで問題だし、知っていて放置しているなら、それはそれで無責任である。
積分定数
2011/12/22 08:45
>病舎をして

描写をして
積分定数
2011/12/22 08:46
正方形は長方形であるが、敢えてそれを教えると混乱する児童がいるからそのことには触れないようにしてあるらしい。だから、児童が正方形は長方形と別と解釈しても正方形は長方形と解釈しても構わないようになっているようです。

ところが「正方形は長方形でない」と思っている教師もいるようだ。

かけ算の順序も似ていると思う

かけ算も(1あたり)×(いくつ分)だけ教える。(いくつ分)×(1あたり)でも構わないが、両方教えると児童が混乱するから

というのが、

(いくつ分)×(1あたり)ではない、と勘違いする教師が増えていったのではないだろうか?
積分定数
2011/12/22 13:24
コメント欄3代目
http://suugaku.at.webry.info/201112/article_1.html
積分定数
2011/12/22 13:28

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コメント欄 2代目 算数「かけ算の順序」を中心に数学教育を考える/BIGLOBEウェブリブログ
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