算数「かけ算の順序」を中心に数学教育を考える

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zoom RSS コメント欄6代目

<<   作成日時 : 2012/05/02 09:12   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 500

いっぱいで書き込めません。

コメント欄7代目 http://suugaku.at.webry.info/201206/article_1.htmlにどうぞ。

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私は以前、ここのブログで「かけ算の順序に拘る人は、等分除と包含除の区別に関しては、意外に無頓着である印象を受ける。」と書いた。
割り算の「複数の意味」
http://suugaku.at.webry.info/201102/article_17.html

しかし、改めて検索してみると、算数指導法を指南する立場の人は、「違いを明確に」というケースが多いように思える。

なぜ、本質的には区別できない「2つの意味」を区別する必要があるのか?

水道方式では↓のような理由らしい。
http://www.sukyoken.jp/-about-76/152-2010-06-10-02-17-13.html?start=1
>等分除と包含除の違いを意識することは、「かけわり図」(後述)を使いこなし、わり算の文章題を解く上で、大いに役立ちますが、

大いに疑問である。単なる道具に過ぎない「かけわり図」のために、等分除と包含除は本質的に区別できない、という真理をねじ曲げて良いのだろうか?
積分定数
2012/05/02 10:09
引き算の求補と求残で考えると、上記のことの滑稽さがよりわかりやすい。

引き算を理解するのに、以下のような手法(仮に、「数字図」とでも名付けよう)を教えたとする。

9人にて4人帰りました。今何人?
始めにいた人 1,2,3,4,5,6,7,8,9
帰った人   1,2,3,5

1,2,3,4,5,6,7,8,9|1,2,3,4

|の左右を1つずつ消していく。

1,2,3,4,5,6,7,8|2,3,4
1,2,3,4,5,6,7|3,4
1,2,3,4,5,6|4
1,2,3,4,5|

これがこの問題の9−4の意味です。
積分定数
2012/05/02 10:17
9人来ることになっています。今、4人来ました。後何人来ると9人になりますか?

1,2,3,4|9,8,7,6,5,4,3,2,1
この様な図を描きます。|の左右からそれぞれ1つずつ消していきます。

|5,4,3,2,1

これがこの場合は、9−4の意味です。



同じ9−4でも、求残と求補では意味が大きく違います。その証拠に、数字図の様子が全く違います。

簡単に言うと

□□□□□□□□□

これを、

左から□を4つ消したのが、求残としての9−4
右から□を4つ消したのが、求補としての9−4

です。数字図を使いこなすには、両者の違いを正しく見分けることが必要です。





あほらしい・・・・
積分定数
2012/05/02 10:25
 あまりのあるわり算で、筆算するときは一旦小数をキャンセルして・・・というのもそうだが、やり方まで指定して、「こうやりなさい」としてしまうから、おかしな事になってしまうと思う。

 かけわり図にしろ、小数をキャンセルしての筆算やテープ図にしても、そういうのが駄目だといっているのではない。(かといって、すばらしい方法とも思わないが)

 答えさえ出れば何してもいい、というのが大原則で、その道具として「こういう方法もあるよ」程度の話で、それを使うかどうかは児童の選択であるならいいのだが、

 道具までもが「こたえ」に含まれ、「こういう方法でこう求めるのが正しい方法、標準的方法」としてしまうことで、

算数・数学の勉強は、「考える」ではなくて、「マニュアルを習得すること」という風潮に加担してしまっていると思う。

これは中学、高校の数学でも同様。

公式や解法は、必要性があるからそれを使うというのが本来の姿。

1+2+3 を計算するのに等差数列の和の公式を使う必要は全くない。
積分定数
2012/05/02 10:39
 ミクシィで情報提供を求めたが反応がない。こちらでも質問してみる。


 私自身は理学部数学科出身です。かけ算の順序に関心を持って以降、とりわけここ数年、算数教育について色々調べています。

 等分除・包含除・添加・合併・求残・内包量・外延量などというのも数年前に初めて知りました。

検索で見つけたこの文章を読んで疑問が沸いてきました。
http://satsuki.ex.osaka-kyoiku.ac.jp/~k083111/arimura.pdf

この人自身は大学4年で「わり算の2つの意味」を知ったとあります。そのようなわり算の分類が本質的であるかの如く思っているようにも感じられます。

 
 この人は、「2つの意味」を大学の授業で教わったのだろうか?「一見2つの意味があるように見えるが本質的には同じ事である」とは教わらなかったのだろうか?

>一見同じように見えることだが、導入部分にいて教師がこの違いをしっかり把握しておかなければ、子ども達を混乱させる恐れがある。また、この二つを区別しないと、割り算の計算には本来意味があるはずなのに、計算技術だけを学んでしまうことになり、その後の算数の学びが進みにくくなるのではないだろうか。

これなどは私と認識が180°逆である。
数学者や理学部の学生は等分除と包含除の違いなど意識もしないと思うのだが、数学の理解に支障はないと思う。


 教育学部では、一体どのようなことが教えられているのだろうか?、「等分除・包含除・添加・合併・求残・・・」などという概念を教わるのだろうか?「それらは教える上での便宜的区別で本質的なものではない」ときちんと説明されているのだろうか?

 このあたりのことを知りたいと思います。

 情報お持ちの方は教えて下さい。
積分定数
2012/05/02 10:57
> 私自身、小数のわり算であまりを出すというわり算を習った記憶がなかったのですが、昔小学生を教えていたらそういうのが出てきて驚いた記憶があります。私が忘れてしまっただけなのか定かではありません。
>  2.2mのリボンを0.6mずつ切ると、0.6mは何本できて、何mあまるか?
>  という文章題としての出題なら理解できるが、それなしで「あまりのある小数のわり算」というのが唐突にあって、一旦小数をキャンセルして筆算する、などというやり方が指定されているとしたら大いに疑問。


私のときは小数で割って余りも出せという問題出ましたよ。

「商は小数第☆位迄求めて、余りも算出せよ。」という出題のしかたでした。

鰹節猫吉
2012/05/02 12:37
「数字図」ですが,積分定数さんは,数を先ず序数として発想するんですね。というか,序数としての発想に違和感がないんですね。私は,数は先ず基数であるし,多分日本の子どもは基数としての発想が「自然」で,教科書も基数を基本に説明していますね。「日本の」と限定したのは,もしかすると欧米,特にユダヤの発想は違うかもしれない可能性があるからです。
メタメタ
2012/05/02 13:38
>鰹節猫吉さん

そうなんですか。文章題としてではなくて、純粋な計算問題としてそういうのがあったのですね。

>メタメタさん、

「数字図」は、かけわり図のために、等分除と包含除の区別が必要という主張の馬鹿らしさを明らかにするためにテキトーにでっち上げたものなので、真面目にそう考えているわけではありません。

 序数だの基数だの全然意識しないです。

5+3は、5個のものと3個のものがくっついたイメージもあるし、数直線上の5からさらに3歩左に進んだイメージもあるし、というかそのようなイメージすらないというか、要するに「5+3」です。

 序数とか基数とかって、集合論の本で雑談的に、濃度と順序数の話から、5というのにも5個のものというのと5番目のというイメージがあるが、自分の場合はどうのこうの、と改定あるのを読んで、初めて、そういう異なるイメージがあるんだと知りました。

 算数の習い始めにおいてどちらのイメージを重視した方が教えやすいのか、

 という議論があるのは分かるのですが、「どちらがより本質的か」とか、「基数こそが正しくて・・・」みたいになると、それはトンデモへとつながる道だと思っています。

 学校でも出席番号とかあるし、5月2日の翌日は5月3日とか日常でもよくあるから、ことさらに基数だの序数だの拘る必要はないと思います。

 
積分定数
2012/05/02 14:18
指を使って一、ニ、と数えるのは序数だと思う。
行列があって、「横入りはいけない」というのも序数だと思う。

99+1の時に、1から数え始めて100まで数えるのは大変。
だから基数は計算に便利だと思う。

遠山啓VS藤澤利喜太郎の教育方法対決は基数VS序数なんですが・・・。
おおくぼ
2012/05/02 14:36
指を折って、折ったままにしておいたら、折った指が蓄積されるから、基数じゃないの?などとどうでもいい話をしてみる。

□□□□□ これを数える場合

■□□□□
□■□□□
□□■□□
□□□■□
□□□□■

というように、■を走らせるのが序数的捉え方。

■□□□□
■■□□□
■■■□□
■■■■□
■■■■■

という具合に■を蓄積するのが基数的捉え方

などとテキトーにどうでもいい話をしてみる。

基数と序数について雰囲気は分かる。

時刻は序数、時間は基数、
座標は序数、距離は基数
というようなイメージは確かにある。

しかし、そのような区別は明瞭ではないし、区別する必要もない。

序数だの基数だのが区別できない状態になるのが望ましい。




単なるイメージを排他的独占的な唯一の意味としてしまっているのが順序派。

自身の貧困なイメージで、子どもが自由に考えることを制限するのはやめて欲しい。
積分定数
2012/05/02 15:07
内包量や外延量もこの類。

タンヤオ平和は2000点
三色のみは、2600点

ところがタンピン三色は7700点

つまり、麻雀の点数は単純な足し算ではないので、内包量?
積分定数
2012/05/02 15:10
物の多少の量を表すのも,事の順序を表すのも,今では同じ数を使っていますが,昔はそうではなかった。中国では,物の量は漢数字で表したが,順序を表すには十干十二支を使っていた。時の流れを年月日で分けた場合も十干十二支で表していたが,だんだんと数字に置き換わっていった。『殷周譜』によると,殷の武丁の時代に起こった月食の日を「武丁十二年五月壬申」と記してあって,日の表記が数字ではない。(薮内清『歴史はいつ始まったか』中公新書,165頁) 中国は今では年月日全部を数字で表しますが,びっくりするのは曜日までが数字なんですね。日曜は「日」だが,月火水木金土が「一二三四五六」。火曜+水曜=金曜という計算はしないでしょうが。
 とにかく,数という概念の歴史的始まりには関心があります。
メタメタ
2012/05/02 16:30
足し算の順序
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1051907490?fr=chie-websearch-3&k=34vV7tyQnZaZkZqGzpWui5CPlsuRqIaLn5bc3oWui5%2BQkIvV7ouohaSLm5DV3tjm4pCdlkzw%2BUfqBFfr%2BUkJGY9R5fRW9fpR5f1M8fpH6%2F5a%2Fh6FoIvT18eLrZaZnpOkmZ%2BehpWV1dnezNiLqZCGlZXci6iFpp%2BRmoba1pajkJWWlZHXhqOVpZmilaaapqeXnq3n2NrZ2c3rn5Wcpqmdp5Spmqnh09Xp2c3qlKSeoKeUoKetmajW49Xl08iLn5bdkJ2WmqKhmaKnp5ymnJaVkeLT1Njii6iFpoubkNaLrZackOA%3D
>問「5人組がバス停にやってきたところ、先客が3人いました。バス停で待つ客は何人になりましたか?」
これを「5+3」と立式しちゃうと誤りになるのでしょうか?
積分定数
2012/05/02 16:30
>この画像の問題では、3個の「リンゴ」が乗った「皿」が5枚ある。
ということですから、3個のリンゴのまとまりが5個あると考えるべきです。
よって正しい式は3×5=15です。
また、質問にあるような式では、先に3人の客がいて、そこに
5人組が加わるわけですから、正しい式は3+5です。
当然、小学校の高学年、中学、高校と進んでいくうちに、
求められるのは正しい答になってくるのですが、
文章で書かれた問題の日本語を正しく読み取り、それを式に繋げるというのは
先々、ケアレスミスを克服にも繋がりますので、お子さんに教えたりする場合には
少し厳しいようですが細かい間違いを指摘することをお勧めします。
積分定数
2012/05/02 16:30
>びっくりするのは曜日までが数字なんですね。

ある意味合理的かも。英語を習ったときに、月に逐一名前が付いているのが面倒だと思った。後で知ったが、Septemberあたりからは数を表すらしい。がしかし2つずれている、Septemberは7のことらしい。Octoberはオクトパスと同語源の8という具合。その原因は、ジュリアスシーザーが7月に、アウグスチヌスなんとかが8月に、という話はガセのようです。

 で、マイケルムーアの映画タイトル「華氏911」で分かったが、英語でもSeptember=9番目の月、という意識はあるようだ。

 昔の日本では、師走は12番目というような意識はあったのだろうか?
積分定数
2012/05/02 16:41
日々数学に慣れ親しんでいると、抽象化などと意識しなくても抽象化して考えることになると思う。

3×4に色々なイメージがあり、イメージがありすぎるともいえるし、無色透明な形式的なものにも見える、そんな感じ。

だから、3×4に1つの固定したイメージ・意味のみを割り当てることは到底容認できないのだけど

順序議論業界では有名な↓
http://www.inter-edu.com/forum/read.php?903,1013957,page=1
の どろんこ氏は、1つの意味には固定できないという理系の豊かな感性を理解できなくて、「理系は計算さえできればいいと思っていて意味をないがしろにしている」と嘆く。

 実に滑稽。

http://www.inter-edu.com/forum/read.php?903,1013957,page=15

あたりでは、呑助@深夜食堂氏が恥さらしなコメントをしている。

>わかんないかねえ。。
国語の問題じゃあないんだよ。
たしかに
3+3+3+3+3=3×5
とするか
3+3+3+3+3=5×3
とするかは日本と西洋で「仕様が」異なるかもしれんが
どっちも同じ(意味)じゃあないのですよ。
ここがわからない人は 数学は一生わからないと思うよ。わかろうとしないのなら
つまづいたままでもしょうがないねえ。


私は一生数学が分からないそうですw
ここに集っている人も、一生分からないのしょうねw
積分定数
2012/05/02 16:59
>物の多少の量を表すのも,事の順序を表すのも,今では同じ数を使っていますが,昔はそうではなかった。中国では,物の量は漢数字で表したが,順序を表すには十干十二支を使っていた。

序数と基数の違いを意識していたということですね。
数字を使わなくても、順序は表せるということですね。

>その原因は、ジュリアスシーザーが7月に、アウグスチヌスなんとかが8月に、という話はガセのようです。

ガセじゃないと思うのですが・・・。
ジュリアス・シーザー以前は、10ヶ月+60日だったのでは?
冬至祭が終わると、冬篭りの時期は60日間だったというのをきいたことがあります。

「AからZまで」とか「アルファからオメガまで」と言えば、最初から最後までという意味で、これも順序ですね。
おおくぼ
2012/05/02 20:46
追記

今年は十干十二支で「壬辰」なので、中国では出産ブームだそうです。
女編に「壬辰」で「妊娠」です。
60年に一回の確率だそうです。
おおくぼ
2012/05/02 22:50
月の名前は、なんだかややこしいみたいです。
http://akisince2006.blog.shinobi.jp/Entry/10/

>「AからZまで」とか「アルファからオメガまで」

民族数学の立場では、「阿吽」を言わないとw

>第3は,民族数学という観点からは,「なんこのいくつ分」という言い方の語順は尊重されても良い,ということ。森川さんの民族数学についての考えは,
http://repo.lib.yamagata-u.ac.jp/archive/kiyou/kiyoued/kiyoued-12-4-013to045.pdf

リンク先見たけど、ちょっと過大評価しすぎな気がする。数学史に関しての文章を拾ってみる。

>本来数学を深く知るには、その歴史を最初に位置づけなければならない
>日常的・具象的な世界から、抽象化された世界への過度期である高校数学において、生徒が心底納得するのは、論理的な裏付けではなく、歴史によって如実に物語れる事実である。

数学に限らず科学は、検証が必要だと思う。上の文章を見ると論文と言うよりもアジテーションに見えてしまう。

数学を深く知るには歴史を最初に位置づけないとならないのか?それは本当なのか?根拠は?

論理的裏付けよりも歴史的事実の方が生徒を説得する力が大きいのか?根拠は?

これらのことは検証されたのだろうか?
積分定数
2012/05/02 23:02
私個人の経験からすると、数学の勉強は、個人的内的作業だと思っている。

自分1人であれこれ試行錯誤して、混沌とした状況が、一気に晴れ渡る瞬間は何とも言えない快感がある。

 歴史とも他人とも遮断された、誰にも邪魔されない中で思いっきり数学に没頭するのは至福のひとときである。

 クラス全体で議論する問題解決授業に対しても、最近疑問に思い始めている。
積分定数
2012/05/02 23:10
推理小説では論理的思考が重要です。
事実を集めただけでは、事件は解決しません。
裁判も同じです。
考古学もいろんな解釈がありますが、論理的な整合性が大事です。
私は日本の戦国時代論争が好きですが、いろんな解釈(トンデモ解釈もたくさん有り)が飛び交っています。
あと超古代文明なんて、トンデモ理論の宝庫です。
参考
『謎解き古代文明 』(彩図社)
おおくぼ
2012/05/02 23:13
民族数学というけど、人の気持ちはよく分からないということだと思う。
子供がどんな理屈で立式したかが、先生からよく分からないということと同じだと思う。
おおくぼ
2012/05/02 23:20
足立恒雄さんのツイートに

>伊東俊太郎さん,斎藤正彦さんとの鼎談は『数学セミナー』の6月号と7月号に掲載される.『世界史の中の数学』という誇大妄想的タイトル.今校正中だが,伊東さんと斎藤さんはそれぞれ私の3倍ほどしゃべっている.彼らに比べると,私は何と無口なことか



20世紀の天才にユダヤ系が目立つけど、ユダヤ系思考というのはあるのだろう。
ノイマンやアインシュタインやフロイトなどなど。
でも『旧約聖書』はバビロニアやエジプトの亜流だと思う。
モーゼの出エジプトやヨブ記はユダヤ民族のオリジナルなのかもしれない。
『新約聖書』はギリシャ語で書かれているので、ユダヤ民族向けに書かれたわけではないと思う。
ちなみに「アルファでありオメガ」というのは『新約聖書』の台詞。
おおくぼ
2012/05/02 23:40
>5.暦を素材に
民族数学で扱う題材は自国の歴史の歩みの中で生みだしたもの、と限定されると、日本では素材探しに苦労する場面もあるが、民族の先輩が影響を受けた理論も可、とすれば、古代中国における豊富な数学的遺産を民族数学の名で扱うことができる。

 この部分も、「なんじゃそりゃ」という感じ。最初から古今東西の面白い題材をネタに使うとすればいいだけな気がする。

 古代中国での題材をとるに当たって、「日本が影響を受けたから正当化できる」などと言わないとならないのか?

 「民族数学」などという制約を最初から課さなければいいのに。
積分定数
2012/05/02 23:49
おおくぼさん

我アルパなりオメガなり、はじめなりおわりなり。


文語体聖書は アルファ じゃなくて アルパ ですぞ。ファラオはパロ。


いろいろ味わいぶかい表現がありますね

ダビデはおとめを知らなかった

↑ 一緒に寝たけど手を出さなかった の意

このたぐいのことについては、極めて慎重な婉曲表現になってます。


鰹節猫吉
2012/05/03 00:12
私は生まれた日がジュリアス・シーザーと同じなので、星座が2つ(乙女座と天秤座)です。

占いなんぞ全く信用してないから、関係ないけど。


鰹節猫吉
2012/05/03 00:21
> クラス全体で議論する問題解決授業に対しても、最近疑問に思い始めている。

問題解決授業の欠点は、時間制約があることだと思う。
だから先生の誘導というか、仕切りになってしまう。
誘導のうまい先生と下手な先生で大きな差が出やすい。
おおくぼ
2012/05/03 00:45
『新約聖書』の言葉は日本でもよく使われたりする。
「目からウロコ」とか、「豚に真珠」など。
おおくぼ
2012/05/03 00:46
出題者が何らかの「ローカル・ルール」を指定して
指定したルールに従っていない解答を不正解とする
ことの何が問題なのか?
おいおい
2012/05/03 00:52
「ある種のルール」を「ある種の状況」で指定した出題は悪問になる、という主張ならば、妥当性がある主張であることもあるだろうが、「掛算の順序はローカル・ルールだから、それに従っていない解答を不正解とすることは間違いである」のような主張は、認められる訳がないね。
おいおい
2012/05/03 00:58
順序を「小学校1年間の算数の授業」という長きに渡って指定し続けるようなことは良くない

という主張ならば妥当性はあるだろう。
おいおい
2012/05/03 01:04
しかし、スポット的に(例えば1週間)指定したところで、何が問題だと言うのか?
おいおい
2012/05/03 01:07
反順序派は、否定の対象を限定し、それを明示しない以上は、デタラメのままだよ。
掛け算の順序という限定では、限定が不充分である。
おいおい
2012/05/03 01:10
問題解決授業に関してミクシィで書いたことをここに転載しておく。


「15分で30q進む。時速は?」 とりあえず「みはじ」で30÷15としてからどうして良いか分からなくなる。
4mで8sのロープ6mの質量は?散々迷ってなんとか12sと出すが、「大きな板があって、1辺1mの正方形の板を切り抜いたら質量は8sだった。一辺2mの板を切り抜いたら質量は?」とすると、躊躇なく16sと答える。

こういう高校生がざらにいる。

 実生活でも頻繁に使われる、比率・割合・単位あたり量、という概念が身についていない子が大多数。

 人前で自分の考えを発表するだとか、人の考えを聞くなどというのは、算数以外でも身につけることができる。優先課題は違うと思う。

 

 問題解決型授業に関しては、TOSSも批判している。
 しかし、教師の指図で子どもがびしびし動くのも気持ち悪い。
積分定数
2012/05/03 02:09
私は以下のような授業を提案する。


授業の終わりに、次にやることを仄めかす。あるいは問題として出す。取り組むかどうかは児童自身が判断する。

 分数の足し算・引き算までやった状態で、次の授業でかけ算をやる予定だとする。

「かけ算、わり算はどう考えればいい?」
「2/3mで5/8sのロープは、1/4mでは何s?」

こんな事を問いかける。どちらのタイプの問題の方が良いのかは研究の余地がある。
後者の場合、「1/2mで3sのロープは1mでは?」という簡単な場合から徐々に難しくしていくことで、多くの子にも取り組みやすくなる。できる子は煩わしいと思うだろう。そのあたり、どういう問題の出し方にするかは色々研究されていいと思う。


 いずれにしても、

授業の終わりに問題提起 → 前回の授業の問題を材料に授業 → 授業の終わりに問題提起

こういう流れがいいと思う。

■児童に意欲があれば、十分な時間を掛けて取り組むことができる。
■最低レベルのスキルは全員が理解するようにする。

この2点が保証されるなら、授業は、おざなりな教師の解説でも、みんなで活発に意見を出して話し合うのでも構わない。後者の方が望ましいとは思うが、それほど拘る必要はないと思う。授業の終わりに問題を出す程度のことは、教師の技量に関係なくできると思う。

 現状だと、どちらも満たされないまま、問題解決型授業が良いとされてしまっているようだ。

 さらに、「みんなが話し合って4×3ではなくて、3×4が正しいといことになりました。めでたしめでたし」などというのは最悪。
積分定数
2012/05/03 02:10
転載続き


「授業構成再考」に近いことが書いてあって、ある授業実践で、「長方形もさらに三角形すら台形の仲間だと認識するようになった」というのがあります。

下底を固定して、上底の2つの頂点を平衡を保ったまま色々動かすと言うような授業です。


ただ私自身は、小学校時代にそのようなことは気づいていたし、そのような仕掛けがなくても理解している子はいると思う。

この本を読んでいて疑問に思うのは、「物事の本質を見抜く能力」が身についているなら、教師の特別な工夫や意図、作為がなくとも、子どもは勝手に理解するようになると思うのだけど、

多くは、教師の思惑通りに児童が間違えて、最後は「めでたしめでたし」という感じになっている。

 あの本で出てくる子どもたちは、その先も、素晴らしい教師の素晴らしい授業に出会い、それに対して期待通りの反応をすることになるのだろうか?1つ1つの単元をあのような“素晴らしい授業”で理解することになるのだろうか?

うまく言えないが、違和感がある
積分定数
2012/05/03 02:12
続き

田中博史氏は不思議ですよね。あれほどの授業実践をする教師集団の中心人物でありながら、「かけ算の順序」を主張する。順序が不合理だと気づかないのだろうか?

授業実践での児童は、知的好奇心に満ちていて本質を見抜く力を付けている過程にいるようにも見えるが、本質を見抜けるようになれば、「順序なんかおかしい。先生は嘘を教えている」となりそうだが、そういう事例は載っていない。


 実はあるのだが都合が悪いから報告されていない。
 児童が優秀で、程々好奇心があるが程々おっちょこちょい、という教師の望む児童像を演じている。

などということを考えてしまった。


「順序はナンセンスだ」と児童が言ったら教師は何というのだろうか?一生懸命「間違い」をただそうとするのか、ぶちきれるのか、あるいは、「よくぞ気づいた。誰か気づかないかなと思いながら、敢えて嘘を教えていたのだが、それを指摘したのは君が初めてだ。実に素晴らしい」と褒め称えるのか。
積分定数
2012/05/03 02:13
「授業構成再考」の授業実践 p216
6年「分数のわり算」もう一本できるはずだ!
−わり算の商と分数の意味を追求する子どもの姿を引き出す−

ジュース8/3Lある。4/5L入るペットボトルに入れると、ペットボトルは何本いっぱいになって何Lあまるか?

8/3÷4/5=10/3=3+1/3  3本 1/3Lあまる。

全員がこう解答したという。

次に、

ジュース8/3Lある。2/5L入るペットボトルに入れると、ペットボトルは何本いっぱいになって何Lあまるか?

8/3÷2/5=20/3=6+2/3  6本 2/3Lあまる。

あれおかしい!あまりが大きすぎる!

となって、間違いに気づいていくという授業。


で、ふと思ったけど、この授業によって間違いが訂正される素晴らしい授業と見ることもできるけど、最初に全員が間違えてしまうという事自体が、それ以前の教え方がうまく言っていなかったと言うことにもならないだろうか?

 この教師の教え方がまずいと言いたいのではない。そういう見方もできるという話。

 もし私が教えていて、全員が最初のような解答をしたら、教え方がまずかったのではないかと悩む。

 数値を変えて同じやり方で解くと明白に不合理になるような問題にしてみたりということもやるが、まずい教え方を補うためのものだから、そうせざるを得ないことを恥ずかしいと思ってしまう。
積分定数
2012/05/03 02:14
>3+1/3  3本 1/3Lあまる。

全員がこう答えている時点で異常ですね。1/3本余ると考えた子は一人もいなかったのでしょうか。
>ペットボトルは何本いっぱいになって何Lあまるか?
に対して立てた式の整数部分とあまりをそのままあてはめてしまっているようです。

疑問点は
・答の単位の検討が不十分なのはなぜか。計算して出た数値を単純に答にするような状況に慣らされてしまっているのではないだろうか。
・文章題に対して、一つの式で解答がでるような状況に慣らされてしまっているのではないだろうか?
・クリティカルな数値を与えて初めておかしいことがわかるような考え方は問題ではないか

というところ。
M
2012/05/03 09:59
http://www.city.sanjo.niigata.jp/chuousyo/gakkousyoukai/20mikuni-t.pdf
「等分除」と「包含除」をしっかり区別するために
前時の学習を想起させて色分けをしたり、適用場面
をイメージしやすいようにそれぞれのわり算のキーワード
等をチェックポイントとして提示していました。子どもた
ちが、見通しをもって考える活動ができるように「つかむ」
の段階をていねいに扱っていました。



何とも無駄なことに労力を費やしてるとしかおもえない。

ウィキに間違った記述
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%A4%E6%B3%95
現実的な行為「割る」と「除く」の相違にも起源する等分除と包含除の必然的区別や制約は特定事象で厳然として存在している。
積分定数
2012/05/03 10:05
積分定数さんの貼った知恵袋の足し算の順序の質問で「あなたにおすすめの解決済みの質問」としてあがっていたのがコレでした。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1413281884
すすめられても…
M
2012/05/03 10:12
>疑問点は

「授業構成再考」を読んで思ったのは、子どもたちが興味を持ちそれなりに考えて発言し、落とし穴に教師の思惑通りはまり、教師の授業で考えが深まった、というストーリーが「理想の授業」とされているように思えました。

 ペットボトルの問題も、最初に全員が落とし穴にはまるが、2問目であまりが大きいのでおかしいと不合理さに気づくのだけど、それって結構できる子だと思う。

 速さの計算で、時速60qで2時間走ったら?を、30qとか答えて平気な子は多い。

 その本に出てくる子は、教師の思惑通りの出来になっている点に違和感がある。

 あと、間違っても良いからどんどん考えをいることが奨励されているようである。それも疑問に思う。

 関連したミクシィでのコメントを転載する。
積分定数
2012/05/03 10:14
「授業構成再考」で以下のようなのがある。

縦24横32の長方形があって、この対角線と横との角度をAとする。
次にこれを横に半分に折って90°回転させる。改めて対角線を引いて、横との角度をBとする。

全員がBはAに等しいと予想するが、測ってみるとA>Bである。みんな驚く。

さらにもう一度この長方形を横に折って90°回転させて対角線を引いたら横との角度はどうなるか?

さらに小さくなると多くの子どもが予想するが、Aと等しくなっていて、また驚く。

どうも1回おきに繰り返しになっていると気づき、比の考えが身につく


ということだけど、


 思慮深かったら、最初の予想で「同じ」とはしないと思う。縦24横32は微妙で、1:√2だったら、角度は等しくなるので、「必ず違うはず」とまでは行かなくても、「同じとは限らない」ぐらいのことは考えてもよさそう。

 そういう子が1人もいなかった。(本当にいなかったかどうかは分からない。思慮深くて、慎重に考えていた子もいたけど、周りの「同じだ」の声にかき消されたかも知れない。「同じだと思う人」「違うと思う人」「分からない人」と挙手を求めるとかしたのだろうか?)

 そうすると、この授業以前までの間に、「こう思うけど待てよ本当にそうだろうか?」と検証する思慮深さが培われていないとも言えないだろうか?

 

 「間違えても構わない。とにかく第一印象で思いついたことをぱっと発言することが良いことだ」というような文化があって、最終的には教師がうまいこと切り回して、「なるほど〜」と子どもが感心する。

 なんだか、全てが教師の手のひらの上な気がして、それでいいのだろうかという気もしてしまう。
積分定数
2012/05/03 10:24
「授業構成再考」p112 3年「わり算」 違うけど同じだよ 対立する意見を大切にする授業構成

 わり算には包含除と等分除がある。前回の授業、包含除の問題でわり算を導入。で、今回、包含除の問題に取り組む。「わり算の学習だからわり算」と考えてしまう子もいるが、・・・。

 というような流れで

12個の団子を4枚の袋に入れるときに何個ずつか、が3個ずつとなった段階で

4×3=12 3×4=12 どちらでもいい?

と質問して、挙手する子はいない。

>2年生のときに、「1つ分」×「いくつ分」=「全体」という言葉の式を使って、この順番や役割をじっくり学習したので、どちらかが正しい、という記憶が鮮明にあるようだ。また、前時にも「わり算は、4×□=12の□を求める計算」と位置づけた。これが身についていれば、正しく判断するはずである。
「意見を言いたい人はいますか」
「3個のものが4袋だから、3×4の順だと思う」
「1つ分は3だから、3×4だと思う」
「問題の最初に4枚と書いてあったので、その順番にしてしまいました」
間違いを自分から認める、という態度は、素晴らしいと誉める。

で、今回は□×4=12の□を求めることになるが、これも「わり算」としていいのか?という話になり、

カード配りを考えたら、12−4−4−4=0で累減だから、わり算だとなる

>等分除は、個のように包含除のやり方でも説明できる。だから、「わり算」として、操作の仕方でも統合できた
積分定数
2012/05/03 10:26
私は、これは納得行かない。だって、「等分除も包含除とは同じ事になるから同じ『わり算』だ」というなら、なぜ、かけ算でその考えを適用しないのだろうか?


>これが身についていれば、正しく判断するはずである。
>間違いを自分から認める、という態度は、素晴らしいと誉める。

という文言からこの人がかけ算には順序があるという立場なのだろう。


カード式で、「1つあたり」と「いくつ分」を逆転するにも関わず、あくまでかけ算に順序があるとしながら、わり算に関しては、どちらも同じとなってしまう。

ダブルスタンダードに思えるのだが・・・・

私のブログより
http://suugaku.at.webry.info/201102/article_17.html
>かけ算の順序に拘る人は、等分除と包含除の区別に関しては、意外に無頓着である印象を受ける。
>なお私が言いたいのは、
「かけ算の順序に拘るのなら、割り算の等分除・包含除にもっと拘っていいはずだが、割り算の方はあまり拘っていない。ということは、かけ算の順序に拘る意味も最初からなかったんじゃないの?」ということであって、「割り算もかけ算同様に拘れ」ということではない。
積分定数
2012/05/03 10:26
>Mさん

姓名判断の質問になっていますが
積分定数
2012/05/03 10:30
>姓名判断

手動か自動かキーワードで拾っているのかわかりませんが、知恵袋では関連がある、と判定しているようです。どうでもよい話です。

ところで、ウィキペディアの除法の項目はひどいですね。基準のとりかたが恣意的であることに触れていない。最初の定義があいまいなままどんどん新しい用語が増えて構築されていくところがまさに小学校算数教育的な文章だと思いました。
M
2012/05/03 10:58
 ウィキの編集ってどうすればいいのでしょうね?なんだか面倒くさそう。

「かけ算の順序」という項目も作りたいのだが。

「小学校の算数の授業で広く行われている誤った指導法」とかいう具合。
積分定数
2012/05/03 11:31
 数学史って、興味はあるけど、結構複雑でちゃんと勉強するのは大変だと思った。

 人類が数学を獲得していく過程である数学史が複雑なら、個々人が数学を獲得していく過程も複雑であろう。

 数学の発展が地域ごとに違うように、個々人の数学理解の道もそれぞれで複雑だと思う。

 数学そのものはシンプルで美しい。だからそれを目指すようにすればいいのに、複雑な部分を無理に取り込もうとして、訳の分からないものになっているような気がする。

 「等分除と包含除を区別する」などという具合に、シンプルな数学に行き着くまでに、間違えることまで強要されてしまっている。
積分定数
2012/05/03 11:39
>数学史って、興味はあるけど、結構複雑でちゃんと勉強するのは大変だと思った。

『天才数学者はこう解いた、こう生きた』 (講談社選書メチエ:木村俊一:著)はおもしろかったです。
おおくぼ
2012/05/03 12:00
> 「授業構成再考」を読んで思ったのは、子どもたちが興味を持ちそれなりに考えて発言し、落とし穴に教師の思惑通りはまり、教師の授業で考えが深まった、というストーリーが「理想の授業」とされているように思えました。


どのような思想も 「完成された体系を作ろう」 という方向性を打ち出した時点から腐敗が始まるように思われます。

「初学者がつまづきやすい問題の傾向と対策を発見しました。」

「それは何ですか」

「わり算の2つの意味です」

「なるほど、人類史にはいったんわり算の意味でつまづいてから、その矛盾に気づいて革命的に前進するという発展段階があるわけですね」

「これは歴史の必然なのです。」

「わり算の2つの意味をとばして、わり算はかけ算の逆算などというのは正しい発展段階をふんでいません」


こういうのは非常にまずい。

鰹節猫吉
2012/05/03 19:12
>「なるほど、人類史にはいったんわり算の意味でつまづいてから、その矛盾に気づいて革命的に前進するという発展段階があるわけですね」
>「これは歴史の必然なのです。」

弁証法的歴史観?
あるいは毛沢東?
おおくぼ
2012/05/03 19:27
メタメタさんのブログから

>ヘブライズムでは,天地が創造され光と闇が分けられた“the first day”,大空と大水が分けられた“the second day”と始まり,最後の審判の日まで,時間は一直線に連続し,日にちも年数も序数で数値化されていく。この時間観の違いが東西の数感覚にも反映されているように思える。


『旧約聖書』と『新約聖書』は別物だと思うんだけど。
『旧約聖書』も『新約聖書』もいろんな話を寄せ集めてきたので、統一感がないんですが、書かれた言語が違うので。

西洋の時間は直線で、ユダヤ教は一神教だとはいわれたりする。
でも一神教ということなら、ユダヤ教の影響を受けたイスラム教の方が明確だったりする。
『旧約聖書』にはいろんな神様が出てくるし。
「天地創造」と「ヨハネ黙示録」というのは、別の話なんで、繋がりはないと思うんだけど。
日本誕生話のイザナキ・イザナミも直線的な話だとは思う。
おおくぼ
2012/05/03 19:50
>わり算はかけ算の逆算などと

これは数学史的唯物論を否定する極左冒険主義ですw
積分定数
2012/05/03 19:53
どうして順序派のような考えになるのかという視点で自分の考えを大まかに纏めてみました。

問題を解くステップを以下のように考えます。
@「問題がある」→A「意味を考える」(問題内容を解釈する)→B「式を立てる」→C「答えを求める」

a.Aに関して一通りしか教わらない。
b.Bに関して一通りしか教わらない。
c.a、bの考えでも問題を解く事が出来るので、その考えのみが正しいと思い込んでしまう。
d.cと思っているのでBの式からAで考えた意味が分かり、逆順をバツにするようになる。

Aは実際は何通りも考えられます。
「4人に3個ずつ蜜柑を配る。蜜柑は何個必要?」という問題では、「3を4回加算する」、「4を3回加算する」、「(1つあたり3)が4人分」、「(1つあたり4)が3回分」・・・と色々あり、どれも正しいです。

Bも複数考えられます。
「3を4回加算する」を式にすると「3×4」、「4×3」どちらも正しいです。

順序がない事を前提に教えるだけでは正しい考えに至らないように思います。
どこかでABが複数ある事を教える必要がある気がします。
TaKu
2012/05/03 21:21
宗教分類の一神教と多神教の違いは、単純ではないと思う。
例えばユダヤ教やイスラム教は一神教だけど、天使という存在がある。
「天使は神とどう違うのか?」と思ったりもする。

スピノザの説明する神は一神教で、アインシュタインやゲーデルに影響を与えたそうだけど、数学的にどう説明できるのだろう。
おおくぼ
2012/05/04 00:52
> A「意味を考える」(問題内容を解釈する)
> Aに関して一通りしか教わらない。

複数の(妥当な)解釈があったら、それは「出題ミス」ですよ。
あれま。
2012/05/04 10:20
@「問題がある」→A「意味を考える」(問題内容を解釈する)→B「解を提示する」→C「解であることを示す」

色々な方法があるのは、通常はCの部分です。
常識
2012/05/04 10:24
あれま。氏、常識氏

>Aは実際は何通りも考えられます。
>「4人に3個ずつ蜜柑を配る。蜜柑は何個必要?」という問題では、「3を4回加算する」、「4を3回加算する」、「(1つあたり3)が4人分」、「(1つあたり4)が3回分」・・・と色々あり、どれも正しいです。

あなたがたの考えでは、これも誤りのようですが、何がいけないのか教えてくれませんか。
TaKu
2012/05/04 11:21
それは、「問題の解釈」(が複数あるの)ではなくて、
12個必要であることを「示す方法」(が複数あるの)
です。

デタラメが過ぎますね。
違いますよ。
2012/05/04 11:57
「問題の解釈」が複数あれば、それは出題ミスですね。
「問題の解法」が複数あっても出題ミスでありません。
ダメだね
2012/05/04 12:01
1:問題の「解釈」
2:問題の「解法」

を混同しているとは
話にならないね。
2012/05/04 12:03
メタメタさんの
http://ameblo.jp/metameta7/entry-11238720411.html
ぐぁんばれ,指導者! 教育と市場

ある「指導者」がメタメタさんの著書を褒めたたえて、さらに「掛算には正しい順序があると本気で思い込んでいる現場教師たちの傾向について苦々しく思っている」とはっきり述べたとしましょう。

しかし、もしもその「指導者」が別の一方で算数の教材の出版に関わり、金銭を得ていたとしましょう。おそらくその「指導者」は自分自身の名誉と収入だけではなく、教材出版社への義理としがらみのせいで、自分が関わった教材の流儀の正当性(もしくはその流儀の採用が仕方がなかったこと)を主張しようとするでしょう。

たとえば、「算数の教科書およびその指導書が掛算の``正しい''順序を使うことを前提に設計されているので、教材会社もそれにしたがわざるを得ない。私もそのように教材を作った」と言い訳を述べたとしましょう。

もしもこの言い訳をそのまま認めてしまうことにすると、「指導者」=「算数教育の指導的専門家」たちの社会的な責任を免責してしまうことになると思いました。これはとてもまずい。

掛算の順序を利用するにしても、害を減らす工夫はを考えることはできます。

http://ameblo.jp/metameta7/entry-11237495210.html
に引用されている「しき 4×2 にあう絵はどちらですか」の問題には何の工夫も見られず、本当にひどい。このようなものを作ってしまう専門家には教材の訂正を求めるべきだと思います。

「ぐぁんばれ,指導者!」ではなく、「本気で反省しろ、まずおまえが作った教材を訂正する努力をしてみろ、指導者!」と言うべきではないかと思いました。
くろきげん
2012/05/04 12:43
(1) 子どもの保護者が「この教材の流儀は掛算には正しい順序があるとする学校の教え方と違うから困る」と言うこと。

