算数「かけ算の順序」を中心に数学教育を考える

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<<   作成日時 : 2012/06/08 09:10   >>

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算数「かけ算の順序」を中心に数学教育を考...
2012/06/08 09:42

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内 容 ニックネーム/日時
極論として、「出来る子はほっといていい。出来ない子をいかに教えるかが重要」という立場に立つとしよう。

 で、「出来ない子」が「できない」理由はみな同じなのか?順序や等分除・包含除の区別をさせることで、出来るようになるのか?

 瀬戸智子氏は、「あなたは出来る人。出来ない子をどうするかということで現場の人は教えている」ということで、反論になり得ていると思っているようだが、上記のようなことは当然問われなくてはならない。
積分定数
2012/06/08 09:47
 自分で迷いながらも何とか目的地に行けるのに、「ここの路地を右に曲がって、・・・」と事細かに指示されてその通りに行こうとしてかえって迷ってしまう、ということがあると思う。

 教える方が親切なつもり(※)で、「こうやってこうしてこうすれば答えが出る」と教えたつもりでも、「こうやってこうする」という部分を覚えることが負担になって混乱する子もいるかもしれない。

(※)「親切なつもり」というよりもどうも教師自身が、「この問題はこうやって解くことになっている」と思い込んでいる節がある。

 「速さの問題を比で解くのは駄目で、ちゃんと『みはじ』を使うように」

と指示する教師もいるらしい。
積分定数
2012/06/08 09:56
「通分は最小公倍数でなくてはならない。それが正しい方法」と思い込んで、1/a+1/bの通分が「最小公倍数が分からないから出来ない」となってしまった例を以前書いた。教える際に「こうやるのが正式なやり方」としてしまっているのかも知れない。

 小さな親切大きなお世話とはまさにこのこと。
積分定数
2012/06/08 10:02
虚偽記載がどうたらということにはほとんど関心がないが、

小沢一郎は自衛隊のISAF参加を主張していた

このことを忘れてはならない。

憲法は国権の発動である武力行使を禁じているが、国連がやるんだからそれに該当しない。

というような理屈だった。


そんな形式論・手続き論に興味はない。国連だろうが国権だろうが、爆撃で人が殺されることには変わりない。


ISAF誤爆でアフガン民間人が犠牲、子ども含む18人死亡
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120607-00000038-reut-int
積分定数
2012/06/08 10:40
mixi 数学コミュニティ
小学校算数トピ 450番

みはじの問題です。

Aさんは100メートルを10.125秒で走ることができるそうです。
それではAさんがこの速度を保ちながら地球を一周(40000km)したとき、何年何ヵ月何日何時間何秒かかりますか?



> みはじの問題です

そういう問題ですか?

鰹節猫吉
2012/06/08 21:47
速度を保つと直進してしまって地球を脱出したりして
M
2012/06/09 03:16
> 速度を保つと直進してしまって地球を脱出したりして


なるほど。
「トンデモ物理学の第0宇宙速度」と名付けましょう。

鰹節猫吉
2012/06/09 08:55
 今の小学校では、「みはじ」を教えながら「考え方が大切だから正しい順序」と言っているわけで、矛盾もいいところですよね。

 数学コミュでの別トピ=「時間を積分すると何になるのか?」という疑問も、多分「時間を時間で積分すると」という意味だと思うけど、何でそういう疑問を持つのか分からない。

 時間を時間で積分することで、何か意味のある物理量にならなければならない必然性があるのだろうか?

 「かけ算は累加ではない。新しい量を次々と生み出す」とでも思っているのだろうか?
積分定数
2012/06/09 09:09
「今いる地点から真東に向かってまっすぐ進んだ場合の経路は?」

 これだと、問題文の解釈で、緯線となるのか、地球の中心を中心とする円になるのかが分かれる。
積分定数
2012/06/09 09:13
地球の中心を中心とする大円だと、赤道上以外は真東には進めませんね。
zorori
2012/06/09 09:22
> 地球の中心を中心とする大円だと、赤道上以外は真東には進めませんね。


そうすると、「地軸を中心とする」とか書いておかないと問題に不備ありということになりますか…

出題者からみたら「因縁をつけられた」という気持ちでしょうが、世間では「かけ算の順序が正しくない」というのこそ 因縁。


インド哲学では 因 というのは因果関係が明確なもの、 縁 というのは因果関係がはっきりしないものをいうらしい。聞きかじりなので、本当かどうか分かりませんが…

鰹節猫吉
2012/06/09 10:08
Yahoo!辞書

いん‐ねん【因縁】
[名]《「いんえん」の連声》
1 仏語。物事が生じる直接の力である因と、それを助ける間接の条件である縁。すべての物事はこの二つの働きによって起こると説く。
2 前世から定まった運命。宿命。「出会ったのも何かの―だろう」
3 以前からの関係。ゆかり。「父の代から―の深い土地」
4 物事の起こり。由来。理由。「いわれ―」「―話」
5 言いがかり。




直接関係があるか、間接的なものかということみたいですね。

かけ算の順序と理解しているかは間接的に関係ある?????

鰹節猫吉
2012/06/09 10:16
t を t で積分すると t^2+積分定数。

時間はつねに、放物線運動する。

積分定数を忘れた人はバツにします。不定積分の意味を理解してません。

鰹節猫吉
2012/06/09 10:41
>インド哲学では 因 というのは因果関係が明確なもの、 縁 というのは因果関係がはっきりしないものをいうらしい。聞きかじりなので、本当かどうか分かりませんが…

どっちも古代インド哲学では同じ意味だと思います。
釈迦の説く十二縁起には、直接と間接の区別はありません。

「因」を直接の原因、「縁」を間接的な原因と考えたのは、古代中国哲学だと思います。
縁は中国語では干した布の縁(ふち)を意味しました。
そこから転じて外側の原因を意味しました。
おおくぼ
2012/06/09 16:04
> おおくぼ さん

ありがとうございます。

鰹節猫吉
2012/06/09 18:17
本屋で算数教育指南書を見てます。

坪田耕三氏を購入しました。

坪田氏はあからさまには言わないが、順序主義を快く思っていない感じです。

坪田氏は順序で理解しているか判定するのを避けるようにしているように見えます。

皿が3つあって、苺がそれぞれに 4 3 5 というような問題を混ぜて出題して、子どもが自分で同じ数ずつまとめてかけ算にするかどうか見るというようなことをしていました。

「かけ算はたし算とつながっている」として、かけ算は累加ではないというのにも否定的。


子どもは教師のかんがえた予定調和にはまるもんではないということも言っている。

半径12センチの円の中に半径4センチの円が入っている4センチの円周と12センチの円周の間の面積を求める問題。

教師が分配法則の説明をする予定だったとしても、いきなり

4×4×3.14×8

とする子どもがいる。

図を見れば、大きい円の面積は小さいのの9倍と気づく者がいる…

というような話。

鰹節猫吉
2012/06/09 22:59
条件反射的な暗記主義
VS
「数学は意味を考えることが大事」派

対立しているようで、意識していない共犯関係という気もする。
悪循環というか不毛な対立構造を壊さないと・・・。
おおくぼ
2012/06/10 00:55
「今いる地点から真東に向かってまっすぐ進んだ場合の経路は?」

「まっすぐ進む」が大円を意味するのかどうか、「真東に向かう」が出発地点だけの制約かどうか、これがポイントですよね。中学の地理の問題でこの手のが出てくるのですが、出題する側が題意が明確になるように伝える必要がありますね。
積分定数
2012/06/10 08:46
>t を t で積分すると t^2+積分定数。
時間はつねに、放物線運動する。

東大全共闘議長も太鼓判w
(mixiの元ネタでは山本義隆の本が紹介されていたので・・・)

>積分定数を忘れた人はバツにします。不定積分の意味を理解してません。

某オフ会で、「HNの由来は、ど〜でもいい存在ということです」と自己紹介したら、隣りに座っていた人が、「俺は積分定数を忘れて大学落ちて浪人してしまった。条件を満たす関数を求めるという奴で、どう考えても出てこなくて、終わってから、積分定数を忘れていたことに気づいた」と言っていた。洒落にならない・・・。

 単純にy軸方向の平行移動なら気づくけど、昔の微分方程式(今は高校では扱わない)だと、気づきにくい。
積分定数
2012/06/10 08:54
>対立しているようで、意識していない共犯関係という気もする。

「答えだけでなく、式を書かせることで意味・考え方を把握する。」

としたところで、式のパターンを暗記することになるから単に暗記の対象が拡がるだけ。かけ算の順序がまさにそうですよね。

 塾で教えていて思うのは、その子がちゃんと理解しているかどうかは、色んな問題を出してみたりして判断する。

 y=x^2において、x=3とx=8での変化の割合は?

 中学ではこの手の問題で公式を教えるらしく、3+8=11と出してしまう。

 これだと理解しているかどうかが判断できない。

頂点が原点以外の2次式や、3次式、放物線などでもちゃんと出来たら理解している蓋然性が高い。

 「かけ算の順序」がダメダメなのは、「順序が正しく書けるなら、理解している。順序が正しく書けないなら理解していない。」というように見なす、としてしまっていること。

 変化の割合を理解しているかどうかについても、「y=x^3で同様の問題を出すことで判断できる」というのが広く流布すれば、

x=pとx=qでの変化の割合は、p^2+pq+q^2

という公式が出てきて、これを覚えればいいとなるのが落ちである。

 中学数学までは出題の仕方が限定的なので暗記で対応できる子が多い。高校で破綻する原因の一つは、中学と高校の難易度の差の他に、高校では出題パターンが飛躍的に多くなることも原因。

 中学生に教える場合、(x+y)^3の展開など、あえて範囲外のことをやらせてみる。理解していれば手間はかかっても解くことが出来る。
積分定数
2012/06/10 09:10
前から思っているのですが、掛け算の導入時に「1つあたり」と「いくつ分」(「かけられる数」と「かける数」)を意識させるのが重要と思っている人は、「1つあたり」を問えばいいと考えないのでしょうか。
掛け算の順序に当てはめるのはおかしい事に気付く人もいる筈ですが、「1つあたり」を問う話にはならないですよね?
TaKu
2012/06/10 20:24
「一つ当たり幾つ分」というのは日本の習慣だと思う。
遠山啓も「習慣に沿うのがいい派」だと思う。
箱か皿などの容器があって、中に何個か入っている。
そして「容器の数」を前に書くか後に書くかという習慣。

アメリカ式  (容器の数) × (容器中のモノの数)
日本式    (容器中のモノの数) × (容器の数)

だから順序派は、数学のルールよりも習慣を優先にしているだけ。
数学の専門家なら習慣と数学のルールが反する場合は、数学のルールを優先すべき。
おおくぼ
2012/06/10 21:44
国会の経済論争は、算数を無視しているように感じる。
増税か反増税みたいな話になっている。
税金は消費税以外にあるのに、他の税金は無視に近い状態。
消費税の税収アップが景気に悪影響で無理なら、他の税金の税収のアップを検討すればいいだけの話。

「国債が未来の借金だから増やすな!」というのも単純すぎる理屈。
ローンと同じで、借金は短期だと重いけど長期では軽くなる。
「日本国家の寿命」は「個人の寿命」より長い確率が高いのだから、50年でも100年でもいい。
財政赤字は長期的に良くすればいいのだから、長いローンを組んで、景気を良くして収入を少しずつ増やして、無駄遣いも少しずつ減らすという戦略が普通。
財政赤字を改善するには、景気を良くするのが先決と考えるのは、簡単な算数でわかると思う。
おおくぼ
2012/06/10 22:02
算数教育指南書の世界

柴田義松 監修 銀林浩・石井孝子 編著 「算数の本質がわかる授業 たし算とひき算」p32 日本標準 より

@みんなの持っているもので、何か3つ出してください。友達から借りてもいいですよ。

 子どもたちは、少し考えますが、それぞれが3つのものをそろえます。ほとんどの子どもが、鉛筆1本・消しゴム1個・下じき1枚というように、違うものを3つ出します。3つとも違うものを出した子どもを指名して、3つのものがそれぞれ何かを発表させます。

 『鉛筆はいくつか』と、子どもたちにたずねます。すると「1本」と答えが返ってきます。次に、「消しゴムはいくつか」とたずねると、「1個」、下じきを同じように聞くと、「1枚」という答えが返ってきます。
 このように、実際に数えていくうちに、子どもたちは3つというのは同じ種類のものを3つ集めることだと気づいてきます。

A何が3つかな?先生は、3つ出してくださいといいましたね。

 「3つ出してください」といったことに気づかせると、子どもたちは、同じものを3つに取り替え始めます。
鰹節猫吉
2012/06/10 23:27
説明が足りなかったので例を挙げてみます。

3つの皿にりんごが2個ずつあります。りんごの総数を求めたい。
・1つあたりを答えよ
・式を答えよ
・りんごの総数を答えよ

式は 2×3 でも 3×2 でも正解だが、「1つあたり」を意識させたいとなると上記のような質問になると思います。
何故このように考える人が出てこないのでしょうか。
TaKu
2012/06/10 23:27
「何が3つかな?先生は、3つ出してくださいといいましたね。」

 何が3つかな?だって??
 それは、あなたが指図したとおりですよ。

 ”みんなが持っているもの” に決まってるじゃありませんか?

 鉛筆の中から3つとか、消しゴムの中から3つではなく、みんなが持っているもののなかから3つ出してきたわけですからね。

 指南書を読んでそのとおりにやる教師は、こういうところに疑問をもたないのだろうか?
鰹節猫吉
2012/06/10 23:33
> TaKu さん

> 何故このように考える人が出てこないのでしょうか。

 1つの式に2つ以上の意味があってはならぬと考えている人たちの中から、そのように考える人が出てくるはずがないではありませんか。
鰹節猫吉
2012/06/10 23:36
>3つの皿にりんごが2個ずつあります。
>りんごの総数を求めたい。
>・1つあたりを答えよ

この問題に対する答えは3でも2でも正解。どちらか片方だけが正解だと思っている人は「1つあたり」の概念を正しく理解していない。何が「1つあたり」になるかは、具体的場面だけではなく、考え方にもよる。
くろきげん
2012/06/10 23:58
> 3つの皿にりんごが2個ずつあります。りんごの総数を求めたい。
> ・1つあたりを答えよ
> ・式を答えよ
> ・りんごの総数を答えよ

 だがしかし、この問題が流布すると、

「「問1で答えた数字を、問2で×の左側に書く。」という公式を暗記しましょう。」という指導法が誕生するかもしれませんぞ。
鰹節猫吉
2012/06/11 00:24
遠山啓「数学の学び方・教え方」(岩波新書)p17 

>集合の個数
集合というと物の集まりで、意味は非常に広いのです。しかし「いくつある」というときには、そんなに無条件ではないということです。そのときにまず大切なことは、そこにあるものが、だいたい一つ一つが等質であるということが必要です。等質なものの集合のときにはじめて「何こ」ということができます。
 たとえば八百屋にリンゴが3ことミカンが5こ並べてあったときに、八百屋に果物が8個あるとはいわないでしょう。リンゴとミカンは異質ですから、いっしょに数えることはしないのがふつうです。等質のものどうしをまとめて、リンゴ3こ、ミカン5こといい、ひっくるめて8こにはしません。
 量には等質性ということが一つの必要条件になります。完全に同じ物ではないにしても、等質とみなすほど似ているものでないといけないのです。ところが最近の教科書のなかに、この原則を忘れて、ひどく異質なものをいっしょに勘定している例が、かなりあります。つまり集合から量に発展するには、1とみなされているものがお互いに等質でなければいけないのです。 
積分定数
2012/06/11 09:20
 この遠山啓の文章を私は「教える側が留意すべきこと」というように受け取った。

ムロアジ2匹とマアジ3匹、全部で何匹? はいいけど、
鼠2匹とシロナガスクジラ3頭、全部で何匹? は、同じ哺乳類でも無理がある。

なにをもって「等質」と見なすかは流動的で文化にもよると思う。

鯉2匹 鮒3匹 魚は何匹? はいいとして、
ダボハゼ2匹 バショウカジキ3匹 魚は何匹? だとどうだろうか?

渡り蟹2匹 タラバガニ3匹 蟹は何匹? 答えは2匹
とかなってくると算数の問題ではなくなる。

アマガエル2匹 ヒキガエル3匹 蛙は何匹?

この問題、日本語なら構わないが、英語圏だとどうか?
frogはヒキガエル(toad)を含まないそうです。

いずれにしても、教える側はそのあたりを配慮しないとならないと言うことには全く異論がない。
積分定数
2012/06/11 09:30
 ところが銀林浩らは、これらを「こどもが認識すべきこと」と思っているのか!?

 唖然としてしまった。

 何を「等質なもの」と見なすかは、言語や文化、個人、状況によって異なる。遠山啓の言っているのは、そういうことを積極的に教えなくても子どもは自然にそういうように捉えているからそれを前提に教えるべきで、不用意に子どもにとって異質なもの同士を足すような問題を出すべきではない、という意味だと思っていたのだが。
積分定数
2012/06/11 09:35
「子どもはこう考えがちだから・・・」ということを分析して、「だからこうおしえるといいよ」というのは構わない。

 ところがそのうち「こどもはこう考えなくてはならない」となってしまう。

 足し算の添加と合併、「子どもはこの2つを違うものと認識するので、・・・」が、「この2つの違いを認識させなくてはならない」となってしまい、混乱を招く。

https://twitter.com/#!/genkuroki/status/157748768769441792
>研究室卒業生が小学1年算数指導で苦労したのは,「あわせていくつ」「ふえるといくつ」を区別する文章題をつくらせる研究授業。どちらも同じ足し算だとふつうに理解できるのに,わざわざちがうものだと強いてしまうので子どもたち大混乱。無理に教えるのが無理
積分定数
2012/06/11 09:41
>「1つあたり」を問えばいいと考えないのでしょうか。

割り算で等分除と包含除の区別に拘る教師はそれほど多くないようです。区別したところで、12÷4というような表記は変わらないから、意味がないと思うのかも知れません。区別させるのは熱心な教師だけかも知れません。

熱心であることがいいこととは限らないのですが。

 そうすると「1つあたり」を問うが順序は問わない、というのが出てこないのも分かる気がします。

 仮にそういう指導がなされるとします。でもそもそも「1あたり」と「いくつ分」は視点の違いでしかないので問うこと自体がナンセンスだし、これらの区別を意識しなくても何ら支障はありません。そうなると、「何のために区別するのか?」ということになってしまいます。

そこで、

「正しい順序で式を書くために」

というのが出てくるのだと思います。

順序がなくなったら、「1あたり」と「いくつ分」の区別は、等分除と包含除に区別と同様に、一部の熱心な教師だけが教えることになると思います。

 かけ算の表記方法が、3と4を掛ける場合に、3と4を重ねて書くという具合であったなら、「かけ算の順序」はこれほど大きな問題にならなかったと思います。

 本来は全く同じ意味の、3×4 4×3 という2つの表記のどちらかにせざるを得ない

 というのが不幸の始まり。


 言語だと、同じ概念を2つの異なる言葉で表していた場合、片方がなくなるか、あるいはニュアンスの違いを生じさせることが多いようだ。

 かけ算も異なる表記に対して異なる意味を当てはめるようになったのだと思う。
積分定数
2012/06/11 10:00
>かけ算の表記方法が、3と4を掛ける場合に、3と4を重ねて書くという具合であったなら、「かけ算の順序」はこれほど大きな問題にならなかったと思います。

もちろん既に指摘しているように、「かけ算の順序」は氷山の一角。むだ毛の1つに過ぎない。

 算数教育全般に横たわる反数学的むだ毛(=「意味が大切」と言って抽象化を否定・問題ごとに解法が指定されているというアホな発想)は、剃刀で綺麗に剃りとる必要がある。
積分定数
2012/06/11 10:06
>でもそもそも「1あたり」と「いくつ分」は視点の違いでしかないので問うこと自体がナンセンスだし、これらの区別を意識しなくても何ら支障はありません。

たしかに遠山啓もそう言ってますが、それならどうして「1あたり、いくつ分」が「正しい順序」なのかという疑問が出てきます。
もちろん遠山啓は「正しい順序」派ではありません。

>これらの区別を意識しなくても何ら支障はありません。そうなると、「何のために区別するのか?」ということになってしまいます。
>そこで、
>「正しい順序で式を書くために」
>というのが出てくるのだと思います。

「正しい順序で式を書く」には、「正しい順序」の基準が必要になります。
「1あたり、いくつ分」という順序が正しい仮定します。
でも「視点の違いでしかないので問うこと自体がナンセンス」なら循環論になってしまいます。

ということは、「1あたり、いくつ分」が「視点の違いでしかないので問うこと自体がナンセンス」ということを、教育者側が認識していないことが原因で「正しい順序」ブームが生まれたのでしょうか?
おおくぼ
2012/06/11 10:35
> ということは、「1あたり、いくつ分」が「視点の違いでしかないので問うこと自体がナンセンス」ということを、教育者側が認識していないことが原因で「正しい順序」ブームが生まれたのでしょうか?


それも一因でしょうが、なぜ彼らはそう考えるのか?

それは、「1つの式に意味は1つ、式は具象と1対1に対応する。」という思想があるからでしょう。


実際に使われている算数教材を見れば明白です。3つの皿にミカンが4つずつなら、次のような誘導形式になっているのです。

問1 ()に数を入れろという穴埋め問題 → ミカンが ( )つずつ ( )つ分

問2 ことばのしき 1あたり×いくつ分 にあてはめさせる誘導問題 → ( ) × ( )


「具体物が皿で4つずつになっていることを読み取らせて、それをことばのしきにあてはめなさい。」

そう明言はしてないが、そうしないとバツになるんだぞという文字列が行間から浮かび上がってきてますな。

彼らにとっては、1あたりは視点によって違う(←もちろんこっちが正しいのだが)というのこそナンセンスなんですよ。

♪1つの式 1つの意味 1つの具象 …

鰹節猫吉
2012/06/11 13:05
>ということは、「1あたり、いくつ分」が「視点の違いでしかないので問うこと自体がナンセンス」ということを、教育者側が認識していないことが原因

実際に認識していない教師は多いと思います。

 サンドイッチルールを、「正しい順序に書くための方便」ではなく、本当にそういうルールがあると思っている教師が少なからずいる。

 「3×4と4×3では意味が全く違います」となんの躊躇もなく断言している教師が少なからずいること。

 などが傍証です。

 教科書にも、「1あたり、いくつ分が視点の違いで逆転する」ということは明記されていません。だから、割り算になっても等分除と包含除を区別しなくてはならない。

 正方形が長方形であることを明記していないので、「正方形は長方形でない」と思う人が出てくるのと同様ですね。


何のためにかけ算の順序が重要なのか?
「1あたり」と「いくつ分」を区別するため。

何のために「1あたり」と「いくつ分」を区別するのか?
正しい順序で式を立てられるようにするため。


こうするとあほらしさが際だつが、前者と後者で、それを主張する人が異なっているので、それぞれの中では堂々巡りになっていない。
積分定数
2012/06/11 14:01
銀林浩らのアホな指南書の引用をみて、昔スピリッツで読んだ吉田戦車の漫画を思い出した。

「店」という看板の店に行って、「すみません、物ください」と言って、物を買うというシュールな4コマ。

「何が3つですか?」「ものが3つです」

カテゴリーの分け方は一意的ではない。

 八目鰻と鰻と人間を2つに分類する場合、下顎の有無で、「八目鰻」と「鰻と人間」という分け方というのもあり得る。ヌタウナギに至っては、脊椎動物のくせに背骨がないから、さらにややこしい。

 当然こんな事は算数とは関係ない。

 銀林浩らは子どもに何を教えようというのか?世の中の切り取り方とラベリング?それは算数ではなくて国語や日常言語での話だろうが・・・
積分定数
2012/06/11 14:41
諸悪の根源はなんでしょうか。

いろいろありそうですが、ひとつだけ挙げるとすれば、「式の意味」かな…。
存在しない式の意味を読み取るために1つあたりやいくつぶんをむりくり読み取ってしまう…

実際は、式にすると意味が減るわけです。抽象化しているのですから。意味が減ったために、より多くの場合に対して同じ式をあてはめることができる。

「意味が減ったのが式」「意味を削って残ったのが式」「問題から意味を取り去ると式」
M
2012/06/11 20:41
しき( ) こたえ ( ) 
という解答欄も最悪ですね。
「このもんだいを、しきをつかってせつめいしてください」
という質問は2年生には難しいのかな?
「こたえ=12」
とか書いちゃうんでしょうか…
M
2012/06/11 20:44
書き直します。

式でせつめいしてください:の解答欄に
(こたえ=12)
とか書いちゃうんでしょうか。
M
2012/06/11 20:47
歴史的に見ると、「1つあたり、いくつぶん」が文部省(当時)に採用されたのが80年代なわけです。
「掛け算の正しい順序」は1951年頃から文部省で採用されていたけど、80年代以後とは分けて考えた方がいいと思うのです。
おおくぼ
2012/06/11 22:02
 ここ10年ぐらいのおかしな傾向は、「考え方重視」が悪い形で出てきていると思います。

 「答えはあっているのに式がバツ。何で?」と親が疑問に思うことが増えているような気がします。

 考え方が大切=牽強付会な意味づけ

となってしまっている。
積分定数
2012/06/11 22:53
80年代は中曽根政権の時に教育改革が行われていて、かなりの改悪があったと思います。
数教協の理論が敵である文部省に採用されて、研究されたことによって悪影響を与えた気がします。
冷戦時代にソ連がアメリカの悪影響を受けたような感じでしょうか?
おおくぼ
2012/06/11 23:23
>「答えはあっているのに式がバツ。何で?」と親が疑問に思うことが増えているような気がします。

親が積極的に疑問を出して、学校側がそれに答えるべきだと思います。
学校側が答えられない場合は、文科省が答えるべきです。
おおくぼ
2012/06/11 23:28
しつこく「3つ出しなさい」の件にこだわりますが、、、

 「分類のしかたは一意的でない」のは当然なのですが、おかしいところはまだあります。

 ” はじめに量があって −−→ 数 ”
 にこだわりすぎ。

というところがあると思います。

 教師が教室で子どもに向かって「みんなの持っているものを3つ出せ」と言ったら、 「学童文具を3種類列挙せよ。」 と解釈する者がいてもおかしくありませんね。

 この 「3種類」 って、 「量の体系」 だと 「??量」 に分類されるんでしょう。


 同じ物を集めさせて何個あるという話にもっていこうとするというのは、目に見えるかたちで単位の大きさを設定して、その何倍あるかという考え方に導こうとしてますね。

 数ってのは目に見える大きさだけに使うもんじゃないですね。

 何種類あるとか、何通りあるとか、何回やるとか、そういうときにも使います。

 最初の段階では大きさが目に見えて分かるものでないと理解しずらいという意図なのかもしれないが、そうだとしてもこういう授業はおかしいですね。

 鉛筆、消しゴム、下じきを出してきた場合でも、持っているものから3つ選び出してきているのだから、まちがいなく教師の指示どおりのことをやっている。不正解とするほうがおかしい。

 目に見えて分かるかたちで単位の大きさを設定してその何倍になるかということをやりたいなら、それこそ大得意のタイルを使えばよいことです。

鰹節猫吉
2012/06/12 01:26
「考え方」も「答え」も模範解答通りでないと採点出来ない教師が多いということかと。
教師が考えて問題を解くことが出来ないのでしょう。
そのような教師の要請に応えるために、算数教育研究家が変な理屈を作っているということでは。

実は、私が属する業界でも似たような状況はあります。
考える事の出来ない「技術者」が「研究者は難しい理屈を言うけど、実用的なマニュアルが必要なのだ」といい、研究者がそれに応えようと、煩雑なマニュアルをせっせと作ります。その原点は算数教育だったのかもしれず、教育というのは影響が大きいとつくづく思います。
zorori
2012/06/12 06:25
「小2の算数が複雑すぎる」という噂
http://www.excite.co.jp/News/bit/E1221751302538.html?_p=1

以前紹介した、↑のような問題、私はやった記憶がない。

>普通に計算するほうが楽なのに、なぜこんなにも複雑な計算をしなければいけないの? 私たちが子どもの頃も、こんな計算の仕方をしてたっけ? 『新しい算数研究』を発行する東洋館出版社・川田さんに聞いた。
「これには、いろいろと理由があります。一つは、現実として繰り下がりのある引き算を間違う子供が多いということです。大人から見れば簡単に思えることでも、算数の苦手な子供にとっては、大きな壁になるところでもあります」
苦手な子供をどうするか? と考えると、「ひたすら練習」ではなく、「引き算そのものを理解していくことも大切」ということで……。

>さらに、もう一つは、「式の意味の理解」。
「引き算は、計算のためだけでなく、思考の道具、説明の道具としても使われます。文章題などで、複雑に書かれた内容をシンプルに表現するのが式でもあります」
積分定数
2012/06/12 07:28
>そして、大人にわかりやすい例として、わり算の意味についてこんな解説をしてくれた。
「10÷2は、どんな意味でしょうか。10を2つに分けることですね。では、10÷0.5はどんな意味でしょうか。10を0.5に分けるというのは、大人でも多くの人がうまく説明できません。これは、式の意味を理解していないからです」
10÷0.5は、「10の中に0.5がいくつあるか」ということで、こう考えると、小数点の位置も間違えにくくなるわけだ。

「同様に、分数のわり算でも、1/2÷1/4も、『半分のピザの中に1/4のピザがいくつあるでしょう』と考えると、答えがすぐにピンとくるでしょう。このように、計算をひたすら練習するだけでなく、式の意味をよく理解することも大事なのです」
複雑すぎる小2の算数、それは大人が見ると「??」だけど、「より深い理解」のために必要なことのようです。
積分定数
2012/06/12 07:28
 朝日新聞の花まる蛸脚授業の紹介でもそうだけど、ライターが、「なるほど」とすぐ納得しすぎ。様々なジャンルについて取材するのだから、全ての分野について鋭い突っ込みを期待するのは無理だとは思うのだが。

 以前、民放の報道番組で、「川で鮎が大量に死んでいるのが見つかった」というニュースがあった。出演者が何人かいたが、「原因はなんなんでしょうね?不可解ですね」などとありきたりの発言ばかりで、誰も「鮎以外の魚はどうなんでしょうか?」とコメントしない。他の魚も死んでいるなら、何らかの毒物が混入したと考えられるが、鮎だけだと水温の関係かあるいは鮎にだけ被害を及ぼす薬品かウィルスがあるのか、あるいはその川には鮎しかいないのか?とか考えられるのだが。

 でも、私は魚が好きで子どもの頃から川で遊んだからそういう発想になるが、自分があまり興味のないスポーツや音楽について何かコメントする立場なら、ありきたりなことを言ってお茶を濁すと思う。

 だから、突っ込み不足を嘆くのは無い物ねだりだとは思うが、その上で上記記事で出てきた専門家らしき人のコメントへの疑問を書く。
積分定数
2012/06/12 07:44
52−8 を工夫して計算するというのだが、苦手な子にそれを要求するのか?

52個○を描いて、8個消して数える、

でもいいからとにかく自分なりに答えを出すことの方が大切だと思うが。あるいは、そのような方法こそ、その子にとっての「工夫」と言えると思う。

 教える側が想定した「工夫」があって、それを当てさせることになっているとしたら、苦手な子も得意な子も混乱するように思う。

>また、子どもたちの解き方を見ていると、普通に計算できるくせに、「くふうして」と言われると、ややこしく考えすぎて、以下のような誤答が見られた。
○「52を40と12に分けて、8を6と2に分けて」と、どういうわけか分けまくってしまう
○「8を6と2に分けて、52から2をひいて、6を足して」となぜか足してしまう
○「52を40と12に分けて、8を引いて、4」などと、最初に分けて、置いておいた数をきれいさっぱり忘れてしまう
普通に計算するほうが楽なのに、なぜこんなにも複雑な計算をしなければいけないの?  

とても苦手な子に有効な教え方とは思えないのだが、・・・
積分定数
2012/06/12 07:50
 さらに腹立たしいのは、「くふうしろ」という指定がない場合に子どもがやりやすいやり方で解くと「それは解き方が違う」とされてしまうこと。

 3時間で180q進む。6時間では?

2倍にするのは駄目。「みはじ」でちゃんと速さを求めて、時間を掛けて、・・・

長方形の面積は縦×横にするのが正式なやり方で、・・・


結局、算数そのものに取り組むのではなく、教える側が設定した恣意的な何か(ルール?体系?)を覚えることに腐心することになる。
積分定数
2012/06/12 07:56
次のような問題も腹が立つ。私はこう言うのをやったことがない。

次の計算は、(ア)(イ)(ウ)のどのきまりを使っていますか。記号で答えましょう。
(ア)2つの数を入れかえて計算しても答えは同じ。
(イ)順に計算してもまとめて計算しても答えは同じ。
(ウ)まとめてかけても、べつべつにかけて計算しても答えは同じ。

(ア)は交換法則、(ウ)は分配法則の事のようだが、(イ)は何のことを言っているのか分からない。

深く理解してしまうと、「きまり」や「法則」などというのは意識しないで、当たり前のこととして計算すると思う。

「答えさえ出ればいいのではない。なぜそういう計算が出来るのか、ちゃんと決まりを意識することが大切」というようになってしまっているならすごくいやだな。

 私からすると、計算で変形するごとに「これは○○というきまり」などと意識する方が理解をしていないように思えるのだが。

 かけ算もそう。100g90円の豚コマ、300gの価格を我々は瞬時に90×3として求める。「かけ算だな。ということは1あたりといくつ分はなんだろう?」などとは考えない。「最初は意識していたが、段々意識しなくなった」のではなく、最初から考えていない。最初から、100gで90円、300gだから、90が3つ分、と考えていた。

 「考え方が大切」ということで、「考え方」や「答えに行き着く過程」も採点対象になってしまって、おかしな事になってしまっていると思う。
積分定数
2012/06/12 08:17
 「考え方が大切」ということを否定しているのではない。「考え方が大切」と言いつつ、教え方や評価の仕方があまりにもあほらしい事になってしまっているのでは、という疑念があるということ。

 変化の割合の件で書いたように、その子がちゃんと考えているかどうかは、教える側が出題の仕方を工夫しないと分からない。

 そこまで要求するのは無理だとしたら、せめて「考え方が大切」という大義名分でおかしな教え方をするのをやめて欲しい。
積分定数
2012/06/12 08:24
>鰹節猫吉さん
>「学童文具を3種類列挙せよ。」 と解釈する者がいてもおかしくありませんね

そういう解釈はおかしいです。そんな解釈をするのは鰹節猫吉さんのようなひねくれ者だけです。

 算数がわかるようになりたいと思っているごく普通の純粋な子どもにどう教えるのかが大切なんです。そんなひねくれ者のことなんかどうでもいいのです!

http://ts.way-nifty.com/makura/2009/07/post-4df6.html
>技術開発者氏
>よく分かる子は分からない子が分かるまで「待てばよい」という意識ね

そういうこと。分かる子は待っていればいいの。分からない子をどう教えるかが大切。

分からない子が躓く場所は決まっているの。だからそこでまず躓いて、そして起きあがる方法を教えるんです。そこでは躓くことが正しいんです。躓かないようなひねくれ者の事なんかほっときましょう。

 そこでは躓かなくて、別の所で躓く子はどうするのか、って? 

 そんな子がいるはずがありません!
積分定数
2012/06/12 08:35
書き込み制限されています?
TaKu
2012/06/12 21:12
「正しい順序」を定着させたいがために、「1あたり」と「いくつ分」が考え出された感じでしょうか。
個別の問題点は分かっても、全体像がつかめずにモヤモヤします。

最近は頭の中で「教師」を「調 教 師」に置き換えたりしていますw
TaKu
2012/06/12 21:18
積分定数さん

「調 教 師」がスペース無しだと弾かれていました。
不適切な表現でしたら、お手数ですが削除をお願いします。
TaKu
2012/06/12 21:23
>そんな子がいるはずがありません!

「正しい躓き方」をしなければならず,「正しくない躓き方」はあり得ない・・・
zorori
2012/06/12 23:35
 制限は特にしていないのですが、私の書き込みも「スパム」として弾かれました。何なんでしょうね?

 紙と鉛筆だけで数学をやってきたタイプでして、「理系」ではあるのですが、タモで虫や魚を捕ったりという小学校理科の延長の方が好きで、パソコン含めて機器類については全般的に苦手なので、この手のことはよく分からない。
積分定数
2012/06/13 08:04
実験「調 教 師」
積分定数
2012/06/13 08:05
実験「教師」
積分定数
2012/06/13 08:05
実験「ちょうきょうし」
積分定数
2012/06/13 08:06
「ちょうきょうし」をスペースなしで漢字表記すると弾かれるようですね。他の方の書き込みでもそうですかね?

何でだろう?
積分定数
2012/06/13 08:07
「ちょうきょう」がアウトのようですね。
積分定数
2012/06/13 08:12
 念のため書いておくと、2012/06/12 08:35のコメントは、「出来ない子のためにどう教えるべきかを考える」ということを揶揄する意図はない。

 教え方に対する批判に対して「あなたが教えているのは出来る子。出来ない子にはこういう教え方が適切」と言うことで反論になり得ていると思い込んでいたり、批判を「出来る人の側からの視点でしかない」と決めつけて、見当違いな「無駄話」をする、瀬戸智子氏や技術開発者氏のような人(彼ら以外にもいるようである)を揶揄するコメントです。

 「揶揄」であることは否定しない。
積分定数
2012/06/13 08:53
 以前も書いたが、「出来る子」とか「出来ない子」という捉え方が皮相的である。

 割合の問題を「くもわ」で解く子は「出来る子」なのか?
以前塾で、「700円の3割は?」が分からない中学生に「100円の3割は?」とヒントを出したら、「30円」と正しく答えて程なく210円と分かった。

 この子は「出来る子」なのか?「出来ない子」なのか?

 1あたり×いくつぶん という順序に拘ることで、出来ない子は理解できるようになるのか?

 「700×0.3が正しい順序です。あなたの方法は間違いです」と言うべきなのか?

 そんなこと言われてこの子は混乱しないのか?
この子は「出来る子」なんだから、そんなことを配慮する必要はないのか?

 彼らが独自に想定する「出来ない子」というのがいるようである。その子らは、かけ算の順序や、等分除と包含除や、添加と合併や、求残と求補と求差などを区別させることで、出来るようになるようだ。

 順序だの足し算の区別だのを教えて、かえって混乱するような子の事例を持ち出しても無駄である。

 「出来なかったけど、順序や何やらを教えると出来るようになる子」が彼らの定義する「出来ない子」なんだから、「出来ない子に順序を教えると出来るようになる」は必ず成り立つ。
積分定数
2012/06/13 09:05
https://twitter.com/#!/genkuroki/status/157748768769441792
>研究室卒業生が小学1年算数指導で苦労したのは,「あわせていくつ」「ふえるといくつ」を区別する文章題をつくらせる研究授業。どちらも同じ足し算だとふつうに理解できるのに,わざわざちがうものだと強いてしまうので子どもたち大混乱。無理に教えるのが無理

この事例に対しても、彼らの立場から反論することが出来る。

 どちらも同じ足し算だとふつうに理解できる子は出来る子。出来ない子にどう教えるかということで色々研究されて出てきたのが、合併と添加の区別。
よく分かる子は分からない子が分かるまで待てばよい。どっちも同じだとすぐには分からなくて、戸惑ってしまうような子に寄り添うことで・・・・・

 再度書くが、出来ない子にどう教えるべきかを研究したり実践したりすること自体を一般的に否定するつもりは毛頭ない。

 各論の話で「そういう教え方はどうなんだ?」と疑問を書いているのに、総論で反論して論破した気になる人もいるので困ってしまう。
積分定数
2012/06/13 09:19
 生徒が受けてきた東大模試の問題をやってみた。東大模試あたりだと、見た瞬間に解き方が分かるというような問題は少ない。

 数列の漸化式が与えられていて、一般項を求める問題などは、まずは具体的に求めてみて予想してみたりする。

 最初は混沌として分からなかったものも、あれこれやるうちに段々分かってくる。「この問題はこうやって解く」などというマニュアルは不要。試行錯誤して色々やってみるだけである。

 前述したように私は機械音痴で、手順通りに操作するというのが苦手。記憶力も悪い。そんな私でも算数・数学は得意だった。なぜか?手順を覚えるのではなく、あれこれやっているうちに自然に理解したから。

 もし、等分除と包含除の区別だの順序だの、求残と求差の区別だのを強要されたら、混乱して数学が苦手になっていたかも知れない。

 恣意的な概念を覚えさせられるのは苦痛であり有害無益だと思う。少なくとも私に関しては、不要であった。

 こういうと、「あなたが数学が得意だからそういうのだ。苦手な子は・・・・」となり、そのうち「苦手な子はほっとけばいいというの・・・」などとこちらが言っていないことを勝手に批判する藁人形叩きを行う輩がいる。
積分定数
2012/06/13 15:12
 ここで素朴な疑問。

 私は数学が好きで得意である。解法を覚えたりはしないで、その都度試行錯誤して行くうちに自然に解けるようになってきたし、未知の問題に対応するには今でもそういう方法で取り組む。

 それが万人に可能な方法でないことは承知している。

 しかしもし私が、求残と求差の違いだの、内包量・外延量だのという恣意的な区別を強要されたら、混乱した可能性がある。今でもたとえば東大の問題をパターンに分けて「この手の問題はこうやって解く」というリストを渡されて「それを覚えろ」、と言われたら出来ないと思う。

 私にとって苦手で苦痛で混乱を招きかねない概念を覚えるという有害無益な行為が、

 算数が苦手な子には有効なのか?苦痛なものではないのか?