(2) 現場の教師が「教科書およびその指導書は掛算には正しい順序があることを前提にしたスタイルになっているのでそのように教えてざるを得ない」と言うこと。

(3) 教材の執筆などもしている算数教育界で指導的な人達が「教材執筆時に現場教師や保護者の要求がるので、掛算には正しい順序があるとを子どもに教える教材を作らざるを得ない」と言うこと。

(4) 算数の教科書を作っている人達が「市場の要求から掛算には正しい順序があることを前提にしたスタイルにせざるを得ない」と言うこと。

ぼくは、(1)にも問題はあるがそういう保護者がたくさん出て来ることは仕方がない、(2)は事情はわかるがそれでも問題あり、(3)は極めて問題あり、そして(4)は諸悪の根源だと思っています。専門家になればなるほど、正しい考え方を広めることについて社会的な責任が重くなります。

指導的立場に立っている人や専門家は自分の周囲の教師や保護者たちが間違った意見を持っていればいるほどそれをただす責任があります。

インターネットで検索しても、メタメタさんから聞こえて来る話も、算数教育業界関係者の発言ですっきり納得できる話はほとんどありません。

すっきり納得できる話は実質的にZ会の宣言だけじゃないですか?ぼくはあの件でZ会にはかなりの好印象を持つようになりました。

市場の現実に配慮しなければいけない立場でも、Z会のようなことを大声で(インターネッなどの誰でも読める場所で)言えると思うんですが、現時点ではそのような指導者や専門家はどこにも見付からない。
くろきげん
2012/05/04 13:01
もしも算数教育業界の最頂点に位置すると思われる算数教科書の執筆者およびその周辺の人たちの大多数が、「掛算には正しい順序があると子どもや教師に誤解させてはいけない」「掛算の順序を幾つ分×一つ分の順序で書いて当然正しい」「掛算の順序を一つ分×幾つ分の順序で書くと決めていても、考え方によってどちらの数が一つ分であるかは変わってしまうので、文章題で示された具体的場面だけでは数字の掛算の順序は決まらない」「平均的な小学生は文章題に出て来た順番にそのまま数を掛け合わせて正しい答えを出す」「そのような小学生であっても文章題の内容を理解している可能性が高い」「掛算の順序にこだわる有害な教材が多数出版されている」「掛算の順序にこだわる教え方を止めたいと思っている教師はそれらにしばられて困っている」などなどの正しい考え方をしているならば、算数教科書の出版社のあいだで「市場の要求に応じて掛算に関する間違った考え方を教えてしまう教科書を出版して、自分のところだけ儲けるという抜け駆けをしない」という協定を結ぶことは可能でしょう。

しかし現実には専門家の大多数が間違った考え方をしている可能性が高い。これでは専門家が社会的責任を果たしているとは到底言えません。やはり「反省しろ!」と言い続けるべきだと思いました。
くろきげん
2012/05/04 13:12
蛇足。でも、メタメタさん個人にはこれからも穏健なスタイルを続けてもらいたいと思っています。
くろきげん
2012/05/04 13:22
除法に関するwikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%A4%E6%B3%95
http://en.wikipedia.org/wiki/Division_%28mathematics%29
の比較。

同じ割算 a÷b であっても、「aをb等分する」「aの中にbが幾つ入っているか」の少なくとも二通り(実際には無数にある)の考え方ができることは大事なことだと思います。英語版でもそのことは説明されています。

英語版の説明は分かり易いですよね。「a個の元を持つ集合をb個の同じ個数の元を含むグループたちに分けること」「a個の元を持つ集合をb個の元を持つグループたちに分けること」という感じで特別な専門用語を知らなくても理解できる。

続く。
くろきげん
2012/05/04 13:52
続き。

以下に引用する日本語版の説明はひどいですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%A4%E6%B3%95
>除法は、整数の除法の場合その意味から等分除と包含除の 2 種類に分類される。ある量が「基準となる量」の「幾つ分」に除されるかを考えるとき、「基準となる量」を求めるのが等分除、「幾つ分」になるかを求めるのが包含除である。

包含除と等分除は除法の解釈の二つの例に過ぎません。その二つだけに分類されるわけではない。そして「基準となる量」とか「幾つ分」のような一般的ではない算数教育用語を使ってしまっているので分かり難い。

分かっていない人に限って、無駄に専門用語を使おうとするものです。ぼくは「等分除」「包含除」という専門用語は基本的に使いたくない。ツイッターなんかでは文字数制限がきついので使っちゃいますが。

「aのb等分」と「aにbが幾つ含まれるか」の両方の考え方をできること(もちろんこれ以外の考え方もできるようにならないといけない)に異論がある人はいないと思います。

問題は、割算の概念がそれら二つだけに分類されてしまうと考えたり、それら二つが完全に別の考え方だと誤解してしまったりすること。

日本の算数教育の世界はどこかで道を誤ってしまっていますね。
くろきげん
2012/05/04 13:54
■大学入試の数学で高校で習っていないことを使うと減点されるか?
http://d.hatena.ne.jp/wd0/20120309/a

> 高校で習っていないことを使ったことを理由として減点することは、その是非を論じる以前に、ごく一部の例外を除いて技術的に不可能です。大学入試の採点者は、そもそも、これこれは高校では教えていないと自信をもって断言できません
> ここに書いたのは、採点者の話です。出題者は、時間をかけて、高校で教えている範囲の知識で解ける問題になっていることを確認します。当然、その過程で、高校で何を教えているかの調査をします。

デマ言ってる奴がデマ。
「採点者のほとんどが、出題者でもある」という(教員養成系でない)大学が、山ほどあるだろうに…。
本当に掲示板は デ タ ラ メ でした。
カモッヒーY
2012/05/04 15:05
「採点基準の協議」を(出題者を含めて)採点者が行っていないなんて
奈良女は随分とお気楽なこと。そういう大学も多いのかもしれないがな
カモッヒーY
2012/05/04 15:10
 算数数学教育の研究団体の内部にいるわけではないので事情は詳らかではないのですが,複数の団体の学習会に参加した感想では,どの団体も指導者の考えに右にならえでは全然ないですね。研究団体である以上当然でしょうし,指導者という呼び方も適当ではないのかもしれません。
 指導的位置にある先生が,かけ算の「1つ分」と「いくつ分」の順序はどちらでもいいと内部では発言していても,外向けの刊行物では順序にこだわる教え方を容認しているのは,確かに問題です。一方,外向けの本で,順序はどちらでも良いと明記したものが出るように聞いてもいます。雑誌ではそのように書かれている人もいますが。
メタメタ
2012/05/04 15:16
>TaKuさん
ここには時々おかしな人がおかしな書き込みをするので、あまりまともに取り合わないで、適当に受け流すようにして下さい。
積分定数
2012/05/04 16:26
くろきげんさんの示した(1)〜(4)、なんだか戦争責任みたいだ。回り回ってどこに責任があるのか不明。「とにかくそういう時代だった」という話。

 等分除・包含除を数学事典で見てみたら、対応する英単語が載っていなかった。

 求残・求補とかも含めて、そういう虚構の概念がどこで教えられているのだろうか?どうも、大学の教育養成課程でそのようなことが教えられているらしいが、「これらの概念は
見かけ上のことで単なる便宜的な分類に過ぎません」というようには教えられていないようである。

 算数教育の世界でこのような間違いが堂々とまかり通ってきたこと、しかもそれが主流の考えだということに驚いてしまう。

 今まさに、算数教育業界の出鱈目さが暴露されつつあるのだと思う。
積分定数
2012/05/04 16:37
 英語圏ではわり算に逐一名前を付けるなんて事はしていないのではないだろうか?

 日本の算数教育関係者が「米国のお粗末な算数教育を改善して挙げよう。助言してあげよう」などとアホなことを考えないといいが。

 米国は日本の憲法9条や25条を見習うことはあっても、アホな算数教育を見習うことはしないで欲しい。
積分定数
2012/05/04 16:44
日記再掲。


「算数教育論究・かけ算を究める」http://www37031u.sakura.ne.jp/book/product/3516734
が届いた。


 なぜかこの号だけが異様に売れているようであるW

p2-3 かけ算を究める 盛山隆雄
>かけ算の順序についての問題が、最近再び話題になっている。かける数とかけられる数の順序についての本が出版されたり、ネット上のツイッターでかけ算の順序について論争が巻き起こったりしている。
 かつて、裁判にまでなったかけ算の順序についての問題は、やはり見過ごすわけにはいかない。この問題についても特集の中で論じていただいている。

「裁判」なんてあったの?

まあそれはともかく、明白に我々のネット上での発言やメタメタさんの本を意識している。

 こういう態度は非常に好感が持てるが、さて中身は?
積分定数
2012/05/04 16:44
以下、思いつくままに感想などを書いていく。

アメリカのかけ算指導の報告がある
 
p54「このような状況であるから、かけ算に関しても、日本では想像もつかないような指導がまかり通っている」 

どんな指導かというと、

>例えば、私が黒板に自転車が3台並んでいる絵を描いて、タイヤの数を求める式は、2×3か、それとも3×2か、と問うと、教員養成過程の学生ばかりでなく、現場で算数を教えている先生も、ほとんどが、どちらでもかまわないと言う。驚くなかれ、大学で数学教育を教えている人の中にもこのような人は少なくないのである。


他の点はともかく、この点に関しては、私は断固アメリカ支持!

アメリカ万歳!、日本はアメリカを見習え!



「驚くなかれ」と言われなくても驚かねーよ。



「日本では、想像もつかないような指導がまかり通っている」

という具合に、一部を取り出して読点を打つと、正しい文になる。

日本では、2×8だと2本脚の蛸が8匹だの、長方形の面積は横×縦では減点だの、サンドイッチだの、確かに想像を絶する授業が罷り通っている。

「一眼国」という落語を連想してしまう。
積分定数
2012/05/04 16:45
読者も筆者と同じアホな価値観を共有しているという前提で書かれているというのも、お粗末な話である。

>くろきげんさん
>ぼくは「等分除」「包含除」という専門用語は基本的に使いたくない。

わたしもこれらの用語を使うときは、「実はこの概念は虚構だ」と言うようにしている。私自身がこの様な分類があると思っていると勘違いされるのはすごくいや。

 数学教育の議論の中での、「みはじ」「はじき」と似たようなもの。恥ずかしくて使いたくないが、説明上必要だから使うだけ。

 内包量・外延量も同様。

 こういう言葉を得意げに使っている文章を見ると、あまり理解していないんだな、と思ってしまう。
積分定数
2012/05/04 16:54
星形などの図形があって、いくつかの角度が示されていて、指定された場所の角度を求めるという問題がある。三角形の内角の和が180°だとか、補助線引いたりなんだのかんだので求めるのだが、

 どこかの塾では、図形に逐一、スターなんとか、とか名前を付けて解き方を覚えさせている、という話を聞いて「くだらないことしているな」と思った。

 わり算と等分除と包含除に分類するって、本質的に凝れと同じだと思う。

12この蜜柑を3個ずつわけたら何人に分けられるか?
12この蜜柑を3人にわけたら1人何個か?

ずつ、だからドキドキわり算の12÷3
人にわけ、だからニコニコわり算の12÷3

などと意識しなくとも、かけ算、わり算を理解していれば解くことが出来る。

かけ算、わり算を知らなくても、○を12個描いて考えれば出来る。そういうプリミティブな作業の自然な延長線上に抽象化されたかけ算やわり算があるのだと思う。
積分定数
2012/05/04 17:09
 私は、数学史を数学教育に生かすことが出来るのではないかと思うが、それは数学史そのものを教えるということではない。

 数学上の概念は、突然天から降ってきたのではなく、試行錯誤する中で生み出されたのだと思う。

 個々人の数学獲得の課程もこれと似ていると思っている。そうであるなら、人類の数学概念獲得課程、そこでの試行錯誤を研究することで、どのように教えたらよいのかのヒントが出てくると思う。

 人類はおそらく、分数や小数以前に自然数の概念を獲得したと思う。自然数のかけ算は、分数・小数以前にあったと思う。おそらく同数累加の簡略表現だろう。

 そうすると、「分数・小数で躓くから、かけ算を同数累加では導入しない」という水道方式の方針は、人類の、あるいは個々人の自然な認識の流れに反しているように思える。

 個体発生が系統発生を正確になぞる訳ではないから、「人類の歴史はそうだが、個々人は将来まで見通した手順にしたがって教えられるべきだ」という反論もあるだろう。

 しかし、自然数だけを相手にしている段階で、小数・分数のことなど心配する必要があるのだろうか?素朴に疑問に思う。
積分定数
2012/05/04 17:37
「求残 区別」で検索してみた。「敢えて違いを区別させる必要はない」という妥当な文章が多かったが、

まさか、というか、やっぱり、というか、ありました。引き算の区別。教える側が区別するのではなくて、子どもに区別させるという話し。

http://okudajuku.web.fc2.com/M2011point/1/1070/p1070.pdf
>・動作化によって、求残と求差の区別をする。

有害無益なことに労力を費やしているとしか思えない。
積分定数
2012/05/04 19:37
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/38800/1/108-002.pdf
>1年生なら加減の基本問題が中心になろう。そこで,テープ図を活用しながら,合併と添加,求残と求差の区別と同一性(意味に違いがあるが同じ加法・減法であること)が確かめられれば良い。
積分定数
2012/05/04 19:45
http://bunnkikanai.blog123.fc2.com/blog-entry-151.html
>・引き算<求残><求補><求差>の区別が不十分だと文章題は解けない。
積分定数
2012/05/04 19:48
http://www01.aimnet.ne.jp/user/pjbekh/katudou/genba.htm
>算数では、四則計算ができることと考えられがちですが、例えば引き算でも3つの意味があり、その区別をつけることができる力が基礎学力であり、理解することによって具体的な場面で適応できるのです。その3つとは、求残・求差・求補です。たんに8−5=3ができるだけでは基礎学力がついたとは言えないのです。
積分定数
2012/05/04 19:51
http://sskclub.air-nifty.com/blog/2008/11/sskclub-5142.html
特に、たし算については合併・添加・増加の違いとひき算の関連から、「合併」の逆にひき算の「求残」は存在しない。つまり、逆になるのは「添加」の場合である。
このような計算の意味が確立しない限り、そろばんが算数に同化することはあり得ない。
積分定数
2012/05/04 20:02
名前なんか付けなきゃこんな事にはならなかったのかも知れない。

最初に、足し算や引き算の文章題に名前を付ける、などというくだらないことをしたアホは誰なんだろうか?
積分定数
2012/05/04 20:06
積分定数さん

おかしな人達だと分かってはいたのですが、何を考えているのか少しは引き出せないかと相手にしてしまいした。
すみませんでした。
TaKu
2012/05/04 20:11
序数だとか基数だとかについて考えていて、なるほどと思っていた遠山啓の助数詞廃止論について、あれこれ考えてみた。

遠山啓の助数詞廃止論は↓を参照
http://blogs.yahoo.co.jp/satsuki_327/33821691.html

蟹は匹か?、杯か? ヤドカリは?タラバガニは?
蛸・烏賊も杯? 頭足類だったら杯?アンモナイトも?軟体動物なら杯というならナメクジも?

などというのは、算数においてはど〜でもいい話で、そんなど〜でもいいことで悩むのはアホらしい。

 20本の花がある。5本で1つの花たばを作る。花たばはいくつ出来ますか?

 「4たば」と答えたらバツになった例が実際に報告されているから恐ろしい。答えは「4つ」だという。問題文が「いくつ?」だからだとさ。

 助数詞廃止ならこんなアホなことは起きなくなる。

 しかし、疑問もある。
積分定数
2012/05/04 22:34
 「3」と言ったときに、何をイメージするのか?3個のものか?、3番目の場所か?

特に意識しない。3は3でしかない。文脈が与えられれば、イメージが生ずる。

 中学で英語を習い初めて英語では序数と基数を逐一区別すると知って、「何とも面倒な言語だ」と思った記憶がある。

 3人と3番目は違うし、イメージも違う。しかし、3人の「3」と、3番目の「3」は、私の中では同じ抽象化された「3」である。

 助数詞を廃止したらどうなるか?

「3」という言葉で、3人や3匹を表すことになる。そうすると、「3」は●●●というイメージだけになり、「3番目」というイメージが難しくなるのではないだろうか?

 これはまずいと思う。

3回、3人、3匹、3月、出席番号3、3年生、3年間、いろいろな3〜、に触れることで、抽象化された3が出来上がると思う。

抽象化された状態では、基数や序数という区別も意味がなくなる。

 遠山啓は連続量では単位が必要と言っているが、連続量と不連続量をはっきり分けることが出来るのだろうか?
積分定数
2012/05/04 22:52
 これは、このブログで描いた、水だって分子レベルで言ったら不連続量だと言うのもそうだが、例えば、「年」や「月」や「日」は、連続量なのか分離量なのか、という疑問もある。このあたりは感覚や文化にも依存する結構曖昧な概念だと思う。

 分離量には助数詞不要、連続量には助数詞必要

と単純には言えない。

また、分離量での助数詞が、連続量での単位への助走となっている面もあると思う。

 ということで、助数詞廃止論には、なるほどと思う面もあるが、諸手をあげて賛成とは行かない。是々非々ですね。

 兎の数は、羽でも匹でも良いが、「5個」だったら、注意する程度は良いと思うが、上記のように花束は「5たば」でバツなどというのは全くナンセンス。

 「5時間」が正解の時に「5分」はバツ、

 そんな感じでやっていくのが妥当だと思う。
積分定数
2012/05/04 22:52
遠山啓さんの主張は厳密じゃないけど、そこそこ有効なものがあると思う。

連続量と分離量は、「水に木を浮かした時の全体の重さ」とか、「水槽の中で魚が泳いでいる時の全体の重さ」を子供が理解するための手助け的な概念。

内包量にしても、密度の計算を理解させるための苦し紛れの概念だったと思う。



>しかし、自然数だけを相手にしている段階で、小数・分数のことなど心配する必要があるのだろうか?素朴に疑問に思う。

交換な数学を教えている段階で、不換な数学の心配をしても仕方ないと思う。
有限の数学を教えている段階で、無限の数学の心配をしても仕方ないと思う。
虚数や複素数にしてもそう。
おおくぼ
2012/05/04 23:27
 遠山啓の内包量の説明は、いわんとすることは分かる気もした。ただそれは、内包量というよりも、物事を比較する上での数値化をどうするのか、という話だと思った。

 徒歩よりも新幹線の方が速い、というのは子どもでも知っている。だから、距離÷時間、という以前に速さの概念は持っている。その概念を生かしながら、速度の数値化を行うという話だと思う。

 それが加法性云々という話になってしまうと、
タン平三色≠タン平+三色だから、などと茶々入れしたくなる。

 外延量より内包量の方が難しい などという主張もよく見かける。

 速度より運動量の方がやさしい、などという物理教師の文章があったが、その論法だと温度よりもエントロピーの方がやさしいとなってしまう。
積分定数
2012/05/05 00:39
基数と序数だが、基数から入った方が理解しやすいとか言う話なら納得できる。「数には序数と基数がある」、だとか、「両者を区別すべき」などとなると、「わり算の2つの意味」と同じ轍を踏むことになる。

 3日目と3日間、が区別できればいいのであって、「数に2種類ある」などと認識させる必要はまったくない。
積分定数
2012/05/05 00:44
求残と求差の区別が必要とかの文章を読んでいて、

算数教育業界はアホしかいないのではないか、というのが疑念から確信に変わりつつある。

 「習っていない漢字を使ってはいけない」というのとはレベルが違う。算数教育業界全体が、根本的に間違った思想に支配されている。主流も傍流も関係なく、ほぼ例外なくこの思想に支配されている。

 しかもそれは、数学の目指すべき方向と全く逆である。

 抽象化を否定して、具象に拘り続けることを「意味を理解している。考え方重視である」とする指導。

 二重三重の誤りである。

 算数教育業界がこんな惨状だったとは、今更ながら驚きである。
積分定数
2012/05/05 00:54
遠山啓の「序数」教育批判は、黒表紙&緑表紙教科書批判だったりします。
遠山啓は、累加を否定していないけど、「一つあたり幾つ分」を優先したのが失敗だったと思う。

基数に関してはタイルを使った授業があり、賛否両論だけど、実際にどの程度の効果があったのだろう?

分数同士の割り算を小学生に理解させるのは難しい。
「割り算の二つの意味」も、そこから発生しているわけで、
分数同士の割り算も絵で表せば簡単だけど、数式だけで理解しようとすると難しい。
おおくぼ
2012/05/05 00:56
『伝説の算数教科書“緑表紙”―塩野直道の考えたこと』 (岩波科学ライブラリー) を読んでいて不満なのは、数教協や遠山啓が出てこないことだ。
塩野直道ヨイショ本と言っていい本だけど、それでも数教協や遠山啓との対立を書いて欲しかった。
おおくぼ
2012/05/05 01:19
新編 算数科教育研究  算数科教育学研究会編  学芸図書株式会社

2.2 整数の加法と減法

22−1

(1)公理論的立場から 帰納的な加法の定義がなされている。

(2)集合論的立場から ということで、
A∩B=Φ の場合、n(A)+n(B)=n(A∪B)として加法と導入。
n(X)は、集合Xの元の数。


どちらも数学専攻の人間にとってはなじみ深いものである。

減法はそれぞれ、加法の逆算として導入している。集合論的立場でも、有限濃度をあつかっている限りは逆算が可能。


22−2 指導的立場からの考察

(1)数を数えることと加法・減法の概念
>減法概念の形成においては、求残と求差の2種類を考えなければならない。

1)加法が用いられる場合 として、3つの項目(増加)(合併)(順序数を含む加法)に分けて説明している。

2)減法が用いられる場面 として同様に、(求残)(求差)(順序数を含む減法)が説明されている。

>計算の意味の理解の指導にあたり、加法・減法の様々な意味場面を意図的に取り上げて、児童の加法・減法の意味の理解を豊かにすることが大切である。具体的な意味の理解の段階に続いて、どの場合にも同じ加法・減法が適用される場として判断できるようすにすることが大切である。


最後の部分だけ読めば、こういう問題とかああいう問題とかいろいろあるけど、結局同じ足し算/引き算が使えるね、となることが大切ですよ、とも読めるのだが、それ以前の説明がよろしくない。

加法や減法に、本当にそういう分類があるかの如く書いてある。「この分類は便宜的なもので本当はこんな分類は出来ないのです。」とちゃんと書くべきだ。
積分定数
2012/05/05 12:02
乗法・除法も、ペアノの公理系や集合論から乗法を説明している。除法の説明はあまりが出てくるので若干複雑。

指導の立場からの考察 では、例によって等分除・包含除の説明があるのだが、意外なことに

>どちらも同じ数ずつをとっていく同数累減の場面であること(等分除の場合も4個とって一人ずつ配ること、つまり、4つずつとっているとみることができる)から、操作としては同一視でき、したがってどちらも除法として表現してよいこととなる。

とある。しかしその前に

>一般にかけ算・わり算というと、とかく筆算を中心とした計算方法の習熟に関心が持たれやすい。しかし、乗法・除法がどのようなものを求めているのか、その意味について理解をしていくことは、子どもが計算方法を自らが作り出していくことや、乗法・除法を具体的な場面に適用する際の判断を正しく行っていくことにつながっていく。

とある。

「計算ばかりではよくない。考え方・意味の理解が大切。包含除・等分除の区別が大切」と読む人がいても不思議はない。



算数指導の指南書を書く人は、求残だの求差だの包含除だの等分除だのといった概念が虚構であるということをくどいぐらいに強調すべきだ。
積分定数
2012/05/05 12:15
増加と合併という違いはないし、求残と球差という違いもない。
この違いを認めると、交換法則に違反するのでは?

内包量は虚構というか、数学的な概念ではない。
中途半端な理科の出来そこないの概念だと思う。

でも包含除と等分除は虚構と言えるのだろうか?
包含除と等分除という仰々しい名前は嫌いだけど、間違いとは言えないと思う。
1/2を・・・・
1を2つに分割するという解釈と、
1の中に1/2が何個あるか?という解釈は、
数式では同じだけど、
二つの解釈をできないと、分数同士の割り算を理解するのは難しいのでは?
これは掛け算の正しい順序と似て非なるモノだと思う。
包含除と等分除を区別ができなくても、分数同士の割り算が理解できればそれはそれでいいと思う。
だから「包含除と等分除を区別しなければいけない」ということはない。

おおくぼ
2012/05/05 17:11
http://suugaku.at.webry.info/201103/article_8.html

ここで連続した書いたように書いたように、連続量÷連続量であまりのあるわり算の等分除的問題は難しいです。

でもやっぱり虚構だと思います。
虚構でないにしても、見分ける意味は全くない。

http://www.sukyoken.jp/-about-76/152-2010-06-10-02-17-13.html?start=1
>等分除と包含除の違いを意識することは、「かけわり図」(後述)を使いこなし、わり算の文章題を解く上で、大いに役立ちますが、小学校の教員も、意外と気づいていません。かくいう私自身も、小学生を教えるようになって初めて、その違いに気づきました。

つまり、そんなこと気にしなくても算数の理解に支障がなかったということを図らずも言っている。
積分定数
2012/05/05 18:24
分数同士の割り算で、なぜ被除数の分母と分子をひっくり返して掛けるのか?という説明をする場合・・・
例えば・・・
3/2 ÷ 1/2 =
3/2 × 2/1 =

3/2の中に1/2が何個あるか?と考えるとわかりやすいのでは?
おおくぼ
2012/05/05 20:43
>おおくぼさん
>3/2の中に1/2が何個あるか?と考えるとわかりやすいのでは?

そのように考えると分かりやすい人もいれば、別の考え方が分かりやすい人もいると思います。分かりやすさとは感覚ですから人それぞれではないでしょうか。

ただ、教育とは、大多数に分かりやすい方法を工夫するもので、様々な流儀があって良いとは思います。○○式とか、××流とか。問題は単なる流儀がいつの間にか算数のルールに昇格してしまったところかと。
zorori
2012/05/05 22:11
それはそうだと思います。

また、1÷3=1/3というのは、1を3等分するイメージ。数値によって都合よく解釈できるのはまさに等分除と包含除の区別がないから。

100個の蜜柑を50人で分けると1人いくつ?という等分除的問題

100÷50 100の中に50がいくつあるかと考えて 2とだす。

答え 1人あたり2個


引き算の求補と求残も同様

100−1なら、100個から1個取り除くと99個と考えると考えやすい。

100−99なら、99にいくつ足すと100?

元の文章題が何であろうと関係なく、数値によって求補的か求残的かを都合よく解釈して計算できる。どちらも同じ事だから。
積分定数
2012/05/05 22:12
 今のみに行ってきたところなんだけど、最後の方はビールの量とつまみの量を計算しながら飲むことになる。両方同時に終わるには、つまみを囓って、ビールを飲んで、と微調整しながら。

 で、これは確かに等分除で包含除ではないなとは思った。

 だからイメージが異なることは否定しないが、やっぱり区別する必要はない。
積分定数
2012/05/05 22:20
>100−1なら、100個から1個取り除くと99個と考えると考えやすい。
>100−99なら、99にいくつ足すと100?

速算で、そういう方法がありますね。
899+101=1000

>分かりやすさとは感覚ですから人それぞれではないでしょうか。

「分数同士の割り算」を難しいと感じる小学生は多いのではないでしょうか?
おおくぼ
2012/05/05 22:36
「掛け算の正しい順序」は交換法則に違反します。
足し算で、「右から時間順に書くべき」という考えは、交換法則に違反します。
でも包含除と等分除は違反しません。

内包量は、数学的な根拠がありません。
おおくぼ
2012/05/05 22:43
訂正

右から → 左から
おおくぼ
2012/05/05 22:44
http://citizen.nobody.jp/html/201202/20120207.html
>「8×6=48」は間違いです。
かけ算の式には順序があります。
かけ算の式自体に意味があるのです。
この問題の場合、「8×6」では意味を成さないのです。
かける順番を入れ替えても同じなのは「数値計算」の部分のみです。
数値計算はどの順番からかけていっても同じ数字になりますが、
かけ算の式には意味があり、「かけられる数」と「かける数」にはそれぞれ深い意味があります。
ネット上には非常に多くの記事で「かけ算には順序はない」とか「×の前後を入れ替えても正解だ」
といったことが書かれていますが、それらは全て間違いです。
これは数論とか大学で習うような小難しい高等数学の話ではなく、本当に基本的なそもそもの「かけ算の意味」の話です。
「a×b」はあくまで「aをb倍する」という意味です。「bをa倍する」では決してありません。


なんでこういう出鱈目を自信を持って断言するのだろうか?
積分定数
2012/05/05 22:46
http://citizen.nobody.jp/html/201202/20120208.html
>昨日も書きましたように、かけ算は「『かけられる数』×『かける数』」ですから、「8×3=24」は間違いです。
これは日本でもアメリカでも中国でも韓国でも東南アジアでも中東でもEUでも世界中どこでも同じです。
世界中どこでも「3×8=24」が正解です。
>ところが、このサイトの答えを見ますと、なんとこうなっています。
・・・!?
>こ、言葉を失いました。
こ、これがアメリカの小学校教育なのでしょうか・・・。
>それだけに何かアメリカの初等教育の病巣の深さを感じてしまいました。
アメリカの小学校教育は深刻な問題を抱えているなと思いました。

このブログ主の認識に言葉を失いました。
積分定数
2012/05/05 22:50
「掛け算の正しい順序」や「足し算の正しい順序」は、数学的に間違いですが・・・。
包含除と等分除は間違いではありません。
同じ式から複数の解釈ができて、そのことで数式が理解できるという効用があります。

内包量の場合は、便利な概念かもしれませんが、数学的な根拠がないので、厳密に考えようとすると行き詰まります。
おおくぼ
2012/05/05 22:51
>アメリカの小学校教育は深刻な問題を抱えているなと思いました。

一眼国ですね。
おおくぼ
2012/05/05 23:01
>ただ、教育とは、大多数に分かりやすい方法を工夫するもので、様々な流儀があって良いとは思います。○○式とか、××流とか。問題は単なる流儀がいつの間にか算数のルールに昇格してしまったところかと。

算数(数学)ルールに違反する流儀はダメだと思います。
違反しない場合は、どの程度役に立って、弊害はどのくらいかということで判断すべきでしょう。
おおくぼ
2012/05/05 23:09
こちらにも天むす名古屋さんの発言と引用を貼り付けておきます。

http://twilog.org/genkuroki/date-120506
http://www.twitlonger.com/show/h9o5ts
くろきげん
2012/05/06 03:15
>おおくぼさん
>包含除と等分除は間違いではありません。
同じ式から複数の解釈ができて、そのことで数式が理解できるという効用があります。

それでいったら、引き算の求残・求補・求差や足し算の、合併・添加・増加、かけ算の積と倍なども間違いではないですよね。

私がこれらの概念を「虚構」というのは、これらの概念はつながっていて、例えば、見ようによって求残は求補とも見なせるということです。

 12この蜜柑を4等分すると1人いくつか?

12個÷4人=3個/人

4を、(一人あたり1個)につき全体で4個必要、と解釈すれば、

4個/(個/人)

12個÷4個/(個/人)=3個/人

ちょっとした単位の操作で等分除を包含除にできる。

□○

これを、□の右に○がある、と表現するのか、○の左に□がある、と表現するかの違いでしかないと思います。

 ただ何度も言うように、教える上においての分類の有効性までは否定しません。

 それは内包量・外延量も同様です。
積分定数
2012/05/06 05:48
>http://twilog.org/genkuroki/date-120506
http://www.twitlonger.com/show/h9o5ts

この「現代化」に関しては、よく分からない面がある。

 私がよく指摘する、正方形は長方形かどうか(高校でも、必要十分条件は必要条件でもある、とちゃんとは教えないようである)も、私はちゃんと習った記憶がある。集合もやった。70年代に小学生だった。

 「算数 よい授業わるい授業」松原 元一 (著)、柳瀬 修 国土社によると、 「学者やマスコミからの理不尽な批判によってなくなってしまったとある。

 子どもには難しくて、混乱する子どもが多かったからと言う説もある。

 実は教師自身が良く理解していなくてそれで混乱してしまったのが原因と推測する人もいる。

 正方形は長方形でない、という誤解があるところをみると、ちゃんと教えないで曖昧にしていることで混乱してしまっているようにも見える。
積分定数
2012/05/06 06:02
>一眼国ですね。

私も同じ事を思いました。

 マタタビが好きでペットとして飼育される肉食哺乳類は、世界中どこに行っても「猫」です。ところが米国の教育系サイトでこれを「cat」と表記しているものがありました。こ、言葉を失いました。こ、これがアメリカの小学校教育なのでしょうか・・・。
積分定数
2012/05/06 06:12
そもそも、数学のルールは「人為的」なものなのだが…。
10進法で書くとか、算用数字で書くとか。
算数
2012/05/06 08:29
掛け算を「×」で書くとか…。順序派は、(ある場合に)「×」に「通常の掛け算」以上の意味を付加する、という人為的なルールを導入しているに過ぎない。
算数
2012/05/06 08:34
>それでいったら、引き算の求残・求補・求差や足し算の、合併・添加・増加、かけ算の積と倍なども間違いではないですよね。

そうですね。
でも内包量の場合は、数学的な根拠がありません。
私の主張は、「数学的な根拠がない概念を使ってはいけない」ということではありません。
数学的な根拠のない概念が、数学的な根拠のある概念と勘違いされて使われるのはマズいと思います。

また数式があって、数学のルールに乗っ取った解釈はいいと思うのです。
その場合はあくまで解釈であって、別の解釈もできる可能性があるということが大事だと思います。
だから「解釈は一つ」だとか、「この場合はこの解釈しか許されない」となるとマズいと思います。
おおくぼ
2012/05/06 08:36
算数では、「×」は世界中どこに行っても「(順序無し)掛け算」です。ところが日本の小学校の算数の授業で、これを「順序付き掛け算」と使用しているものがありました。こ、言葉を失いました。こ、これが日本の小学校教育なのでしょうか・・・。
算数
2012/05/06 08:39
追記

等分除と包含除に関しても、「知らなければいけない」ということではありません。
知っていれば便利な時があるということです。
特に「分数同士の割り算」を小学生に理解させる時に便利だと思うのです。
おおくぼ
2012/05/06 08:40
そもそも、「数式の使用法」も含めて、数学のルールは、人為的なものなのだが。
算数
2012/05/06 08:42
出題者が、「数式の使用法」についてのルールを指示している場合に、指示されたルールに従っていない解答が、不正解であるのは当然のことだが。
算数
2012/05/06 08:45
訂正&補足(自分のコメント ↓)

>増加と合併という違いはないし、求残と球差という違いもない。この違いを認めると、交換法則に違反するのでは?

1. 「増加と合併」と「求残と球差」は、数式上では違いがない。
2. 足し算で「時間の前後順に書くべき」や「空間の左右順にかくべき」という主張は、交換法則に違反する。

この二つの主張がゴチャゴチャになりました。
すいません。
おおくぼ
2012/05/06 08:48
「ある特定の場面」で「ある特定のルール」を指示することが良くないことだ、ということはあり得るね

その判断は、「どういう場面で、どういうルールか」、ということに依存するね。「×」を順序付きの掛け算とするルールを指示することは「常に良くない」ことだ、なんてあり得ない
算数
2012/05/06 08:49
通常は、「順序付き」で導入しておいて、可換ならば、可換であることを指摘して後に、「順序無し」に移行する

しかし、「順序無し」に移行しない流儀が算数教育業界で広がっている。そういうことでしょう
算数
2012/05/06 09:01
>おおくぼさん
>「分数同士の割り算」を難しいと感じる小学生は多いのではないでしょうか?

これは、「言葉」の問題ではないかと思います。6÷2という割り算の「言葉」による「包含除」の説明は「6に含まれる2の個数」で、「等分除」の説明は「6を2つに分けた時の一つ分の量」とでもなります。ここで既に「個数」は自然数で、「量」は分数なども含まれるという、ニュアンスが日本語には有ります。6÷(1/2)の「等分除」の説明を上記に倣ってすると「6を1/2に分けた時の一つ分の量」となります。このような表現は通常、日本語としてしませんし、「6を2つに分けた時の一つ分の量」という意味とも受け取る人もいるかもしれません。そもそも日本語では「分数に分ける」という完結な表現はないので、意味が不明瞭になってしまいます。

そこで、「等分除」の説明をもう少し正確にすると「6÷2とは、6に同じ数が2つ分含まれるようにした時の、その同じ数」となります。同様に「6÷(1/2)とは、6に同じ数が1/2含まれるようにした時の、その同じ数」となり、6に1/2しか含まれない数は12です。ここで気付くのは、「等分除」の説明だったのですが、「2つ分含まれる」という「包含除」の説明が出てきていることです。

つまり、「等分除」と「包含除」に算数の意味での本質的な違いはなく、「言葉」の表現上の違いだと言うことです。日本語では、「含まれる量」は自然数に限りませんが、「分ける数」は自然数に限る場合が普通だという事情で分数の「等分除」は考えにくくなっているのだと思います。しかし、説明できないわけではありません。ただし、翻訳文風で日本語としてこなれていない感じになるので、分かりにくいことに変わりは有りませんが、不明瞭さは減ります。
zorori
2012/05/06 10:32
zororiさんへ

6÷2=3は、6を2つに割ると3になる、と解釈できます。
では、6÷1/2=12の場合はどうでしょうか?

6を1/2に割ると12になる、という解釈だとわかりにくくないでしょうか?
それよりは、6の中に1/2は12個ある、と解釈した方がわかりやすいと思うのですが・・・。
あるいは6を2倍すると12になる、と解釈するという方法もあります。
おおくぼ
2012/05/06 17:38
>6を1/2に割ると12になる、という解釈だとわかりにくくないでしょうか?

1/2mで6sの鉄の棒の線密度は?
1mでの質量だから2倍すればいい。

zororiさんも書いてますが、日本語の感覚の問題と、算数の理解は別です。
積分定数
2012/05/06 18:06
>おおくぼさん
>6を1/2に割ると12になる、という解釈だとわかりにくくないでしょうか?

もちろん、分かりにくいです。分数の等分除の解釈も分かりやすいという意見ではありません。
分かりにくいですが、そのような解釈も可能で、少しでも分かりやすい表現をを追及すれば、結局、別の解釈と同じことで、表現の違いに過ぎないという、当り前と言えば当り前のことが実感できるという趣旨です。
分かりにくいというのは、使っている言語の限界によるもので、理解の対象の性質とは関係ないということですね。
同じことを、表現を変えていろんな解釈をしているのであり、それは分かりやすかったり分かりにくかったりしますが、別のものではないわけですね。
zorori
2012/05/06 18:41
私には日本語の限界というのがよくわかりません。
例えば「江戸時代の日本語で現代数学を表現しろ」と言われれば難しいです。
でも現代日本語で、小学校の算数を表現できないというのはどうなんでしょう?
現代日本語での理解なしに小学生全員に算数を理解させることは可能なんでしょうか?
おおくぼ
2012/05/06 19:16
「6を1/2に割ると12になる」、この日本語がわかりにくいという話と、算数・数学の理解としてのわかりやすさは別だということだと思います。
積分定数
2012/05/06 19:24
A÷BでBが分数の場合は、分母と分子をひっくり返して掛け算する。
この理由を小学生に理解させるにはどうすればいいか?
・・・ということです。
おおくぼ
2012/05/06 19:48
教え方に関しては色々あると思います。私の場合は、なるべく教えないで、試行錯誤して子どもが自分で発見するような方法を考えます。

 それはさておき、おおくぼさんは、引き算の求残と求補に関しては、虚構だと思いますか?
積分定数
2012/05/06 20:00
>引き算の求残と求補に関しては、虚構だと思いますか?

虚構の定義にもよりますが、内包量が虚構という意味では、引き算の求残と求補は虚構ではないと思います。
でも引き算の求残と求補の違いを教わって、何の役に立つのか?とは思います。

数学は「現実ではない」という意味では虚構だと思います。
でも数学は役に立ちます。
役に立つとは関係なく、数学の魅力に取りつかれて数学を勉強をしている人も多いとは思います。
でも義務教育の場合は役に立つということが重要だと思います。
虚構=役に立たないモノと定義すれば、「引き算の求残と求補」は虚構という気がします。
おおくぼ
2012/05/06 21:45
包含除と等分除も同じ事だと思うのです。

こういう場合にわり算/引き算が使える。
わり算/引き算が使える場面としてこういうのがある。

ということで、等分除的・包含除的あるいは求残的・求補的文章題を例示するのは構わないのです。

 でも、区別自体はなんの役にも立たないと思います。
積分定数
2012/05/06 22:33
1)花壇にチューリップの球根が5個植えてあります。スコップで2個掘り出しました。花壇にはチューリップがいくつあるでしょうか。
2)潮干狩りにきました。この砂浜にはアサリが5ついます。熊手で2つ掘り出しました。

1)はスコップ算と呼びます。2)は熊手算と呼びます。
というのと似ていると思う。<求残と求補

結局現実の抽象化の程度や抽象化してない部分の呼びわけかたの違い。
M
2012/05/07 08:18
2)潮干狩りにきました。この砂浜にはアサリが5ついます。熊手で2つ掘り出しました。砂浜にはアサリがいくついますか。

後半が落ちました。
M
2012/05/07 08:19
抽象化していないぶぶんを一生懸命分類するということは、ある意味算数の本質から外れたところなのだと考えます。
M
2012/05/07 08:23
熊手算は、アサリ算と蛤算があります。

マテガイの場合は、塩算です。

同じ二枚貝でも全く違う引き算なので注意しましょう。
積分定数
2012/05/07 10:35
本居宣長は算数教育業界の状況を予言していた!