最初から2つある場合と時間差がある場合で違いを認識してなおかつ、3+4と4+3は同じになるという「きまり」を覚えることが有効なのか?

 出来ない子は、「最初から2つあろうが、4に3が加わろうが、3に4が加わろうが、同じに決まっているじゃないか!」という発想をしてはいけないのだろうか?

 そんな発想をすると算数がわからなくなるのだろうか?
積分定数
2012/06/13 15:12
 ここで陳腐な反論に反論しておく。

「4人いるところに3人来たのと3人いるところに4人来たのでは意味が違う」という。

 確かに状況は違う。では、その状況をちゃんと把握しているかどうかを問うにはどうすればいいのか?

「4人いるところに3人きました。最初にいたのは何人ですか?」と質問すればいい。

この問題に「3人」と答えた場合、指導すべきは足し算の順序ではないはず。

4人に3個ずつ蜜柑を配る
3人に4個ずつ蜜柑を配る

両者が表している状況が異なることが分からない子に対して指導すべきは、かけ算の順序ではないはず。

算数教育について私は素人だが、少し調べただけで算数教育業界に流布する考えの矛盾が指摘できる。これに関して有効な反論に遭ったことがない。

 算数教育の専門家はアホばかり、としか思えない。
積分定数
2012/06/13 15:20
 東大模試で、ある漸化式が出てきて一般項を求める問題、解答にnCkというのが出てくる。前述したように、具体的にいくつか求めてみてあたりを付けて、という具合にやるのだが、意味重視の人はどうするのだろうか?

 ここで出てくるnCkは単なる漸化式を満たす数列として出てくるだけで、n個からk個選ぶなどと言うのとは関係ない。深いところでつながっているのかも知れないがそんなことはここでは全く不要。

 nCkを「n個からk個選ぶ方法」と“だけ”認識していたら、こういう問題が解けないと思うのだが。
積分定数
2012/06/13 15:26
http://www.chiyodaku-chiyoda-e.ed.jp/kenkyu/h21kenkyuu/jissenn1.pdf
>求残は「のこりはいくつもんだい」、求補は「も
ういっぽうはいくつもんだい」、求差は「ちがいは
いくつもんだい」と学級で名前をつけた。これによ
り、減法の意味理解をより深めることができた。

こういう授業が出来ない子には有効なのか?

 問題文を理解して、どう計算すればいいのかが自然に出てくる方が望ましいと思うのだが、そういうのは算数・数学が得意な人間の傲慢さなのか?

 「これは差を求める問題だ。差を求める問題は引き算だ」などという方が出来ない子には有効なのか?
積分定数
2012/06/13 22:45
算数教育指南書の世界

小学校算数 板書で見る全単元・全時間の授業のすべて 2年下
細水 保宏 (監修), 大野 桂 (監修), 筑波大学附属小学校算数部 (編集)

http://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E7%89%88-%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E7%AE%97%E6%95%B0-%E6%9D%BF%E6%9B%B8%E3%81%A7%E8%A6%8B%E3%82%8B%E5%85%A8%E5%8D%98%E5%85%83%E3%83%BB%E5%85%A8%E6%99%82%E9%96%93%E3%81%AE%E6%8E%88%E6%A5%AD%E3%81%AE%E3%81%99%E3%81%B9%E3%81%A6-2%E5%B9%B4%E4%B8%8B-%E7%B4%B0%E6%B0%B4-%E4%BF%9D%E5%AE%8F/dp/4491027323

 小学校教師用マニュアル、全単元・全時間の指導計画と黒板に板書する内容、授業のすすめ方まで懇切丁寧に指南。

 かけ算は、 かけ算(1):4時間、 かけ算(2):18時間 でやることになっている。

 ↓ かけ算(1)指導計画 p18 より引用

▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽

1時間目 : 箱に入る○の個数を求める活動を通して、「□の△個分」というとらえ方をする。
2時間目 : 5つの六角形に敷き詰めたパターンブロックの個数を表す。
3時間目 : 生活の場面を表す絵の中から、同じ数の物を見つけ、かけ算の式に表す。
4時間目 : みかんを同じ数ずつ袋に分けた状態を、かけ算の式で表す。

(中略)

(続く)
鰹節猫吉
2012/06/14 00:01
(続き)


(2) 新しい式表現を学習する。
 かけ算には、これまで子どもたちががくしゅうしてきたたし算やひき算とは大きく異なる点がある。それは、演算記号の前の数と後ろの数は、違う意味を表しているという点である。
 例えば、「赤い風船が3つ、白い風船が4つあります。全部でいくつでしょうか。」という問題では、「3+4=7」と立式するが、この3と4と7は同じ風船の個数を表している。
 ところが、「4人の子が、それぞれ3個ずつ風船を持っています。風船は全部でいくつでしょうか。」のようなかけ算の問題場面では、「3×4=12」という式に表して答えを求めるのだが、この3,12と4は、違う意味を表すものである。すなわち、3と12は風船の個数だが、4は「(3のまとまりが)4つ分」ということを表す数である。そして、「3×4」は「3+3+3+3」のように、3を4回たせば答えが求められるということを表しているのである。
 このような点において、子どもたちにとってかけ算は、これまでとは異なる新しい式表現であると言える。その点を踏まえて、指導にあたることが必要である。

(続く)
鰹節猫吉
2012/06/14 00:04
(続き)

(3) 絵や図、言葉による表現と、式による表現を対応させる

 [●●●] [●●●] [●●●] [●●●]

 上の絵を、言葉で表すと、「3個と3個と3個と3個」と言うこともできるし、「3個が4つ」と言うこともできる。それぞれ「3+3+3+3」と「3×4」という式に対応する。
 このとき、(2)で述べたことと同様、「3+3+3+3」の3は同じものを表しているが、「3×4」の3と4はそれぞれ違う意味をもつ。
 同じものを見ても、それを表現する言葉は子どもによって異なるわけだが、このような表現の違いを式の意味理解につなげていけるとよい。

△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△
鰹節猫吉
2012/06/14 00:04
↑ このように、算数教育指南書の世界では、かけ算の式とは、

(具体的な状況を記号で表したもの) = (答)

ということになっており、 かけ算(1) という単元では、「具体的な状況を式で表すこと」が主眼になっている。

 しかも、×の右側にある数は「何個たすかを表す数」なのであるから、

(具体的な状況でひとかたまりになっている個数)×(それがいくつある)

という書式で表現せねばならぬという理論になっている!

 これは驚きである。指南書の世界では = は通常の常識でいう等号ではないのだ。=の左側に具体的な状況を表す記号列を書き、右側に答えを書く。そのような記号として考えなければならないようなのである。

 しかも、×の右側にある数は何個たすかを表す数でなければならぬ。「意味が違う」んだそうである。
鰹節猫吉
2012/06/14 00:17
>鰹節猫吉さん

よろしければ、mixiコミュの方にも書き込みお願いします。


>演算記号の前の数と後ろの数は、違う意味を表しているという点である。
 
足し算と違い、違う種類の量をかけることが出来る、ということなんだろうか。順序派が「3×4と4×3は意味が全く違います」という論拠はこれもあるのかな?

 しかし殊更にそんなことを仰々しく言う必要があるのだろうか?

 数として抽象化してしまえばそんなことは関係なくなる。かけ算の教える初歩段階では物の個数など考えやすい物を扱うんだから、敢えてややこしく意味づけする必要もないのだろうが?

 出来ない子は抽象思考が難しいから数として抽象化するよりも、意味に拘った方が理解しやすいのか?

 抽象化した方がわかりやすいこともあると思うのだが、数学が出来る人間の傲慢さなのか?
積分定数
2012/06/14 00:37
実験「美人秘書」
積分定数
2012/06/14 00:40
「ちょうきょう(漢字表記)」が撥ねられる原因が分からなくて、「ちょうきょう(漢字表記) スパム」でヒットしたのにあった、「美人秘書の〜」ってのが書き込めるかどうか実験したが書き込めた。

 う〜ん、何なんだろう?気になる。
積分定数
2012/06/14 00:42
「ちょうきょう(漢字表記)」だと、

>書込みされたコメントはコメントスパム判定により制限されました。

と出る。
積分定数
2012/06/14 00:44
 すいません、そういえば、mixiのほうにも書き込もうと思って忘れてました。

 さきほど、mixiのほうにも書き込みしました。
鰹節猫吉
2012/06/14 01:01
http://togetter.com/li/318399

「高校での物理履修率が20%を切っている…!」
おおくぼ
2012/06/14 02:09
管理人が設定出来る「キーワードによるコメント制限」等でデフォルト設定されている。
コメントスパム対策で提供元のブログサービス全体に適用されている。管理人がON/OFFの設定が出来る場合もある。
って感じではないでしょうか。

ついでに書き込みテスト
「調★教師」(おかしな教師を揶揄してみた)
TaKu
2012/06/14 07:31
= 算数教育指南書の世界 =

柴田義松 監修 銀林浩・石井孝子 編著 「算数の本質がわかる授業 たし算とひき算」p34 日本標準

(銀林&石井両先生の指南書のつづきです)

 子どもたちは前回、同じものを3つ出すことを授業でしています。また、算数で3というのは、同じ種類のもの3つの集まりであることがわかっています。ですから、「3のもの(←ママ)を出してください」といっても意味がわかるので、今度は各人がそれぞれ同じものを3つそろえて出します。
 算数の3について、子どもたちがわかったことを、「鉛筆でも、消しゴムでも、同じ3でいいですね」と言葉で押さえます。

 次に、タイルへと移ります。子どもたちに、同じ3を表すときに、タイルを見せながら、こういうものを使って数を表すことを説明します。子どもたちは、何だろうという表情をしますが、全員にタイルを配ることを告げると大喜びします。一人ひとりにタイルを分けます。


↑ こういうのは、まずいんじゃないかと思うのだが…
鰹節猫吉
2012/06/15 01:36
 何を目的にした授業なのかサッパリ分からないが、

「鉛筆でも、消しゴムでも、同じ3でいいですね」と言葉で押さえます。

↑ が目的だとしたら、それじたいは結構なことでしょう、しかし、いくらなんでもひどい教え方ではないでしょうか。
鰹節猫吉
2012/06/15 01:39
> 東大模試で、ある漸化式が出てきて一般項を求める問題、解答にnCkというのが出てくる。前述したように、具体的にいくつか求めてみてあたりを付けて、という具合にやるのだが、意味重視の人はどうするのだろうか?
> nCkを「n個からk個選ぶ方法」と“だけ”認識していたら、こういう問題が解けないと思うのだが。


 たとえば、こんなのもある。

nCk = n(n-1)…(n-k+1)/k! だが、2項定理より

(1+x)^n = Σ {n(n-1)…(n-k+1)/k!}・x^k

これは「n個からk個選ぶ方法が何通りあるか」で解釈できるが、
|x|<1 の場合にテイラー展開してみるとやはり、

(1+x)^n = Σ {n(n-1)…(n-k+1)/k!}・x^k

「n個からk個選ぶ方法」以外の解釈もあるということ、だいたい、今度は n が正の整数でなくてもいい。
鰹節猫吉
2012/06/15 01:58
 私は反天皇主義者なのでこういう例を出すのはなんですが、「三種の神器」とかはどうなるのだろうか?

鏡と剣と曲玉は、「同じ種類の物」とはいえない。そりゃそうだ、三‘種’なんだから。

冷蔵庫と洗濯機、テレビはどうか?「家電」だから同じなのか?

レジで、商品の数をさして、「以上、3点お買いあげで・・・」とか言うよね。「何が3点なんだ?」と突っ込むのだろうか?

一体全体、何を教えたいのやら・・・

遠山啓が指摘した、林檎5個と蜜柑3個あったら、果物は何個?というような問いかけはよろしくない、

という話が、なんだか奇妙なことになっているような気がする。


「求差は求補とくらべて難しいから、丁寧に教える必要がある。大人にとっては『同じ引き算』と見えるが子どもには全く異なるように見える。だから、教える際には配慮が必要」

という話が、

求差と求残の区別を子どもが認識しなくてはならない

となってしまっているのと似ている。


「かけ算は累加ではない」という話もそう。

「累加で導入すると後で躓くから・・・」という主張には疑問もあるがそれはそれとして教え方の1つだろう。

 ところが、「累加ではない」と積極的に教える人が出てくる。


 教える上での方便を本質的な物だと思い込み、それを子どもに教えようとしておかしな事になっていると思われるケースが多々ある。
積分定数
2012/06/15 09:08
>「n個からk個選ぶ方法」以外の解釈もあるということ、だいたい、今度は n が正の整数でなくてもいい。

「かけ算を累加で導入すると分数や0のかけ算で躓く」という主張を敷延すると、nが自然数でない場合のときに躓かないように、コンビネーションの導入は最初からテイラー展開、あるいは2項定理として導入して・・・
積分定数
2012/06/15 09:35
「みはじ」だの「くもわ」だの、意味なんか度外視してとにかく答えさえ出ればいいという教え方がある。

一方で、「意味が大切」とか言って、具象に拘り続け、かけ算の順序だとか、等分除と包含除の区別だとか、求残と求差の区別だとか、愚にも付かないことを押しつける授業がある。


 どちらもろくでもない!


「抽象化することで、意味が希薄になる」という主張は、意味を軽視すべきとか、そういうことではないのだが、分かっていない人が多くて、「意味重視VS答えさえ出ればいい」の単純な対立を設定して、反順序派は「みはじ」派の側だと思い込んでいる節がある。

 しかも、私の知る限り、小学校では、「みはじ」を教えつつ順序に拘るというのが普通に行われているから、滑稽である。


 「意味が大切。考え方が大切」と言いつつ順序に拘る人は、本当に深く意味を考えたのだろうか?
積分定数
2012/06/15 09:36
 何度も例に出すが、http://ts.way-nifty.com/makura/2009/07/post-4df6.htmlでの、瀬戸智子氏とのやりとり

>せとともこさんは、これらについても割り算同様、足し算・引き算に、教える場合の便宜的意味の違いでなく、そもそもそれぞれ複数の意味があるという
という認識であるということでよろしいでしょうか?

>はい。
小学生にとっては、キチンと区別して教えていく必要の有る概念です。
大人にとって何気ないことでも小学1年生にとっては、
たし算の魔法なんですよね。
どういう言葉で書かれてくる問題がたし算に、
またあるときは引き算になるか、、、
を、しっかりと見ていくためには国語の力によるのですが、、、
「合併、添加、増加」は子どもにとって明らかに違う文法なのです。

を見ると、指南書をそのまま鵜呑みにして、ろくに深く考えていないんじゃないのかと思えてくる。この人自身が教師に算数の教え方を指南していたというのだから、恐ろしくなる。

●●●●
●●●●
●●●●

4が3つも、3が4つも、結局同じ事だね

こんな当たり前の話が何故通用しないのか?

「だから3×4も4×3も同じになるのか!」と自分で気づいた子が教師にこの大発見を説明したら

「そういう考えは良くないです。3×4と4×3は意味が全く違います。」

などと言うのが、「正しい算数の教え方」なのか!?
積分定数
2012/06/15 09:37
碁石が10個ある。ここから3個取り去ったら何個残るか?
碁石が3個ある。何個加えたら10個になるか?
白石が10個、黒石が3個。白は黒よりも何個多いか?

これらは上から、求残、求補、求差で異なる引き算である。だから子どもはこれらの区別をしないとならない。

こう主張する人に問いたい。

碁石が10個ある。ここから何個か取り去ったら7個残った。取り去った碁石の数は?

碁石がいくつかある。3個加えたら10個になった。元々いくつ有ったのか?

白石が10個、白は黒よりも7個多い。黒は何個?

これらはそれぞれ、どのタイプの引き算なのか?

いずれも、7+x=10のxを求める問題に帰着できるから、求補

などと言わないで欲しい。それなら、求残も求差も求補になってしまう。これら3つは最初に示した3つの問題の未知数が変化した物である。だから後に示した3つも互いに異なる引き算としないと、理屈が通じないはず。

碁石が10個ある。ここから何個か取り去ったら7個残った。取り去った碁石の数は?

は、

碁石が10個ある。ここから3個取り去ったら何個残るか?

という求残の問題の変形だから、求残なのか?しかし、残りを求めているわけではない。

そうすると、求残’とでも名付けるのか?

そうやってこれまでの分類に当てはまらない種類の引き算に出会うたびに、次々と引き算の種類を増やすのか?

それはいつまで続けるのか?

そんなことをするよりも、引き算の概念を理解してしまった方がずっと楽だと思うが、それは数学が得意な人間の傲慢差なのか?

こういう引き算、ああいう引き算、・・・、と延々覚えるなど、私は苦痛でやりたくもないが、出来ない子には、私が苦痛に感じるようなことが苦痛と感じないのか?
積分定数
2012/06/15 14:09
最初に、求差だの求残だのと分類したときは、

「そんなもの同じ引き算でい〜じゃん」というのが常識で、「それはそうなんだけど、敢えて分類すれば、ということ。別に俺だって引き算が3種類に分類できるなんて思っていないよ。でも、調べてみると、5人いて3人帰ったら何人になる、というのが出来る子でも、5人のグループと3人のグループでは、どちらが何人多いというのが出来ないんだよ。だから、そのあたり、子どもにとっては違いが有るんだよ」
「なるほど、そんなものか・・・」

てな感じだったんじゃなかったろうか?

その段階では「抽象化してしまえば結局同じ引き算」というのは敢えて言う必要もないぐらい当たり前のこと。

だから、「3種類有ります」というときに、分かりきった「でも本当は全部同じ引き算です」などということは言わなくなった。

そのうち、本当に異なる3種類があると思い込むようになってしまった。

ということではないのだろうか?


「太陽が東から昇る」、別に天動説を信じているわけじゃないよ。そんなこといちいち言わなくても当たり前だから分かるでしょ。

「太陽は東から昇って西に沈む」、本当は地球の方の時点によって見えるだけだと、誰もが知っているからいちいち言わない。


で、気づいたら、みんな天動説を信じていた。


ということ?
積分定数
2012/06/15 14:25
抽象化が重要なことは遠山啓も力説していたことだけど、「掛け算の正しい順序」という誤解が起こる原因は、抽象化ではなく、論理的な整合性の軽視だと思う。
数学は国語よりも論理の整合性を重視する。
だから算数(数学)教育で、論理の整合性が軽視されていれば、国語教育ではもっと酷い状況なのは簡単に予想がつく。
おおくぼ
2012/06/15 21:06
こないだ紹介した調査発表に疑問の声が・・・。

「日本数学会による大学生数学基本調査への疑問」

http://d.hatena.ne.jp/enomoton2011/
おおくぼ
2012/06/15 21:15
「答が○○枚の形になるなら枚のついた数を掛け算で左に書き、答が○○個なら個のついた数を左に書く」のような掛け算の順序に関するルール(所謂サンドイッチルール)を設定して、「3枚皿があります。各々の皿にりんごが4個のっています。りんごは全部で何個ですか?」のような問題を出して、「3×4=12」という式は最初に設定したルールに基いて不正解だとする。

さて、おおくぼさんに質問です。このような教え方のどこに「論理的な整合性の軽視」(←実は例を挙げて説明してもらわないとこれの意味がよくわからない)があるのでしょうか?

批判されている教え方の典型例が上のような教え方です。ぼくはそういう教え方を「論理的な整合性の軽視」と言うことには抵抗があります。

「あれにも、これにも、それにも、全部同じ掛け算を適用できる」という事実を積極的に教えようとしないことに付ける名前は「抽象化の軽視」の方がぼくは適切だと思う。
くろきげん
2012/06/15 23:39
もしかしたら、「抽象化」という言葉に「現実世界から離れる」という意味を読み取ったせいで、その言葉を使いたくないのだとすれば(この仮定は単なる仮定!)、そこにはかなりの誤解があると思います。

「抽象化」のメリットのひとつは「適用できる範囲が拡大されること」です。「抽象化」したおかげで現実世界の中で適用できる対象はどんどん増えて行くわけです。

物質的もしくは直観的にはまるで関係が無さそうに事柄であっても完全に同じ数学的仕組みを適用できる場合がある、という事実について算数の段階でたくさん学ぶことになります。

これはとても大事なことなので、算数を正しく理解できた人はそれだけでかなりの得をしていると思います。
くろきげん
2012/06/15 23:49
訂正
×「まるで関係が無さそうに事柄」
○「まるで関係が無さそうに見える事柄」
くろきげん
2012/06/15 23:50
くろきげんさんへ

私の主張は・・・教育者側は交換法則が正しいという知識を持っていることが前提になっています。
だから交換法則に反するルールを適用すると矛盾します。
だからサンドイッチ・ルールを導入し、サンドイッチ・ルールのみを正解にすれば、交換法則に違反します。
この違反を軽視するのが、「論理的な整合性の軽視」です。

抽象化に関しては、抽象化しても交換法則との整合性を軽視する立場なら、「掛け算の正しい順序」は出てきます。
私が疑問なのは、「抽象化すれば論理的な整合性は重視されるのか?」ということです。
おおくぼ
2012/06/15 23:52
追記

>「あれにも、これにも、それにも、全部同じ掛け算を適用できる」という事実を積極的に教えようとしないことに付ける名前は「抽象化の軽視」の方がぼくは適切だと思う。

これには賛成です。
でも、これが「掛け算の正しい順序」の原因でしょうか?
おおくぼ
2012/06/16 00:05
「抽象化の軽視」が主要な原因であることはまちがいないでしょう。

(具体的な状況でひとかたまりになっている個数)×(それがいくつあるか)=答え

という書式で書かなければ、かけ算の順序が正しくないからバツだというのですから。


 論理的整合性があるかどうかは、何を前提に話をしているかによりますね。

 1あたり×いくつ分 を前提としているのでしたら、確かに論理的整合性が無い。「1あたり」は「具体的な状況でひとかたまりになっている個数でなければならぬ」とはひとことも言ってないのですから。

 もし、「サンドイッチルールに従っていなければバツ」とか「1皿にのっかっているお菓子の数など、問題文から具体的な状況を読み取ってひとかたまりになっている個数を×の左に書け。」とかいうのを前提にしているなら、いちおう理屈はとおっている。(世間一般の常識からは大幅に逸脱していますが…)
鰹節猫吉
2012/06/16 00:27
鰹節猫吉さんへ

>(具体的な状況でひとかたまりになっている個数)×(それがいくつあるか)=答え
>という書式で書かなければ、かけ算の順序が正しくないからバツだというのですから。

これがバツだという論理的な根拠を、教育者側は気にしないのでしょうか?
無条件に受け入れるのでしょうか?
例えばアメリカ式は逆で、アメリカ式も正しい。
だから「掛け算の正しい順序」に数学的な根拠はない。
これは論理的な整合性を重視すれば、出てくる結論だと思います。



「抽象化の軽視」が原因と仮定した場合、数教協の銀林浩さんなど、数学ができると思える人々が「掛け算の正しい順序」を主張するのは何故なのでしょう?
おおくぼ
2012/06/16 01:00
追記

数学は抽象化によって作られて来たのだと思います。
そして抽象化する訓練は、数学を学ぶことに繋がります。
おおくぼ
2012/06/16 01:16
すくなくとも サンドイッチは論理的ですよ。マルバツの判定基準に曖昧さはありません。

具体的状況を読みとってひとかたまりの個数云々はまだ曖昧さがある。

そこを突っ込まれないようにサンドイッチルールを導入するというのはまさに 理論武装 ですね。

鰹節猫吉
2012/06/16 02:13
鰹節猫吉さんへ

例えば、逆サンドイッチ・ルールを適用していいる学校があるとします。
その場合はサンドイッチ・ルールと逆サンドイッチ・ルールのどちらが正しいのかという疑問が生じます。



抽象化の反対は普通、具体化です。
でも、この文脈では「抽象化の反対」は「条件反射的な暗記」ですね。
サンドイッチ・ルールも条件反射的な暗記の一つですね。
サンドイッチ・ルールは「日本式掛け算の正しい順序」を前提に作られていると思います。
「日本式掛け算の正しい順序」を公理にした体系を作れば、サンドイッチ・ルールは論理的に正しくなります。
しかし教育者側は、掛け算で交換法則が成り立つことを知っています。
そうすると、「日本式掛け算の正しい順序」が公理である体系では、交換法則が成り立たないことが論理的にわかります。
そして「交換法則が成り立たないのはおかしい」と論理的に気づきます。
おおくぼ
2012/06/16 08:37
 おおくぼさんの主張は要するに、

 本来どちらでもいいはずなのに、どちらかいっぽうが正解でもういっぽうが不正解ではおかしいと気づくはずだ。気づかない人は、論理的に考えていない。

 おっしゃることはもっともですが、問題なのは、「気づいているにもかかわらず」「新しいルールを増やしてでも」正しい順序を正当化してしまう人が少なからずいるということであります。

 たとえば、銀林浩氏はどのように言っているか ↓
鰹節猫吉
2012/06/16 09:50
>「抽象化」のメリット

ネタか実話か知らないけど、とある数学者の名言、というのを思い出した。

「君の話は具体的すぎてよく分からない。もう少し抽象的に話してくれ」

 世間一般だと、抽象的=曖昧、と捉えられがち。

同様の言葉に、「適当」がある。

適当な実数xについて、2x+3=19 がなりたつ。

「言われたとおり、テキトーなxでやってみたけど、ならないよ〜」
積分定数
2012/06/16 09:51
 かけ算の順序だけでなく、何種類もある足し算だとか引き算だとか割り算だとか、そういうのから見えてくる物は、

抽象化の軽視、誤った意味重視、

だと思う。

加減乗除だけではない。

割合分数と量分数、これだって本質的な区別があるわけではないにも関わらず、あたかもこれらが全く別物で有るかのように指南書に書いてある。

 1/3m 
全校生徒の1/3

このときの「1/3」は、同じか?、違うか?数の概念にまで抽象化したら同じ。

2m
6mが3mの2倍

両者の「2」が同じであるのと同様。

自然数の場合と異なり、分数だと「〜倍」の「倍」を省略した言い方がなされる場合があるので、子どもが混乱しないように配慮すべき。

 というだけの話が、「割合分数と量分数」という話になってしまい、

もしかしたら、「これはどちらの分数?」などと子供に問う人もいるかも知れない。

1/3mは、1mの1/3 と捉えて、割合分数と見なすこともできるわけで、厳密な区別は不可能。

 区別が不可能・不要にも関わらず、区別を強要することは、抽象化の否定。
積分定数
2012/06/16 10:03
銀林浩 人文的数学のすすめ 日本評論社 p110

 たとえば、すでに例として引いたように、不等式は数直線のイメージと合わせて、

 小 < 大

のように右が大きくなるように書く方が呑み込みやすい、また、同じ公式を書き記すのでも、逆算に移行しやすい積の形(第2用法)

 (内包量) × (土台量) = (全体量)

の方が具合がよいのは、人間が本来もつバランス感覚が働いているせいかも知れない。幾何図形の頂点や辺に適切な記号を当てがうことが、些細なつまらぬことのように見えてもいかにたいせつかは、数学教師は肝に銘じているところであろう。

 こうした例から、数学を支える人間の知的働きとしては、思考や論理ばかりでなく、直感や知覚といったものが深層において働いていることがうかがわれる。とはいっても、この点についての研究や論稿はきわめて少なくほとんど皆無なので、いったいどれだけのことが書けるか心もとないが、まあやってみよう。
鰹節猫吉
2012/06/16 10:03
↑ 余計なルールが大増殖しています。見ての通りです。

↓ 金子晃氏の場合
鰹節猫吉
2012/06/16 10:08
金子晃 線形代数学講義

 実は数学の本質は抽象化の過程にあるのです。広く学問全般が普遍の真理を探究するという意味で、多かれ少なかれ抽象化を目指していますが、とりわけ数学は、自然科学のあらゆる分野から知識を吸収し、そのエッセンスを抽出することによって発展してきました。その意味で、どんな科学も最後は数学となるのです。抽象化し普遍性を持たせることによって、知識が他分野と共有できるようになり、思いがけない応用の道も拓けるのです。
鰹節猫吉
2012/06/16 10:12
 余計なルールをつくる人の思考回路

 @どっちでもよいなど、百も承知だ馬鹿にするな。
 A子どもは、どっちでもよいだと混乱するのだ。そんなこともわからんのか。
 Bどっちでもよいなら、どっちかに決めてもいいのだ。
 C子どもに分かりやすいほうに決めたのだ。
 D私は正しいことをしているのだ。文句あるか。
鰹節猫吉
2012/06/16 10:21
基数と順序数というのも、その類だと思う。

 行列(マトリックスではなくて、何かの順番待ち)に並んでいて自分が先頭から7番目というのは、自分も含めて先頭までの人数が7人ということ。

 「これは順序数か?基数か?」と言われた場合、「あえていえば、どっちかというと順序数というイメージ」というようなことは言えても、区別はできないし区別する必要もない。

 3月と3ヶ月の違いが分かればいいわけで、順序数と基数を区別する必要はない。

 遠山啓が数え主義を批判して、数を基数として導入したのは理解できる。

 しかしこれまでの例からしたら、順序数と基数の区別を子どもに強要する人がいてもおかしくない。実例は知らないが。

 順序数と基数の違いなど集合論を勉強するまで意識すらしたことない。集合論の本に、余談的に「3と言った場合に、3つの物をイメージする人と、3番目の物をイメージする人がいる」と書いてあって、「ふ〜ん」と思った程度。

 集合論で基数(濃度)と順序数で違いが生じるのは、無限集合でのこと。有限集合では両者の区別はない。

 ペアノの公理を満たしさえすれば、それを自然数と見なして構わない。

●,●●,●●●,・・・

という感じで捉えようが

●●●●●・・・・

の一番左を1,1つ右を2,・・・

と捉えても構わない。
積分定数
2012/06/16 10:25
 金子晃氏のほうがまともなのは明らかですが…
 (比較の対象にするのが失礼な気がするが…)

 教育業界の人たちの思考回路は、

 余計なルールを増やしてでもいいから、とにかくマニュアルどおりに手を動かすほうが教育効果がある場合があることは否定できない。だから、これでいいのだ。

となってしまう。

 確かに指図されたとおりに手を動かすことが必要になる場合もある、

 だが、それは算数教育ではないでしょう。

 これでいいのだではこまるのだ。
鰹節猫吉
2012/06/16 10:28
>抽象化の反対は普通、具体化です。

私の場合、大量の具象の総計が抽象、というように捉えています。

 順序派の反順序派への見当違いな批判として「最初から3×4=4×3だなんて教えるのは・・・」というのがある。もちろん典型的な藁人形叩き。

 色んな具体的問題に触れる中で頭の中に自然数や演算に関する構造が徐々に作られて、いつの間にか、3×4と4×3を区別することがなくなっている、というのが抽象化の1つのあり方だと思う。

 抽象化ということを意識しなくても自然に気づかないうちに行っている、という感じ。

 微分をある程度やった後に、

sin(x^2)とか、色々やってもらう。

微分の定義式からはじめて色々試行錯誤して正解に行き着く。

この類の問題をいくつも出す。

仕上げに、f(g(x))という合成関数の微分の微分をやってもらう。

具体的な事例でさんざんやった後だからすんなり導くことが出来る。

df(g(x))/dx=df/dg・dg/dx
=f'(g(x))・g'(x)

などというのを説明しても、「なんだかよく分からない式変形」として思えないだろう。
積分定数
2012/06/16 10:37
 工場で単調作業をやっているのを見たことがあります。

 ダンボール箱に fragile と英語で印刷してあるんですが、この上に 取扱注意 というシールを貼り付けていくんですね。

 fragile じゃないところにシールを貼り付けた作業員が自己批判をさせられていました。

 まるで、かけ算の正しい順序みたいですね。
鰹節猫吉
2012/06/16 10:38
算数でどのような教え方をすれば良いのか考えているのですが、「順序はどちらでもいい」より「順序はどちらも正解」まで突っ込んだ教え方をする必要があるような気がします。

饅頭がひと箱に3個。箱は5つ。全部で何個ですか。思いつく式をあげなさい。
と質問し、
3×5
5×3
3+3+3+3+3
等を正解例とします。

ひとつの問題に対して複数の式を正解とし、色々な考えで答えを出していい事を印象付けるのです。
例えば求差を習ったとして、「この問題は求差である」ではなく「この問題は求差で考えると分かり易い」のように考える礎にならないでしょうか。
TaKu
2012/06/16 10:42
>@どっちでもよいなど、百も承知だ馬鹿にするな。

ミイラになってしまったミイラ取りも多いように思うのだが・・・

 ど〜でもいいくだらない話を思い出した。


もう20年以上前だが、鈴木邦男が「頑張れ新左翼」という本に書いたあったこと。

 日本赤軍のメンバーがフィリピンで逮捕されたことがあった。ゴルフ三昧の生活だったらしい。

 鈴木邦男の知り合いの右翼の活動家が、

 「なるほど、ああやって権力の目をごまかしていたのだか。敵ながら天晴れ。俺も天下国家のため、警察権力の目をごまかすためにやりたくもない夜遊びをしなくてはならない。大石蔵之助はそうして主君の敵を討ったではないか」と言って飲み歩いていたそうです。

 悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。吉田 兼好 徒然草

 その人が抽象化の重要性を分かっていようがいまいが、順序だの求差と求残の区別を強要するのであれば、それは抽象化の否定である。
積分定数
2012/06/16 10:49
>同じ公式を書き記すのでも、逆算に移行しやすい積の形(第2用法)
 (内包量) × (土台量) = (全体量)
の方が具合がよいのは、人間が本来もつバランス感覚が働いているせいかも知れない。

「具合がよい」の?私は全然そんなこと感じたことないけど・・・

 単なる確証バイアスじゃないの?
積分定数
2012/06/16 11:13
> おおくぼさん

見ての通りで、銀林氏は、おおくぼさんのおっしゃる論理的整合性を超越しちゃってるのです。


おおくぼさんは、どっちでもいいはずなのにどっちかいっぽうだけ正解はおかしいというが、それがどうした?私はどっちかいっぽうだけ正解になるようにルールを新たに増やしたたんだぞ、子どもに分かりやすいようにルールを決めたんだぞ。私は正しいことをしているんだ。おおくぼさんは、正しいことをしている私を攻撃するのか?


↑ おおくぼさんとは別の世界の人なわけです。

鰹節猫吉
2012/06/16 12:16
おかしな主張をする人の論理は、どこかおかしい場合が少なくないのだから、順序に拘る人は論理的整合性を軽視している、と言うのはあながち間違いではないのかも知れないのですが、それは、「順序に拘る人はおかしな事を言っている」というようなもので、トートロジーという気がします。

 その背景に、抽象化の否定、あるいは抽象化が理解できていない、というのがあると思います。

 そのような抽象化の軽視を批判しているのに、数学者である根上生也氏は、抽象化を否定する算数を防御してしまっているわけです。

倍と積の違いがど〜たら、
http://www.twitlonger.com/show/f6hhr2

http://kamome.lib.ynu.ac.jp/dspace/bitstream/10131/7568/1/design1-14.pdf
 ここで、引き算の説明がされているけど、「同じ引き算じゃないか」という認識を批判している一方で、「求残・求補・求差を区別する授業」を批判してはいない。
積分定数
2012/06/16 14:12
 一方で、やり方を教え込む教師を、「ダメダメ教師」「最低」と評している。

抽象重視派 抽象軽視派 「みはじ」派

この3つを並べたときに、彼の頭の中では

抽象重視派≒「みはじ」派

となっているのではないだろうか?

「そんなの全部引き算でい〜じゃん」
「そんなの、『みはじ』で出るじゃん」

というのは駄目なんだ。意味を考えないと。

10個から7個取り除くといくつ残るかと
白石10個、黒石7個、白は黒よりも何個多い?

では、違うんだ。「同じ引き算でい〜じゃん」ではないのです!

 結局彼は、

抽象化の前に具象で試行錯誤するステップが必要
私がやっているみたいに、合成関数の微分の公式を出す前に、sinx^2の微分などで苦しんでもらうというようなこと。

という話と、

 求残も求差も同じ引き算であって違いが分からない、という正しく認識している子にまで理不尽に区別を強要する

という全く異なる2つの現象があり、

私を含めた反順序派(の中のどの位の割合がそうであるか走らないが)が後者を批判している

というのが理解できなくて、前者への批判だと思い込んでしまっているようだ。

 彼は「自分は教育の現場を知らないと批判される立場にない」と言っているが、本当に現場を知っているのだろうか?
積分定数
2012/06/16 14:13
削除されてしまったツイートより

>(傾き3の)一次関数の式をかけと言われて"y=3x"と書いたら、×をもらった息子
>息子によると、先生曰く「定数項がゼロなら+0を書かなくてはいけない」とのこと。これには、絶句でありました】

>先日の数学のテストのツイートの後日談ですが、先生に手紙を書いて問題点を指摘したところ、誤答の判断は訂正され正答となりました。

>ということで、過去の関連ツイートは削除しました。
https://twitter.com/drug_discovery/status/213629138383282176
M
2012/06/16 17:29
>見ての通りで、銀林氏は、おおくぼさんのおっしゃる論理的整合性を超越しちゃってるのです。

「超越」というのは「軽視」だと思います。
矛盾が生じているのがわかっているなら、真剣に受け止めるべきです。
数学は矛盾を重視します。
これは背理法でも帰納法などを見ればわかります。
銀林浩ほどの数学者なら、「新しい公理を加えれば問題が消える」という考えはしないはずです(・・と信じたい)。
だから「量の体系」という詭弁を持ち出すのです。
銀林浩さんは「量の体系」は「数学の体系」でないから、「数学の体系」では成り立たないことでも許されると考えている節があります。
おおくぼ
2012/06/16 19:11
追記

>余計なルールをつくる人の思考回路
>@どっちでもよいなど、百も承知だ馬鹿にするな。
>A子どもは、どっちでもよいだと混乱するのだ。そんなこともわからんのか。
>Bどっちでもよいなら、どっちかに決めてもいいのだ。
>C子どもに分かりやすいほうに決めたのだ。
>D私は正しいことをしているのだ。文句あるか。

「Bどっちでもよいなら、どっちかに決めてもいいのだ。」これは「どっちでもよい」という意味を勘違いしていますね。
「片方に固定してはイケナイ」という意味ですから。
勘違いしていないとするならば、@とBには矛盾があることに無頓着な人でしょう。

この教育者は自分が受け持っている生徒(子供)に対して・・・
1 「全ての子供が掛け算の順序で混乱する」
2 「全ての子供は掛け算の順序に関して同じ反応をする」
という前提なのでしょう(「全ての子供」と考えている極端な人はいないと思うけど)。
そして新しいルールを導入して矛盾が生じることによって、生徒に新しい混乱が生じるとは考えないのでしょう。

だから余計なルールをつくる人の思考回路には・・・

混乱を防ぐために新しいルールを導入 → 別の混乱が生じる。

・・・という予測が弱いのでしょう(推測)。
おおくぼ
2012/06/16 19:32
追記

抽象化は数学を理解するのに重要なのに、軽視されているのは何故なのでしょう?
推測すると・・・。

1 条件反射的な暗記主義の方が、即効性がある。
2 個人差が出やすい(抽象化が苦手な生徒を、どのように教えればいいかわからない)。
おおくぼ
2012/06/16 19:45
追記

積分定数さんのコメントを読んで思ったのは、もし積分定数さんと同じ疑問を持つ小学生(中高生でも可)が現れた場合、先生はどう対応すればいいのか?・・・です。

あるいは積分定数さんと同じ疑問を持つ親が、学校に乗り込んで来た場合とか・・・。
おおくぼ
2012/06/16 19:50
>追記

逃げ口上の1つが、「そのような優秀な子であれば、教師が望む順序も分かるだろう」というものだと思います。

 実際、教育委員会の指導主事はそのようなことを言っていました。

 技術開発者氏は「待っていればいい」


 「本当は順序なんかないのだが、先生は教えるための方法でそうしているのだな。仕方がない、つき合ってやるか」というような優秀な生徒なら問題ないでしょう。

 でも、「出来ない子」がこのような本源的に気づくことはあり得ないのか?「それは間違い」などと言われて混乱しないのだろうか?

 指導主事にしろ技術開発者氏にしろ、そのあたりがあまりにも表層的。

 非本質的な恣意的なルールは、自分で検証して見つけることが出来ないから覚えるしかない。

 これを本質的な物と勘違いして、そのように理解しようとして、でもどう考えても3×4と4×3は格子状に並べたら同じになってしまう・・・ということで混乱する子は皆無なのか?
積分定数
2012/06/16 23:01
なにしろ内包的外延量ですからね。

都合が悪くなったらまた新しい決まりを作るだけなんですよ。

それが良いことだと思ってやってるわけですから。

鰹節猫吉
2012/06/16 23:12
おおくぼさん曰く
>私の主張は・・・教育者側は交換法則が正しいという知識を持っていることが前提になっています。
>だから交換法則に反するルールを適用すると矛盾します。

「交換法則に反することを教えるのはけしからん」という理解の仕方をtwitterで見掛けるたびに、ぼくは

http://d.hatena.ne.jp/filinion/20101118/1290094089

を紹介していました。これを好んで紹介していた理由は、現役の教師による算数教科書最大手の東京書籍の教科書指導書の内容を紹介しているからです。まさに批判のメインターゲットにするべき対象だと思います。

ポイントは二つ:

1. 掛算の順序に関するルール(約束、conventon)は図や文章で示された具体的場面を式に直す段階(式を立てる段階、立式の段階)のみに適用される。

この「立式」というのが超要注意キーワード。「立式」にまつわるごたごたは掛算の問題だけではない!

2. 式を立てるときの掛算の順序に関するルールは実質的にサンドイッチルールになっている疑いが強い。

http://d.hatena.ne.jp/filinion/20101118/1290094089
から東京書籍の教科書指導書の内容を孫引き:
>・6×7と立式する子どもにはあめの図をかかせ、同じ数のまとまりは6なのか7なのかをしっかりとつかませる。
> また、6×7では、6人が7つ分になり、答えは子どもの人数となってしまうことをおさえる。

これはサンドイッチルールに限りなく近いルールであるとみなせます。
http://www18.atwiki.jp/kakezan/pages/15.html
くろきげん
2012/06/17 08:48
「立式」での掛算の順序に関する約束は抽象化された掛算の交換法則と論理的には矛盾していません。「立式」というキーワード抜きにこの問題を正しく理解することは無理だと思う。

論理的整合性の軽視を指摘するならば、サンドイッチルールと算数教育の主流専門家たちが重視している「一つ分と幾つ分」の概念の違いについて指摘するのが良いと思います。

一つ分と幾つ分は考え方によっていつでも逆転できるので、一つ分と幾つ分の区別によって「立式」における掛算の順序のルールを決めることは不可能です。そのことに気付いているからかどうなのかわかりませんが、教育現場では実質的にサンドイッチルールで「立式」における掛算の順序に関するルールを決めているように見えます。サンドイッチルールにしてしまうと算数教育の人達が大事だと言っている一つ分と幾つ分の概念についての教育ではなくなってしまうことを関係者はどこまで認識しているのか?
くろきげん
2012/06/17 08:51
また日本語がおかしかった。

誤「現役の教師による算数教科書最大手の東京書籍の教科書指導書の内容を紹介しているからです。」
正「現役の教師が算数教科書最大手の東京書籍の教科書指導書の内容を紹介しているからです。」

ぼくは掛算の順序こだわり教育の問題は「立式」にまつわるごたごたという氷山の一角に過ぎないと思っています。

twitterの方で紹介していた掛算以外の事例は
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/LaTeX/20101123Kakezan.html#tsuiki20110225a
の「Cちゃん」の事例。「Cちゃん」は運が良かっただけだと思う。
くろきげん
2012/06/17 08:56
> 論理的整合性の軽視を指摘するならば、サンドイッチルールと算数教育の主流専門家たちが重視している「一つ分と幾つ分」の概念の違いについて指摘するのが良いと思います。

そうですね。

>「立式」での掛算の順序に関する約束は抽象化された掛算の交換法則と論理的には矛盾していません。

例えば・・・
2+2+2
これを掛け算にする時に、
2×3
という順序に書くルールを強制したとします(逆の順序で書くことは不可とする)。
そして3+3は3×2という順序で書くルールを強制したとします。
このルールが交換法則と矛盾しているのは明らかだと思うのです。
でも、この例は、<「立式」での掛算の順序に関する約束>ではありませんけど・・・。
おおくぼ
2012/06/17 11:58
 そういえば、市教委と話し合いをしたときに、

5人家族がいて、各自毎日1個ずつ林檎を食べる。この家族は3日で何個の林檎を消費するか?

はどうなるのか?と質問したら、

「そういう問題は出さない」と言われた。

「4人に3個ずつ蜜柑を配る」というのも、状況が曖昧だからかけ算導入段階では出さないと言う。たとえば、「袋に3個入ずつ入れて、4人に配る」というように、3が1つのカタマリであることが明確になるような問題にするとのこと。

 論理的整合性がないというよりは、整合性が破綻しない(様に見える)問題しか扱わないということのようです。

 自縄自縛に陥っているようにしか見えないのですがね。
積分定数
2012/06/17 12:28
 教える上での配慮から、出す問題に制約を課すこと自体は一般に否定されるわけではない。

 673人に38個ずつ蜜柑を配る

などというのを導入段階で扱わないのは当然。


>なにしろ内包的外延量ですからね。

似た例を探してみた

豪華粗品、社会主義市場経済、ネオコン(新保守)、サブプライム、・・・
積分定数
2012/06/17 12:40
立式は特別という考えは a=b なら b=a という考えに反していると思います。
a と立式して a=b なら、最初に b と記述しても誤りではないはずです。
立式という概念を使用するなら最低限でも a→b 等と記述する必要があると思います。
TaKu
2012/06/17 14:12
3×2 を 3+3 と定義し、
2×3 を 2+2+2 と定義しても、
交換法則 3×2 = 2×3 とは矛盾しませんよ。

数学の教育現場で定義通りに書かせてみて、定義を覚えているかどうかを確認することはよくあることです。

掛算の順序にこだわるのはそういう話だと誤解する人がよく出て来るのですが、実際にはその典型例はサンドイッチルールの強制に過ぎないのだ。

そして算数の段階で定義にこだわってくだらないこだわりを子どもの心に植え付けるのは止めた方が良いと思う。
くろきげん
2012/06/17 22:43
 算数・数学教育関連の書籍を調べています。
 根上生也氏・桜井進氏の対談本 「計算しない数学、計算する数学」 を入手しました。

-----------------------------------------------------------
根上生也・桜井進 著 「計算しない数学、計算する数学」 技術評論社 p127

(桜井進氏発言) システムというのは、本来、綻びがあってはいけないわけです。たとえば自然数では、君たちが小学校から習っている割り算は、いちばん大きな「体=四則演算について閉じている集合」である、という世界だったりする。そんなことは小学校では教えないのですが、そういうシステムの中に、すべてがうまく組み込まれたルールもあるといったルールの仕組みを教えている。納得してルールがわかると、その後は「こういう難しい問題を、そのルールだけを使ってできるか」というなぞなぞにします。正解できたときにはなぜうれしいかと言えば、それは単純なことなのです。自分がルールを使いこなして、謎を解きあかした。たとえそれが与えられた問題であるにせよ、子供たちは自分で解く楽しさを経験できる。
-----------------------------------------------------------
鰹節猫吉
2012/06/17 23:42
> たとえば自然数では … いちばん大きな「体=四則演算について閉じている …

 自然数が四則演算について閉じてますか?
 2−3 や 2÷3 が自然数の範囲でできますか?

 「いちばん大きな」っていうのも意味不明ですね。
 四則演算で閉じている(0で割るのはダメですが)ってだけなら、実数じゃなくて有理数だけでもいいんですから、「いちばん大きな」って意味不明ですね。

 結局、何を言っているのかわけがわからない。
 対談本ですから、話の流れの中で、ちゃんと確認しないで思いつきをしゃべってしまうこともあり得る(私もそういうまちがいをすることはあります)のですが、本にする段階でちゃんと確認しないとまずいでしょう。
  桜井進氏の場合、こういういいかげんな話が多すぎる。わきがあまいというのか、非常にまずい。
鰹節猫吉
2012/06/17 23:46
くろきげんさんへ

> 3×2 を 3+3 と定義し、
> 2×3 を 2+2+2 と定義しても、
> 交換法則 3×2 = 2×3

これは導くことはできます。

でも掛け算の交換法則とは、A×Bの式でAとBの順序を入れ替えることができることですから。
足し算から掛け算に表現を変える時に、AとBの順序を固定してしまうことは、順序の入れ替え禁止になるのではないでしょうか?
おおくぼ
2012/06/18 00:27
歴史的に推理すると・・・
1951年の「掛け算の正しい順序」は・・・足し算から掛け算に表現を変える時に区別をして、順序を固定するヴァージョン。

1980年代の「掛け算の正しい順序」は、「一つあたり、幾つ分」と「1951年の掛け算の正しい順序」のミックスしたヴァージョン。
だから「一つあたり、幾つ分」は「掛け算の正しい順序」ではないのにもかかわらず、「掛け算の正しい順序」のルールとして解釈されるよう強制された。

単位に注目したサンドイッチ・ルールは、1980年代のミックスしたヴァージョンを理解できない生徒のために、作られたのではないでしょうか?

サンドイッチ・ルールは、生徒が答えの単位を迷わなくてすむという利点があります。
その理由で作られた可能性も高いです。
おおくぼ
2012/06/18 00:52
混乱してきたので、この掲示板を読んでいるみなさんに質問します。

2+2+2を掛け算に変えた答えで、2×3を正解にして、3×2を不正解にするルールを作ったとします。
これはサンドイッチ・ルールでしょうか?



2+2+2は、2×3でも3×2でも、どちらの表現に変えても正解です。
この理由は何故でしょう?
おおくぼ
2012/06/18 01:43
おおくぼさんが批判したいと思っているのは具体的にどこの誰なんでしょうか?他の人がやっているように批判対象の文章を具体的に引用してそれにコメントするという形式で議論を進めて頂けると嬉しいです。

数学があまり得意でなかった人が小学校の先生になった場合には数学的な事柄について論理的に瑕疵のある考え方をしてしまうのはある程度仕方がないことだと思います。 (ぼくも自分が得意でない話について小学生に教えろと言われるとやはり困ります。)

算数教育の専門家はそういう教師をサポートする役目を果たすべきです。しかし、実際には混乱の発生源にもなってしまっている。これが大問題なのだと思います。紹介した東京書籍の教科書指導書の説明はそのような事例の典型例として挙げました。

あと、メタメタさんが何度もあちこちで繰り返し強調しているように、現在の算数での掛算導入の方法は「2+2+2を2×3と書く」ではありません。「一つ分と幾つ分」の流儀になっています。

そして、基本的に掛順こだわり教育でも「2+2+2=2×3」という計算はバツにはなりません。図や文で示された具体的場面を式に直す「立式」の段階にのみに掛算の順序に関するこだわりが適用されることになっているようです。おおくぼさんはこの点をまだ理解していないのだと思います。

そしてぼくがずっと強調し続けていることは「式だけから具体的場面が読み取れるようにする」という発想は不自然でかつ不合理であり、そういう不合理な考え方を子どもに教え込むのはものすごく有害だということ。読み難いですが、詳しい内容は以下の場所に書いてあります。
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/LaTeX/20101123Kakezan.html
くろきげん
2012/06/18 08:07
またやってしまった。ごめんなさい。訂正です。

誤:掛順こだわり教育でも「2+2+2=2×3」という計算はバツにはなりません。
正:掛順こだわり教育でも「2+2+2=3×2」という計算はバツにはなりません。

もう一度URLを貼り付けておきますが、
http://d.hatena.ne.jp/filinion/20101118/1290094089
は非常に参考になると思います。

文章題での「立式」ではバツになっても、「計算」ではマルになるというのが基本的なパターンなわけです。
くろきげん
2012/06/18 08:14
>根上生也・桜井進 著 「計算しない数学、計算する数学」 技術評論社 p127

話し言葉だから、つい間違えた。あるいは、対談した録音をも時に起こして編集する段階で、編集する人がよく分かっていなくて間違えた。桜井氏もチェックが不十分だった。

 てなところでしょう。さすがに、自然数を体などという初歩的な誤解はしていないと思います。まあこういうすぐに嘘だと分かる記述はさほど実害はないともいえるのですが、その後の部分は何を言いたいのかよく分からない。

 算数・数学の面白さの1つは、違うように見えていた物が実は同じだと気づく瞬間。

 微分の逆演算と区分求積、三角関数と指数関数、−(−a)=a  1/(1/a)=a この2つが、「逆元の逆元は元の元」と統一できると言うこと。「元の元」は「もとのげん」と読む。

そして、3が4つと、4が3つが実は同じ。
等分除と包含除が実は同じ

実に面白いし。また、同一視の段階で不要な情報を捨て去る場合が多いので、実用性も高い。

 2つの量をかければ答えが出ると分かれば、ただかければいい。どちらが1あたりでどちらがいくつ分かなどと気にする必要は全くない。
積分定数
2012/06/18 08:15
図や文で(特に文章題で)示された具体的場面から「立式」することについてどのような考え方があるかについて検索エンジンで調べてみるとかなり興味深いです。

典型的だと感じたものを
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/LaTeX/20101123Kakezan.html#20110821jirei
に事例集としてまとめてあります。

たとえばそこの事例4(掛順こだわり派の現場教師の事例)には

|子どもたちに伝えるとしたらこんな感じです。

|「式っていうのは、算数では言葉なんだよ。思っていることや考えていることを
|式に表して伝えることができるんだ。だから、式から考え方が分かったり、式に
|しようとすることで考えが深まったりするんだね。」

これ、穏健に解釈すれば問題ない発言だと思うんだけど、これを理由に文章題の「立式」では掛算の順序が逆だと誤りだとされてしまうと困る。「式だけでは考え方は伝わらない」という事実は強調されてしかるべきだと思う。
くろきげん
2012/06/18 08:27
何らかの分野の専門家が、一般向けに本を書いたり、テレビで発言したりすると、

「ろくに研究もしないで大衆受けすることばかりやって・・・」とか、「いい加減なことを書いてある」とか批判されるというのは、よくありがち。

 専門家以外の人に広く知ってもらうことも必要だし、その際にわかりやすい表現にすることで正確さが失われる面もあると思う。

 一方で専門家からしたら、「そこは違うだろう」と言いたくなるときもあるかも知れない。マスコミで取り上げられたりしたらやっかみも絡んでより反発が強くなるかも知れない。

 ということで、

一般の人に専門分野を紹介する著名人 vs その分野の専門家

の対立は、どちらの言い分もそれなりに分かる場合が多い。


 そのことは分かった上で、なお、桜井進に関しては納得できない。

2×3 と 3×2 の違いをカップルがどうのと、くどくど説明しているが、そんな解釈が何故必要?

 素人相手のハッタリじゃないかと勘ぐってしまう。
積分定数
2012/06/18 08:29
>式に表して伝えることができるんだ。だから、式から考え方が分かったり、

親戚筋 「娘が小学生のときに、算数で答えは○だけど式が×ということが良くあった。何で×なのか母親の自分が見てもよく分からなかった。かけ算の順序なんて、うちらの頃は言われたことなかったけど、娘は言われた」

近所の人 「孫に算数を教えようと思っても、難しくて教えられない。答えは分かるのだけど、正解を見ると式がややこしくて・・・」

 正解となる式の許容範囲が昔よりも狭くなっている傾向があるのではないだろうか?

 もしそうであれば、その理由は何であろうか?

 「日本の子どもたちは国際比較で見ると、計算力はあるが思考力がない」

というようなことが言われるようになり、「考え方が大切」というのが強調されるようになってきた。

 それが、我々が期待するような、

「4人に3個ずつ蜜柑を配る問題でも、考え方によっては4を1あたりと見ることも出来るね。深く考えたら、1あたりとかいくつ分を区別する必要はないと分かるね。」

という方向ではなくて、

 式と考え方・意味解釈をリンクさせて、「こういう式だから正しく理解している」「こういう式だから正しく理解していない」などとなってしまったのではないだろうか?

 「算数は答えさえ合えばいいのではありません。そこに至る過程が大切です」とかいいながら。

 しかし、考え方が間違っていながら答えが合うというのはかなりの偶然だと思う。答えが合っている段階で、考え方もあっているだろうと推測するべきだと思うのだが・・・
積分定数
2012/06/18 08:57
くろきげんさんが例に挙げているCちゃん、
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/LaTeX/20101123Kakezan.html#tsuiki20110225a

この子は明確に理解している。

最初に提示された数値を式に反映させるのが正しい

とかなってくると、「畳の縁を踏んではいけない」というレベルの「礼儀作法」の話に思えてくる。

 親戚の娘さんが「長方形の面積を横×縦でもバツにはしないが、縦×横が正式なやり方といっていた」というのも、「礼儀作法」と考えれば合点がいく。

 本屋で藤原正彦の本をぱらぱら見ていたら、

 最初の段階ではつべこべ言わずに(言わせずに)、型を叩き込めばいいんだ。それは、やれ個性だ何だと・・・

 てなことを書いてあった。いくら何でも数学者だから、算数でそんなことしろとまでは思っていないと信じたいが、

 こういうのを読んで、

「ほら見ろ、数学者だってこう言っているじゃないか。とにかく言われたとおりに式を書けるようになればいいんだよ。」

などと言う人がいそうな気がして、憂鬱になる。
積分定数
2012/06/18 08:59
>それは、やれ個性だ何だと・・・

>それを、やれ個性重視だの何だと・・・
積分定数
2012/06/18 09:01
> Aちゃんの問題:
> 「まさお君の縄跳びは、2m13cmです。
>  秋子さんの縄跳びは、2m34cmです。
>  どちらが何cm長いですか。」
>  Bちゃん   2m34cm−2m13cm=21cm
>  Cちゃん   34cm−13cm=21cm
>  Dちゃん   234cm−213cm=21cm
>「Cちゃんのは変だ」という声が出ました。

柴田義松監修 銀林浩・石井孝子編著
算数の本質がわかる授業 たし算とひき算
> 「男の子が7人、女の子が3人います。
> どちらがどれだけ多いですか。」
> 男の子と女の子が手をつなぐと、男の子が4人余ります。
> ペアを作り、ペアになったものを除けば、
> 除去(求残)に帰着されるわけです。

 Aちゃん問題でCちゃんがバツだとすると、銀林氏の問題では、

(しき) 7 + 3 - 3 - 3
(こたえ) 4

としないといけませんね。

 「けいさんのくふう」をして解きなさいという問題なら、

(しき) 7 - 3
(こたえ) 4
(りゆう)
7 + 3 - 3 - 3
= 7 + (3 - 3) - 3
= 7 + 0 - 3
= 7 - 3

と書かないとバツですね。
鰹節猫吉
2012/06/18 22:34
桜井進著 オトナのための算数・数学やりなおしドリル 宝島社

-------------------------------------------------
p14
 2×3と3×2は同じ答えですが、考え方が違います。3組のカップルが映画館へ行ったとき「ペアシートが3席」と「3人用シートが2席ある」のでは違いますね。かける数・かけられる数の関係には、ちゃんと意味があるのです。

□□□□□
□□□□□
□□□□□

□□□□□ × 3 = 5×3


□ × 5 = 3×5

-------------------------------------------------
鰹節猫吉
2012/06/18 22:47
↑ とおっしゃっている桜井進先生ですが、

--------------------------------------
p56

§展開・因数分解@

 因数分解と聞くだけで難しく感じる方もいるでしょう。展開と因数分解は「文字式で遊ぶゲーム」だと思ってください。式を自在に操り「見た目は違っても実は同じ式だ!」ということに気づくことが、数学では大切です。
--------------------------------------

> 「見た目は違っても実は同じ式だ!」

 たまには、桜井氏もいいことを言うと思いきや、どのような指導をしているのかというと、以下の公式を基本と公式として覚えるんだそーです

ac x^2 + (ad+bc) x + bd = (ax+b)(cx+d)

くだらね〜〜〜
鰹節猫吉
2012/06/18 22:54
> 式を自在に操り

自在に操ってないだろ〜!
分配法則ぐらいやりましょうよ…
トホホ…
鰹節猫吉
2012/06/18 22:59
 こーやってやると覚えるといーらしー

a b
 × −−→ ad+bc
c d
-------
ac bd

 なんだそりゃ?
 よくもまあ、こんなくだらないことを思いつくものだと、逆に感心してしまいましよ。

 「ドロボーおいかけられる・オマワリサンおいかける」に匹敵する強力なメソッドかもしれない。
鰹節猫吉
2012/06/18 23:08
私の攻撃対象は、「掛け算の正しい順序」を作った原因と推測される「1951年の学習指導要領」と教師用指導書です。
くろきげんさんの参考にしているブログ記事<教科書会社のトップ「東京書籍」に言わせると、「5×3≠3×5」らしい。>は重要です。
http://d.hatena.ne.jp/filinion/20101118/1290094089

> 文章題での「立式」ではバツになっても、「計算」ではマルになるというのが基本的なパターンなわけです。

そうですね。
おおくぼ
2012/06/18 23:30
ブログ「小学校お笑い日記」の記事<教科書会社のトップ「東京書籍」に言わせると、「5×3≠3×5」らしい。>から引用します。

注:(写真有り)
>6人乗った車両が3台あるのをどう表すか。
>この時点で、2年生は、まだ足し算と引き算しか使えません。
>「3台の車に4人、5人、9人乗っています」
>なら、式は
>「4+5+9=18」。
>「3台の車に6人ずつ」
>なら、当然
>「6+6+6=18」
>と考えることになります。
>しかし、この「新しい計算を考えよう」という単元に至って、ついに
>「“6+6+6”のような、何かが同じ数ずつある場合は、“6×3”と書く。これをかけ算という」
>ということを教わります。(つまり、“新しい計算”とは掛け算のことです)*注4 *注5
>……という説明に、疑問を感じましたか?
>東京書籍曰く、
>「6+6+6」→「6×3」
>なのです。
>逆ではなく。
>「ちなみに、3×6でもいい」
>という説明もありません。

注(写真有り)
>ここでは、
>「1つぶんの数×いくつぶん=ぜんぶの数」
>というのがかけ算の基本形である……と説明されることに>なります。
おおくぼ
2012/06/18 23:37
次に、「1951年の「小学校学習指導要領 算数科編(試案)」から孫引き引用します。

「小学校学習指導要領 算数科編(試案)

http://d.hatena.ne.jp/yotayotaahiru/20101219/1292788315

> 問題が,どんな形式でだされようとも また,いくつかの条件がどんな順序で書いてあろうとも,かけ算を式で示すとすれば,
>(グループの大きさ)×(グループの個数)=(量全体の大きさ)
>であることが,こどもにじゅうぶん理解されておらなければならない。

何を(グループの大きさ)にして、何を(グループの個数)にするかは任意です。
だからこの主張からは厳密には「掛け算の正しい順序」を強制することは不可能です。
でも、教師側が想定している(グループの大きさ)×(グループの個数)=(量全体の大きさ)を正解として、それ以外の答えを不正解とすることで、「掛け算の正しい順序」が成立します。
おおくぼ
2012/06/18 23:48
私の主張は・・・

1 (グループの大きさ)×(グループの個数)=(量全体の大きさ)は、サンドイッチ・ルールではない。

2 (グループの大きさ)×(グループの個数)=(量全体の大きさ)は、厳密には「掛け算の正しい順序」ではないけど、事実上「掛け算の正しい順序」としての効果があった。
おおくぼ
2012/06/18 23:55
訂正

>1 (グループの大きさ)×(グループの個数)=(量全体の大きさ)は、サンドイッチ・ルールではない。

サンドイッチ・ルールと区別できないので、この主張は無視して下さい。
おおくぼ
2012/06/19 00:27
参考「小学校学習指導要領解説」 38頁
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2009/06/16/1234931_004_1.pdf

>第2学年では,乗法が用いられる場合や計算の意味について理解できるようにする。
>例えば,一つ分の大きさを知ってその幾つ分か,または何倍かの大きさを求める計算として意味付けをしたり,同数累加(加法の繰り返し)によって,その結果を求めたりする。
>  略
>第5学年では,乗数や除数が小数である場合の乗法及び除法を用いることができるようにする。
>乗数が小数である計算になると,加法の繰り返しという累加の意味ではとらえられなくなるので,計算の意味を広げる必要がある。
おおくぼ
2012/06/19 02:02
 かけ算の順序、その他の問題の本質は単純な話だと思うのです。

 要するに、抽象化の否定。教える際のあれこれの配慮のはずが歪曲されてしまって、「

 こうやると理解しやすい」というはなしが、「こう考えないとならない。それ以外は間違い」となってしまっている。

 しかし、そもそも誤った主張だから、ちょっとつつくと矛盾が顕わになる。

 そこをあえて向こう側の土俵にのって、これはサンドイッチルールか否かとか論じてもあまり意味がないように思うのです。

 土俵自体が矛盾の上に乗っている砂上の楼閣なわけだから。

 天使の存在を信じていない人が天使の翼の大きさを推測する義理はない。
積分定数
2012/06/19 11:00
かけ算の順序問題

というのは、正確には

かけ算の順序に象徴的に現れる算数教育における抽象化の否定

ということだと思います。

 「サンドイッチルール」というのは単に、「正しい順序」を手段ではなく目的だと勘違いした人が思いついたくだらない方法を、これまた「ルール」だと勘違いした人がいると言うことであって、「ルール化」に至る過程を調べることで算数教育業界のアホらしさが浮き彫りになるものの、「サンドイッチルール」それ自体をまともに分析する価値はないと思います。
積分定数
2012/06/19 11:07
「1951年の「小学校学習指導要領 算数科編(試案)」も「1つ分あたり、いくつ」も、サンドイッチ・ルールの一種と考えることができます。

「1つ分あたり、いくつ」は少し複雑で、
例えば「速度×時間=距離」の場合は、
1時間あたりの速さであって、割り算が含まれているわけです。

「縦×横」もそうですが、「公式の順序で立式しなければいけない」という主張は、硬直した考えだと思います。

立式だけ特別ルールを採用して、計算では特別ルールを無視するというのは教育者側の都合ですが、生徒には混乱を与えると思います。



「抽象化」は銀林浩さんの本でも重視されていますが、銀林浩さんはいたずらに複雑にしてしまって、混乱の源を作っています。
おおくぼ
2012/06/19 13:36
小学校低学年の四則演算の状況は、田中博史:監修『筑波大学附属小学校田中先生の 算数 絵解き文章題 (有名小学校メソッド) 』の解説頁(124頁〜)が明確です。
教師用指導書よりも、明確になっていると思います。

http://www.amazon.co.jp/筑波大学附属小学校田中先生の-算数-絵解き文章題-有名小学校メソッド-田中-博史/dp/4053032261/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1340088527&sr=8-2
おおくぼ
2012/06/19 15:53
>教える際のあれこれの配慮のはずが歪曲されてしまって、「こうやると理解しやすい」というはなしが、「こう考えないとならない。それ以外は間違い」となってしまっている。

銀林浩さんの場合は、そんな感じがします。
おおくぼ
2012/06/19 15:58
数学者で有れば、「抽象化は不要」などという人はいないと思います。ラッセルのように行きすぎた抽象化を戒めることはあっても。

 数学者でなくても、数学教育の専門家で有れば、「抽象化について重要だと思うか否か?」との問いに、「もちろん、重要だ」と答えると思います。

 だから、かれらは総論では「抽象化賛成」なんです。では各論ではどうなのか?

「かけ算の順序は?」「等分除と包含除の区別は必要なのか?」と問えば、

それは発展段階がどうたらとか、なんやかんやと言い出す。

訳の分からないことを延々書き続けた瀬戸智子氏も、「抽象化は重要ではない」とは言っていないし、「あなた(積分定数)と考えは違わない」とまで言っています。大きく違う!いっしょにするな!
積分定数
2012/06/19 16:17
「暴飲暴食は体に良くない」という主張に対して、

「何も食わなかったらそれこそ健康に悪いじゃないか!」というのは、反論になり得ていない。

この例だとわかりやすいのだが、算数教育議論ではこのような「反論」が罷り通るから不思議である。

 長方形の面積を横×縦でバツだとか、小学校高学年まで順序でバツが付くような事例を踏まえて、

 1あたりといくつ分は視点の違いで逆転できる。交換法則が成り立つことを習った後まで順序に拘るのはおかしい

という極めて真っ当な主張に対して

 発展段階がどうたらとか、何だのかんだのいって、「最初から3×4と4×3が同じだなんて言ったら混乱する。だから、1あたりがいくつ分かというのを丁寧に教えるのがどうたらこうたら」とか、子どもたちに寄り添うことがどうのこうの、子供への愛情がああたらこうたら・・・・

と延々的はずれな言説を垂れ流して、問題の本質がどんどん分からなくなる。
積分定数
2012/06/19 16:27
 1+1=2 である。1+1=3と教えるような授業は余程の特殊な事情(何らかの理由で、1+1=3と一旦教えるとみんな算数・数学が大好きになるだとか)がない限り正当化されない。

 ここで子どもへの愛情だの発展段階がどうのと粉飾したところで、間違いは間違いである。

 教える人がどれほど熱心であっても、間違っている。


 かけ算の順序も同様。

 かけ算に順序はない  これが真実。

 この揺るぎない事実に立っている我々が、向こう側のくだらない言動に惑わされる必要はない。

 いちいちつき合うと、煩雑になりなんだか分からなくなりかねない。

 何故こんな事になってしまったのか、現状がどうなっているのか、不明なことも多いが、私の主張は単純明快。

 算数教育業界は抽象化を否定している。それは誤りである。これを改善する必要がある。
積分定数
2012/06/19 16:40
数学は苦手だったけど算数の授業の技量は高めたいという教師は、授業の指南書よりも先に、算数・数学それ自体を勉強した方がいいと思う。

 それも、参考書を読み進めて演習問題をやって・・・という“行儀のいい”方法ではなくて、1つ1つ立ち止まりながら自分で考えるのが望ましい。

 「かけ算に何故交換法則が成り立つのか?」「等分除と包含除はなぜ同じ値になるのか?」「分数のかけ算は分母同士・分子同士、割り算は分母と分子をひっくり返して掛けるのは何故なのか?」

 それらを指南書に頼るのではなく、自分自身で試行錯誤しながら理解していけば、指南書を読んだときに、どこがまやかしなのか、どこが算数・数学それ自体の概念ではなく教える上での便宜的概念であるのかが見分けられると思うのだが。

 う〜ん、でも数学者の一部や算数教育の専門家自身が、むだ毛に絡まれているようだから、そうもいかないのかな?
積分定数
2012/06/19 19:49
くろきげんさんの書き込みを見て思ったのですが、今の算数では累加の問題を足し算で立式してはいけないのでしょうか。

>3×2 を 3+3 と定義し、
>2×3 を 2+2+2 と定義しても、
>交換法則 3×2 = 2×3 とは矛盾しませんよ。

これは掛け算で立式したのを足し算にしていると読み取れます。
足し算で立式するのはダメなのでしょうか。


>掛順こだわり教育でも「2+2+2=3×2」という計算はバツにはなりません。

足し算を頭に思い浮かべて 3×2 と立式するのも禁止事項になるのでしょうか。


順序派の考えはよく分かりません。
TaKu
2012/06/19 20:24
> 足し算で立式するのはダメなのでしょうか。


そうですよ。
足し算で立式するのは駄目なんですよ。

式で情景を表すとかで、

1 問題文を読ませる
2 問題文のなかで同じ数ずつのまとまりを見つける
3 同じ数 を算用数字で鉛筆で紙に書く
4 その右側に × を書く
5 その右側にまとまりがいくつあるか算用数字で書く
6 その右側に = を書く

↑ 立式

ついで 計算 を行う。

1 ×の左側の算用数字を右側の数だけ書いて + で結ぶ
2 足し算の計算をして、結果を 答 のらんに書き込む。


筑波大附属小学校の指南書では、ここまでで4時間かけて教え込むことになっていますね。これをやらせた後に かけ算九九の学習を行う。

鰹節猫吉
2012/06/19 20:48
遠山啓が内包量にこだわった理由がよくわからない。
「便利だから使っている」という割り切りでもないし。
「遠山啓ほどの偉い人が使っているから、厳密な概念に違いない!」となって広がっていったのではないだろうか?
銀林浩さんになると、土台量という言葉がよく出てくる。
内包量 × 土台量=
『人文的数学』(日本評論社)には、「意味」という言葉がよく出てくる。
専門家が「数学の意味」を考えると、おかしな概念を作ってしまう傾向がある気がする。
おおくぼ
2012/06/19 20:57
>足し算で立式するのはダメなのでしょうか。

http://www18.atwiki.jp/kakezan/pages/38.html
これをみると必ずしもそうでもないようです。

>遠山啓ほどの偉い人が

遠山啓に関しては、以下の文章も何を言いたいのかよく分からない。

 もしかしたら私には理解できない深遠なことをいっているのかも知れないが、例えば瀬戸智子氏のようなとても数学を理解してるとは思えないような人が読んで、理解できるのだろうか?

内包量・外延量もそうだけど、数学を理解していない人の方が理解できるのだろうか?

遠山啓エッセンス3 量の理論 銀林浩・榊忠男・小沢健一 日本評論社 p81
▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽
 たとえば、2s+3sという計算をやらせると、大抵の子どもは、おそらく、2つのハジキと3つのハジキを思い浮かべて5という答えを出して、それにsという単位をつけて、5sとするだろう。
 それでともかくも答えは合っている。教える方でも丸をつけてつぎに進んでいく。それがこれまでの指導法であったし、誰もこれを疑う者がいなかった。
 しかし、はたしてそれで十分であろうか。そのような疑問から量の体系は出発する。2s+3sは2+3と完全に同じものであり、2+3がわかれば2s+3sは文句なしに理解できるものなのか。
 2s+3sという重さの加法をもたらした原因はいったい何なのか。そこまでさかのぼって考えてみなければ、2s+3sの本当の意味は決してわかったとは言えないはずである。
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△

積分定数
2012/06/19 21:33
濃度のような単純に足し算できないような物でも足してしまいがち、だから内包量という概念が・・・

というのを聞いたことがあるが、上の遠山啓の言葉を見てふと思い出したことがある。

100gの水に5gの塩を入れて解かしたら質量は?

これに、105gよりも小さくなると考える小学生が少なくないという。

解けて見えなくなるから質量もなくなると考えてしまうらしい。

あれ?、「併せる」という行為に対して単純に足し算にしてしまうんではなかった?

 併せる出、単純に足し算にしなければならない場面でなぜ間違うの?

 子どもは「併せるなら足し算」と誤るもの

というのも、あまりに子どもを画一的に見ているように思える。
積分定数
2012/06/19 21:40
>解けて

溶けて
積分定数
2012/06/19 21:41
「抽象化の否定」とは、数学の意味を考えることで、おかしな概念やルールを作ってしまうことだとすれば納得です。

数学は現実を抽象化して作ったものだとしても、現実とは別物です。
別物だということを忘れて、数学と現実を融合させようとすると、おかしな概念やルールを発明してしまう気がする。
おおくぼ
2012/06/19 22:03
鰹節猫吉さんへ

筑波大学付属小学校算数研究部の『算数授業論究<かけ算を極める>』、盛山隆雄さんの文章(3頁)から引用します。

>現在の教科書では、一般に、たとえばジェットコースター1台に4人乗っていて、3台分の人数を4×3と表すようにしている。
>そして、(1つ分)×(いくつ分)といった言葉の式にしてかけ算の立式を行うのである。
>立式後は、答えを求めるのに、4+4+4=12と同数累加で求める。
>乗数が小数になるときの扱いは、どうであろうか。
>同数累加を基本とするかけ算の意味指導が2年生時に行われたすれば、5年生時に意味の拡張を行う必要がある。
おおくぼ
2012/06/19 22:16
追記

『算数授業論究<かけ算を極める>』、杉山吉茂さんの文章(4頁)から引用します。

>かけ算の意味については、教科書などは同数累加の立場に立ちながらも、同数累加の姿勢(5+5+5を5×3とする)は見せないように、たとえば、「5のかたまりが3つ分を5×3」と表すとしている。
>今は「1皿に5個ずつのっている皿、3皿分を5×3」と表すというようにしているが、これは数教協の主張しているかけ算の意味にならったものである(このことは後述する)。
おおくぼ
2012/06/19 22:23
追記

文科省の主張は・・・
「小学校学習指導要領解説」 38頁を見てください。

http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2009/06/16/1234931_004_1.pdf

おおくぼ
2012/06/19 22:57
 教科書は、かけ算の導入をどのようにしているかというと、

啓林館算数教科書 小2・下
---------------------------------------------------------
§1. かけ算の しき

 ◎ いくつ分

@ [丸木舟] は 1だいに 4人ずつ のれます。
 3だいでは 何人 のれますか。

 ・を つかって しらべて みましょう。

 [・・・・]  [・・・・] [・・・・]

 4の 3つ分 の ことを しきで

   「 4 × 3 」 と かき、

「4 かける 3」 と よみます。

 4×3の 答えは、 4+4+4 で もとめられます。


(1つ分の 数) × (いくつ分) = (ぜんぶの 数)
---------------------------------------------------------
鰹節猫吉
2012/06/19 23:33
 啓林館の教科書の[丸木舟]のところは、絵が入ってます。
 つぎに、筑波大学附属小学校の算数教育指南書です。
 先生のキャラクター、男の子のキャラクター、女の子のキャラクターが登場します。(以下、 先・男・女 と書く)

板書で見る全単元・全時間の授業のすべて 2年下

----------------------------------------------
□授業の流れ

§1
先 「12個のみかんを、同じ数ずつ袋に分けます。どんな分け方ができるかな?」
女 「2個ずつ」
男 「6個ずつ」

 12個のおはじきをみかんに見立てて、同じ数ずつに分けることにする。
 『何個ずつ分けられるかな?』と問いかけ、子どもの答えた個数で分けてみる。例えば、子どもが「2個」と言ったら、12個から2個取って袋の形で囲み、また2個取って囲み…を繰り返し、視覚でとらえられるようにする。

§2
先 「分けた結果をかけ算の式で表してみましょう。」
女 「2×6?」
男 「6×2?」

 分け終わった後の絵を見ながら、かけ算の式に表すことにする。
 そのときに、下の図は2×6なのか6×2なのか、が話題になる。「2個ずつ6袋」だから、2×6になることをとらえさせる。

[・・] [・・] [・・] [・・] [・・] [・・]


§3
先 「どんな式ができましたか?」
男 「2×6、6×2、3×4、4×3」
女 「答えはいつも12だね。」

 できた式を並べてみると、答えが12になる式がいろいろあることに気づく。
 さらに、2×6=6×2のように、被乗数と乗数を入れ替えても答えは変わらないということなどにも気づくことができる。
----------------------------------------------
鰹節猫吉
2012/06/19 23:51
↑ このような教科書を使っていて、このような指南書をまねた授業が行なわれたらどうなるでしょうか。

 決められた手順どおりにやらないとバツという考え方が蔓延するのも当然のことでしょう。


[正しい手順]

1 問題文を読ませる
2 問題文のなかで同じ数ずつのまとまりを見つける
3 同じ数 を算用数字で鉛筆で紙に書く
4 その右側に × を書く
5 その右側にまとまりがいくつあるか算用数字で書く
6 その右側に = を書く

↑ 立式

ついで 計算 を行う。

1 ×の左側の算用数字を右側の数だけ書いて + で結ぶ
2 足し算の計算をして、結果を 答 のらんに書き込む。
鰹節猫吉
2012/06/19 23:56
↑ しかも、この方法だと、

 子どもが自分で交換法則を発見するようにしむけているにもかかわらず、「かけ算の順序が違うと、分け方が違う・意味が違う…」というふうになってしまう。

 非常にまずい。
鰹節猫吉
2012/06/20 00:08
ここで、「12個を1袋に入れる」とか言う児童がいると、「面倒なこと言いやがって」と思ったり、「それを『同じ数ずつ分ける』と言って良いのかどうか?」などと本質とはずれた愚にも付かない「議論」になってしまうのでしょうか?
積分定数
2012/06/20 09:40
具体的な状況→抽象化 ・・・の場合は、教師側の予測と違うことをする生徒が出てくる。
教師側は困る。

逆に抽象的な数式を具体的な状況に置き換える・・・はどうなのだろう?
教師側の予測と違うことをする生徒は出てくるとは思うけど、そんなに困った状況にはならない気がするのだけど。
おおくぼ
2012/06/20 13:43
おおくぼさん
 数学・算数は,具体を抽象したものなのでしょうが,いま私たちが学校で習う数学・算数は,西洋の具体から抽象されたものなので,日本の具体(日本文化や日本語)とは齟齬するところがあります。これが,語感が発達した女の子が数学・算数につまずく一つの原因になっていると思われます。算数を教える側は,学校算数が日本の具体から抽象されたものでないことに十分に配慮すべきであるが,拝跪すべきでないと思っています。配慮すべき具体例には,分数があります。単位未満の量を表すのに小数を使っていた日本文化では,分数表現は,「の付き分数」で割合を表すものであった。分数で量を表すことは,現在でも学校算数以外にはあまりお目にかからないのではないでしょうか。だから,分数を量として教えるときは,日本語の表現から分数について抱いている先入観とは違うことに注意しないと,学校で言っていることはわかるがなんか腑に落ちないという生徒が出てくるのです。(実例を体験しています。)
一方,拝跪すべきでない例の方は,かけ算の順序だと思っています。「何個がいくつ」という言い方が「普通」だとしても,算数で日本語を教えてはいけないのです。
メタメタ
2012/06/20 16:50
 量分数と割合分数などという概念は、まさに日本語の言葉の綾が原因だと思う。量自然数と倍自然数、などという分類がない理由を考えれば分かる。

 20のB倍。 20のB。 

Bには自然数・分数の両方が入るが、Bには分数しか入らない。

20の3/4は15

とは言うが、

20の3は60

とは言わない。

分数の場合 「〜倍」の「倍」を省略する言い方がなされる。

教えるときはこのあたりを配慮すべき。


しかし、単なる言葉の綾の問題であり、数学的本質的な問題ではない。


 算数教育業界には数学とは関係ないこの手の独特の理論・概念がいくつかある。

 そのこと自体は構わない。数学そのものと算数を教えることは異なる。

 独特の論理・概念の中には言葉の綾に起因する物が多々ある。それも別に構わない。教える上では重要だろう。

 懸念すべきは、単なる言葉の綾を、何か数学的本質であるかの如く勘違いする人がいるのではないか、ということである。
積分定数
2012/06/20 17:22
 「かけ算を累加で導入すると、0倍は1倍で躓く」というのも、言葉の綾のレベルだと思う。

3を4個足す、3を2個足す、という流れから、3を1個足す、3を0個足す、というのがどういうことなのかを考えるのは、とてつもなく困難な話だろうか?