玉勝間 新たに言ひ出でたる説はとみに人のうけひかぬこと

 おほかた世の常に異なる新しき説(ときごと)を起こす時には、よきあしきを言はず、まづひとわたりは、世の中の学者に憎まれそしらるるものなり。あるは、おのがもとよりより来つる説といたく異なるを聞きては、よきあしきを味はひ考ふることもなく、初めよりひたぶるに捨てて、取り上げざる者もあり。あるは、心のうちには、げにと思ふふしも多くあるものから、さすがに近き人の言に従はむことのねたくて、よしともあしとも言はで、ただうけぬ顔して過ぐすたぐひもあり。
 あるは、ねたむ心のすすめるは、心にはよしと思ひながら、その中の疵(きず)をあながちに求め出でて、すべてを言ひ消たむとかまふる者もあり。おほかた古き説をば、十が中に七つ八つはあしきをも、あしき所をばおほひ隠して、わずかに二つ三つの採るべき所のあるを取り立てて、力のかぎり助け用ゐむとし、新しきは、十に八つ九つよくても、一つ二つのわろきことを言ひ立てて、八つ九つのよきことをも押し消ちて、力のかぎりはわれも用ゐず、人にも用ゐさせじとする、こはおほかたの学者のならひなり。


反順序は、「世の常に異なる新しき説」ではなくて、世間では常識という点が異なるが。
積分定数
2012/05/07 11:06
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120507-00000511-yom-soci

>竜巻注意情報の対象地域はほぼ県単位と広く、台風情報などと同様の精度で予想するのは、現在の技術では難しい。昨年1年間では589回の発表があったが、予報が的中したのは8回だけだった。

注意情報なしで、竜巻発生はどのくらいだったのか?が分からないと、予報が無駄なのかどうかが分からない。

予報有りで竜巻発生/予報有り
予報なしで竜巻発生/予報なし

この値がほぼ同じなら、予報の意味があまりない。
前者が大きいなら、予報の意味はある。
積分定数
2012/05/07 17:01
>でも現代日本語で、小学校の算数を表現できないというのはどうなんでしょう?

言葉からすると算数は理不尽だと思います。
正確に言葉に出来ないからこそ、数式という共通言語が出来たのではないでしょうか。
TaKu
2012/05/07 19:56
>予報有りで竜巻発生/予報有り
>予報なしで竜巻発生/予報なし

2つめの式の分母はどういう数字をいれればいいでしょうか?

竜巻注意情報の検証データは
http://ds.data.jma.go.jp/fcd/tatsumaki/kensho_2011.pdf
で捕捉率21%(見逃し31例79%)となっています。

M
2012/05/07 20:14
>おおくぼさん
>私には日本語の限界というのがよくわかりません。

言葉には様々なニュアンスや付着していたり,使用可能な場面が限られていたりします。そのようなニュアンスや条件を取り去った抽象概念を元の言葉で表すのは困難が伴うというような意味です。
「分ける」という言葉は通常,「2つに分ける」という具合に自然数分に分ける場合に用いるもので,「分数分に分ける」という使い方はあまりしません。言葉には適切な適用範囲が有り,それを逸脱すると無意味だと感じるわけです。

しかし,分数に拡張するということは,言葉としての適切な適用範囲を逸脱することですから,言葉の方も適用範囲を拡張するか,別の表現をするしかありません。別の表現とは,別の概念ではなく,同じ概念の別の表現に過ぎないということが重要だと思います。また,言葉の適用範囲の拡張は割と頻繁に行われていて,「おいしい生活」のような最初無意味と感じる用法にもすぐ慣れてしまいます。
zorori
2012/05/07 22:06
「6を2つに分ける」等分除イメージ

1行の6を2行に並べる(分ける)と,
○○○○○○

○○○
○○○

この2行の長さは3

同様に1/2行に並べる(分ける)と,

△△△△△△△△△△△△

(記号△は○の半分の大きさの半円,1/2行なので,半円△を並べる)

この1/2行の長さは12

こういうことを考えていると,「等分除」イメージも「包含除」イメージもあまり変わらなくなってきます。
zorori
2012/05/07 22:07
「おいしい」の元々の意味は「食べ物の味に満足感を感じる」だったと思います。食べ物の味という限定を外して「満足感を感じる」と拡張しれば,「おいしい生活」という用法も可能です。

「分ける」の元々の意味は,「ひと固まりだったものを,小さな固まり数個とみなす」です。これを「ひと固まりだったものを,大きな固まり数分の1個とみなす」も含むように拡張すれば,分数の割り算です。6個は3個の固まり2つですから,6を2で割ると3です。同様に6個は12個の固まりの1/2ですから,6を1/2で割ると12です。これは,分数の導入で掛け算と割り算を統合したということでもあり、割り算は逆数の掛け算ということの感覚的説明にもなっています。
と言うようなことが理屈では分かっても、「1/2に分ける」という言葉使いに慣れないうちは違和感が伴います。これが日本語の限界ですが、慣れれば克服できます。
zorori
2012/05/07 22:18
>2つめの式の分母はどういう数字をいれればいいでしょうか?

単純化して、ある時間帯である地域で、予測は、竜巻が発生する危険があると予想する/しない、という2つだけだとする。で、実際に竜巻が発生する/しない、の2つだけだとする。

例えば、トータルで、竜巻発生率は0.001%とする。

発生の危険があると予想した場合の実際の発生率が、0.002%なら、「発生の危険があると予想すると通常の2倍の確率で発生する」といえるから予測に意味がある。この場合必然的に、予想しなかったときの発生率は0.001%を下回る。

 発生の危険があると予想した場合の実際の発生率が、0.001%なら、予想した場合も通常と同じ発生率だから予想の意味がない。この場合必然的に、予想なしの場合の発生率も0,001%。

 とはいえ、いくら予想に意味があるといっても、そもそも発生確率が低いわけだから、それが数倍に高まったと言われても、リアルなリスクとしては認識しづらい。

 滅多に起きないことに対する備えって、難しいですね。
積分定数
2012/05/07 23:29
zororiさんが示したことを端的に言うと、面積6の長方形の縦が1/2のときに横の長さは?ということ。

そうなると、等分除と包含除の区別はますます困難。
積分定数
2012/05/07 23:32
たびたびとりあげている瀬戸智子氏によれば、長方形の面積と縦が分かっている場合に横を求めるわり算は、包含除でも等分除でもないそうです。この人は、あれこれ分類することを真に受けてしまった悪い見本だと思う。
積分定数
2012/05/07 23:48
http://ts.way-nifty.com/makura/2009/07/post-4df6.html
等分除と包含除は明らかに違います。
それは何回も書いているように、かけ算の意味とリンクしているからです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
等分除は「みかんが12個あります。4人に同じ数ずつわけると、1人分は何個になるでしょう」というもので、かけ算でいうならば「1あたりの数を求めるものです」
包含除は「みかんが12個あります。1人に4個ずつ配ると、何人に分けられるか」というもので、かけ算のいくつ分を求める演算です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ただ、割り算は等分除と包含除だけでないことは、
エントリーにも書いています。
つまり「倍」を求める場合や、かけ算の逆の演算で有る場合などです。
「20は5の何倍か」と言う問題では等分除も包含除も無関係です。
「面積20、縦5なら横は(単位省く)」の問題も同様です。
等分除と包含除とは、
かけ算の「1つあたり」×「いくつ分」=全体のかずという公式が成り立つ問題で、「1つあたり」を求めるのか「いくつ分」を求めるのか、
と言うときの方法を言うものであって、割り算がみんな「等分除、包含除」と言うことではありません。
積分定数
2012/05/07 23:48
zororiさんへ

私は分数ではなく、「÷」という記号が難しいのだと思います。
分数には「÷」の意味があります。
「÷ 分数」と並べると難しくなります。
でも「× 分数」は簡単です。
例えば、
4×1/2
4×1/2×1/2

4÷1/2
4÷1/2÷1/2

>「1/2に分ける」という言葉使いに慣れないうちは違和感が伴います。

「1/2にする」は簡単ですが、「1/2に分ける」は難しいです。
理由は「÷ 分数」だからです。
おおくぼ
2012/05/08 02:25
>滅多に起きないことに対する備えって、難しいですね。

アメリカのハリケーンなどは確率が高いし、発生してから襲ってくるまで時間があるので予防ができます(逃げるとか)。

大型地震の場合は確率が低く、発生してから襲ってくるまでの時間が短いので予防が難しいです。
津波の場合は逃げる時間があるので、早くて正確な情報が重要でしょう。
でも津波の原因である地震の予測が難しいので、地震が起こってからでないと予測ができないという難点があります。
おおくぼ
2012/05/08 02:34
「1/2に分ける」で連想するのは、自然数以外のべき乗です。
「何回か、かけ合わせる」。0回かけ合わせる、1/2回かけ合わせる。
これも最初は分かりにくいですね。

>でも「× 分数」は簡単です。

これも、言葉使いによっては、分かりにくくなります。

6×1/2とは、「6を1/2回足し合わせる累加のこと」。1/2回累加ってどういうことだ?とか。
zorori
2012/05/08 06:19
 ネットで見ると米国では地下室を持つ家が多いようですね。頻度とコストの兼ね合いって事かな。

 等分除と包含除の「違い」は、求めるものが(1あたり)か(いくつ分)かの「違い」ですが、おおくぼさんは、掛け算において(1あたり)と(いくつ分)は異なる、区別できるとお考えでしょうか?
積分定数
2012/05/08 07:37
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120507/k10014947111000.html

>「竜巻注意情報」は、全国で去年1年間に合わせて589回発表されましたが、実際に突風が発生したのはこのうちの8回で、予測が的中した割合は1%ほどにとどまり、反対に情報が出ていないときに突風が発生したケースも31回ありました。



>6×1/2とは、「6を1/2回足し合わせる累加のこと」。1/2回累加ってどういうことだ?とか。

「1/2を6回足すこと」でいいのでは?



掛け算は交換法則がありますが、割り算は交換法則ありません。
(1あたり)と(いくつ分)を選ぶ場合でも掛け算は任意ですが、割り算は違います。
おおくぼ
2012/05/08 07:55
本居宣長の『玉勝間』で神代文字論争を思い出しました。
ちなみに本居宣長は神代文字否定派です。
おおくぼ
2012/05/08 08:09
瀬戸智子さんは、「割り算の意味は、『等分除、包含除、倍』の3つでかけ算の逆思考です。」だそうですね。しかし、その後に「かけ算の逆の演算で有る場合などです。」が加わると、混乱していますね。かけ算の逆の演算なのはすべての場合ですからね。面積/長さのように次元が変わる話はないのね。
TN
2012/05/08 09:36
>おおくぼさん

おっしゃっている意味が分からないのですが、

(1あたり)×(いくつ分)=(全体)

(1あたり)=(全体)÷(いくつ分):等分除
(いくつ分)=(全体)÷(1あたり):包含除

でも、掛け算において(1あたり)と(いくつ分)は入れ替え可能、(いくつ分)×(1あたり)という順序でもいいというレベルのみならず、(1あたり)と見なした数を(いくつ分)と見る、(いくつ分)と見なした数を(1あたり)と見ることができる。視点を変えれば、(1あたり)と(いくつ分)は逆転して見えて、そもそも(1あたり)と(いくつ分)を厳密に区別することは出来ない、かけ算とはそもそもそういう演算である。(1あたり)とか(いくつ分)とかいうのは、かけ算導入時における便宜的概念である。

というのはこれまで散々議論されてきたと思います。

 等分除と包含除の違いは、求めるものが(1あたり)か(いくつ分)かの違いです。上記のように両者の区別が見かけ上のことであり非本質的なものなので、等分除と包含除の区別も見かけ上のことであり、非本質的だという話なんですが。
積分定数
2012/05/08 10:03
>瀬戸智子さんは、「割り算の意味は、『等分除、包含除、倍』の3つでかけ算の逆思考です。」だそうですね。

私はそもそも等分除・包含除の区別が虚構だと思っているのですが、彼らの土俵に載った場合、「倍」を求めるのは包含除だと思うのですが、なんだかよくわからないですね。

20÷5 を 20は5の何倍か?と捉えたら、20は5がいくつ分か?ということで包含除だと思うが。

あと、「倍」って、「単位が変わらない」のではなかったっけ?

20p^2で縦5pなら横は?答えは4pだけど、

20p^2は5pの4p倍、とも、5pの4倍とも普通は言わないと思う。

引用した瀬戸智子氏の文章、特に後半部分は支離滅裂。

算数教育指導法を一生懸命学び、教師とともに勉強会をしてこういう考えになったということ自体が、今の算数教育業界の抱える問題点を如実に表している。

http://www.twitlonger.com/show/f6hhr2
>根上生也 2011/12/29 07:03
>いずれにせよ,掛け算には積と倍という2つの概念があります.積は通常単位を伴う2数を使って別の次元の単位をもつ数を作ります.辺の長さから長方形の面積が求まるように.

 ここでは「倍」は単位の変わらないものとして扱っている。
積分定数
2012/05/08 10:30
 日常言語からしたらそうだろう。

 しかし、かけ算を「単位が変化しないもの=倍」「単位が変化するもの=積」と分ける必要があるのか?

 関数を定数関数と、定数関数以外の関数に分けるようなもので、全く不必要。定数関数と定数関数以外の関数を、区別することに異議はないが区別は可能。

 倍と積はそれすら不可能。単位が変化するかどうかは解釈次第。

縦5p 横4pの長方形の面積

横幅1pの縦に細長い長方形の面積は5p^2これが4つ分
と解釈すれば、5(p^2)×4=20(p^2)で、単位の変化しない倍ともいえる。

あるいは、横1pあたり、面積は5p^2だから、
5(p^2/p)×4(p)=20(p^2)
とすると、(1あたり量)×(いくつ分)となる。

解釈次第でどうとでもなるものを、倍だの積だの分ける必要性が分からない。
積分定数
2012/05/08 10:30
高校生に順列組み合わせを教える場合、

nCmが、

n個からm個取り出す方法
n個からn−m個取り出す方法
Aがn個、Bがm個ある。これらを1列に並べる方法
(x+y)^nのx^m・y^(n-m)の係数
(x+y)^nのx^(n-m)・y^mの係数
n×mの格子路の道順

などの意味があることを知っていることは必要。

 しかし、「nCmには6種類の異なる意味がある」という認識は誤り。

「nCmの意味は?」などと質問して生徒に「組み合わせ、2項定理、格子路、・・・」などと答えさせる教師がいるような気がして恐ろしいが、そんな問いはナンセンス。

 nCmを理解したら、上に列挙したようなことは結局同じ事を求めているのだと分かるはず。
 nCmを「n個からm個取り出す方法が何通りか?」という問題にしか使えないと生徒が思い込まないように、見かけが違うが本質的には同じこれらの問題を出す必要がある。

 すごく数学的センスがあれば、上に列挙したようなことは全て同じに見えて、「見かけが違う」ということが分からないかも知れない。

 その場合、教える上ではちょっとまずい。
積分定数
2012/05/08 10:46
教える上で、求残・求補・求差、等分除・包含除ということを知っている必要性があるというのは、そういうことだと理解している。

 「子どもには違った物に見えるので、そこを配慮しましょうね」という話。

 教える側まで「全く異なる」と認識してしまうのは、「コンビネーションには、組み合わせや2項定理、格子路道順などの全く異なった意味がある」と認識するようなもの。


 例えば、「水槽に金魚が3匹います。あらたに2匹追加した。何匹?」という問題で、3+2=5という式を学び、

「足し算というのは魚の場合にしか使えない」と思い込んでしまうとする。ほとんどの子どもがそう思い込むとする。

 「電線に雀が3羽います。2羽きました。何羽になったでしょう?」

これは大人から見たら、金魚の場合と同じに見えるが子どもには全く違う問題に見える。

 だから、魚足し算だけでなく、鳥足し算もやらないとならない。

 こんな具合に、○○足し算、が何種類も出来ることになる。

 つまり、教える上で知っておくべき「何種類もの足し算・引き算・かけ算・わり算」というのは、子どもや人間の認知、同じと見なすか、異なると見なすか、に依存する事であって、算数・数学の本質とは独立。

 算数教育業界はその点が混乱しまくっている。
積分定数
2012/05/08 10:58
>定数関数と定数関数以外の関数を、区別することに異議はないが区別は可能。

>定数関数と定数関数以外の関数を、区別することに意義はないが区別は可能。
積分定数
2012/05/08 10:59
(一つあたり)×(いくつ分)という考えは、分数を元に考えですね。
箱や皿の中に何個あるか?です。

等分除と包含除は数式としては同じなので、解釈の違いです。
1/10を「10個に分ける」と解釈するか、「1/10が10個ある」と解釈するかの違いです。
数式が同じということは、数学的には違いはないということです。
でも現実に応用する時に、解釈は重要になります。
例えば「÷ 分数」をどう解釈するかです。
解釈は絶対ではなく、いろんな解釈ができると思います。
だから、「この解釈でなければダメ」というのは間違いです。
おおくぼ
2012/05/08 12:33
 私自身、教えるようになって気づいたことがある。

ア ABCDEの並べ方は何通り?

イ ABCDEを下の□に当てはめる方法は何通り
□□
□□□

アとイは同じ問題か?異なる問題か?教える前は、アさえやれば良いと思っていたが、「階乗は横に1列に並べる方法」と思ってしまう生徒がいるのでイも必要。

甲 アとイは同じ問題だと認識
乙 アとイは同じ問題だと認識しているが、生徒は異なる問題だと認識してしまうことがあることを知っている
丙 アとイは異なる問題。意味が全く違うと認識

教えるのにベストなのは乙。最悪なのは丙。横1列並べ替え、縦1列並べ替え、斜め1列並べ替え、・・・、沢山の階乗を教えて、名前を付けて「これはどのパターン?」などと質問しかねない。

 アとイが生徒にとっては異なるように見える場合があることは教える中で気づいた。
積分定数
2012/05/08 12:33
 算数でも同様のことがあったのかも知れない。

 「7人にて3人帰った。何人残っている?」という問題で引き算の概念は理解できたと思ったら、

「男の子が7人、女の子が3人いる。どちらが何人多いか?」が出来ない子が多数。

 両者は同じ構造で区別なんかしていなかった大人は、「子どもはこの2つの問題が異なる構造を持っていると思ってしまうのか。だとしたら、引き算の指導は、何人残ったか?というのだけでなく、どちらがどれだけ多い?というのもやらないとならないのだが」と気づく。

 それで、求残だの求補だの求差だのという分類が出来る。

 「本来は区別なんかできないし、これらは同じ構造を持っているのだが、子どもにはそれが違う物に見える場合もあるので、配慮しましょうね」ということであればさほど問題はない。

 ところが、指南書を書く人が本気でこれらの分類があると思っているのか、あるいはこれらは本質的には区別がないなどという当たり前のことを書く必要などないと思っているのか知らないが、「引き算には、求残・求補・求差があります」などと言うことになってしまう。

 そしてどうゆう事態になってしまったのかは、皆さん御存知の通り。
積分定数
2012/05/08 12:34
足し算・引き算は、「複数の意味」が本質的に「1つの意味」しかないことが比較的自明。

かけ算・わり算は、「複数の意味」や(1あたり)、(いくつ分)が幻影でしかないことを理解するのに、一工夫必要な場合がある。

一方、引き算・わり算は順序は一意的に決まる。
足し算・かけ算は左右の順序を入れ替えても答えが同じになる。

引き算、わり算に関しては、式は一意的に決定するので、表記方法から求残か求差かとか、包含除か等分除か、ということを表記方法で区別することは出来ない。

足し算・かけ算の場合、a+bとb+a、a×bとb×aで異なる意味を当てはめることが可能。

この2つの要因の作用から、「かけ算の順序」が最も顕著になってしまうと思われる。


この仮説からしたら、引き算の複数の意味の区別がもっとも弱くなることになる。

検索すると、

足し算の順序や足し算の意味(添加・合併)の区別の必要性が主張されるよりも、引き算の意味の区別の必要性が主張される例が多い。

順序や意味への拘りの強さは

足し算<引き算<わり算<かけ算

という順である。

足し算はすんなり理解しやすいが引き算は若干難しいので、「複数の意味に分解して理解させる」となってしまっているのかも知れない。

 引き算は、足し算の逆演算だが、「差」に対応する足し算はややこしい。

男の子と女の子がいます。男の子は4人です。あと3人男の子がやってきたら、男女の数は同じになります。女の子は何人?

こんな具合。このあたりも、足し算<引き算となっている原因かも知れない。
積分定数
2012/05/08 12:35
>解釈は絶対ではなく、いろんな解釈ができると思います。
だから、「この解釈でなければダメ」というのは間違いです。

だから、等分除など包含除だのは解釈の違いに過ぎない、等分除を包含除と解釈することもあるいは逆も可能、だから求残や求補、求差、合併と添加などと同様、虚構だという話です。

 正直、おおくぼさんが何故今更そのようなことをおっしゃるのか不可解なのですが。
積分定数
2012/05/08 12:38
>こんな具合。このあたりも、足し算<引き算となっている原因かも知れない。

つまり、こんなややこしい足し算の問題はやらない。だから、引き算の差はこのややこしい足し算の逆演算。

だから、引き算の難しさ=足し算の難しさ×逆演算による難しさ度合い+α 

+αが「差」の問題ということ。
積分定数
2012/05/08 12:42
>+αが「差」の問題ということ

α=「差」の問題の困難さ
積分定数
2012/05/08 12:44
> 正直、おおくぼさんが何故今更そのようなことをおっしゃるのか不可解なのですが。

虚構という言葉で、「足し算、掛け算の正しい順序」と「内包量」、「等分除と包含除」がまとめで否定されていると思えるからです。
特に「数式の間違った解釈」と「数式と合っている解釈」の両方を虚構という言葉で否定するのはマズいからです。
私は「計算だけでなく式の意味も大事」という主張には賛成です。
でも「足し算・掛け算の正しい順序」は、「数式の間違った解釈」なので、大反対なのです。
おおくぼ
2012/05/08 13:17
ぼくは「式の意味」という言葉を使った途端にその人は間違っている考え方をしている可能性が高いと感じるようになりました。

本当は式自体には具体的な意味なんてないんですね。式を解釈(もしくは具体的場面に応用)して初めて意味が付与される。そして大量にある解釈の全体がもともと意味なんて持たない個々の式に独特の概念を与えています。

ところが、式をある特定の具体的場面や考え方について述べられた文章の省略形だと理解し続けてしまうと、異なる場面と異なる考え方に完全に同じ式を適用できるという事実を理解できなくなってしまいます。

本当は完全に同じ式を異なる解釈で使って良いことを教えなければいけないはずなのに、「混乱するから」という理由でそうせずに、最初に決めた解釈(=意味)以外の解釈を許さないことにしてしまっている困った人達が存在する。

そのせいで、実際には膨大にある式の解釈の中からほとんど実質的に一つだけが教え込まれることになってしまいます。

本当は完全に同じ式に対して膨大に存在する異なる解釈の全体がその式に関する豊富なイメージの源泉になっていて、そのおかげで本来意味なんて持たない式について直観的な理解がし易くなっています。この点を無視するのはイメージの貧困に繋がります。

そして「そう考えてもいいし、ああ考えてもいいし、さらにこんなことをやっても全部正しい」という理解の仕方だと、気持ちよくリラックスして考えることができます。

しかし、「これしか駄目。他は全部バツか減点するよ」と言われてそれにしたがい続けなければいけないということになると、常にくだらない恐怖と闘い続けなければいけなくなってしまう。
くろきげん
2012/05/08 13:42
おおくぼさんは、算数教育業界の人達がどういう意味で「計算だけでなく式の意味も大事」と言っているかを無視していると思いました。実際にはおおくぼさんのようなまともな発想でそう言っているわけじゃあないですよね。

「式の意味」はもう完全に算数教育業界用語になってしまっているので、自分がまともな考え方をしていることをアピールしたければ使うときにはもっと注意しないとまずいと思いました。
くろきげん
2012/05/08 13:45
算数教育業界の人たちの意味での「計算だけでなく式の意味も大事」という考え方は完全に間違っており、教育的にも有害である、という意見を広めることはこの件においてとても大事なことだと思います。
くろきげん
2012/05/08 13:46
くろきげんさんへ

>本当は式自体には具体的な意味なんてないんですね。式を解釈(もしくは具体的場面に応用)して初めて意味が付与される。そして大量にある解釈の全体がもともと意味なんて持たない個々の式に独特の概念を与えています。

その通りだと思います。

>算数教育業界の人たちの意味での「計算だけでなく式の意味も大事」という考え方は完全に間違っており、教育的にも有害である、という意見を広めることはこの件においてとても大事なことだと思います。

この主張を極端にすると、「数式のルールと概念を教えて、後は機械的な計算だけさせればいい」となるのでは?
おおくぼ
2012/05/08 14:49
>おおくぼさん

「虚構」という言葉が語弊があるなら、次のような説明ならどうでしょうか?

20個のクッキーを5人に分ける 1人は?
というタイプの問題だけでなく、
20個のクッキーを5個ずつ分けると何人に分けられるか?
というタイプの問題も扱う必要がある。

20÷5という式が表す解釈の例として、20を5等分するとか、20は5のいくつ分か、というのがある。教える人はこう言ったことを知っておく必要がある。

 ここまでは私は同意します。コンビネーションの問題として組み合わせだけでなく2項定理や格子路道順問題も必要でしょう。

 等分的解釈を等分除、いくつ分か?という解釈を包含除と名付けるということが行われていることについてはどうか。

 名前を付けることで色々問題を発生させることになると思うが、妥協して名前を付けるまではいいとしましょう。

 但し、ここから先が重要です。

 等分除や包含除というのは、非本質的な分類である。同じ文章題が等分除にも包含恕にも解釈出来る。教える人はこのことを理解すべきだし、児童に等分除と包含除を区別させたりするべきではない。


 以上の私の主張で、おおくぼさんが同意できない部分はあるでしょうか?
積分定数
2012/05/08 15:50
コンビネーションが使われる場面を列挙しましたが、

コンビネーションには、組み合わせコンビネーション、2種類文字順列コンビネーション、2項定理コンビネーション、格子路コンビネーションなどがある。

などという説明がなされたら、「それは虚構だ。コンビネーションはコンビネーションでしかない」と反論します。

 コンビネーションが「組み合わせ」の意味だというのは便宜的なものでしかない。

>本当は式自体には具体的な意味なんてないんですね。

というのは私もそう思います。2項演算であれば九九の表のようなものが無限に広がっているイメージ。無限とは言っても、求めるアルゴリズムは存在する。アルゴリズムは1つとは限らない。複数のアルゴリズムが存在しても、出来上がる表が同じならそれは同じ演算。同じ演算を表現する異なるアルゴリズムも、よくよく検証したら実は同じことを違う表現で述べているだけ、というのもよくある話。

7C3 を AAABBBB の並べ替えが何通りあるか?と解釈したとする。

○○○○○○○  この7つの○で、Aが入るべき3つを選択する。

と考えたら、7つから3つを選ぶ組み合わせ、という解釈になる。

そうすると

ABCDEFG から3つを選ぶ選び方、というのと本質的には同じ問題。


等分除と包含除を区別するというのは、

「AAABBBBを並べる方法とABCDEFG から3つを選ぶ方法は全く異なる問題。文字の種類だって一方は2種類、もう一方は7種類で全く違う。コンビネーションを使う場合、どちらのタイプの問題なのかを見極めることが必要」

というようなものだと思う。
積分定数
2012/05/08 16:04
積分定数さんへ

>教える人はこのことを理解すべきだし、児童に等分除と包含除を区別させたりするべきではない。

数学的には同じだけど、違う解釈ができるという認識が重要だと思います。
区別=違う解釈、ならいいと思います。

私が虚構という言葉にこだわるのは、前のコメントでも述べたように、「順序」「内包量」「包含除と等分除」を一色単に批判してしまうことがマズいと思うからです。
批判の理由が違うのに、虚構という言葉で一色単に批判した場合、誤解を産んでしまうのではないでしょうか?

私は「等分除 包含除」という名前は嫌いだし、つける必要性を感じません。
また「等分除 包含除」の一般性を拡張すべきだとは思いません。
私の言いたいことは、「÷分数」に悩んでいる小学生がいた場合、「Aの中にBがいくつある・・と考えれば?」という教育上のテクニックの重視です。
もっといいテクニックがあれば、それを使えばいいだけです。
現場の教師は、うまく教えるテクニックを必要としています。
おおくぼ
2012/05/08 16:53
小学校の算数の場合、分数を苦手とする小学生が多いと思うのです。
分数同士の足し算、引き算、掛け算、割り算。
計算方法を暗記しても、計算方法を忘れれば問題を解けなくなります。
だから理解させるための、教育テクニックが重要となると思うのですが・・・。
おおくぼ
2012/05/08 17:09
本当に必要なのは、式の意味ではなくて、結果の意味、つまり計算結果の解釈だと思うのです。あまりにもあたりまえですが。
提示された問題に対して定式化して計算し得られた結果を解釈して結論を出す、という流れにおいて、重要なのは結果を解釈してただしい結論を出すことであって、途中の式や計算に対して逐次意味付けを行なっていくことではないと思うのです。
結果の意味付けの方法論として、途中の計算に意味を貼り付けてゆくやりかたはうまくない、というのが私の認識です。
M
2012/05/08 19:14
>ジュース8/3Lある。4/5L入るペットボトルに入れると、ペットボトルは何本いっぱいになって何Lあまるか?

に対して

>8/3÷4/5=10/3=3+1/3  3本 1/3Lあまる。

という誤りは、パターン化した「式の意味」をあてはめようとしいて、しかし失敗しているのに気付かなかったからです。結果の意味を考えようとしなかった失敗じゃないかと。
M
2012/05/08 19:56
>この主張を極端にすると、「数式のルールと概念を教えて、後は機械的な計算だけさせればいい」となるのでは?

これも違っていて、ツールとしての機械的な計算をするのでも構わないのですが、そのあとで、問題の理解に基づく計算結果の意味付けの作業が必要である、ということです。

その意味付けの方法論として、「いろんな意味の計算が複数ある」と場合分けして認識させるのはいささかまずい、というのが私の主張です。
M
2012/05/08 20:05
>おおくぼさん
>「1/2を6回足すこと」でいいのでは?

ということは,「6(一つ分)を1/2回(いくつ分)足し合わせる累加」はそのままでは分かりにくいので,「1/2(一つ分)を6回(いくつ分)足すこと」と考えるということですね。
掛け算でも分かりにくい表現はあるということで、私の言っていることと同じです。

>掛け算は交換法則がありますが、割り算は交換法則ありません。

要は,(一つ分)と(いくつ分)は入れ替え可能ということで,このことは,掛け算,割り算を問いません。

「一つ分12が1/2分では6」と「6を1/2に分けると一つ分は12」は,同じ状況を掛け算と見るか,割り算と見るかの違いでしか有りませんが、後者の見方は分かりにくい。それは「分ける」という言葉のせいに過ぎません。さらに「一つ分12を1/2回累加する」と書くと,掛け算でも分かりにくく感じます。別に、割り算そのものに分かりにくい原因があるのではないと思うのですが。
zorori
2012/05/08 21:12
>おおくぼさん
>「1/2にする」は簡単ですが、「1/2に分ける」は難しいです。
>理由は「÷ 分数」だからです。

それだと,「1/2がいくつ含まれるか」も難しいということになりますね。
「÷分数」でも、「1/2がいくつ含まれるか」なら簡単だけど,「1/2に分ける」は難しいという話だったと思うのですが。
zorori
2012/05/08 21:14
>この主張を極端にすると、「数式のルールと概念を教えて、後は機械的な計算だけさせればいい」となるのでは?

全然,そうはならないのでしょう。
具体的意味はない数式だからこそ,無数にある具体的状況に適用出来るわけですね。どの具体的状況に適用出来るかの判断は機械的に行うのは難しいと思います。

ところが,算数教育業界の人たちの意味での「計算だけでなく式の意味も大事」とは,細かく場合分けして、数式に限定した具体的状況の意味付けをしているだけです。場合分けを覚えれば、機械的に具体的状況が定まるわけです。残念なことに、場合分けは無数に必要ですから、うまくいきませんが。
zorori
2012/05/08 21:27
数式を場合分けして意味付けするのは、なんとなく、コンピューターのエキスパートシステムを連想します。知性のないコンピューターでも機械的に出来るけど、膨大な場合分けを記憶するメモリーのあるコンピューターでしか出来ない方法ともいえます。ただ、人間の脳は意外と機械的でエキスパートシステムに近いのかもしれませんが、その場合だって、膨大なパターンを経験を積んで暗黙知としなければならないわけで、「包含除」、「等分除」の2パターンだけではお話になりませんね。

例えば、次のような簡単な問題(釣銭詐欺にも似た例がある)でもお手上げかと。

3人の学生が旅館に泊まった。一人1万円、合計3万円を仲居さんに渡した。仲居さんが帳場の女将さんに3万円を渡したとところ、学生だから割引で5千円返すように言われた。返しに行く途中で仲居さんは考えた。5千円返しても3人では割り切れない。3千円返せば割り切れるからと、2千円を着服した。結局、学生は一人当たり1万円ー1千円=9千円を払ったことになり、3人では2万7千円の支払い。それに仲居さんの着服分2千円を足すと、2万9千円。最初に3万円払ったはずなのに、1千円は何処に消えた?
zorori
2012/05/08 22:15
>私が虚構という言葉にこだわるのは、前のコメントでも述べたように、「順序」「内包量」「包含除と等分除」を一色単に批判してしまうことがマズいと思うからです。

「順序」が虚構だという批判と、「包含除・等分除」批判は、表裏一体だと思うのですが。

ア (1あたり)×(いくつ分)でも、(いくつ分)×(1あたり)でも、どちらでも構わない。
イ (1あたり)と(いくつ分)は、見方によって逆転するから、(1あたり)と(いくつ分)は虚構である。

順序批判の主要な論点はこの2つだと思います。

おおくぼさんは、イについて同意しますか?
積分定数
2012/05/08 22:18
3÷1/5=15

包含除的説明 
3の中に1/5がいくつあるのか?
1の中に1/5は5個あるから、その3倍


等分除的説明 
1/5あたり3なら、1あたりは?
1/5で3だから、1ではその5倍

1/5×□=3 の解としての説明
□=15が当てはまる

縦1/5、面積3の長方形の横の長さ

などなど、でこれらは同じ事を違う装いで表現しているに過ぎない。
積分定数
2012/05/08 22:30
積分定数さんへ

アとイの両方に同意しますが、アは交換法則であり、イは解釈です。
イは虚構であっても、数学的には誤りではありません。
おおくぼ
2012/05/08 22:34
zororiさんへ

内容が多岐にわたっているので、少しづつ応えたいと思います。

>具体的意味はない数式だからこそ,無数にある具体的状況に適用出来るわけですね。どの具体的状況に適用出来るかの判断は機械的に行うのは難しいと思います。

その通りだと思います。

>ところが,算数教育業界の人たちの意味での「計算だけでなく式の意味も大事」とは,細かく場合分けして、数式に限定した具体的状況の意味付けをしているだけです。場合分けを覚えれば、機械的に具体的状況が定まるわけです。残念なことに、場合分けは無数に必要ですから、うまくいきませんが。

現代の算数(数学)教育では、現実への応用が不可能だということでしょうか?
おおくぼ
2012/05/08 22:38
>ということは,「6(一つ分)を1/2回(いくつ分)足し合わせる累加」はそのままでは分かりにくいので「1/2(一つ分)を6回(いくつ分)足すこと」と考えるということですね。
>掛け算でも分かりにくい表現はあるということで、私の言っていることと同じです。

掛け算でもわかりにくい表現はあると思います。
比較すれば、「÷分数」が、かなりわかにくいということです。
また「累加」という表現より「足す」という表現のわかりやすいです。
また「6を1/2回足す」よりは「1/2を6回足す」の方がわかりやすいです。
これは分数に割り算の意味があるからです。
「6を1/2回足す」→「6を半分にする」というふうに整数の翻訳した方がわかりやすくなります。
おおくぼ
2012/05/08 22:45
>イは解釈です。
そう言い切れば問題にならないのかもしれませんが、算数教育業界では(1あたり)と(いくつ分)を算数的実体として、しかも計算対象にたいして固定的に扱っている状況が虚構という印象を強く感じさせます。
M
2012/05/08 22:48
>要は,(一つ分)と(いくつ分)は入れ替え可能ということで,このことは,掛け算,割り算を問いません。

そのような言い方は、「割り算にも交換法則ある」という主張だと誤解されないでしょうか?

私は「等分除と包含除」という解釈を整数の掛け算にまで拡張することには反対です。
分数を理解するのに「等分除と包含除」という解釈は有効ということが、私の主張です。
分数を苦手に感じている小学生のための現場の教師のテクニックとして評価したいということです。

おおくぼ
2012/05/08 22:57
Mさんへ

このコメント欄では「虚構」という言葉が多義的に使われすぎていると思います。
だから「虚構」という言葉で何を言いたいかがぼやけてしまうと思います。
あるいは常連ではない人が読んだ場合に、不必要な誤解を産む要因になる気がします。
おおくぼ
2012/05/08 23:01
zororiさんへ

>別に、割り算そのものに分かりにくい原因があるのではないと思うのですが。

「割り算そのものがわかにくい」わけではないと思います。
「÷」という記号が難しいと思っています。
おおくぼ
2012/05/08 23:05
積分定数さんは、等分除と包含除を教えると「割り算は等分除と包含除の2つに分類できる」、「割り算とは等分除と包含除の事だ」、「等分除と包含除が割り算だ」のような考えになるのを危惧しているのだと思います。

実際は「等分除は割り算の一面である」、「包含除は割り算の一面である」、「等分除と包含除は本質的には同じである」だと思いますが、勘違いしやすいです。


>小学校の算数の場合、分数を苦手とする小学生が多いと思うのです。

大学生でも分数の計算が出来ない事例が結構あるとニュースで見た事があります。
個人的な想像になりますが、数式は抽象化した考えだという事が理解出来ていないのではと思っています。
等分除と包含除は抽象化を遠ざける要因になる気がします。
TaKu
2012/05/08 23:09
>それだと,「1/2がいくつ含まれるか」も難しいということになりますね。
>「÷分数」でも、「1/2がいくつ含まれるか」なら簡単だけど,「1/2に分ける」は難しいという話だったと思うのですが。

比較しますと、「2つに分ける」はわかりやすいと思います。
でも「1/2に分ける」は「2つに分ける」より難しいです。
これは「1/2」に「2つに分ける」という意味があるからです。
比較しますと、「1/2にする」と「1/2に分ける」の違いです。
数式だと「×1/2」と「÷1/2」の違いです。
おおくぼ
2012/05/08 23:11
(1あたり)と(いくつ分)の虚構性と等分除・包含除の虚構性は同等だと思うのですが。

 それから、内包量・外延量にしても、密度や速さは子どもが理解しにくい、単純に足し算できないという点で長さや重さとは違う。密度や速さは、これまでとは違うように扱おう、

というはなしと、

20個のビスケットを4等分する、4個ずつ分けるは、違う問題としてあつかおう


というのは、似た話だと思います。

ちなみに、内包量・外延量という概念を主張する人は、
等分除 外延量÷外延量=内包量
包含除 外延量÷内包量=外延量
という認識の場合が多いようです。

http://www.tsu.ac.jp/bulletin/bulletin/pdf/14/P001-011.pdf
の6ページあたり
積分定数
2012/05/08 23:11
TaKuさんへ

>大学生でも分数の計算が出来ない事例が結構あるとニュースで見た事があります。

『新版 分数ができない大学生』(ちくま文庫)という本があります。
おおくぼ
2012/05/08 23:14
>(1あたり)と(いくつ分)の虚構性と等分除・包含除の虚構性は同等だと思うのですが。

そう思います。
おおくぼ
2012/05/08 23:15
>のような考えになるのを危惧しているのだと思います。

さらに言えば、「等分除と包含除は全く別だ」という考えが拡がることも危惧します。数学で非常に大切な抽象化を否定することだとおもいます。

http://www.jtu-k.com/study/img/070328Taro10-03kyoukenisihara.pdf
5ページ
>7月前半・・・二つのわり算
等分除わり算と包含除わり算の違いをはききりさせる。

等分除と包含除の区別が必要という主張は、必然的に掛け算において(1あたり)と(いくつ分)の区別が必要ということになり、順序固定になりがちです。
積分定数
2012/05/08 23:19
>等分除 外延量÷外延量=内包量
>包含除 外延量÷内包量=外延量

こういう主張は理解不能です。
教えている人は、本当に理解しているのだろうか?
おおくぼ
2012/05/08 23:24
>おおくぼさん
>比較しますと

そのあたりは言葉の綾も問題だとおもいます。教える際に配慮すべき事ではあるけれども、算数・数学それ自体の本質とは関係ないと思います。
積分定数
2012/05/08 23:26
>教えている人は、本当に理解しているのだろうか?

教えている人は、それなりに完成された無矛盾な理論だと思っていると思います。

速さ、時間、距離、 速さが内包量、時間と距離が外延量、
距離÷時間は単位時間あたりを出すから内包量
距離÷速さは、単位時間に移動する距離がいくつ分かを求めるから包含除

で、深く考えないと、綺麗な理論であるかのように見えます。
積分定数
2012/05/08 23:33
>距離÷時間は単位時間あたりを出すから内包量

距離÷時間は単位時間あたりを出すから等分除
積分定数
2012/05/08 23:35
虚構、という形容は、(1あたり)と(いくつ分)信奉者には全く理解できず、したがって無意味に罵倒や否定しているだけにしか受け取って貰えないというおそれは持っています。信者に訴えかけ、転向を促せるような表現や説明はどうあるべきか、ということが課題だと思っています。
M
2012/05/08 23:36
今気づいたが、瀬戸智子氏が、長方形の面積と縦が分かっているときに横を求めるわり算は等分除か包含除かを質問したときに

>ただ、割り算は等分除と包含除だけでないことは、
エントリーにも書いています。
つまり「倍」を求める場合や、かけ算の逆の演算で有る場合などです。
「20は5の何倍か」と言う問題では等分除も包含除も無関係です。
「面積20、縦5なら横は(単位省く)」の問題も同様です。
等分除と包含除とは、
かけ算の「1つあたり」×「いくつ分」=全体のかずという公式が成り立つ問題で、「1つあたり」を求めるのか「いくつ分」を求めるのか、
と言うときの方法を言うものであって、割り算がみんな「等分除、包含除」と言うことではありません。


などと混乱した回答になったのは、

長さ×長さ=面積 で 外延量×外延量=外延量 なので、等分除にも包含除にもあてはまらなかったからではないだろうか?

 虚構の無駄な概念を積み上げて、どんどんややこしくしているようにしか見えない。
積分定数
2012/05/08 23:43
>信者に訴えかけ、転向を促せるような表現や説明はどうあるべきか、ということが課題だと思っています。

方便、便宜的なもの、非本質的、曖昧、不必要、・・・

何か良い案ないかな。

教育委員会指導主事と話し合ったときも思ったけど、言葉を換えたぐらいで説得できる相手ではないのだけどね。
積分定数
2012/05/08 23:51
「算数教育業界では(1あたり)と(いくつ分)を算数的実体として、しかも計算対象にたいして固定的に扱っている状況」(@Mさん)というのは,やや事実と違うと思います。
 どの教科書も,九九の単元の最後では(単元の途中の教科書もあります),個物を矩形に並べて,1あたり(かけられる数)といくつ分(かける数)の解釈が交換可能であることを示しています。
問題は,矩形の配置図では(1あたり)と(いくつ分)の解釈が自由であることを指摘していながら,文章で「○人に△個ずつ」とある場合は,○がいくつ分・△が1あたりという解釈しか許さず,かつ,(1あたり)×(いくつ分)という式の順序しか許さないことです。
また,(1あたり)と(いくつ分)の解釈が自由であることは,その解釈に意味がないこととは違うでしょう。(1あたり)と(いくつ分)に分別することが無意味なこともあるし,意味があることもある,と思っています。
「虚構」という言葉の使い方も,私は,自然数は自然ではなく文化であり虚構(あるいは「人間の自然」)だと思っているので,(1あたり)(いくつ分)が虚構だと言われても,算数や数学がそもそも虚構なんだから,と思ってしまうところがあります。
メタメタ
2012/05/09 00:03
>信者に訴えかけ、転向を促せるような表現
>や説明はどうあるべきか、ということが課
>題だと思っています。

私は
「電圧・電流・抵抗・電力は、内包量ですか
 外延量ですか」
でやって見ればいいのではないか、と思って
います。
ゴルゴ・サーディーン
2012/05/09 00:17
>また,(1あたり)と(いくつ分)の解釈が自由であることは,その解釈に意味がないこととは違うでしょう。(1あたり)と(いくつ分)に分別することが無意味なこともあるし,意味があることもある,と思っています。


 そうであれば、「便宜的な概念」あたりが妥当かな。

 かけ算やわり算を理解してしまったら早急に捨て去らなくてはならない無駄な概念、ただし、ある段階において必要な概念であることまでは全面的には否定しない、というニュアンス。
積分定数
2012/05/09 00:20
> 算数や数学がそもそも虚構なんだから

 だとしたら、「歴史」なんぞは200%虚構ですよ。
 「歴史」とやらの実態は、現代人が自分の都合で作ったつくり話。
鰹節猫吉
2012/05/09 01:39
くろきげん>算数教育業界の人たちの意味での「計算だけでなく式の意味も大事」という考え方は完全に間違っており、教育的にも有害である、という意見を広めることはこの件においてとても大事なことだと思います。

おおくぼ>この主張を極端にすると、「数式のルールと概念を教えて、後は機械的な計算だけさせればいい」となるのでは?

なりません。

この議論の文脈で教育関係者らしき人が実際に「計算だけでなく式の意味も大事」のようなことを言っている場面は本当にろくでもないものばかりだと思います。

「掛算の意味」と「掛算の順序」を混同している人が本当に多いと思います。掛算の式の順序が逆でも実際の解釈(意味)が同じてあってもよいということを理解できないらしい。

しかも裏に隠された問題のある考え方はこれだけではない。

「計算だけでなく式の意味も大事」という主張が出て来たら、「ああこの人は何もわかっていないな」と疑った方が良いという本当に悲しい状況。

そういう悲しい状況が目の前にあるのに、それを無視するのはとてもまずいと思いました。
くろきげん
2012/05/09 01:46
もはや、「掛算の意味」のような用語は腐った形で広まってしまったので、そういう扱いをするしか無くなってしまっていると思います。

ぼくは「掛算の多様な解釈」という言い方を広めたいと思っていて多用しています。

教育関係の用語は使い方が全体的に杜撰だという印象があります。

あまりにもびっくりしたので、ツイッターでも繰り返し話題にしているネタは「きまり」という言葉。

教育がらみで「きまり」と言えば「学校のきまり」という言い方がよく使われています。しかし、算数や理科においても、自然に成立している法則や規則性のことを「きまり」と呼んでいるんですね。学習指導要領解説にも出て来るし、インターネットで検索するとわんさかヒットする。

子ども相手に「学校のきまり」のような言い方でよく使われている「きまり」という言葉で、数学や自然界で人間とは無関係に勝手に成立してしまっている法則や規則性について教えるというのは大丈夫なんですかね?

人間が決めた「きまり」と人間とは無関係に成立している「ほうそく」をしっかり区別しないと、あらゆるものごとを誤解してしまいそうです。
くろきげん
2012/05/09 01:53
積分定数 2012/05/08 23:11
> 20個のビスケットを4等分する、4個ずつ分けるは、違う問題

それは当然、違うでしょ。
前者は「5個ずつ分ける」であり、後者は「5等分する」なんだからさ。

もちろん、「割り算」はどちらにも適用できるし、どちらかに適用範囲が限られる訳でもない。
同様に、「掛け算」の適用範囲は、(いくつ分)と(1あたり)に限られる訳ではない。
クロッキーG
2012/05/09 04:03
くろきげん 2012/05/09 01:53
> 人間が決めた「きまり」

要するに、順序派は標準的な(人為的)ルールを採用せずに
あるいは、標準的な(人為的)ルールに移行せずに、

「×」という記号は「(いくつ分)と(1あたり)を表す」

というルールを採用し続けるというだけのことだ
クロッキーG
2012/05/09 04:14
積分定数 2012/05/08 23:11
> 20個のビスケットを4等分する、4個ずつ分けるは、違う問題

当然、違う問題だね。仮にもし同じ問題だと考えるなら、前者のタイプの問題だけを出題し、後者のタイプの問題を全く出題しない、という指導でもいいのかな〜?
微分変数
2012/05/09 09:44
問題Aと問題Bは違う問題です。が、同様に割り算が適用できます

ということではないのかな〜?www
微分変数
2012/05/09 09:48
等分除、包含除、添加、合併、求残、求差、倍、積、1あたり、いくつ分、内包量、外延量、量分数、割合分数、など

 あたかもこれらの概念が本質的であり、教える側のみならず教わる側もしっかりと区別する必要があるかの如く主張されている例が多い。「求残 区別」で検索したら結構ヒットしたので驚いた。

 算数・数学を理解したらこれらの概念は消え去らないとならないのに、むしろこれらの区別ができることが算数・数学を理解する上で必須と思っている人が多い。

 こういう現状に対して、「そんな区別はないんだよ。便宜的にそう言っているだけに過ぎないよ。」という必要がある。

 それで「虚構」「幻影」と言う言葉を使いました。もっと適切な言葉があればそれを使いたいと思います。

 上記のような概念を本質的なものだと思っている人が、「虚構」「幻影」という言葉を聞いて、「そうかこれらは虚構なんだ」と思う可能性は低いかも知れませんが、算数教育業界の常識のあほらしさを世間一般に知らせるには、有効かも知れません。
積分定数
2012/05/09 10:28
「豆鯵は、骨ごと唐揚げにしてマリネにするのが美味しい。
大きな鯵は三枚に下ろして、味噌と紫蘇と一緒にミンチにしてなめろうにしたら美味しい。」

この段階では、「豆鯵とか大きな鯵とかの概念は虚構だ」と言う必要はない。


「豆鯵と大きな鯵を区別できることが重要だ」「豆鯵と大きな鯵は同じ鯵でも全く違います」「両者を区別できない人は魚について何も分かっていません」「区別できない人は料理をする資格がない」・・・

 などということが盛んに言われるようになったら、

 「小さい鯵は揚げれば骨ごと食える。三枚の下ろすのは大変。大きい鯵は骨が硬いが三枚に下ろしやすい。ただそれだけのことで、便宜的に小さい鯵を豆鯵と言っているだけで、同じ鯵。小さな鯵を三枚に下ろしても構わないし、大きな鯵を骨ごと揚げても食えないことはない。豆鯵と大きな鯵が本質的に違うかの如く言う人がいるが、そのような区別は幻影に過ぎない」

 と言いたくなります。
積分定数
2012/05/09 10:30
 名前を付けてしまうことで、あたかも区別があるかの如く考える人が出てきてしまうと思われる。

 連立方程式は、2つの未知数のうち1つを消して、未知数が1つの方程式に帰着させて解けばいい。

 未知数の1つを消す方法は多様であるが、典型的なやり方として、代入法と加減法がある。

 「連立方程式には代入法と加減法の2つの方法がある」

と生真面目に受け取っちゃう子は、未知数が増えた場合の連立方程式で困ってしまう可能性が高い。

 「なんだか知らないが、とにかく色々やって未知数を減らせばいい」と思っている子の方が対応できる可能性が高いと思う。

 これも、代入法や加減法という方法が良くないとは思わないが、名前を付けることで弊害があると思う。
積分定数
2012/05/09 10:49
 教えていて痛感したのが「移項」という言葉のまずさ。

 方程式を教えて、「両方に同じ操作をしてxを求めればいいんだよ」ということで出来るようになった子がいた。

3x+2=14  

こうのがちゃんと出来た。ところがあるときに、

3x=12+2 とした。

「何でそういうことが出来るの?」と質問すると「移項だから」と返事。

「移項」という言葉を習って、「移項というのは反対側に持ってくること」となってしまった。

 両方に同じ操作をする、で済んでいたのに、「移項」という言葉を知って、それを特別なことと思ってしまったようだ。

 「移項の場合は、符合を逆転させる」ということまで覚えないといけない。そうすると、

3x=12
x=12/(−3)=−4

とやりかねない。

「移項というのは足し算・引き算の場合だけを言って、その場合は符合を逆にする。足し算・わり算の場合は符合を逆にしたりはしない」ということを覚えなくてはならなくなる。

 不必要に余計なことを教えすぎ。

 方程式を十分理解して出来るようになった段階で、「ちなみにこういうのを移項という」というならまだいいのだが。
積分定数
2012/05/09 10:50
くろきげんさんの指摘している「きまり」という用語のまずさだが、かけ算の順序の混乱を見ていると、教えている人自身が、法則と約束事の区別が付いていないように思える。

 銀林浩の「数の乗法は交換できるが、量の乗法は交換不可」も、法則としていっているのか、約束事としていっているのか不明。どっちにしてもナンセンスだが。

 中学生あたりだと、「分母に根号があってはならない。分母は有理化しないといけない」という単なる慣例・約束事と、「√a・√b=√(ab)となるけど、√a+√b=√(a+b)としては駄目」という類のことが、レベルが違う話であるというのが分かっていないケースが多い。教え方に問題があると思う。

y=3xが正解なのに、y=3x+0と「誤答」する子は、

x^2+5 という2次式で、1次の項の係数は?と質問したら、0と正しく答えられる可能性が高い。

約束事をきっちり守ることと、数学の理解は別。
積分定数
2012/05/09 11:04
子どもの頃、「活火山・休火山・死火山」という言葉を知ったけど、現在ではこの様な分類は修正されているそうです。
http://www.sci.hokudai.ac.jp/isv/faq/post-39.html

 算数教育業界の様々な用語も何とかして欲しい。
積分定数
2012/05/09 12:01
遠山啓エッセンス3 量の理論 銀林浩・榊忠男・小沢健一 日本評論社 p87 
▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽
 このような分離量と連続量の区別は、数学教育では必要であるが、これまでは、はっきりと意識されていなかった。
 この区別がなかったために、例えば除法の2つの意味をうまくとらえることができなかった。それは等分除(partition)と包含除(quotition)である。
 連続量では、この2つははっきりと区別できる。たとえば「6Lを3等分するといくらか」という問題は
6L÷3=2L
と書けて、答えは2Lとなる。ところが「6Lのなかに3Lはいくつあるか」というのは
6L÷3L=2
となり、答えは2となるが、2つの問題は意味がまるでちがっている。
「6コのリンゴを3人にわけると1人前は何コずつになるか」という等分除の問題は、
6÷3=2
となるが、これから答えを出すには、トランプを配る方法を使うと、まず1回配って3コ、2回目は3コで、結局3コが6コのなかにはいくつ含まれているか、を考えることになって包含除に転化する。したがって分離量では等分除と包含除はたがいに転化し合うものとなる。事実上そのように考えることができないと困るのである。
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△

本文でも書いたが、

>連続量では、この2つははっきりと区別できる。

はあやまり。
積分定数
2012/05/09 12:36
水の量も、分子レベルで考えたら分離量。

20Lの水を3等分する場合に、3つバケツを用意して、ホースでつなぎ、それぞれに同じ量の水が入るようにする。各バケツに1L水が入るごとに、元の水は3L減る。だから、20Lは、3Lいくつ分か、という問題に帰着できる。水のカード配り! 20/3=6+2/3 

20Lの水を3Lずつ配ると、何人に配ることが出来るか?
答え6人、たしかに、20/3とは異なる。

これは、整数値しか取れないと言う制約によるもの。

3L入る瓶に入れたら、満杯の瓶は何本出来るか?

20/3本分だから満杯は6本

こう考えれば、整数値しか取れないと言う制約が本質的でないことが分かる。
積分定数
2012/05/09 12:45
 「式自体に意味がない」というのは、「好きな食べ物がない」というのに似ている。

 私は、肉も魚も野菜も根菜も好きである。和食、洋食、中華、どれも好き。だから、「好きな食べ物は?」と質問されても、「特にこれだという特定の1つを挙げることが出来ない。あれもこれも好き」ということで、「特にない」と答えることになる。

 それに対して、「食べる楽しみがないなんて寂しい人生ですね」などと言われたら、「そんなことないです」と反論したい。

 「数式の意味」も似ている。3×4に付随するイメージはいくらでもあり、「3×4の意味はこれこれだ」などと限定することは出来ない。その場の文脈でふさわしい意味が自然に浮かんでくる。これは、特定の意味に限定していないから。意味がありすぎるから「意味はない」となる。

 「考え方が大切・意味が大切」と主張しながら浅はかな考えしかできない人が、「計算さえ出来れば意味なんかどうでもいいと思っているのですね」と見当違いな批判をすることになる。
積分定数
2012/05/09 16:41
「意味が大事」という言葉を使えば、数学のルールに違反した自己流ルールが正当化できる・・・と思っている人達がいる。
そして数学のルールでは正解を出している生徒の答えが、「間違い」とみなされてしまう。
無理が通れば道理引っ込む!
「意味が大事」という言葉が、トンデモ・ルールの免罪符になっている。
おおくぼ
2012/05/09 18:11
「式自体に意味がない」なんてとんでもない。
抽象化によって必要な情報だけを残した姿が数式です。わざわざ意味を減らして本質だけを表示しているのです。3×4の意味は「3×4」から読み取れるものが全て。行間を読むようなことをすればせっかくの抽象化が無駄になってしまいます。

問題文から3×4に抽象化して式を書き出したら、3×4=12を計算して、得られた12に抽象化の際に落とした要因を補って再び具体化してやれば、問題の答が得られます。

重要なのは式の意味ではなく、結果の意味。
M
2012/05/09 19:38
>くろきげんさんの指摘している「きまり」という用語のまずさだが、かけ算の順序の混乱を見ていると、教えている人自身が、法則と約束事の区別が付いていないように思える。

もっとひどい。順序派は、数学法則を勝手に決めた約束事でねじ曲げることが許されると思っている。交換法則を好き勝手に停止して適用されないことにしてしまう。

もっともっとひどいのは、教えるまでは法則は存在しない、とか(自分で)証明するまでは法則は存在しない、と主張すること。あんたが教えなくたって昔のえらいひとが証明してくれた法則はずっと生きているんですが。
M
2012/05/09 19:44
>銀林浩の「数の乗法は交換できるが、量の乗法は交換不可」も、法則としていっているのか、約束事としていっているのか不明。どっちにしてもナンセンスだが。

推定なんですが、銀林は数に対して単位の幻を見立てて、幻の単位が並んで見える数を量と呼んでいるようです。

3×4に対して銀林には3(個)×4(人)という幻が見える。ところが、交換法則 3×4=4×3の両辺にも、銀林にはそれぞれ同じように幻が見えてしまっているのではないかと思う。つまり3(個)×4(人)=4(個)×3(人)。これは「意味が違う」と考えてしまう。そして、悪いのは幻を見ている銀林ではなく、交換法則が悪いと考える。結論は「量の乗法には交換法則は適用できない」
M
2012/05/09 20:04
>人間が決めた「きまり」と人間とは無関係に成立している「ほうそく」をしっかり区別しないと、あらゆるものごとを誤解してしまいそうです。

人間が決めた「算数のきまり」が既にあり、順序派は「算数のきまり」に反する新しい「きまり」を追加しようしているとも言えます。
「算数のきまり」と両立しない事が順序派には理解できないようです。
TaKu
2012/05/09 20:26
>おおくぼさん,
>現代の算数(数学)教育では、現実への応用が不可能だということでしょうか?

数式の場合分け(マニュアル化)では不可能でしょう。
現実の応用で必要な「意味の理解」は,問題文や現実の問題の構造を見抜くことだと思います。「問題の意味の理解」が出来れば,次に,その意味を表す式を覚えることも出来ます。これは知識の記憶であって,「式の意味の理解」と呼ぶのは適切ではないと思います。「問題の意味の理解」無くして、「式の知識」だけ覚えても使いようが有りません。

自動車整備用の様々な専用工具を用意して,プラグ用はこのレンチ,ホイールナット用はあのレンチと覚えても,肝心のプラグやホイールナットが自動車のどこにある、どういうものなのか知らなければ整備は出来ないようなものです。専用工具の名前をいくら覚えても,自動車の理解が深まるはずがありません。しかも,実は専用ではなく,どれをどこに使っても良い汎用工具だとしたら、なおさらです。
zorori
2012/05/09 21:04
6÷1/2 という式がピンとこない子どもには,「6の中に1/2がいくつあるかと考えれば良い」と説明すれば良いだけで,単なる解釈に大仰な「包含除」という名前を付けると,割り算そのものに,違う種類のものがあると誤解しそうです。
おはぎを知らない子どもに説明するときには,「餅米をあんこで包んだもの」でも「あんこの中に餅米を入れたもの」のどちらでも子どもがイメージしやすい方でよいです。が,それぞれの説明に「包含おはぎ」,「等分おはぎ」と名付けてしまうと,粒あんのおはぎと,こしあんのおはぎのように別の種類のものかと勘違いしてしまいます。
zorori
2012/05/09 21:06
おおくぼさん,
2012/05/08 23:11のコメントへの返答

微妙なところも有りますが,このコメントに限れば,私と同様に「分かりにくく感じるのは,言葉に原因がある。」と仰っているような気がします。

「1/2」は「1÷2」でもありますから,割り算が重なっているから分かりにくいということはあると思います。では,「1÷2」を計算した結果の「0.5に分ける」と考えると,割り算は1回だけになって,分かりやすいかというとそうでもないですね。私は,「分ける」という日常用語は自然数に分けるという使い方が普通なので,「分数に分ける」は分かりにくいだけだと思います。

なじみのある日常生活の場面を想像しやすい説明(解釈)は分かりやすいです。そのような説明で抽象概念の一端を理解出来ます。しかし,それは一端に過ぎないわけで糸口を見つけただけです。他の解釈も試みることで,理解が深まりますが,「包含除」等と言い出すと,そこで理解を止めてしまう危険性が高いと思います。
zorori
2012/05/09 21:09
たいていの場合,「一つ分」は分数でもイメージしやすいけど,分数の「いくつ分」はイメージしにくいです。そのため,分数の割り算は包含除の説明が分かりやすい。それだけのことだと思います。しかし,具体例によっては,等分除の方が分かりやすかったりします。

容器の半分まで,6リットルの水が入っている。この容器の容量は?

6÷1/2=12 は,12が一つ分で,1/2がいくつ分の等分除と解釈するのはそれほど難しくは有りません。液体なら1/2分も比較的分かりやすいです。一方,包含除の解釈も可能ですが面倒。
zorori
2012/05/09 21:11
包含除とか等分除というと、「除法についている名前」となってしまっている。そうじゃないですよね。

10÷5 それ自体に意味はない。というと語弊があるなら沢山の解釈が可能。

10個の蜜柑を5個ずつ分けると何人に?
10個の蜜柑を5人で分けると1人何個?

どちらも同じ10÷5 という式になる。

前者を包含問題、後者を等分問題、とでも言えばまだ誤解は少なくなると思う。
積分定数
2012/05/09 22:03
メタメタさん、ぼくも岡部・西村編著の『学ぼう!算数 低学年用下推奨学年2年』を持っています。でも、個人的にこの非検定教科書の掛算の部分もまた他人にすすめられる類のものではないと思いました。

これは非検定教科書であるにもかかわらず、日本の悪しき算数教育業界における掛算に関する流儀をかなりの程度採用している本だと思います。

ぼくは何度も「長方形型に並べた図を見せながら、どうして一つ分×幾つ分という考え方だけを教えようとするのだろうか?」という疑問を述べています。

もちろん長方形型に並べた図を見せて、縦もしくは横に区切って、一つ分×幾つ分と考えることも教えていいですよ。

しかし、長方形型に並べられていることだけから、どの数が一つ分や幾つ分であるかについて一切考えることなく、掛算を使えることも教えて欲しいと思います。

この直観を身に付けた途端に掛算の交換法則は直観的に絶対に正しい真理になります。子ども相手の場合に限らず、直観的な確信が得られるイメージを示すことはとても重要です。

この本には縦にも横にも区切られていない長方形型にモノを並べた図が大量に出て来ます。そのような図は一つ分と幾つ分という考え方を一切せずに単に「長方形型に並んでいるから」掛算を使えるという考え方を教えることには適切ですが、一つ分と幾つ分という考え方を教えるために使用する図としては適切ではないと思います。

そして、それだけではなく、やはりこの本も掛算の式の順序にかなりこだわっています。長方形型にモノを並べる図をこれだけ多用しておきながら、「幾つ分×一つ分」の順序で書いてもよいことに一切触れていません。これはものすごく不自然です。

どうしてこういう直観に反する不自然なイメージの示し方で算数の本を書けるのか自体がとても不思議です。

くろきげん
2012/05/09 23:28
●●●●●●
●●●●●●
●●●●●●

のような図を繰り返し子どもに見せて、一つ分と幾つ分という考え方をしつこく教えるのって、ものすごく不自然ですよね。

それこそ、子どもが混乱しないか心配になります。

長方形型にモノを並べた図を示す場合にはその見た目に一致するような掛算の解釈を教える方が自然だと思います。

そして、一つ分と幾つ分という考え方を教える場合には、何がひとまとまりなのかが明確にわかる図を使うべきです。

同一の掛算の式を、長方形型に並べられた場面というイメージ、同じ数ずつにグループ分けされている場面という両方のイメージで考えて良いことを示すために、長方形型に並べられたモノを縦に区切った図と横に区切った図を示す。

以上のような図の使い方が自然です。しかし、問題にしている非検定教科書はそういう自然な図の使い方をしようとしていない。この非検定教科書を書いた人達は何を考えているのか、よくわかりません。
くろきげん
2012/05/09 23:38
算数教育業界の人達は言っていること、書いていること、言葉使い、などなどがものすごく杜撰だという印象があります。

「きまり」という言葉の使い方も杜撰だし、図を使った直観的なイメージの説明の仕方も杜撰。手本になる適切な言葉遣いや自然な直観的思考を子どもたちに教える気が一切ないのではないかと疑いたくなってしまいます。
くろきげん
2012/05/09 23:42
改めて「包含除 等分除」で検索してけど、「わり算には包含除、等分除がある」という声明が多い。まあこれだけなら、「わり算が使える場面として包含除、等分除がある」と良心的に解釈することは可能だが、

 ことさらに、「違い」が強調されていたり、子どもに区別させることを提唱している例が少なくない。

 「違うように見えるが同じ事だ」という主張は極めて少ない。

 こういう状況では、「等分除、包含除などという区別は虚構・幻影である」と明確に言う必要があると思う。
積分定数
2012/05/09 23:53
くろきげん 2012/05/09 23:38
> 何がひとまとまりなのかが明確にわかる図を使う

その場合に、

「一つ分」と「幾つ分」を答えよ

という問いの答えは(一般には)入れ替えられませんね。
クロッキーG
2012/05/10 08:11
読者の便のために、復習しておきましょう。

(1) 具体的場面だけではどちらが一つ分と幾つ分の数なのかは決まらない。

たとえば、三輪車が4台あって車輪の総数を知りたい場面であっても、4と3のどちらが一つ分の数であるかは決まっていない。

(2) 「何をひとまとまりとみなすか」に関する考え方を明確に決めてやっとどちらが一つ分の数であるかが確定する。

たとえば、4台の三輪車の4つの前輪、4つの左後輪、4つの右後輪をそれぞれひとまとまりだと考えたい場合にはそのように考えていることがわかるような図を工夫して示すべきである。

各三輪車ごとに3つの車輪をひとまとまりとみなす場合もそのように考えていることがわかるような図を示した方が良いだろう。

ぼくは三輪車が4台の問題ではこの両方の図を示すべきだと思う。そして「どちらで考えても完全に正しい」という事実も教えるべきだと思う。九九の段階で交換法則を教えるときには適切な題材になるだろう。

日本の算数教育業界の流儀でも何をひとまとまりだと考えているかを明確にするような図を示すことがあるが、あたかも具体的場面ごとに何をひとまとまりとみなすかが決まっているかのような、柔軟性に欠けているだけではなく、論理的にも論理的にも間違っている考え方を教えてしまっている疑いが強い。

掛算の順序とは無関係にそのような教え方には問題がある。実は掛算の順序にこだわる教え方の問題は算数教育全体がおかしな考え方に染まってしまっているという問題の氷山の一角に過ぎない。
くろきげん
2012/05/10 09:56
長方形型にモノが並んでいる図を示すことには、一つ分と幾つ分の概念を説明するためには大してメリットはないが、掛算の交換法則の直観的理解を促すためには必須だと思われる。

それだけではなく、一つ分と幾つ分という考え方で掛算を導入した場合には、長方形型にモノが並んでいる様子に掛算を直接(すなわち一つ分と幾つ分という考え方を経由しなくても)適用できることも学ぶことができる。それによって掛算のイメージが広がることになる。(その先も掛算の学習は掛算に関するイメージを広げることの連続になる。)

「長方形型には並べられていないが、何がひとまとまりであるかが指定されている場面」と「長方形型に並べられているが、何をひとまとまりであるかは指定されていない場面」のあいだはアニメーションで繋げることができる(掛算を理解すれば一瞬で繋がる)。要するにそれらの異なる場面・異なる考え方は「ある意味で同じ」とみなせるのである(この「ある意味で同じ」とみなせることの重要性は積分定数さんがいつも強調していること)。

具体的場面・考え方が異なっていても「ある意味で同じ」とみなせる、という考え方はとてつもなく重要である。なぜならば、これこそが算数を含む数学が実生活で強力であることの理由になっているからだ。
くろきげん
2012/05/10 10:10
この「ある意味で同じ」とみなせる物事たちを一挙に簡潔に表わすための道具が式である。式は「具体的場面を表わす文章の省略した書き方」ではない。
くろきげん
2012/05/10 10:16
 個物を長方形に並べてかけ算を説明する図には,私はトラウマがあります。以前書いたことがあるのですが,1950年代の小学校の話です。1つ分(ずつの数),いくつ分という教え方は80年代以降なので,70年代までは(それ以降も)私だけのトラウマではないかと思いますが。
 りんごか何かを,縦に6個ぐらい,横に8個ぐらい並べた図が教室の壁に貼ってあり,6×8=48という式も書いてあったのでしょう。トラウマになったのは,図で6個を示すのに左1列の6個のりんごを線で囲み,8個を示すのに下1行の8個のりんごを線で囲んでいたことです。当然,左下隅のリンゴは,両方の線で囲まれます。
 この図を見た小学3年の私は,左下のりんごはだぶって数えているが大丈夫なのか,と思ったのですが,口には出せないまま,算数・数学が出来る子になっていったのでした。そして,30年後塾で算数を教えることになり,1行や1列だけを線で囲むのではなく,列を囲むのであれば全ての列ごとに囲めば,6は1列のりんごの数,8はりんごの数ではなく列の数を示すことになる,という考え方を数教協の本で知って,トラウマが解けたのでした。
 7,8歳の白紙状態の子どもは,最初に教えられたことを相対化することができません。相対化するためのいろいろな見方をまだ知らず,相対化するための最初の見方を注入されるのです。かけ算の長方形の図については,区切り線が無いと,縦横のりんごの数を数えることになり,私のような疑問を持つ子も出てくるでしょう。区切り線があり,その区切り線は,横に引いても,縦に引いても良いことを教える図の方が良いと思うのです。
メタメタ
2012/05/10 10:59
くろきげん 2012/05/10 09:56
> 三輪車が4台あって車輪の総数

それならば、この場面を問題に提示された場合に

出題者が「何が(1つ分)で何が(幾つ分)」であると指定しようとしているのか、私には全く想像できません

と(少なくとも嘘を?)言わなければ、整合性がないんだよね〜〜〜w
クロッキーG
2012/05/10 11:17
ま、

ちょっと指定が曖昧だと思うので、こういう出題はあまり良くないと思う

あたりが、本当のところであるはずだろうね
クロッキーG
2012/05/10 11:27
線で囲まなくても

■  ■  ■  ■
■  ■  ■  ■
■  ■  ■  ■




■■■■

■■■■

■■■■


こんなのでもいいかもね。2つの図は連続的に変化させることが出来ること、■の数が同じことは、ほぼ自明。


まあこの手のことは色々やる中で工夫したり修正したりすればいいと思うが、

算数教育業界が根本的に誤っているのは、教え方がどうこうというレベルではなくて、根本的な思想。

「習っていない漢字を使うな」とか、書き順の話は、国語教育の中の一部の話。

 「かけ算の順序」に象徴される問題点は、算数教育全般を覆っている。

 今日までこのことがほとんど指摘されてこなかったことに驚く。
積分定数
2012/05/10 12:02
 「実際に教えていると、こちらの思っているとおりの順序にしている子は、ちゃんと理解している場合が多い」という意見もあるかも知れない。

 しかし、相関関係は必ずしも因果関係を表さない。漢字の書き取りテストの成績とかけ算の問題が出来ることに、正の相関関係があっても不思議はない。しかし、「だから、かけ算が出来るように漢字を覚えよう」とはならないだろう。

 「かけ算の理解」と「かけ算の順序」の場合も同様かも知れない。

 しかも既に指摘されているように、そもそも相関関係すらあやしい。http://www18.atwiki.jp/kakezan/pages/38.html
積分定数
2012/05/10 12:18
> メタメタさん

ちょっと私には信じられないのですが…


> この図を見た小学3年の私は,左下のりんごはだぶって数えているが大丈夫なのか,と思ったのですが,口には出せないまま,算数・数学が出来る子になっていったのでした。そして,30年後塾で算数を教えることになり,1行や1列だけを線で囲むのではなく,列を囲むのであれば全ての列ごとに囲めば,6は1列のりんごの数,8はりんごの数ではなく列の数を示すことになる,という考え方を数教協の本で知って,トラウマが解けたのでした。



こんなのは、「6ずつまとめて考えても8ずつまとめて考えても、結局同じ結果になるのは分かりきっているんだから、あんたの好きなようにやれ。」ということだろうと見た瞬間に分かると思うのですが…

本を読んで目からウロコが落ちて納得なんてあるかいな?

信じられないのですが…

鰹節猫吉
2012/05/10 12:39
メタメタさんの読んだ本にわざわざ


列の数


と書いてあるのは リンゴの数 とは異種の量だと主張したがっているという著者の意図が透けて見えますね。

思想を外部注入されちゃってますよ。

鰹節猫吉
2012/05/10 12:46
6が1列のりんごの数なら,8は列の数,と考えないのですね。6と8が同じりんごの数と考えると,6個×8個=48個^2 と,少なくとも「量」で考えている間は,なります。
メタメタ
2012/05/10 15:01
 量で考えるからややこしくなっちゃうのでは?単純な話が、あれこれ解釈を入れることで、複雑になってしまうような気がします。

 メタメタさんの例示した、教室の壁に貼ってあったものと、数教協とでは、かけ算の前後は対等、(1あたり)とか(いくつ分)などというのは便宜的なものではないということを示しているという点で、前者の方が優れているようにも思えます。この辺は一長一短だと思いますが。

 格子状に並べるのはかけ算のイメージの1つではあってもそれだけではない。

 私自身、等加速度運動する物体の移動距離を、縦軸が速度、横軸が時刻のグラフの面積で求めるというのに対して、「距離が面積?」と戸惑ったことがありました。

 「等速運動の場合の移動距離が長方形の面積に該当する」というのは理解できても、なんか変な気がしました。

 一旦、かけ算を単なる形式とみなして、それを再度面積という意味づけをすればいいのか、と納得しました。

 距離=速さ×時間 というのを理解していても、長方形の面積にストレートに結びついていなかったわけです。

 だから私にとって、かけ算というのはかけ算というイメージであって、長方形の面積のイメージで全てを覆い尽くされていたわけではない。2mの紐を3本つないだ長さ、これなんか、長方形ではなくて、2mが3本という文字通りのイメージでした。

 色々なかけ算に出会う中で頭の中に何となく形成されるものがかけ算のイメージだと思います。
積分定数
2012/05/10 15:15
>かけ算の前後は対等、(1あたり)とか(いくつ分)などというのは便宜的なものではないということを示しているという点で

「便宜的なものでしかない」に訂正


 私の知人が酒を飲むとよくした話が、「玉ねぎの本質とは何か?」ということ。

ある人が「玉ねぎの本質とは何か?」と突き止めようとした。そのときによって、らっきょうやニンニクだったりするが、まあとりあえず玉ねぎにする。

 外側の皮は本質ではないだろうからこれを剥く。さらにどんどん剥く。「玉ねぎの本質はきっとこの中にあるに違いない」と、どんどん剥いていく。ついに最後まで剥いたが、根っこの部分が残っているだけで、玉ねぎの本質らしき物は見あたらない。ふとテーブルの上を見ると、剥き散らかした玉ねぎが散乱していた。「玉ねぎの本質」とは、このことだったのだ。
積分定数
2012/05/10 15:23
そのリンゴの絵を見てリンゴの数を数えろということであれば、

8個丸で囲んであるのが見えたら、残りのリンゴは40個というのはすぐ分かる、それくらいしか考えないでしょう。

5が2つで10になるくらいのことは毎日自分の手を見てれば分かるだろうし…


重複して数えていそうで気になるなら、重複して数えなければいいだけですので。

鰹節猫吉
2012/05/10 19:52
単位とか次元というのは、融通のきくもんですからね。

モルは物質量の次元ですけど、ダースは打の次元とかいいませんね。

こういうのはご都合主義で決めてるわけでしょう。

そのときの都合にあわせて、クーロンの法則の比例定数を無次元の1にしてesuで電気量を測ったり、光速を無次元の1にして速さを無次元にしてしまったり、ディラック定数を無次元の1にして角運動量を無次元にしてみたり…

アブアンペアもアンペアも電流の単位だけど次元が違いますからね…


量の体系とやらはこういうことは考慮してないでしょう。

現実を無視して理論武装にひた走ってしまったように思われますが…

鰹節猫吉
2012/05/10 21:47
等分除と包含除のそれぞれについて、12÷4の答えを得る過程を12個のリンゴを分ける具体的作業として考えて見ました。作業の結果3が得られます。

12個のリンゴを4つに分ける(等分除)には,4つの皿を用意します。一皿に1個ずつ置いていき,4皿に置き終わったら,最初に戻り2個目を置きます。これをリンゴが無くなるまで続けます。最初の時点では一皿に何個置くことになるのか分かりませんので,とりあえず大きな皿を用意します。リンゴが無くなったら,一つの皿の個数を数えて答えの3個を得ます。

12個を4個ずつに分ける(包含除)場合は,何皿必要か分かりませんので,とりあえず沢山用意します。1,2,3,4と一皿に4個まで置いて次の皿に移ります。リンゴが無くなったら,リンゴの載っている皿を数えて答えの3皿を知ります。

この二つの作業は,1個ずつ4個まで置いていくことをリンゴが無くなるまで繰り返すというところは変わりません。違うのは,用意する皿の大きさや枚数というどうでもよさそうなこと。箱でもよいし,置くスペースでも構わない。4行(列)の細長いスペースとすれば,12個を4×3の長方形に並べる作業になり,殆ど同じになります。置くスペースの形状は違いますが、その機能は、4個置いたら、次の列(行)に移る目印に過ぎません。つまり、等分除でも12から4を繰り返し取り去っているのであり、包含除と全く同じです。抽象化を進めると、違いが無くなりました。
zorori
2012/05/10 22:38
メタメタさん、長方形型に並んでいるもののタテとヨコのサイズを示すために、タテとヨコの端の1列を囲んだ図を示すことは、長方形のタテとヨコの長さを示すためにタテとヨコの端に辺と平行に辺から1単位離れたところに線を引くようなことです。誰がそんなバカなことをやりますか? タテとヨコの長さを図で示したいなら、そういう変なことをしちゃダメ。

タテとヨコのサイズが対等であるように見えることが長方形型に並べるメリットなのだから、どちらか片方のサイズを一つ分とみなしてしまった図に描き直しただけで納得してしまうのはまずいと思います。

長方形型に並べた途端に一つ分と幾つ分という考え方をする必然性がなくなることをはっきり明言して、図も適切なものを示すべきだと思います。
くろきげん
2012/05/10 23:12
6÷3=2を,おはじきで表すことも,

●●● ●●●

●● ●● ●●

と横に並べると違った2種類の割算に見えますが,

●●●
●●●

●●
●●
●●

と縦に並べると同じにも見えます。
ただ,2を表すものが,上では行数,下では1行の●の個数,という違いが残りますが,半具象物を使って割算を解釈すると,ここまでが限界でしょう。
メタメタ
2012/05/10 23:23
直前のくろきさんのコメントを考慮すると,3も2も個数で解釈することが可能でした。
メタメタ
2012/05/10 23:31
>抽象化を進めると、違いが無くなりました。

 私自身、小学生の時に、ふと、「あれ?、同じ数ずつ分けるのも、等分するのもどちらもわり算だ!」と気づきました。そして、「かけ算の逆だから当たり前だよな。」と納得して、それ以来、このかけ算の順序問題に取り組むまで、わり算の解釈で悩むことはありませんでした。

 もし自分が、等分除と包含除の違いなどをくどくど言われていたら混乱してしまったかも知れません。

 「子どもは抽象的に考えるのは難しいから配慮した教え方が必要」というのは分かるのですが、「抽象的に考えさせないように教える」という算数教育業界の主流の考えが理解できません。小学校時代に算数を教えた教師が生真面目で算数教育業界のアホな方針を真に受ける人でなくて良かったと思っています。

 メタメタさんの所http://ameblo.jp/metameta7/entry-11246861157.htmlにも書いたけど、
http://math.artet.net/?eid=1286382
ここでしめされているタイルでのかけ算表示にも違和感があります。

おはじきや●やタイルである程度抽象化しても、3=●●●、というイメージだけではまずいと思う。
積分定数
2012/05/10 23:39
私自身学校時代に、1×1 は正方形の面積で、1は線分の長さじゃないのか?とか疑問に思うことがありましたが、その都度、「単なる数だから別に気にしなくていいんだ」と納得しました。

 図やイメージは理解の助けになることもあるけど、それが桎梏になる場合があり得る。

 3というのは、3人、3回、3番目、3個、・・・、という具体的3〜に何度も晒されるうちに形成される抽象的な概念であるべきだと思う。

 私は、3それ自体には、順序数としても基数としてもイメージを持っていない。文脈によってイメージが湧いてくる。イメージを持っていないから、その場で都合のいいイメージを当てはめることが出来る。

 意味がないことに意味がある

禅問答みたいだが、そう思う。
積分定数
2012/05/10 23:40
よく公式丸暗記はよろしくないと言いますが、算数教育の先生と普通の人間では、「公式(ことばのしき)」という単語の意味が違うんではないでしょうか?