 定積分はグラフの面積を表す。

「グラフがx軸よりも下にあったらどうなるんだ!?」

そのときは、「負の面積」と解釈すればいい。

「そんなのはおかしい、面積はあくまで正であるはずだ!」


 私なんかはすんなり「負の面積」と考えて納得したが、層は考えられない人がいることは承知している。

 そのような人にどう教えるべきかを研究することは否定しない。

 しかし、そのような融通の利かない考え方に数学理論の方を合わせる義理はない。


 正三角形は二等辺三角形という類の話も同様。

 違和感がある人がいるのは理解できるが、だからといって「正三角形は二等辺三角形ではない」とするべきではない。
積分定数
2012/06/20 17:30
 算数教育業界の失敗は、イメージや感覚、語感といった言葉の綾(算数・数学それ自体と異なり個人差がある)を理論化・体系化しようとしたところにあると思う。

 求残も求補も求差も、ごく自然に「同じ引き算」と考えられる子もいると思う。

 そうは考えられない子がいるのは否定しない。そういう子にどう教えたら、「ああ、これは結局同じ引き算なんだ」となるのかを研究するのは大いに結構。

 ところが、求残・求補・求差を「違う種類のもの」と認識する子どもの方を標準としてしまった。わざわざ名前を付けたのも失敗。

「同じ引き算」と考える子に区別を強要するという、やるべき事の逆を強要することになってしまっている。
積分定数
2012/06/20 17:40
a<b で、a≦x≦b で正となるf(x)をa〜bで定積分すると、グラフの面積になる。

a≦x≦b で負となるf(x)をa〜bで定積分すると、グラフの面積の−1倍になる。

a<b で、a≦x≦b で正となるf(x)をb〜aで定積分すると、グラフの面積の−1倍になる。

a≦x≦b で負となるf(x)をb〜aで定積分すると、グラフの面積になる。

a≦x≦bの区間でグラフがx軸を横切る場合は・・・・



「負の面積」という概念を考えて定積分を理解している生徒に、上のような面倒な事を覚えることをわざわざ強要する数学教師がいるだろうか?
積分定数
2012/06/20 17:45
小学校の文章題は、「ことば」で立式させようとして、難しくしている気がする。
「ことば」よりも絵や図の方がいいと思う。
いきなり数式でもいいと思う。



メタメタさんの『和算で数に強くなる』(ちくま新書)でも注目していますが、明治政府が洋算を採用したことによって和算が衰退します。
和算が衰退した理由は、ユークリッド幾何学に代表されるような論理的な思考方法が、和算に弱かったからだと思うのです。
おおくぼ
2012/06/20 18:09
鰹節猫吉さんが 2012/06/19 23:51 で紹介して下さった

板書で見る全単元・全時間の授業のすべて 2年下

でのかけ算導入部分の紹介はとても参考になりました。

学習指導要領解説

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syokaisetsu/

の算数(2)のp.81では「12個のおはじきを工夫して並べる」という活動がすすめられています。そこには

●●●●●●
●●●●●●
2×6または6×2

●●●●
●●●●
●●●●
3×4または4×3

という図があります。これをそのままやらせると「都合が悪い」 (子どもたちに掛算の交換法則の存在がばれてしまう!) ので、わざわざ「一つ分と幾つ分」で解釈することを子どもに強制する活動にしてしまっているんですね。

・式を見ただけでは具体的場面も考え方もわからない。式を書いただけで説明したとみなす悪しき習慣を子どもに身に付けさせてしまうと、その子どもはその後ずっと苦労することになる。

・一つ分と幾つ分といった見方は掛算のいち解釈に過ぎず、他の見方もある。たとえば、おはじきが長方形型に並んでいれば一つ分と幾つ分という見方を一切しなくても掛算を適用可能。完全に同じ掛算に異なる解釈がたくさん存在することを算数では教えなければいけない。
くろきげん
2012/06/20 19:33
メタメタさんの 2012/06/20 16:50 の発言はぼくにはまったく納得できませんでした。

「日本の具体(日本文化や日本語)とは齟齬するところがあります。これが,語感が発達した女の子が数学・算数につまずく一つの原因になっている」という主張の根拠はなんですか?

あと、今の日本の子どもたちにとって、「西洋の文化」と「日本の文化」の区別がどれほど重要かについて、どのような研究があるのでしょうか?

ぼくが言語が算数を習得する障壁になることに納得できたのは「英語などでは1から12までの数と13以上の数では呼び方の規則が異なるので、10進法に基いた数の表わし方を習得するときのハードルになりえる」という話です。「十一」を「11」と書くことの習得は日本の子どもの方が習得するのは易しいように思えます。どのような文化圏・言語圏であろうと、算数の習得にはハードルが必ずあるとものだと思います。

メタメタさんは西洋文化圏の子どもにとって有利だが、日本文化件の子どもには不利だと言っているように見えるので、それは本当かなと思いました。


さらに、人が決めた単なる記号法の習得の問題と、記号法とは無関係の数学的考え方の習得の問題も分けた方が良いと思います。

上で例として挙げたのは記号法の習得の問題に過ぎません。抽象化の重要性の問題はどちらかと言えば記号法とは無関係の数学的考え方の習得の問題だと思います。

メタメタさんが算数の話をするときには、単なる記号法の問題と真に重要な概念的な問題があまり分離されていないような印象を持っています。誤解があれば申し訳ありません。

くろきげん
2012/06/20 19:46
日本語の言語体系と数式の言語体系は、比べてみるとかなり異質なものになると思います。
日本語(特に口語)を英語に翻訳するとニュアンスが伝わらなかったりします。
日本語と数式ではそれ以上に違いがあり、翻訳は困難なので、数式は数式として理解する感覚が必要だと感じています。
TaKu
2012/06/20 20:26
日本語特殊論は変だと思います。
日本語だから、英語よりも数学を理解しにくいということはないと思う。
訳語などで、日常語になっていない言葉が理解しにくいということはあると思う。

数の数え方は、フランス語などでかなり難しいのがある。
漢数字とアラビア数字は筆算する場合は、アラビア数字の方が便利で、今はアラビア数字を普通に使っている。
だから習慣を変更すれば解決する。
言語体系が本質的な問題とは思えない。
例えば、日本語文法が数学を理解するのに不便だということはないと思う。
おおくぼ
2012/06/20 20:47
もし私の発言 2012/06/20 20:26 が、日本語のみが特殊だと受け取られていたら申し訳ありません。
英語と数式を比べてみても、かなり異質だと思っています。
2012/06/20 20:26 の発言は、日本語と英語を入れ替えても成り立つと思っています。


>例えば、日本語文法が数学を理解するのに不便だということはないと思う。

日本語からすると、数式が表す内容はかなり曖昧で、日本語で表現するのは困難です。
3×4 を日本語にすると「3と4を掛ける」、「3に4を掛ける」等となってしまうので不便ではないでしょうか。
TaKu
2012/06/20 21:49
TaKuさんへ

> 日本語と数式ではそれ以上に違いがあり、翻訳は困難なので、数式は数式として理解する感覚が必要だと感じています。

数式を数式として理解するということは、どういうことなのでしょうか?
言葉の説明を一切無くすということでしょうか?
数式だけだと理解が困難だと思うのですが・・・。
例えば、数学の論文でも数式しか書いてなかったら、その分野の専門家くらいしか理解できないのではないでしょうか?
おおくぼ
2012/06/20 23:34
 理性は,数学という一つの普遍的な体系をめざしているのでしょうが,そこに至る途上において(そして,永遠に途上なのでしょうが),時代によって文化によって人(あるいは民族)によって数量観は様々だということを,歴史から学んでいます。
 その歴史上,『聖書』の次に読まれてきたのは『原論』だというのが,ヘブライズムとヘレニズムの後継者を誇る欧米(かよ!)の言い分ですが,「神」から始まる聖書と,「点」から始まる原論において,神もフィクション(文化的産物)なら,点もフィクション(文化的産物)だと思っています。ただ,神を仮定するより,点を仮定する体系の方が納得できますが。

 普遍性をめざすというのは,他人とつながりたいという思いが,ヒトの根っこにあるからなのでしょうが,宗教や政治ならいざ知らず,たかがかけ算の順序の問題ですら,理性で話しているはずなのに共通理解に至らないというのは予想外の事態でした。
メタメタ
2012/06/20 23:55
 言語の話が出たところで、mixiでのマイミクの日記からのネタ。

NHK基礎英語での問題 

長文があって、それに関しての英文がtrueかfalseを答えるというもの。

長文の一部が
The music video features the four girls in pink dresses.

質問文が
Two members are wearing pink dresses in the music video of "Pinkberry Love."

正解はfalseだった。

4人全員がピンクを来ている状況で、「2人、ピンクを着ている」は、正しい命題のはずだが・・・

でも、

Nobody is wearing 〜

なら、「0人以上がピンクを着ている」ではないから、

Two members are wearing 〜

も「過不足なくちょうど2人が・・・」という意味では?

という意見も出て、なるほどと思った。

実際の所はよく分からない。
積分定数
2012/06/21 00:03
>分数で量を表すことは,現在でも学校算数以外にはあまりお目にかからないのではないでしょうか。

うーむ、そんなことはないとおもいますが…
特に、何分のいち、という表現はごく自然に日常で使われています。ただ、たとえば1/12から11/12まで均等に量の表現として使っているかというとそうでもないですね。インチだと「3/8インチ」とか「1/4インチ」とか普通に呼び名として使っています。分数の感覚に若干民族的な違いがあるのかも、と思ってちょっと検索してみると、こんなページがありました。
http://miuse.mie-u.ac.jp/bitstream/10076/4864/1/AN002341990470002.PDF
日本はどうなんだと思いながらめくっていって最後まで出てこなかったのでがっかりですが、比較は面白いですね。

しかし
>私たちが学校で習う数学・算数は,西洋の具体から抽象されたものなので,日本の具体(日本文化や日本語)とは齟齬するところがあります。
には同意できません。言語は具体というのはある点ではそうですが、基本的には言語は具体の抽象化したものです。算数の抽象化と日本語の抽象化に齟齬があるとしても、(私はあるとは思っていませんが)それは抽象化の方法論が違っているだけです。日本語は抽象化(概念づけと言ってもいいかと)の方法論に明確なストラテジーが存在しない自然発生的なものですので、オフセットが掛かるのはある意味当然です。算数、数学の抽象化は、抽象化したあとのモデルが無矛盾であるように整合を取って構築するものですから日本語と一致しなくても不思議はありません。このような、整理された(人工の?)抽象モデルを理解するということが算数教育の目的の大きな柱であろうと私は思います。それを自然言語に無理やり結びつけるというのは目的に反することだと思うのです。
M
2012/06/21 08:09
したがって、かけ算を[1あたり」「いくつ分」等むりやり日本語に対応させて読み解こうとするのも、算数の目的に反することだと思われます。
M
2012/06/21 08:19
Mさん
 上垣さんの論文,面白いでしょう。私は国会図書館で三重大学の紀要からコピーしたのですが,ウェブで見れたのですね。
 日本の例が出てこないのは,日本が小数文化園(世界を分数文化圏と小数文化圏に分けるのは,私は森毅から知りましたが)に属するからでしょうね。
 算数を教えるときに,日本語(自然言語)の言い回しに配慮することは必要です(それは絶対に必要です。どういう先入観が子どもにあって,克服しなければならないかを知っておくべきということで)が,それでもって算数に理屈を付ける(何個がいくつ,と言うから,何個×いくつ,だとか)のは,国語と算数の両方を教える小学校の先生が陥りやすい誤りだと思います。
 Mさんの結論部分には大筋賛成です。
メタメタ
2012/06/21 11:20
掲示板の対話の場合は、同意に至らなくてもいいと思う。
重要なのは「対話のルール」を共有して、対話することだと思う。
サッカーをする時はサッカーのルールに従い、野球をする時はサッカーのルールに従う。
そして結果よりも、試合自体が重要だと思う。
対話も結論よりも、対話のプロセスが重要だと思う。
対話のプロセスから「掛け算の正しい順序」の問題点や改善点が明確なれば上出来だと思う。
おおくぼ
2012/06/21 19:55
訂正

>野球をする時はサッカーのルールに従う。

野球をする時は野球のルールに従う。
おおくぼ
2012/06/21 19:56
おおくぼさんへ

英語を細かいニュアンスまで含めて理解するには、英語で考える必要があります。
日本語で考えて英語に翻訳する場合、英語でしか表現できないニュアンスは日本語では考えられません。
外来語のようにニュアンスを含めて日本語として定着すれば問題ありませんが、数式は日本語としては上手く解け込んでいません。
数式は数式で表現すれば良いので必要ないのかもしれません。

>数式だけだと理解が困難だと思うのですが・・・。

何を数式にしたかが重要であり、数式そのものには「何を数式にしたか」の情報がありません。
言葉等で説明するのは重要だと思います。
TaKu
2012/06/21 20:02
順序派の考えだと
3×5 ≠ 3×5
の可能性があります。
左辺は順序を気にしない自然数同士の掛け算、右辺は3個の塊が5つと考えて式にしたので、左辺と右辺の意味が違いますw
TaKu
2012/06/21 20:21
TaKuさんへ

>何を数式にしたかが重要であり、数式そのものには「何を数式にしたか」の情報がありません。

例えば教科書の数式の説明で、「何を数式にしたか」の情報がない場合があると思います。
むしろ逆に数式の説明として、言葉が必要なのだと思うのです。
例えば「1+1=2」を説明するために日本語が必要になるのではないでしょうか?

>外来語のようにニュアンスを含めて日本語として定着すれば問題ありませんが、数式は日本語としては上手く解け込んでいません。

例えば、日本語としては定着していないけど、英語で定着しているのは、どんなのがあるのでしょうか?
おおくぼ
2012/06/21 20:59
「フライパンの意味はなにか」
目玉焼きを焼くもの
ハンバーグを焼くもの
餃子を焼くもの
だからフライパンの意味は焼くということです。
でも、あとからフライを揚げる場合も出てくるから焼くためのものと教えるのはまずい。揚げ物用に意味を拡張しなければならない。

と議論は続き、誰もフライパンがただの料理道具であることを教えようとしなかった

もちろんフライパンはかけ算ですw

フライパン自身はただの道具なのですが、入れる材料によって様々な料理が出来上がる。フライパンの意味は料理をする人が抱えているわけで、フライパン自身に意味がくっついているわけではありません。

そんなことを考えました。
M
2012/06/22 08:18
>フライパン自身はただの道具

料理をやったことのない人には、そのような説明は分かりません。

まずは、「目玉焼きを焼くもの」という意味をしっかり認識させることが大切です。「餃子を焼くもの」をバツにする教師は、そういうことを大切にしようと思ってのことだと思います。

 私自身はバツにすることはしません。しませんが、でも、「餃子を焼くもの」と書いた子には、「なぜ餃子にしたの?目玉焼きにしなかったのは何故?」と問います。基本を大切にしたいと思うからです。

 「フライパンは、何かを焼く道具で、たまたま上に乗っているのが、卵かハンバーグか餃子かということであって、それらは結局同じ事だとは思わないのですか?卵を焼く、ハンバーグを焼く、餃子を焼く、これらは全く別のものだと思っているのですか?それとも教える上での便宜的な区別だと思っているのですか?」

ということですが、

卵を焼く、ハンバーグを焼く、餃子を焼く は全く異なる調理です。それを区別しないで教えたらぐちゃぐちゃになって、目玉焼きのつもりがスクランブルエッグになっちゃいます。
積分定数
2012/06/22 10:21
いやいや、アメリカではサニーサイドアップとターンオーバーは全く別物です。きちんと区別して教えなければいけません。
M
2012/06/22 11:21
文章題の式には「意味がある」らしいけど、計算には「意味がない」のだろうか?

http://www.asahi.com/edu/student/teacher/TKY201101160133.html

>「2×8でも8×2でも答えは同じ。でも、意味は全然違うよ。文章をよく読んで考えてとくことが大切だね」と先生は話した。

http://benesse.jp/blog/20071120/p37.html

>「7×8=56」でも「8×7=56」でも答えは「56」になりますが、文章題では式に意味があるので、どちらでもよいわけではありません。
おおくぼ
2012/06/22 12:30
 市教委指導主事に、「2で割るのと1/2を掛けるのは同じ事か、異なるのか?」と質問したら、「状況による」と言われた。

 林檎も蜜柑も人間も、時間や距離も含めて、個数や長さを数値で表すというものすごい抽象化・同一視を行っていながら、

 2で割るのと1/2を掛けることの間の微妙なニュアンスの違いを読みとらないとならないのですね。アホらしい。

 分数のかけ算・割り算を習っていない子が、あれこれ試行錯誤するうちに、「a×1/b は a÷b と同じ事なんだ!」という大発見をして、「これはすごい」と思って教師にこのことを報告したら、

「a×1/b は a÷b は意味が違います。」とくどくど説教するのが、正しい算数教育なんだろうか?

 そういう教え方で子どもたちは算数が大好きになるのだろうか?


 甚だ疑問である。
積分定数
2012/06/22 17:22
 「結果の数値は同じになるが、意味が違う」と彼らは言う。

 数値が同じになるのは偶然だとでも思っているのだろうか?

 (a×b)×c と a×(b×c) は等しくなるが意味が違う?

 直方体の体積を考えたら同じ意味であることは一目瞭然。

7C3 と 7C4 は 等しくなるが意味が違う?

7個から3個選ぶということは、「選ばない4個」を選ぶとも言える。

200÷10÷4と200÷(10×4)は等しくなるが意味が違う?

4人ずつの班が10グループ有って、200個の蜜柑をみんなで分ける場合、各班で等分して、それぞれの班で各自に配るのと、最初から全員に配るのとでは、結局は同じ事だろうが。

 最終的に1人いくつもらえるかが問われているなら、配り終わるまでの過程はどうでもいいはなし。


 不必要な情報は捨象するのは数学では常套手段。

 くだらないことに拘ってあ〜たらこ〜たら言っている人自信は数学がどの程度出来るのだろうか?

と思ってしまう。
積分定数
2012/06/22 17:47
>不必要な情報は捨象するのは数学では常套手段。

何を必要として何を不必要とするかの判断基準が麻痺しているから、意味派が生まれるのでは?
おおくぼ
2012/06/22 19:36
おおくぼさんへ

>むしろ逆に数式の説明として、言葉が必要なのだと思うのです。
>例えば「1+1=2」を説明するために日本語が必要になるのではないでしょうか?

日本語では正確に表現できない為、順序等の問題が出てくるのだと思います。
無理に日本語にすると
「合併」でもあり「添加」でもあり「増加」でもあり「他の何か」かもしれず、「+」の前後に書く数字の順序はどちらでもいい。
等となり、何を言いたいのか分からなくなります。
「足し算」が一番良い日本語だとは思いますが、説明になっていませんよね。

足し算を身に付けるには、具体的な例から、あれも足し算、これも足し算で求めて良いという事を少しずつ学んでいくしかないと思います。


>例えば、日本語としては定着していないけど、英語で定着しているのは、どんなのがあるのでしょうか?

すみませんが、英語は苦手なので良い例をあげる事が出来ません。
翻訳ソフトで日本語にならないものが、そうなんだろうと思うくらいです。
TaKu
2012/06/22 20:04
TaKuさんへ

「順序」に関しては、英語でもおこると思います。
実際に「掛け算の正しい順序」は、アメリカにもあるそうです。

翻訳ソフトで日本語や中国語が難しい理由は、単語と単語の切れ目をどう判断するかにあるのではないでしょうか?
例えば英語などは
You like an apple.
のように単語と単語の間に切れ目があります。
でも日本語や中国語にはありません。

また文法通り訳しても誤訳になる場合があります。
Time flies like an arrow.
を「時蝿は矢が好き。」となったりします。
何が主語で何が動詞かの選択肢が複数あると、選択に迷います。
これは翻訳ソフトだけではなく、人間でも同じですけど。
おおくぼ
2012/06/22 20:43
f(a,b)=g(a,b)が、定義域の任意のa,bで成り立つ時、fとgは同一の関数である…と言っていいんですよね?
最初はそう思っていたんですが、堂々と「足す順番が違うと別物だ」とか言われ続けるとだんだん自分がおかしいのかと思ってきちゃいますよw
M
2012/06/22 21:04
>何を必要として何を不必要とするかの判断基準

問われていることを求めるために必要ならば必要、不必要なら不必要

というと、

「答えさえ出ればいいのではない。改定が大切です」と彼らは言うのだろうね。

 一方で「みはじ」「くもわ」を覚え込ませる授業をしていながら・・・
積分定数
2012/06/22 22:58
>何を必要として何を不必要とするかの判断基準

前にもちょっと言ったんですが、
自分自身だけで完結する最低限だけ残してそれ以外を切り捨てているんじゃないかと思います。だから内部には矛盾は残らない。

…というモデルを構築するのが数学で、対照的に、内部に矛盾が出ようともモデルに実験事実を取り込もうとするのが物理かなと。

M
2012/06/22 23:25
実際には、物理でモデルに矛盾が出ている場合は、モデルがよくわかっていなくて記述が不十分なだけであって、理論の解明が十分進めば数学のアプローチによるモデルと物理のアプローチによるモデルは一致するんじゃないかと思っています。証拠はありませんけれどね。「自然は美しいモデルを好む」と言ってみたりしています。
M
2012/06/22 23:31
 小数文化圏とか分数文化圏とかいいますが、「小数文化圏」の子どもだから分数が苦手、なんてことが本当にあるんだろうか。

 銀林浩氏の 子どもはどこでつまずくか を読むと、

http://books.google.co.jp/books/about/%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%81%93%E3%81%A7%E3%81%A4%E3%81%BE%E3%81%9A%E3%81%8F%E3%81%8B.html?id=GTW7KvD_fDIC&redir_esc=y

↑ p52 あたりからです。
・「小数は分数の特別な場合で、分母が10や100になっているものだ」という考え方はあさはかな考え方だ。

・小数と分数は全く違う原理に則っている。小数は単位の量を10等分する操作を繰り返して測る。分数は互除法で測る対象と単位の量との共通の尺度を探し出す。

 
鰹節猫吉
2012/06/23 10:56
 上述の銀林氏の本、互除法というのを知らない読者がいるかもしれないので、簡単に補足説明します。

 銀林氏が提示した例題はこうです。

問題 長さが未知の線分を測れ(答は、2.4m もしくは 2+2/5m です)

 小数のやり方だろうが分数のやり方だろうが、1mものさしをあててみて 2m + 半端 なのは分かる。ここまでは同じである。問題は、半端のところをどう測るかである。

 小数のやり方だと、1mものさしに10等分の目盛をつける。半端の長さと細かい目盛4つ分が一致するから、半端は 0.4m だということになる。10等分してもまだ半端がでるなら、さらに10等分して 0.01m の目盛をつければよろしい。

 次に、分数のやり方。要するに、こういうことです。

@ 半端の長さを、1mものさしを何等分かしたものの何倍かで表す。
A つまり、1m と 半端の長さを整数比で表せればよろしい。
B そこで、1m は半端の長さの何倍なのかわり算して調べてみればよいのだが、割り切れずに余りがでてしまう。
C 1m = 半端(0.4m) × 2 + 余り(0.2m)
D 余りが出てしまったが、どうするか?
E こんどは半端(0.4m)が余り(0.2m)の何倍になっているか調べる。
F そうすると、半端は余りのちょうど2倍になっていることを発見した! これで解決である!
G なぜならば、
1m
= 半端 × 2 + 余り
= (余り × 2) × 2 + 余り
= 余り × 5

だから、余りは 1/5 m である。
半端 = 余り × 2 = 2/5 m である。
結局、線分の長さは 2 + 2/5 m である。

(彼らの書式にあわせて、かけ算の順序は1あたり×いくつ分にしてあります。)
鰹節猫吉
2012/06/23 11:31
というわけで、小数を使う方法と分数を使う方法では、全く違う原理によって未知の量を測定する。

 銀林氏によれば、小数は分数の特別な場合だと言う人はここが分かっていない・浅はかであるということである。
鰹節猫吉
2012/06/23 11:37
 未知の量を測るとき、小数でやる方法と分数でやる方法では相当に異なることは分かった。

 しかし、小学校で分数・小数を導入するときにこんな問題をやるだろうか?

 このような理由で、「小数文化圏だから、分数で子どもがつまずく」と言われると「本当かな?」と思う。

 かなり???である。
鰹節猫吉
2012/06/23 11:45
 たとえば、いきなり未知の量2つを提示して、大きさを比較してみよ、と言ったとする。

 そのようなとき、なんとか2つの量を整数比で表せないものかと考えるかもしれない。

 しかし、最初の分数の導入では、2つの未知量ではなく、単位の量と未知の量(しかも、未知の量は単位分数で表せる)で出題するのが普通ではないか?

 ふつうに行なわれている教育カリキュラムではそうであるはずである。

 互除法が難しいから分数で落ちこぼれが出るという理屈は通らないだろう、なぜ銀林氏はこんな例を持ち出してこられたのか、意図をはかりかねる。

 だいたい、互除法なんて文系の人は、そんなものがあるということじたい知らない人が多いのではないか。それでも、小学校の分数は問題なく理解できる人がたくさんいるはずだ。
鰹節猫吉
2012/06/23 12:07
 もうちょっと、補足。

 さきほどの問題で、最初に小数のやり方で 2.4m と答えを出した後に、 0.4 を分数になおして分数で表すと方法もある。

0.4 = 4/10 = 2/5

と、約分するのであるが、これも結局、ユークリッド互除法と同じことである、とも言える。

0.4
= 4 / 10
= 4 / (4×2 + 2)
= 1 / (2 + 2/4)
= 1 / (2 + 1/2)
= 2 / {2×(2 + 1/2)}
= 2 / (4 + 1)
= 2 / 5

「小数は分数の特別な場合で、分母が10とか100になっているもの。」という考え方が駄目ということはないと思うのだが…
鰹節猫吉
2012/06/23 12:50
↑ こういうふうにダラダラ数式が続くと、「意味」が分からなくなってきてしまいそうだが、、、

 2/4 を 1/2 と約分するところに注目。

 これは2が4と10の公約数だから、

10 = 4×2 + 2
4 = 2×2
10 = 2×2×2 + 2 = 2×5

結局、公約数を探して約分する操作と同じ事。
ことさらに、「全く違う」と違いを強調することもないと思うのだが…
鰹節猫吉
2012/06/23 13:08
 今回の例でもそうだが、数教協を含めて算数教育業界の人の話を聞くと、

「全く違うのです。」

という台詞が頻出する。

 そこまでして、違いが分かる人を育てたいのか…
鰹節猫吉
2012/06/23 13:14
というわけで、銀林氏の本で出てきた 分数の原理=互除法 というのは、つまるところ、最大公約数を見つけて約分する操作と同じことで、

整数比になっているいるものを、かんたんな整数比(最大公約数が1の整数比)で表す操作

であると言えます。

物差しの目盛を10等分する操作と異なるところは、


・ 直接既約分数を得られる(約分と同じことをしているのだから、当然)

・ 整数比になっていれば、必ず比を求めることができる(目盛を10等分するやり方の場合、整数比であっても、循環小数になる比率だと、10等分を繰返しても永久に真値を求められない) 互除法の場合、原理的にはコンパスで線分を等長さに切り分けていけばいい、目盛を気にする必要はない。


こう考えると、やはり小数は分数の特別な場合という考えも悪くない。


2つのやり方の共通点は、

・ 整数比になっていない場合、どちらのやり方でも、真値を測れない。


例えば 1 と √2 の比を求める場合、√2の小数部分 √2 - 1 を分数にする問題に帰着するが、√2-1 で 1 を割ると √2 + 1 になってしまい、これの小数部分はまたしても √2 - 1 です。永久に同じことの繰返しになってしまう。

「既約分数にする操作ができない」

というわけで、このような問題に取り組んだ人からみれば、√2が既約分数になると仮定して矛盾を導いて√2が有理数でないことを証明するというのはごく自然な発想と言えるかもしれない。

鰹節猫吉
2012/06/23 15:30
>・「小数は分数の特別な場合で、分母が10や100になっているものだ」という考え方はあさはかな考え方だ。

すごいなぁ。たしかにそう書いてありますね。本当にこのひと教育者なんだろうか。いやしくも、人にものをおしえようというひとが、特定の考え方を「あさはか」とか言うのか…
M
2012/06/23 20:29
英語では、1/2がhalfで、1/4がquarterと呼びます。こういうふうに特別に名前がついている概念があるということは、重要に思っているということは確かです。日本語では分数に特殊な呼び名はないですね。

アメリカでは、20ドルや25セントの流通量が多いのに対して、日本では、2000円や50円の流通量が少なく、1のつく通貨が主である、というのも、分数文化圏と小数文化圏の違いと説明しているようですが、これは歴史的な経緯や通貨単位の区切りや偽貨幣の流通度合いやらいろいろあるので、まゆつばな側面もあると思います。

でも、親しみのある・ないで苦手得意をよりわけて教えるとすると、なんにも新しいことを教えられないんじゃないか?
M
2012/06/23 20:41
1. 小数と分数について

「小数と分数はそれらを初めて教わる子どもたちにとって全然別のものに見えるだろう」と言われれば、「なるほどきっとそうなのだろうな」と思うのですが、「実際に小数と分数は本当に全然別のものなのである」と続けられると「え?小数と分数のあいだには様々な関係があってその関係自体が面白い話の一つだと思うんですが?」と感じます。
くろきげん
2012/06/23 21:46
 いま,私たちが,分数の四則計算に抵抗がないのは,戦後の学校教育のおかげでしょう。(それでも,「分数ができない大学生」と言われたりする状況はあるわけですが。)
 戦前の国定教科書(黒表紙)時代の分数教育の実相は,編集責任者・藤沢利喜太郎の次のような言からも想像がつくでしょう。
 曰く,「分数は正当に云うと数ではありません。分数をも数と云うと同時に数と云う言葉の意味が拡張したのです。(略)分数をもって掛けると云うことは本来意味のないことであります。故にその掛けると云う言葉には勝手な意味をつけて宜しいのです。」
 だから,私たちが理解している分数の掛け算は,「2つの分数の分子の和を分子とし,分母の和を分母として,新しい分数を作って,それを分数の掛け算と云う」としてもロジックとしてはよい,のと同じ規約に過ぎない,というのです。(明治32年に全国の学校の先生を集めで藤沢が行った講義での発言。『数学教授法講義』の203頁から204頁にかけて。http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/811596

 この藤沢の,天下り的に分数を教えることに対し,戦後,遠山が,分数を,先ず初めに,量の大きさを表す数として教えることを主張し,私たちは,その恩恵を被っているのです。
メタメタ
2012/06/23 21:54
2. 数学史について

しばらく前に室井和男さんの話をうちの数学教室の談話会(コロキウム)で聴きました。室井さんはバビロニアの数学について世界最高の仕事をしています。

日本数学会でも室井さんに賞を出しています。
http://mathsoc.jp/publicity/pubprize2010.html
世界的にもっと有名になるべき人だと思います。

室井さんはバビロニアの数表が書かれた粘土板の解読に成功しています。その結論は驚くべきことにそれは三角函数に関する数表だったということ。

バビロニアですから60進数で数表が書かれているわけです。室井さんはある計算法のもとでその数表が再現され、しかも実際に本人自身がすべて手計算でその計算法が実行可能であることを確認してあるそうです。その過程で室井さんは「この数表を作った人達の数学的実力は自分より上だ」と感じたそうです。ぼくもきっとそうだと思います。

その室井さんが強調していたことは「数学的に合理的な考え方はバビロニアから数千年間ずっと変わっていない」ということでした。

確かに、数千年前の我々とはまったく異なる文化・文明のもとで生きていた人達だという理由で、数学的な計算において現代の我々の目から見て不合理極まりないやり方をするだろうと予想するのは馬鹿げています。実際に室井さんは数学の普遍性への信念のもとで実際に誰も成功していなかった粘土板の解読に成功したわけです。
くろきげん
2012/06/23 21:55
>「数学的に合理的な考え方はバビロニアから数千年間ずっと変わっていない」

なるほど、そうですね。数学的に合理的な考え方は古くなりようがない。いつまでも正しいですね。物理が新しい考え方で世代交代するのと対照的。
M
2012/06/23 22:10
室井さんはさらに(数学に限らず)現代人とバビロニア人のあいだに考え方においてたくさんの共通点があることも次の本で指摘しています。

永久(とわ)に生きるとは―シュメール語のことわざを通して見る人間社会 (バウンダリー叢書) [単行本]
室井 和男 (著)
海鳴社 (2010/07)
http://www.amazon.co.jp/dp/4875252714
くろきげん
2012/06/23 22:35
ぼくは、メタメタさんが語っているような、日本における数学教育の「進歩」をどのように解釈するかによって、有害な教え方になったり、有益な教え方になったりすることがあるように思えました。

有益版:分数の和を形式的に「a/b + c/d = (ad+bc)/bd」のように教えるだけですませてはいけない。分数がどのような量を表わしているかについても教えた方が良い。子どもたちが分数に関して多様な直観を持つことができるように工夫して教えるべきである。

有害版:分数の和を形式的に「a/b + c/d = (ad+bc)/bd」であると考えて良いことを教えてはいけない。過去にそのような教え方がすすめられていた時代もあったが、現在ではそのような教え方はすたれている。

ぼくは形式的な考え方もできた方が便利だと思うので、こういう考え方を教えてはいけないとするのは有害な考え方だと思います。

「Aという教え方がまずかったので、○○という偉い人がBという教え方を提案した。現在ではAではなく、Bという教えることになっている。実際それは合理的な教え方である」というような歴史の解釈は危険だと思います。なぜならばそういう解釈は「Aと教えてはいけない」という誤解の原因に成り易いからと思うからです。メタメタさんのように歴史に興味がある人には特に気を付けてもらいたいところです。

算数を教えるときに最も適切な「分数の意味」のような考え方をするようになると、ぼくは穴ぼこにはまると思う。
くろきげん
2012/06/23 22:53
「西洋と日本の文化の違い」のような大きな話を持ち出すのは誤解の原因になりやすいのでやめた方が良いと思います。もっと小さい話に限定した方が良いと思う。

たとえばぼくが例に出した「英語では12までの数と13以上の数で、さらに20以上の数で呼び方のルールが変わるので、英語圏の子どもの算数教育ではハードルの一つになるだろう」というような話であればぼくは何の問題もないと思います。

しかし、それを一般化して「だから、英語圏の子どもは十進法による数の表記法の習得で日本語圏の子どもよりも不利である」というような大きな話にされてしまうと、その真偽がどうであれ、なにはともあれ「証拠を出して欲しい」と言いたくなります。
くろきげん
2012/06/23 23:04
室井和夫さんは、足立恒雄さんのブログでも紹介されていますね。

http://d.hatena.ne.jp/q_n_adachi/20120331/1333202970
おおくぼ
2012/06/23 23:54
 「バベルの塔」って、バビロニアの建造物がモデルという説があるようですね。2000年にイラクに行ったときに多分そのあたりにも行ったと思う。
 「メソポタミア文明」とかもそうだが、言葉を聞いただけで昔の眠気を誘う授業を思い出す。世界史の先生、ごめんなさい。「バベルの塔」ってのも、横山光輝の漫画の方を先に知った、愚かな子どもでした。

>その室井さんが強調していたことは「数学的に合理的な考え方はバビロニアから数千年間ずっと変わっていない」ということでした。

これは、私もそう思います。室井氏は色々検証してそう述べているのだろうから、私如きが「同感だ」などというのとはレベルが違うのだろうけど、やっぱりそう思う。

 地球以外の星で高度な文明を持つ生物がいるかどうか分からないが、もしいたら彼らの数学も我々と共通点は多いだろう。少なくとも、こちらでは成り立たない定理があちらでは成り立つなんて事はないだろう。

 物事を比較する場合には、違いとともに共通点に着目することも大切だと思う。異文化交流だとか、文化の違いなどということが言われるが、共通点だって多い。
積分定数
2012/06/24 07:08
 かけ算の順序同様、正方形は長方形問題に関して、文科省と文科省国立教育政策研究所では、電話での問い合わせでの解答が異なる。政策研究所は「教師の裁量で正方形は長方形でないという指導もあり得る」との回答。

 理由の1つは、子どもが「ましかく」「ながしかく」という言葉を使っているからこれに「正方形」「長方形」という名称を対応させるという指導は合理的というもの。

 「ましかく」と「ながしかく」を「長方形」というと教えればいいだけな気がする。

 日常での言葉と各教科での言葉がずれるなんて日常茶飯事だし、混乱しないように配慮するのは大切だけど、日常の方に振り回される必要はない。

 日常では、蝶やトンボを「動物」とは言わないが、節足動物である。

 5以上、というのは5を含んでいるが、「それ以上ではない」という場合には「それよりも多くはない」という意味でで使われることが多いと思う。

森毅が書いていてなるほどと思ったが、日常会話では単調増加関数のことを「比例」、単調現象を「反比例」と言っている。

 物理の「仕事」や「力」は、日常の言葉のそれとは大分違うと思う。永田町近辺の論理や力学は、これまた特殊らしい。

 算数を教える際に、文化だとか慣習だとか言葉だとか感覚だとか、そういうことに配慮すべきということであれば、それはその通りだと思うが、それによって算数・数学の論理自体が振り回される必要性はないだろう。
積分定数
2012/06/24 07:32
 銀林浩の文章を見ていると「子どもの視点」を根拠に、算数理論を作ってしまっているように思える。瀬戸智子氏もそうだった。

 「子どもの視点」は単一なのか?子どもの視点と算数の論理に乖離がある場合に、以下に橋を架けるかは重要だが、算数の論理を子どもの視点に迎合させる必要があるのか?そのことでかえって分からなくなる子がいるのではないだろうか?