普通の人間は、さまざまな問題に共通の性質を抽出してきて、いろいろな使い道のある道具として公式を整備していくというふうに考えていると思います。

算数教育の先生の公式は、個々の問題1つ1つに「正しい解法」を1つずつ決めていくという感じがします。


おそらく彼らと普通の人間では「公式」という単語の意味が違うので、普通の人間が公式丸暗記・あてはめはよろしくないと言っても彼らには通用しないのではないかと思われます。

鰹節猫吉
2012/05/11 00:48
http://www.inter-edu.com/forum/read.php?903,1013957,2537307#msg-2537307
>3が5個(3×5) と 5が3個(5×3) の記法の区別は小学校算数のルール であるだけでなく 「現代数学の基本」 だぜ。
>どちらのルールにするか は はじめの決め方に 依存する。だから 西欧式 日本式 で異なる。でもな。一度決めたら それが ルールだ。


半可通丸出しw
積分定数
2012/05/11 08:37
 塾で高校生を教えている経験だと、進学校の理系の生徒ですら、数学の勉強は、公式・解法を覚えて当てはめるものと思っているようです。ほとんどはそういう意識だと思います。教師もそうやって勉強してきた例がほとんどだと思います。

 これは教師を抽象する意味ではなくて、現実にそうだということです。それは仕方ないと思います。

 問題は、そのことを前提とされていない事だと思います。

 「答えさえ出ればいいのではない。考え方が大切です。」と言われても、当の教師がやり方を覚えて勉強してきたのだからどうやっていいのか分からない。勢い、指南書や指導書に書いてある方法“だけ”が正しい方法だと思い込んでしまうのではないかと思います。

http://www.inter-edu.com/forum/read.php?903,1013957,page=19
>分速を求める問題で、うちの息子は分数の掛け算で答えを出しました。親からすればあっています。でも、式がバツで答えがマルでした。そして、先生から赤字で「速さは割り算で出すものです。」とコメントが。なぜバツじゃないといけないのか、いまだにわかりません。もし納得のいく説明がわかる方教えてください。

「とにかく、答えさえ正しければ、やり方はどうでもいい」を流布する必要があると思います。

「どうでもいい」というのは、いい加減に聞こえるのですが、

「どのような方法でも、正しい答えが出るのであれば、構わない」ということ。

いい加減は、よい加減


求残と求差を見分けさせるなんて、何くだらないことやってんだ、と思います。
積分定数
2012/05/11 08:49
 数学が好きで数学科を卒業して、数学を教えることを生業にしている私ですら、算数教育指南書を読んでいると、なんだか複雑で訳がわからん、と思ってしまう。考え方に同意するかどうか、以前に、複雑で分からない。

 教える側は、教え方指南書以前に、算数そのものを理解すべきだと思う。

 伊藤若冲が高名な絵師の絵の模写に限界を感じて、鶏を飼育して本物を直接観察して絵を描いたという話を書いた。

 算数を理解しないで算数指南書を読むというのは、鶏そのものを見たことがない状態で模写するようなものだと思う。

 算数それ自体はすごくシンプル。等分除・包含除などという区別もないし、3×4=4×3。

 指南書は、「子どもにはこう見えるはず」という、「著者が想定する子どもの視点からの景色の解説」になっていている。

 読む人が算数をちゃんと理解した状態で読むなら、「抽象化したらすっきりするけど、教える場合にはこういう配慮が必要なんだな」という具合に、算数それ自体の話と教える上での技巧や理論を峻別できるのだが、現状を見るとそれらがごちゃごちゃになってしまっているように思える。

 瀬戸智子氏は混乱してしまった典型例。算数教育の専門家も混乱しているように思える。
積分定数
2012/05/11 09:13
>教える側は、教え方指南書以前に、算数そのものを理解すべきだと思う。

どうやって、「算数そのものを理解した」かを判別できるのだろうか?

遠山啓や数教協の今までの努力は、無駄というか弊害だらけだったのだろうか?
何か高評価できることはあったのだろうか?
おおくぼ
2012/05/11 12:24
算数(数学)教育は、国語に比べると苦手な生徒が多いので、叩かれやすいと思う。
でも国語教育の方が算数(数学)より酷い気がする。
国語教育は道徳重視や感性重視ということで、論理的思考が軽視されている。
算数(数学)は、国語ほどは論理的思考が軽視されていない(と思う)。
おおくぼ
2012/05/11 12:45
>どうやって、「算数そのものを理解した」かを判別できるのだろうか?

■基本的な算数の問題を解くことが出来る。
■公式、定理、“きまり”について、何故そうなるのかを説明できる
■抽象化、「同じと見なす」ということを理解する。

これらが出来れば相当改善されると思います。

なぜかけ算が可換なのか?
なぜ、包含除と等分除が同じ値になるのか?

などがきちんと説明でき、抽象化で「同じと見なす」という考えの重要性を理解したら、順序がどうのとか、包含除と等分除を区別させるなどという話にはならないと思います。

 ってことは、算数教育の専門家はこれらのことが分かっていないって事か。
積分定数
2012/05/11 13:38
 かけ算の交換法則を納得する(させる)ために,個物を格子状にa行b列に並べた図を使って,(行と行の間に線を引いて)1(行)あたりの数×いくつ分(行数)=b×aとしても,(列と列の間に線を引いて)1(列)あたりの数×いくつ分(列数)=a×bとしても,総数は変わらないからa×b=b×a,交換法則が成り立つね,とするのが教科書のやり方です。a,bの被乗数・乗数の数値については交換法則が成り立つが,1あたりの数×いくつ分という考え方(意味)については順序がある,という見解です。トランプ配りを認める遠山啓の見解もこのようなものでした。銀林浩さんは,これを「数については交換法則が成り立つが,量については交換法則が成り立たない」と定式化してしまい,世の数教協ファンを嘆かせたのでした。
 しかし,aを行数と考えた人が,a×b の式を見れば,行数×1行あたりの数,の順序の式と思うし,逆に,bを行数と考えた人が,b×a の式を見れば,行数×1行あたりの数,の順序の式と思うでしょう。このように考えれば,1つ分×いくつ分=いくつ分×1つ分であり,量についても交換法則が成り立ちます。などと言う前に,そもそも,かけ算とは1つ分といくつ分の数値a,bから総数を求める計算であって,ただ式として表記するときには,aとbのどちらかを先に書かなければならないだけの話,つまり順不同だ,と交換法則を理解することもできます。(実は,私は,かけ算の順序問題を知るまでは,交換法則とは,このように,中身は同じ・表記は違うことだとずっと思っていた。)
メタメタ
2012/05/11 14:52
(つづき)
 しかし,ここまでの話しは,格子状に並んだ行と列に対して,1つ分といくつ分という解釈を付した上での,交換法則の議論でした。これに対し,くろきさんから,「長方形型に並べた途端に一つ分と幾つ分という考え方をする必然性がなくなることをはっきり明言して、図も適切なものを示すべき」と問題提起された。
 これに応える図を考えると,モノが並んだ行間や列間に線を引くのではなく,行の真ん中,列の真ん中に線を引き,線の交点の格子点の数としてモノの数を考えればよいだろう(縦の線の数×横の線の数=格子点の総数)。つまり,「直積」としてかけ算を考えることになるのだろうが,戦後の算数教育の中ですでに出ていた考え方であり図であることに気が付いた。
 私のブログに掲載したのは,古い順に,『小学校算数教育指導資料T 数と計算の指導T』(1961年,文部省)書いたのは,おそらく文部省在職中の中島健三さん,『数の科学 水道方式の基礎』(1975年,麦書房)著者は銀林浩さん,そして,『小学校算数指導資料 数と計算の指導』(1986年,文部省)。
 長方形に並べた図をこのように解釈できることを,現在の教科書の図のように,1つ分といくつ分の解釈が交換可能であることと,(現在は確認していない)「1つ分×いくつ分=いくつ分×1つ分」をも確認した後に教えるのがよいのか,最初から現在の図に替えて,格子点・直積型の図を教えた方がよいのかは,考慮の余地があると思っています。
メタメタ
2012/05/11 14:53
mixiの日記の転載

内容はここで書いたことと同様だが、単に、「さんじょう」を変換したら「三乗」と出てきて、これは使えると思って、mixiだけでは勿体ないと思ったから、というだけのこと。

 座布団3枚もらえる?10枚まで後何枚?10−3は求残?、求補?、求差?
積分定数
2012/05/11 15:01
算数教育業界×算数教育業界×算数教育業界=算数教育業界の惨状(3乗)


4人に3個ずつ蜜柑を配る。蜜柑の数は?

「3×4が正解で、4×3は間違い。4×3だと4人が3つで12人になってしまう」などという訳の分からない教え方がなされていると知ったのが2006年11月
http://suugaku.at.webry.info/201102/article_1.html

 最初は訳が分からなかったのだが、教師の教え方の技量がどうのとかそういうレベルの話ではなくて、


算数教育業界全体が、根本的に間違っていることを、ほぼ確信するに至った。



「包含除 等分除 区別」 「求残 区別」などで検索すると、「意味が全く違います」「子どもがきちんと見分けられるようにするには、・・・」などと書いてあるサイトが多数ある。

 本屋で算数指導指南書を見ても同様である。このことが、算数教育業界の惨状を端的に示している。
積分定数
2012/05/11 15:02
 どういうことか説明する。


A 12個の蜜柑を4人に分けると、1人何個もらうか?
B 12個の蜜柑を4個ずつ分けると、何人に分けられるか?

どちらも、12÷4で求められる。前者の考えを等分除、後者を包含除という。
4つに等分するのと、12は4のいくつ分か、との違いである。

同じわり算でも、この様に意味が全く違うのです。



などという説明に納得しちゃ駄目ですよ。区別なんかないんです。

4人にわける場合、まず1個ずつ配ると4個必要で、8個残る。さらにもう1個ずつ配ると、・・・、と考えたら、12個は4個のいくつ分か、と捉えることが出来る。つまり包含除と同じ事になる。

●●●●
●●●●
●●●●

こういう構造を考えたら、掛け算において(1あたり)と(いくつ分)の区別はなくなる。その裏返しで、(1あたり)を求める等分除、(いくつ分)を求める包含除という2つの異なる割り算がある、などというのは見かけ上のことに過ぎない。

A、Bどちらのタイプの問題も12÷4で求められる、ということさえ理解できればいいわけで、「この問題はどちらのタイプか?」などと子供に問う意味は全くない。そもそも、同じ事を違う視点で見ているだけの見かけ上の違いに過ぎないのだから、区別は不可能。

 ところが、等分除を「ニコニコ割り算」、包含除を「ドキドキ割り算」などと称して、子どもにこの区別をさせることの必要性を主張する人が多いことあきれてしまう。
積分定数
2012/05/11 15:03
 割り算にくらべると、数は少ないが、引き算でも「求残と求差を区別させるべき」などという人もいる。

A 10人にて3人帰りました。残っているのは何人?
B 男の子が10人、女の子が3人います。どちらが何人多いですか?

同じ10−3でも、AとBで意味が違うらしくて、Aが求残、Bが求差 というらしい。

AはわかりやすいけどBはわかりにくいので教え方を配慮しましょう、という類の話での区別なら別に構わない。

 子どもに両者を区別させるなんて、全く意味不明。Bも、女の子と男の子をペアを3組つくって、あぶれる男の子の数を求めると考えたら、求残と言える。

 区別なんか必要ないし、区別なんかできない。
積分定数
2012/05/11 15:04
かけ算の順序やら割り算や引き算の区別は氷山の一角。




「算数は意味を理解するのが大切です」というもっともらしい言い方で、

算数・数学で重要な、

「抽象化する。違うように見える物でも共通の性質に注目して、同じと見なす。」


という考えを根底から否定して、


子どもが抽象的に考えることを妨げるように指導するということがなされている。

そもそも、算数教育の専門家が抽象的に考えることが出来ていないとしか思えない事例がある。




「包含除と等分除では、意味が全く違います」「3×4と4×3は意味が全く違います」などと主張している人は、抽象化が出来ていない。




ここで、「子どもは抽象思考が苦手だから・・・」という反論があるかも知れないが、

「子どもは抽象思考が苦手だから、教え方を配慮しよう」「求差も求残も、大人から見たら同じ引き算だけど、子どもにとっては違うように見えるので、配慮しよう」

という話なら別に構わない。


 そうではなくて、

 算数教育業界の中心的な人たちが、抽象的に考えることが出来なくて、子どもが抽象的に考えることを妨害するような教え方をするように、教師を指導している


 というのが現状。
積分定数
2012/05/11 15:05
 こんな状況が今までずっと罷り通っていたことに驚く。


 算数教育業界といっても一枚岩ではないようだし、様々な潮流があるようだが、「抽象化を否定している」という点では、全て一致している。

 もしかしたら私が知らない超マイナーな潮流が抽象化の重要性を主張しているという可能性も0ではないが、

 少なくとも私が知る限り、

主流も反主流もインディーズも関係なく、抽象化を否定している。




どうすりゃいいのかね?


「新しい算数教科書をつくる会」でも結成して、小林よしのりに漫画を描いてもらう?

教科書だけの問題ではなくて、算数教育業界全体を覆う問題なんだよね・・・・
積分定数
2012/05/11 15:06
この書き込みは、私の脳内妄想がふんだんにある事が前提に見て下さい。


>ここで、「子どもは抽象思考が苦手だから・・・」という反論があるかも知れないが、

子供を過小評価していると思います。
直感的にイメージ出来る子もいるはずです。
「子供の為に」を掲げて「子供の為に」ならない事を教えている事例だと思います。

抽象化が苦手な子を出来ない子と見なされる。
抽象化しないでも問題が解けるように教える。
学年が進んでも抽象化しないで問題が解けるように教える。(落ちこぼれがでないようにする)
抽象化出来ない大人が出来上がる。
抽象化出来ない大人が教える立場になるので、子供は抽象化を教わらなくなる。

個人的には中学生までは抽象化の理解を目標に教えるべきだと思います。
足し算・掛け算の順序問題、「はじきの法則」による理解不足、分数計算の出来ない大学生等々、抽象化が理解出来ればかなり解消するはずです。
とりあえず掛け算が出来るようにする、とりあえず割り算が出来るようにする・・・が元凶だと思われます。


>教科書だけの問題ではなくて、算数教育業界全体を覆う問題なんだよね・・・・

算数だけでなく教育業界全体を覆う問題だと思います。
「子供の為に」を声高に掲げる声は「子供の為に」ならないが私の持論です。
TaKu
2012/05/11 20:52
>メタメタさん
>これに対し,くろきさんから,「長方形型に並べた途端に一つ分と幾つ分という考え方をする必然性がなくなることをはっきり明言して、図も適切なものを示すべき」と問題提起された。

式3×2 は、3行2列(向きは関係ない)の長方形に並んだ総個数を表しているのであって、その数え方や並べ方を示しているのではないと思います。そのような手順を意味するのであれば、3×2=6のように式を等号で結ぶことは出来ませんからね。神様なら、一瞬でその個数が分かるのだと思いますが、人間は手順を追って数えないと分からないという能力の限界があります。3×2ぐらいなら、人間でも一瞬で分かりますが、976×567ともなると、計算が必要です。いくつ分や一つ分というのは、能力に限界のある人間が答えにたどり着くための一つの方法(解釈)に過ぎないと思います。それ以外にも、長方形の個数の数え方が有るわけで、らせん状に数えて、3+1+2と数えても構いません。だから、3×2=3+1+2 と書けます。

式の意味とは別に、問題文(現実の状況)の意味もありますね。「3個入りの箱が2箱の総個数」の意味は、その状態のことであって、その状態への並べ方や数え方を意味しているわけではないと思います。置かれている状況は、必ずしも長方形でなくとも、一列とでも、三角形とでも想像しても構わないと思います。(答案では説明した方が良いにしても)

問題文の意味は、いくつかの数式(抽象的な配置)に解釈でき、さらに数式(抽象的な配置)の数え方(解釈)もいろいろあるということだと思います。順序派先生はこれが一つだと思っているというか、問題文、式、数え方の概念の区別がないので一つとしか考えられないのではないかと。
zorori
2012/05/12 11:49
3×2を3(1つ分)が2つ(いくつ分)と解釈すると,2×3は2が3つとなります。で,「3が2つ」と「2が3つ」が等しいこと,3×2=2×3を直観的に納得できるのは,モノを3行2列(3列2行)に長方形に並べて,こう見れば3が2つだけど,こう見れば2が3つでしょ,と示す(そのように補助線で分節する)ことですが,この示し方では,まだ1つ分といくつ分という考え方が残っています。くろきさんは,長方形に並べるということで,1つ分といくつ分という考え方も超えられるわけだから,そのように解釈できる図(補助線の引き方)を示すべきだと提起されたと理解したのですが,誤解したでしょうか。
メタメタ
2012/05/12 14:25
>メタメタ氏

> かけ算とは1つ分といくつ分の数値a,bから総数を求める計算であって,ただ式として表記するときには,aとbのどちらかを先に書かなければならないだけの話,つまり順不同だ,と交換法則を理解することもできます。


それはそれで問題ないのでは。たくさんある正しい考え方のひとつということでしょう。

ただ単に何かが3つ並んでいて、いちばん左と真ん中が決まるといちばん右が決まるというだけのことですよ。どういう仕組みで決まるのかを考えても考えなくてもいいということですよ。


麦1粒まいて3粒とれるなら100粒まけばどうかといっても、麦1粒が芽を出したら3粒実がなるわけではない、もっとたくさん実がなるわけですが、発芽しないものもあるので計算のうえでは1粒が3粒になると思えばいいというだけです。

かけ算の意味とやらを考えると、これは1つ分×いくつ分になっていない、トランプ配りが屁理屈だからけしからんのだとすると、かけ算で麦がどれだけとれるか求めるのも屁理屈だからけしからんことになります。

完全に抽象化・ブラックボックス化して、もとの数と収穫量の関係だけを考えて、もとの数の3倍という情報だけあれば、他の情報はすべて捨てるという考え方でも構わない。これが関数・写像の考え方。

鰹節猫吉
2012/05/12 14:25
ああ、そういえば思い出しました。

以前、フィボナッチ数列の話が出たときにメタメタさんに話そうと思っていたのですが、


バネがついていて勝手に閉まるドアがあります。これを観察してみると、急速に閉まっていきますが、完全に閉まる直前に速度が落ちて静かに閉まるのが分かるはずです。

フィボナッチ数列と類似の現象に見えますか?

鰹節猫吉
2012/05/12 14:56
>メタメタさん
>くろきさんは,長方形に並べるということで,1つ分といくつ分という考え方も超えられるわけだから,そのように解釈できる図(補助線の引き方)を示すべきだと提起されたと理解したのですが,誤解したでしょうか。

くろきさんの意図は分かりませんが、長方形に並べた図のままで良いのではないでしょうか。補助線を引けば、それもまた一つの解釈になってしまうような気がします。
zorori
2012/05/12 22:04
m行n列に並んだりんごの総数はm×n(n×m)で求められる,とするときに,そのmやnは行の数であり列の数であるけれど,実際は1行と1列のりんごの数を数えますよね。そのときに,1行と1列のりんごを囲んでmやnを示すような図を描くと,だぶって数えるりんごが1個あるが大丈夫かと悩んでしまう子ども(私)も出てくるのでした。白紙状態の子どもに教えるのは注意が必要だと思うのです。
メタメタ
2012/05/12 23:04
>鰹節猫吉さん

フィボナッチ数列と類似の現象に見えないが,類似の現象だということなのですね。
メタメタ
2012/05/12 23:08
http://www.inter-edu.com/forum/read.php?903,1013957,2539640#msg-2539640
呑助@深夜食堂氏の相手をするのがそろそろ面倒になってきた。
積分定数
2012/05/13 02:10
「文化大国もちろん数学大国 おフランス の事情を調べたので 
参考に供する。」

とか言ってWikipedia貼りつけただけなのがお笑いですね。典型的なハッタリかましているだけのタイプ?
M
2012/05/13 07:33
>深夜食堂氏の相手を

すみませんね。私が召喚してしまったようなもんなのに。
ゴルゴ・サーディーン
2012/05/13 17:17
まあ、ああいう半可通をいじるのも、それはそれでまた趣があるというものです。
積分定数
2012/05/13 21:08
http://twitpic.com/9kneip

http://www.globaledresources.com/resources/assets/042309_Multiplication_v2.pdf
Makoto Yoshida (2009). "Is Multiplication Just Repeated Addition?"

の1ページと2ページを抜粋しておきました。

メタメタさんが言うところの「1行や1列だけを線で囲むのではなく,列を囲むのであれば全ての列ごとに囲」んだ図と「1行と1列のりんごを囲んでmやnを示すような図」はそれぞれ2ページ目の上段のような図たちと下段の右下のような図のことです。

ぼくが反対しているのは、2ページ目の下段右下の図だと左下の●がだぶって数えられているように見えて誤解を招くからという理由で「かけ算の長方形の図については,区切り線が無いと,縦横のりんごの数を数えることになり,私のような疑問を持つ子も出てくるでしょう。区切り線があり,その区切り線は,横に引いても,縦に引いても良いことを教える図の方が良いと思うのです」と考えることです。これは相当にまずいです。

そもそも何をどのように理解してもらうためにどのような図を描きたいかを考えればそのような考え方は算数教育上とてもまずいことがわかります。

続く
くろきげん
2012/05/13 23:30
続き

ぼくも2ページ目下段右下の図はひどいと思います。子ども相手にこのような図を描いて算数を教える大人が存在してはいけないと思います。そのひどい図と同じ流儀で、縦に3cm横に4cmの長方形の図を描くと、左端と下段に1cmの帯を描くことになってしまいます。長方形の面積を求めさせる場合にはそんなことをするはずがない。要するに2ページ目下段の右下のような図の描き方は論外なのです。

しかし、その論外の図で算数を教わって困ったという経験から、「2ページ目の上段のような図を描くべきだ」という結論を出すのは短絡過ぎると思いました。

図を描くときは(実はそれに限らず、何をするにしても)、目的に適した図を描くことが重要です。以下にその例を並べておきます。

(1) 掛算の可換性(交換法則)の直観的イメージを与えるために長方形型に並べた図を描く場合には、縦と横の立場を対称に見えるような図を描くべきである。

(2) 長方形型に並べた場合であっても一つ分と幾つ分という考え方を少なくとも二通りあること(実際には二通りよりも多い場合が出て来る)について教えたい場合には、単に長方形型に並べた図を示すだけではなく、すべての列もしくは行をそれがひとまとまりであることがわかるように囲んだ図を示すべきである。

続く
くろきげん
2012/05/13 23:40
続き

長方形型に並べた図を描くことのメリットは、一つ分と幾つ分という考え方を教えることよりも、掛算の可換性の直観的イメージを与えることの方にあります。

だから上の(1)を無視して、(2)の流儀を採用するべきだと考えることは算数教育上有害な考え方だと思います。

ぼくが言いたかったことは以上です。

P.S. メタメタさんがブログの方に新たに書いていることを今発見しました。以上はそれを読まずに書いたものです。もしかしたら、すれ違いになっているかもしれません。その場合には申し訳ない。しかし、ぼくの言いたいことはこれでクリアになったと思います。大事なポイントは「目的に合わせて図の描き方を変えること」です。図の描き方を変えると当初の目的には不適切な図になってしまうかもしれません。
くろきげん
2012/05/13 23:46
> メタメタさん

> フィボナッチ数列と類似の現象に見えないが,類似の現象だということなのですね。

 そうです。

φ = (1 + √5) / 2
ψ = (1 - √5) / 2

としてやりますと、フィボナッチ数列の第n項は、

F(n) = (φ^n - ψ^n) / √5

たとえば、

F(1) = (φ+ψ)/√5 = √5 / √5 = 1

といった具合です。

初項 φ/√5 公比 φ の等比数列と 初項 ψ/√5 公比 ψ の等比数列の差になっているわけです。

フィボナッチのウサギの問題はネズミ算に似ていますが、ネズミ算は等比数列になります。フィボナッチのほうは生後1ヶ月の段階では子ウサギを産めないので単純な等比数列にならないわけです。


ドアのほうですが、

http://blogs.yahoo.co.jp/kindangawa/22760701.html

これは、

a(n) = 100 ( 0.9^n - 0.8^n )

をグラフにしたものです。

最初急速に閉まっていくが完全に閉じる直前に速度が落ちる様子をモデル化したものです。

空気抵抗はほぼ速度に比例し、バネの力は伸びにほぼ比例します。空気抵抗とバネの力が働くのでこのような挙動をしめすわけです。
鰹節猫吉
2012/05/13 23:53
明日の仕事に備えて午前になる前に寝たい。
しかしメタメタさんのブログを久々に見たら、
http://ameblo.jp/metameta7/entry-11246861738.html
にこれまたひどい図が引用されていました。

(C) ●●●●●●÷●●●=●●
(D) ●●●×●●=●●●●●●

こういう図の式を子どもに見せて教えるのはとてもまずいと思いました。この図の式は誰が何の目的で描いたものなのでしょうか?しつこいかもしれないけど、目的を(可能ならばさらに目標を)はっきりさせることはとても大事です。
くろきげん
2012/05/13 23:56
魚の分類は以前から、スズキ目とかトゲウオ目などという具合に、その目に属する種名あるいは総称名が目の名称に使われていた。

昆虫や哺乳類の場合は、蝶や蛾を鱗翅目、コウモリを翼手目などとしていた。

 何年か前に、動物の目の名称に関しては魚類のような方法に統一しようと言う話になっていると新聞で読んだ。チョウ目やコウモリ目というようになっているようである。

 新聞記事では、あたかもその種がその目の特徴を代表するかのような誤解を与えかねない、という反対意見も紹介されていた。

 コウモリ目ならわかりやすいけど、犬やアシカ、アザラシなどもネコ目というのは、違和感があるという意見は分からなくもない。


 「3」に対して、●●●、というようなイメージ“だけ”を当てはめることは、これと似た危険性があると思う。タイルでもそう。

 3そのものを、「これだ」と言って提示することは不可能。

 3個、3枚、3人、3番目、・・・・

様々な具体的な「3〜」に晒される中で、頭の中で自然に形成される抽象的な概念が「3」である。
積分定数
2012/05/14 00:35
村川猛彦さんのツイッターでいろいろ紹介していていました。

2010年のブログ記事 ↓

http://d.hatena.ne.jp/chivalreaper/20101118/1290022164

このブログ主は順序反対派です。
ツェメロの集合論を齧っているのかな? なんか理屈がおかしい気がする。
おおくぼ
2012/05/14 00:51
 教えている経験がある人は痛感していると思うが、教える側の何気ない言動を、教わる側が過剰に真に受けてしまい融通が利かなくなることがある。

 教える側は、考えるヒントとして多様な考えの中の1つを例示したつもりでも、教わる側は「そのように考えないとならない」と思い込んでしまうことがある。

 イメージを視覚化した図にもこういう落とし穴があるかも知れない。教える側が既に理解しているから、図の説明を「わかりやすい」と思うだけで、実はそれほど有効ではない可能性もある。


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x^2−y^2=(x+y)(x−y)
の説明としてこの図はわかりやすいだろうか?

分配法則を理解している人や、この様な式変形が容易に出来る人は、この図を面白いと思うかも知れないが、

 この図で x^2−y^2=(x+y)(x−y)を理解するのは容易ではないかも知れない。
積分定数
2012/05/14 00:56
追記

1999年の調査 ↓

http://www.kamesan.jp/sansu16.htm

以下全て引用

2)第1学年
1年の実施人数は192人である。
長さの大小比較と個別単位に関する問題は、全員正解である。
新指導要領でもこの部分は1年に入っているが、理解が十分できることを示している。
広さの個別単位に関する問題の誤答率が14%であり、やや難しいことを示している。
時計読みも20%近い誤答率の問題もあり、1年生にとっては難しい問題であることを示している。
いずれも、新指導要領で1年からなくなったのは妥当である。
文章問題に関しては、合併や求残などの基礎的分野はかなりできているが、求大の誤答率は28%、求補の誤答率は36%と高率である。
具体的場面と文章理解を結びつけた指導が必要である。

おおくぼ
2012/05/14 01:01
引用の続き

(3)第2学年
2年の実施人数は158人である。
かさの単位関係の理解(単位の換算)の問題の中には44%という誤答率の問題があった。
長さの単位関係の理解(単位換算)の問題の中にも61%という誤答率の問題があった。
単位の換算にかかわることは児童には難解なところである。
新指導要領で、かさは3年生に移行し、長さの換算に関するところは削減されたが、調査結果からも妥当である。
竹尺を用いて長さを測定する問題も41%の誤答率である。
このことは、0スタート目盛のアメリカンスタイルルーラーを用いた測定のほうが長さをきちんと認識しやすいことを意味している。
時間を求める計算に関しての誤答率が30%と高率である。
2年生には時間の計算が困難であることを意味している。新指導要領で3年に移行したのは妥当である。
かけ算の立式に関して絵題をもとにするものが誤答率が23%、文章題に関して49%の誤答率である。
これはいずれも分量が先に表示される問題であることによるのだが、「1あたり」と「いくら分」の意味が定着していないことにその原因がある。
和と差の3用法に関する問題も誤答率が31%と高率である。
この部分も従来から2年生には難しいことが指摘されていたところである。
新指導要領でもこの部分が軽減されているのは妥当である。
おおくぼ
2012/05/14 01:01
引用の続き

4)第3学年
3年の実施人数は186人である。
秒、分の換算に関わる問題が32%、時間の計算に関わる問題が27%の誤答率である。
いずれも新指導要領では、換算に関わるところ、計算に関わるところは内容の軽減化がはかられているところである。
時間の意味概念の理解だけで3年生には十分である。
重さのはかり読みの問題の誤答率が30%であるが、実経験の不足が大きい。
もっとも現在どこでも使用されているのがデジタル式のはかりなので、アナログ式のはかりが読めなくても困ることはない。
□を用いた計算でかけ算とたし算ひき算が混じる問題の誤答率が37%、44%と高率である。
また、□を用いて文章題を立式する問題の誤答率が44%である。
これらはいずれも3年生には不適であると指摘されていた問題であり、新指導要領では削除されたのは妥当である。
わり算の文章題であまりのある問題の誤答率が45%である。
わり算の意味理解に関して、「ぜんぶ」「1あたり」「いくら分」などの意味理解が不足していることがその原因である。
3年生の最重点教材はわり算であり、そのことは新指導要領でも同様である。
おおくぼ
2012/05/14 01:04
https://plus.google.com/105772380847300776115/posts/7CTZnXqV5gV#105772380847300776115/posts/7CTZnXqV5gV

事情がよく分かっていない人が思いつきを書き連ねた典型例。

コメント
>問題文から解法を導くときに、「正解にさえ達すればよい」というのは、いかにも現代の「正答至上主義」視点と感じます。つまり、答えが同じなら解き方が間違っていてもよい、という考え方を根底に感じます。乗法が可換なことを知っていて「意図的」に適用したとき以外は、解き方が間違っていたら「間違っている」と指摘されないと、応用が効かなくなってしまう気がします。

順序に拘る=考え方重視
反順序=考え方軽視

という典型的誤解。
積分定数
2012/05/14 09:08
「3×4になる文章題をつくってみよう」という類の課題を私はやった記憶がないのだが、ネットでは目にする。

最近のはやりなのかな?

等分除と包含除の区別だの、求残と求差の区別などというくだらない話はこのことと関係あるのかも知れない。

「区別できているかどうか」の確認としてこの手の作問課題があるのか、「指定された式を表す正しい問題文」を作れるために、等分除だの包含除だの求差だの求残だのの(原理的には不可能な)区別が必要なのか、

卵と鶏、どちらが先かは知らないが。
積分定数
2012/05/14 09:14
http://www.center.gsn.ed.jp/21c/h21_21c/ronbun/kyou02.pdf
p6
>絵を見て、割り算(等分除)の式になる問題を作る。
>割り算(包含除)の式になる問題を作る。

等分除/包含除の問題をつくる、には、等分除と包含除の区別が必要。だから、かけ算の段階で1あたりといくつ分の区別を徹底することが必要。

掛け算順序拘りの原因は作問課題の流行

という仮説。直接の原因ではないにしても、遠因にはなっていると思う。
積分定数
2012/05/14 09:29
http://it.u-gakugei.ac.jp/digicon/jissen/jugyou/D-8.html
>求差と求残のちがいを確認する。
求差の問題をつくる。

http://www.nier.go.jp/ecase/content/view/DID20_SID28_1.html
求差と求残の概念のちがいについて、考えることができる。(思)
自分なりの、求差の引き算の問題をつくることができる。(表)

http://www.e-kokoro.ed.jp/matsubara/nunose/zyugyo/1nen.pdf
第1時1対1対応で、どちらが多いかを見つける。
第2時求差の問題(○○はいくつ多いでしょう?)は、
引き算で答えを求めることに気づく。(本時)
第3時求差の問題(○○はいくつ多いでしょう?)を解く。
第4時「どちらがどれだけ多いでしょう?」の問題を解く。
第5時「ちがいはいくつでしょう」の問題を解く。
第6時求差の問題を作る。
第7時求差の問題を作る。

http://www.chiyodaku-chiyoda-e.ed.jp/kenkyu/h21kenkyuu/jissenn1.pdf
求残は「のこりはいくつもんだい」、求補は「も
ういっぽうはいくつもんだい」、求差は「ちがいは
いくつもんだい」と学級で名前をつけた。これによ
り、減法の意味理解をより深めることができた。


検索するといくらでも引っかかる。むかむかしてくる。

算数教育業界は大掃除が必要だ!
積分定数
2012/05/14 09:43
求大・求小という言葉は初めて知った。

問題を分類するのは構わない。

■本質的には区別がない
■子どもに区別させる必要はない

このことがちゃんと分かっているならね。

しかし、どうもそうではないようだ・・・
積分定数
2012/05/14 09:54
http://www2.city.higashihiroshima.hiroshima.jp/~takami-sho/21/kensyuu/_1nennsei_.pdf

>加法(合併・増加),減法(求残・求差・求補)の5つのうち,どの問題をつくる

>5つの問題場面をネーミング(あわせる問題,ふえる問題,へる問題,くらべる問題,かくす問題)したこと
ことができるか見通しをもたせた。
5通りの問題をつくることができるように,多様なお話がイメージできる絵を提示した。


合併と増加を区別させるという話、やっぱりあるんですね・・・
積分定数
2012/05/14 10:05
(D) ●●●×●●=●●●●●●
は,宮下英明さんの以下に出てきます。(もう一カ所で見た記憶があるのですが,探せなかった。)
http://m-ac.jp/me/instruction/subjects/number/composition/book/doc/composition.pdf/ideology/product/inference/index_j.phtml?pg=y&up=/me/instruction/subjects/number/composition/ideology/index_j.phtml@product
 宮下さんは,この図が良いと主張しているのではなく,学校数学(とその基になった遠山啓)の<数は量の抽象>の考えから導かれるかけ算として提示しているのですが,数教協の主張をこのように理解しているのだとしたら誤解であり,誤解に基づいた数教協批判は藁人形論法なので,宮下さんの文章は,拾い読み以上には読んでいません。(宮下さんの文章は,数教協に対してふくむところがある党派的な文章なので,それだけで辟易とします。)
 ただ,数教協も,http://math.artet.net/?eid=1286382で紹介されたような図も提示しているから,どうなのかなという気はしますが。 
メタメタ
2012/05/14 12:05
mixiの方でもコメントしたのですが,国語が得意な小学校の先生が,国語の教え方の発想で算数も教えようとして見当外れのことになっているように感じる。応用問題では,文章のキーワード(「ずつ」)に注目させるとか,作問を課題作文のようにして,間違った方向を行き過ぎてしまうとか。
メタメタ
2012/05/14 12:20
宮下さんのウェブサイトは言及する価値がないと思います。ああいう議論の仕方に影響力があるとは思えないし、算数教育業界の典型的な考え方について書いてあるわけでもないようですし。

いずれにせよ、現場の教師が子どもに教えるために「●●●×●●=●●●●●●」のような図の式を書いているという話ではないようなので安心しました。昨晩はこの図の式が視界に入ってしまったせいで、一挙に眠気が覚めてしまい非常に困った状況になってしまいました。
くろきげん
2012/05/14 13:34
小学校の先生に得手不得手があるのは仕方がないことだと思います。たとえ大学でまじめにかつ正しい勉強の仕方をしたとしても国語算数理科社会のすべてについてうまく教えられるようにはなることは本当に大変なことだと思います。

だから、各分野の教育の専門家はそういう現実をうまく支えるためのツールを提供するべきなのですが、算数教育の場合は全然そうなっていないことが大問題なのだと思います。

むしろ、間違った考え方を広める側になっているように見える。教科書指導書に「6×7では、6人が7つ分になり、答えは子どもの人数となってしまうことをおさえる」てなことを書いてしまった算数教育の専門家には反省文を出してもらう必要があると思います。
くろきげん
2012/05/14 13:50
簡単な文字式を小学校でやることになったのだが・・・・
http://twitter.com/#!/Rsider/status/201985226149339136/photo/1

東京図書だそうです。
積分定数
2012/05/14 20:56
呑助@深夜食堂氏やらんで氏のような人が次から次という感じで出てくるわけですが、相手にしてもきりがないうえに、その間にも学校ではどんどん洗脳教育が続くわけです。


実名がはっきりしているとんでもない団体や人物はどういうつもりでいるのでしょう。

文部科学省とか田中博史氏とか銀林氏とか森毅(故人だが)…

鰹節猫吉
2012/05/14 21:29
市長とか知事とか大臣などなど・・・、偉い人の意見を聞きたい。
おおくぼ
2012/05/14 22:31
森毅氏の敬称を忘れました。失礼しました。

つよしし と打ち込んだつもりだったのですが、失礼しました。

鰹節猫吉
2012/05/14 22:44
有名人は敬称なしでいいんじゃないのかな?私はそうしている。面識のある有名人だと判断迷うが。
積分定数
2012/05/14 22:58
http://ameblo.jp/metameta7/entry-11247693509.html
メタメタさん>モノが並んだ行間や列間に線を引くのではなく,行の真ん中,列の真ん中に線を引き,線の交点の格子点の数としてモノの数を考えればよいだろう(縦の線の数×横の線の数=格子点の総数)。

このアイデアをぼくは好きではありません。これだと自然数の掛算しか扱えない。(もちろん基数(集合の濃度)の掛算も扱えますが。:p)

掛算の導入前(学習指導要領解説の流儀)・導入時・導入直後に長方形型に並べたモノの総数を数える場合と、後で長方形の面積を求める場合の見た目の類似性は明らかだと思います。

しかし、上に引用したメタメタさんのやり方だと、見た目の類似性が崩れてしまうので、好きになれそうにないです。

モノの個数で長方形の縦横のサイズを測るのは個人的に良いやり方だとは思えません。モノの個数で長方形の縦横のサイズを測るという発想が、 http://twitpic.com/9kneip の2ページ目の下段の右下のような図を描かせてしまうのだと思います。教えている先生がそういうことをしてしまわないように、先生の側にイメージを正しく伝える努力は重要だと思う。

長方形の図に辺の長さを描き込む流儀と長方形型にモノを並べた図に縦横のサイズを書き込む流儀をうまく合わせておくと良いような気がします。
くろきげん
2012/05/14 23:09
算数教育業界に蔓延る問題点

【特殊が一般から除外される】
 正方形は長方形でない、とか、必要十分条件が必要条件ではないという具合に、高校数学にもある。

【教えたやり方のみが正しいやり方】
 「こうすれば解ける」「こう考えればいいよ」という類の話が、「そうやるのが正しい」となってしまう。「答えさえ出ればいいのではない」という文言を歪曲。
3時間で180q、6時間では? 180×2 だと駄目、という類

【抽象化すれば統一できる概念をいつまでも具象に縛り付ける】
「式には意味がある」という考えの弊害。
かけ算の順序とか等分除・包含除など、ここで散々話題に上るやつ。


これらが相まって本来はシンプルなはずである算数が複雑怪奇な物になってしまっている。

 2番目は教える側の力量の問題だろうが、3番目は業界全般でむしろそういうことが奨励されてさえいる。

 算数教育業界の専門家は、意図的にこの様な複雑怪奇な状態にしておいて既得権益を守っているのではないのか?などと勘ぐりたくなってしまう。


これらをまとめて表す言葉があると便利。



仮に、「算数教育の無精ひげ」と名付けたけどどうだろうか?

オッカムの剃刀で剃りとる必要があるという意味。


他に良い案ないかな?

「ルビコン川」とかその類の聞いた人が「何それ?」と思うような、知っているとちょっとかっこよく見えるネーミングがあれば、ウィキにもアップして拡げたいのだが。
積分定数
2012/05/17 15:27
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120518/amr12051811230001-n1.htm
一般のイスラム教徒への無差別攻撃容認 米軍大学、原爆が「前例」と講義
2012.5.18 11:21 [米国]
 米統合軍参謀大学(バージニア州)で、過去の歴史に照らし、一般のイスラム教徒に対する無差別攻撃が容認され得るとの講義が行われていたことが17日までに明らかになった。「前例」として第2次大戦時の広島や長崎への原爆投下、東京やドイツのドレスデン空襲を挙げていた。統合参謀本部は適切な内容ではないと認め「講義は既に中止している。米軍内の教育や訓練のカリキュラムの内容を点検する」としている。

 米市民団体のウェブサイトに掲載された講義資料によると、イスラム過激派のテロが一般市民を巻き添えにしていることを挙げ、戦時の一般市民の保護を規定したジュネーブ条約を考慮する必要は必ずしもないと主張。その上で、イスラム教徒への「無差別攻撃も選択肢としてある」と指摘。歴史的前例として「広島や長崎の原爆投下、東京やドレスデン空襲がある」とし「イスラム教の聖地であるメッカへの攻撃にも当てはまる」と結論付けている。(共同)
積分定数
2012/05/18 14:15
 先日も、アフガン駐留米兵が子どもを含む民間人を大量殺戮した。「誤爆」でもなければ「武装勢力との戦闘中」でもない。1人の米兵が夜間、民家に押し入り意図的に民間人を殺害した。

 
>統合参謀本部は適切な内容ではないと認め「講義は既に中止している。米軍内の教育や訓練のカリキュラムの内容を点検する」としている。


という部分が、自浄能力があるということで前向きに捉えるべきなのか・・・


しかし、受講した人の告発があるまで罷り通っていたことも驚きだ。


日本の算数教育はろくでもないと思いつつ、これにくらべたら遙かにましに思える。
積分定数
2012/05/18 14:16
>他に良い案ないかな?

「算数の三つの大罪」なんてのはどうでしょう?
TaKu
2012/05/18 19:57
ストレートすぎてひねりがないような気がするけどどうなんでしょうか?
積分定数
2012/05/18 21:16
関西電力の節電騒動を見ていると、反原発派は算数ができないという気がします。
飯田哲也さんや古賀茂明さんなどなど。
電力会社は火力発電の依存度を急激に増やしたから、のきなみ赤字になっているのに、反原発派そんなことは無視しているし。
「電力会社は電力を隠している」、「原発を再稼働させるための陰謀だ」とか、妄想ばかり。
原発事故は小さくても騒ぐのに、火力発電事故は計画的なテロとか言ったり、支離滅裂です。
論理的な思考もできてないし、簡単な算数もできない大人が多い。
おおくぼ
2012/05/18 21:56
算数教育のピタゴラ装置・・・楽しそうだからイメージ良すぎか

算数教育の鍋奉行・・・該当するのが2番目だけ

麻雀符算数・・・うーん
zorori
2012/05/18 22:23
算数教育の失敗
ストレートだけど。
M
2012/05/18 23:01
1つ分×いくつ分としてかけ算を理解しようとするやり方は、害があるのではないかと最近思っています。少なくとも1つ分、いくつ分という概念はかけ算の理解にとって本質的ではない。

本質なのは、2種類のグループわけのやりかた、または等価ですが、2種類のインデックスの付け方が存在するということです。2種類とは、「1つ分」の内部での数え方と、「いくつ分」を数えるときの数え方です。正確にはもうひとつ、全部の数を数える数え方を含めると3種類がある。
長方形に並べれば、たて方向と横方向と独立にインデックスを振ることができるのは明らかです。かけ算で重要なのはそれが独立であることであって、どちらが1つ分でどちらがいくつぶんかを分類や識別することではない。
1つ分といくつ分という識別はなにかというと、たとえばりんご3つが載った皿が4枚ある場合に1つぶんとはひとつの皿に物理的に接触しているりんごの集合であるし、たこ2匹の場合は、各々のたこに接続している足であるし、うさぎ6匹の場合は各々のうさぎにが持っている耳であるし、長方形にならべたおはじきの場合は、紐で括れる近接したおはじきです。要するに、物理的に距離が近かったり接触していたりするという「だけ」の特徴にすぎない。1匹のうさぎにつながっている耳、という集合が、「左耳をあつめた」という集合と性質的に違っていたり、前者のほうがより強い結合をしているという見方は数学や算数的に根拠がないものです。

本質でないものを本質であるかのごとく教育するのが、現代の算数教育の大きな害(のひとつ?)だと思います。
M
2012/05/19 23:31
1つ分、いくつ分という概念から、かけ算につながる2種類の数え方を認識できることは有益だと思います。しかしそれがかけ算の理解のとして教えることで、かけ算の本質をかえって見えにくくしている可能性がある、というところが有害ではないかと思う。ましてやかけ算の順序に結びつけて教えることは論外です。
M
2012/05/20 00:35
>おおくぼさん

具体的にどのあたりですか?元の文章とかありますかね?


名称案  

「算数教育の無精ひげ」は長いので、「算数のむだ毛」
オッカムの剃刀で・・・・

「算数の鱗」

単純なことなのに、等分除だの包含除などで目に鱗が貼り付いてしまう。


うまい名称を付けることで算数教育に革命が起こせるかも、という思いで、いいのを考えて拡げましょう。


キャッチコピーやフレーズで私が面白いと思ったのは、

「蝶は数学のように美しい」、大学の数学科教官の自己紹介のパンフでの、蝶採集が趣味のA先生の言葉。普通なら「数学は蝶のように美しい」と例えるところを、数学科の学生が読む文章なので、「数学が美しい」というのは言わずもがなの自明な前提として、蝶を数学に例えている。

宮崎学がかつて「赤軍派もいる明るい社会」と言っていた。盗聴法などを批判しての物だが、一見するとミスマッチな物をくっつけることで、予定調和が壊れて印象に残りやすく、かつ言いたいことが簡潔に表現されている。

 この手の、ある種の逆説や言葉の流れの裏切りが、面白いと思うのだが、そう簡単には思いつかない。
積分定数
2012/05/21 11:54
6月6日、金星が太陽の前を通過。日食メガネは捨てないように、だそうです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120516-00000585-yom-sci

リング状のは見えなかったが、三日月状のが雲の合間から一瞬見えた。


下敷きや、ガラスを煤で黒くした物などは、不可

って、昔は言われなかった気がする。太陽観測方法としてそういう方法が紹介されていた記憶がある。

時代とともに変わるのですね。

そのうち、「かけ算の順序」も・・・・

積分定数
2012/05/21 12:00
関西電力からのお知らせ」 ↓

http://www1.kepco.co.jp/notice/20120517-1.html

関西電力に対する反原発派のおかしさについては、開米瑞浩さんのツイッターが勉強になります。
ちなみに開米瑞浩さんは「掛け算の順序」反対派です。

http://twitter.com/#!/kmic67

飯田哲也さんと金子勝(経済学者)さんとの対談 ↓

http://ameblo.jp/heiwabokenosanbutsu/entry-11250855853.html

飯田哲也さんが揚水発電についての基礎知識は持っているはずがなのに、揚水発電があるから大丈夫というのは詐欺ですね。
科学的に根拠の弱い数字を捏造するのが反原発派「有名人」の特徴です。
あとフリー・ジャーナリストの上杉隆さんとか。
おおくぼ
2012/05/21 17:51
追記

飯田哲也さんの場合は、算数ができないのではなく、算数をして電力が足りないことがわかったので、捏造の数字で誤魔化しているわけです。
だから飯田哲也さんの計算だと、電力は足りることになります。
おおくぼ
2012/05/21 18:19
求残・求差について誤解していました。

http://www3.plala.or.jp/yat/kyuuzan.htm

これなら納得です。
おおくぼ
2012/05/21 20:02
 おおくぼさんが提示された八崎氏のHP、求残・求差の説明のところは特に問題ないと思いますが、、、

http://www3.plala.or.jp/yat/bunsuuwarizan.htm
http://www3.plala.or.jp/yat/bunsuuwari.pdf

↑ 「1あたり」「いくつ分」「等分除」「包含除」「かけ算の意味」「わり算の意味」 に対する異常な固執がみられますね。
鰹節猫吉
2012/05/21 22:15
> 分数同士のわり算は除数を逆数にして被除数にかければよいということを,教え込むことは可能です。しかし,これでは子どもの”なぜ”には答えていません。

 "なぜ" を教え込むために、異常な労力を費やして 「1あたり」「いくつ分」「等分除」「包含除」「かけ算の意味」「わり算の意味」 を教え込む授業で教師に服従することを強要。

 こんなことにいったいどんな「意味」があるのか。

 「悪影響」しかないとしか思えません。
鰹節猫吉
2012/05/21 22:26
 2/5 ÷ 3/4 を等分除の問題として考えるというのですが、 3/4 dLで 2/5 平米塗れるペンキ 1 dL で塗れる面積を求めるんだそうです。

 これは等分除だといっても、「等分」してないですよねぇ…

 等分除うんぬんにこだわるなら、等分除は1あたりを求めるということから、 2/5 : x = 3/4 : 1 = 3 : 4 と考えるしかない。「比例配分の問題」になってますね。こういう比例式は使わずに面積図でなんとかするみたいですが、実際問題比例の問題になってますね。

 なにを余計にややこしくしているのやら…

 結局比例配分の問題になっちゃうのだったら、 3 dL で 8/5 平米、1 dL で 8/15 平米と考えるほうがはるかに容易。

 わざわざ等分除うんぬんにこだわるのはなんなのか…?
鰹節猫吉
2012/05/21 23:06
 私自身は原発に反対ですが、そのことを自信を持って断言できるほどには論拠を持っているわけではない。ただ、賛否を決定する要因が多岐に渡ると様々な情報がある中で、結論を最初に決めてそれに都合のいい情報だけを集めるとか、都合良く解釈するというのが可能になってしまって、それで両派が会話不可能になってしまっている面があると思う。

 9・11でも、謀略論を唱える人がいたけど、確かにアフガン攻撃を批判する上では謀略であった方が都合がいい。しかし私はアルカイダがやったのかどうかに関わりなくアフガン攻撃はすべきでないという立場だったし、謀略論に与するつもりは更々なかった。

 ややこしいのは、謀略論と「本当にアルカイダがやったのか、ちゃんと検証すべき」というのが本来は別なのに混沌としてしまうこと。

 刑事裁判で、「有罪にするには証拠が不十分」というのは「被疑者はやっていない」と主張するのとは別。

 原発反対や安保反対の論拠を明確にするために、「原発なしで本当に大丈夫か?」「安保なしで本当に大丈夫か?」と自問自答したりするが、そうすると、はっきりと断言できない場合が多い。

 ただ私のこういう姿勢は原理主義的左翼からは、転向や日和見と見られるかも知れない。
積分定数
2012/05/22 07:33
 飯田哲也に対しても、「橋下なんかと一緒にやるなんて」という批判があるようだ。湯浅誠が内閣府参与になったことに対しても、「権力の側に行った」という批判があった。

 原発を止めるためには、貧困をなくすためには、体制を打倒しなくてはならない

というのは1つの見解だろうけど、

権力打倒のために、反原発、反貧困を掲げる

となると、手段と目的が逆転していると思う。後者ではなく前者の立場なら、「権力と組むことで、原発や貧困を減少させた」というのも勝利だと思うのだが。

 白猫だろうが黒猫だろうが鼠を捕れば何でも良い

 ということで、私自身も「かけ算の順序」問題を反権力闘争の一環とは捉えていない。順序粉砕のために権力打倒が必要ならそういう選択肢もあり得るが、目的はあくまで順序粉砕。権力側にはいることでそれが実現するなら躊躇はしない。

 「積分定数に是非、文部科学大臣になって欲しい」ということであった喜んで引き受けたい。

 野田首相あたりがここを読んでいたら、検討して下さい。
積分定数
2012/05/22 07:44
 さらに言うと「順序反対」も道具に過ぎない。「順序」指導が、算数教育をゆがめていると思うから反対している。

 「順序」指導でみんな算数・数学が大好きになり理解も進むなら、敢えて反対はしない。

 だから、原理的「順序」反対論者ではない。また、
順序指導が絶対的に悪影響がある」という100%絶対の自信を持って断言するにはまだ至っていない。

 もしかしたら、どこかに「順序を指導した場合とどちらでもいいとした場合では前者の方が理解度が進む」という客観的データがあるのかも知れない、と慎重な態度を取っている。

そうすると↓みたいのが出てくる
http://www.inter-edu.com/forum/read.php?903,1013957,page=44
>ふふ・・・
>教える上で不要だ!とまでは言い切れないようです。


言葉が水の結晶の形に影響を与えるなんてあり得ない。
血液型で正確が云々なんてガセだろう

しかし、自分で実験したりしていない状態で、「絶対に嘘だ」と断言する態度もまた科学的態度とは言えないのではないだろうか・・・・

 などと悩んでいる間に、

水伝や血液型信者は、科学的態度なんかお構いなしに、「絶対に本当だ」と断言してこれを拡げ、「批判する人も、絶対に嘘だとは言っていない」だとか、「自分できちんと調べないで嘘だと断言するのは、科学的態度とは言えない」などと言う。


という状況に似ている。


教育委員会指導主事が「順序はどちらでもいいなんて言ったら子どもが混乱する」と絶対の自信を持って断言していた。

 あれだけ断言するのだから、何か根拠があってのことかと思っていたが、

 相手が自分と同程度に考えているという前提が間違っているのかも知れない。
積分定数
2012/05/22 08:05
>これは等分除だといっても、「等分」してないですよねぇ…

分数を扱う前に、等分除の拡張をやるべきでしょうね。

12個の蜜柑を4人に分けたら1人あたりいくつか?

だと、12個が4人に分配される。

この考えを分数に応用するには、

遠山啓の「数学の学び方・教え方」だと、÷13/5という具合に、1より大きい数で割って、「1あたり」を考えている。

それも1つの手だけど、1より小さい分数で割る場合は?となると、「1より大きい分数で割ると分母と分子を逆にして掛けるのだから、1より小さくてもそうだろう」という不易の何とかとか言うのを使うことになる。私はそれで良いと思うが、

直接やるには、蜜柑分配の問題を

「沢山の人が蜜柑を同じ数だけ持っている。この中から4人に出てきてもらって持っている蜜柑を全部出してもらったら12個あった。1人いくつ持っているか?」

という、サンプリングの考えをすればいい。

一様な線密度の紐がある。1/3mで50gだった。1mでは?

これなら、「50gを1/3mに分配して、150g?」というのを避けられる。
積分定数
2012/05/22 08:24
>> 分数同士のわり算は除数を逆数にして被除数にかければよいということを,教え込むことは可能です。しかし,これでは子どもの”なぜ”には答えていません

でも「なぜ」を説明することで、「なぜ」を教え込むことになってしまうような気もする。

 「逆数にしてかける」という結果を知ってしまった後に何故かを考えたり教えたりは難しいと思う。マイナスの2乗がプラスというのもそうだけど、

 分数のかけ算も割り算も教えない状態で、

1/3mで50gだった。1mでは?というような問題を多数やる中で、おぼろげながらイメージを掴んでもらい、徐々にかけ算、割り算を獲得していけばいいと思う。

 そうして、かけ算や割り算のやり方を自分で見つけたら、もうそれは理解していると判断していい。
積分定数
2012/05/22 08:40
 前にも書いたけど、部活が忙しくて高3になって入塾する生徒で、学校の授業中居眠りしていて赤点ギリギリだったような生徒の方が、中途半端に公式を覚えている生徒よりも教えやすい。

 さぼりまくった生徒に微分の概念を教えてx^3の微分をやってもらって、3x^2と出したらこれは理解している証拠。こんなのが公式としてあることすら知らないから、微分の定義に立ち返って自分で導いたと判断できる。

 公式を知っている生徒の場合、理解しているかどうかの判断も難しいし、基本から教えようとしても難しい。理解しているのか公式を覚えているだけなのか、当人も分かっていない。

 数学基礎論やペアノの公理を難しいと思うのは、自分が直感的に経験的に理解していることを一旦捨てて、知らない振りをして公理から純粋に導く部分。本当に純粋に公理から導いたのか、どこかで直感を使っていないかとやっていて不安になることがある。

 あれこれ教えて理由を説明したり説明させたりするよりも、最初から教えないで考えさせればいいと思う。

 かけ算だって、最初は累加で導入すればいいと思う。

で、○を△個足した場合と、△を○個足した場合で、答えが同じになる

このことを生徒が発見したら、「かけられる数」「×数」などをくどくど説明する必要はないだろう。
積分定数
2012/05/22 08:41
前から思っているのは、「÷ 分数」を小学校の段階で教える必要があるのか?ということです。
分数自体が割り算なので、「÷ 分数」は必要ない気がするのです。

逆数は方程式には必須の考え方です。
そして方程式を学べば、逆数は簡単にわかります。
でも方程式は中学からです。
おおくぼ
2012/05/22 09:51
私も反原発派で、原発は廃止すべきだと思っています。
でも今の雰囲気は「原発を再稼働させてはいけない!」になっています。
再稼働すれば元の木阿弥になって、また原発依存が深まるから、「ここが土曜際だ!」と思っているみたいです。
私は10年ぐらい時間をかけて徐々に天然ガスを主体にした火力発電に代えていくべきだと思っています。

算数(数学)教育変革は、遠山啓の数学批判を吟味する必要があると思います。
銀林浩さんの本に『わたくしの数学教育批判 』(1976年) (国土新書)という本がありますが、読んでもよくわかりませんでした。
↓ ちなみにアマゾンの中古で買えます。
http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/B000J9LTC0/ref=dp_olp_0/376-3833238-9842432?ie=UTF8&condition=all&redirect=true
おおくぼ
2012/05/22 10:02
 私の知り合い(故人ですが)は、「反原発運動が原発の安全性を高める」が持論でした。反対運動があることで推進側も慎重になる。だから客観的に原発が必要か不必要かとは独立に、反原発運動は必要。そのことで原発の安全性が高まるならそれは反原発運動も望んでいること。

 ただこのことが成り立つには、反対派・推進派双方が原理主義ではなく、安全性が高まれば批判が弱まるというような状況にあるとき。

 私自身、左翼や市民運動に関わっていたこともあるが、そのときの議論で未だに納得できないのが、

「原発反対、天皇制反対、どちらが言いやすいか?」という議論。

 私は原発に反対するには相当勉強が必要だと思うし、正直、声を大にして主張するだけの自身がない。

 天皇制反対は、対案を出す必要もないし、平気で言える。

 具体的手順として改憲が必要なのかとか、宮内庁職員の配置転換をどうするかとか、そういうのは議論の余地があるが、基本的には天皇制廃止は可能。

 まあこれとて、天皇制があった場合とない場合で比較検討したら、天皇制があった方がみんなが幸せになる、ということをきちんと科学的な論拠で示されたら、

「じゃあ積極的には反対しない」という選択肢もある。

 「非国民」だの「日本から出て行け」だのというレベルの反論では納得しない。


 原発に関しても「原発反対するなら原始時代の生活をしろ」というレベルでは納得できないし、その程度の反論しかないのか?と思ってしまう。
積分定数
2012/05/22 13:39
>分数自体が割り算なので

それは結果的にそうだということであって、10進法に基づく小数表記とは別の体系として分数というのを小学校で教えることは構わないと思う。

>こういう比例式は使わずに面積図でなんとかするみたいですが、

面積図だとか掛割図って、「みはじ」や公式暗記と根本的に違う物なんでしょうかね?

「こういう手順でやると出てくるよ」と教えられたとおりに手を動かして、結論が出てくる、という点では同じだと思うのだが。
積分定数
2012/05/22 13:44
http://www5a.biglobe.ne.jp/~sunomono/iro0267.html#date:2012-W02-4T17:11:38Z

文字式を習う際、掛け算の順序よりも「係数が先、文字があと」と習うのだが
小学校の算数では「リンゴの袋が8つ、どの袋にもリンゴは5つずつ」には「5×8=40」と答えることが要求される。「8×5=40」は×か、減点である。この教え方に反対する人の中に、その後、いつ「掛け算の順序はどちらでもよい」と習ったのかを忘れている人が多いのではあるまいか。

中学校で文字式を初めて習う際、「リンゴを5個買いました。リンゴの1個の値段が a 円です」について「小学校で習った流儀では a×5 と書くところを、文字式では慣習として係数の 5 を先に出し、さらに「×」の記号を省略して 5a と書く」と習ったはずである。

これを覚えていれば、「中学で『どちらでもよい』と教えるとき、小学校の先生はウソを教えていたのだということになり、信頼を損ねるのでは」という反論がありそうだが、見たことはない。(そんなにたくさん調べてはいないが。)

2012-01-22 (0) 01:01:15 +0900


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>中学校で文字式を初めて習う際、「リンゴを5個買いました。リンゴの1個の値段が a 円です」について「小学校で習った流儀では a×5 と書くところを、文字式では慣習として係数の 5 を先に出し、さらに「×」の記号を省略して 5a と書く」と習ったはずである。

私はそう習った記憶はない。
積分定数
2012/05/22 14:19
http://www.myspiritual.jp/2012/05/120514kinkan.php
>そしてさらに、なんとこの日は......「新月」でもあるんです!!!!!
まさに5月21日という日は奇跡の日!

日食の時に新月でない方が奇跡だと思うが・・・ 
積分定数
2012/05/22 16:35
日食と新月が同時に起こることに感動する文章が意外と多いことに驚いた。日本の理科教育って大丈夫?

http://profile.allabout.co.jp/w/c-73951/
>今月の新月は5月21日(月)8:43におこります!!
そしてその日は『金環日食』と『新月』が同時起こる奇跡の日です(*^_^*)

http://kamio.blog.toyotahome-tokyo.com/article/55985391.html
>そして、なんと今日は双子座の「新月」でもあるんです
まさに5/21日という今日は、奇跡の日なんです!

これは微妙というかよく分からない。「双子座の新月」ってのが特別な意味があるのだろうか?

「○○座の新月」ってのがあって、日食の時は必ず新月になるのは当たり前。ところが、○○座がなんと双子座だった、こりゃ奇跡だ

ということなら分からないのでもないのだが、

「双子座の新月」って何か特別な意味合いがあるのだろうか?
積分定数
2012/05/22 16:45
http://colorn.exblog.jp/
>夜、寝る前になると、体からエネルギーが、抜ける感じがする。で、もしや、原因は『金環日食』???? おまけに新月



100000000000は、0並びの奇跡の数。おまけに4の倍数、さらにさらになんと25の倍数でもある。

こんな奇跡的なことがあるなんて感動しませんかW
積分定数
2012/05/22 16:53
http://shinyanagi.exblog.jp/15898650/
>そして今日は新月でもあります。
なんでも、金環日食と新月が同じ日になるというのは、
数百年に一度の本当に奇跡的な組み合わせなんだそうですよ。

金環日食の頻度を知らないけど、金環日食が数百年に一度なら、「金環日食と新月が同じ日になるというのは、
数百年に一度」という命題は正しい。

「ジャガイモにみそを付けて食べた人は必ず死ぬ」というのと同じ事。この命題は正しい。

この命題の否定は、「ジャガイモにみそを付けて食べて、かつ永遠に生きる人が少なくとも1人は存在する」だが、多分いないだろう。


 

 しかしまあ、この手の「新月でもある。奇跡だ」という文章が少なからずあるのを見ると、「かけ算に順序がある」というデマが拡がるのも無理はないと思えてしまう。
積分定数
2012/05/22 17:03
なんか占いで新月の時にお願いをすると叶うらしいです。そのときの星座によってお願いの種類がかわるとか。

ところで、5月はスーパームーンだったんですが、「スーパームーンのおかげで皆既じゃなかった」と文句を言うのは正しいですよ。
M
2012/05/22 18:45
>10進法に基づく小数表記とは別の体系として分数というのを小学校で教えることは構わないと思う。

分数は小学校で教えるべきだと思います。
割り算は余りが面倒だし、分数を使えば計算が楽になります。
ただ「×分数」「+分数」「−分数」に比べると、「÷分数」は難しいわけです。
だから「÷分数」は小学校の段階では軽く触れるだけにして、中学で丁寧に教えればいいと思うのです。
おおくぼ
2012/05/22 19:09
 スーパームーンって、満月の時に地球との距離が短いのですね。だったら月が大きく見えるのだから、皆既日食になるはずじゃないかと一瞬思ってしまった。

 楕円軌道だから、新月の時に中級との距離が最大、ってことでいいのかな?

>だから「÷分数」は小学校の段階では軽く触れるだけにして

少なくとも÷自然数と、÷1/nの形はやっておいていいと思う。一般化は各自考えるというオープンエンドも良いとは思うが。
積分定数
2012/05/22 22:05
「大学生における分数の乗法・除法の指導法に関する調査」

http://ir.u-gakugei.ac.jp/bitstream/2309/108086/1/18804306_62_14.pdf
おおくぼ
2012/05/22 23:22
おおくぼさん提示の 学芸大学の pdf

> また,大学生の中には数式のみを記した回答もあり,教員養成系の大学生とはいえ,計算の手続きは理解できているがそれらが表す意味を充分に理解していない可能性があると思われた。

 出た! 「意味」

 特定の思想を持っている人が使う特定の用語に注目して読む。公安警察の文書諜報みたいな感覚になってきた。

 「意味」=「具象にこだわった説明のしかた」
 「解放」=「武力行使」
鰹節猫吉
2012/05/23 01:30
>図 5  分数概念自体を誤った解釈をしている図を用いた指導法(乗法)

これなんか見ると不安にはなる。

分数の計算の説明はできるが、教えるにはどうすればいいのか?子どもの理解力なども関係してくるから、一概には言えない。

 優秀な子の場合、2/3mで4/5sのロープが・・・という問題にいきなり取り組んでもらって、散々試行錯誤してその子自身が計算方法を見つけた。

 これが理想だと思う。


 そうでない場合は、1/2mで3sだと、1mでは?

さらにそれ以前に、3mで5sだと6mでは?
という具合に整数でこう言うのを難なくできるようにして感覚を身につけて、徐々に一般化していく。

という感じかな?

 いくらうまい説明をしても、聞く方は受け身になってしまうと思う。

 ある程度自分で試行錯誤しないと身につかない。

 自転車に乗るには転んだり擦りむいたりという過程が不可欠。

というのが、私の現段階の考え。

 だから、水道方式の「かけ算を累加で導入すると、0や分数のかけ算で躓く」というのに対しても疑問を感じる。

 躓くことは大いに結構だと思う。


 ただし、教える側の恣意的な分類や方法、求残だの求差だの、なんとか図だのというので混乱するのはまずい。

 躓いても自分で修正できることが大切。恣意的な概念による混乱は自分で修正がしにくいと思う。
積分定数
2012/05/23 10:03
 太陽光発電設置の勧誘があった。どんなもんなんでしょうかね?

 取り付けた直後あたりに技術革新があって、エネルギー効率が上がったり安くなったりすると悔しいのだけど・・・
積分定数
2012/05/23 10:09
参考 太陽光発電システム
「太陽光発電買取がkW42円とな? ドイツじゃ14円なのに(追記あり)」

http://kirik.tea-nifty.com/diary/2012/05/kw4214-8101.html
おおくぼ
2012/05/23 12:12
>参考 太陽光発電システム

どうも有り難うございます。参考にさせていただきます。


http://ir.u-gakugei.ac.jp/bitstream/2309/108086/1/18804306_62_14.pdf
>図 5  分数概念自体を誤った解釈をしている図を用いた指導法(乗法)

とか、メタメタさんが紹介していた
●●●×●●=●●●●●●

などを見て、遠山啓の提唱した助数詞廃止論はまずいように思えてきた。

兎は「匹」か?「羽」か?なんてことはどうでもいい些末なことなんだけど、

「人が3います」というようなことで、3人を3それ自体と思ってしまわないだろうか?

3とか5というのはあくまで抽象化された数であって、3個とか5回とかの具体的な物とか事と混同してはまずいと思うのだが、杞憂だろうか?
積分定数
2012/05/23 16:19
田中博史先生と直接対決はどうでしょうか。

http://www.books-sanseido.co.jp/blog/jinbocho/2012/05/617-3.html
釈迦に説法
2012/05/23 17:48
1/(りんご2個) と 1/(りんご3個)をかけるとどうなるでしょうか。
M
2012/05/23 19:37
>だから、水道方式の「かけ算を累加で導入すると、0や分数のかけ算で躓く」というのに対しても疑問を感じる。

ここは重要なポイントですね。
文科省は調査したのかな?
おおくぼ
2012/05/23 22:44
1/(りんご2個) と 1/(りんご3個)をかけるとどうなるでしょうか。

1/りんご^2・6・個^2

だろうね。多分・・・・
積分定数
2012/05/23 23:32
>文科省は調査したのかな?

教えていれば、躓く子はいると思うのだけど、それがそんなに重大な問題なんだろうか?と思ってしまう。

自転車の運転は転びながら覚えるのが当たり前。

添加と合併の区別だとかけ算の順序とか言うのは、転ぶ場所まで指定するようなものだと思う。足し算やかけ算を理解したら区別できないはずだから、区別を強要するのは転ぶことを強要するようなもの。

 それでいながら「躓くから累加は避ける」ってなんだかな〜と思ってしまう。
積分定数
2012/05/23 23:38
遠山啓の主張は、掛け算は累加で考えるよりも「一つ当たりい幾つ」で考える方が、小学生にはわかりやすいということなんだけど、本当だろうか?

掛け算を面積の絵で考えるなら、累加の方がわかりやすいと思う。
ゼロと分数でも、大丈夫だとは思うんですが・・・。
おおくぼ
2012/05/24 00:31
>遠山啓の主張は、掛け算は累加で考えるよりも「一つ当たりい幾つ」で考える方が、小学生にはわかりやすいということなんだけど、本当だろうか?

人それぞれではないかと。
一つ当たりが幾つか累加されているわけだから同じ、と私なんか感じます。
表現の違いでしかないが、それで分かりやすく感じたりすることは有ると思います。
少なくとも、算数の本質に関わる話ではないと思います。
zorori
2012/05/24 06:18
 私も最初、(1あたり)×(いくつ分)と聞いたときに、累加と何が違うの?と思った。

 3時間で15q歩くと、6時間では?

15×2=30 30q とすぐに分かるが、(1あたり)と(いくつ分)は?(1あたり)は(1単位量あたり)でなくてもいいと考えれば、15qが(1あたり)でいいのだけど、(1あたり)だから1時間あたり、でないとならないと考えてしまう子もいると思う。

 「累加は躓く。(1あたり)×(いくつ分)が優れている」とは必ずしも限らないと思う。

 (1あたり)×(いくつ分)という方が理解しやすい子もいると思う。

 色々だと思う。

 実際教えていて、「まさかそんなところで引っかかるとか・・・」とあきれることがしばしばある。多くの子が躓きやすいポイントや多くの子に有効な対策があることは否定しないが、必ずそうだとはとても言えない。

http://www.ne.jp/asahi/akita/school/sansu/5nen/05kakewari5.pdf

↑こういう授業がわかりやすいのだろうか?人それぞれだし私自身が受けた訳じゃないから推測するしかないけど、・・・・

100g90円の豚コマ、300gでいくら?

(1あたり量はなんだろうか?)などと考えることもなく、ごく自然に90×3とすると思う。1gあたり90銭で、その300倍、とする人はほとんどいないと思う。

(1あたり量)というのを経由しないで、ごく自然に式を立てるのが普通だと思うのだけどどうなのだろうか?

(1あたり量)がどうの、というのはどうも人為的で不自然に思えてしまう。
積分定数
2012/05/24 07:34
このことを考えると

解答欄が「しき  こたえ  」となっていることの弊害が見えてくる。

400gの7%を400×0.07という発想で計算する人がどれほどいるだろうか?100gの7%が7gでその4倍、ということが多いと思う。

 しかし、「しき7×4 こたえ28g」として正解になるだろうか?

 そうすると、自然な考えとは別に、「こういう問題にはこう答える」という解答パターンを覚えないとならないことになってしまう。

 これは子どもにとって、とてつもない負担だと思うし、算数・数学の力はつかない。

 元の量×割合 という式を教えること自体は一般的に否定はしない。(積極的に肯定もしない。私自身は教えないで割合の持つ意味や感覚を掴む中から児童が式を立てられることが望ましいと思う)

 あたかもそう解くことが正式な方法であるかの如く教えるのが問題である。
積分定数
2012/05/24 07:52
800gの50% 割合をちゃんと理解していたら

800÷2=400 という式が浮かぶのが普通だと思う。

もちろん、元の量や割合の数値に関係なく一律に元の量×割合で全部統一した方がやりやすいと言う子はそうすればいい。

 「唯一の正しい式」があるわけではない。

http://www.inter-edu.com/forum/read.php?903,1013957,page=19
>分速を求める問題で、うちの息子は分数の掛け算で答えを出しました。親からすればあっています。でも、式がバツで答えがマルでした。そして、先生から赤字で「速さは割り算で出すものです。」とコメントが。なぜバツじゃないといけないのか、いまだにわかりません。もし納得のいく説明がわかる方教えてください。

この教師は「算数は答えさえ出ればいいのではありません。答えに至る過程こそが重要です」とか言っていそう。
積分定数
2012/05/24 07:54
「累加だと単位が変化しないが、かけ算・割り算では単位の変化があるから累加ではない」というのも聞くけど、言葉の綾に過ぎないと思う。「かけ算には倍と積があり、単位が変わらないのが倍で変化するのが積」などというのも、ど〜でもいいことをもったいぶっていっているだけに思える。

縦3m横4mの長方形の面積

横1mごとに縦に銭を入れて縦長の長方形を4つ作る。

縦長の長方形の面積は3m^2 その4つ分と考えたら累加。

3×4を、

3m^2×4と考えようが、
横1mあたりと考えて、3m^2/m×4mと解釈しようが、
3m×4mと解釈しようが、

ど〜でもいい話。どう解釈しようが、12m^2となる。

その途中の過程に「こうしちゃだめで、ああしなさい」とか介入することで混乱してしまうような気がする。
積分定数
2012/05/24 08:28
> 「かけ算には倍と積があり、単位が変わらないのが倍で変化するのが積」などというのも、ど〜でもいいことをもったいぶっていっているだけ


本物の根上生也氏がそう言ってます。

桜井進大先生がカップルとペアシートがどーたらこーたらで2×5と5×2は意味が違ってどーたらこーたらとアホバカ間抜け発言をしたのに呼応して、2項演算と何倍かするかけ算と新しい次元を作るかけ算があると応じました。

技術評論社の 計算する数学計算しない数学 という対談本です。

鰹節猫吉
2012/05/24 21:17
「1/2回,加える」という累加的表現には違和感を感じるけど,「1/2ぶんにする」と表現すると分かりやすいと感じる人はいると思います。これは「回」は自然数に用いる言葉で,「ぶん」は「分数にも用いるという知識がある大人の感覚で,子どもも同じように感じるかは疑問だと思います。

自然数から分数に適用範囲を拡張するときに躓くわけですが,それは必ずしも拡張した概念が理解出来ないのではなく,それを表現する言葉使いに混乱を感じているだけということも有りそうです。

語彙数の少ない子どもは,言葉の意味を拡張して使うことが有ります。
例えば「ご飯を煮る」と間違って言ったりします。しかし,ご飯だろうと芋だろうと調理法には代わりはないわけです。有る意味で、本質を理解しているとも言えます。言葉は細かい適用の規則を覚えることで微妙なニュアンスを表現するという洗練の過程を経ますが、算数では、微妙なニュアンスは無視して一般化、抽象化することが高度化であり、余計な知識はかえって邪魔になるという面もあるのかもしれません。もちろん、そんな単純な話ではなく、細かい具体例を知ることも重要で、「例示は理解の試金石」という言葉が気に入っています。

まあ、こんな風にいろいろ考えられるのが算数の面白いところで、これしかないと決めつけるのは全くつまらないことだと思います。
zorori
2012/05/24 22:12
こちらの、「根上生也」氏もくだらないことを言っています。
http://www.twitlonger.com/show/f6hhr2

>積と倍を区別して指導をしている先生はりっぱです.数学を計算手順の集まりとしか考えていない大人が増えてしまうことに私は懸念しています.

「かけ算の順序」議論では、この手の因果関係のないことを並べた藁人形論法がありがち。

「積だの倍だのといった区別はナンセンスだ」という主張と、「数学は計算手順の集まり」という主張が、いったい何の関係があるのやら。

 何で味噌糞一緒に論じてしまうのだろうか?

例によって、瀬戸智子氏も同様のくだらないことを言っている。
http://ts.way-nifty.com/makura/2009/07/post-4df6.html
>かけ算の意味は3つあります。
1つは今では一般的になった「1あたりの数×いくつ分=全体の数」です。
2つ目は「基になる数×倍=比べる量」、つまり割合です。
3つ目は「長さ×長さ=面積。面積×長さ=体積」など新しい乗法単位を作るための演算です。
例は省略します。

割り算の意味は、「等分除、包含除、倍」の3つでかけ算の逆思考です。
まず典型的な割り算は等分除。
「みかんが12個あります。4人に同じ数ずつわけると、1人分は何個になるでしょう」というもので、かけ算でいうならば「1あたりの数を求めるものです」

包含除は「みかんが12個あります。1人に4個ずつ配ると、何人に分けられるか」というもので、かけ算のいくつ分を求める演算です。

倍は「比較量÷基本量=倍」というもので2量の関係を求める演算です。
積分定数
2012/05/24 22:29
>ただ、割り算は等分除と包含除だけでないことは、
エントリーにも書いています。
つまり「倍」を求める場合や、かけ算の逆の演算で有る場合などです。
「20は5の何倍か」と言う問題では等分除も包含除も無関係です。
「面積20、縦5なら横は(単位省く)」の問題も同様です。
等分除と包含除とは、
かけ算の「1つあたり」×「いくつ分」=全体のかずという公式が成り立つ問題で、「1つあたり」を求めるのか「いくつ分」を求めるのか、
と言うときの方法を言うものであって、割り算がみんな「等分除、包含除」と言うことではありません。


>たし算の3つの意味。
引き算の意味。
かけ算の3つの意味。
割り算の意味。
そして分数と小数。
比。
あるいは図形。
みんな、その意味をしっかりと分析して、子どもたちに教えていくことが肝要です。



あ〜〜〜、くだらない、くだらない。

こういうくだらない有害無益なことをあらわすことばがあったよね、



算数のむだ毛
積分定数
2012/05/24 22:31
>それは必ずしも拡張した概念が理解出来ないのではなく,それを表現する言葉使いに混乱を感じているだけということも有りそうです。

 そうすると単なる言葉の綾ですね。そんなものを算数分析の論拠にするのもアホらしい。

 部分集合の「部分」に違和感があっても、空集合や全体集合も部分集合だよ、

 というような事であって、単にその部分を説明すればいいだけな気がする。

 ただ水道方式でも、「分数乗や負数乗のときに躓くから、指数を累乗で導入しない」ということではなさそう。3^4は、3×3×3×3 と素直に導入すると思う。正確には知らないが。

 「かけ算は累加ではなく・・・」というのを遠山啓が強調するのは、単に躓くからというだけでなくて、「単位が変わることを累加では説明できない」ということじゃないかと思い始めている。

 指数ではその問題は生じない。3^4の4は無名数だっけ?無単位である。3の4m乗、なんていうのはない。

 でも、かけ算で単位が変わるって言うのも言葉の綾でしかないように思う。

1m四方の正方形の面積を1m^2とするのは、長さ×長さで面積が求まるから、単位もそれに合わせているというだけな気がする。

 長さとは独立の面積の単位、畳や坪だとこうはならない。
積分定数
2012/05/24 22:47
>「1/2回,加える」という累加的表現には違和感を感じるけど,「1/2ぶんにする」と表現すると分かりやすいと感じる人はいると思います。

指数もそうですね。

a^nを、aをn個かける、というのから、aをかける行為をn回行う という具合にして、

そうすると、a^(-1)は、「aをかける」の逆を1回行う、つまり、「aで割る」

a^(1/2)で表現される行為を2回行うと、a^1、即ちaをかけることになる。なるほと、√aをかける行為を2回行えばaを1回かけるのと同じ。

 −1回とか、1/2回とか、意味不明、

とするのではなく、要は解釈次第。
積分定数
2012/05/24 23:13
>2×5と5×2は意味が違ってどーたらこーたらとアホバカ間抜け発言

式に微妙なニュアンスやイメージを読みとり、3+3と2×3と3×2は異なるだとか言うのは、感性の鈍い私には全く理解できないのですが、実はすごいことなのかも知れません。


 算数・数学とは別の、算数・数学の形態を借用した詩的情緒的感性を重視するジャンルを作れば、彼らものびのびと活躍できると思うのですが。

http://www.ssfactory.net/home.html
桜井先生、かっこいい・・・
積分定数
2012/05/24 23:24
>技術評論社の 計算する数学計算しない数学 という対談本です。

検索してみた。
http://gihyo.jp/book/2007/978-4-7741-3229-7

読んでいないから内容はよく分からない。

でも、

3を4つ足すのと、4を3つ足すのとで、結果が同じっていうのは面白くないのかな?