 「かけ算は累加で教えるよりも、1あたり×いくつ分方がいい」という話が、「かけ算は累加ではない」と強調する人を生みだした。

 「分数と小数はいっしょに教えると混乱するから別個の教える」というのは構わない。

 両者の共通点に気づいて、0.1,0.2,0.3,・・・、というのは1/10,2/10,3/10,・・・の事だと正しく理解した子がこのことを教師に報告したら、

「小数と分数は全く違います」とか言うのだろうか?
積分定数
2012/06/24 07:33
 昨日、物理を教えていて、点が数直線上を移動している。加速度a=kt^3 で t=0のときの速度がv0,位置がx0となる。このときのx(t)を求めよ、というのをやった。

 物理は微積を使って教えるようにしている。「室井和夫」の検索でヒットしたhttp://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1239378084によると、山本義隆もそうらしい。しかし数学と違って、加速度a=t^3とするわけには行かない。単位に関して神経を使わないとならないので、加速度a=kt^3としないとならない。

 生徒が途中で、積分定数の処理をどうすればいいのか分からないとか言い出したので、

「そんなことはどうでもいいから、とにかく答えを出して欲しい。突然答えがひらめいたというのでもいいし、何でも良いから条件にあうx(t)を求めて。連立方程式を解くというのは、当てはまるxとyを求めればそれでいい。加減法がどうたら、代入法がああたらなんて事はそっちが勝手にやればいいだけであって、とにかく条件にある物を見つければいい。それと同じ事」と言った。

 ちなみにその子は、位置を微分すれば速度、速度を微分すれば加速度、というのは分かっている。

 しばらくして正解に行き着いた。
積分定数
2012/06/24 07:45
定積分、不定積分、原始関数を求める、区分求積、・・・それらがごちゃごちゃになっていたようだ。

 原始関数を求める、つまり微分の逆

という話と

区分求積、面積などを求める

というのは全く別の話として関係ない不利をして導入した方がいいと思う。不定積分の記号もよろしくない。関係を亜取られないように、最初は全く別に導入する。

 微分して、x^2になる関数は、1/3x^3+c


 それとは全く関係なく独立に、y=x^2のグラフのx=a〜bまでの区間の面積を求める。Σk^2の式なんかを使ったりする。

 こうして全く別に導入したはずなのに、実はつながっている。

改めて考えてみる。

 微分は、引き算して微小なΔxで割る。その逆は、微小なΔxを掛けて足す。

 これはまさしく区分求積。

 
v=dx/dt だから dx=vdt

こういうのを自在に操れるようになると、積分が微分の逆なのか区分求積なのか意識もしなくなる。両者は同じ事だと感覚的に分かる。

 その状態になったときに「両者は全く異なります」などというのは蛇足もいいところ。
積分定数
2012/06/24 08:01
 導入するときは別個に導入する。微分→不定積分→定積分とするから上記のように混乱してしまう。

微分→原始関数を求める
区分求積

これを別個にやる。

全く無関係に導入するから敢えて「違う」という必要もない。


両者がつながるところが面白いところ。


ちなみに、割り算の包含除と等分除も同様だと思う。

等分除的問題と包含除的問題を別の授業で扱う。何度かやるうちに「あれ、これって同じ操作をしているんじゃないの?」と気づいたら、しめた物。

 両者が同じ事に気づいた後は、等分除と包含除の違いを区別させるなど有害無益だと思う。

 ところが実は同じ物。これはすごい、となる。
積分定数
2012/06/24 08:02
 同じ事が違ったように見える場合がある。このときに、違う物として別個に導入するのは構わない。むしろ積極的にそうした方がいいとさえ思う。

 別個にやっていくうちに、「あれ?この話はあの話とつながっているぞ!」ということで、1つの概念に統合されると言うのが算数・数学の面白さ。

 統合されるはずの概念を「それらは全く別なんです」などと言う必要はない。

 銀林浩は、

導入段階で別個に導入する
概念としては同じ

が両立しないと考えているように見えてしまうのだが・・・
積分定数
2012/06/24 08:06
>鰹節猫吉さん
>今回の例でもそうだが、数教協を含めて算数教育業界の人の話を聞くと、「全く違うのです。」という台詞が頻出する。 そこまでして、違いが分かる人を育てたいのか…

私もここが不可解。「三角関数と指数関数は、実は同じなんだ!すごい!」というような数学の楽しさを知らないのではないだろうか?と勘ぐってしまう。

 別個の物と導入してそのまま統合することを教えないというのもまあ許容しよう。

 しかし、

「求差と求残と区別しろ」などと積極的に指導する意味が有るのか?摩訶不思議。
積分定数
2012/06/24 08:21
>その真偽がどうであれ、なにはともあれ「証拠を出して欲しい」と言いたくなります。

「風が吹いたから」は「桶屋が儲かっている」証拠にはならないということですね。
zorori
2012/06/24 08:25
 微積の話が出ましたが、銀林氏の 人文的数学のすすめ p103 によると、


 「長さ」や「時間」のように物体の属性のように見られる外延量(集合関数)を存在量(existential)、「距離」や「時刻差」のように、2つの点関数の値の差として得られる量を位差量(differential)と呼んで区別することにしよう。同じ外延量でも、こうした2つの、いわば様相(aspect)の差があるのだから、やはりそれらに名前をつけておいた方がよいであろう。
…(中略)…
 なお、これと関連して、微積分を学ぶと、「デルタx」 凅 = x2 - x1 という記号にお目にかかるわけだが、微小な差であっても差の式 x2 - x1 ですむのに、なぜわざわざこんな記号を持ち出すのか理解に苦しんだ経験があるに違いない。これも左辺の 凅 は存在量、すなわち物体に附属する増分で、右辺は位差量と考えれば、少しは納得できる。そうすると、まったくの定義のように思えるこの等式でも、両辺の意味は微妙に違うわけだ。


↑ さっぱり納得できません。
「時間」が物体の属性に見られると言われても…
物体に附属する増分と言われても…

鰹節猫吉
2012/06/24 08:36
そもそも、「2つの点関数の値の差」がどうのと言うことで有れば、

時刻 と 時間 対比とすべきじゃないのかな?

「長さ」と「距離」 「時間」と「時間差」 で何を対比させているのかサッパリ分からない。

>微小な差であっても差の式 x2 - x1 ですむのに、なぜわざわざこんな記号を持ち出すのか理解に苦しんだ経験があるに違いない。

「違いない」と断言されても困る。私は理解に苦しむことはなかった。Δxとした方が表記が楽。x2 - x1で押し通しても構わない。それだけのこと。

二階微分の表記は理解に苦しんだ。自分なりに色々考えて、大学に入ってから分かった。

d^2y/dx^2

分母のdx^2は、2xdxではない。d(x^2)ではなくて、(dx)^2のこと。

分子は、d(dy)の事。作用素と考えて、作用させることをかけ算のように表記して、d^2としている。

 こんな説明もなく唐突に2階微分の表記が出てくるから混乱する生徒も多いと思う。



 最近不可解に思うのは、dy/dxの読み方。

私は 「ディーエックスブンノディーワイ」  と読んでいるのだけど、高校の授業では「ディーワイブンノディーエックス」と読むことが多いと最近知って驚いた。

 「分数とは違うから」という理由らしいが、分数だろうが!「分数と異なる」と認識させるのはまずいと思うのだが。

 「ディーワイブンノディーエックス」は、dydxの事だと思ってしまう。
積分定数
2012/06/24 11:15
凅 = x2 - x1

これの左右の意味が異なる、という話なのか。時刻と時間の対比の話ではないんですね。

時間 と 時間差 の違いということなんですね。

本質的な違いなんてあるの?

時間と時間差
長さと距離
凅 =とx2 - x1

これらの違いを認識しろと言われても・・・・


もはやハッタリですらない。
戯言としか思えないのだが・・・。
積分定数
2012/06/24 11:19
 エレガントな式変形を生徒の前で見せるのは考え物である。生徒がそれを目指すとまずい。泥臭くともあれこれやってみる。それを繰り返すうちに、段々洗練されてエレガントになってくる。

 エレガントは結果である。

 生徒には「俺がこうして式変形できるのは、逐一公式や解法、やり方を暗記したのではないよ。その都度考えるうちに自然に出来るようになったんだよ」と言っている。そうしないと勘違いする人がいるから。

 で、算数教育では意味がどうたら、言っている人でも勘違いしている人がいる。
 
 エレガントにやる人は、意味なんか無視してやり方を覚えているだけだ

とでも思っているようである。

↓の、どろんこ氏が典型。
http://www.inter-edu.com/forum/read.php?903,1013957,page=1

小町請求書事件のトピ主も 
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2004/0607/002209.htm?g=02&o=0&p=0
>それまで0にはなにを掛けても0ということは知っていましたが、武田鉄也が
「なぜ2×0が0になるんですか。2という数字があるじゃないですか」
といわれて生徒が答えられずにいました。2×0=0という答えは知っていても、なぜなのかは考えなかったからだと思い、この番組見てよかったと思いました。

算数教育の専門家でもそう思っている人がいるのではないだろうか?

求残と求差が同じ結果になるなんて子どもが気づくはずがない。どちらも引き算だと暗記しているに違いない。それでは意味を考えていないから駄目だ。ちゃんと、求残と求差を区別させないと。「どっちも引き算だから」などというのは、けしからん。

という感じ?
積分定数
2012/06/24 13:38
銀林浩氏の 人文的数学のすすめ p51

 分配法則には、第1分配法則と第2分配法則があって、意味が違うから注意しないといけないらしいです。



 (価格)×(数量)と売買というモデルで考えてみよう。X,Y 2人が同じ価格 p[円/個]のものをそれぞれ x[個], y[個] 買ったとすると、その代金合計は、 px+py[円] となる。ところが、これを2人がいっしょに清算したとすると、両者合わせて x+y[個] 買ったわけであるから、 p(x+y)[円] となる。あるいは、X氏,Y氏など区別する必要のない売り手としてみれば、総量 x+y[個] のみが意味をもつから、やはり同様になる。この両者は当然一致するべきであるから、 p(x+y)=px+py が成り立つ。第1分配法則である。
 しかし、よく考えてみると、この第1分配法則の左辺と右辺とでは、その内容がほんの少しながら微妙に違っていることがわかる。なぜなら、右辺の方は、X,Yが別々に金を出しているのに相当し、左辺は2人がいっしょに出している、あるいは売り手のように、この2人を区別する必要のない場合を表しているからである。
鰹節猫吉
2012/06/24 23:56
(つづき)

 次は、1人の人Xが、価格p[円/個]のものPをx[個]と価格q[円/個]のものをQをx[個]買ったとすると、その代金の合計は、px+qx[円]となる。しかし、この2つの商品P,Qを1個ずつセットにした「抱き合わせ」商品P+Qをxセット買ったと思えば、1セットの価格は(p+q)[円/個]だから、(p+q)x[円]とも計算できる。したがって、(p+q)x=px+qx つまり、第2分配法則である。
 ここにおいても、両辺の意味するところは微妙に異なることに注意しよう。左辺は何らかの事情で、加法を先に行なわなくてはならない情況にあるのである。これに対して、右辺の積の和の形(内積)は何の条件もなしに普遍的に成り立つ。そういう意味では、ここでは、右辺の方が自然というか、ポテンシャルが少ないというか、エントロピーが大きいというか、つまりは実現可能性の大きい状態である。それに対して左辺、つまり加減を先に行なう場合には、それを必要とする何らかの格別な情況が必要なのである。水が低きに流れるように、あるいはエントロピーが増大するように、分配法則が左辺から右辺へいくのはきわめて自然だが、逆は「重力にさからう」ようにきわめて不自然なことがわかる。だから、多項式の積の展開は自然なのに、逆の因数分解はむずかしいわけである。
鰹節猫吉
2012/06/25 00:07
 第1分配法則と第2分配法則の区別が理解できる人はいますか?
鰹節猫吉
2012/06/25 00:12
第1分配法則と第2分配法則の区別と因数分解が難しいことと、全然、話がつながっていませんね。
第1分配法則と第2分配法則の話は何のためにしたのだろう?
zorori
2012/06/25 06:17
とある物理学者が、先にバスに3人乗って次に4人乗ったら、これは3+4であって、4+3ではない、などと管ならないことを言っていたことがここで話題になったことがある。

 誰かが、「乗降口を1人ずつ通過することになるのだから、1+1+1+1+1+1+1とするのが正しい」と言っていた。もちろんその人は、件の物理学者の「式には意味がある」というのを揶揄してのことだが、銀林浩だったら真面目に「本来は、1+1+1+1+1+1+1とすべし」とか言い出しそうだね。

 この本、どういう人が何の目的で読むのだろうか?読むことで何か得る物があるのだろうか?

http://www.nippyo.co.jp/book/1181.html
>現代では数学は理科系の学問だといって済ますわけにはいかない。文科系の諸科学も数学と縁が深くなってきているからである。──そこで、文科系の人たちを視野の中心に据えた、真に《人文的》な数学を提案する。

というのだが・・・・
積分定数
2012/06/25 09:56
といいつつ、私は「銀林浩、訳わからんこと言っているよ〜」などと、結構面白がっている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%A2%E6%9C%AC
>トンデモ本
>「著者の意図とは異なる視点から楽しむことができる本」という意味で、

ということで十分トンデモ本の資格があると思った。
積分定数
2012/06/25 10:07
端的に言うと

(a+b)c=ac+bc
a(b+c)=ab+ac

この2つを区別する。

さらに、(a+b)c=ac+bcの左右で微妙な差がある。

a(b+c)=ab+ac の左右で微妙な差がある


という話かな?

何のために、そんなややこしいことを考えないとならないのか?

思想信条の自由・表現の自由・言論の自由があるから別にややこしく考えてそれを公表するのは構わないが、

それを 「アホか!」と一蹴する権利もまたある。
積分定数
2012/06/25 10:13
>第1分配法則と第2分配法則の区別が理解できる人はいますか?

非可換環やスカラー×ベクトルでは、別の物となるのかな。

 抽象的になって形式的な処理だけで考える場合、純粋に公理から演繹した結果なのか、実数などでの成り立つことからの類推で処理してしまっていて実は推論に飛躍があるのかがわかりにくくて、最初の段階は苦労する。

 成り立つことが分かっていることでも、敢えてそれを知らない振りをして、純粋に公理から演繹していくというのは結構難しい。

 しかし、商品の代金の話であれば、そんなのは全く関係ない。
積分定数
2012/06/25 10:25
>右辺の積の和の形(内積)は何の条件もなしに普遍的に成り立つ。そういう意味では、ここでは、右辺の方が自然というか、ポテンシャルが少ないというか、エントロピーが大きいというか、

「内積」? 「ポテンシャル」? 「エントロピー」?

意味がサッパリ分からない。

専門家でない人が格好つけようとして、専門用語をちりばめて、でもその言葉の意味を知っている人からしたら全くの見当違いで嘲笑物、というのとはありがち。

 でも銀林浩って数学者だよね。物理だって理解していると思う。

 その彼がこういう用語を使うというのは、単なる素人のこけおどしではなくて、深い意味があるのだろうか?
積分定数
2012/06/25 10:36
>その彼がこういう用語を使うというのは、単なる素人のこけおどしではなくて、深い意味があるのだろうか?

深い意味はないと思います。
SFのように物理学用語をコラージュするのは、「現代思想」的な流行でした。
だから物理学用語を削除して読めばいいのです。

>しかし、よく考えてみると、この第1分配法則の左辺と右辺とでは、その内容がほんの少しながら微妙に違っていることがわかる。
>なぜなら、右辺の方は、X,Yが別々に金を出しているのに相当し、左辺は2人がいっしょに出している、あるいは売り手のように、この2人を区別する必要のない場合を表しているからである。

これは売り手と買い手の非対称性のことを言っているのです。
「売り手と買い手の非対称性」は、経済学では重要な概念ですが、銀林浩さんは誤解していると思う。

> 第1分配法則と第2分配法則の区別が理解できる人はいますか?

これは客が一人の場合と、二人の場合の違いだと思います。
おおくぼ
2012/06/25 14:21
(a+b)(c+d) ac+ad+bc+bd

右辺の方がばらけているからエントロピーが大きい、とかそういうこと?

しかし、例えというのは、同様の構造を持つより身近で分かりやすいものを持ってくるのが普通だと思う。

 相対論を説明するのに浦島太郎というのは聞いたことがあるが、浦島太郎を説明するのに相対論を持って来るというのは聞いたことがない。
 


 分配法則や展開、因数分解などという中学数学レベルの話をするのになんでエントロピーを持ち出さないとならないのだろうか?

 エントロピーと数式の間に堂のよう鋸有象がある場合には、エントロピーの説明で数式をする方が普通だと思うが。


 しかし、そんな熱力学の本なんか存在するのだろうか?


 そもそも、「これとあれは違う」などと、違いを強調する人が、エントロピーと数式にこんないい加減な「同様の構造」で例えていいのだろうか?

 そんないい加減な構造を「同じ」と認めるなら、3×4と4×3になぜ同じ構造があることを認めないのだろうか?

 それこそ理解に苦しむ。
積分定数
2012/06/25 14:55
>エントロピーと数式の間に堂のよう鋸有象がある場合には

エントロピーと数式の間に同様の構造がある場合には
積分定数
2012/06/25 14:57
2/3乗をどう定義するか?

教えるときはあまりごちゃごちゃ言わない。1/nがn乗根であることを理解した後に

1000^(2/3)は?というようなことをやってもらう。

100と正しく出したら、8^(2/3)とかやってもらい、最終的にa^(2/3)を3乗根(a^2)、あるいは、(3乗根a)の2乗というのを感覚的に理解してもらう。一般的なn/m乗も同様。

ここで、この定義がwell-definedかどうかが気になるならマニアックに証明してもいいが、感覚的に分かるからいい矢というならそれでも構わないとしている。

 数学かを目指すような場合は気にして欲しい。

 さて、銀林浩は、a^(2/3)をどう考えるのか?

a^(2/3)を3乗根(a^2)
(3乗根a)の2乗

両者に意味の違いを見いだすのか?さらに、4/6乗とは同じか、異なるのか?

well-definedを確認するのは数学においては重要。
しかし、well-definedであることが分かった後まで、微妙なニュアンスの違いをかぎ取る必要性はないと思うが。

 まあ、違いを見いだすのは勝手だから構わない。

 ここで問題になっているのは、算数教育にそれを持ち込み、児童にそのような「違いを見いだすこと」を強要している点である。
積分定数
2012/06/25 18:05
 7C2は7個から2個取り出すことであって、5個取り出す場合には7C5でなくてはならない、

などというような、最初の意味に拘ってしまうのは数学が出来ない生徒に多い。

 数学が出来ないこと自体は批判されることではない。私だって音楽や体育が苦手だったがそのことを批判されても困る。

 しかし、数学が苦手な人が苦手な状態の視点を維持したまま算数教育に関して、「こう教えるのが正しい」などといっていたら、それは批判されても仕方ない。

 私が音楽教育について偉そうなことを言ったら批判されても仕方ないというのと同様である。

 苦手だった立場から「こういう授業はやめて欲しかった。こういう授業が特ににいやだった」と私が言って、音楽教育の専門家がそれを参考にするというのはあり得る。

 しかし私が音楽が苦手なまま音楽教育の専門家になるなんて考えられない。

 算数教育ではそれが罷り通っているようで摩訶不思議。
積分定数
2012/06/25 18:13
銀林浩さんは、翻訳をいろいろ手がけていますが・・・
例えば・・・・
J.フォン・ノイマン共著『ゲームの理論と経済行動』 (ちくま学芸文庫)やE.T.ベル:著『数学をつくった人びと』 (ハヤカワ文庫 NF)

数学書を翻訳するには、語学能力だけでなく数学を理解する能力が必要です。
銀林浩さんは数学の能力がかなり高いはずなのに、数学について不思議なことを主張する理由がよくわからない。
おおくぼ
2012/06/25 18:38
追記

銀林浩さんは、現実と数学は別モノと考えていないのかも。
だから数学を現実に応用していると考えるのではなく、現実と数学が融合して、融合するたびに別の数学になっていると考えているのでは?
だから数学が現実に応用(?)されるごとに、数学の常識が覆される?
おおくぼ
2012/06/25 19:01
追記

『「知」の欺瞞<ポストモダン思想における科学の濫用>』( アラン・ソーカル &ジャン・ブリクモン:著が今年の2月に文庫化(岩波現代文庫)されていた。
文庫だけど、1600円ぐらいする。
フランス知識人の悪い見本を紹介している本です。
銀林浩さんも、フランス思想の影響を受けているみたいですね。
おおくぼ
2012/06/25 20:09
 この件に関わるまで数学者というのは抽象思考を好むものだと思っていた。

 あえて抽象思考を否定する数学者がよくぞ3人(遠山啓・森毅・銀林浩)揃ったものだと思う。
積分定数
2012/06/26 00:08
> 「内積」? 「ポテンシャル」? 「エントロピー」?
> 意味がサッパリ分からない。
> (a+b)(c+d) ac+ad+bc+bd
> 右辺の方がばらけているからエントロピーが大きい、とかそういうこと?

 科学的には、???でしょうね。
 ばらけているのが自然で、ポテンシャルが低くてエントロピーが大きい?

 結晶は?
 ポテンシャルは低いけど、ばらけてない。

 気体が入っている容器を真空中に置いて、容器の栓を開けたとする。
 気体はどんどん膨張していきますが、ポテンシャルエネルギーは増加、エントロピーも増大。
 エントロピーは増大しているが、ポテンシャルも増加しているようですが…
鰹節猫吉
2012/06/26 01:28
 桜井進氏がまたすごいことを…

 週刊現代 6月30日号 「世の中はこの不思議な数字に支配されていた 黄金比(1対1.6)と白銀比(1対1.4)」

 黄金比(1:1.6)は誰もが美しいと感じる比率ですが、白銀比(1:1.4)に美しさを見出す民族は、あまり聞いたことがない。しかし、日本人はこの比率でできたもの美しいと感じ、無意識のうちに活用してきたものと思われます。

 生命の躍動感といった『動』の美しさを示す黄金比に対して、白銀比は、実用的でムダを省いた『静』の美しさを表します。この美が日本人のDNAにマッチしているように思われます。

 白銀比でできた長方形を半分に折ると、白銀比の長方形ができる。何度半分に折っても、白銀比が無限につくりだされます。日本人は白銀比がもつこの無限性に美を感じ取り、惹かれるのでしょう。

(華道の未生流が 1:1.4 の比を用いたり、俳句が 5 7 5 になっていることについて) 言葉を花のように活けていくのが俳句なのです。
鰹節猫吉
2012/06/26 01:43
 俳句の七五調とは、なんと 1 : √2  がその起源だったのだ!!!

 桜井進先生大発見の巻!!!

 流石東京工業大学世界文明センター!!!

 桜井進フェローの優秀性と偉大性が証明された?
鰹節猫吉
2012/06/26 01:56
1 : √2
1 : (1+√5)/2

 こういう比率が美しいのか?
 感覚的なものとしかいいようがないと思うのですが…
鰹節猫吉
2012/06/26 01:58
粘菌は生活環境が悪化すると集まるらしいがあれはどうなんでしょうね?

黄金比が美しいとか何とかってよく言うけど、いつも疑問に思っていた。黄金比になるような例だけを集めたんじゃないかという気もする。

 白銀比がどうたらと言われても、半分に折っても相似になる長方形の縦と横の比は1:√2しかないんだから、日本だけといわれても・・・

 実際、B版は日本特有だけどA版はそうじゃないと聞いたことがある。

100万歩譲って、白銀比やらに美意識を見いだすのが日本人の文化だとして、それをDNA云々と言ってしまうあたり、あくまで比喩で言っているとは思うのだが、危ない物を感じる。

 文化や価値観、伝統の維持継承とDNAは別個に論じるべきだと思う。
積分定数
2012/06/26 06:56
都々逸7・7・7・3も7+7:7+3とすれば、
1.4:1で白銀比、なるほど桜井進理論は偉大だ!

こんなブログがありました。
ダ・ヴィンチ・コードと黄金比の嘘
http://subal.cocolog-nifty.com/blog/2006/01/post_de8a.html
黄金比とウィキペディアの中立性
http://subal-m45.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-3398.html
自然の中の黄金比
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/2607/SPR/GoldenRatio.htm

私自身はオウムガイの殻の比を調べていないので、黄金比になっているかどうか知らない。面倒だしあまり興味もない。仮に黄金比になっていたとしても

何でもかんでも、やれ黄金比だの美だの神秘だのと数学のああたらだのということに胡散臭さを感じる。
積分定数
2012/06/26 07:30
黄金比だの、友愛数だの完全数だのもいいけどさ、普通に算数・数学の面白さを追求したらどうかと思うのだが。

 中学校のときに1+2+・・・+nの計算方法を説明されて、「なるほど」と思ったが、自分で試行錯誤して見つける方がずっと面白いと思う。

 教える人が「算数・数学の何が面白いのか?」を考えれば、やり方を説明して演習問題を解かせるというおざなりな授業も減ると思うのだが。

 黄金比だの民族数学だのがけしからんというつもりはないが、

 もっと普通に単純に素朴に算数・数学の面白さを追求して欲しいと思う。
積分定数
2012/06/26 07:36
100人に3個ずつ蜜柑を配る。蜜柑の数は?

3+3+3+・・・・

大変だな。まてよ、みんなに1個ずつ配れば100個。もう1個ずつ配ればまた100個、ってやれば300個だ

ということは、○を△個足すのと、△を○個足すのは答えが同じなんだ!

そうか、ということは、○×△と△×○は同じ事なんだ、前後は対称なんだ!

これはすごいぞ!美しい!
積分定数
2012/06/26 07:41
100人に3個ずつ蜜柑を配る。蜜柑の数は?

3+3+3+・・・・

大変だな。まてよ、みんなに1個ずつ配れば100個。もう1個ずつ配ればまた100個、ってやれば300個だ

ということは、○を△個足すのと、△を○個足すのは答えが同じなんだ!

そうか、ということは、○×△と△×○は同じ事なんだ、前後は対称なんだ!

これはすごいぞ!美しい!
積分定数
2012/06/26 07:47
黄金比だの白銀比だのに美しさを見いだす桜井進は、抽象化に美しさを見いださないのだろうか?

 抽象化によって具象のごちゃごちゃが一気に晴れ渡る。

かけ算に前後なんかない、等分除と包含除に区別なんかない
倍だの積だのと区別する必要もない

実に簡潔で美しいと思うのだが・・・
積分定数
2012/06/26 07:53
美術批評を数学で裏付けた理論というのは怪しいと思う。
フランス思想でもそういうのがあって影響を受けた人がいます。
中沢新一さんとか北沢方邦さんとか・・・。

数学で裏付けたということは、コンピュータで扱いやすいという利点があると思う。
それを美しいと思うかは別の話ですが。
音楽でもプログラムを組んでコンピュータに自動作曲させても、ヒット曲は作れない気がする。
おおくぼ
2012/06/26 09:53
 人間の脳の研究が進み、どういう刺激に大して感動するかが解明されて、その人が一番感動する音楽や絵画が自動的に作られるソフトとかそのうち出たりしてね。
積分定数
2012/06/26 14:21
mixiの日記、こっちにも書いておく。

黄金比とは、検索すればヒットするから説明は省略。

フィボナッチ数列や五角形の対角線に出てくるというのも、実際計算すればそうなるから確認できる。

 人はこの比率に美しさを感じるとかとなると、感覚の問題だからど〜とでも言えるだろうと思うが、無碍に否定もできないから、「はあそうですか」と言うしかない。

 そして、自然界には黄金比が溢れていてこれは神秘的だとなると、胡散臭く思えてしまうがまあもしかしたらそうかもしれないのであまり突っ込んで考えたことはなかった。

 気になるので、検証してみる。
積分定数
2012/06/26 15:36


良くあるのが、オウムガイの殻がどうたらというはなし。

 オウムガイとは、軟体動物だから広い意味で貝と言えるが、頭足類だから蛸や烏賊にちかい。蛸や烏賊も広い意味で貝の仲間。

 成長に伴って殻が大きくなる。このときに、成長しても相似形を維持するには、中心からの距離=定数×r^θとなっていないとならない。rは1より大きい定数。だから、一定の比を維持して成長すること自体はそれほど不思議とは思わない。

 その比が黄金比と関係しているというのだが・・・・

 ネット上の画像で確かめようとしたが、微妙でよく分からない。

 仮に黄金比だったとしよう。

 では、そうなる必然性はあるのか?それについて研究された論文はあるのか?


 オウムガイの親戚筋のアンモナイトは種類が沢山ある。殻の巻きの具合が黄金比と関係している物も中にはあるだろうが、種類が多ければ当然のこと。

 オウムガイとかなり遠い親戚筋の頭足類アオイガイ(タコガイ)は、これは完全な蛸。以前青森港で採った貝殻があるので調べてみたが、黄金比どうたら以前に、中心からの距離=定数×r^θが成り立たない。

 巻き貝の種類は沢山ある。巻きがきつい(rが1に近い)物から、緩いものまで様々あると思う。頭足類の殻と異なり左右対称じゃないから、「真ん中で切った断面図」というのがそもそも定義しにくい。



 ということでなんだかよく分からない。
積分定数
2012/06/26 15:37





 もう一つの定番ネタ、ネタじゃなくてヒマワリの種はどうか?

これもよく分からなかった。ヒマワリに限らずキク科植物は小さな花が集まって花のカタマリを形成している。小さな花は渦巻き状に並んでいる。

 この渦巻きがフィボナッチ数列や黄金比に関係しているのか?

 特にヒマワリだけがそうで、他のキク科植物はそうとも限らないというなら、これは単なる偶然というか、説明に都合のいいものだけを取り出したように思える。

 ほとんどのキク科植物がそうであったとする。

 必然性があるのか?必然性があるならそれは「神秘」ではない。物を投げたときに放物線になるのは必然性がある。名前が放物線なんだから、そりゃそうなんだけど、そうじゃなくて、2次曲線になる必然性ということ。これは高校物理の初歩的な話。

 必然性がないにも関わらずほとんどのキク科植物でそうであったなら、これは確かに不思議だ。そうであれば面白い研究テーマだが、研究されているのだろうか?


 ビーナスやらオウムガイやらヒマワリやらを例に挙げて、黄金比の神秘がどうたらという話は多いが、そこから先の話はあまり聞いたことがない。
積分定数
2012/06/26 15:37
黄金比 より 1/fゆらぎ の方がよっぽど興味深いです。
TaKu
2012/06/26 21:45
アンモナイトは「ニッポニテス」で検索を。とりあえず画像検索してからWikipediaあたりを読むと2度楽しめます。
M
2012/06/26 22:07
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/2607/SPR/GoldenRatio.htm

このサイトはオウムガイと黄金比について正気(?)で解説していますね。それにしても、今度は秋山仁…やれやれ。
M
2012/06/26 22:18
http://www.press.tokai.ac.jp/bookdetail.jsp?isbn_code=ISBN4-486-03154-7
には、異常巻き含めてアンモナイトの殻の形状についての分析が書いてあります。オウムガイについても言及。黄金比のことは何も書いていません。

 秋山仁の解説だと、180度で黄金比なんですね。別のサイトだと90度で黄金比とか書いてあった。120度で黄金比とかいうのもありそう。

貴金属比というのがあるのですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%B4%E9%87%91%E5%B1%9E%E6%AF%94

宝石商の戦略見たく何とか比がいっぱい。

テキトーな比がどれかの近似値に引っかかても不思議はない。

「どれにも当てはまらない。これは神秘だ」とか言ったりして。
積分定数
2012/06/27 00:09
 今回調べるまでは、オウムガイが黄金比という話は特に疑うこともなかった。そういうことがあっても不思議はないと思っていたからあまり気に留めなかった。

 水伝だと、「そりゃうそだろ!」と分かるが、その類の「あっても不思議はない科学的装いをした通俗ガセネタ」ってのは意外と多いかも。

 異常巻きが進化の袋小路で、ってのはそういう考えがあってそれが研究に結果否定されたということ。

 科学ではその手のことはありがちだが、その類とは別のいい加減な通説というのがあると思う。

私が、あやしいと思っているもの

生きた泥鰌と豆腐を鍋にすると、泥鰌が豆腐に頭を突っ込むとかいうけど、調理するときにワタを抜かないと泥臭いように思うのだが・・・

 筑紫哲也が多事争論で言っていた、「煮え蛙」。熱い湯に突然蛙を入れるとビックリして逃げていくが、ビーカーに水を蛙を入れてアルコールランプで徐々に加熱すると煮え蛙になるという。加熱しなくても、そもそも蛙はじっとしていないと思う。

 猿にマスターベーションを教えると死ぬまでやっている。誰が実験したのか?どう教えるのか?猿の種類は?

 このあたりになると、さすがにガセだろうとなる。 
積分定数
2012/06/27 00:25
 この間、タモリ倶楽部でどうでもいいようなことを科学的に検証することが趣味の人が出ていて、「江戸時代から続く秘伝のタレは本当か?」というのを調べたそうだ。そういうのはアホらしくて面白い。

 単純な例で言えば、バケツの水を半分入れ替える。全ての水が入れ替わるにはこの作業を何回すればいいのか?

2回ではない。2回この作業をしても、最初の水の1/4は残っている。

 だから、僅かだが最初の水は永久にとまではいかないが、完全に入れ替わるにはかなりの回数が必要だと漠然と思っていたが、計算したら意外と早く入れ替わる。

 計算しやすいように、ちょうど1モルの水でやってみる。分子の数は6×10^23 どうせ丼勘定、多めに見積もって10^24 

2^10は、にいよんはちいちろくざんにいろくよん・・・とやっていくと、ごーいちに の次だから1024でほぼ10^3

ということは、18ccの水を半分入れ替えるという作業を80回くり返せば、最初の水分子は1つ残らずなくなることになる。もちろん、新しく入れた水と前からある水を均等に混ぜて・・・という条件付き。

 バケツでも似たような物だろう。

 で、秘伝のタレも、容器の大きさやら客の数やらを適当に設定すると、10年ぐらいで分子レベルですっかり入れ替わる計算になるらしい。

 単純な話だけど、ちょっと「ほお」と思った。
積分定数
2012/06/27 01:02
「どじょう豆腐」:泥鰌は豆腐に突っ込まない。

http://www.tofu-as.jp/tofu/history/14.html

「茹でカエル」と「サルのマスターベイション」は作り話。
おおくぼ
2012/06/27 02:01
どじょう豆腐、実験した人がいるんですね。家の周りの田圃に沢山いるけど、実験するのは気が引ける。

>作り話。

やっぱりね。俗説なんていっぱいあるんだろうね。オウムガイと黄金比は、それなりに真に受けて取り上げている人が多い点が特異かな。

 さっき気づいたが、正方形を段々小さくして敷き詰めて長方形にして行って、頂点で接するように渦巻きを描くと、オウムガイっぽくなるんですね。
http://boxgoods.exblog.jp/m2011-02-01/
>でもさ、実際は全然黄金比率になってないらしくって、そういう風に勘違いされていた
だけなんだって…。

 その発想からだとしたら90度回転で黄金比、のはずだけど、秋山仁説だと180度、

なんだかよくわからん。
積分定数
2012/06/27 08:33
 この90度で黄金比の螺旋は広がり具合は大きくて、普通の巻き貝ではこうはなりそうにない。で、当てはまりそうな気がするのはオウムガイかアオイガイ、というような話かな。

ヒマワリの種の話は↓を読むと信憑性がありそうだが、
http://www.geocities.jp/traumeswirren1212/sophia/philox.html
>3.葉っぱのつき方から黄金比へ
のばらけ具合がどうのというのが今ひとつ分からない。どういう条件で点を打っていくのだろうか?分かる人いますか?
積分定数
2012/06/27 09:03
 まあこの類の俗説はともかく、中には命に関わるのもある。

毒キノコかどうかを見分ける方法で、裂け方がどうのとか虫が付いているかどうかとかは、嘘。

ヤマカガシは無毒だと言われていて、子どもの頃は平気で掴んでいたが、有毒で死亡例まである。

昨年の震災のときに、「津波が来るときは水路の水位が下がる」という言い伝えがあり、下がらなかったので逃げなかったという地域があるとテレビでやっていた。それ以前の津波で水位が下がったのでそういう話になってしまったらしい。

 津波の前に水が引く とは限らない。

 猿のマスターベーションなら笑い話で済むが、この類の俗説は注意したい。

 「運動中は水飲むな」も、根拠はなかったわけだし。
積分定数
2012/06/27 09:10
> ばらけ具合がどうのという


同じ角度ずつで配置すると、360度÷有理数だと分母の数だけ放射状の手がはえてくるような形になってしまい、重なりあって日当たりが悪いところと、すき間が開いている部分ができてしまう。

黄金数を連分数にすると、ずっと分母が1だから、無理数の中でもゆっくり収束して、近似分数をつくりにくい。

なるべく等間隔で、混んでいるところと空いているところの差をなくすように配置すると、黄金比とフィボナッチ数が出てくるのではないか…



そのようなことでしょうが、シソの仲間など茎が四角で90度ずつ配置というのも多い。ものにやって違ってくるのでしょう。

そのようなことなら、きれいな渦ができていて疎密の差が少ないものを選んで調べれば黄金比が出てきそうですが…
鰹節猫吉
2012/06/27 12:48
円周上に点を配置する。まず、1点おいて、中心角θで反時計回りに2点目を配置する。さらにθ反時計回りで3点目、というのを繰り返す。θがπ×有理数だといずれ重なってしまう。そうならないようにするには、θ=π×無理数であることが必要十分条件。

 というのは分かるのですが、黄金比にすると、重ならないだけでなく、特定の場所に片寄らないと言うことなんでしょうか?

 問題をもっと単純化する。

αを0以上1未満の実数とする。数列anをnαの小数部分とする。

a1〜aNまでの点が0≦x<1の範囲に分布することになるが、Nが十分大きいと、この範囲に均等に分布するようなαは何か?

 ということなんだろうか?
積分定数
2012/06/27 14:03
ガセだと思いがちだが本当の話もあるから注意も必要。

ジャガイモに味噌をつけて食べた人は死ぬ

というのは本当。

 過去において、ジャガイモに味噌をつけて食べた人で、その後200年以上生存した人は確認されていない。つまり、ジャガイモにみそをつけて食べた人は全員200年以内に死亡する。

 恐ろしい話だ。
積分定数
2012/06/27 14:15
 ちょうどいまネジバナの季節ですが、ネジバナは重なり合わないように同じ角度ずつ配置ということはしてないようですね。ほぼまっすぐに花が並んでいるのがかなりあります。ねじれているものであっても、S字型にねじれていたり、Z字型にねじれていたりいろいろです。
鰹節猫吉
2012/06/27 23:20
> 黄金比にすると、重ならないだけでなく、特定の場所に片寄らないと言うことなんでしょうか?

 座標を使って表わすと、

φ = (1+√5)/2
θ(i) = 2π/φ
r(i) = ?

x(i) = r(i) cosθ(i)
y(i) = r(i) sinθ(i)

 粗密むらなく均等にするためには、θだけでなくr も関係してきますね。

 本の解説などだと、 r(i) は √i に比例するような話になっているようだが、

 小さな花なり葉っぱなりの面積はすべて等しい S であると仮定して、おおざっぱに、

i・S = π・r(i)^2

と考えると、だいたい r(i) は √i に比例する。

 しかし、
http://www.geocities.jp/traumeswirren1212/sophia/philox.html
のバラや cone flower を見ると、面積一定というわけでもなさそうです。
鰹節猫吉
2012/06/27 23:36
 そういうわけで、仮に 「等角度間隔仮説」 が正しくて θ(i) = 2π/φ だったとしても、 r(i) のほうはどのように決まっているのかよく分かりません。

 うずをまくように成長していて、各部品がほぼ同じ大きさというのであれば r(i) = √i は妥当な気もします。


 計算機で、

r(i) = √i
θ(i) = 2π/(いろいろな数)

で試してみました。

 √2,√3,π,e などで試してみましたが、確かに黄金数だときれいにばらけるというのは事実のようです。

 後ほど、結果をまとめて画像データをはりつけたいと思います。
鰹節猫吉
2012/06/27 23:47
ネジバナのことは私も考えましたが、あれは葉っぱと違ってばらける必要性はないのかもしれませんね。同じ株から出ていて巻き方が右巻きと左巻きだったりするから、DNAみたいな形なのに、巻き方はDNAが決定しているわけでもなさそうですね。花が連なって出来るときの微妙な位置で巻き方が決まるのかな?

>確かに黄金数だときれいにばらけるというのは事実のようです。

なるほど、オウムガイの件があったので「自然の中に黄金比」というのが全部ガセかと思ったのですが、そうでもないのですね。

 でも不思議ですね。ちょっとそのあたり、数学的にちゃんと解決したいですね。

積分定数
2012/06/28 08:08
 数学的に厳密な話は分からないけど、自分としては、こんな感じで直感的にもっともらしい感じはします。

 フィボナッチ数列 F(1)=1, F(2)=1, F(3)=2, F(4)=3, F(5)=5, … の隣り合う項の比 F(n+1)/F(n) は、n→∞ で黄金数 φ=(1+√5)/2 に収束します。これは、連分数による近似になっています。

1 + (1/1) = 2
1 + 1/(1 + 1/1) = 3/2
1 + 1/(1 + 1/(1 + 1/1)) = 5/3

(これは数学的帰納法で簡単に確かめられる。)

というわけで、

3/2, 5/3, 8/5, 13/8, ……

の順に正確な近似値になっていきます。

 そういうわけですから、8の数倍程度の葉っぱを配置すると、8本の手が放射状にでてきそうです。しかし、正確に 360/8度の間隔になるわけではないので、正確に放射状になるわけではありません。8の2倍の16は13(8のつぎのフィボナッチ数)より大きいです。2周するころには手が8本にまとまろうとする力より、13本に分裂しようとする力が強くなってくるはずです。

 ところが、フィボナッチ数列では必ず、 F(n+1) < 2・F(n) です。なぜならば、 F(n+1) = F(n) + F(n-1), F(n)>F(n-1) だからです。

 結局、葉っぱの数が増えても2巡して手が分かれはじめるころには、さらなる分裂がはじまるというわけです。

 3/2, 5/3, 8/5, … というふうに分母がゆっくり増えるのでこのようなことになる。連分数にすると、ずっと 1 が続くパターンが、もっとも分母の増え方がゆっくりだというわけです。
鰹節猫吉
2012/06/29 01:13
http://mshi.no.coocan.jp/pukiwiki/?%B8%A6%B5%E6%BC%BC%2F%A5%D5%A5%A3%A5%DC%A5%CA%A5%C3%A5%C1%BF%F4%A4%C8%BF%A2%CA%AA

これをみて、何となく分かるような分からないような・・・

5/13の例で考えてみる。

正13角形があって、これに番号を振ることを考える。n番目とn+1番目と正13角形の中心で作る三角形は常に合同とする。

 360×1/13の角度で回転しながら番号をつけると、最初の方で込みあう。

 最初と2つ目が距離が遠くなるようにするには、
360×6/13とすればいい。 
360×7/13でも同じ事。

でもこれだと、2周目で込みあう。

てなことを色々考えると、5/13が最適ってことかな?

 もう少し数学的に厳密にこれが出てくるモデルは出来ないかな?

一枚の葉っぱが単位期間あたりに受け取る光エネルギーは、それよりも上にある葉っぱの数と位置によって変化する。上の葉が、なるべく離れた位置にある方が受け取るエネルギーが多い。

 ある葉っぱが受け取るエネルギー量を上の葉っぱの数と位置の関数として表して、

360×5/13が最も効率よくエネルギーを受け取るとことになる

というように出来るのかな?
積分定数
2012/06/29 10:36
 話は変わる。

数直線上を点Pの座標をxとする。

x=3t+4とする。
Pの速度は?

という問題が出来ない子に、

では、t=10のときのPの座標は?

Pが直線運動をする。
t=5のときx=8 t=7のときx=14

t=10のときは?
xをtの式で表すと?

という問題は、試行錯誤しながらなんとかできた。

最終的には、t=aでx=b t=cでx=d となる。xをtおよび、a,b,c,dで表すと?

というのが出来た。


次に、

3秒で5m だと 6秒で何mか?

というような問題を次々やると、数値によっては多少手こずりながらも何とか出来た。

最初にやった問題もこの手の問題も、始めは試行錯誤して数を当てはめていたが、そのうち計算方法を自分で見つけてどんな数値でも出来るようになった。

 この間、速度の定義式は教えていない。


最初の速度を出す問題が出来なかったのは、「速度」や「速さ」ということで、何か公式みたいな物を考えてしまったからかもしれない。 

(3t+4)/t とかやっていたことからそれが分かる。


次あたりに
 
 3秒で12m 1秒では? 

という問題を出してみる。当然すぐに出来るはず。

一定時間に進む距離で速さを表すことが出来る。一定時間として単位時間を選べばいい。

ということで、1秒に4mだから、それを速さとすると教えればいい。

4mか4m/sかについては、若干説明する。
積分定数
2012/06/29 10:58
「速さ」という概念は自然な物。

この生徒も、

3秒で7m
4秒で8m

どちらが速いか?

を、12秒で比較すればいい、あるいは56mで比較すればいいとすぐに分かった。

これに対して、その数値化である「単位時間あたりの距離」というのは人為的概念であり、自然に出ては来ない。「単位長さあたりの時間」で定義しても構わなかったわけだし、「単位当たり」である必要もない。
100m走なんか、100m走るのに必要な時間で比較している。

 人為的な概念はそれなりに手順を踏んで教えないとならない。自分で発見は出来ないから。

 この生徒は、自然な理解としては速さの概念を獲得していた。速さの数値化という人為的な部分で、躓いていた。

 このあたりは、遠山啓の本で意識するようになった。そういう意味では非常に有り難いと思っている。

 しかし、内包量だの外延量だのとなってくると・・・

 そんなあれこれややこしい解釈をする必要があるのか?

3秒で5m だと 6秒で何m?

内包量・外延量どころか、速さの定義すら知らなくてもこれは自分で考えて解くことが出来る。
積分定数
2012/06/29 11:10
フィボナッチに戻る。

直円柱を底面に平行な平面で切断した円を考える。こうして等間隔な13個の円を作る。

 それぞれの円に、同じ電気量の点電荷を置く。この電荷は円周上を自由に動く。

 位置エネルギーが最小になるところで落ち着くことになる。

でこれは、5/13周ずつずれるときである。

と、なるのだろうか?

今思いついただけだからかなりテキトー。
積分定数
2012/06/29 11:17
フラクタルとか複雑系の数学は、映像で見ると「凄い!」と思います。

http://www.youtube.com/watch?v=JlUMRMpLzRo&feature=fvst

生物の解析に、どのぐらい役立っているのか知りませんけど。
おおくぼ
2012/06/29 17:25
> そういうわけですから、8の数倍程度の葉っぱを配置すると、8本の手が放射状にでてきそうです。しかし、正確に 360/8度の間隔になるわけではないので、正確に放射状になるわけではありません。8の2倍の16は13(8のつぎのフィボナッチ数)より大きいです。2周するころには手が8本にまとまろうとする力より、13本に分裂しようとする力が強くなってくるはずです。

↑ もし、そうだとすれば、50個の点をうてば、ほぼ13本の手が現れて21本に分裂しはじめるくらい。100個の点で21本〜34本程度に分裂… となりそうですが、実際に計算して試してみました。 ↓

http://blogs.yahoo.co.jp/kindangawa/23030719.html


 今後さらに詳しく調べます。

(1) i を 13で割った余りが 0, 1, 2, … になるものどうしで分類して調べる。

(2) 黄金数以外の数でも同様のことをしてみる。 (π, e, √2, √3 で実験中。)

(3) 連分数をしっかり勉強しなおす。

http://www.math.tohoku.ac.jp/~atsushi/Jarticle/cfrac.pdf

↑ まだ、ざっとしか見ていないですが、勉強になりそうです。
ありがたいことです。
鰹節猫吉
2012/06/30 00:23
早稲田大学理工学部出身のオカルト作家の広瀬隆さんが『週刊朝日』のサイトで反原発運動を展開しているのですが・・・。
http://www.wa-dan.com/

広瀬隆さんの記事を読むと、算数の詭弁としか思えない。

http://www.wa-dan.com/article/2012/04/post-550.php

>昨年夏に関電が想定した最大電力需要は、3037万キロワット(kW)であった。
>しかしこの数字は、関西でも気温が42℃を超えるというトテツモナイ嘘を元にはじき出された数字であって、実際に、関電管内での2011年夏の最大電力需要は、大阪市で35.6℃となった8月9日の2784万kWでしかなかった。
>3037−2784=253万kWも過大に電力需要を見積もって、消費者に脅しをかけたのだ。
>関電が再稼働しようとしている大飯原発3・4号機は、118万kW×2基=236万kWなのだから、どれほど悪質な最大電力需要の想定をしてきたかが分る。
おおくぼ
2012/06/30 21:04
 もう20年ぐらい前になるけど、広瀬隆が講演で当時のガリ国連事務総長の「日本は改憲して国際貢献」という発言を批判する中で、ガリはエジプト出身だが、イスラム教ではなく、キリスト教コプト派で支配階級の宗教というような事を言っていて、「ふ〜ん」と思っていたけど、昨年のエジプト革命関連の新聞記事などを読んで、むしろコプト派は少数派として差別されていたことを知った。

 広瀬隆の発言は私の昔の記憶なので、正確ではないのですが。
積分定数
2012/06/30 23:31
 しかし、原発を推進する側に対する不信感もある。

 最初から結論を決めていて、それに合わせてデータをだしているのでは、という疑念が拭いきれない。

 これは、具体的な根拠があるわけではないが、静岡空港建設の際の需要予測などがそうだったが、この手のことはよくありがちなので、そう思えてしまう。

 普段からそういうことばかりしているから信用をなくしてしまうのだと思う。

 かけ算の順序での対応もそうだけど行政って、責任を回避することばかり考えているのではと思えてしまう。
積分定数
2012/06/30 23:39
mixiニュースより

パトカーに追跡された車が衝突、女性看護師死亡
(読売新聞 - 06月24日 08:32)

チェックする(60) つぶやく(439) 日記を読む(181)
 23日午後11時55分頃、北海道旭川市東光12の7の市道交差点で、パトカーに追跡されていた乗用車が、右から来た軽乗用車と出合い頭に衝突、軽乗用車の同市東光15、看護師清水縁(ゆかり)さん(53)が頭や胸を強く打ち、搬送先の病院で間もなく死亡した。



 乗用車を運転していた同市永山5の3、会社員尾張俊章さん(38)も胸の骨を折る重傷で、旭川東署は回復を待って調べる。林昭好副署長は「追跡方法については現時点では適正と認識している」とコメントしている。



 発表では、事故の直前、近くの道道で、尾張さんの車がパトカーを高速で追い抜いたため、パトカーはサイレンを鳴らしながら追跡。停止を求めたが、尾張さんは指示に従わず、時速90〜100キロで約600メートル走行し、一時停止を無視して同交差点に進入したという。
積分定数
2012/06/30 23:40
この手の事故は過去に何度も起こっている。

>林昭好副署長は「追跡方法については現時点では適正と認識している」とコメントしている。

まず事実関係を調べるべき。それ以前にこんなコメントをするようでは、最初から「警官に落ち度がなかった」という前提になってしまっていると思えてしまう。

 再発防止を心がけようなどという意識すらないと思えてしまう。
積分定数
2012/06/30 23:43
 国連憲章やジュネーブ条約では、戦争それ自体を絶対的に違法としているわけではないが、「他に手段がない場合に最小限の武力行使」「民間人の巻き添えを極力裂ける」などとしている。

 アフガン戦争でもイラク戦争でも、民間人の犠牲は多数あり、無差別攻撃と思われる事例もある。

 ファルージャ攻撃では、「米兵4人の遺体を損傷した犯人を引き渡せ」という要求で、米軍は無差別に攻撃し多数の住民を殺害した。

 そもそもイラク戦争では大義名分である大量破壊兵器すらなかった。

 日本政府はアフガン戦争・イラク戦争を全面支援したが、そのことに関して何らの責任もとっていない。
積分定数
2012/06/30 23:49
 それやこれやで、政府とか行政は嘘出鱈目を言い続けてきたわけで、信用されないのは自業自得という面もある。
積分定数
2012/06/30 23:51
 あと電力会社の労組が原発推進を主張しているのを見ると、胡散臭く思えていまう。

 利害見解のない立場の人が、客観的に調べて「原発は必要」というならまだしも。

 私みたいな物理・数学を教えている人が「物理・数学は生きていく上で必要な力です」「物理・数学が出来る人は高収入だというデータがあります」と主張しても、営業トークと受け取るのが普通。
積分定数
2012/06/30 23:58
「原子力が安い」とか「原子力が安全」というのは嘘だと思う。
また電力会社の情報公開は中途半端でよくわからないことが多いと思う。
関西電力の原発の依存度が約50%なのだけど、その根拠の計算がよくわからない。
嘘はついてはいないとは思うけど・・・。
ウイキペディアで「関西電力」を見ると、原発の総出力は3箇所、976.8万kW(28%)と書いてある。
だから推測すると年間の発電量は原発に多く依存しているから、50%まで上がってしまうのでは・・。
だから「真夏のピーク時だけなら、原発に頼らなくてもいいのでは?」と連想してしまう。
でもウイキペディアの数字で足し算すると・・・
火力発電 1,690.7万kW
水力発電 818.0万kW
その他の発電 31.6万kW
合計すると・・・約2.540kW

火力発電の停止分が、405万kWなので、その分を除くと
約1.285万kW。
水力発電には揚水発電が488万kWで、揚水発電は原発の余力発電で動かす水力発電だから揚水発電を除くと
330万kW。
二つの合計は約1.615万kW。
「その他」を足しても、約1,647万kW

実際は揚水発電は火力でも発電できるみたいだけど、原子力よりは稼働率が落ちるみたい。
また停止している火力も再稼働するみたいですし。
とにかく広瀬隆さんの主張とは逆で、足りないという結論になってしまう。
おおくぼ
2012/07/01 03:03
> 私みたいな物理・数学を教えている人が「物理・数学は生きていく上で必要な力です」「物理・数学が出来る人は高収入だというデータがあります」と主張しても、営業トークと受け取るのが普通。

大卒の就職率は理系の方がいいというのはあります。
文系卒の女子は就職率はよくても、入ってからの待遇が悪く離職率が高かったりします。
中国では天安門事件(64事件)以後、政界では理系が増えています。
江沢民(上海交通大学電気機械学部)
胡錦濤(清華大学水力エンジニア学部)
習近平(清華大学化学工程部)



でも大学の発表する内定率は信用できないんですけど。
参考
『偏差値・知名度ではわからない 就職に強い大学・学部』 (朝日新書) 海老原嗣生:著
この本は興味深い分析が多いけど、海老原嗣生さんの「(四年生)大学生が増えたから、大卒の内定率が下がった」説は間違いだと思う。
おおくぼ
2012/07/01 03:29
前に話題になった筑波大学付属小学校算数研究部の『算数授業論究<かけ算を極める>』を読むと、ハッキリと順序派だとわかる執筆者が少ない気がする。
でも田中博史さんは、順序派だということがよくわかる。
また田中博史さんの主張が、積分定数さんの主張と逆なのが興味深い。
おおくぼ
2012/07/01 03:40
>かけ算の順序での対応もそうだけど行政って、責任を回避することばかり考えているのではと思えてしまう。

世間(メディアが)責任を問うことばかりするから必然的にそうなるんでしょうね。
事故調査でも原因解明ではなく、責任追及になってしまいます。成果を上げても評価されない。失敗すると批判される。
当然、責任回避指向になります。社会全体の問題のような気がします。

>日本政府はアフガン戦争・イラク戦争を全面支援したが、そのことに関して何らの責任もとっていない。

東ティモール問題では、チョムスキーが痛烈に日本を批判していますね。
zorori
2012/07/01 09:34
>「原子力が安い」とか「原子力が安全」というのは嘘だと思う。

経済性に関しては前提条件が複雑なので非常に難しいのですが、将来の廃棄物処理をどこまで考えるかで違ってきますね。とりあえず100年程度の短期間なら確かに安くなると思います。しかし、ずっと将来の世代のことを考えると果たしてどうかという疑問はあります。
安全に関しても、被害の平均値(リスク)でみれば他の発電方式に比べ圧倒的に安全です。実績でも安全です。しかしながら、一旦事故が発生した場合の被害の最大値(ハザード)で見ればサイトのある自治体にとって破綻を招くレベルです。今回の事故でそれがはっきりしましたね。大熊町、双葉町はどうなるんでしょうか?自治体が原発を受け入れたのは、期待値的に損する保険には入らないというような判断に近いと思います。しかし、大抵の人は損すると分かっていても保険に入りますね。私もその感覚なので、原発反対です。原発が不経済で危険だからではありません。遠く離れた大部分の人達にとっては、原発は得になります。ただし、「万が一の事故の時には立地自治体で一手に被害を負担してね、その替わりに普段は経済的に優遇するから」、という非常に差別的な構造になっていると思います。
zorori
2012/07/01 09:36
 あと、改憲だの「南京虐殺はなかった」だの日本核武装だのを主張するような人が、原発推進を主張すると、不信感を持ってしまう。

 反原発の側にもトンデモな人がいることは否定しないが、上記のような人は、「原発賛成の中には、そういう人がいる」というようなレベルではなく、それなりに責任ある立場だったり著名人だったりする。都知事だったりとか。

 主張している内容の是非は、主張している人とは独立だとは思う。トンデモな人が「かけ算に順序がない」と主張しても、「順序がない」という事実に変わりがない。

 でも、「あの人が言っているようでは信用できない。」というのがあるのは事実。
積分定数
2012/07/01 09:37
>東ティモール問題では、チョムスキーが痛烈に日本を批判していますね。

ミャンマーでもそうだけど、米国がはっきりを制裁を打ち出すのに対して、日本はのらりくらりという傾向がある。

 何らかの関わりを持ちつつ改革を促すというのも、策としてありうるとは思う。

>世間(メディアが)責任を問うことばかりするから必然的にそうなるんでしょうね。
事故調査でも原因解明ではなく、責任追及になってしまいます。成果を上げても評価されない。失敗すると批判される。

 これはそうですね。

 逆に、事実を明らかにしたいのに「俺は悪くない」というような反応になってしまったりもする。

 「かけ算の順序」議論でも、「教師を攻撃するなんて・・・」という反応がある。


 鉄道・航空などの事故に関して、

刑事罰を課すことによる事故の抑止効果
刑事罰を課さないで原因究明を最優先することで再発防止

どちらが効果的なのか検証が必要だと思う。

 「責任者を処罰したい」という世論や遺族の感情(それは自然なものだと思う)は、どちらが策として有効かとは無関係だけど、どちらを採用するかに作用してしまう面がある。
積分定数
2012/07/01 09:58
レバ刺が禁止になることで影響を受ける飲食店は多いと思う。

 緩やかな変化であればそれに伴い徐々に対応できる。少子化で塾経営が苦しくなるなら、他を模索するとか、新規参入が減るなどして、適正なところに落ち着くことになる。

 「来月から塾は禁止」となると困ってしまう。

 法令その他によって何らかの急激な変化があれば、それに伴って困る人がいるから、それを軽減する必要がある。

 ある平衡状態から別の平衡状態に移項する際の摩擦や揺らぎを抑えるための激減緩和措置が必要。

 そのような短期的な混乱や変化をどうするのかというのと、中長期的にどのような政策にするのか、は別に議論すべきだと思うが、「摩擦や混乱があるから、現状のままでいい」となりがち。

 「原発があることが前提で社会が出来ている。それを急になくしたら困る」という意見も分からないではないが、

 少なくとも中長期的にはなくす方向を目指すべきだと思う。

「目指したけど無理でした」というならまだしも、

最初から、

「脱原発なんて無理。そんなこと言う奴は原始時代の生活をしろ。太陽光も風力も話にならない」では、

それこそ話にならない。
 
積分定数
2012/07/01 10:24
前にツイッターで話題になった順序派のサイト

http://www.collegium.or.jp/~kutomi/index.php?%A3%B6%A1%DF%A3%B8%A4%C8%A3%B8%A1%DF%A3%B6%A4%AC%B0%E3%A4%A6%A4%B3%A4%C8%A1%A2%A4%BD%A4%EC%A4%F2%BB%D2%B6%A1%A4%CB%B6%B5%A4%A8%A4%EB%A4%B3%A4%C8

ブログもあって、コメント欄では鰹節猫吉さんもコメントしています。

http://13th-note.blog.eonet.jp/default/2011/12/post-f5d6.html

ブログ運営者の久富望さんのコメントを引用すると・・・

>私が今回の記事で述べたかった重要な点は、「国語→算数」という翻訳の結果として掛け算になるケースは2種類ある、ということです。
>算数の計算問題としては、当然、掛け算は1種類です。
>      略
>まとめますと、次のようになります。
>・数や数式を扱うだけの問題ならば、6×8も8×6も同じ
>・「国語→算数」という翻訳の際に、直訳すれば6×8になる場合(「6に8を掛ける」)、直訳すれば8×6になる場合(「8に6を掛ける」)、直訳すれば8×6とも6×8ともとれる場合(「6と8を掛ける」「8と6を掛ける」)がある。

おおくぼ
2012/07/01 12:04
続き

久富望さんの別のコメントでは・・・

>私は、翻訳者はいったん「直訳」する能力を身につけ、そのうえで意訳と直訳を使い分けるべきと考えています。
>それが、誤訳をせず意訳を自由に扱う最善の方法と考えています。
>言い換えれば、掛け算の言語を習い始めた小学2年生はいったん「直訳」する能力を身につけるべきで、それこそが誤訳をせず意訳が自由にできる最善の方法と考えています。
おおくぼ
2012/07/01 12:05
続き

プロフィールを見ると・・・

>学歴
>京都大学理学研究科数学・数理解析専攻修了
>職歴
>学校・塾で小学生から大学生までを教え、現在、学習塾講師をすると共に、同志社女子中学・高等学校数学科講師。
>2008年11月より「数学・算数の教材公開ページ13th-note」を開設し、「学びたいと思った人が学べる」よう高校数学の検定外教科書、中学・小学の教材を、デジタルデータの形で1000近く公開している。
>同時に「数学をより良く学ぶ手段の一つ」としてデジタル教科書等に大きな可能性を感じ、積極的な活動を続け、指導者用デジタル教科書の開発にも参加。
>また、関西を中心におよそ年20回の演奏会活動も精力的にこなしている。

http://js-dt.jp/about/profile/kutomi-nozomu.html
おおくぼ
2012/07/01 12:15
>私は、翻訳者はいったん「直訳」する能力を身につけ、

 こういう自分の勝手な解釈で、「順序を教えるべき」という手合いは困ってしまいます。

 「かけ算の順序」が、等分除・包含除の区別、求差・求補の区別、添加・合併の区別、という一連の「抽象思考の否定」という流れの中にあることを認識しないと、こういう取って付けた「理由」に振り回されることになる。
積分定数
2012/07/01 17:21
原発、まともに扱えるならいいのだが、今の日本では技術も思想も低すぎる。猿に火を扱わせているようなものではないだろうか。
http://www.47news.jp/CN/201206/CN2012063001000188.html
あれだけの事故を起こしておいてこれでは…。リスクマネジメントという言葉は全く知らないのではないかと思う。
M
2012/07/01 20:03
抽象化して、意味を減らし、同じ手法が異なる場面で同じように適用できることこそが、算数の真髄です。

さもないと、石ころの掛算と人数の掛算と人参の掛算を全部別々に正しいことを証明しなければならない。知らないものでもかぞえられれば掛算は間違っていないと言えるのが算数。
M
2012/07/01 20:22
久富望さんの主張は、銀林浩さんと似ていますね。
純粋数学とは違う応用数学があって、そこでは応用数学独自のルールがあるという感じでしょうか。
おおくぼ
2012/07/01 20:46
追記

久富望さんは、花まる先生やベネッセなどの意味派と主張と似ているけど、違う点はダブル・スタンダードなところだと思う。
意味派は、「答えは同じだけど意味は違う」という主張。
ダブル・スタンダード派は、「純粋数学とは違う数学」という主張。
でも実質は同じ順序派なんですが・・・。
おおくぼ
2012/07/01 21:11
筑波大学付属小学校算数研究部の『算数授業論究<かけ算を極める>』の田中博史さんの文章から引用

>乗法の式の数値に順序があるかないかが議論されているが、2年生の初期に新しい式を定義する際には、当然、意味づけをしていかねばならないから、言語の指導と同じで、その際にかけ算の式の数値に順序性を求めるのは当たり前だと私は考える。
>     略
>割り算の初期指導までは等分除、包含除の理解の際にA×□となるか、□×Bとなるかと、これまでの乗法の場面の学習につないでいくことを考えさせていくほうが児童にもわかりやすいから、式の表す数の順序こだわった指導を展開していくことが必要になる。
>もちろん割り算の時と同様で操作の仕方次第ではどちらの式にもなるということを子どもが説明したら認めていくのは当然で、その場合にも実は一つ分をどのように見るかを議論しているのだから、これも式の順序を意識させているという意見と実は同じである。
おおくぼ
2012/07/01 22:55
 生肉を完全に非合法化すると闇で行われる危険がある。禁酒法でマフィアが儲けた。

 ゴミを減らすためにゴミの量に応じて課金したら不法投棄が増えるだろう。

 政策というのはそういう面まで考慮して決定すべきで、文面に書いたからその通りになると思うのは、ナイーブすぎる。

>児童にもわかりやすいから、式の表す数の順序こだわった指導を展開していくことが必要になる。
>もちろん割り算の時と同様で操作の仕方次第ではどちらの式にもなるということを子どもが説明したら認めていくのは当然で

なにが「もちろん」だ。長方形の面積を横×縦でバツ、などという話がごろごろしている現状では、絵空事もいいところ。
積分定数
2012/07/01 23:52
 技術開発者氏は、

原発推進なら事故が人的過失であることを主張すべき。「東電は間抜けだった。こんなにもアホな失敗をした。そういうことがなければ事故はなかった」

反対なら、「東電の人は頑張って最善を尽くした。なのに事故になってしまった。だから原発はやめるべき」と言うべき。

ところがなぜか逆になってしまっていて、原発賛成が「東電に責任がない。不可抗力」、反対派が「東電はこんなにミスをした。」となっている。

と主張していた。

あの人はそれでやめておけば、「なるほどそういう考えもあるのか」となるのに、「原発推進なら東電の責任を追及すべき。」だから、「東電の責任を追及するのは原発推進」としてしまい、必要条件と十分条件の違いを理解していないことを露呈してしまっている。

 「長方形の面積を横×縦だとバツにするのはおかしい」と主張する人は教育予算の削減を要求することになる。

などという珍妙な説を唱えるような人だから、まあ仕方ない。
積分定数
2012/07/02 00:03
 交通事故を皆無にすることは難しいだろう。確率が低くても分母が大きければ、事故は起こる。

 個別の事象に関して「人為的ミスであって回避可能だった」となっても、「そもそも人為的は起こりうる物で完全になくすことは不可能」という立場はあり得る。

 原発反対の立場の人が、人為的ミスを批判するということは十分にあり得るし論理矛盾はしていない。
積分定数
2012/07/02 00:08
久富望さんの主張

>私が今回の記事で述べたかった重要な点は、「国語→算数」という翻訳の結果として掛け算になるケースは2種類ある、ということです。
>算数の計算問題としては、当然、掛け算は1種類です。

田中博史さんの主張

>乗法の式の数値に順序があるかないかが議論されているが、2年生の初期に新しい式を定義する際には、当然、意味づけをしていかねばならないから、言語の指導と同じで、その際にかけ算の式の数値に順序性を求めるのは当たり前だと私は考える。

二人を「言語的順序派」とでも呼ぼうかな?
しかし、どうして計算では「言語や意味」は無視されるのだろう?
おおくぼ
2012/07/02 00:26
 そもそも、「最初の段階から、『順序なんか関係ない』と教えるべき」と主張する反順序派っているんですか?
 
 いてもおかしくはないけど、あまり知らない。少なくとも私は違う。

>2年生の初期に新しい式を定義する際には、当然、

というのはいいから、我々が問題にしている、その後も、交換法則を習った後も、格子状に並べたら1あたりといくつ分の区別などないと分かった後も、ず〜っと順序に拘る授業についてどう思うのか?

「原発反対」に対して「一切の文明を拒否するのは非現実的」と反論するようなもの。
積分定数
2012/07/02 08:33
 順序論争の中で、「数は同じになるが意味が違う」というセリフを何度も聞いた。

 しかし数学において、左辺=右辺という公式がある場合、それは意味解釈のレベルでも同じと見なせる場合が少なくない。

 nCm=nCn-m

n個からm個選び出す方法は何通りか?
n個からn−m個選び出す方法は何通りか?

n個からm個選び出すというのは、見方を変えたら「n個から選ばないn−m個を選択する」とも見なせる。

 最初の定義からしたら違うように見えるが、数が一致する、よくよく考えたら意味も同じなんだ、

 てなことは、数学では頻繁にある。

 積分が微分の逆なのか、それとも区分求積なのか、なんて意識もしない。

 v=dx/dt  dx=vdt  

位置を時間で微分したら速度。
微小な位置の変化は、速度×微小な時間

 こんなの当たり前のように使っているから、微分積分学の基本定理、などというのは意識すらしない。
積分定数
2012/07/02 08:46
 算数の問題で、式変形が書いてあって、「どのきまりをつかいましたか?」と問う悪問があった。

 深く理解してしまうと、分配法則などというのは、「きまり」という意識すらなく当然のように使いこなせる。

 この問題を作った人は、英文法を覚えるように、算数の「きまり」を覚えたのだろうか?
積分定数
2012/07/02 08:50
・数式の意味はない(書いてある式とおりの意味だけ)
・1あたりといくつ分はない(みわけられない)
・内包量と外延量はない
・かけ算に順序はない
・国語を算数に翻訳はできるが算数は国語に翻訳できない
・かける数とかけられる数はない
・等分除・包含除はない
・求差・求補はない
・添加・合併はない
・比の三用法はない
・倍の三用法はない
・第1分配法則・第2分配法則はない
M
2012/07/02 20:41
>国語を算数に翻訳はできるが算数は国語に翻訳できない

翻訳できると思うのですが・・・。
翻訳しても数学のルールは変わりませんし、別の数学が発生するわけでもありません。
おおくぼ
2012/07/02 20:55
日本語を数式に翻訳すると情報が欠落する
数式を日本語に翻訳しても情報が欠落する
どちらの翻訳でも正確に表現出来ない壁があるのだと思います。
TaKu
2012/07/02 21:37
じゃあいいかえますか。
・国語を算数に翻訳してからまた国語に翻訳しても元どおりにならない
M
2012/07/02 21:39
そうですね、伝言ゲームですね。
翻訳するごとに解釈が加わっていくので。

数式は便利なので、「数学の証明を数式なしでしろ」となったら大変です。
また国語だけで数式の厳密さを維持するのは至難の業です。
おおくぼ
2012/07/02 22:52
今週のアエラ「文系・理系どっちが得か」

数学できると高収入らしいが、数学が出来るから高収入なのか、高収入になるような人は何らかの能力に優れているから、結果的に数学もできるのか?

 相関関係を示しても因果関係までは分からない。

 あと平均だから、私のような例外もいる。個の記事の影響で塾生が増えたら収入も上がるのだが・・・

 それはともかく、

>気鋭の数学者、森田真生氏(26)は、フランスの数学者ポアンカレの「異なるものに同じ名前をつける行為が数学」という言葉を引いて説明する。

というのがあった。ポアンカレのこの言葉は知らなかった。

検索したら文科省のサイトがヒット

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/036/gijiyoushi/07051011.htm
>H・ポアンカレは『科学と方法』の中で「数学は いろいろな異なるものに同じ名前を与える芸術である。」と述べ,数学はものごとをより 簡潔・明瞭・的確にとらえようとしていることを主に主張している。


「算数教育業界では、同じ物に異なる言葉をつけるという、むだ毛の植毛が行われている」 by積分定数
積分定数
2012/07/02 22:56
『食える数学』(神永正博:著)という本では、数学科出身で食っていくことが大変なことが書いてあったりします。

文系でも経済関係なら数学を使ったりします。
理系でも数学が得意じゃない人もいると思います。
就職関係の本を読むと、開発などは狭き門だったりしますが、理系卒でも営業になれるし、商品を専門的に説明するのに理系卒が求められているそうです。



田中博史さんや久富望さんは、掛け算導入時は順序を教えて、慣れたらどっちでもいいという考えだけど・・・。
「実は順序は間違いでした」あるいは「実は嘘でした」と生徒に言うのだろうか?
おおくぼ
2012/07/02 23:19
理系といっても、理学・医学・工学・農学・薬学といろいろあるし、理学部と工学部では大きく違うと思う。工学部のことはあまり知らないが。
 理学部でも、数学と生物・地学では趣がかなり違う。

 私の場合、紙と鉛筆だけで考えるのが好きで、没頭すると他のことが手に着かなくなる。

 そもそも実務能力がない。

 長時間実験してデータ取って、というのは向いていない。
積分定数
2012/07/03 08:51
 時々、教材会社の営業の方が塾に見えることがある。

 正方形は長方形か?みたいなことで、教材に嘘が書いてあることを指摘するのだが、ピンときていない様子。

 顧客が理系の場合、理系について造詣があった方がいいと思う。かといって、俄勉強で無理に話を合わせようとしているのが見えてしまうと逆効果。
積分定数
2012/07/03 08:57
数学者の名言で私が好きな言葉
「数学の本質はその自由性にある」byカントール


「算数教育業界の本質はその不自由性にある」by積分定数
積分定数
2012/07/03 09:02
扇動のための不当表示としての「リフレ派」 part45

ニセ科学批判を支持する人の言うことはバラバラだったけど、外部から批判されると「それは違う」「周回遅れ」とか言って自己正当化する。

http://d.hatena.ne.jp/jura03/20120703/p1
「掲示板」は デ タ ラ メ でしたww...
2012/07/03 12:07
自分の主張や感情をぶつけるための単なるネタとしての「リフレ論」

真面目な政策論争のふりをしてるだけ

リフレ論を酒の肴に気に食わないものをみんなで罵倒する

http://d.hatena.ne.jp/jura03/20120703/p1
「掲示板」は デ タ ラ メ でした
2012/07/03 12:16
扇動のための不当表示としての「リフレ派」 part46

「官僚がバカだから」という話に終始していて、あとは日銀・財務官僚陰謀論、悪玉論へと一直線。

この「場当たり主義」野郎を取り上げたのはあくまで例示ですよ。他にも相当いるでしょうと。あんたがた、馴れ合ってるばっかりで、素人目にもおかしいことはみんなスルーするくせに、外部から批判があれば自己正当化ばっかりして「俺(たち)は正しい」って、なんなんだそれは。

http://d.hatena.ne.jp/jura03/20120703/p2
「掲示板」は デ タ ラ メ でした
2012/07/03 12:25
北守と稲葉は「仲悪い」というより稲葉がいまだに(直接の後輩・教え子でもないのに)北守に「兄貴風」「(大学業界の先輩としての)先生風」吹かしてるだけw

https://twitter.com/HALTANHALTAN/status/219849566378409984
「掲示板」は デ タ ラ メ でした
2012/07/03 12:28
自由度が高い=分かり難い
自由度が低い=分かり易い
このような考えの人に出会ったことがあります。
こういう人は「自由度が低い」ものを要求してきます。
おそらく部下にも「自由度が低い」ものを作るように指導していそうです。

むだ毛の問題も、この類の考えがあるのかもしれません。
TaKu
2012/07/03 21:00
「人間は自由の刑に処せられている」サルトル。
おおくぼ
2012/07/04 00:35
出題パターンが少ないと、解答パターンの提示・暗記の方が分かり易いと思いがちかも知れません。

http://www.chiyodaku-chiyoda-e.ed.jp/kenkyu/h21kenkyuu/jissenn1.pdf
>求残は「のこりはいくつもんだい」、求補は「も
ういっぽうはいくつもんだい」、求差は「ちがいは
いくつもんだい」と学級で名前をつけた。これによ
り、減法の意味理解をより深めることができた。

 これなんか典型的。引き算を引き算として理解すれば済むのに、出題が3パターンしかないから覚えた方が楽となっているのだと思う。

 時間・速さ・道のり の2つが与えられて残りの1つを求めるという出題だけなら、「みはじ」を暗記すればいいとなる。

 20q歩かなくてはならない。時速4qで3時間歩いた。あと何時間?

 時速3qは分速何m?

となると対応できない。

1つの用途にだけ特化した道具は汎用性がない。


以前も書いたが、中学まで数学が「出来た」のに、高校で出来なくなる原因がこれ。

 教える側は、その場の問題さえ出来るようになればとりあえずよしとなってしまうのだと思う。
積分定数
2012/07/04 06:22
 以前書いたような、「分数の加減は最小公倍数で通分してから」と思っている子が、それ故に1/a+1/bで躓くなんて気づかないだろう。

 1/5+1/10=10/50+5/50
=15/50=3/10

むしろ、こういう計算をしている子の方を注意するかも知れない。してもいいんですよ。私も注意するかも知れない。但し、「そのやり方は間違い」としないで、両方の分母を掛けることで通分する方法だと手間がかかる問題を色々出して、「最小公倍数で通分した方が楽だ」と気づかせるようにする。そうすれば「楽だからそうしているだけで、どんなときでも必ずそうしなければならないわけではない」と理解できる。
積分定数
2012/07/04 06:23
分類を増やす(呼び名を付ける)のは抽象化の失敗なので間違いなのですが、問題は、一生懸命名前をつけているひとたちは間違っているとは思っていないことです。だから私達が「間違っている」と言っても聞く耳を持たない。

なぜかというと、名前をつけて分類を増やしてしまうことで、一見矛盾がなくなって理屈があっているかのように見えるからです。代償として、抽象化をあきらめて数学的な体系から外れた方向に進んでいることには気が付かない(?)。それに気付くためには若干メタ的な視点が必要になります。どういう言い方をすれば理解してくれるんだろうか、というところが悩みです。
M
2012/07/04 08:16
> 1/5+1/10=10/50+5/50
=15/50=3/10


これも算数教育業界から物言いがつくかもしれません。

分数の指導方法を調べてみると、約分は6年生でやるから、それまでは約分するとバツという教師がいるようです。

10分の1 と 10分の3 を足して 10分の4 が正解で、5分の2 はバツという具合。

公教育では、ここまで発達段階を考慮した緻密なカリキュラムを作っているのに、どっちでもいいとは不届き至極、塾業界の詰め込み教育の弊害が云々…

鰹節猫吉
2012/07/04 12:32
10分の2 は 10等分したのを2個 とは言うけど、5分の1 は 5等分したのを1つ だから意味が違うなんて言いませんね。

これらを同一視したのが有理数というものだとも言える。

これも抽象化否定の思想の影響を受けている可能性がありますね。

鰹節猫吉
2012/07/04 12:43
 算数・数学というのは自分で色々発見できるんだ、という事実を知らないんでしょうね。だから、約分した児童は兄弟や塾の講師に教わったとしか思えないんでしょうね。

 ここでなぞなぞ。

 植えても植えてもなくなってしまう、だけどいっぱいある物な〜んだ?

 
答え  算数教育業界のむだ毛  不毛としか言いようがない。
積分定数
2012/07/04 17:38
>分類を増やす(呼び名を付ける)のは抽象化の失敗なので間違いなのですが、問題は、一生懸命名前をつけているひとたちは間違っているとは思っていないことです。

瀬戸智子氏に、面積20で縦5の長方形の横を求める場合の20÷5は等分除か?包含除か?

と質問したら、「それは倍を求める割り算で、等分除とも包含除とも無関係。割り算は等分除と包含所だけではない」などと言っていました。

 割り算は何種類あるのか?一体いくつの割り算を覚えればいいのか質問すれば良かった。

 どうせ、ろくな回答はないだろうけどね。
積分定数
2012/07/04 17:43
「意味のある数式」と「意味のない数式」の区別などあるのだろうか?
立式には意味があっても、計算は意味が無いらしい。
受験でも計算力(速算、SPEED)は重要だと思う。
計算力は意味を必要としないのだろうか?

数式があり、解釈があるのだと思う。
そして解釈は一つではないし、どの解釈が正しいかは状況による。
複数の解釈が正しい場合もある。
解釈を数学のルールと勘違いして、生徒に強制するのは困ったもんだ。
教師からすれば、「数学が苦手な生徒」への救済策なのかもしれないけど。
おおくぼ
2012/07/04 21:41
http://twitter.com/shufu_tomo/status/217875680996753409/photo/1

格子状に並べてもなおも順序。不毛なむだ毛。
積分定数
2012/07/04 22:12
数式の意味は書いてあるとおりの意味で、それ以上でもそれ以下でもありません。
M
2012/07/04 22:18
これ、オリジナルはカラーでそれを白黒で印刷したのかな?「赤玉と青玉」と言われても・・・
積分定数
2012/07/04 22:24
1+1=2の意味は何だろう?

おおくぼ
2012/07/04 23:13
>そもそも、「最初の段階から、『順序なん
>か関係ない』と教えるべき」と主張する反
>順序派っているんですか?