すごく面白いと思うけど。

●●●●
●●●●
●●●●

こうすれば同じになることが一目瞭然。面白い!



この面白さを否定して、2×3と3×2ではああたらこうたら言っている人が、

生命だの永遠だの、黄金比がどうたら言っている。


算数・数学の面白さを語るのに、そんな小難しい言葉が必要なのだろうか?
積分定数
2012/05/25 00:03
>1/(りんご2個) と 1/(りんご3個)をかけるとどうなるでしょうか。

>1/りんご^2・6・個^2

これは、「掛算ができない」が正しい答え。
個^2って何。
掛算の意味を理解していないね。

それでは、アレイ図は、どうして掛算になるのか。
「掛算の意味」を使わないで、説明してください。

意味は大事
2012/05/25 00:33
1+1=6 ならば 近日中にかけ算の順序は廃止される

は正しい命題。

意味は大事さんは、論理学を理解していない。
積分定数
2012/05/25 07:46
とにかく分類するのが好きで、分類すると分かった気になる人達がいます。
具体的な現実よりは抽象的な考えで分類していますが、数式の本質からみると具象的であり、数式の本質ではありません。

問題は、分類した考えの方が具象的な分、現実と合わせて考えやすいので、分かり易く感じる事でしょうか。
この考えに捕らわれると、より抽象的な考えが出来なくなるようで怖いです。

最近思うのは、教育の問題で抽象化出来なくなる人がいるのとは別に、どうしても抽象化出来ない人達がいるのではないかという事です。
こういう人達にとっては、分類する方法でしか算数を考えられないのかもしれません。
こんな事を考えていると憂鬱になってきます・・・
TaKu
2012/05/25 23:24
ぼくは悲観していることと楽観していることがあります。

まず、算数教育の世界からゴミを取り除くことについては悲観しています。相当に難しい感じ。算数の教科書執筆に関わっている人達は日本の算数教育の専門家たちの中で最高のステータスを持つ人達だと考えられます。そういう人達が教科書指導書に

>6×7と立式する子どもにはあめの図をかかせ、同じ数のまとまりは6なのか7なのかをしっかりとつかませる。
>また、6×7では、6人が7つ分になり、答えは子どもの人数となってしまうことをおさえる。

のようなデタラメを書いているという現状をどうやって変えれば良いのでしょうか?

しかし、インターネットで検索して授業案の例を見てみると面白そうなものが少なくありません。そういった面で優れた人は算数教育の世界に相当数存在していることは間違いないと思います。むしろだからこそ、その中心部にゴミが溜まっている様子が非常に目立つ感じ。ゴミを取り除くだけで、日本の算数教育の世界は相当に改善されるのではないでしょうか?この点についてぼくはかなり楽観しています。

算数教育の世界に溜まっているゴミが何であるかについては繰り返し語って来たのでここでは詳しく説明しません。 (ゴミについて述べ始めると長くなって眠れなくなる!)
くろきげん
2012/05/25 23:49
>最近思うのは、教育の問題で抽象化出来なくなる人がいるのとは別に、どうしても抽象化出来ない人達がいるのではないかという事です。
こういう人達にとっては、分類する方法でしか算数を考えられないのかもしれません。

 そうは思わないですが、

と言いたいところだけど、算数教育業界の人たちの話を聞いていると、確かにそんな気がしてくる。瀬戸智子さんと議論したときも、なぜこうも話が通じないのかと思ったけど、そもそも抽象化できていないのであれば無理もない。最初は何とも奇妙な考えだと思ったが、後にあの認識は、算数教育業界では常識であるらしいことが分かった。

 数学では当たり前である抽象化、それができない人たちがたまたま算数教育業界に集中していた

 ってのも、おかしいから、

 「子どもはいきなり抽象的に考えることができないので、具象から徐々に教える必要がある」

というのが、やがて抽象化自体を否定する文化が根付いてしまったということではないだろうか?

「正方形が長方形というのは小学生には難しいから棚上げ」というのが「正方形は長方形ではない」という誤解を拡げたみたいに。

 ただ、正方形・長方形と違って、抽象化の否定は、算数教育業界の指導的立場の人こそが積極的に推奨している。そこが不可解。

 かけ算の順序をうるさく指導する教師が、その裏返しである割り算の等分除・包含除の区別に関しては「それは同じ割り算なんだから、別に(いちいち区別しなくても)構わないんじゃない?」とあっけらかんと言っている。

 算数教育業界の指導的立場の人は「2つの割り算の区別をまともに教えないなんて・・・」と思うのではないだろうか。
積分定数
2012/05/26 10:06
>まず、算数教育の世界からゴミを取り除くことについては悲観しています。相当に難しい感じ。

 確かにそんな気になってはしまう。

 チョムスキーは映画の中で、「今の時代は、奴隷時代からしたら遙かに良くなっている」と言っている。

 ネットの普及により、算数教育業界にゴミ、むだ毛があることが分かった事自体が進歩だと思う。

 以前はこんな事は算数教育業界内部の人以外は知らなかったと思う。内部の人はゴミ、むだ毛と認識していないだろうから、誰もおかしいと思っていなかった。

 私自身も長年、高校生に数学を教えつつ、「『みはじ』などというくだらない教え方はやめて欲しい」程度の認識でしかなかった。

 まさか、同時に存在する場合と時間差がある場合で足し算を分類していて、3+5と5+3は異なる

などというアホとしか言いようがない考えが、

算数教育業界で積極的に推奨されているなんて夢にも思わなかった。

 こんな馬鹿げたことがあるんだと言うことが、ここ数年分かり始めてきたということ自体が大きな進歩とも言える。

 ただ、「かけ算の順序でバツ」という事実の認識は拡がりつつあるが、その背景にある「式の意味」「抽象化の否定」というゴミ・むだ毛については、認識が拡がっていない。
積分定数
2012/05/26 10:19
書いていて整理がついてきた。

抽象化の否定というむだ毛は、「正方形は長方形ではない」というのとパラレル。

「正方形が長方形でないというのは子どもには難しいから、積極的には教えない」

「正方形は長方形でないと、子どもに教える」、あるいは「正方形は長方形ではない」と教える側が誤解。


「子どもは抽象的に考えるのが難しい。3が4つと、4が3つが同じ事だとなかなか認識しづらい。具象を重視した教え方が必要」

「具象が大事。抽象はけしからん」、あるいは、教える側が抽象化できない。
積分定数
2012/05/26 10:56
こんなことを言ったら教育業界から袋叩きでしょうが…

世間一般の小学校教師というのはあんまり優秀ではないでしょう。

x(x-1)>0を x>0,1と解くなんてのはざらにいるんじゃないでしょうか。

こういうレベルの人に 「意味の大切さ」 を説いてしまうと、「間違った意味で目からウロコが落ちる」のではないですか。

具象と1対1に対応しないものはただの記号操作だから悪である!

↑ 養老氏あたりが出てきたら バカの壁 話せば分かるは嘘 なんていわれそうですね。

鰹節猫吉
2012/05/26 13:11
要するに、自分が記号の操作手順を丸暗記して覚えた通りにやっているだけですから、みんながそうやっていると考えるようになる。

自分が間違ったのは「不等式の意味を教わらなかったから」で、できる人は「不等式の意味を教わって覚えていた」からできたのである。

子どもたちの未来のためにも、「意味を教える正しい教育をやらねばならぬ。」

僕は私は正しいことをしているのだ。たったひとつの命を教育に捧げた。この私がやらねば誰かやるのだ。


↑ こういう人の頭の中は、

いのち
こころ
みらい
きぼう
正しい心

なんて言葉が充満していると思われます。

鰹節猫吉
2012/05/26 13:34
>こんなことを言ったら教育業界から袋叩きでしょうが…

そこはあまり踏み込みたくなかったのだけど、高校生を教えている経験からすると、

進学校の理数科、旧帝大の理系を目指す子

ですら、公式や解法暗記を数学の勉強だと思っている節があるわけで、5科目教えなくてはならない小学校教師に「算数・数学をその精神まで含めて理解しろ」というのは、現実的に無理だと思う。

 私自身も、算数・数学については「こういう教え方はまずい」とか論評できるが、「全ての科目を教えろ」と言われたら、国語あたりは指導書に頼りきりになると思う。漢字の書き順やとめはねも、それが些末なことなのか重大なことなのか分からないから、とりあえず教科書通りにやらせようとするだろう。「しっかり教えたが実はどうでもよかった」「どうでも言い通しえたが、実は重要だった」、後者のリスクの方が大きいと考える。

 だから、教師が算数・数学がそれほど得意ではないと言うのは、これは当たり前と思うべき。

 問題は、算数教育業界の指導的立場の人自身が算数を理解していなくて、むだ毛を一生懸命生やすことに腐心していること。
積分定数
2012/05/26 15:01
>どうでも言い通しえたが

どうでもいいと教えたが
積分定数
2012/05/26 15:02
>具象と1対1に対応しないものはただの記号操作だから悪である!

これも、算数教育業界の指導的立場の人の考えだと思う。

抽象的概念を獲得した状態では、求差だの求残だのという、むだ毛は意識すらしない。

そういう立場からの「順序」批判、むだ毛批判を、単に「計算さえできればいいと言う短絡的な発想」と見てしまうところが、短絡的。

 「数学が得意な人間は意味なんか考えないで公式や解法をひたすら覚えたに違いない。でもそれでは、本当に数学を理解したことにはならない」

という浅はかな考えが透けて見える。

http://www.twitlonger.com/show/f6hhr2
>積と倍を区別して指導をしている先生はりっぱです.数学を計算手順の集まりとしか考えていない大人が増えてしまうことに私は懸念しています.

「ば〜か!」と思いっきり言ってやりたい。
積分定数
2012/05/26 15:14
>「正方形が長方形というのは小学生には難しいから棚上げ」というのが「正方形は長方形ではない」という誤解を拡げたみたいに。

「カツオが魚類というのは小学生には難しいから棚上げ」というのが「カツオは魚類ではない」という誤解を拡げた・・・という例はないと思う。
どうも算数を特殊扱いしているのかな〜。

抽象化が難しいというのは理解できない。
例えば、「すべての魚」の「すべて」は抽象的な概念だと思う。
あるいは魚というグループ分けも抽象的な操作だと思う。

連想として『ガリバー旅行記』にライプニッツの抽象概念批判として、言葉を使わない人達のコミュニケーションなんかが思い浮かぶけど、普通に生活している人達は数学ができなくても抽象的な思考をしている。
おおくぼ
2012/05/26 17:10
「数式の意味が大事」という時、数式の意味が一つしかないと思い込んでしまうから厄介だ。
物理学でも経済学でも1+2=3は同じ計算だけど、意味は違ったりする。
でも物理学者が経済学の「数式の意味」を理解しなければいけないということはない。
ニュートンやアインシュタインやノイマンが、経済学の「数式の意味」を誤解していても、彼らの数学的な能力が低いわけではない。
おおくぼ
2012/05/26 17:18
今週の『週刊新潮』を読んでいたら、太陽光発電のトラブルについて書いてありました。
太陽光発電は故障が意外と多いという記事でした。
保証期間内に故障を発見できて、無償で修理・パネルの取り替えをしてもらえば問題なしですが、そうでないと自腹を切ることになるという内容でした。
ググると同じような内容がいろいろ見つかりました。
おおくぼ
2012/05/26 17:48
「新潮」広告で見て読むつもりでいたのを忘れてた。思い出させてくれて有り難うございます。「新潮」じゃあ、脱原発に水を差すのが目的かな、と勘ぐってしまういがちだけど、多角的検証は必要ですね。
積分定数
2012/05/26 18:24
 根上生也氏って検索すると、現状の算数教育に不満を持っているようですね。

 計算ばかりだとか、数学の楽しさがどうのとか、

 同様のことは私も思っている。そういうことを嘆いている人は多いと思う。

 ただ不可解なのは、

 「計算さえできればいい。解法を覚えて答えが出ればそれでいい」

というのと

「式の意味が大切」

というのを、対立的に捉えて、

「順序」を後者の側、反「順序」を前者の側に位置づけているという点。

 たしかに、前者の立場で順序ナンセンスという人もいると思うよ。

しかし、

 サンドイッチだの長方形の面積を横×縦はバツだの、前者の立場での順序が報告されているし、

 意味を理解すれば、1あたり・いくつ分という違いはなくなってしまう、という話も何度も出てきている。

 何でこうも浅はかな二元論にしてしまうのかね。

 算数教育業界に関わっている数学者は、数学の立場から算数教育業界を是正するのではなく、算数業界の代弁者となってしまっているようだ。

 抽象化の大切さを算数教育業界に訴えるのではなく、数学からの批判に対して、「意味や具象の大切さ」を唱えて、算数教育業界を防衛している。

 根上生也氏の場合、さらに数学教育の現状を憂いているのでややこしい。
積分定数
2012/05/26 18:45
根上生也氏(本物?)

> 「今度はこの順番で書こうか」と子供をはげましたあげたほうが建設的です.「これは○のはずだ」と言い放ってしまうと,先生の信頼が崩れ,お子さんはその後に学校で習うことも信用しなくなる危険があります.


算数教育防衛ですね。

こんな先生を信用したら大変だということで問題になってるんですが…

鰹節猫吉
2012/05/26 19:00
根上生也氏(本物?)

> しかし,数学者は掛け算は,非可換な演算の象徴として扱うことが多いです.


それじゃあ加法は可換な演算の象徴なのかな?

すると物理学者の あおやま氏 と N.NAKANISHI氏 は立派ではないと?

鰹節猫吉
2012/05/26 19:08
式の意味を考えることは無意味、と思うようになってきました。

いわゆるモデル適用の方法論を考えるとき、

(1)問題を設定する(設定された問題を認識する)

(2)対応するモデルを考える

(3)モデルを動かして(解いて)答を得る

(4)モデルの解を解釈して(1)に対応する結論を出す

となるわけですが、問題の意味に対する結果の意味付けは(4)で行なっているので、抽象化した(2)から(3)の間は意味を考える必要はありません。というより抽象化してしまえばもともと問題に含まれていた細かい意味は(1)から(2)の間で取り去ってしまっているはず。それがモデルの価値です。とりさった意味は(4)でふたたび戻せば良い。

かけ算でいえば、文章題を立式(嫌な言葉です)して2×3などと式の形にした時点でもとの文章の意味は取り外してしまっていると考え、2×3=6などと、計算を実行して得られた結果の6について意味を再び付与して(何が何個などと)説明するというのが正しい考え方と思います。

つまり、式の意味を求めるのは誤りで、計算結果の意味を求めるべきである。

今の算数教育って教科書からなにから全く間違っているんじゃないでしょうか。
M
2012/05/26 19:17
つまり、「式の意味」を聞かれたら、「見たままの意味です」と答えるのが最も正しいということです:p
2×3の意味は2x3より多い意味も少ない意味ももたない。
M
2012/05/26 19:22
ただし、(4)の結果の解釈を与えるところで合理的な理屈を与えるために、(2)から(3)のところでモデルの挙動を見ながら考察すると考えやすい「場合がある」のはあると思います。その場合でも1から4までずーっと意味を貼り付けていくとせっかくのモデルが壊れてしまうことになるので、あくまでモデルの挙動を参考にしながら意味を追っていくことになるんじゃないかと。
M
2012/05/26 19:42
>最近思うのは、教育の問題で抽象化出来なくなる人がいるのとは別に、どうしても抽象化出来ない人達がいるのではないかという事です。

ちょっと補足します。
多くの人は教育で問題解決すると思いますが、一部の「どうしても抽象化出来ない人達」は算数が理解出来なくなります。
その人達に算数を教えようとすると教育が歪んでく・・・
理解出来ない人が出るのを許容するか、教育を歪めるのを許容するか、考える必要が出てきそうです。

現状は、より多くの人に理解させようとして教育が歪んでいる状態だと思います。
歪みを正そうとすると反発勢力が出てきそうで嫌になります。
TaKu
2012/05/26 20:09
モデル化して個別の意味をはぎとったことで、(2)から(3)に至る道筋を共通した方法論によって適用できることが保証できたのに、意味を残すと、同じ方法論が適用できることが保証できなくなってしまいます。意味をはぎとることにこそ価値がある。
M
2012/05/26 20:16
> 「今度はこの順番で書こうか」と子供をはげましたあげたほうが建設的です.「これは○のはずだ」と言い放ってしまうと,先生の信頼が崩れ,お子さんはその後に学校で習うことも信用しなくなる危険があります.

先生の信頼を崩すことが子どもの学習に悪影響を及ぼす可能性は否定できないと思います。

しかし、「2×8ならタコ2本足」だの「3×2なら3本耳のウサギ」と大真面目に小学生に教えることを小学校の先生たちに広めたり、算数の教科書指導書に「6×7では、6人が7つ分になり、答えは子どもの人数となってしまうことをおさえる」なんて書いてしまった算数教育専門家はその程度に応じて信頼を失うべきであるということも認めてもらわなければ困ります。

個人的には現場の先生が信頼を失う程度はできるだけ小さい方が好ましいと思っています。しかし、算数教育の専門家で上のようなことをして来た人達にはきっちり責任を取ってもらうべきでしょう。

この問題が解決する過程ではかなりの数の算数教育の専門家が確実に傷付くことになるはずです。傷付かずにすむというのは常識的にはちょっとありえないし、実際にこの問題がインターネットで盛り上がっていることを苦々しく思っている算数教育専門家たちも自分たちの信用が傷付かずにすむとは思っていないと思います。

むしろそういう厳しい現実があるからこそ、この問題の解決は難しいのだと思います。

しかし、これからはここ数年間と同様に、毎年、小学校二年生で掛算を教える季節になるとインターネット上で掛算の順序にこだわる教え方の問題で盛り上がることになるでしょう。それによって、この問題に気付いて、真剣に「これはまずい!」と思う人はどんどん増えて行くことになるでしょう。
くろきげん
2012/05/26 21:26
>Mさん、
>2×3の意味は2x3より多い意味も少ない意味ももたない。

そうですね。意味は数学的に定義されたものとしか言いようがありませんね。
ただ、いきなりそれでは分かりにくいので、例えば、リンゴ2個入り袋が3袋、とか長方形の面積とかいろんな例示から、抽象的イメージを掴んでいくわけですね。具体的例示の他に、少し半具象的な「一つ当たり」など概念も生まれたのだと思いますが、あくまで一例に過ぎません。いろんな例示のなかには分かりやすいものも分かりにくいものもありますが、分かりやすい例示を使えば教育効率がよいと算数教育家は考えたのだろうと思います。ところが、そのうちに分かりやすい一例に過ぎなかったものが、掛け算の意味そのものになってしまった、というところではないでしょうか。
また、分かりやすい例示は人によって違いますね。
zorori
2012/05/26 22:52
>2×3の意味は2x3より多い意味も少ない意味ももたない。

結果は6である。それ以上でもそれ以下でもない。それ以上でもそれ以下でもないという言い方は数学的にはおかしくて、それより大きくもそれ未満でもないというのが正しい、などというのは野暮である。

nCm、nCn-m、n!/{m!・(n-m)!}、これらは全く同じ。

それぞれに、
「n個からm個選択する方法」
「n個からn-m個選択する方法」
「Aがn個、Bがm個あるとき、これらを並べる方法」

というニュアンスを読みとるべき

というのは、数学とは無関係な、情緒や感性の話。

鰻、うなぎ、ウナギ、どう表記すべきかは、ウナギの学術研究にはどうでもいいはなし。

鰻の蒲焼きや、うなぎの蒲焼きはうまそうだけど、ウナギの蒲焼きは、美味しい気がしない、

というのは理解できるが、

ウナギの研究にはなんの関係もない話。
積分定数
2012/05/26 23:06
>この問題が解決する過程ではかなりの数の算数教育の専門家が確実に傷付くことになるはずです。傷付かずにすむというのは常識的にはちょっとありえないし、

10年ぐらいして、「かけ算の順序」などというのが「運動中は水飲むな」と同様のことになっていたとして、

「私は当初から、順序によってバツを付けることには反対していた」と素知らぬ顔で言う人が続出したりしてw

 実際、順序批判に対して算数教育業界弁護に一生懸命な人は、「バツを付けることには反対だが」と保険をかけることを忘れない。
積分定数
2012/05/26 23:13
「おもいでぽろぽろ」って映画は私は見ていないのですが、妹が分数の割り算が分からなくて、姉が「そんなの逆にしてかければいい」という所があるらしいですね。

 そのあたりがどういう描き方は知らないのですが、

「やり方覚えるだけで、出来たと言うよりも、むしろなぜだか分からなくて出来ないと言うことの方が、実は深い思考なんだ」というようなことなら

なんとも浅はかで陳腐だと思う。映画がどうかは知らないが、順序派の一部には、この手の陳腐な思い込みがあるように思う。

 分数のかけ算、割り算をきちんと理解して計算できる人も大勢いると思う。

 分数の計算を疑問に思いつつも、何故なのかが理解できない人もいると思う。

 それはそれでいいのだけど、「なんの疑問にも思わないで、計算できる人は単にやり方を思えているだけだ。こういうことを疑問に思う自分の方が深く考えている」などと思うべきではない。

 ちゃんと理解しているからこそ疑問にも思わない人がいるということぐらいは想像した方がいい。
積分定数
2012/05/26 23:27
実例

http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2004/0607/002209.htm?o=0&p=0
トピ主です ドリル 2004年6月9日 18:48
たびたびすみません。
数学は中学以来やっていませんので、自分が間違っていたらすみません。
以前「金八先生」で
ウサギの猟をしているお父さん、子供は毎日お父さんが持ってくるウサギの耳を数えていました。
今日はウサギが4羽で 
2×4=8でウサギの耳は8本。
ある日は吹雪でお父さんはウサギが取れなくて0羽
だから
2×0=0
それまで0にはなにを掛けても0ということは知っていましたが、武田鉄也が
「なぜ2×0が0になるんですか。2という数字があるじゃないですか」
といわれて生徒が答えられずにいました。2×0=0という答えは知っていても、なぜなのかは考えなかったからだと思い、この番組見てよかったと思いました。

いったんきります。

ユーザーID:
トピ主です ドリル(トピ主) 2004年6月9日 19:04
掛け算は2年生で教えられるという意見がありました。

5年生の時の先生がこの単価×数量で正しい答えが出るので、数量×単価では答えはあっていても過程が正しくないので間違えてはいけないと何度も教えました。

だからこれは普通に中学まで卒業した子供は理解できているものとして考えました。
子供の算数ですが、小町でこんなにレスがつくとは思いませんでした。
ただ自分なりに考えましたが、算数、数学というのは正しい答えが必要なのは勿論ですが、考える過程も同じくらい大事だと思います。社会に出れば算数なんてそれほど難しいものは一般人の場合必要ではありません。
数学的に算数的に理論を組み立てるために教師は勉強させたのだと思います。
積分定数
2012/05/26 23:33
 瀬戸智子氏や根上生也氏もこの類の陳腐で浅はかな考えに囚われているような気がする。

 4人いて後から3人来たのと、
 4人と3人が最初からいるのと
 3人いて後から4人来るのと

これらについて、すべて同じ人数になるとすぐに答えられる人は

丸暗記しているわけでもないし、足し算の意味を分かっていないわけではないと思う。

これらを違うものと認識しろという方が無理があると思うのだが、・・・・

 我々か考え重視だから意味が大切で、だから、1あたりといくつ分だの求差と求残だのああたらこうたらで、それを批判するのは考え方軽視。算数・数学をそのように計算さえ出来ればいいと思っている人が多くて、ああなんと嘆かわしいことだ・・・

とでも思っているのでしょうかね。

 そういうアホらしい主張を闘っていかなくてはならないと言うのは、考えただけでうんざりする。
積分定数
2012/05/26 23:42
>そういうアホらしい主張を闘っていかなくてはならないと言うのは、

そういうアホらしい主張と闘っていかなくてはならないと言うのは、
積分定数
2012/05/26 23:44
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2004/0607/002209.htm?o=0&p=0

 トピ主のドリルという人もアレですけど、「大学講師」を名乗っている人もかなりトンデモさん。

> 粒子の位置:x
> 粒子の質量:m
> 粒子の早さ:v
> 運動量: p = m v
> とすると
> x p - p x = i h/(2π)
> となります。つまり
> x p = p x + i h/(2π) ≠ p x
> これは物体の位置を測定してから物体の速度を測定するのと、速度を測定してから位置を測定するのとでは、結果が異なるということを意味します。
> まあ
> h/(2π)=1.055×10^-34 [J・秒]
> という非常に小さい値なんで日常生活では
> x p = p x
> と思って差し支えないんですけれどね

↑ ダメだこりゃ。 ホントに大学の先生?
鰹節猫吉
2012/05/27 00:18
> くろきげんさん

> 個人的には現場の先生が信頼を失う程度はできるだけ小さい方が好ましいと思っています。しかし、算数教育の専門家で上のようなことをして来た人達にはきっちり責任を取ってもらうべきでしょう。

 専門家だろうが現場教師だろうがズルい人は逃げるでしょう。

 そうでない人の末路は悲惨なものになりそうな気がします。
鰹節猫吉
2012/05/27 00:26
 それにしても不可解なのは、こんなアホらしいことが算数教育業界では常識だったということ。算数教育の専門家でこのことに異議を唱えた人はいるのだろうか?

 この様な状況を以て、「だから順序が教育上有効な証拠。もしそうでないなら、異論を唱える専門家もいるはず」という主張もある。

 「正方形は長方形ではない」の場合はこれとは異なり、それはそれで不可解。専門家も現場の教師も、「正方形は長方形」という認識の人は多いようである。

 ところが、現・元教員が作成に携わっているという市販の問題集はほぼ全て特殊は一般から除外されると言う立場をとっている。私がこれまで調べた限り全てそうなっている。

 「教師の一部に勘違いしている人がいる」という程度の話ならこうはならないと思う。

 あるいは、複数の出版社にまたがり、ごく一部の現・元教員が一手に引き受けている。彼らがたまたま「特殊は一般に含まれない」と誤解している。

 ということだろうか?
積分定数
2012/05/27 12:47
 これに関しては色々不可解で、

中学校の教科書では、正方形は長方形で平行四辺形で台形だと習うのだけど、単項式と多項式の説明の後に、「次のうち多項式はどれか」という問題により、単項式は多項式ではないという誘導がなされる。

高校の教科書では「単項式は多項式」とあっさり書いてある。ところが、2x=6のとき、x=3は必要十分条件であって、必要条件や十分条件ではないというような解答になっている。

 「正方形は長方形ではない」というのが、色々変化しながら高校まで生き延びる。

小学校 
「正方形は長方形ではない」(一部の勘違い?)

中学校 
「正方形は長方形だよ、だけど単項式は多項式ではないよ」

高校
「単項式は多項式だよ。だけど必要十分条件は必要条件ではないよ」

「一部の教師の勘違い」ということではなくて、何かもっと深いものがありそうな気がするのだが・・・
積分定数
2012/05/27 12:48
 まあしかし、算数教育の現状を憂慮する人たちが集まって組織を作ってもうまくいかないだろうね。

 そこでヒエラルキーやらなんやらが生じ、組織の維持・拡大が目的となってしまいかねない。

 また、自分ではこう思っているが、立場上だとか、他の人への気兼ねで正直に言えないとか、そうなってしまいかねない。ほとんどの組織ってそういう面があるんじゃないかな。

 個々人が個人の立場で意見表明して、議論する。「俺は今までAだと思っていたが、色々考えるとどうもそれは間違っていてBが正しいと思うようになった」というのも大いに結構。

 主旨替えは恥ずかしいことではない。

 面子だとか後に引けないというようなことが、色々と問題を作り出しているようにも思う。

 原発とか冤罪事件でもそんなことがあるのではないだろうか?「あいつが犯人に違いない」ということで突っ走ってしまった手前、今更「ごめんなさい」と言うわけにもいかないから、とか。
積分定数
2012/05/27 13:01
外見は同じように見えてもその内実は異なる場合がある。

出された問題をそつなく答えた場合に、

単にやり方を覚えていて答えを出しただけかも知れないし、ちゃんと理解していてのことかもしれない。

順序擁護派の一部は浅はかにも、すぐに答えを出すのは解法を覚えているだけに過ぎないと思っているようである。

順序なんかどうでもいいというのは深く考えた結果かも知れないのに。

そんなことないか。深く考える必要もない。ちょっと考えたら分かる。

>鰹節猫吉さん
>こういうレベルの人に 「意味の大切さ」 を説いてしまうと、「間違った意味で目からウロコが落ちる」のではないですか。

小町の請求書がおかしいというトピ主がそうだそうし、↓のどろんこ氏がそうでしょうね。
 http://www.inter-edu.com/forum/read.php?903,1013957,page=1
 
解法の暗記で数学を勉強してきた。当然その方法だと挫折する。そんなときに「意味が大切です」などと聞きかじり、「数学が出来る連中は単に覚えているだけだ。意味まで考える自分の方があいつらよりも偉い」とでも思っているのでしょうね。
積分定数
2012/05/27 17:19
 数学者である根上生也氏(私は本物だと思います)まで同様の勘違いをしている節がある。

 「バツにすることには異論があるが・・・」ってのも滑稽。まさにバツになるなんておかしいってことで議論になっているのに。

http://www.twitlonger.com/show/f6hhr2
>多くのみなさんはa×bを単純な計算手順としかとらえずに

と議論をふっかけておいて、

>それぞれの主義・主張の違いを理解しあうという態度が必要ですね.その態度を失って,大人が言い争うだけでは,よい教育ができるわけがありません.
と,お説教がましいことを最後に,コメントを控えることにします.

と、本当に偉そうに説教する。

倍がどうたら積がどうした、関数がああたらと、くだらないことを延々書いていながら、肝心の「カード配りを考えたら逆順だっていいだろうが」という散々出ている意見に対しては一言も触れない。

>私も掛け算の順番を間違えただけで単純に×にするのはよくないと思いますが,貴兄の娘さんの先生はきちんと指導されている可能性がありますよ.

この一言で、な〜んにも分かっちゃいないんだなということがよく分かる。
積分定数
2012/05/27 17:20
http://kamome.lib.ynu.ac.jp/dspace/bitstream/10131/7568/1/design1-14.pdf
自分は教育現場を知っていると自負して、求残や求補についてあれこれ書いているが、「求補・求残・求差の区別を強要する」というダメダメ授業があることを知っているのだろうか?
 逆順をバツにする教師に対して「貴兄の娘さんの先生はきちんと指導されている可能性がありますよ.」と言っているぐらいだから、知っていてむしろそういう授業を評価している可能性も高い。

 ダメダメダメダメダメ数学者・数学教育専門家

だと思う。
積分定数
2012/05/27 17:41
 とはいえ、こういう人に見くびられないように、理論武装は必要。

 求差・求補だの、等分除だのなんだのかんだの、くだらないと思いつつ、どういう者かは知っていた方がいい。


 「みはじ・はじき」「くもわ」も、くだらないけど、算数教育を論ずるには知っている必要がある。


 根上生也氏は「はじき」「みはじ」を知っているのだろうか?

 数学者や物理学者がこんなの知っている必要はない。知っている方が恥ずかしい、とまでは言わないが、これを使って計算する数学者や物理学者がいたら、ちょっとどうかと思ってしまう。

 でも、算数・数学教育について知っていると自負しているのなら知っていて当然である。

 もし知らなかったのなら、教科書や指導要領には携わっていても、現場についてはあまり知っていないことになる。

 あるいは教科書や指導要領を正しく書けば、正しい授業が行われるとでも思っているのだろうか?

 もしかしたら現場のことも知っているのかも知れない。だとしたらごめんなさい。

 でも現場のことを知っていたら、「貴兄の娘さんの先生はきちんと指導されている可能性がありますよ.」なんて書くかな?
積分定数
2012/05/27 17:52
 今本屋に行ってきた。算数指導指南書をぱらぱらめくると、包含除・等分除について、助数詞に着目させると子どもに区別させることが出来るというような記述があって憂鬱な気分で帰ってきた。

 瀬戸智子氏や根上生也氏もそうだけど、等分除だの包含除だの求残だのなんだのという話を持ち出す人の99.999%は、「大人の目から見ると同じでも子どもにとってはそうではないのです。」というように、抽象的視点から算数教育を見ることを諫める一方で、「抽象化したら同じです」と算数教育を是正するようなことは言わないですね。

 教える上での便宜的な区別で本質的な区別ではないというのが分かっているのかいないのかは不明だが。

 瀬戸智子氏は分かっていないと思う。キクログであれこれあって「反省」したみたいだけど、最近のコメント見て、何も分かっていないんだなと思わざるを得ない。

 この手の非本質的な四則演算の分類で「本質的な区別はない」という記述は、遠山啓が「分離量では等分除と包含除の区別はない」と言っているのがほぼ唯一の例。しかも「連続量でははっきり異なる」と言っている。

 それ以外で例があるのかな?

ところで、「大人の目から見ると同じでも子どもにとってはそうではない」なら、子どもは大人には区別できない等分除と包含除を違うものと認識するのだから、区別させるための特別な手段は不要だよね。

A 等分除・包含除は本質的に区別できるか否か
B 等分除・包含除は教える上で教える側が区別する必要があるか否か
C 等分除・包含除を子どもに区別させる必要があるか否か
D 等分除・包含除は子どもにとっては全く別のものなのか否か

これらの問いはそれぞれ別のことであるのだが、混同混乱しているようだ。
積分定数
2012/05/27 20:00
「AがNOなのにBCDはナンセンス」という批判はAを理解しない者にはまったく理解できないであろう。
M
2012/05/27 22:35
↓ 強烈なトホホ感を感じる。

http://www.youtube.com/watch?v=EHQCr2M3BMk

解法パターン暗記主義の王道。
鰹節猫吉
2012/05/27 23:29
↓ コレも強烈。

http://www.youtube.com/watch?v=j8VP4pqx5cE&feature=related
鰹節猫吉
2012/05/27 23:33
> まあ
> h/(2π)=1.055×10^-34 [J・秒]
> という非常に小さい値なんで日常生活では
> x p = p x
> と思って差し支えないんですけれどね

↑ ダメだこりゃ。 ホントに大学の先生?

量子論をカケラも理解していないのが笑えました。大学講師といっても、文系の非常勤の講師なんじゃw
M
2012/05/27 23:36
演算子の交換関係をかけ算の交換法則と同列に議論されてもなぁ
M
2012/05/27 23:40
>解法パターン暗記主義の王道。

途中でうんざりして見るのをやめました。

おそらく「考え方重視」の順序派もこういう教え方に眉をしかめると思う。で、反順序派と映像にあるようなくだらない授業とを同一視して「考え方軽視・意味軽視」と批判する。

考え方重視か軽視か、順序か反順序か、で4通り可能という単純な算数もわからないようだ。2+2じゃないよ、2×2、意味が大切W

考え方重視で順序
考え方重視で反順序
考え方軽視で順序
考え方軽視で反順序

「考え方重視で順序」という立場の人が大勢いそう。順序の大切さを延々説くウザイ人は大概このパターン。どろんこ氏とかね。

 でも、「考え方重視で順序」ってのは、本来あり得ない立場。なぜなら深く考えたら、(1あたり)と(いくつ分)を区別することは出来ない・無意味と分かるのだから。

足し算には合併と添加と増加の3種類があります。
引き算には求残と求補と求差の3種類があります。
・・・・

というのって、

正負の数の加法・減法はあ〜たらこ〜たら、

というのとあんまり変わらないような気がする。

正負の数があ〜たらこ〜たらの方は、教え方としてくだらないが、少なくとも虚構ではないだけましかも知れない。こんなあ〜たらこ〜たらなど無視しても出来る子にあ〜たらこ〜たらを強要することはさすがにしないだろう。

3種類の引き算だの等分除と包含除だの順序だの、そもそも虚構でありながらこれを強要する。

 しかも、それが算数教育業界では積極的に推奨されている。
積分定数
2012/05/28 08:17
(1あたり)×(いくつ分)という順序を意識するのは最初のかけ算理解の道具に過ぎない。補助輪のようなもの。実際に補助輪として機能するかどうかはともかく・・・

という例えを私は使ったことがあるが、そもそも「順序がある」というのは間違った認識。

 これを強要するというのは、自転車の練習をしていて、「この場所では必ず倒れなさい。ここではみんな倒れるのです。だからお前も倒れないとおかしい」と言うようなもの。

 でも教えている人は、「倒れることを強要している」という意識はないだろうな。普通に倒れないで走っている状態が「倒れている」と見えて、倒れる状態が「すいすい走っている」と見える。

 教える人自身も倒れている。正しい自転車の乗り方マニュアルにも、倒れる状態を指して「上手に載っている」と説明してある。

 こういうアホらしい状態がいつまで続くのだろうか・・・
積分定数
2012/05/28 08:27
https://twitter.com/susukeneko/status/206364609324650496
因数分解の問題で、子どもが (x+y) (a-b) と書いたら×をつけられたと、塾の先生から相談された。正解は、(a-b) (x+y) とのこと。、
積分定数
2012/05/28 08:56
桜井進さん情報

玉川高島屋 大人のための数学カフェ「感動する!数式の面白さ・美しさ」
6月 24日 (日), 13:30 〜 15:00
http://www.tamagawa-sc.com/terrace/?id=54
釈迦に説法
2012/05/28 19:18
足立恒雄さんのツイートから引用

>今朝はポアンカレの『科学の価値』(岩波文庫)を読んだ.長い間にポアンカレを軽んじるような気持になっていたが,読み直してみて素晴らしい名著であることを再認した.前は十分理解できていなかったような気もする.いろんな数学者を挙げて直観型と論理型に分類するところから始まる.

>ポアンカレは無神論者であったように行間から窺われる.そのためか実在について論じても違和感を持たない(一神教の神様の匂いがするとアニミズム的感覚の人間にはインチキ臭さが先に立ってしまう).

>ポアンカレによると,物そのものよりもそれらの間の関係性こそが実在なのであって,その関係性を表現するのが数学なのだという.とにかく数式が一つも出で来ない本でこんなに面白い本は他にない.科学がどんなに偉大であり,人間がどんなにそのおかげを蒙っているか,実に力強く語っていて楽しい.
おおくぼ
2012/05/29 14:20
>おそらく「考え方重視」の順序派もこういう教え方に眉をしかめると思う。

「眉を顰める」でした。
「顔をしかめる」との混同は私だけではないようです。
「汚名挽回」並みの間違いでした。
積分定数
2012/05/30 07:02
足すという操作を繰り返すのは、よく累加といわれる。ヘーゲルの量論は、操作による観念的構築の弁証法的展開に特徴があるので、乗法を累加としてとらえて、それを「加法の弁証法的発展」と称した。
 しかし、小学校の掛け算は加法の操作として考えられる以前の問題である。それで、最近の教科書は「累加」の考えをぼかしている。この場合、「4個」が1つのカタマリとなって、それで分節される構造、つまり単位で測る考えをイメージさせる。ギリシア風にいえば、「4個」をモノス(1)として測る。(中略)
 ともかく、まあこれで、
    4個×6=24個
にはなる。これは、単位による測定であって、〈倍〉の1つの原形ではある。いまの指導要領は、累加というよりは、このあたりに焦点がおかれている(略)。
 この方法は、いくつかの限定がある。いまの場合でいえば、ミカンの個数という世界で、「量に操作して量が出る」形で、その量が同質の世界になっていることが特徴的である。いわば、
    (モノ)×(ハタラキ)=(モノ)
であって、その「モノの世界」が1つであること、その意味で〈1次元的〉であるといえる。これに付随して、×6の方が操作的であることとか、4×6が6×4に転換しないこととか、そうした限定が生じて(略)しまう。」


↑ 森毅氏 数の現象学


トンデモなくくだらない上に害悪のカタマリ。

ヘーゲルだのモノスやらなにやらでハッタリをかましているだけ。

要するに、「根拠はないけど、4をひとかたまりと考える以外の考え方はケシカラン」「?倍を?×と書いてはいけない、×?と書け」

ハッタリかますと偉そうに見えるという人もいるんだろうか?