ちょっと遅くなってしまいましたが…
 本音を言うと私は
「先に格子状に並んだ物の数を求める掛け算
 をやって、あとから、複数の箱(or袋,皿)
 に複数個ずつ入った品物の数を求めるかけ
 算をやればいいの で は な い か」
と思っています。
あくまでも「ではないか」というレベルです。
「どちらのやり方が優れているか」という問
題で強く主張するには、実証をする責任が生
じますから。
ゴルゴ・サーディーン
2012/07/04 23:14
「掛け算に正しい順序はある」「答えは一緒でも意味は違う」という主張があるから、その主張には賛成できないということだと思う。

どの教育方法が一番優れているかを決めるのは難しいと思う。
おおくぼ
2012/07/04 23:34
約分するとバツ
http://d.hatena.ne.jp/tozima/20100301/p1


> この教師がしたことは、次のことです。ちなみに、生徒は小学生です(科目が算数らしいので)。
> 3/21 が答えになるところ、1/7 になっていたので、バツを付けた。理由は「今の算数では約分を教えてないから間違いですだからバツなんだと」
> いくつかの類推が必要ですが、僕はこの先生の判断が正しいと思います。まず、生徒さんの学年を推測するに、小学校5年生だと思います。なぜなら、小学6年生になると、約分・通分を習うためです。分数が出てくるのは小学5年生なのですが、この学年では「分母が同じ分数の加減算」しかやりません。「分母が違う分数の加減算」と「分数の乗除算」は6年生の範囲になるのです。
> 小学5年生だとすると、約分した時にバツが付くのも納得がいきます。というのも、小学5年で習う分数の加減算の大変重要な性質は、 次の2つなのです。
>
> ・ 分母が同じ場合には、加減算ができること
> ・ 加減算の結果、分母は変わらず、分子のみ加減算をする
>
> 分母が変わらないというのは、とても大事な性質であり、小学5年生が間違える部分でもあります。つまり、 1/2 + 1/2 = 2/4 としてしまうのが、頻出する間違いの1つです。
> したがって教師は「分母は変わらないという原則を理解できているか」をチェックする必要があります。ところが、約分をされてしまうと、この原則を理解できているかのチェックが困難になります。だからバツにするのです。

(続く)
鰹節猫吉
2012/07/05 00:18
(続く)

> つまり、「(同分母の)分数の加減算においては分母は不変であるという原則の理解」が小学5年の分数の(1つの)主要な目標であって、「約分できること」なんていうのはこの段階ではどうでもいいことなのです。教師の立場から言うと、「約分ができるって? それは良かった。ところで、足しても分母が変わらないことは理解できているかい?」という話になるわけです。約分してバツを付けられるのは、加減算で分母が変わらないという小学5年における一大原則に違反したことによる、必然的な結果であると言えるでしょう。
> ということで、約分した場合にバツを付けるという判断は、最善かは別にして、合理的な判断の1つであると言えると思います。
> ところが、この教師に対して「算数を教える資格がない」だの、「今の日本の教育はこんなもんだ」だの、「この教師は単なるあほだ」だの、「教育委員会とマスコミ同時にチクっても良いレベルの問題」だの言う人がいるから驚きです。もう少し考えるべきだと思います。

(続く)
鰹節猫吉
2012/07/05 00:21
(続き)

> 別の事例なのですが、「確率の計算に限り、分数は約分しないように」と指示した教師がいたらしいです。この指示は、確率の計算が (注目している場合の数)/(全体の場合の数) であり、大切なのはそれぞれの場合の数を正しく計算することだと考えると、それほど不思議なものではありません。つまり、いま大切なのは場合の数が計算できるかであって、約分は取るに足らないものである上、約分してしまうと場合の数が正しく求められているかが(採点者に)分からなくなってしまうためでしょう。
> この事例においても、「言うことを聞かなかったら、塾などに入れてちゃんとした方がいいと思います」という中学生がいました(年齢は回答者本人の申告による)。これも同様に問題だと言えます。
> これらの事例から見えてくるのは、教師への不信感でしょう。これは別に新しいキーワードというわけではなく、「公教育不信」は近頃のホットなテーマと言っても過言ではないと思います。

(続く)
鰹節猫吉
2012/07/05 00:24
(続き)

> 「公教育不信」と言うと、「どうやって教師の質を上げて信頼回復を目指すか」ばかりが注目されますが、この方向ばかりを強調するのは間違っていると思います。信頼関係とは2者間の関係であって、教師ばかりに問題があるとは限らないためです。つまり、「信頼しない保護者側が悪い」という事例もあるはずです。例えば上の事例は、教師を信頼しない側に問題がある事例だと言うことができると思います。
>
> [教訓] : 教師を信頼しよう。大抵のことには、合理的な理由がある。
>
> 余談ですが、僕が前に勤めていた塾でも、クレーマーの子供よりは伸びづらいという経験則が認められていたように思います。あくまで(経験的な)相関でしかなく、因果関係は不明ですが、それでも僕は教師は信頼した方が何かと良いと思いますよ。
鰹節猫吉
2012/07/05 00:25
> バツを付けられるのは加減算で分母が変わらないという小学5年における一大原則に違反したことによる、必然的な結果であると言えるでしょう。

 大事なところなので、繰り返して言います。

> 一大原則に違反したことによる、必然的な結果

> 一大原則に違反したことによる、必然的な結果

> 一大原則に違反したことによる、必然的な結果
鰹節猫吉
2012/07/05 00:33
> したがって教師は「分母は変わらないという原則を理解できているか」をチェックする必要があります。
>ところが、約分をされてしまうと、この原則を理解できているかのチェックが困難になります。だからバツにするのです。

このブログのタイトルは「論理的な人になりたい」ですね。
現実には有り得ないとは思いますが、論理的な反論(あくまで理屈上の反論)をしたい思います。

1/2+1/2=2/2と書いた生徒がいます。
でも、この生徒が2/2という答えを求めた方法は・・・
A/B+C/D=(A×D)/(B×C)だったとします。
おおくぼ
2012/07/05 01:54
追記

> [教訓] : 教師を信頼しよう。
>大抵のことには、合理的な理由がある。

例えば、合理的な理由があれば殺人は許されるのだろうか?
おおくぼ
2012/07/05 07:03
>ゴルゴ・サーディーンさん

その方法はありかも知れませんね。遠山啓が「累加だと0や小数・分数で躓くから、1あたり×いくつ分で導入」と言っていたけど、あとから「順序を入れ替えても同じ」と言うぐらいなら最初から格子状で教えるという考えもあり得ます。

http://twitter.com/shufu_tomo/status/217875680996753409/photo/1
みたく格子状にしてもなおも順序に拘るというアホなことも行われているみたいですが、それはさておくとして。


 ただ私としては、導入の段階であえて左右に別の意味を持たせることで、「順序を入れ替えても答えが同じになる」という面白い発見を経験して欲しい、というのがあります。

 だから敢えて最初の導入では「順序あり」がいいと思っています。

 このあたりは実際にやってみないと分かりませんが。

 今問題になっている「順序」は、「どういう教え方がいいのか?」というのを通り越して、「そもそも順序がある」という前提になってしまっていて、「どうやったら正しい順序をたたき込めるのか」という具合になってしまっているのは承知の通り。
積分定数
2012/07/05 09:49
>例えば、合理的な理由があれば殺人は許されるのだろうか?

殺人を正当化する合理的理由があれば許されると思います。

って、これはトートロジー。

「殺人を犯した人が、自分では合理的だと思う理由がある」というだけでは到底正当化できない。

>大抵のことには、合理的な理由がある。

企業や行政が都合の悪いことを隠蔽するのも合理的理由がある。
金儲けのために宗教をでっち上げていかがわしい壺とか売りつけるのも合理的理由がある。

合理的理由だけでは正当化できない。

宗教が無差別テロを企てる理由は客観的には不合理だが、彼ら的には合理的と思っている。

主観的に合理的だと思っていても正当化されるとは限らない。
積分定数
2012/07/05 09:57
>ゴルゴ・サーディーンさん

 mixiで画面付きで紹介した,文科省非検定の数研の「教科書」が,そのやり方に近いですね。
 最初から格子状に並べた図を見せる。ただし,立式は,1つ分×いくつ分 ですが。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=58520598&comm_id=4341118
メタメタ
2012/07/05 11:42
>ゴルゴ・サーディーンさん

mixiの「算数「かけ算の順序」を考える」のトピック「かける数、かけられる数、因子」の17番発言です。
メタメタ
2012/07/05 11:46
>分母が変わらないというのは、とても大事な性質であり、小学5年生が間違える部分でもあります。
>つまり、 1/2 + 1/2 = 2/4 としてしまうのが、頻出する間違いの1つです。
>したがって教師は「分母は変わらないという原則を理解できているか」をチェックする必要があります。
>ところが、約分をされてしまうと、この原則を理解できているかのチェックが困難になります。
>だからバツにするのです。

1/2 + 1/2 = 2/4と間違って計算して、約分すると・・
1/2になる。
だから1/2 + 1/2 = 1/2という答えを書く。
この場合は、答えから間違った計算方法が推測できる。
推測できなくても、生徒にどんな計算方法を使ったかを聞けばいいと思うんだけど・・・。
おおくぼ
2012/07/05 18:25
>遠山啓が「累加だと0や小数・分数で躓くから、1あたり×いくつ分で導入」と言っていたけど、あとから「順序を入れ替えても同じ」と言うぐらいなら最初から格子状で教えるという考えもあり得ます。

格子状にしても「いくつ分×1あたり」の順序でも良いという話に直結しません。
数字を入れ替えるのが可能な問題と不可能な問題があると言い出しそうです。


私には、1あたり×いくつ分だと0や小数・分数で躓かないという感覚がよく分かりません。
小学生は累加より躓かなくなっているのでしょうか?
TaKu
2012/07/05 21:24
>数字を入れ替えるのが可能な問題と不可能な問題があると言い出しそうです。

密度とか速さでは格子状に並べられない、とか言い出しそうですね。

>私には、1あたり×いくつ分だと0や小数・分数で躓かないという感覚がよく分かりません。
小学生は累加より躓かなくなっているのでしょうか?

逆に累加にすると、0や小数や分数のかけ算が全く理解できなくなるという事例が頻繁にあるのだろうか?という疑問もある。

 なんせ実際に小学生に教えていないので、「そういう事例があるんだ」と言われたら反論しようがないのだけど、・・・

 しかし、「累加ではない」などという人がいるのはまずいだろうが。

 教え方として、「こういう導入の方が優れている」という話と、そもそも正しいかどうかを混同してしまっている。
積分定数
2012/07/05 23:23
遠山啓は、「掛け算すると増える」という先入観を生徒に持たせることが、掛け算嫌いの原因だとしています。
そのため、×1や×0や×分数や×小数で躓く生徒が出てくるそうです。

数式で×小数や×分数を書いて、累加で考えるとわかりにくいとは思う。
でも格子状やタイルなら、累加でもわかるとは思う。

遠山啓はタイルを使った方法なので、格子状と同じだと思うんですが・・・。
おおくぼ
2012/07/05 23:41
追記

1×999=
・・・を累加で計算した場合、1を999回も足すのは大変だし、計算違いする可能性は増える。
でも「掛け算が累加である」という主張の否定にはならないと思う。
おおくぼ
2012/07/06 00:06
約分するとバツになる件では、分母が変わらないのが大原則と言ってますが、約分を教えていない段階でも整数になおせる場合は整数で答えるように指導しているようです。

そこまでやらせて約分するとバツは道理に合いませんし、整数にする→分母がなくなる場合すらあるのに分母が変わらないのが大原則とはメチャメチャです。

「5年生までは分母が変わらないのが大原則で、例外として整数になおせる場合は整数で答える。」

こんなわけのわからない教員が勝手に作った がっこうのきまり なんか、とても覚えきれません。

鰹節猫吉
2012/07/06 00:26
導入は累加がいいのか、最初から格子状がいいのかですが、メタメタさんが提示された検定外教科書のやり方はあまり感心できません。

これだと、結局

☆×♪ は ☆個ずつのかたまりが♪個ぶん という意味だ

という話になってしまっているからです。



これなら、累加で導入したほうがはるかにいいでしょう。


導入時の 1あたり×いくつ分 こそが諸悪の根元でしょう。

鰹節猫吉
2012/07/06 00:41
>例えば、合理的な理由があれば殺人は許されるのだろうか?

この人の主張は,一見非合理的なことでも教師の言うことの裏には説明されていない合理的な理由があるに違いないから,盲目的に信用せよ,ではないかと。だから「合理的な説明がなされなくても教師が殺人が許されると言えば,許される」ということになりそう。
zorori
2012/07/06 06:12
本質的なことではありませんが、

>> 一大原則に違反したことによる、必然的な結果

一大原則かどうか知りませんが,約分するのは加減算じゃないので,「加減算で分母が変わらない」に違反してませんね。

>>なぜなら、小学6年生になると、約分・通分を習うためです。分数が出てくるのは小学5年生なのですが、

学習指導要領では,分数は4学年から,通分,約分は5学年となって,1年ずれている。

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syo/san.htm#5gakunen

5年生でもまだ約分を習っていないということかな。
zorori
2012/07/06 06:14
 どこかの質問サイトで、

10円玉が縦3個、横4個の格子状に並んでいる。縦が30円、横が40円なのに、1200円にならないのはなぜか?

 というような質問がありました。

 格子状にする説明が全面的に万能と言うことでもなさそうですね。

 結局かけ算それ自体には意味がない。九九の表をず〜と拡げた物がかけ算。

 拡大版九九の表を作るアルゴリズムとして、累加だったり格子状に並べた場合の数だったり、がある。

A かけ算はかけ算でしかない。色んなかけ算があるわけではない。
B かけ算には色んな種類がある。累加だったり、カタマリがいくつかあるときに全体を求めるだとか、・・

この2つはそれぞれ部分的に正しい。拡大版九九の表は1つしかない。アルゴリズムは複数考えられる。複数といっても、本質的には1つとも言える。

 黒木玄さんは、「かけ算の意味」ではなく「かけ算の解釈」という言葉を使うべきだといっているが、私もそう思う。
積分定数
2012/07/06 09:12
 かけ算には倍と積がある、などと言っている人がいるが、では一体何種類のかけ算があるというのか?

 4人に3個ずつ蜜柑を配る。蜜柑の総数は?
 4人に3本ずつバナナを配る。バナナの総数は?

蜜柑とバナナは異なる。前者は蜜柑の総数を求めるかけ算、後者はバナナの総数を求めるかけ算。

などとはしないで、「どちらも同じ構造があるから同じ種類のかけ算だ」とでも言いそうだが、

「同じ」とか「違う」の線引きは誰がどういう基準で行うのか?

 倍と積の違いなど意識もしないで、数学や物理をちゃんと理解している人(私がそう)に、「あなたは理解していない」などと言うのか?

 手前勝手な分類をあたかも普遍的な原理であるかの如く語るのはやめて欲しい。
積分定数
2012/07/06 09:20
問題を解釈して数式にするのであり、「かけ算の解釈」でも数式そのものをどう捉えるかになりそうで、違和感があります。
問題をどう解釈するかは人それぞれで良く、理解度や読解力が知りたければ色々な問題を出して判断するべきだと思います。
TaKu
2012/07/06 20:14
>http://twitter.com/shufu_tomo/status/217875680996753409/photo/1
>みたく格子状にしてもなおも順序に拘るというアホなことも行われているみたいですが、それはさておくとして。

確かに数式の「一つ分」を必ず先に書いていますが,むしろ,図中の枠で囲った「一つ分」は如何様にも考えられること示しているような気がします。
zorori
2012/07/06 22:21
>10円玉が縦3個、横4個の格子状に並んでいる。縦が30円、横が40円なのに、1200円にならないのはなぜか?

これは累加で考えるとわかりやすいですね。
1列30円が4列あるいは、1列40円が3列。

(一つあたり分×幾つ分)だと、30円と40円のどちらを(一つあたり分)にしてもいいわけです。

でも格子の数は縦×横なので・・・
(3×4)×10円= でもいいかも知れません。
面積×1つあたり分の数=求める数

サンドイッチ理論にしたい場合は・・・
(1つあたり分の数)と(面積)を逆にすればいいわけです。
(1つあたり分、幾つ分)は、2項で考えるよりも3項で考えた方がわかりやすい気もする。
おおくぼ
2012/07/07 01:48
>問題をどう解釈するかは人それぞれで良く、理解度や読解力が知りたければ色々な問題を出して判断するべきだと思います。

教師側は自分たちが理想とする答えを用意して、生徒の出した答えが自分たちの理想とする答えに近いか遠いで判断するわけです。
採点するわけですから、採点基準が必要になります。

ワン・パターンの文章題で、どの程度生徒の能力を計測できるだろうか?
やはりいろんなパターンの問題で、多角的に生徒の能力を調査した方が精確だとは思う。

一番の難点は、教師側の理想の答えがローカル・ルールの場合だ。
文章題からの立式だけ順序があって、計算では順序がないというローカル・ルールを生徒は覚えなければいけない。
国語の試験なんかは、ローカル・ルールが数学より横行していると思う。
おおくぼ
2012/07/07 02:03
>教師側は自分たちが理想とする答えを用意して、

それがかなり恣意的だったりする。足し算で、「添加は順序に拘る」という一方で、「合併はどちらでもいい」とされているようだが、「合併は文章題に出てきた順」とする人もいる。

 長方形は縦×横、平行四辺形は底辺×高さ、長方形を平行四辺形だと見なしたら・・・

 とこのあたりで順序のあほらしさに気づきそうだが・・・
積分定数
2012/07/07 08:01
 百歩譲って、順序や「みはじ」が教える上で有効だとしよう。

 ところが困ったことに、一部の教師はそれが「正式なやり方」だと勘違いしてしまっていると言うこと。

 「順序」に関してあれこれ考える中で私が得た収穫もある。私自身も「正式な解き方」に縛られていた面がある。

3x+5=17

これをxに色々当てはめてx=4と求めたって構わない

ということに確信を持てた。

「5を移項して・・・」というやり方をうろ覚えで覚えた子は、3x=17+5 3x=22 x=22/3
などとやりかねない。

 xに色々当てはめる方法では困難な問題を出すことで、普遍的なやり方を習得する必然性が出てくる。それが不必要な場面で、「移項して・・・」という普遍的なやり方を強要するのはむしろ有害に思える。

 無手勝流に色々試行錯誤するという経験が重要。普遍的方法はそこから自然に浮かび上がるのが望ましい。

 それなしに、唐突に「普遍的な正しい方法」を注入するのは、空中に楼閣を築くようなものだと思う。
積分定数
2012/07/07 08:18
所謂「お勉強」のイメージ

予習復習をしっかりやってやり方を覚えて演習問題を沢山解く。

あくまで私の主観だが、こういうのよりも、未知の問題をとにかく試行錯誤してとこうとする方が面白いと思うし、力も付くと思う。

 民族数学などを否定しないが、それ以前にこういう「自分で試行錯誤して自由に考える」というところに、手間と時間をかけるようなことをもっとやったらどうかと思う。

 数学の面白さは、教えられたマニュアル通りに手を動かすことよりも、自分で自由に考えることだと思う。

 それでみんなが数学好きになるとは限らないけど、それは民族数学でも同じ事。
積分定数
2012/07/07 08:35
>10円玉が縦3個、横4個の格子状に並んでいる。縦が30円、横が40円なのに、1200円にならないのはなぜか?

この話はコメント欄6代目の 2012/05/10 23:12 にぼくが

>メタメタさん、長方形型に並んでいるもののタテとヨコのサイズを示すために、タテとヨコの端の1列を囲んだ図を示すことは、長方形のタテとヨコの長さを示すためにタテとヨコの端に辺と平行に辺から1単位離れたところに線を引くようなことです。誰がそんなバカなことをやりますか? タテとヨコの長さを図で示したいなら、そういう変なことをしちゃダメ。

>タテとヨコのサイズが対等であるように見えることが長方形型に並べるメリットなのだから、どちらか片方のサイズを一つ分とみなしてしまった図に描き直しただけで納得してしまうのはまずいと思います。

>長方形型に並べた途端に一つ分と幾つ分という考え方をする必然性がなくなることをはっきり明言して、図も適切なものを示すべきだと思います。

と書いた話ともろに関係があります。続く
くろきげん
2012/07/07 08:52
続き。縦3×横4に並べられた10円玉について「縦が30円、横が40円」と考えることを図で表わせば以下のようになります。10円玉を黒丸で表わし、囲まれてひとまとまりとみなされた10円玉たちを白丸で表わすことにします。

○●●●
○●●●
○●●●
縦に30円

●●●●
●●●●
○○○○
横に40円

二つを重ね合わせると

○●●●
○●●●
◎○○○
縦に30円、縦に40円

これはひどい図です。これと同じような図を長方形で描いた様子を想像すれば馬鹿ばかしさがよくわかります。

算数教育に詳しい人達の中に「だから、長方形型に並べて掛け算を教えては駄目である。一つ分と幾つ分の考え方で教えるべきである」と短絡する人達が結構いるように見えます。

あまりにもひどい短絡。長方形のサイズを図に書き込むときには普通どうするかを思い出して教え方を工夫するべき。続く
くろきげん
2012/07/07 08:53
続き。

縦3×横4に並べたモノたちについて「縦に3個ずつに区切った図」と「横に4個ずつに区切った図」を示して一つ分と幾つ分の話に必ず持ち込もうとすることには、長方形方に並べられているという事実だけから(一つ分と幾つ分という考え方を経由せずに)直接に掛け算で総数を求められることを教えようとしていないという問題があります。

長方形型に並んでいる状況に一つ分と幾つ分という考え方を適用することを否定しているわけではありません。実際その考え方を適用すると一つ分と幾つ分を考え方によって自由に交換できることがわかる。これは大事なことでしょう。

ここでは、長方形型に並んでいる図を示しているにもかかわらず、一つ分と幾つ分という考え方をしなくても良いことを教えようとしないことを問題視しています。

●●●●
●●●●
●●●●

縦3横4で10円玉の個数が3×4=12(もしくは4×3=12)となる。10円玉が12個なので120円也。一つ分と幾つ分の考え方を使うことは必須ではないわけです。むしろモノが長方形型に並んでいる場合には一つ分と幾つ分という考え方を使わない方が普通の考え方でかつ効率の良い考え方だと思います。
くろきげん
2012/07/07 08:53
モノの総数を数える問題に掛け算を適用するときに、一つ分と幾つ分という考え方は必須ではない、場合によっては一つ分と幾つ分という考え方に持ち込むことが効率の悪い考え方になりえる、という事実を積極的に認めて、算数教育に活かそうとする人だけがまともな算数教育専門家とみなせると思います。

しかし、そのような算数教育専門家はどこにいるのでしょうか?
くろきげん
2012/07/07 08:58
しかし、縦3×横4に並べられた10円玉について、「縦が30円、横が40円なのに、1200円にならないのはなぜか?」という疑問に答えるために、一つ分と幾つ分という考え方を紹介するのは悪いことではないと思います。

すでに述べたように、まずいのは次の図に対応するような考え方をすることです:

○●●●
○●●●
◎○○○
縦に30円、縦に40円

一つ分と幾つ分の考え方を使えば、描くべき図は

●|●|●|●
●|●|●|●
●|●|●|●
縦に区切って縦に30円が4つ。

●●●●
--------
●●●●
--------
●●●●
横に区切って横に40円が3つ

「縦に30円と考える場合と横に40円と考える場合では描くべき図がこのように違い、それぞれ別の考え方をしなければいけない」のように説明するのがスタンダードだと思います。

ただしこれとは別に

●●●●
●●●●
●●●●
長方形型に並べられた10円玉の個数が3×4=12なので全部で120円

のように考えることもできるわけです。長方形型に並べた場合には一つ分と幾つ分の考え方を使う必要がないことも言っておかないと正しい考え方がどれだけたくさんあるかに関する誤解の原因になると思います。
くろきげん
2012/07/07 09:07
普遍的に正しい方法って両辺に同じ操作を加えるでしょう。移項はすでに特別な場合に特別な名前をつけたものだから、積分定数さん的には最初に覚えるべきことでないのは明らかですね。両辺から5を引けば紛れはないけど、「移項」でショートカットをしようとすると間違うことがあるのね。
TN
2012/07/07 09:31
>10円玉が縦3個、横4個の格子状に並んでいる。縦が30円、横が40円なのに、1200円にならないのはなぜか?

その状況は30×40という掛け算で表されないといえば、それでおしまいですけど、こういう疑問が出てくる背景に、問題文に出てくる数字を意味も考えずに機械的に公式に入れれば何か意味のある答えが出てくるという思考法があるような気がします。これに「単位」を絡めると更に変になります。

10円玉が1個ある。縦が10円,横が10円なのに,100円^2 にならないのはなぜか?
縦3個、横4個の格子状に並んでいる。12個^2 にならないのはなぜか?

10年玉の話は子供でも変だとわかるのに、更に変な「単位」の話を抽象的に表現すると、大人でも変だと思わなくるのが面白いところ。掛け算は二つの量を機械的にかけ合わせることで、新しい量を創造するといってのけた人が大人がいました。もちろん、そんなことはなく、二つの量で記述出来る別の量の概念が先にあり、算数の掛け算はその「個数」を数えているだけ。

力と距離を掛け合わせると何になるか?
仕事かモーメントか、はたまたもっと別のものか、そんなことは分からない。かけ算はいろいろ解釈できるし、具体的には
無意味な場合もある。

縦に3mのひも、横に4mのひもがある。これをかけ合わせると、何になるかと問われても意味がわからない。
縦3m、横4mの長方形の形にひもで囲った広さはいくらと問えば、12平米と答えられる。

「かけ算の意味」ではなく「かけ算の解釈」(黒木玄さん)ですね。
zorori
2012/07/07 09:46
>両辺から5を引けば紛れはないけど、「移項」でショートカットをしようとすると間違うことがあるのね。

実際にそういうことがありました。「両辺に同じ操作をすればいいんだよ」と教えて出来ていた子が、


3x+5=17
3x=17+5

とやりだして、「それは何?」と質問したら、「移項だから」と答えていた。
積分定数
2012/07/07 13:45
10円玉の問題もそうだよね。

10円、20円、30円、

と数えるという原始的方法をやっていればその延長で、正しく理解できるのに

「縦と横をかければ全体が求まる」というショートカットの空中楼閣を作ることで分からなくなる。
積分定数
2012/07/07 13:49
> 原始的方法をやっていればその延長で、正しく理解できるのに「縦と横をかければ全体が求まる」というショートカットの空中楼閣を作ることで分からなくなる。


いきなり抽象論・一般論が出てきたときでも、「勉強のやり方」が身に付いている場合は、自分で具体例を探して、どういう場合に適用できるのか調べますね。

教育業界の専門家は、子どもはそれができない、だから、個々の具体例を調べるところまで体系的なマニュアルを作って、それを現場の教員に教え込めばいい… と考えているように見えます。

鰹節猫吉
2012/07/07 14:02
↑ そして結局、個々の出題パターンごとに攻略法ができる。

鰹節猫吉
2012/07/07 14:08
あ、またやってしまっていた。訂正。

誤「縦に30円、縦に40円」
正「縦に30円、横に40円」

実は、すでに皆さんお気付きの通り、

○●●●
○●●●
◎○○○
縦に30円、横に40円
(白丸部分は実際には囲まれた10円玉)

のような図を示して、「だから、長方形型に並べた場合であっても、一つ分と幾つ分の考え方にこだわって教えなければいけない」のような意見にはかなり問題ありだと思っています。

この件については関連の話題が出るたびにしつこく言い続けるつもり。
くろきげん
2012/07/07 16:10
>「縦と横をかければ全体が求まる」というショートカットの空中楼閣を作ることで分からなくなる。

これ、めちゃくちゃ大事なこと。
くろきげん
2012/07/07 16:25
>文章題からの立式だけ順序があって、計算では順序がないというローカル・ルールを生徒は覚えなければいけない。

乱暴な言い方になりますが、式を評価するのをやめればいいと思います。
ローカル・ルールは式の立て方の問題なので、答えのみ評価すれば問題はなくなります。
答えが間違ってる場合のみ式を見て、解き方の"一例"を教えればいいと思います。
色々な問題を何問か解かせて、答えがあっていれば、考え方が正しいと判断出来る筈です。


>↑ そして結局、個々の出題パターンごとに攻略法ができる。

そして算数・数学とはパターンと攻略法を覚える教科になります。
暗記なら誰でも出来るという考えなのでしょう。(苦笑)


>10円玉が縦3個、横4個の格子状に並んでいる。縦が30円、横が40円なのに、1200円にならないのはなぜか?

問題と答えを見比べて、正しそうか考える癖を身に付ければ、この手の間違いは格段に減ります。
正しそうか考える事は、視点を変える事に繋がるので、余計な事を叩き込むより余程重要だと思います。
TaKu
2012/07/07 18:27
>10年玉の話は子供でも変だとわかるのに、更に変な「単位」の話を抽象的に表現すると、大人でも変だと思わなくるのが面白いところ。

解決策は何だろう?
おおくぼ
2012/07/07 22:45
>乱暴な言い方になりますが、式を評価するのをやめればいいと思います。

私もそう思います。答えを出した段階で出来ているのだからそれを疑う合理的根拠はないはず。「考え方を見る」と称して式までを「答え」とすれば、「式+答え」を“正しく”書くマニュアルが出来るだけで、結局同じ事。「みはじ」がまさにそう。

>解決策は何だろう?

この件って問題の根が深くて、どこをどうしていいのか分からない。アノニマスがこの件に関わってもどこをサイバー攻撃していいのか分からないだろうな。とりあえず清掃活動でもするとか。

 反原発デモの盛り上がりに便乗してどさくさ紛れに街宣でもしようかと思った。

 私が共産趣味者だったころなら、メット被って「順序粉砕!闘争勝利!」のデモでもやるのだが・・・
積分定数
2012/07/07 23:02
> ○●●●
> ○●●●
> ◎○○○
> 縦に30円、縦に40円
> これはひどい図です。

 しかしながら、算数教育指南書

「板書で見る 全単元・全時間の授業のすべて」 東洋館出版社 筑波大学附属小学校算数部編

では、かけ算の導入時に、このような問題をやるように指南しております。 ↓


(問) おだんごが何こ入るはこかな?

+−−−−+
|○○○○|
|○   |
|○   |
+−−−−+

 (答) 12こ

◎ どのように数えたのかな?

○|○|○|○
○|○|○|○
○|○|○|○ 3こずつ4つ分

○○○○
−−−−
○○○○
−−−−
○○○○ 4こずつ3つ分

○○|○○
○○|○○
○○|○○ 6こずつ2つ分

○○|○○
−−+−−
○○|○○
−−+−−
○○|○○ 2こずつ6つ分


○○○|○
−−−+
○○○|○
−−−+
○○○|○ 3こずつ4つ分

○ ○|○ ○
−−−+
○|○|○|○
○|○|○|○ 2こずつ6つ分
鰹節猫吉
2012/07/08 00:06
↑ すいません。環境により、○とスペースの横幅が違うため、見づらくなってしまうかもしれません。

 この問題を見てすぐ、僕が考えたこと。

「空いているところに6個入るのは明白だから全部で12個。」

「場合によっては、互いに接しているダンゴの中心が正三角形になるように詰めたほうがたくさん入るかもしれない。」


 僕は、根性が曲がっているんでしょうか?
 こういう問題の出し方をされて、 ☆こずつ♪つ分 を引き出すのは無理がありすぎる。
鰹節猫吉
2012/07/08 00:12
 原典を読んで考えてみることにしました。

遠山啓・銀林浩 編 国土社 「量と構造」 より 銀林浩氏論文「量と数学教育」 で、量とはものの1側面であるとして、以下のように定義しています。

 率直に言ってしまうと、失礼な言い方かもしれませんが、   「文系の人向けのハッタリ」   であるが、内容的にはどうしようもない、という感想です。

↓ 以下、引用

 数学的にいえば、もの、つまり集合Aにその側面 m(A)を対応させる写像を考えるわけである : m: A→m(A) 数学では、このような写像を集合関数(集合を変数とする関数)という。のちに述べるように、量が数値化されれば、関数値 m(A)は整数あるいは実数となる。この数値 m(A)が集合 Aの上に《乗っている》、あるいは《分布している》と考えれば、それは一様に分布していなければならない。だから、量は、集合の一様化(等質化)によって得られるといってもよい。
 しかし、これだけでは、まだ量を質から区別したことにならないから、不十分である。もう少し精密な規定が必要である。そのために2つの規準を設けよう。

(続く)
鰹節猫吉
2012/07/08 00:54
(続き)

a. 比較可能性(comparability) すなわち、《ものの1側面》が単なる質ではなく量であるためには、相互に比較ができなくてはならない。すなわち、2つのもの A1, A2 をもってきたときに、m(A1) と m(A2) の間に、 m(A1)≦m(A2) のような関係が成り立ち(つまり直接比較の原理である)、値 m(A)について,
 (1) a≦a (反射律)
 (2) a≦b, b≦a なら a=b (反対称律)
 (3) a≦b, b≦c なら a≦c (推移律)
が成り立つ。いいかえれば、量 mは全順序集合を作る。

…(中略)…

(続く)
鰹節猫吉
2012/07/08 00:55
(続き)

b. 差異の相等化または差の等化 、いいかえると、a と bをくらべたときの差 b-a と、c と dをくらべたときの差 d-c を等置できる : b-a = d-c ということである。もっと標語的に言えば、差の比較可能性である。

 以上の2つの限定を1側面 m(A)を量()とよぶことにする。

…(中略)…

 量の条件 b. の差異の相等化とは、aと bをくらべたときの差 b-a と cと dをくらべたときの差 d-c を等置しえるということであるが、これをもう少し正確に(あるいは衒学的に)いうと、 (a,b)〜(c,d) という同値関係が導入できることにほかならない。この関係の同値類をσとし、(a,b)が同値類σに属するとき、 a+σ=b ⇔ (a,b)∈σ と書くことにする。
 次に、同値類σとτの加法を、(a,b)∈σ, (b,c)∈τ のとき、(a,c)を含む類を和 σ+τ と定義することによって導入する。

↑ 引用、終了。
鰹節猫吉
2012/07/08 00:56
> 同値類σとτの加法を、(a,b)∈σ, (b,c)∈τ のとき、(a,c)を含む類を和 σ+τ と定義することによって導入する。

 一般人になじみのない数学用語で  ハ ッ タ リ  かましてるけど、要するに、これだけのことですからね ↓


a−−−b
|←σ→|

b−−−−−c
|←−τ−→|


a−−−b−−−−−c
|←−(σ+τ)−→|
鰹節猫吉
2012/07/08 01:15
 読書感想文を書けという宿題を出されたら、これだけしか書けない気がします。

「ぼくは、つまらないハッタリだとおもいました。」
鰹節猫吉
2012/07/08 01:19
数直線上で動かしても長さが変わらない線分どうしをつなぎあわせれば、足し算になるんですよ、物差しで長さを測ることを知っている人には当たり前ですね… という話。

簡単なことをわざわざ難しい言葉で言っているだけ。

鰹節猫吉
2012/07/08 01:50
>解決策は何だろう?

衒学の虚構も出来てしまえば、影響力を持ち、崩すことは大変ですね。
私のような半可通の自戒の意味では、「知ったかぶりしない」ですが。
zorori
2012/07/08 08:11
>簡単なことをわざわざ難しい言葉で言っているだけ。

私もそう思いました。

>この数値 m(A)が集合 Aの上に《乗っている》、あるいは《分布している》と考えれば、

このあたりは何を言っているのかサッパリ分からない。

こんな事を知らなくても、数学・物理の理解には何の支障もない。というか、こんな難解な文章より数学・物理の方がずっと理解しやすい。もちろん高校レベルの話だよ。ヒッグス粒子がどうたらなんて、全然分からないですよ。
積分定数
2012/07/08 08:30
 銀林浩のこの手の文章って、誰が何の目的で読むのでしょうかね?

http://ts.way-nifty.com/makura/2009/07/post-4df6.html
>私も先に書いたように、遠山啓、銀林浩、また森毅以下多くの数学者の思想は勉強したつもりだったのですが、、、

瀬戸智子氏が訳の分からない混乱したことを書くようになった原因の一つは銀林浩ではないだろうか?

>「でも、質量×速度という値が、意味を持つから運動量が定義されているのですよね。
質量1と速度3  質量3と速度1 これらは「何か」が等しい。具体的には、静止したある物体にぶつけてそのあとその物体と一体となった場合の速度は、前者も後者も等しい。
つまり、運動量という物差しで見たら「同じ」。
>「全く同じというわけではないが、ある物差しで測れば同じ」ということは、よくありがちだと思う。 」

に対して

>物理では、問題にするのは運動エネルギーだから、
両者は明らかに違います。
数学的に正しくても、自然界はそのファクターだけで動いているのではないから、
「単位」についての理解を教えていくことは重要だと私は思っています。

運動量とエネルギーの話と、単位の件がどうつながっているのやら・・・。

「物理では、問題にするのは運動エネルギー」ってのも意味不明。運動エネルギーや運動量や振動数や質量や、色々問題にすると思うのだが・・・
積分定数
2012/07/08 09:09
瀬戸智子さんの記事は、現場の教師の典型例なのかな?

>さて、本来のテーマに戻るならば「a×bとしてもb×aにしても間違いではないのでは」と言うテーマについて考えるとき、私は、これは「子どもの発達段階と不可分」では、と考えます。
>つまり、当該の問題で、教師が間違いとするのは「掛ける数と掛けられる数」の順番違いではなくて「1あたりの数といくつ分」の違いを理解しているかどうかを指導しているのでは、と思うのです。
> 最初に公式として「1あたりの数×いくつ分=全体の数」と教えた以上は、子どもたちに「1あたりの数」「いくつ分」と言う概念を混同することなく定着させるために、入れ替えた場合は間違いであると指導することで正しい理解をさせようとします。
>「1あたりの数」という概念をしっかりと子どもたちに定着させないで、次に進むと子どもたちは、割り算や内包量(速度とか濃度などなど)になるとグチャグチャになります。
>教師はただ順番に拘っているのではなく、小学校で理解する算数全体を見通して、かけ算の始めには、「1あたりのかず」、「いくつ分」を理解させようとします。
おおくぼ
2012/07/08 10:44
「1あたり」への異様な拘りというのも、どうにかならないのかと思ってしまう。

3時間で60q、速さは?

というのが分からなかった子に、

3時間で60q、6時間では何q?
3時間で60q、240q進むには何時間?

という類の問題なら、出来た。

数値がピッタリしていないと戸惑うが、やっていくうちにどういう計算をすればいいのかが分かってきて、

a時間でbqならc時間では何q?
a時間でbqならcq進むのに何時間?

というのも分かった。

3時間で60q、1時間では何q?
1時間で20qなら、4時間で何q?

というのも当然出来る。


ここではじめて、「1時間で進む距離を時速という」と教える。だから、「時速5q」→「1時間で5q」と変換して考えればいいよと言った。

 こうしたら、速さ、時間、距離の関係を正しく出せた。

 ついでに、密度・質量・体積、圧力・力・面積に関しても同様に教えたらすんなり理解できた。

 「1あたり量」に殊更に拘る必要はないし、ましてや内包量だの外延量だの全く不要。


>グチャグチャになります。

ぐちゃぐちゃなのは瀬戸智子氏の思考だと思う。

 単純な話に、あれこれ訳の分からない理屈を付ければ、グチャグチャにもなるだろう。

 秋刀魚は目黒に限る
積分定数
2012/07/08 12:56
>zororiさん
>掛け算は二つの量を機械的にかけ合わせることで、新しい量を創造するといってのけた人が大人がいました。もちろん、そんなことはなく、二つの量で記述出来る別の量の概念が先にあり、算数の掛け算はその「個数」を数えているだけ。
力と距離を掛け合わせると何になるか?
仕事かモーメントか、はたまたもっと別のものか、そんなことは分からない。かけ算はいろいろ解釈できるし、具体的には
無意味な場合もある。

いやいや、確かに、太陽と地球の距離と両者が引き合う引力をかけてもエネルギーと同じ単位の量にはなってもエネルギーは作れませんが、この量を無意味というのは早計です。

この量を地球と太陽の引力で割ると両者の距離が出てくる。距離で割ると引力が出てくる。意味があるではないか!

年収×身長  
これも年収で割れば身長が出てきて・・・

掛け算は二つの量を機械的にかけ合わせることで、新しい量を創造できるのですw
積分定数
2012/07/08 13:06
>「1あたり」への異様な拘りというのも、どうにかならないのかと思ってしまう。

これさえ抑えれば全てが解決する、万能な考えを求めている気がします。
色々な考えがあると、「教える側」も「教わる側」も混乱すると思っているのでしょう。
TaKu
2012/07/09 00:03
 ヒッグス粒子の、「水の抵抗みたいなものでそれが質量」という説明を読んで、????だった。

 その段階で私の理解を超えているので、あまり首を突っ込まないようにしていたが、その比喩はあまりよろしくないようだ。

 ちょっとほっとした。「全然分からない」、「自分の理解を超えている」では前者の方がまし。抵抗がどうたら、の説明は後者だった。「それなら摩擦でエネルギーが消耗して・・・」とか考えてしまった。そうでないなら最初から不適切な比喩を使わないで欲しい。

http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/d/1207.html#08
積分定数
2012/07/09 01:17
この手の「比喩になっていない比喩」っていろいろありそう。

2%濃度の食塩水と3%食塩水をあわせても5%食塩水にはならない。
タンヤオピンフの点数と三色の点数の合計がタンピン三色の点数でないとの同じ事

という説明とか。


>色々な考えがあると、「教える側」も「教わる側」も混乱すると思っているのでしょう。

「色々な考え」を覚えるべき物としてしまうとそうなのでしょうね。

ちゃんと理解していれば、「色々な考え」が自然にわき上がってくるのにね。
積分定数
2012/07/09 01:23
この手の「比喩になっていない比喩」っていろいろありそう。

2%濃度の食塩水と3%食塩水をあわせても5%食塩水にはならない。
タンヤオピンフの点数と三色の点数の合計がタンピン三色の点数でないとの同じ事

という説明とか。


>色々な考えがあると、「教える側」も「教わる側」も混乱すると思っているのでしょう。

「色々な考え」を覚えるべき物としてしまうとそうなのでしょうね。

ちゃんと理解していれば、「色々な考え」が自然にわき上がってくるのにね。
積分定数
2012/07/09 01:27
「長方形の面積を横×縦で求めるのは駄目」という人の気持ちが分かるようになってきた。

「分かる」というのは、「賛同する」という意味ではなくて、そういう発想の理由が分かる、ということ。それまでは全く不可解だった。

 このようなことを理解できたのも瀬戸智子氏のおかげである。同氏には感謝したい。

 同氏は、内包量・外延量だの掛割図が出来るようになることが到達目標の1つと考えているようだ。だから、それを経由しないで答えに行き着くのは本当の理解ではないと思っているかも知れない。

 答えに行き着く単なる道具が、もっと崇高な物にされてしまっている。

 TOSSの教師のサクランボ計算で、指示した方法と数分違わず計算するように要求するのと比較した場合、

 五十歩百歩という面がある。サクランボ計算の教師は「どちらでもいい」と分かっていながら、「出来ない子への配慮」として「この方法しか駄目」と自覚しているが、瀬戸氏の場合はもっと本質的な物と捉えている節がある。

 「こうやるのが本来のやり方。こうするのが正しい。」と思い込んでいるが、内包量だの外延量だの掛割図だのなしで数学・物理を理解してきた立場からしたら、アホらしいとしか思えない。

 そのような方法自体がアホらしいという意味ではなく、「そうしなければならない。それが本来の理解である」と思い込んでいるのがアホらしい。
積分定数
2012/07/09 17:06
水道方式や仮説実験を学んできて、算数・理科教育を理解していると自負しているらしい瀬戸氏がこの様な認識であるならば、多くの教える立場の人が、「正しい(唯一の)やり方」「正式なやり方」なる物があると信じ込んでしまっているだろうと推測できる。

 3時間で120qなら6時間では? を「時間が2倍だから距離も2倍」などとするのは間違いで、「みはじで速さを求めて、・・・」というのが「正式なやり方」と思ってしまうのだろう。

 その流れからしたら、「長方形の面積は、縦×横が正式」というのもそれほど突飛な発想ではない。
積分定数
2012/07/09 17:13
 算数・数学の勉強が、退屈な「お勉強」になってしまっていることも原因かも知れない。あるいは因果関係が逆の可能性もある。

 やり方も教わらずに問題だけ出されたら、手持ちの材料で必至に考えるしかなく、当然そこでは「正式なやり方」などという概念はない。

 3x+2=20

xに片っ端から入れてみるというのも当然あり得る。

数学者がやっている最先端のことはよく知らないが、未解決問題を考えるときには当然「正式なやり方」も何もない。既知のことをフルに使って、エレガントだろうが泥臭かろうがとにかくやり遂げればいいのだと思う。詳細は知らないが。

 学校での算数・数学も、未知の問題に取り組む際には似たようなことだと思う。教える人がそういう経験をしていれば、「唯一の正しいやり方」などという発想にはなりにくいと思うのだが。

 以前も書いたが、高校になる直前の子を春休みに教えたときのこと。

y=ax^2+bx+c

a,b,cに具体的数を入れてグラフを描いてもらい、2次式のグラフについて理解してもらった。

 頂点というのが存在するのが分かったのでその座標を出してもらう。

 最終的には、頂点の座標を、a,b,cの式で表せ、という問題を出した。

 平方完成にするなどという「正式な方法」は習っていない。試行錯誤して、

y=ax^2+bx+c に x=0を代入して、y切片を求めて、ax^2+bx+c=cを解くことで、
x=0,-b/a と出し、両者の真ん中のx=-b/2aが頂点になると出した。

面白いやり方だと感心した次第。
積分定数
2012/07/09 17:29
「かけ算の順序」に象徴されるむだ毛=抽象化否定
「みはじ」に象徴される公式・解法・手順の暗記

この2つはつながっていると思う。

算数・数学を「お勉強」ではなく、未知の世界で試行錯誤して奮闘して、法則性や公式を自分で見つけることで興奮する、そういったものに変えていくことで、

これらが解消されるのでは、とほのかな期待を抱いている。
積分定数
2012/07/09 17:38
>同氏は、内包量・外延量だの掛割図が出来るようになることが到達目標の1つと考えているようだ。だから、それを経由しないで答えに行き着くのは本当の理解ではないと思っているかも知れない。

銀林浩さんの提唱する「量の世界」も「純粋数学」とは別のの世界です。
だから「数学のルールと違ってますよ」と言っても、「そんなことは知っていますよ」になってしまうのかもしれない。
でも「量の世界」の正しさの根拠はよくわからない。
おおくぼ
2012/07/09 18:42
 そうなんですよね。だから「数学の立場」から批判しても暖簾に腕押し。

 分からないのは、彼らの理論の「正しさ」の論拠。数学なら証明したり反例を挙げたりして、正しいとか誤りを判断できるのだが・・・

 あと、数学そのものとは異なる、あるいは、物理や化学やそういったものと数学をまたぐ領域として、量の何とかとかいうのがあって、それについての理論なのか、

 あるいは子どもに教える上での理論なのか?

がよく分からない。

 瀬戸氏もこのあたり混乱しているようで、私が質問しても頓珍漢な回答しか返ってこない。
積分定数
2012/07/09 18:51
 瀬戸氏の例は何度も出して申し訳ないけど、おかしな算数教育理論を身につけてしまった人の典型例として、今日の算数教育の現状を研究する上で貴重な事例だと思う。

 実際最初は、妙竹林な事を言っている人だと思っていたけど、決してレアケースということでもないと思い始めている。

 算数それ自体と素直に向き合うことをしないで訳の分からない算数教育理論にはまりこんでしまった人は多いように思う。

 以前に書いたように、そもそも算数教育業界全般がおかしな考え=不毛なむだ毛植毛・無意味な意味重視、に染まっている。
積分定数
2012/07/09 18:59
「唯一の正しいやり方」以外は答えを求められても邪道であり、矯正する必要があるというのが順序派の考えのようですね。
少しモヤモヤ感が減りました。


>算数・数学を「お勉強」ではなく、未知の世界で試行錯誤して奮闘して、法則性や公式を自分で見つけることで興奮する、そういったものに変えていくことで、

・勉強の目的は受験に受かる事。
・勉強とは教わった内容を覚える事。
この考えを変えないと、試行錯誤は時間の浪費と捉えられそうです。
TaKu
2012/07/09 21:03
量子論を勉強してみると、よのなかの仕組みのうち、常識や直感で説明できることは普通に思っているより少ないということがわかる。直感や常識で説明できたと思っても正しくない。

実は人間の常識が当てはまる範囲ってものすごく狭い。直感的にはどう考えてもおかしいと思う理論でも、愚直にとことんなぞっていくと、世界の動きがきちんと説明できる。結局、常識のほうが間違っていると認めざるを得ない。

かけ算の話では、交換法則が最も直感や一般常識とずれているんじゃないかと思います。(たぶん)入れ替えても等価、というのは、目で見て左右の違いがある以上、なかなか納得できないのかもしれません。そこで理屈を大切にできるか、それとも一般常識を重視するかが分かれ道なんじゃないかと思います。
M
2012/07/09 23:16
>「数学のルールと違ってますよ」と言っても、「そんなことは知っていますよ」になってしまうのかもしれない。

数学を全否定していることに気付いていない。
M
2012/07/09 23:18
>実は人間の常識が当てはまる範囲ってものすごく狭い。

自分の少ない経験を絶対化することは危険です。
例えば議論していて、「統計では・・」みたいなことを言うと、「そんな統計は捏造だ」とか「現場を自分の目で見ればわかる」と言われたりします。



物理学は現実の裏付けが必要ですが、数学には必要ありません。
数学の無限の世界では、有限の世界の常識が通じません。
では無限の世界が実際にあるのか?
おおくぼ
2012/07/09 23:47
>・勉強の目的は受験に受かる事。

実は暗記型の勉強というのは受験戦術としても拙いのですが、教える人を含めてそこが分かっていない人が多くて困ります。

 素直に理解すればいいだけなのに、理解抜きで覚えるから、苦労が多い割には益が少ない。

 ただ、順序派はむしろそのような暗記型勉強を批判している場合が多いので、話がややこしい。ともすれば、反順序=答えさえ合えばいい暗記派、とでも思っている節がある。
 実は自分たちこそが暗記派と同じ穴の狢なのに浅はかにもそこに気づかない。

http://www.inter-edu.com/forum/read.php?903,1013957,page=1
ここに出てくるどろんこ氏とか。

>・勉強とは教わった内容を覚える事。

私は忘れ物も多いし、覚えたことをきちんとやる、という勉強が苦手だったけど、算数で落ちこぼれることはなかった。「正しいやり方を覚えないと駄目」という教わり方だったら落ちこぼれたかも知れない。
積分定数
2012/07/10 00:09
 3時間で120qなら4時間で160q

この手の話の流れで、「1時間では40q」というのを出すことで、殊更に「速さと距離と時間の関係」などと身構える必要がないと書いた。

 これに対して例えば、「1時間で進む距離は40q」と「1時間あたりの距離は40q」は根本的に違うとかいう反論もあるかも知れない。

 前者は、40qだが後者は40q/h だとか。

この手の単位の話は言葉の綾でしかないと思う。

1時間で40qなら3時間で120q

40q×3 3は3時間は1時間の3倍という解釈
あえてねちっこく書けば
40q×3h/1h

3時間をそのままかけたいなら

40q/h×3h

 単位が合うように帳尻合わせをしているとも言える。


だから、ここから内包量・外延量の違いを説明するのは不毛。


 例えば平均点を考えてみる。

クラス全体の合計点/クラスの人数 
ということなら 点/人 とすべきだろうか。

でもあまりやらない。

平均気温はどうか?

∫温度・d時間/時間

時間は、日でも時間でも分でも秒でも構わない。出てくる量は℃。


 結局、単位あたり量という概念に殊更なにか重大な意味を読みとる必要はない。
積分定数
2012/07/10 00:23
 なんでわざわざ簡単なことをわざわざ難しい言葉で言うのか…

量の世界―構造主義的分析 教育文庫<8> 銀林浩 麦書房

 2つの量p,qについて p〜q ⇔ q=kp(kは数,≠0)とすると,〜は同値律(反射律,対称律,推移律)を満たす.その同値類を次元といい,量pを含む類を〔p〕または対応する大文字Pで表そう. (p.90)
鰹節猫吉
2012/07/10 00:59
 「数学のルールに違反する」とか「交換法則に違反する」という言葉にはかなりの違和感を感じます。

 おおくぼさんを批判しているのではありません。

 かけ算の正しい順序のような恣意的なきまりと、交換法則とか結合法則とか分配法則は根本的に違うということであります。

 かけ算の正しい順序というのは、どっちかというと漢字の正しい書き順などの同類で、くだらない独善的な 「馬鹿じゃないの?!」 という がっこうのきまり の類でしょう。

 「女」という字は くノ一 という書き順で書かないと落第にする、偉い国語の先生がそのようにお決めになったのだ、服従しない者には罰が与えられるのだぞ… というようなのと同類だということであります。

(続く)
鰹節猫吉
2012/07/10 01:43
(続き)

 ルールとか違反とかいう言葉には、「人間がつくったきまりをないがしろにしたからけしからん」という意味があるように感じられます。

 数学は人間が作ったものだから人間がつくったルールだというようなことを言う人がいるかもしれませんが、、、

 交換法則とか分配法則とか結合法則とかは、いろいろなものに共通の性質を抽出しようとしたものでありますから、かけ算の正しい順序とか漢字の正しい書き順などと同列に扱うのは違和感があります。


 かけ算の正しい順序とか漢字の正しい書き順とかは、いろいろなものに共通の性質を抽出するというものではありません。教員が勝手に決めた御作法に対して個別に対策をとらないとマルを獲得することができないのであります。

 くノ一 の順序が正しいというなら、それじゃ、一 を最後に書くのが正しいんですか? というと、どうもそうではないらしい。

 右 とか 左 とかは、一 を最初に書くのではあるまいか?
 なにやら、右と左では 一 を書く順番が違うとか、わけのわからん決まりを強要している小学校教員がいるらしいんだが、私は一を最初に書いている。それで困ったことなんか一度もないし、まちがったことはいっさいやっていないと自信を持って断言できる。
鰹節猫吉
2012/07/10 01:44
 とにかく、算数・数学に出てくる ○○法則 とか ○○の公理 とか ○○の定理 とかを、自分勝手で独善的で恣意的で意味不明な
 きまり と同列に扱うのは絶対に駄目です。
鰹節猫吉
2012/07/10 01:52
 しかし、書き順なら服従のしようもあるのだけど、かけ算の順序は服従しようにも、どちらが1あたりで、どちらがいくつ分かが、これまたどちらにも解釈できるので、服従すら難しい。

 そういう意味では、「同じ項の中の文字はアルファベット順」などというくだらない「きまり」よりもさらにたちが悪い。
積分定数
2012/07/10 08:02
>この手の「比喩になっていない比喩」っていろいろありそう。

後から思い出した事例

 小学生に方程式の解法を教えた人がいて、移項を「数のお引っ越し」と表現したらしい。

 このような比喩が分かり易いとも思えない。素直に両辺から同じ数を足したり引いたりしても、等号が保たれると言う方がずっと分かり易いと思う。

 それはそうと、比喩というのは何となく分かった気にさせる面がある。

以前テレビで、

 銃をめぐる事件がこれまでの暴力団がらみから、一般の人へと拡がったことに関して

「暴対法などで規制が強まり、一般社会に拡散した。冷戦終結で民族紛争が激化したのと似ている」と解説している人がいて、

「なるほど」と思ったことがある。


冷戦後に民族紛争が増えたということを解説する中で、「日本国内で、暴力団への締め付けが強まることで一般の銃犯罪が増えたのと似ている」と言われれば、それはそれで「なるほど」と思ってしまうのだろう。
積分定数
2012/07/10 10:30
 比喩というのは同様の構造を持つ異なる事例を出すわけで、数学で重要な抽象化ともつながる。

 異なる事例でないと比喩にならない。

 散歩していると孵化したばかりの小さなクモが固まっているのを見かけることがある。つつくと、わーっと散らばるのだが、それを「蜘蛛の子散らすように」とは表現しない。

 以前ハイキングをしているときに、野兎が走ってきてぶつかり、あわてて逃げていったことがあるが、「脱兎の如く」とは言わない。如くではなく、脱兎そのもの。

 清水義範が、海水浴場の賑わいを「芋の子を洗うように」と表現するが、芋の子を洗うよりも海水浴客の数の法が圧倒的に多いではないかと指摘していた。

 大げさに例えることですごさを強調するのが普通なのにこの場合は逆になっている。

 大量の芋の子を洗う際に、「海水浴場の様」というべきだろうか。そもそも芋の子を洗うという場面がそうそうあるのだろうか?

「芋の子を洗うように」というのは海水浴の賑わいを表現する記号になった感もある。反原発デモを「芋の子を洗うように」と表現することもあるのだろうか?
積分定数
2012/07/10 10:32
いずれにしても、適切な比喩ができるかどうかで、その人が理解しているかどうかがある程度分かると思う。

「かけ算に順序がある」の根拠を「パンツとズボンを履くには順序がある」などというのは全然ダメダメ。

 「Aに関してはBだから、Cに関してもBだ」などというのは、一体どういう理論体系なのか?

「鳥には翼があるのだから、蛸にも翼がある」というようなもの。

 こんなアホらしい主張を真に受けて、「だからかけ算にも順序がある」などと言う人がいるから困ってしまう。
積分定数
2012/07/10 10:39
 改めて小学校の教科書を見てみると、足し算では「あわせていくつ」「ふえるといくつ」、引き算では「のこりはいくつ」「ちがいはいくつ」というように項目を分けている。求補の問題は「のこりはいくつ」に入っている。

 教科書の作りそのものが、合併・添加 求残・求差というむだ毛を前提に作られている。

 「4人帰ったのに今5人で遊んでいる。最初は何人?」「4人来たので今10人。最初は何人?」などという問題はない。

 結局、抽象化された足し算・引き算という概念を獲得しないでも、「あわせていくつ」「ふえるといくつ」なら足し算、とすることで対処可能。

 つまり、問題文が 合併・添加 求残・求差 という分類を意識して作られているが故に、あたかもこの様な分類にリアリティーがあるように錯覚するのではないだろうか?

 中学で扱う2次式のグラフがy=ax^2だけなので、「x=pとx=qでの変化の割合はa(p+q)」で対処可能なのと似ている。そのようなことを覚えると、一般的な場合に困るのだが、それが露呈するのは高校になってから。


「求補が求残になっているのはおかしい。今の算数教育は間違っている」などと言う人がいるかもしれない。

 「今の算数教育は間違っている」という部分だけ取り出したら思いは同じだが、私とは全く立場が異なる。
積分定数
2012/07/10 11:01
 何度も言うように、「引き算を教える際には求残から始めるべきで、・・・」ということを否定しているわけではない。

 「最終的には抽象化された引き算の概念を獲得する」という目標設定がなされていなくて、むしろどうでもいいし、本来は区別できない、“求残と求差の違い”を認識させるという不毛なむだ毛の植毛作業が行われているのが、馬鹿げているという話。
積分定数
2012/07/10 11:06
> > イケメンリフレ派の登場が待望される。

・・・とまあ、どこまでも一般人を釣ることしか考えてないインテリバカたち。
偉そうに一般人を上から目線で釣ることを考える前に、まず専門家なり政治家なりの多数を説得させうる議論を構築しろよな。でももう遅いけど。。。

http://d.hatena.ne.jp/jura03/20120710/p1
掲示板は デ タ ラ メ でした
2012/07/10 19:50
掲示板に集った人々が待望したのは

正しいものに釣られて、正しくないものには釣られない素人の増殖

なんだけど。後者の狙いはそこそこ支持できるけど、前者の狙いがダメだよね。
掲示板は デ タ ラ メ でした
2012/07/10 21:01
仮に正しい情報だったとしても(自分にとって)有用ではない情報に関しては、無視するのが正しい態度だもの。
例えば、「円周率の50桁目は●である」なんて多くの人にとっては無用なものだ。

そういう(仮に正しいとしても)下らない情報に食い付いてくる素人が欲しかったんだよね。
掲示板は デ タ ラ メ でした
2012/07/10 21:01
「(合理的)無知」を傲慢にも治療してやろうとして、完全に失敗しているのが君達だよ。
掲示板君達へ
2012/07/10 21:16
合理的無知をあるべき前提として、その上で、より良い(集団的な?)選択に導かれることを考えるべきなんだよ。
分かりましたか?
掲示板君達へ
2012/07/10 21:17
「漢字の正しい書き順」と「交換法則」の比較は、問題点が明確になると思います。
交換法則はローカル・ルールではなく、数学の公式のルールです。
数学は公式のルールとローカル・ルールとでできています。
私は「数学のローカル・ルール」を否定しているのではなく、「数学のローカル・ルール」が公式ルールに抵触する場合の弊害を問題にしています。

数学の公式ルールは、世界共通です。
どの国でも同じです。
数学の素人でも専門家でも同じです。

それに対して、漢字の書き順は世界共通ではありません。
素人と専門家で違います。

四則演算の交換法則には数学的証明という裏付けがあり、数学の体系の中で立場が明確です。
でも漢字の書き順には、そんな証明はありません。

漢字の書き順と「掛け算の正しい順序」が似ているところは、順序が自由でいいとしてしまうと困る生徒が出てくるという点だと思います。
教育上の配慮から、「正しい順序」を教師側が任意に作成して教えることがなされます。
エスカレートすると、全ての生徒に順序を強制して、そして強制した順序を守らない生徒は矯正されます。

これが恐怖政治ですね。
教師側からすれば、文科省の指示通り職務を全うしているということになりますが、文科省はそんな指示はしていないということになり・・・。
どうすればいいんだろう?
おおくぼ
2012/07/10 22:40
 「ルール」というと人が決めたことのような印象があるので、「法則」とした方がいいと思います。

 数学を教えいていると、成り立つべくして成り立つ「こうなっている」という法則と、「こうすることになっている」というルールを混同してしまっている事例に遭遇することがあります。

 で、どうも教える側も混乱しているのではないかと疑っています。

 いずれにしても、混乱や誤解を拡げないために、「ルール」と「法則」は使い分けた方がいいと思います。
積分定数
2012/07/10 23:01
>「ルール」というと人が決めたことのような印象があるので、「法則」とした方がいいと思います。

たしかに「法則」という言葉は、物理法則とか「宇宙の法則」のように人為と無関係なイメージが強いですね。
でも法則は「law」の訳語なので、人為であるかは無関係だったりします。
ただ「交換法律」とか「物理法律」と言うと変な感じがします。
「排中律」とかのように「法律」の「法」を省くと、納得してしまうのは慣れなのかもしれない。
おおくぼ
2012/07/10 23:42
追記

ググってみたら、ヤフー知恵袋に「なぜ数学では物理学や社会科学では「法則」と呼んでいるものを通常「定理」と呼んでいるのに(例 正弦定理 余弦定理)「交換法則」、「結合法則」、「分配法則」、「指数法則」、「対数法則」などは
「定理」ではなく「法則」と呼んでいるのですか。」・・・という質問があった。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1061749165

あと公理は「Axiom」、定理は「theorem」の訳語だったりする。

合同式の「法」は「modulus」の訳語。
モードの意味を考えた訳語だとは思うけど、分かり辛い。
おおくぼ
2012/07/11 00:35
> y=ax^2+bx+c に x=0を代入して、
> y切片を求めて、ax^2+bx+c=cを解くことで、
> x=0,-b/a と出し、両者の真ん中のx=-b/2aが頂点になると出した。

 ここまでくれば、平方完成やグラフの平行移動の一歩手前まで来てますね。

 もうすこしエレガントにしようという方向で考えれば、「y軸方向に -c だけ平行移動したグラフを考えて y = ax^2 + bx = ax(x + b/a) …

 直線 x = -b/(2a) が対称軸になっていることを確かめようとして、 x に -b/(2a) + h を代入してみたりして、平方完成を発見する可能性もある。

 2次方程式の解の公式を求める方法も、平方完成が唯一の方法というわけではなくて、、、

解と係数の関係

α+β = -b/a
αβ = c/a

からも求められる。

{ (α+β) + (α-β) } / 2 = α
{ (α+β) - (α-β) } / 2 = β

だから、なんとかして α-β をひねり出せばいいので、

(α-β)^2
= (α+β)^2 - 4αβ
= (b/a)^2 - 4c/a
= (b^2 - 4ac)/(a^2)

を利用するという手もある。
鰹節猫吉
2012/07/11 01:05
> 「4人来たので今10人。最初は何人?」などという問題はない。

 数学教育協議会によると、それは 「和の第2用法」 だそうです。

□ + 4 = 10

という形になっているので、たし算だけれどもひき算で答えを求める問題であり、子どもがつまずくから注意しないといけないらしい。


「おかあさんがみかんを6個買ってきたら全部で14個になりました。はじめにみかんはいくつありましたか。」

意味を理解していない子どもは全部という言葉につられて6+14=20などとしてしまうので、子どもがつまずくから丁寧に指導しなければいけないらしい。
鰹節猫吉
2012/07/11 01:44
定理、法則、原理、原則、定義、公式、

雰囲気や慣習、語呂かな?

定義は明確に違うけど。といっても、Aを定義とするとBが定理で、Bを定義にするとAが定理、というような同値関係なら特に区別も不要。1/xの定積分を対数の定義にして対数法則を導け、という問題が数学セミナーに掲載されたことがある。

「公理」も流動的。「こういう公理を設定するとこうなって・・・」という具合。だから、数学には「原理」という動かしがたいイメージの言葉はあまり使わないのかな?と思ったけど「鳩の巣原理」とかあるね。

物理だと、「〜の原理」とかあるけど、必ずしも他に還元できない根本的な法則、ということでもない。「てこの原理」は、ニュートンの法則から演繹できる。
積分定数
2012/07/11 08:12


英語を勉強していて、mustが「しなければならない」「ちがいない」、have to も同様。mayが「してもよい」「かもしれない」、という意味なのが不思議だった。推量の場合は状態動詞を伴うことが多いらしいが状態動詞でも義務を表す場合があるので、一応の目安。

 それで考えたのは、英語圏では、あるいはキリスト教圏では、

 「なされなければならないことは、実際になされなければならないので、かならずなる」という発想があるのでは?ということ。

 「本当はこうしなくてはならないのだけど、なかなかそうもいかなくてね〜」などという発想はない。

 正義は成し遂げられなければならないから、成し遂げられたことが正義。フセインやビンラディンは悪魔だからどんなことがあっても、他国の民衆が巻き添えで死のうが、とにかく成し遂げられなくてはならない。

 だから、人間が作った法律も自然に成り立つ(神が作った)法則もおなじlawを使うのでは、

 と思ったりしました。

 まあ、英語圏・キリスト教圏といって範囲が曖昧だし、人も大勢いるし、色々な考えがあるだろうから、こういうステレオタイプな単純化は危険であると後から反省した。

 英語にも婉曲表現はある。米国にも、滅びの美学や判官贔屓があるかもしれない。毎回最下位の大リーグチームを「弱いところがいいんだよね〜」と応援するとか。
積分定数
2012/07/11 08:14
「原理」というのは、根元的な大元の法則、というだけでなく、仕組みとかそんな意味あいもあるね。てこの原理とかアルキメデスの原理とかはこの類だろうね。

ちなみに、原理研究会というのは、

自動車が動く原理、コピー機の原理、、、、などなど色んな物の仕組みを研究するところ

ではなくて、カルトなので要注意。
積分定数
2012/07/11 08:20
>2次方程式の解の公式を求める方法も、平方完成が唯一の方法というわけではなくて、、、

これは面白い。

解の公式に関しては平方完成とからめて、(x+2)^2=3 というような問題を出して、・・・、などと誘導尋問的になってしまって、もう少し生徒自身が自分で見つけられる導入はないのかと悩んでいました。鰹節猫吉さんのコメントがヒントになりそうです。

「4人来たので今10人。最初は何人?」もそうだし、数列を与えて総和を求めることの逆、Snを与えてanを求めるとか、

そういう“逆問題”が手がかりになりそうです。
積分定数
2012/07/11 08:47
今思いついた方法。

(1)2+√3 というような形のものも「数」として認識させる。例えば、長方形ABCDについて、A→B→Dの経路の長さを求めるとか。

(2)2と3が解になるような2次式と求める。ここで定数倍の自由度があることに気づいてもらい、x^2の係数を1に統一することにする。「最も簡単な整数比にする」というのは駄目。係数が無理数の場合も想定しておく。


つまり、与えられた方程式の解を求めるのは難しくても逆は比較的楽。

(3) いろいろな2つの数を自分で設定して対応する方程式を作ってもらう。2つの数が同じ、つまり重解というのもあり。いろいろだから、整数とは限らない。

(4)そうこうするうちに、α、βという一般的な場合もやる。

(5)2つの数→対応する2次方程式 
が出来るようになったら、今度は2次方程式を与えてあてはまる2つの数を求めてもらう。

 想定する方法としては原始的なやり方で構わない。つまり、思いつく2つの数に対応する2次方程式を求めて、これが与えられた2次方程式と一致するのかを確認する。

そのうち面倒になって、もっと効率的な方法がないかと考えて・・・

x^2+6x−2=0の解をαとβとすると、

α+β=6 だから、α=3+√p β=3−√pと予想をつけて・・・ 


うまくいくかどうか分からないけど、ちょっとやってみよう。
積分定数
2012/07/11 08:49
>交換法則とか分配法則とか結合法則とかは、いろいろなものに共通の性質を抽出しようとしたもの

しようとしたもの、というかしたものです。だから、一部の法則だけを恣意的に停止するわけにはいかない。実数では交換法則は実数の定義の一部です。それをなかったことにすると実数ではなくなってしまう。

かけ算の順番を固定して、入れ替えられないというローカルルールを作るのは勝手だが、それが成り立つとすれば、扱う対象は自然数や実数ではなくなってしまう。

数学の最重要な構造物を否定しているのですからとてつもなく重大事なのですが、順序派のひとたちはぜんぜん気にしていないようでした。
M
2012/07/11 09:00
>例えば、長方形ABCDについて、A→B→Dの経路の長さを求めるとか。

三角形の周の長さ、でいいことに今気づいた。


>「和の第2用法」 だそうです。

名前が付いているのですね。

「最初に4人いた。何人かやってきて10人。後からやってきたのは何人?」だと違う名前になるのだろうか?

  「地球人」などという、「焼き肉定食」並みのボケを答える奴もいそう。

しかし、名前をつけるのは構わないのだがそのことのデメリットもあることも知って欲しい。

 名前を付けることで、さらに教師になる人がそれを一生懸命覚えることで、それが便宜的な物ではなくて、本当にそういう概念があると思い込みかねない。

 求残と求差と求補を区別させるなどという不毛なむだ毛植毛の授業実践報告やら瀬戸智子氏やら、実例がある。氷山の一角の可能性も大。氷山の下にはむだ毛がびっしり?
積分定数
2012/07/11 09:06
>意味を理解していない子どもは全部という言葉につられて6+14=20などとしてしまうので、子どもがつまずくから丁寧に指導しなければいけないらしい。

丁寧に指導すること自体には異論がない。しかし、「こういう場合は全部という言葉が入っていても引き算だよ」などと対処療法で逐一指導しても、きりがないように思える。教わる方も覚えることが多くて大変だと思う。

 根本問題は、問題文のキーワードに反応して式を立ててしまうということ。これを改めないと、その先、高校でも「組み合わせだからCを使う」などとなりかねない。

「残り」→「引き算」、「あわせて」→「足し算」

というような、キーワード反応ショートカット を作らせないためには

 足し算とか引き算とかをやる前に、指を折ったり○を描いたりして求められるぐらいの数値で、文章題をいろいろやる

これを最初に徹底的にやったらどうだろうか?


私自身、高校生に順列・組み合わせを指導する場合、「どうやっていいか分からないなら簡単な問題にしてみて、全部虱潰しに書き出すように」と指導する。そうすることで見えてくる物がある。
積分定数
2012/07/11 09:18
>キーワード反応ショートカット を作らせないためには

そもそも教える側が、このようなショートカットを作らせようとしているように思えることがある。

中学校で展開公式なる物を覚えさせて、それを使うことを奨励したり。

分配法則を使えばいいじゃん、何を面倒くさいことをさせるのだろうか、と思ってしまう。

公式を使う方が楽だという意見もあるかも知れないが、

そもそも覚えるのが面倒くさい。

分配法則を使って展開することを繰り返していくうちに自然にショートカットが形成されて、公式を使うのと大差ない手間で展開できるようになる。

どんな式でも展開が出来るし、二項定理への発展もありうる。

公式を使う方が労力が多い割りに利益が少ないと思うのだが、まあこれは人それぞれかもしれない。

少なくとも、全員に強要するのだけは、やめて欲しい。
積分定数
2012/07/11 09:27
もしかしたら、むだ毛は「誰でも教えられる算数」を目指した副産物なのではと最近は考えています。
「教える側」が抽象化等を理解していなくても教える事が出来る。
教えた内容を理解しているか確認する判断基準が比較的明確。
こう考えると辻褄が合うような気がします。
TaKu
2012/07/11 21:21
>求残と求差と求補を区別させるなどという不毛なむだ毛植毛の授業実践報告やら瀬戸智子氏やら、実例がある。氷山の一角の可能性も大。氷山の下にはむだ毛がびっしり?

遠山啓の本を読むと・・・
求差=1対1対応+求残・・・と書いてある。
用語は同じでも、遠山啓流の算数とは違う。

「1あたり、いくつ分」も、文科省と遠山啓では違うと思う。
おおくぼ
2012/07/11 23:22
>求差=1対1対応+求残・・・と書いてある。

だったら引き算は全部、求差ですよね。

たまたま1対1対応させる2つの集合に包含関係があるのが、求残や求補

 ていうか、こんな事、真面目に分析して何になるのでしょうね。

 求差も求補も求残も、私は「同じ引き算のイメージ」しか浮かばない。

 「それは既に引き算が分かっているからだ。最初からそうではなかったはず」とか言う人がいるけど、その人自身は自分がどうやって引き算の概念を獲得したのか覚えているのだろうか?

 仮に、引き算を教える最初には、求差・求補・求残を意識した指導が望ましいとしても、かけ算の順序と同じで、これらを「方便ではなく、本質的に意味のある本当の概念」と教える人自身が誤認しているという事実が、「教える上で有効」というのを否定している。

 求差・求補・求残なんて虚構の概念なわけで、教える人がそれを本質的なものと捉えるということは、医者の不養生、紺屋の白袴。
積分定数
2012/07/12 00:06
遠山啓が「求差」や「求残」という言葉を使う場合は、具体的なたし算を抽象化するという意味合いしかない。
だから「求差」とか「求残」という言葉を使うと、小難しいことを言っているという感じにはなる。
例えば、リンゴ1個とミカン1個は別のグループだから足せないと考える生徒に対して、タイルを使って1対1対応に変換しようという話。
だから「求残」や「求差」という小難しい言葉を使う必要がない。
おおくぼ
2012/07/12 06:39
http://p.twpl.jp/show/orig/Us7WS

足し算の順序で減点!
△−5、って何かの式を著しているのかと思ったけど、○じゃなくて△、マイナス5点 ってことだよね。多分。

くろきげんさんのコメントに「高尚な数学」を掲げて噛みつく人が・・・

>足し算する個数が無限の場合、順番間違えると結果変わりますがいいのですか?
>和の交換法則を「定義」だと思ってる人が多いことがわかりました。和の交換法則は「定義」ではなく「定理」です。だから「和の交換法則」を暗黙のうちに使ってる人は「定義」と「定理」の区別ができない人です。
>こういう人が小学校の算数教育についてあーだこーだ言ってるのはおかしいと思います。
>(自明という人はそれで証明を放棄してること確定なので却下)

この手の人は「かけ算(+α)の順序」論争では定番。
数学教育業界とは関係ない。
ウザイけど、風物詩だと思えば腹も立たないかな。

算数教育の話に無限和だってw
積分定数
2012/07/12 08:42
>だから「和の交換法則」を暗黙のうちに使ってる人は「定義」と「定理」の区別ができない人です。

こういう人がもし教師だったら、数学の公式を証明なしに使ったら、バツにするのだろうか?
「公式を使う場合は、証明してから使いなさい。」
???
おおくぼ
2012/07/12 09:48
花まる先生のかけ算

http://www.asahi.com/edu/student/teacher/TKY201101160133.html

>「テントウムシが7匹います。テントウムシには足が6本あります。全部で足は何本あるでしょう」
>今度はみんなが「6×7」と答えられた。
>「ちなみに7×6だとどうなるかな」と先生が言うと、出題した男の子は棒状の黒いフェルトをテントウムシの足の部分に一本ずつ追加していった。先生は「足が7本になっちゃった。
>テントウムシは昆虫の世界から出て行かなければいけなくなっちゃうよね」。
>「かけ算の意味って、すごく大切。数字の順番でなく、何のいくつ分か考えてとくのを忘れないでね」。みんなは先生と約束。
>「前と比べて、かけ算の意味が分かるようになった人?」。そろって手が挙がった。

遠山啓のタイル方式だと、意味の違いは生じないはずなんだけど。
おおくぼ
2012/07/12 14:03
>「和の交換法則」を暗黙のうちに使ってる人は「定義」と「定理」の区別ができない人です。

これは釣りなんですね?
定義と定理は入れ替えられる場合がある、とか
実数では交換法則は公理だ、とか
言ったら引っかかったと笑われるんですね?
M
2012/07/12 20:43
「順序ルール」が存在すると仮定しましょう。
とりあえずは、6本足のテントウムシが7匹いる場合の足の総本数を求める計算式は「6×7」となり,7本足のテントウムシが6匹いる場合の足の総本数を求める計算式は「7×6」となります。
でも、「6本足のテントウムシ7匹では足の本数は何本」という問題に「7×6=42 答え42本」と解答したって別に良いのですね。何故って、7本足のテントウムシ6匹でも6本足のテントウムシ7匹の足の総本数は同じだから。

森の木の本数を数える場合,大量のひもを用意し,1本づつ木に結びつけ,用意したひもの本数から余ったひもの本数を引いて、木の本数としたって構いません。木の本数と結びつけたひもの本数は同じだから。

双子の兄の歳は10歳であるなら、弟も10歳といってよいです。同じだから。

いやいや、「意味」が違うからダメというのが花まる先生。
確かに「意味」は違うが、違いに拘る意味は全くないのにね。
zorori
2012/07/12 22:15
>http://p.twpl.jp/show/orig/Us7WS

恐ろしいですね。
掛け算の順序主義は、
 「ともかく、教えられた通りにやる」
 「プラス、空気を読む」
ということで対処できますが、足し算の順序
主義はもはや“読む空気が無い”という状態
です。

 「道路があります。スタート地点から
  7km 来たので、のこりは 5km になり
  ました。道路の長さは何km ですか?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=58520598&comm_id=4341118

メタメタさん、私、mixi に入っていません。
入るにはどうしたらいいのでしたっけ?
ゴルゴ・サーディーン
2012/07/12 22:51
 私自身が、「抽象化」「一般化」ということに価値をおくようになったのは、多分高校卒業して大学での数学を勉強してからだと思う。

 それ以前も抽象化はしていたけど、今から思えば「あれが抽象化だな」と思えるけど、そのころはそんな意識もなかった。

 算数教育業界の人って、「抽象化」ってのがそもそも分かっていないのではないだろうか?

 教育学部の数学専攻だった人に「抽象化は大切ですよね?」と聞いたら同意していたけど、あくまでこちらの質問に対する返答。本音は分からない。

 小学校時代って、「ちゅうしょうてき」って、「あいまい」と同義で、ネガティブな意味だったような記憶がある。

 まさかとは思うけど、

「抽象化」=良くないこと

みたいな文化が、算数教育業界にあるなんてことは、さすがにないよね?
積分定数
2012/07/12 23:07
 私自身が、「抽象化」「一般化」ということに価値をおくようになったのは、多分高校卒業して大学での数学を勉強してからだと思う。

 それ以前も抽象化はしていたけど、今から思えば「あれが抽象化だな」と思えるけど、そのころはそんな意識もなかった。

 算数教育業界の人って、「抽象化」ってのがそもそも分かっていないのではないだろうか?

 教育学部の数学専攻だった人に「抽象化は大切ですよね?」と聞いたら同意していたけど、あくまでこちらの質問に対する返答。本音は分からない。

 小学校時代って、「ちゅうしょうてき」って、「あいまい」と同義で、ネガティブな意味だったような記憶がある。

 まさかとは思うけど、

「抽象化」=良くないこと

みたいな文化が、算数教育業界にあるなんてことは、さすがにないよね?
積分定数
2012/07/12 23:10
 私自身が、「抽象化」「一般化」ということに価値をおくようになったのは、多分高校卒業して大学での数学を勉強してからだと思う。

 それ以前も抽象化はしていたけど、今から思えば「あれが抽象化だな」と思えるけど、そのころはそんな意識もなかった。

 算数教育業界の人って、「抽象化」ってのがそもそも分かっていないのではないだろうか?

 教育学部の数学専攻だった人に「抽象化は大切ですよね?」と聞いたら同意していたけど、あくまでこちらの質問に対する返答。本音は分からない。

 小学校時代って、「ちゅうしょうてき」って、「あいまい」と同義で、ネガティブな意味だったような記憶がある。

 まさかとは思うけど、

「抽象化」=良くないこと

みたいな文化が、算数教育業界にあるなんてことは、さすがにないよね?
積分定数
2012/07/12 23:33
> 算数教育業界の人って、「抽象化」ってのがそもそも分かっていないのではないだろうか?

分かっていないか、小学生には必要ないと考えているかだと推察しています。
TaKu
2012/07/12 23:45
ゴルゴ・サーディーンさん

現在は,紹介者なしでも入会できるようです。
「mixi 入会」で検索すると,下記が出てきました。
http://nanapi.jp/12846/

 たし算についても,6社の教科書の資料をmixiの方にアップしました。
メタメタ
2012/07/13 01:52
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2075760&media_id=56
ソウルで“数学オリンピック”開催 100カ国から4000人参加
(中央日報 - 07月09日 14:30)

チェックする(1) つぶやく 日記を書く日記を読む(1)
およそ100カ国から約4000人の数学教育者が集まり、「数学教育界のオリンピック」と呼ばれる第12回国際数学教育大会(International Congress on Mathematical Education=ICME−12)が9日、ソウルCOEXで開幕する。 15日まで開催され、中央日報と教育科学技術部、韓国科学創意財団などが後援する。 4年ごとに開催される国際数学教育大会は1969年に仏リヨンで始まった。 アジアで開催されるのは東京(2000年)に続いて2度目となる。
今回の大会では、米国・中国・日本など約100カ国の数学者が参加し、数学教育の改善と教師の専門性の伸張などを議論することになる。 各国の数学教育課程や教具・教科書などを比較する展示展も準備される。
シン・ヒョンヨンICME−12組織委員会共同委員長(韓国教員大教授)は「韓国ではICME−12をはじめ、来年のアジア数学大会(AMC)、2014年の国際数学者大会(ICM)など大きな数学行事が相次いで開催される。これを契機に韓国数学教育が世界最高レベルに高まることを期待する」と述べた。
韓国の数学分野は国際数学連盟(IMU)評価で最高レベルの次の等級(4群)を受けている。 最高レベル(5群)には米国・日本・英国・ドイツ・中国など10カ国が含まれている。



いわゆる「数学オリンピック」とは別らしい。
積分定数
2012/07/13 08:24
コメント欄8代目の方に書き込んで下さい。http://suugaku.at.webry.info/201207/article_1.html
積分定数
2012/07/13 08:34
コメント欄8代目の方に書き込んで下さい。
http://suugaku.at.webry.info/201207/article_1.html
積分定数
2012/07/13 08:37
コメント欄8代目の方に書き込んで下さい。http://suugaku.at.webry.info/201207/article_1.html
積分定数
2012/07/13 08:38
コメント欄8代目の方に書き込んで下さい。http://suugaku.at.webry.info/201207/article_1.html
積分定数
2012/07/13 08:39
コメント欄8代目の方に書き込んで下さい。http://suugaku.at.webry.info/201207/article_1.html
積分定数
2012/07/13 08:41

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