犬小屋で這いつくばってブラスチックの皿をなめながら「みなさん、私はあの壮大な御殿を建てたのですぞ」と吠えている。
鰹節猫吉
2012/05/30 08:08
根上生也(本物?)流だと、

これは1次元ベクトルの和とスカラー倍でとじているのです!!! 立派です!!!

鰹節猫吉
2012/05/30 08:14
銀林浩氏の 子どもはどこでつまずくか を調べると森氏に似たようなことが書いてありますね。

銀林氏 → 森氏 → 根上氏 の順に伝染したのか…

梅棹忠夫氏の言葉を借りれば 宗教ウィルス というやつか…

鰹節猫吉
2012/05/30 12:35
銀林浩さんの本で数学教育に一番、(悪)影響を与えた本は、1975年に出た『量の世界―構造主義的分析』だと思います。
アマゾンで見たら、中古でかなりの高値がついていたのでびっくり。
おおくぼ
2012/05/30 12:51
>森毅氏 数の現象学

>かけ算の順序はどうでもいいという立場は一見革命的であるように見えるがオーダー=秩序破壊という一点に焦点があり、生産関係・階級関係を曖昧にしている点で、結局の所アナーキズム的偏向を内在していると言わざるを得ない。。
 カード式分配が共産主義的分配を表現していると見るのは、マルクス主義のあやまった解釈であり、あ〜たらこ〜たら、

というぐらい、くだらない。
積分定数
2012/05/30 14:21
>銀林浩氏の 子どもはどこでつまずくか

「躓いているのはお前だろ!」と突っ込みたくなる。


https://twitter.com/#!/genkuroki/status/157748768769441792
>研究室卒業生が小学1年算数指導で苦労したのは,「あわせていくつ」「ふえるといくつ」を区別する文章題をつくらせる研究授業。どちらも同じ足し算だとふつうに理解できるのに,わざわざちがうものだと強いてしまうので子どもたち大混乱。無理に教えるのが無理
積分定数
2012/05/30 14:27
解析学をやっていると、“ε”というのに「極端に小さい数」というイメージがまとわりつく。集合論では、「極端に大きな順序数」のイメージ。

 その場その場の文脈で切り替わるから問題ない。
“ラテン”という言葉に、高尚な哲学的雰囲気を感じたり、女性をナンパする軽いのりを感じたりするするが、どちらのイメージかは文脈次第というのと、似たようなもの。


 このようなイメージについて論じることは文化論としては面白いかも知れないが、数学それ自体とは何の関係もない。
積分定数
2012/05/30 18:52
銀林浩「子どもはどこでつまずくか」
http://books.google.co.jp/books?id=GTW7KvD_fDIC&printsec=frontcover&hl=ja&source=gbs_atb#v=onepage&q&f=false

全部は読んでいない。とりあえず貼り付けておく。
積分定数
2012/05/31 08:51
繰り返しになるが、子どもが躓きやすいとことを分析して問題文を求残だのなんだのと、分類することがいけないのではない。

教える側が知っておくべき留意点を、本質的な分類だと思い込み、抽象化によってそのような区別を意識すらしない子に本来は不可能な区別を強要するのが間違っている。
積分定数
2012/05/31 08:55
「等分除」や「包含除」、「1つあたり×いくつ分」等を、「半抽象的な考え」と呼ぶのはどうでしょう。
半端な考えに取り付かれた人に、他の考えがある事を明示的に示せるのでないかと思います。
教える側にも「半抽象的な考え」と「抽象的な考え」を意識させるのに役立ちそうな気がします。
TaKu
2012/05/31 20:34
それだと、具象→抽象、の途中で経るべき過程と思われてしまわないでしょうか?
積分定数
2012/05/31 20:44
その危惧はありますが、「半抽象的な考え」を消し去るのは無理だと思います。
現状の「半抽象的な考え」が算数・数学の考え方だと思われるより、違いがある事を意識させるのが重要と考えました。

いつも悲観的な立場で書き込んですみません。
TaKu
2012/05/31 21:16
 そもそも等分除だの求残だのと名前を付けなければ良かったと思います。名前を付けると実態があると勘違いする人が出てくる。「半抽象」と名前を付けちゃうと、「いきなり抽象は難しいから、徐々に抽象化するために半抽象が必要」と言う人が出てくるのが目に見えるのです。

 もっと虚構性が明らかな言葉の方がいいと思います。

 バナナはおやつかどうかが、植物研究としてのバナナの研究とは無関係というぐらい、どうでもいいというのが分かるような名前。


 等分除とか求残というのは、算数教育学の概念なんだよね。子どもに教えるべきなのは算数であって算数教育学ではないはず。そこが混乱してしまっている。
積分定数
2012/05/31 22:12
銀林浩 人文的数学のすすめ 日本評論社

 物理量でいうと、掛ければ掛けるほど外延的になる。つまり、密度や体積より、それを掛け合わせた質量の方がより外延的で、加法性がより普遍的に成り立つ。さらにそれより、質量と力を掛けた運動量のほうが外延的で、保存則が成り立つ。しかし、最も外延的なのはエネルギーでその保存則は最も一般的に成り立つ。

↑ もはや 「トンデモ物理学」 の領域。

 大槻教授にお願いして 「科学的根拠はあるのか?」 とやっていただかないといけないのではないか???


 そもそも物理学的には最初から最後まで全部デタラメであるが、、、

> 質量と力を掛けた運動量

 大事なところなので、繰り返して言います。

> 質量と力を掛けた運動量
> 質量と力を掛けた運動量
> 質量と力を掛けた運動量
> 質量と力を掛けた運動量
> 質量と力を掛けた運動量
鰹節猫吉
2012/05/31 23:31
遠山啓 数学と文化

 たとえば、微分積分をやっているときは、マイナスの数の対数は存在しないことをやかましく言われるし、そのことを種にした入試問題などがたくさん作られている。ところが、複素関数論をやると、マイナスの数の対数だって平気の平左である。そのことを知ったときの喜びは何ともいえない。
「昔は何てバカなことをやっていたのだろう」
つまり、”昔はものを思わざりけり”である。そこには自分の視界が拡大された喜びがある。こういう喜びは、はじめから首尾一貫した整然たる体系になっていたら、生まれてこないだろう。
鰹節猫吉
2012/05/31 23:40
> 質量と力を掛けた運動量

さすがに、「質量と速度を掛けた物理量」と「力と時間を掛けた物理量」をケアレスミスで混同した、
と信じたいですが、

 外延的なら保存測が成り立つ、って何じゃそりゃ?

エネルギー×時間×質量×長さ

ならもっと保存測が成り立つ!?

真空の誘電率なんてほぼ絶対変わらないからすごく保存側臥成り立つといえるけど、ありゃ外延量かね?


>こういう喜びは、はじめから首尾一貫した整然たる体系になっていたら、生まれてこないだろう。

だからといって、子どもが首尾一貫した整然たる体系を獲得しつつあるところを訳のわからん概念でぶち壊すことはやめて欲しい。
積分定数
2012/06/01 02:02
>保存側臥成り立つといえるけど
保存測が成り立つといえるけど
積分定数
2012/06/01 02:04
>そもそも等分除だの求残だのと名前を付けなければ良かったと思います。

分類すると名前が付くのはしょうがないと思います。


>もっと虚構性が明らかな言葉の方がいいと思います。

「算数のむだ毛」は揶揄する気持ちでつけたと受け取っています。
分かる人に分かってもらえればいいので、それでよかったと思います。
しかし、「半抽象」(仮)の場合、算数や数学の教育現場に受け入れて欲しい内容です。
情報が教育現場のみに閉じた中だけに留まるわけがないので、教育を受ける立場の人にもある程度広がっていくと思います。
こうなると揶揄する気持ちは取り除いたほうがいいと思うので、明確で重厚な名前がいいと思います。

次の案ですが、「偽抽象的な考え」なんてどうでしょう。
ネーミングセンスについては突っ込まないでください。
TaKu
2012/06/01 21:31
求残や求差は抽象的思考だと思う。

http://www3.plala.or.jp/yat/kyuuzan.htm

>ものの多い、少ないを判断する根拠は1対1対応が根本にあるということを具体的な操作活動を通して、子どもに理解させておくことが必要です。

>また、1対1対応を意識させるためには、○−□のように、2つの分離量を線で結ぶことが大切です。

でも求残や求差という名前は必要ないと思う。
名前をつけるなら、「抽象的に考えること」や「一対一対応で考えること」という名前の方が応用範囲が広いと思う。
おおくぼ
2012/06/02 06:04
だれか回りは発表を止めようとしなかったのかな。
小学生でも無意味だとわかるだろうに。

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/305682

>海を巨大なダムに見立て、無尽蔵にある海水を利用して水力発電をしようというシステムを神戸大大学院海事科学研究科の西岡俊久教授(現名誉教授)が発案し、世界約130カ国に特許申請した。ローマ神話の海の神にちなみ「ネプチューン」と命名。西岡名誉教授は「莫大な電力をつくれる。二酸化炭素(CO2)も排出せず、究極のクリーンエネルギーだ」としている。 構想では、巨大な船から海底に向けて配管をのばし、海底などに発電機を設置。船で取り込んだ水は重力によって配管の中を落ち、その水流でタービンを回し発電する。 船にある海面の潮流の力を利用する発電機などでポンプを動かし、配管を落ちた水を放出する。
M
2012/06/02 18:37
求残や求差等々は、具体的な現実より抽象的ですが、数式より具象的だと考えています。
個人的には、「数式より抽象化度が低い」と表現しています。
どの考えも、具体的な事を数式にするひとつの考え方ではあるが、数式にする唯一の考え方ではない。
数式の一面を指してはいるが、数式そのものは表現できない、と言えると思います。
TaKu
2012/06/02 19:45
Takuさんへ

どこから数式になるのでしょうか?
区別の基準は何でしょうか?
おおくぼ
2012/06/02 21:11
おおくぼさんへ

「数字や数値を表す変数」と「演算子」のみで表現したものが数式だと思っています。
○□●等で表現したものは数式ではなく、掛け算の説明に使うアレイ図も数式ではないと思います。
単位付きの 3個×5 等も厳密には数式ではなく、少し具象化したものと考えています。
TaKu
2012/06/02 22:28
同じモデルを場合分けして分類することを、私は「抽象化の失敗」と呼ぶことにしました。たとえば、わり算を等分除と包含除に分類したり、引き算を求残や求差に分類することは「抽象化の失敗」です。失敗という言い方が悪ければ、抽象化不足、と言い換えることもできるでしょう。(実数や有理数や自然数の)割り算なり引き算というモデルに対して、考えている対象の抽象化が十分に行えていない。つまりモデルに対するアンマッチが発生しているような状況です。この不一致に気づいた時に、どう対処するかという方法論として(私はこの方法論は間違いだと思いますが)対象をモデルに入れても矛盾が出ないように対象を前もって細分化(分類)してやる、という処理をおこなう。そのあとでモデルに入れ込むと矛盾なくモデルが適用できるわけです。
分類は、対象物の抽象化の程度がモデルに合っていないために、「対象物を分類している」のに同じモデルを異なるものであるかのように分類してしまう。それが大きな誤りです。
M
2012/06/03 08:25
ああ、すみません、「対象物」とかいてしまいましたが、モデル化の対象なので、物と書くと誤解されるかもしれません。

>対象の抽象化の程度がモデルに合っていないために、「対象を分類している」のに同じモデルを異なるものであるかのように分類してしまう。それが大きな誤りです。

と書きなおしておきます。

「半抽象」(仮)や偽抽象と呼び名をつけるのは賛成しません。数学的(算数的)に重要な概念だと思わないからです。くりかえしますが、単にモデルと抽象化レベルがアンマッチしている状況にすぎないと思いますので。
M
2012/06/03 08:46
求残や求差が本当に(数学的に)必要な概念なら、対応するモデルを(自然数や実数の代わりに)構築すべきでしょう。それが完成した暁には
A(求差)B=   とか
C(求残)D=   
という式が自然に導入できるはず。でも本当に必要でしょうか?
M
2012/06/03 09:18
素朴な疑問として、野球やサッカーなどの「ゲームのルールを覚えること」と「数学を学ぶこと」に本質的な違いはあるのだろうか?
野球やサッカーは具体的だけど、抽象的思考なしではできないと思う。
おおくぼ
2012/06/03 10:39
ある本(書名を忘れました)に、リンゴ2個とミカン3個を足すことに違和感を感じる子供は多いと書いてありました。同じ「個」という助数詞ですが、同じではなく「個(ミカン)」と「個(リンゴ)」なので、足せないと感じると。
しかし、果物は全部で何個かと考えれば足すことに違和感はなくなるとも。ミカンやリンゴから果物というより一般的なものに抽象化しているわけです。
同じミカンもLサイズとSサイズを足すことに違和感を感じる子供もいるかもしれませんが、大きさに関係なく「ミカン」と一般化しているわけで、程度問題です。
更に言えば、完全な具象とは固有名詞で表されるただ一つの対象のことで、普通、算数で取り扱っているのはそのような具象ではなくもう少し一般化したものです。今日、自分の家にあるミカン3個とミカン2個と、昨日、果物屋でみたミカン3個と2個は違うものです。だけど、どちらも足せば5個になると一般法則化しているわけで。

どの程度の一般化で考えるべきかは、何を求めたいかという目的次第ですが、ミカンの総数を求めたい場合でも果物の総数を求めたい場合でも、使う数式になんら違いはありません。ミカン足し算と果物足し算の二つを覚える必要は全くないです。ミカンの総数を求めたいのであれば、リンゴの個数は無視しますが、それは数式以前の話です。求残や求差等々も、数式以前の話かと思います。
zorori
2012/06/03 15:56
> zorori さん

> 数式以前の話かと思います。


それがそうじゃないらしいのです。

昨日、筑波大学附属小学校の指南書を購入しました。

それによると、小学生に最初に出題するかけ算の問題は

ぜんぶでいくつありますか。

じゃないのです。

しきであらわしなさい。

なのです。

皿3つに4つずつは

4×3

というような問題なのです。


こういうやり方で 1あたりの量×いくつ分 がどーたらこーたらと言ったら、「求められている答えは 4×3=12 だよ。そうしないとバツになるよ。」という文字列が行間に浮かび上がってきますね。

スパロウ氏の言う 「文脈」 というやつでしょう。
鰹節猫吉
2012/06/03 16:23
>小学生に最初に出題するかけ算の問題は
>ぜんぶでいくつありますか。
>じゃないのです。
>しきであらわしなさい。

典型的な、目的と手段が入れ替わっている誤りですね。何を教えるべきなのか忘れてしまっているのでしょうか…
M
2012/06/03 17:12
>鰹節猫吉さん

>皿3つに4つずつは
>4×3
>というような問題なのです。

だとすると、
皿3つに4つずつでは、皿何枚?
と言うひっかけ問題でも、式は 4×3 と書かなければなりませんね。
いやはや・・・
zorori
2012/06/03 17:44
>「半抽象」(仮)や偽抽象と呼び名をつけるのは賛成しません。数学的(算数的)に重要な概念だと思わないからです。

重要な概念だと信じてしまい、重要だと教えるのは問題だと思います。
「引き算とは求残や求差の事だ」、「掛け算とは1つあたり×いくつ分だ」等と思っている人には、本当にそれでいいの?と考えるきっかけが必要です。
教わる側が疑問に思った時、本当に身につける考えは別にあると気付くのは重要です。
その為には、「半抽象」(仮)等の呼び名を付けて広めるのが一番効果があると考えています。
TaKu
2012/06/03 20:46
「引き算とは求残や求差の事だ」は「引き算とは求残と求差の事だ」の間違いです。
TaKu
2012/06/03 21:09
「掛け算とは1つあたり×いくつ分だ」という強制は、「抽象化を重視すれば解決」にはならないと思います。

論理を重視すれば、交換法則と「正しい順序」が相反することがわかります。
でも「論理を重視すること」が抽象化ではありません。
「縦×横で立式しなければいけない」派に対して、「どうして縦×横の順序でなければいけないのか?」という疑問は抽象化でなくても発生します。
根拠を問うという意識は、抽象化でなくてもあるわけです。
「正しい順序を受け入れ」ブームには、「論理の整合性を気にしない」という空気があると思うのです。
おおくぼ
2012/06/04 14:26
>「掛け算とは1つあたり×いくつ分だ」という強制は、「抽象化を重視すれば解決」にはならないと思います。

数式まで抽象化すれば、数式は数式であり、数式から意味を読み取る行為自体がナンセンスだと思っています。
「立式」が特別だという考えが覆るので、採点者が式から「1つあたり」や「いくつ分」を想像して読み取り、マル・バツをつけてはいけない事につながります。


>論理を重視すれば、交換法則と「正しい順序」が相反することがわかります。

順序派の言い分に、交換法則は「立式」した後にだけ成立するという内容があります。
交換法則を持ち出さなくても「1つあたり」は一意に決まらないので、どちらの順序でもいいはずですが、話が通じない人が多いようです。


>根拠を問うという意識は、抽象化でなくてもあるわけです。

順序派に対しては、色々な方向からおかしいんじゃない?と投げかければいいと思います。
TaKu
2012/06/04 21:46
TaKuさんへ

>数式まで抽象化すれば、数式は数式であり、数式から意味を読み取る行為自体がナンセンスだと思っています。

私には、どうして「数式から意味を読み取る行為自体がナンセンス」かわかりません。
数式から意味を読み取ることが、「数式を現実に応用すること」だと思うのです。
でもいろんな分野に数式を応用できるということは、いろんな意味を読み取ることが可能ということであり、「数式の意味は一義的ではない」ということだと思うのです。

>順序派の言い分に、交換法則は「立式」した後にだけ成立するという内容があります。

その根拠を尋ねればいいと思います。
その場その場で都合のいい理屈を挿入しても、支離滅裂になるだけですから。
詐欺師は、その場その場で都合のいい理屈を挿入するのが得意です。
「立式が特別という考え」は、教えている側の暗黙の前提という気がします。
これも教えている人達が根拠を明らかにして欲しいですね。
小学校の算数は、根拠不明のルールが多い気がします。
小学生を子供に持つ親が理解できるように、学校側は説明する義務があると思います。
おおくぼ
2012/06/04 22:12
開米瑞浩さんのツイートで紹介していたブログ記事。

http://wofwof.blog60.fc2.com/blog-entry-569.html

「数学のできない大学生を見て思うこと」
おおくぼ
2012/06/04 22:41
しばらく留守にしていたけど、盛況ですね。

>開米瑞浩さんのツイートで紹介していたブログ記事。

>1 + 2 + 3 + … + 100
と書いたとき、ある学生が真面目な顔をして、
「3と100の間には何があるのですか?」
と聞いてきた。そして他の学生からは笑いが漏れて来なかったのである。

等差数列、とう制限がない限り、1,2,3,の後がどうなるかは決定不可能だから、この学生は問題の不備を指摘した・・・・

わけがない。


私は以下のようなのに遭遇しました。

1+2+3+・・・+nを求めよ。

分からないようだったので、「nに1とか2とか代入して、まずは小さいnでどうなっているか調べてみて」と言ったのだが、n=1を代入したら「7」とか言う。

n=5だとちゃんと出来る。

何故なのかサッパリ分からなかったのだが、よくよく聞いてみると

1+2+3+・・・+n にn=5を代入すると
1+2+3+・・・+5 
これは 1+2+3+4+5の意味だと分かる

n=1を代入すると
1+2+3+・・・+1=1+2+3+1=7?

とやっていた。


遠山啓の本を読んでいると、「子どもはここで躓くが、こうすると躓かない」などと書いてあるが、そんなこと一般的にはとても言えない。躓くはずの所ですんなり理解できることもあるし、予想だにしないところで躓くこともある。
積分定数
2012/06/05 08:49
 ここ数日、青森と函館に行っていた。函館は、五稜郭と函館山という絵に描いたような観光。

 この間、新聞をちゃんと読んでいない。これからまとめて読む。菊池直子逮捕は知っていたが、ニュートリノ光速越は誤り、ってのはmixiでの日記で知った。

 青森には親戚がいるのだが、そこで中学・高校の姉妹にかけ算の順序について聞いてみたら、やはり「順序」を指導されたという。長方形の面積も、横×縦でバツにはならないけど、「正式には縦×横」と教わったとのこと。

 その子の親は「答えが○で式がバツということはしばしばあった。自分のときは順序なんか言われたことがない」と言っていた。

 確定的な証拠はないが、どうも色々聞いてみた感触としては、順序は徐々に増えてきていると思う。これで、順序を教わった世代が親や教師になれば、「子どもがバツを付けられて驚いて・・・」ということもなくなるかも知れない。

 そうなる前に、何とかしないとならない。


 あと、算数教育の専門家があれこれ言っても、現状はこんなもの。

「答えだけではなく過程も大切」と言うが、答えが正しいと言うことは、余程の偶然でない限り考え方も正しいと思わないのだろうか?

 「算数教育論究・かけ算を究める」では、日米を比較して日本の算数教育が優れているかのような記述があるが、どれほど現状を知っているのやら・・・
積分定数
2012/06/05 09:05
ちょっと前の鰹節猫吉さん紹介の

>銀林浩 人文的数学のすすめ 日本評論社
>物理量でいうと、掛ければ掛けるほど外延的になる。つまり、密度や体積より、それを掛け合わせた質量の方がより外延的で、加法性がより普遍的に成り立つ。さらにそれより、質量と力を掛けた運動量のほうが外延的で、保存則が成り立つ。しかし、最も外延的なのはエネルギーでその保存則は最も一般的に成り立つ。
積分定数
2012/06/05 09:17


これを読んで、瀬戸智子氏の↓の意味不明なコメントはこの影響かな、とも思った。

http://ts.way-nifty.com/makura/2009/07/post-4df6.html
=========================
積分定数さんが、ちょちょんまげさんのところで、どなかたに「運動量」について書かれていましたよね。

「でも、質量×速度という値が、意味を持つから運動量が定義されているのですよね。
質量1と速度3  質量3と速度1 これらは「何か」が等しい。具体的には、静止したある物体にぶつけてそのあとその物体と一体となった場合の速度は、前者も後者も等しい。
つまり、運動量という物差しで見たら「同じ」。
かけ算の順序を持ち出さなくても、
「形が違っても、面積が同じ」とか、「材質が違っても、質量は同じ」など、
「全く同じというわけではないが、ある物差しで測れば同じ」ということは、よくありがちだと思う。 」

ちょちょんまげさんのところでの積分定数さんのコメント。
これは数学では正しいのですが、
物理では、問題にするのは運動エネルギーだから、
両者は明らかに違います。
=========================

何を言いたいのかサッパリ分からないが、「運動量よりもエネルギーの方が重要な意味を持つ」というようなことで銀林浩と共通点がある。

>私は理科専門なので、子どもたちにも理科実験を指導します。板倉さんの「仮説実験」の応用をしていますが、

とのことだが。
積分定数
2012/06/05 09:19
ロシア権力者のつるふさの法則
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A4%E3%82%8B%E3%81%B5%E3%81%95%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87
は、単なる偶然ではあるのだろうが、「なるほど、確かにそうなっている」と思わせるものがある。

しかし、物理量は掛ければ掛けるほど外延的になり加法性が増すってのはどうか?。

質量の2乗×速さの3乗でより外延的で加法性がより普遍的に成り立つ、などと言うこともない。

「中にはそういう例外もある」というレベルではなく、そもそもそんなことは成り立っていない。単なる偶然ですらない。

日本の歴代首相を例に出して「日本の首相ものつるふさの法則が成り立つ」と言っているようなもの。


ロシアのつるふさの法則は、もしかしたら偶然ではないかも知れない。

現指導者が「つる」で、次期指導者として「つる」と「ふさ」が有力だった場合に、勝ち馬に乗るためにみんなが「次はふさに違いないから」と「ふさ」に付く。結果として、「ふさ」が次期指導者となる。
 みんなが法則を意識するが故に、法則が成立する。

なんてことなないだろうね。
積分定数
2012/06/05 09:38
以前参加した勉強会の今年度の第1回お知らせが来ました。私は参加する予定です。
=======================
日本数学協会・国際教育学会(ISE)共催
■数学入門講座■
「遠山啓の数学入門を読む<1回目>」

● 日時:
 2012年6月30日(土)15:00〜17:00
● 会場: 正進社 5階 会議室
  住所:東京都文京区関口1-17-8
  問い合わせ先:(03) 5229-7663 小学編集部 伊藤
   (伊藤メール t-ito@seishinsha.co.jp)
   (正進社HP http://www.seishinsha.co.jp)
● 講座内容:
岩波新書・遠山啓著の「数学入門(上・下巻)」を、数名の先生による読み合わせ講座形式で行い、数学に対する理解を深める。
● 講師:
上野健爾、宮永望、水谷一、有田八州穂、(新井紀子)
● 準備するもの:
遠山啓著「数学入門(上)」岩波新書

● 会場地図:
 下記の正進社ホームページにてご確認下さい。
http://www.seishinsha.co.jp/company/

● 申し込み方法:
正進社 伊藤 宛てに、以下の内容をメール(t-ito@seishinsha.co.jp )にてお知らせくださいますようお願いいたします。
1.参加者名
2.メールアドレス
3.所属(数学協会会員様、国際教育学会会員様、学校の先生、塾の先生、学生の方、企業等の方)
● 今後の予定:
第2回 7月28日(土) 15:00〜17:00 「遠山啓の数学入門を読む<2回目>」
メタメタ
2012/06/05 11:51
メタメタさん、情報有り難うございます。どういう方々なのでしょうか?


>銀林浩
>物理量でいうと、掛ければ掛けるほど外延的になる。

あとから思ったが、ここでいう「物理量」というのは、質量の2乗×速さの3乗というようなテキトーなものではなくて、一般に物理量と認められるもの、ということかな?

速さ×時間=距離 で外延量

でも、

距離÷時間、これを、距離×(時間の逆数)と考えれば、かけ算だから外延性が高まることになるはず。

言葉の綾ですらない。
積分定数
2012/06/05 16:15
たとえば、長さ、面積、体積は、その順番で外延的になる?

銀林さん何が言いたいのかわかりません<外延的
M
2012/06/05 16:40
親子で学ぶ数学図鑑
http://www.sogensha.co.jp/special/sugaku/index.html

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4422414119.html

翻訳です。
かけ算のところには、
「順序はあまり重要ではありません。答えは同じです。」と書いてあります。
釈迦に説法
2012/06/05 20:44
おおくぼさんへ

>数式から意味を読み取ることが、「数式を現実に応用すること」だと思うのです。

現実を表した数式が基本にあり、「その数式は○○を表している」と明確な状態から考えるのが応用だと思います。
その数式も、単位付きのような少し具象化したものではないでしょうか?(想像力不足でしたらすみません)
純粋な数式がスタート地点にはならないと思います。


>でもいろんな分野に数式を応用できるということは、いろんな意味を読み取ることが可能ということであり、「数式の意味は一義的ではない」ということだと思うのです。

「数式の意味は一義的ではない」ので、ああも考えられる、こうも考えられるとなってしまします。
自分で想像して色々考えるのはいいと思いますが、他人に意味を読み取るよう強要するのは問題だと思います。
前言の「数式から意味を読み取る行為自体がナンセンス」は「数式から意味を読み取る行為を強要するのはナンセンス」に訂正します。


>小学生を子供に持つ親が理解できるように、学校側は説明する義務があると思います。

親にも子供にもきちんと説明出来ないのに、強行している現状にはうんざりします。
TaKu
2012/06/05 21:48
>たとえば、長さ、面積、体積は、その順番で外延的になる?

 私は、「海岸線の長さ」って何だろうかとか、大腸の表面積はテニスコート何個分ってどういうことだろうかと思ってしまうのです。結局、細かく見ればいくらでも大きくできると思える。

 このように、3次元空間において、曲線の長さや曲面積は、結構揺らぎやすい、

 そういうことを言っているのかな?
積分定数
2012/06/05 23:50
『週刊 東洋経済』「特集 数字脳を鍛える」を読んだら、『デフレの正体 <経済は「人口の波」で動く>』 (角川oneテーマ21新書) の著者・藻谷浩介さんが出ていた。
悪い予感がしたけど、やはり酷かった。
経済ニュースを理解するには小学生レベルの数学で充分なのだけど、 おかしな主張がまかり通っている。

おなじテーマでも原田泰さんの『新潮選書 日本はなぜ貧しい人が多いのか 「意外な事実」の経済学』は、わかりやすくて勉強になるのに。
経済ニュースを理解することは、身近な数字トレーニングだと思う。
おおくぼ
2012/06/06 01:13
メタメタさんのブログで連載している記事を読んで、学習障害を連想しました。

http://blog.livedoor.jp/xcrex/archives/65569625.html
おおくぼ
2012/06/06 10:43
>「正しい順序を受け入れ」ブームには、「論理の整合性を気にしない」という空気があると思うのです。

ああも考えられる、こうも考えられるという考えを受け入れない人達がいます。
こういう人達は、こう考えれば出来るならそれでやればいい。他の方法を示すのは混乱するからやってはダメとなるようです。

教育の現場では、「これさえ抑えておけば出来るようになった事にする」考えが欲しいのだと思います。
判断基準が明確なので「誰でも教えた気になれる」のでしょう。
TaKu
2012/06/06 20:19
>教育の現場では、「これさえ抑えておけば出来るようになった事にする」考えが欲しいのだと思います。

「これだけ!」にすることは、教師側の決めた解釈を強制することになります。
国語などは道徳の強制だったりするので、酷い教育だと思います。
算数(数学)も国語と同じ酷い教育が、教師側の都合でされているんだと思います。
おおくぼ
2012/06/06 21:49
くろきさんのツイッターから
>この問題ではこのパターンで、あの問題ではあのパターンで解く、以下同じことの繰り返し。ものすごく効率の悪い思考法。苦労して勉強して馬鹿になる方向に一直線。街の特定の場所に行く方法を全部パターン化して丸暗記するくらいなら、街の様子を全部まるごと理解してしまった方が楽で便利だろう。

 全く同感。私が塾の説明で良くやるのは、

「この問題はこのやり方」と覚えるのは、「ここの角をこう曲がって・・・」と暗記するようなもの。途中、道路工事で通行止めだと為す術がなくなる。

 迷いながらもまずは自分で目的地に行くことが大切。何度も繰り返すうちに自然に近道を見つけていく。たまには寄り道すると綺麗な花が咲いていたりする。

 教える教師自身がこうやって算数・数学を勉強していないだろうから、所謂「お勉強」=予習・復習・公式や解法をしっかり覚えて、何度も演習をして、ということ担ってしまう。

 そりゃ、つまらん。

 そういう勉強をやって「算数・数学は面白い」とは思って欲しくない。
積分定数
2012/06/07 00:06
 しかしありとあらゆる屁理屈を真顔で言う算数教育関係者や教師が多いことが、この間分かってきた。

>街の特定の場所に行く方法を全部パターン化して丸暗記するくらいなら、街の様子を全部まるごと理解してしまった方が楽で便利だろう。

「楽なら何でも良いというのは、間違った教育である。その問題ごとに正しい解き方があるのだから、それをきちんとやれることが大切」

と言い出す人がいるだろうと、容易に予想できてしまうのが悲しい。
積分定数
2012/06/07 00:12
金星通過、見えた?

生徒は見たと言っていたけど、私には見えなかった。
積分定数
2012/06/07 00:15
 うちの塾に来ていた高校生によると、学校で数学の教師から、「解法、公式は暗記すればいい。なぜ成り立つのかなんていうのは、数学者に任せておけばいいから、お前らがそんなことを気にする必要はない」と言われたそうだ。

 受験数学のテクニックとしてもそれは効率悪すぎだと思うが・・・・。

 教え方に関して、色んな方針があってもいいと思うが、事前に「俺はこうやって教える」という情報を公開して、そういうのが複数あって、自分がいいと思うのを選択する、ってわけにはいかないのかな?

 高校は義務教育じゃないし、選択の幅もある、というのは建前であって、授業の内容についての情報公開はほとんどなされていない。

 学校案内のパンフやHPに、「我が校の数学の授業は、公式・解法の暗記を奨励します。それがいやな人はよそに言って下さい」とか書いてあるならまだ納得できるのだが。
積分定数
2012/06/07 07:22
試験は時間制限があるので、考える時間が重要になります。
条件反射的に解法がわかったら、制限時間の心配はいらない。
だから暗記が重視されると思う。
あとマーク・シート方式が主流なので、部分点がもらえにくいということがあると思う。
おおくぼ
2012/06/07 13:29
わたしが大学の教員だったとすれば、自分で考えて答えてくれる学生をとりたいし、条件反射で回答する学生はむしろ落としたいですね。

暗記で済むようなことは大学ではやっていない。(私がいるだろう大学ではきっと)

マークシートはウエイトを公開しておけばいい話ですね。
M
2012/06/07 18:36
>Mさん
>銀林さん何が言いたいのかわかりません<外延的

同じ「物理量」でも足し算出来る場合もあるし,出来ない場合もある。つまり,加法性は「物理量」の性質ではなく,「物理量」を使う状況次第なので,「外延量」という「物理量」の性質を表すかのような表現が不都合なのは、すぐわかります。そこで,「外延的」と表現し,足し算出来ない場合もあると逃げているような気がします。

足し算の可否の判断は,状況を見極めるしかないわけで,算数の問題であれば,問題の意味を理解しなきゃわかりません。
ところが,順序派は問題の意味など関係なしに、「量」をパターン分けして,機械的に足し算の可否を判断しようとします。そんなこと無理に決まってますが,試験問題がパターン化されていればそうとも言えないのが怖いところ。まるごと虚構の算数教育世界です。

「機械的に立式するのではなく,意味を理解することが大事」と言って,実際に行っていることは「量」や「数式」をパターン分けして,機械的に答えを求める「公式」をひねり出しているだけなのですね。
zorori
2012/06/07 21:43
>TaKuさん
>「数式の意味は一義的ではない」ので、ああも考えられる、こうも考えられるとなってしまします。

子どもが,間違った答えを書くのは,数式の意味ではなく,問題の意味を理解していない場合が多いのではないでしょうか。

以前に積分定数さんが書いていた例,

>「大きな板があって、1辺1mの正方形の板を切り抜いたら質量は8sだった。一辺2mの板を切り抜いたら質量は?」とすると、躊躇なく16sと答える。

こういう高校生には、数式の意味以前に問題の意味を理解してもらう必要があります。
にも関わらず,問題の意味が分からなくても,数式のパターン分けとその意味を教えることで正解にたどり着けるようにあれこれ文字公式を発明している。
zorori
2012/06/07 21:50
>にも関わらず,問題の意味が分からなくても,数式のパターン分けとその意味を教えることで正解にたどり着けるようにあれこれ文字公式を発明している。

サンドイッチ式がそうですね。
国語教育は、問題の意味を理解するには「暗黙のルール」を知らないといけません。
暗黙のルールとは、(教師側が想定している)常識であり道徳です。
だから国語ができる生徒は、教師側の想定している「暗黙のルール」を推測する能力に秀でていることになります。
国語は好きだけど、数学は嫌いという生徒は、国語と数学の「暗黙のルール」の差にあると思うのです。
でも最近の調査では、数学が不得意な生徒は、国語も不得意だそうです。
おおくぼ
2012/06/07 22:30
>子どもが,間違った答えを書くのは,数式の意味ではなく,問題の意味を理解していない場合が多いのではないでしょうか。

その通りだと思います。
必要なのは、問題を正しく理解し、数式にする事が出来る能力ですよね。

最近の教科書はチラ見程度で恐縮ですが、図などを多用し、分かり易い表現をするように心がけているような気がします。
分かり難い言い回しに触れることが少ないので、ひねった問題を読み解く力が育たないような気がします。
TaKu
2012/06/07 23:08
問題文が暗号に思えるのでしょう。
基礎知識の不足もあると思います。
おおくぼ
2012/06/08 04:07
http://wofwof.blog60.fc2.com/blog-entry-569.html

>そもそも問題文を図に直す事ができない学生が結構多いという話になった。
>例えば、「ある三角形の二つの角が30度と90度で、その2角に挟まれる辺の長さが1の時、残りの2辺の長さをそれぞれ求めなさい。」というような問題があったとき、そもそも1行目の状況を図に書く事ができないという。


>そんな学生達であるから、試験問題は、授業でやった問題と全く同じ形でないと解けない人が多い。
>数字は異なっていても代入することで対応できるが、問題文の文章構造が異なるともう何が書いてあるのか理解できなくなってしまうのだ。
おおくぼ
2012/06/08 08:05
 記述式よりもマークシートの方が優れている点を敢えて上げれば、「とにかく答えさえ分かればいい」ということ。

 特に確率や期待値の問題がそうだが、その概念を深く理解していると、感覚で分かってしまうことがある。

 コイン10個とサイコロ2個を投げる。表になったコインの枚数とサイコロの目の総和の期待値は?

1/2×10+7/2×2

で出るとすぐに分かるのだが、教科書にある期待値の定義式から導くとなるとちと大変。

 だから、記述式では、「採点者のレベルに合わせて馬鹿の振りをしろ」などという指導する人もあるらしい。

 最終的な答えさえ出せば良いなら、そんな余計なことに神経を使う必要はない。

 しかし、センター試験は、「考える過程を見る」ということなのか分からないが、誘導の穴埋め問題になってしまっている。

 100g90円の豚コマ、300gの代金は?

瞬時に90×3=270 で 270円と分かるのに

100g90円であるから、1gあたり(  )円である。よって、・・・

の穴を埋めるとすると、その煩わしさが分かると思う。

 センター数学では特に空間ベクトルが大嫌いである。
積分定数
2012/06/08 08:21
算数教育に関わっている数学者が、数学の立場から「求差だの求補だのという概念は抽象化したら解消する」とい指摘してゴミやむだ毛を取り除くのではなく、むしろ、ゴミやむだ毛を防御する役割を担ってしまっているのは、

 数学が苦もなく理解できてしまうことに対する引け目・後ろめたさ、

 が原因でなかろうか?とふと思った。

 「子どもは抽象的には考えられないのです。だからまずは引き算の意味として、求残。その後、求補、求差。とりあえずこれらは別のこととしないと、子どもは混乱してしまうのです」

 などと言われると、「そういうものなのか・・・」と納得してしまうのではないのだろうか?

 以前紹介した、「みはじ」批判は小泉新自由主義路線というような主張↓
 http://www3.plala.or.jp/DocKKTT/page141.html

 これは極端な例だとしても、算数・数学教育の分野においては、「数学が出来る」ということは、マイナスの評価になってしまって、それを補うためには、ゴミやむだ毛を「素晴らしいものだ」と積極的に評価しなければならない。「そんなものは抽象化したら解消する」などと言えば、「数学が出来る人の傲慢な意見だ!」と反撃される。

というようなことがあったりして。
積分定数
2012/06/08 08:57
瀬戸智子氏のブログ
http://ts.way-nifty.com/makura/2009/07/post-4df6.html

ここから関連箇所を引用する。

>「答えの単位とかけ算の前の数字が一致するように教える」ことで、「ちょっと足踏みしている子」にとって、理解が進む、理解が得られやすい、というのは、

>積分定数さんが視野にいれている子どもたちは「よく分かる子」だと思うのです。
そうではなくて、
「あと、ちょっとで分かる子」「もう少し頑張れば出来る子」を想定して、指導要項は作られるので、
教育委員会の言い分は「さもありなん」なのでしょうね。

>だからね、私には「待てばよい」という意識が結構強いのね。よく分かる子は分からない子が分かるまで「待てばよい」という意識ね。
>投稿: 技術開発者 | 2009.07.23 17:09

>意味が分かっている子は、
ここで問題にしているような順番云々に拘らず、もう先に行ってしまいます。
さて、次に意味をまだ理解していない子、
迷う子に対しては、
定着させるまで、しっかりと教えます。
それが傍から見ていたら「順番のみ」に見えるかもしれませんが、
現場の教師は決してそうではありません。
意味を教えるために、段階として、「順番」を教えているだけです。
子どもが理解したら、すぐに取っ払うことができます。
私が視野に入れているのは、そうした子どもたちなのです。
「あと一歩」「もうちょっと」の子どもたちには、
キッチリと意味を教える必要があるのではないでしょうか?
積分定数
2012/06/08 09:21
極端に言えば、

 「数学が出来る人はどうやって勉強してきたのか?求差とか求残とかをしっかり区別することで、かけ算の順序を正しく書くことで、数学が出来るようになったのか?」

というのではなくて、

「出来るやつの立場から、あれこれ口を出すな。これは出来ない子のための指導法なんだから、・・・」

という話。

「出来る子」と「出来ない子」を2項対立的に捉えていて、「出来ない子」を画一的に見ていると思う。

 800円の50%は?

100に対する50は半分だから、これも半分にすればいいと思って「800÷2」としたら、「それでは駄目だ。800×0.5が正しい」と言われて混乱してしまう「出来ない子」は存在しないのだろうか?
積分定数
2012/06/08 09:35
コメント欄7代目
http://suugaku.at.webry.info/201206/article_1.html

作りましたので宜しく。
積分定数
2012/06/08 09:39

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コメント欄6代目 算数「かけ算の順序」を中心に数学教育を考える/BIGLOBEウェブリブログ
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